ここで「やった!万歳!」とか言える人は私の敵です。グーで殴ってやる。
私はよろめきながら近くの椅子に腰掛け、片手を顔に当て俯いた。心配そうに寄ってきたお母さんをもう片方の手で制して、「大丈夫」と言い、水を一杯くれるように頼んだ。
なんで…どうして…?『魔法世界』って…ありえないでしょ!電化製品は魔力で動く魔力製品?魔力で動くなら電気代もかからないからいいよね。夏もエアコン使い放題?エコの時代に贅沢だね。でも洗濯機はちょっと欠陥品かも…いや!問題はそこではなく!
ブンブンと頭を振る。
どうするの?どうしたらいいの?私どうやったら戻れるの?い…いや…落ち着こう。今はちょっと落ち着こう。深呼吸して、まずは水を一杯…
一息ついてから水の入ったコップを手に取り、朝食を作っているお母さんの後ろ姿を見ながら水を口に含むと、
「ぶぼっ?」
飲み込む前に噴き出してしまった。ありえないものを見てしまったからだ。料理をするお母さんの側にある、全長十センチくらいのネズミのぬいぐるみ。そのぬいぐるみが顔を真っ赤にして、口から必死に火を吹き続けている。これこそ珍獣だ。
「お…母さん…?それ…なに?」
「それって…ああ、クーちゃんのこと?何って…うちの使い魔じゃない。この子、那美が子供の頃どこかから拾ってきたのよね。もう家に来て十年になるかしら?早いものねぇ。あ、クーちゃん、ちょっと火が強いわ。焦げちゃう」
私があんな珍獣を拾ってきた?確かに子供の頃、あれに似たぬいぐるみを拾ったような覚えはうっすらとあるけど。でもそのぬいぐるみ、いつの間にか無くなっていたし、もちろん生きて、動いて、火を吹いていた、なんてことはなかった。
「さすが『魔法世界』…ぬいぐるみも動き出しちゃうんだね…」
苦笑いしながら頬杖をついて、ぬいぐるみのことをあらためて見てみた。一生懸命火を吹く姿はとてもかわいい。何と言うか、ほっこりとした気持ちになる。
なんでこうなって、どうやったら戻れるのかわかんないけど、頑張ってるぬいぐるみの姿を見てたら、とりあえずこの世界を楽しんでみるのも悪くないかも…なんて思えてきたから不思議だ。
そうこうしているうちに朝食が出来上がってきた。ご飯に、卵焼きに、焼き鮭に、味噌汁。『魔法世界』といえども、朝の定番メニューに変わりはないみたい。イモリの丸焼きとか出てくるんじゃないかと思ったけど一安心。
朝食を済ませ、着替えるために自室へと戻った。真新しい夏服を手に持ち、体にあてがって全身を写せる大きな鏡の前でクルクルと回ってみる。
「やっぱりいいよね?夏服♪絶対こっちの方がかわいいよね?♪」
「半袖になって、ラインの色が赤から黄色になっただけじゃない」(母親談)なんて意見は一切受け付けません。誰がなんと言おうと、夏服最強なんです。
私はササッと着替えを済ませ、
「よ?し!それじゃあちょっと『魔法世界』の生活でも楽しんでみますか!」
鼻歌を歌いながら自室を出て、玄関へと向かう。
『魔法世界』、まだ戸惑いはあるけど、ちょっと楽しそう!元の世界に戻れるまでこの世界を満喫してやろう!
