スピードを上げろ、誰よりも早く。
走れ走れ! リニアモーターガール!
夏の日差しを残して陽は西へ。太陽光発電システムのミラーがゆっくりと閉じて行く。
自然と人工が調和した、雄大な第3新東京市の夕暮れ。
そんな景色の中の、あるビルの屋上。
茜色の空を背にして、たった独り立っている制服姿のマリ。
表情は見えない。
暮れなずむ街を気にも留めず、手元の携帯端末のモニタを凝視している。
ふと、言葉にする。それはかすかな痛みを伴っているかのように。
「……ワンコ君」
三時間前。
「まっさらのLCL、いい匂いだ」
プラグスーツを着用し、シミュレータに座るマリ。今日のスケジュールはエヴァの新装備を想定した模擬戦闘。
猪突猛進、正面突撃。一心不乱、喧嘩上等。真希波・マリ・イラストリアス。
誰が名付けたか、ユーロでの二つ名はリニアモーターガール。まともなチームワークが出来ないと誰にも言われている。
『マリ、シミュレータは2号機に合わせてあるから 、新装備の特性をよく考慮して模擬戦を行ってちょうだい』
葛城一佐の指示が飛ぶ。「はーい」と気のない返事をするマリ。
――この新装備、あんまりあたしの好みじゃないなぁ。
地上戦用高機動装備、通称H型装備。ウェポンラックを外し、肩部・背部に装備される高機動ユニット。
独立したジェネレ-タを内蔵し、背部にはメインブースタ、肩部は上下前後左右にサブブースタを有する。肩部下方ブースタを常時稼動することにより、機体は常に宙に浮いた状態となる。
文字通り三次元機動とスピードを優先した装備で、A.T.フィールドを展開し併用すれば、理論上は地上で音速を突破することも可能。
この新装備の装着により、対使徒戦において取りうる最良の戦術は、回避能力を最大限に生かしたパレットライフルによるドッグファイトである、とかなんとか能書きをたっぷりと説明された。
――ウンザリするなぁ。好きに闘わせてくれればいいのに。全然わくわくしなぁーい。
シミュレータのモニタが開き、新装備のおかげで上半身だけやたらマッチョになった2号機の姿がCGで表示される。
パラメータを与えられたプログラムをシミュレータ上で走らせているだけとはいえ、こんな機体はご勘弁願いたいマリではあった。
「ま、いーか。やってみなけりゃ分からないこともある、ってね」
『シミュレーション、開始』
葛城一佐の声と共に、眼前に第3新東京市の街並みが浮かび上がり、その中央に小さく使徒の姿が表示された。
「こちら2号機。状況を開始する」
そう言う間もなく、マリはスロットルをマックスにブチ込んだ。
「しっあわっせは~あっるいてこない♪ お、センサに感。会敵(エンゲージ)」
酷く上下に機体が揺れる。コントロールがシビア過ぎて、全然姿勢が安定しない。
「マトモに動くの、コレ? そもそもターゲットにカーソルが合わないじゃん!」
口を尖らせて毒づくマリに、葛城一佐は。
『それを何とかするのがパイロットの役目でしょ』
などと涼しい声で答えやがる。
――にゃろぉー。そーゆーつもりかい!
そうこうしている内に使徒の姿がどんどん大きくなる。彼我の距離、既に1000を切った。
とりあえずノーロックでパレットライフルを乱射。その全てがA.T.フィールドによって阻まれた。
――集弾率悪すぎ! こんなんじゃぁA.T.フィールド貫通できるわけないじゃん!
使徒の眼が光る。判断するより先に反応し、マリはサイドブースタを二回吹かす。
「くっ! ジェネレータの容量が足りない! 回避に頼るとブースタがガス欠する!」
機体すれすれに輝く十字状の爆光を左目に見ながら、マリは装備していたパレットライフルを投げ捨てた。距離、300。
『ちょっと、マリ! あんた何やってるのよ!』
葛城一佐の声がマリには煩い。
――そっちがそーなら、こーれで行くかぁ?
「第四十八番と第六番の兵装ビル、シャッター開放!」
『マリ、答えなさい! マリ!』
――あたしの闘いの邪魔すんなあっ!
あてつけるようにマリはモニタを乱暴に切った。
第四十八番兵装ビルからショットガンを引き抜く。引き抜きざまポンプアクションをスライドさせ、シェルをチェンバに送り込む。
「うおぉりゃあぁぁぁぁ!」
すれ違いながらマリは散弾を使徒に叩き込んだ。しかも二度。
――よっしゃあ! A.T.フィールド削れてる!
