No.841039

真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百六話

ムカミさん

第百六話の投稿です。


はてさて、鶸ちゃんはちゃんと任務をこなせるのでしょうか?

2016-04-06 02:04:18 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2650   閲覧ユーザー数:2159

 

成都の街へと至り、そこで一刀と別行動をすることとなった鶸は、まず真っ先に一刀からの任務その一、貧困区の捜索から手を付ける。

 

初日はあまり時間も無く、それ故に成果らしい成果は無かった。

 

その翌日、鶸は再び成都の街中をぐるっと回りながら、今度は各所の路地に注目して歩く。

 

些細な情報も見逃すまいとするその瞳は真剣そのものであった。

 

 

 

治安が安定していないところは言うに及ばす、見た目が煌びやかな街であっても、大通りを一本外れれば……というのは大陸ではざらなこと。

 

かつて月と詠が治めていた頃の洛陽ですら、その存在を完全には消しきれていなかった。

 

その消しきれていなかった存在が、結果的に一刀と月たちを結びつけることとなったのは何とも皮肉に満ちた話であったが。

 

兎にも角にも、貧困区というものはそうそう簡単には消し去ることは出来ないのだ。

 

どれだけ上手く政策を進めても、その街その街で根本となる問題を解決しないことには貧困区は小さくなりはしても決して消えることは無い。

 

ならば、鶸も簡単に見つけられるのではないか、と思うかも知れないが、事はそう簡単には運ばない。

 

貧困区は書いて時の如く見るからに見窄らしい者たちが住まう場所――と言うわけでは無いことが多い。

 

相対的に見て多少周囲より貧しい者が多いのは事実だが、それよりも問題であるのは治安の方である。

 

あまりにも酷い場合はそのままの賊が居付いていたり、そうでなくとも賊落ちの者が住んでいたりすることも間々ある。

 

それ故に普通の民はそこに近寄らず、為政者側も余程の理由が無い限りは介入したがることも無い。

 

そうなると必然、人の目は少なくなり、為政者への不満といった類のマイナス感情は抑制されることなく発されやすい。

 

マイナスの方向に偏っているとは言え、余計なフィルターを通さないそれは民目線から見た治世をよくよく掴むことが出来る。

 

故に一刀はそれを拾い集めることを目的として鶸に調査を頼んだのである。

 

 

 

さて、そんなわけで鶸が注目するは路地の奥に見える街並みの様子であった。

 

治安の悪さを示すような物或いは人。この成都にてこれらを見つけることが出来れば、その先に目指す場所はあると見て間違いない。

 

ところが、一本また一本と丁寧に観察しながら街を歩き続けてもそれらのような証拠となりそうな光景は見当たらない。

 

もしや、劉備の治世はかの区の根絶に成功したのか、と半ば信じ始めた頃には、もう成都の大通りの終点たる街の門が見えてきていた。

 

これは残念な結果しか報告出来ないかな、と諦めかけたその時、覗き込んだ路地の奥にチラと一つの人影が目に入る。

 

薄暗い上にほんのコンマ数秒しか見えなかったのだが、確かに鶸の目は粗末な武具を捉えた――――気がした。

 

これは確かめねば、と進行方向を直角に変更し、当の路地へと踏み入ろうとすると。

 

不意に対向の歩行者であった民の一人が声を掛けてきた。

 

「ちょっと、お嬢さん。あんた、服装からして旅の者かい?

 

 だったら悪いことは言わん。その奥へ向かうのは止めておきなさい。

 

 何もありゃあせん上に、荒くれどもがよくうろついておって危ないんじゃ」

 

「荒くれども、ですか?