…なんて気持ちも、玄関を出て半歩ですっ飛んだ。
「いってきまー…す?」
玄関を出たとたん、空を飛ぶ大きな影とともに、もの凄い突風に襲われ、折角セットした髪をクシャクシャにされてしまった。恨みの目線を空にやると、そこには全長十メートルはあろう、巨大な鳥が何羽も飛び交っていた。
あまりにも非常識なその光景を見て、もう笑うしかなかった。
学校に行く途中、あの巨鳥のような非常識な生き物と出会わないかと、辺りを見回しながら登校した。幸いなことに、通学路には怪物は居なかった。どうやらあの鳥は通勤用の乗用鳥らしい。通学途中の生徒が、「乗用鳥に風で髪を乱された」などと愚痴を言っているのを聞いてそのことを知った。
それにしても皆も被害にあってるんだね。乗用鳥反対!の横断幕をもってデモ行進でもしてみようか。行政も通学路上空の乗用鳥を禁止してくれるかもしれない。
ところで、辺りを見回していて気付いたことがある。それはあの鳥以外に非常識なものはなかったということ。でも少し変わっている所も見受けられた。まず自転車が一台も走っていない。そして道路には車は走っているものの、圧倒的に少ない。どうやら車に乗る人より、乗用鳥に乗る人の方が多いようだ。
「でも温暖化防止にはいいかも。車も『魔力機関』で動いてるみたいだし」
問題はあの鳥が出す糞だよね…かけられないよう注意しないと。そういえば、雨でもないのに傘を差してる子がさっき居たな。もしかしたらあれは鳥の糞避けだったのかもしれないな。
そんなことを考えている内に、学校へと到着した。見た感じ元の世界の学校とどこも変わった様子はない。
下駄箱から上履きを取り出して履き替え、教室へ。
でも、私の足は教室の前でピタリと止る。一抹の不安が過ぎったからだ。
「もしクラスの人が全員違ってたらどうしよう…そうなったら私誰の名前もわかんないし絶対怪しまれちゃうよね…記憶喪失だって、病院に連れてかれちゃうかも…」
大の病院嫌いの私には、それは耐えられない。それだけは勘弁してほしい。病院に連れて行かれるくらいなら、牛乳十リットル一気飲みしたほうが百倍マシだ。
私は数分、教室の前で考え、祈るような気持ちで教室を覗いてみた。
不安は杞憂に終わった。
クラスの人は皆、見知った顔ばかりだった。向こうも私のことを知っていて、「おはよう」と挨拶もしてくれる。世界は変わってしまっても、クラスメイトは変わらなかった。
「は?…よかったぁ?…」
私は心底ほっとして、そのまま自分の席へ向かった。
席につくと、梢ちゃんもすぐ登校してきた。そして顔を見て一言。
「那美、顔がアホになってるよ?」
「誰がアホかな?」
私はやんわりと言い返す。朝の挨拶にしてはあんまりな言葉だけど、いつもは腹の立つこのやり取りが、こんなに嬉しいとは!今日は何度言われても、怒らないでこのやり取りが出来るような気がするよ。
「いや、だから顔がアホになってるってば」
「うるさい!早くカバンを置いてきなよ!」
今日は何度言われても、怒らないでこのやり取りが出来る…ような気がしただけで、やっぱり何度も言われると腹が立つ。まったく!朝の挨拶も知らんのか!
「そうそう、その顔、その顔。やっぱりそうでなくっちゃ」
そう言うと梢ちゃんは満足そうに笑いながら、カバンを置きに自分の席へ。その後ろ姿を、私が鋭い視線のナイフで貫いていると後ろから、
「よーっす」
と、誰かが挨拶してきた。ご機嫌ナナメの私は、
「おはよう!」
と、梢ちゃんを睨みながらぞんざいに挨拶を返した。
「おお!何だよ…雑な挨拶だな」
こんな気分の時に挨拶してくるからだよ!まったく!それに後ろから挨拶してくるなんて、そっちも失礼じゃ…
「は?後ろ?」
勢いよく振り返る。
誰も居ない席。入学以来ずっと空席のままのはずの席。そこには…
見知らぬ男子生徒が座っていた。
呆然としていると、男子生徒は怪訝そうな顔をする。
「なんだよ?どっかに何か付いてるのか?」
男子生徒は自分の顔や、服に何か付いてるのかと確かめる。
いやいや、私が気になってるのは服とか顔じゃなくあんたの存在そのものなんだけど?
「あんた、誰?」
私が当然の疑問をその男子生徒に投げかけると、男子生徒は服を確かめているその体勢で一瞬固まり、
「はあ?」
と、またも怪訝そうな顔をして、私を見てきた。
「いや…だから、あんた誰?」
「…なあ美南…そりゃ確かに、俺とお前はただ席が近いだけでそんなに親しくはないさ。だけどいきなり『あんた、誰?』はないだろ?」
「そうかもね。それで、あんた、誰?」
表情を変えず、何度も聞く私に、男子生徒は呆れたのかな?溜息をつき、頭を掻きながら答えた。
「五十路…五十路竜也いそじたつやだ」
「えっ!あんた五十歳なの?すごい!若い!」
「その五十路じゃねえよ!」
我ながらアホな受け答えだと思う。こんな漫才のようなやり取りをしながら考えた。
五十路竜也?聞いた事もない。
この人物を、学校のどこかで見かけたこともなかった。と、いうことは…
――――――『魔法世界オリジナルの人物?』――――――
これってちょっとマズクない?向こうは自分のことを知っているのに、自分は向こうのことを知らない。このままだと怪しまれて、病院送り決定?何か適当なことを言って誤魔化さないと…そう思っていると、カバンを置いた梢ちゃんがやって来て、
「あれ??お二人とも、随分仲がよろしいですね??もしかしてラブラブフラグ立っちゃったとか?いいですね?青春ですね?」
と、ニヤニヤとしながら茶化す。
っていうか、どう見たらそう見えますか?私がこんな素性も知らない奴とラブラブフラグが立つだなんてとんでもない!