使徒を置き去りにしてマリは第六番兵装ビルへと向かった。ショットガンを左手に持ち替え、兵装ビルの前で左前部と右後部ブースタを吹かしてクイックターンする。その瞬間、右手には魔法のようにE・ソードが握られていた。
「もういっちょおぉーっ!」
Uターンしながらフルブーストで再度マリは使徒へと向かう。左手にショットガン、右手にE・ソード。使徒はもたもたと向きを変えようとしているが、コア部分がガラ空きだ。
「逃げんなぁーっ! このやろーっ!」
ショットガンをぶっ放す。薄くなる使徒のA.T.フィールド。E・ソードを平突きに構え、マリは最大加速。ガス欠なんか気にしない。全質量を乗せてコアに向かって一閃。マリの絶叫が響く。
「ちきしょーっ! くたばれぇーっ!」
ネルフ内休憩室。
「……死んだ。完璧に死んだ」
制服に着替え、ソファにもたれて大の字に伸びているマリであった。半分白目を剥いている。その弛緩しきった首筋の神経に、不意に冷たい刺激が走る。
「にゃっ?!」
ばね仕掛けのように飛び起きるマリ。振り向けばシンジが缶コーヒーを手に、申し訳なさそうに立っていた。
「驚かせてゴメン。マリさん、訓練お疲れ様」
「……なんだ、ワンコ君か」
マリはシンジが差し出す良く冷えたコーヒーを受け取る。
「訓練で疲れてるんじゃないにゃあ。葛城一佐に……」
「ああ、ミサトさんのお説教かぁ」
その気軽な言い回しが、マリの神経を少しざらつかせる。
「ったく、いーかげんな装備のシミュレーションさせられて、何とかクリアしたと思ったらこってり絞られて……こんなの割に合わない」
吐き捨てたくなる気分を、シンジの前だから、となんとか抑えてマリは言う。
「で、ミサトさん、何て言ってたの?」
同じパイロット同士、ワンコ君が自分のグチを聞いてくれようとしているのはマリにも分かる。本当に変なトコ、優しいんだから、と少しだけ浮上した気分。
「あたしに向かって『ジョン・ウェインは要らない』ってさ」
「うん、僕もそう思う」
思いもよらないシンジの言葉。え、とマリは驚く。今、何て言ったの?
「僕もミサトさんと一緒にモニタ、観てたんだ。マリさん、突っ込みすぎだよ。上手く言えないけど……地に足が着いてない感じだった」
ひくっ、とマリの眉が上がる。思いっきり神経がざらついた。むしろ今の状態はヤスリそのもの。鋼だって削れそう。
「そっか、キミも葛城一佐と同じこと言うんだね」
すっくと立ち上がったマリは、表情を隠し。
「これ、返す」とシンジに向かって缶コーヒーを放り投げた。
きびすを返してその場を立ち去ろうとすると、マリの背中にシンジの声が聞こえる。
――聞きたくない。ワンコ君からだけは聞きたくない。
マリはその場を逃げ出した。ポツンとシンジを置き捨てるように残して。
「ヘコんだぁ。ただ今絶賛沈没中です。浮上できなーい」
どこをどう走ったのか、見知らぬビルの屋上にマリはいた。膝を抱えてうずくまり、まだ残るダメージを心の奥から追い出そうとする。
『ジョン・ウェインは要らない』と言った葛城一佐。
それに同意したワンコ君。
――上官に叱られるのなんていつものことじゃん。ユーロじゃ連携上手くないから、パイロットチーム内でも問題児扱い。それでもあたし、今までやってこれたんだし。
なのに、気分が晴れない。納得しているはずなのに、晴れない。
――なぜ、と自問する。
「ワンコ君に嫌われたかなぁ……」
多分、それが答え。
自分の闘い方を変える気はさらさらないし、そもそもそんな器用なことが出来るくらいなら、今日だってもっと上手くやれたはず。
マリの闘い方、それは。
「あたしってば全開で突っ走っちゃうからなぁ」
ただ、近接戦闘とは名ばかりの、使徒をど突き倒すマリの闘いぶりをシンジにモニタで見られていたのは大誤算だった。
――ドン引きだよね、あれじゃ。
「女の子扱いされなくなっても仕方ない、か」
闘うならば突っ走る。しかし、「恋も闘い」と呼ぶのならば。
――あたしには向いてないのかもね。
突っ走る恋なぞ、迷惑なだけ――特に、ワンコ君みたいなタイプなら。
ふ、とマリは小さくため息をついた。
その時。
携帯端末のコール音。あたしにゃ感傷に浸るヒマもないのかとメールを見ると。
件名は『動画を送信。よく観ること』。葛城一佐からだった。
凝視する。手元の携帯端末のモニタを凝視している。
目が放せない。ふと、言葉にする。
「……ワンコ君、凄い」
それは、以前の戦闘シミュレーションをモニタリングしたCG画像だった。初号機と2号機による使徒攻撃。2号機が前衛で大暴れしている。多分、式波大尉が操縦しているのだろう、さもありなん。
一見、派手な戦闘を繰り広げている2号機に目を奪われてしまいそうになるが、しかし、マリは初号機、碇シンジの戦闘を注視していた。