 

 確かに私はこの街に本日着いたばかりですが、見たところ非常に治安は良さそうですが?」

 

鶸は何も知らない旅人を装って問いを返す。

 

するとその民は表情を若干曇らせて頷いた。

 

「ほんに嘆かわしいことだ。劉備様の治世で儂らはこんなにも楽になったというに、奴らは何が不満なんじゃろうなぁ。

 

 おっと、すまんすまん、爺のつまらん愚痴じゃ、忘れとくれ。

 

 ともかく、儂が言いたいのはその奥は危険ということじゃよ。

 

 折角劉備様の治める成都に来たんじゃ、もっと中心地の方に行ってみなされ」

 

「なるほど。すみません、ご忠告痛み入ります」

 

鶸は深々と頭を下げ礼を口にする。

 

その様子を見て民の方も鶸が理解してくれたと思ったのだろう、満足そうに答えてから去って行った。

 

鶸は念のためにその背中が小さくなるまで待ってから、内心で軽く彼に謝る。と同時に、大きな感謝も捧げていた。

 

(やはり、この奥が当たり……思わぬ形で裏付けが取れました。

 

 ここからはより一層慎重に行きましょう……)

 

ここで少し余談だが、鶸は西涼にいた頃は馬家の頭脳担当兼諌め役という立場から、蒲公英や蒼を叱る場面が多かった。

 

かと言って、蒲公英と仲が良くないのかと問われれば、全くそんなことは無い。

 

むしろ、姉――蒲公英にとっては従姉或いは姉貴分――たる翠への悪戯に付き合わされたり、同じような手口で自身が揶揄われたりと割と密な交流があった。

 

今まではそんな蒲公英の悪戯技術への飽くなき探求心には呆れ成分の方が多かったのだが、今は逆にそんな蒲公英との密な交流に多大な感謝の念を抱いていた。

 

具体的には、気配を抑えて潜むこと、そして障害物の死角に人の気配を探ること。

 

蒲公英と交流している内に自然とある程度身に付いてしまったこれらの技術が、今からの鶸にはとても重宝するものだったからである。

 

いつもは叱っておきながら都合が良くなれば感謝なんて、何とも調子の良いことだなぁ、などと内心で自らに苦笑しつつ、鶸は外套を頭から深く被り直して路地の奥へと踏み入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慎重に慎重を重ねて路地の奥へ奥へと足を進めていった鶸は、少しずつ周囲の家並の様相が変わってきたことにまず気付く。

 

荒れ果てた家が並ぶような、いかにも、というわけでは無いのだが、それでも良く見ずとも分かるくらいには表通りとは異なっていたのだ。

 

その周辺は見るからに家が古い、というよりも、修繕が雑、と言った方が正確か。

 

家並びも整っているとは言い難く、とにかく隙間に家を掘っ建てたような感が否めない。

 

道の方もお世辞にも綺麗とは言い難く、時には足を進めるのを躊躇してしまいそうな箇所すらある始末だった。

 

それでも我慢して進んでいた鶸は、幾つ目かの辻の先に人の気配を察知する。

 

そこからは更に歩速を緩め、一層気配を殺して様子を探らんとそろりそろりと辻ぎりぎりまで近寄って行った。

 

「――――――ったくよぉ。いい気なもんだぜ、劉備の奴ぁよぉ。

 

 いきなり表れて俺らの頭ぁぶっ殺しといて、俺らぁ路頭に迷わされてんだぜ?

 

 そんな俺らが逃げに逃げて、辿り着いたのが運悪くこの街で?そんで奴は言うに事欠いて街の皆で楽しく暮らしましょうだぁ?

 

 ざっけんじゃねぇよっ!」

 

「…………」

 

大当たり。内心でそう呟くと同時、自然と鶸は胸の前でぐっと拳を握っていた。

 

片方は沈黙しているものの、会話から察するに二人は賊の残党。

 

どこかこことは違う地で討伐された集団の残党が、どうやら成都に流れ着いたということらしい。

 

個人的には自業自得じゃないかと鶸は思うのだが、劉備の治世への不満であることには変わりない。

 

何かもっと有益な情報になることを喋りはしないか、と鶸は聞き耳を澄ます。

 

「大体、上の奴らはあんなこと言っていて、本当に下の方の奴らのことを見てんのかよ?