と思いつつも、ちょっとはそう見えたかもしれない。梢ちゃんに言われて、私は恥ずかしくなって俯いてしまったから。
そして、この五十路とか言う正体不明のオリジナル人物もちょっと慌てたように、梢ちゃんに言い返した。
「んなわけね?だろ!何で俺が、こんな『しんぶんし』と!」
ピキッ!という音が、私の頭の方から聞こえた。はっきりとね。
『ミナミナミ』と『シンブンシ』。どちらも上から読んでも、下から読んでも同じになる。
というか、バレないように隠してたのに何でこいつはそのことを知ってるんだろう。私の知らないオリジナル人物の癖に、私の知られたくないことを知ってるなんてどういうことよ!
それよりも、今の言葉、あんたは照れ隠しのつもりで言ったのかもしれないけど、五十路君それはまさに地雷なんだよ。
私は、ゆっくりと立ち上がり、にっこりと笑って奴の方を見て、
「誰が『しんぶんし』か!」
そう叫ぶと同時に、殴ってやった。もちろんグーで。見事に奴の頬にクリーンヒット。まるで漫画のようにすっ飛んでゴロゴロと転がっていく。
梢ちゃんは、殴り飛ばしたことに全く動じていない様子で、楽しそうに笑いながら私の顔を覗き込んできた。
「那美、顔が鬼の形相になってるよ?」
「当然でしょ!」
怒り心頭の様子の私を見て、梢ちゃんはやっぱり笑っていた。
それで、私が殴り飛ばしたあの馬鹿は言うと、殴られたショックで起き上がることが出来ないようだった。っていうか、一生寝てろ!
授業が始まって、後ろから殺気のようなものを感じていた。言うまでもなくそれはあの馬鹿から放たれているものである。
気付かれないようチラッと後ろを見てみると、黙々と消しゴムを小さく千切っている姿が見えた。なるほど。それを私の頭に当てて、地味に仕返ししようってわけね。いいわ、受けて立つわよ!
私は対抗するために、この馬鹿の殺気の何倍もある殺気のオーラを放ってやるとそれを察知したのか、
「く…くそ…」
と、こいつはすごすごと消しゴムを持った手を引っ込めた。って、弱!
それにしても、誰が『しんぶんし』よ!せめて『トマト』にしてよね!『しんぶんし』じゃまるっきり凹凸がないじゃない!私だってトマトくらいの大きさはあるんだから!
私は授業そっちのけで、ペタペタと自分の胸を確かめる。うん、やっぱりトマトくらいはある。
その様子を見ていた後ろの馬鹿が、ニヤリと笑い、少し身を乗り出し小声で、
「まない…」
最後の言葉を言い終わる前に、額にシャーペンの先を突き刺してやった。私の胸は台所用品じゃない!
「痛ってえ!何しやがる!」
後ろの馬鹿は勢いよく立ち上がり、私に向かって叫び、何事かとクラス中の視線がこちらに集まる。全く!どこまで迷惑をかけるのよ!まあいいか。これはこれで好都合だ。散々馬鹿にしてくれたお返しを今ここでしてやるわ。
私は慌てず、騒がず、そして何かに怯えるような素振りをし、静かに手をあげた。
「せ…先生…さっきから五十路君が、私に乱暴を振るおうとしているんです…」
俯きながら、声を震わせて教師に訴えると、睨むような視線が一斉に後ろの馬鹿に集まる。「こいつ!」と文句を言おうとしたらしいけど、その時にはもう奴の後ろに数学の女性教師が笑顔で立っていた。
「五十路?お前は一体何をしようとしていたんだ?」
教師は笑顔で問う。しかしその笑顔は見た者を凍りつかせてしまうほど怖い笑顔。私の知っている数学の先生そのままだった。怖いけどちょっと安心。
「いっ…いや…俺は何も…」
奴は嫌な汗をダラダラと流しながら、両手を振っている。私はそれを見て肩を震わせながら俯いていると、泣いていると誤解したのかクラス全員の睨みがより一層強くなった。私はただ笑いを堪えてただけなんだけど。
「五十路…お前とは一回きちんと話をしようと思っていたんだ」
先生は不気味な笑顔をつくり、馬鹿の襟首を掴むと廊下の方へと引きずっていく。皆の視線がそちらへ向いているのを確認し、私は引きずられていく間抜けなあいつに向かってべっ!と小さく舌を出した。すると何かわめいてたけど、まあどうでもいい。
廊下の方からあいつの叫び声が聞こえてきたが、クラスの誰も気にしない。
数分後、先生が戻ってきて、何事もなかったように授業は再開された。
ボロボロになった馬鹿を廊下に一人残して…
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魔法の世界に飛ばされた女子高生 美南那美が秘密を解き明かす。