果敢に使徒への白兵戦を挑む2号機を、初号機は的確にフォローしていた。2号機が使徒から離れた瞬間、初号機は大火力のバルカン砲で確実に使徒にダメージを与え続ける。見とれてしまう、何て見事なコンビネーション。
――式波大尉はワンコ君に背中を預けている。
それはチームとしての信頼の証だ、とマリは思う。それと同時に感じるかすかな痛みは、軽い嫉妬なのだろうか。
『ジョン・ウェインは要らない』
一人で無茶な闘いをする必要はないんだよ、と。
――ならワンコ君はあたしの背中を護ってくれるかな。
歯を食いしばり、脚に力を込めて立ち上がる。立ち上がってみせる。
「こんな所でいじけていたって、前に進めねーじゃん」
モニタを閉じたマリは、ようやく笑みを取り戻した。あの、ふてぶてしいいつもの笑みを。
「マリさん、ここにいたんだ」
目の前にワンコ君、いや、初号機パイロットの碇シンジが立っていた。
――探してくれていたんだ。
呼吸が荒い。きっと走って来たんだろう、とマリは思う。エヴァのパイロットの所在は二十四時間絶え間なく把握され続けている。それなのに、わざわざ走って駆けつけるなんて――。
「マリさんのこと、怒らせちゃったみたいだから……ごめん」
そんなことないよ、と言いかけたマリを制し。
「でも、これだけは言わせて」とシンジは続ける。
「マリさんの闘い方、カッコイイと思う。僕にもあんな闘い方できればと思う。でも……マリさん一人が危険な目に遭うのはイヤなんだ」
男の顔だった。さながら闘犬のごとく、幾つもの修羅場をくぐった戦士の顔だった。
――そんな顔も出来るんだ。
マリは初めてシンジと会ったときのことを思い出す。
最初に好きになったのはあの匂い。LCLだけじゃないシンジの匂い。
それから、穏やかな笑顔と細い指。慌てた表情もかなり好き。
そして、今日。好きなところがまた一つ、増えた。
「だから匂いが違うのか……」
ぽつりと言葉をこぼすマリ。
――ねぇ、ワンコ君。突っ走ってもいいかい? むしろ突っ走りますよ?
戦闘も、恋も。それが、多分、自分らしい。マリはそう思う。
「気に掛けてくれてありがとう、ワンコ君。……おらぁ! 明日からもいっちょやるかぁ!」
大きく右手を振り上げてマリは気合を入れる。隣でワンコ君が微笑んでいた。
『今日の模擬戦闘はチームワークの評価を行います。碇シンジ前衛、真希波・マリ・イラストリアス後衛。両名指示に従って連携しつつ、ターゲットを撃破すること。以上』
二つ並んだシミュレータの中、マリは葛城一佐の声を聞いた。隣のシミュレータにはワンコ君が搭乗している。
――連携、か。後衛でフォローなんて出来るかな。
その時、モニタが開き。
「ミサトさん、提案があります」とワンコ君が真剣な顔で意見を述べた。
『何、シンジ君』
「マリさん前衛、僕が後衛。この方が良い連携が取れると思います」
にゃっ?! 突然何を言い出すのかとマリ。
「僕が一度先行して、敵A.T.フィールドを無効化します。その後、後衛に回ってマリさんのフォローをします」
――ワンコ君。キミって……。
『作戦立案の責任は私にあります』と葛城一佐は淡々と答える。
マリの表情が曇る。舌打ちしたくなるのを堪えたとき。
『よってシンジ君の提案を許可します。さらに、必要とあらばマリには白兵戦装備の使用も許可します』
――やった!
『まったく甘いわね、ミサトは』
『うっさいわねー』
赤木博士と葛城一佐の軽口すら、今のマリには心地いい。
さらには。
モニタの中ではワンコ君が片目をつぶっている。慣れないウインクなんかしちゃってさ……嬉しいよ、ワンコ君。
マリもウインクを返し、親指を立てた。自然と口元がほころぶ。
『えー、おほん。シミュレータ起動、模擬戦闘シミュレーション、開始!』
葛城一佐の指示。さあ、やってやろーじゃないの。
「こちら初号機。状況開始します」とワンコ君の声。
マリはゆっくりとスロットルを開ける。軽い。機体も安定している。赤木博士がリプロミングしたのだろうか。ならば、前回のブザマな闘いっぷりにも意味があったというワケだ。
とにかく、これなら楽しく闘えそう!
「こちら2号機、状況開始。飛ばすぞーっ! ワンコ君、付いて来れるかぁー?」
「ちょ、マリさん! 最初は僕が先行するってば!」
背中は預けるよ、ワンコ君。
これが、信頼。歪みなく揺るぎなく。そして……確かにあるのは、ほのかな恋。
戦闘も、恋も。
突っ走れ、リニアモーターガール。
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ヱヴァ破より、新キャラの真希波・マリ・イラストリアスとシンジ君の物語。
らぶらぶ・マリ・シンジなのでご注意ください。