 

 現にこの辺りにゃあ、仕事無くしちまった奴らがたんまり――――って、お前、さっきからだんまり決め込んで、どうしたんだ?」

 

「…………すまん」

 

「は?何言ってんの、お前?」

 

(……?何やら様子がおかしいですね……)

 

感情の昂るままに愚痴を垂れ続けていた男が、ふと対面の男の様子が変であることに気付く。

 

対する答えはただ一言の謝罪。

 

その瞬間から二人の間には言い様の無い微妙な空気が流れ始める。

 

その空気に当てられたか、どちらも暫く言葉を発することは無かったのだが、謝罪を口にした男の方がグッと拳を握ると意を決したように口を開いた。

 

「すまん。だが、俺は決めた。

 

 俺は生きるために、劉備の軍の厄介になる」

 

「……は?……はぁぁぁっ!?

 

 ちょっ、おま……マジかよ!?あいつらは俺らをこんな目に合わした元凶なんだぜ?!」

 

「それは……そうだが。でも、元はと言えば俺らにもそうされる原因はあっただろ?

 

 なら、むしろ頭みたく殺されるんじゃなく、今生きてることが儲けものだと思う。

 

 元々俺は生きるためならなんでもやってやるってんであんなことしてたんだ。今更誰の下に付こうが大して思うところなんてねぇよ」

 

「…………けっ!そうかよ!

 

 だったらもう何も言わねえよ!さっさと俺の前から消えろ!」

 

「ああ、そうするよ。

 

 ……なあ。お前もいい加減、色々と考えた方がいいと――いや、すまん。余計な節介だったな。

 

 じゃあな。願わくば、またどこかで会えることを祈ってるよ」

 

「…………」

 

片方の男はその言葉を最後に立ち去って行った。

 

後に残った男はと言えば、何とも言い難い表情を浮かべている。

 

思わぬ場面に立ち会ってしまったものだが、これはこれで情報としては得られるものがあったはずだ。

 

細かい分析なんかは一刀、或いはその道に精通している桂花が行ってくれるだろう。

 

取り敢えずこの場ではこれ以上は情報は得られそうも無い、と鶸は踵を返そうとした、その時。

 

注意がお留守になっていた足下に放置された陶器に気付かず、鶸は盛大に足を引っかけて転んでしまった。

 

必然、大きな音を立てて陶器が割れる。

 

「だっ、誰だっ?!」

 

その音に敏感に反応したのは、辻の向こうすぐそこにいた男だった。

 

音を聞いた瞬間こそ慄いていたものの、いざ音源を目にしてみれば、そこには旅人風の女が一人。

 

その姿を見て脅威では無いと判断した途端、男は強気を取り戻していた。

 

「おいおい、あんた、立ち聞きたぁ行儀が悪いんじゃねぇのかい?

 

 だが、ま。こんなとこに入り込んじまって、そんで俺に見つかっちまったのが運の尽きだったなぁ。

 

 そんでも、最悪じゃあないぜ?俺はこんな上玉を殺しなんてしやしないからよ。へっへっへ」

 

下卑た笑みを顔面に貼り付けた男は、鶸に対して催した劣情を隠しもせずに口にする。

 

あまりにも小物臭いこの男の言動に鶸でさえこっそり溜め息を吐いてしまった。

 

いくら得物を携行していないと言えど、鶸がこの男程度に押さえ込まれるはずが無い。

 

賊とは言え仮にも暴力の世界に生きてきたにも拘らず、彼我の力量差を微塵も感じ取れていない様子に呆れ返ってしまったのであった。

 

ただ、外套越しに見えたその僅かな動きは男の脳内では怯えと捉えられたらしい。

 

一層いやらしさを増した口元を一度舌が往復し、遂に男が鶸に対して手を伸ばそうとする。

 

鶸はこれを引き付けて躱し、立ち上がりざまに鳩尾に拳を叩き込むビジョンを思い描き――しかしそれが実現することは無かった。

 

「おい、そこの男!それまでだ!

 

 その人にそれ以上危害を加えようってんなら、このあたしが直々に成敗してやるぜっ!」

 

突如響き渡った女性の声に、男の手が止まったからだ。

 

横から入った邪魔者に対して鬱陶しそうに視線を向けた男は、その瞬間に顔を青ざめさせた。

 

「ちっ、馬超かよ!ついてねぇっ!」

 

愚痴を垂れたと思うと脱兎の如く男は逃げ出す。

 

しかし、馬超がこれを追うことは無かった。代わりにポツリと独り言を漏らす。

 

「ほんと、雫の言う通りだなぁ。

 

 こりゃ、さっさと報告上げて朱里か雛里に頑張ってもらわないと駄目だな。っと」

 

思い出したように馬超は鶸の方へと振り向くと、手を差し伸べながら声を掛けてきた。

 

「あんた、大丈夫だったか?

 

 ここらはまだ成都の中でも危ないところになるから、これからは気を付け――って、鶸?!」

 

「あ、えっと……お、お久しぶりです、翠姉様」

 

やってしまった。先程までは何とも思っていなかった鶸も、さすがにこの状況になってしまうと二重の意味でそう思ってしまう。

 

元々は馬騰に言われて付いて行っただけにしても、馬超も今や立派に蜀の武将。

 

いくら姉とは言え、馬超に見つかってしまったのでは任務の遂行どころか鶸自身の自由、最悪命の危険すらあり得る。

 

その動揺を隠しきることが出来ず、鶸は若干返答に詰まってしまった。

 

よく見れば額には気温とは関係の無いじっとりとした汗も浮かんでいる。

 

この状況、どう動くべきか。鶸は可能な限り頭をフル回転させて切り抜ける術を探る。

 

ところが、続いて掛けられた馬超の言葉に、鶸は呆気に取られてしまった。

 

「ああ、久しぶりだな、鶸!というか鶸、お前今まで何してたんだよ?

 

 母さんは、鶸と蒲公英は自分たちの信じる道を進んだ、って言ってたからてっきり魏にでも行っちまったのかと思ってたよ。

 

 でもなぁ。母さんはそれ以上何も言わないし、朱里たちも鶸や蒲公英に関する情報は入って来てないって言うし。

 

 あ、朱里ってのはうちの軍師のことだぞ?これがまた凄い有能でさ。母さんも感心してたよ。

 

 そう言えば、蒲公英はどうしたんだ?一緒じゃないのか?」

 

鶸は馬超が何を言っているのか、瞬時には理解出来なかった。

 

が、数秒のラグを経て鶸の頭に情報が定着した瞬間、ピンチを脱したと思しき状況への安堵感と逆にチャンスを得たかも知れないという微かな興奮が湧き上がった。

 

「心配を掛けてしまってすいません、翠姉様。私も蒲公英も、一度大陸をこの目で見て回っておきたいと思ったもので。

 

 蒲公英は今別のところを見に行っているんです」

 

実の姉を欺くことに対する罪悪感には敢えて目を瞑る。

 

戦の場に卑怯という言葉は存在しない、使える手があるならそれを惜しむな、情報は武器だ。

 

一刀が鍛錬を受け持つ中で幾度となく口にしてきた言葉だ。

 

鶸もこれに納得し、受け入れている。故に、鶸は馬超を標的に己が任務を果たそうとした。

 

「ところで、翠姉様。蜀はどのような感じなのですか?

 

 ざっと見た限りでは民の皆さんも特に不自由なく過ごせているようですけど。

 

 翠姉様が感じたことを教えて頂けたら、と思ったのですが」

 

「へ?あたしの思ったこと?ん~、そう言われてもなぁ……

 

 桃香様――いや、劉備様は人を惹き付ける力があるなぁとか諸葛亮や龐統、徐庶は皆凄い軍師だなぁとか。

 

 そんなところじゃないか?」

 

「……凄く漠然とした……姉様らしいと言えばらしいですけど。

 

 具体的にはどうですか?それとも、やはり部外者には教えられないのでしょうか?」

 

「あ~、いや、そういうわけじゃないんだけどさ。

 

 ほら、私って前からこうだったじゃん?というか、鶸も言ってただろ?

 

 あたしは物事を深く考えてなさすぎだって。

 

 前は鶸がいたから、そういう頭使う役柄は全部任せっきりに出来たけどさ、それってここでも同じなんだよなぁ。

 

 まだあたしも短いからそこまで分かってるわけじゃないけど……

 

 例えば徐庶はこの辺りの治安の改善策を進めていて、一見何も起こって無さそうだけど、奥では絶えず色んな衝突が起きているはずだって。

 

 それであたしが見に来たわけだけど、範囲も確認すべきこともきっちり纏められていてさ。仕事の出来る奴ってああいうのを言うんだろうなぁ。

 

 仕事が出来るって言えば、龐統の方も――――って、随分と食いついてくるんだな、鶸。なんか珍しくないか?」

 

「へ?!そ、そうですか?いえ、普通だと思いますけど。

 

 えっと……そう!元々見分を広めるために各地を回り始めたんですから!」

 

順調に鶸の誘導に乗って来てくれていた馬超が、ここに来て疑問を覚えてしまったことに鶸は焦る。

 

どうにか当たり障りの無い理由を挙げて切り抜けんとし、それは成功したかに見えた。

 

「あ~、そう言えばさっきそんなこと言ってたな。

 

 だったらさ、鶸。もうここいらで――――」

 

「お姉ちゃ~ん、向こうの方は特に何も無かったよ~」

 

鶸の背中側から、新たな声が登場する。

 

馬超を姉と呼ぶその声の主を、当然ながら鶸はよく知っていた。

 

二人の妹であり馬騰の末娘でもある馬鉄である。

 

馬鉄の声が聞こえた瞬間、鶸は、しくじった、としか思えなかった。

 

馬超に対してチャンスだと思えたのは、彼女も言っていた通り、物事を深く考えることがあまり無いから。

 

ところが、馬鉄はそうでは無い。

 

彼女の普段を知る者にとっては意外かも知れないが、見かけに依らず切れ者なのである。

 

普段こそ、蒲公英と同じようにお茶らけた言動で妄想を垂れ流すような娘なのだが、その実肝心な場面では空気を読んで良い方向へとさりげなく導く言動を取ることが出来るのが、この馬鉄という少女。

 

空気を読めるとはつまりそれだけの観察眼を持ち、それを導けるとはつまり相応に機転を利かせられる知能を持つということ。

 

対して鶸は、今この瞬間こそ間諜の真似事などやっているが、彼女自身他人を欺く技術は高くなど無いと自覚していた。

 

「おお、ご苦労さん、蒼。

 

 あとはあいつの報告だけ待って、そんでから纏めて朱里に報告だな。

 

 っと、そうそう。ほら、蒼、見てみろよ。鶸がやっと来てくれたみたいだぞ」

 

「へっ?鶸ちゃん?

 

 あ~っ、ほんとだ~!鶸ちゃん、お久しぶり~」

 

「ひ、久しぶりね、蒼。元気だった?」

 

「うんうん、蒼は元気だったよ~」

 

再び鶸の首筋にじっとりと嫌な汗が滲む。

 

どうにか取り繕ってこの場を離れなければ。それが目下鶸の最優先目標へと瞬時に切り替わった。

 

「あれ?蒲公英様は?」

 

「ああ、なんか別のとこ見に行ってるみたいだぜ?」

 

蒲公英の話題を皮切りに馬超は先ほどの会話を掻い摘んで馬鉄に話す。

 

それを馬鉄は簡単な相槌を打って聞いていたのだが――――

 

どうにも鶸には嫌な予感しか浮かんで来ない。

 

いっそ、こっそりと消えてしまうべきかと考え始めた頃に丁度馬超の説明が終わり、同時に馬鉄が鶸に質問を投げ掛けてきた。

 

「ねえねえ、鶸ちゃん。

 

 大陸を見て回ろうと思ったのって、やっぱり”あの時”に北郷さん達に助けてもらったから、だよね?

 

 その時に何か教えてもらったりしたの?」

 

「え?えっと……ううん、特にこれと言っては、何も……」

 

「ふ~ん、そうなんだ~。

 

 だったら、鶸ちゃんも蒲公英様も、北郷さんや曹操さんの行動の方に何か思ったのかなぁ?」

 

「行動?えっと、どういうこと、蒼?」

 

馬鉄が何を言わんとしているのか、目的が見えて来ず、鶸は流れに沿うままに問いを返す。

 

馬鉄の方はと言うとニコニコと柔らかい笑みを浮かべたままで、一見すると姉妹の再開を喜んでいるだけで深いことは何も考えていないようにも見えた。

 

「ほら、鶸ちゃんと蒲公英様ってあの時窮地に陥ってたんでしょ?

 

 北郷さんも曹操さんも、特に見返りなんかを考えずに助けてくれたって話じゃない?

 

 やっぱりその行動って今の大陸には珍しいと蒼は思うんだよねぇ。

 

 ほら、桃香様にも似たようなことがあったじゃない?

 

 以前、袁紹さんに追われた時、魏の領地を抜けさせてもらったって話。

 

 あ、でもあれは結局有耶無耶な状態なだけなんだっけ?」

 

「あ~、あの話な~。

 

 確かに桃香様は曹操の奴に感謝はしてるって言ってたけど、同時にやっぱり相容れない相手だって言ってたな。

 

 それは北郷の奴にも言えることだ、って。

 

 ったく、曹操の奴、随分と鶸や蒲公英を無償で助けてくれたかと思えば、桃香様にはふざけたこと言いやがって」

 

「その二つは同列に語れるものじゃないと思うんだけど……

 

 でも、確かに北郷さんは色んなところで人助けをしてる印象があるかも。

 

 母様の病気を治した華佗さんも、結局のところは北郷さんからの情報で来たわけだし。

 

 それに利子付きで返してもらうっていうのも、きっと曹操さんは本気だと思うよ?

 

 触れ合った時間は短かったけど、曹操さんはそういう場で口にすることは実行に移す、そんな人だと思うから」

 

馬鉄の言葉に馬超が同意を示し、馬休もまた自身の考えを口にする。

 

以前のような、姉妹の間にあったやり取りそのもの。しかし、それが鶸に仕掛けられた馬鉄の罠となっていた。

 

鶸の受け答えを聞いた瞬間、馬鉄の瞳が一瞬光る。

 

「ねえねえ、鶸ちゃん」

 

先程と全く同じ呼びかけ。にも拘らず、どうしてか鶸の背筋に怖気が奔った。

 

変わらず浮かべている馬鉄の笑みの奥に、うすら寒いものを感じ取ってしまったのだ。

 

「今のお話に全く驚く様子は無かったよね?うぅん、それだけじゃ無くって、鶸ちゃん、知ってたよね、今の話、全部。

 

 どうして桃香様のそのお話、知ってたのかなぁ?

 

 やっぱり鶸ちゃ――――――ひゃぅっ!?」

 

「きゃっ!?」

 

馬鉄が鶸にゆっくりと詰め寄っていく。しかし、その距離が詰まり切る前に。

 

どこからか回転しながら飛んできた剣が、ガギンと盛大に音を立てて鶸と馬鉄の足下に突き刺さった。そして、その直後。

 

「ひいいぃぃぃっ!」

 

「あっ、ちくしょうっ!待ちやがれぇっ!!」

 

三度、今度は悲鳴と怒声が突如の割り込みを果たす。

 

そのすぐ後に三人の側を一人の男が悲鳴を上げ続けながら走り去っていった。

 

更にその直後、今度は怒声を伴ってまたも男が現れる。

 

「おらぁっ!待てや――あ、馬超将軍!馬鉄将軍!すいやせん、賊の残党っぽい奴見つけたんっすが、逃げられ――」

 

「あいつ、さっきの!やっぱり追っときゃよかったか!

 

 おい、行くぞ、蒼、周倉!」

 

現れた男――周倉の言葉を遮るように馬超が叫ぶと、二人に向かって宣言した後に逃げた男を追って颯爽と走り出してしまった。

 

これに対する両者の反応は正反対だった。

 

「へい!」

 

「へ?ちょ、ちょっと、お姉ちゃんっ?!」

 

周倉はすぐに馬超の後を追う。

 

対して馬鉄は姉を止めようとするも、時すでに遅し、馬超を止めることは叶わなかった。

 

はぁ、と大きく溜め息を一つ吐くと、馬鉄は改めて鶸と向かい合う。

 

「こうなっちゃったら蒼もお姉ちゃんを追うことにするよ。

 

 さすがにまだ蒼一人じゃ、鶸ちゃんに勝てるとは思ってないからね。

 

 …………蒼に見破られちゃうんじゃあ、ちょっと危ないと思うんだけどなぁ。

 

 おっとっと、ついつい独り言を。蒼って寂しい女の子だなぁ。グスン。

 

 って、そうだった。お姉ちゃんを追わなきゃ。

 

 それじゃ、またね、鶸ちゃん。今度会う時は敵同士なんだろうけど」

 

それだけ言うと馬鉄もまた走り去っていく。

 

結果的に一人残されることとなった鶸は、思わぬ展開に呆然としてしまった。

 

が、いつまでもそうしてなどいられないと、一度強く頭を振る。

 

馬鉄の残した不器用な忠告は、鶸も良く分かっていた。

 

「……確か、一つ前の邑でしたね」

 

鶸は潔く撤退することを即決した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶸がスラムの調査を行っている頃、一刀の姿は多くの民で賑わう大通りの一角にあった。

 

店が集まるこの一角には、自然と連れを待つ男性が集まるようになっている。

 

いつの時代も女性の買い物に付き合う男性は待ち時間を持て余すことが多いと言う事なのだろう。

 

疲れた様子を見せる者もいれば呆れ気味ながらも笑みを浮かべているような者もいる。

 

そのような者たちの中に自然と一刀は溶け込むようにして街路樹に背を預けていた。

 

「お久しぶりです、北郷様」

 

突然、小さな声が一刀の耳に届く。

 

一刀の正面には誰もおらず、更に言えば一刀を注視している者すら一人もいない。

 

が、これらは全て予定通りなのであった。

 

相手は丁度街路樹の反対側辺りに位置し、声だけで話しかけてきている。

 

木の葉を隠すなら森の中。その考えからこの密会は大勢の人と喧噪の中に隠して行われているのである。

 

「はは、まだ呼び方が堅いなぁ。ま、こっちにいると仕方ないか。

 

 確かに会うのは久しぶりだが、色々と話は聞いてるよ。元気そうで何よりだ」

 

「いえ。それも全て北郷様の策と教えのおかげで――」

 

「前も言ったが、俺はきっかけに過ぎない。全ては君の実力だ。

 

 っと。あまり無駄話が長いと危険ばかりが増えるな。

 

 率直に、情報だけ頼む」

 

堅さの消えない相手の受け答えに苦笑を漏らしかけた一刀だったが、長居はリスクが高まるのみと話題を捻じ曲げる。

 

相手も状況は理解しているので素直に一刀の要望に応えた。

 

「馬騰さんが加わってから、武官の実力向上は目を見張るものがあります。

 

 今後暫くは武に関する情報は許昌に届く頃には既に一歩遅れたものとなってしまうでしょう」

 

これは一刀の想定内の事だった。故に特に反応も示さず、無言で続きを促す。

 

相手も反応が無いことを気にした様子も無く続きを口にする。

 

「文官の方では特筆すべき飛躍はありませんが、件の三人の方が着実に蜀の下地を作り上げ続けています。

 

 こちらは随時の報告で特に問題は無いかと思われます」

 

これまた想定内であり、先ほど同様の反応。

 

が、続く情報には一刀も反応を示すこととなった。

 

「それから、こちらは未確定の情報なのですが、どうも馬騰さんが個人的に孫堅さんに連絡を取られたようでして。

 

 もしかすると、近く蜀と呉の間に何か大きな動きがあるかも知れません」

 

「馬騰が孫堅と……鶸や蒲公英から聞いた話から可能性はあるとは思っていたが……

 

 思っていたよりも随分と早いな……」

 

「どう致しましょう?探りを入れてもらいますか?」

 

一刀の反応から追加の情報が欲しいと見て、相手がそう提案する。

 

が、一刀はこれには否を示した。

 

「いや、それは止めておこう。あれに探りを入れるのは正直自殺行為だ。

 

 むしろ、折角蜀に張った根が全て引き抜かれかねない」

 

「分かりました。では消極的ですが待ちの方向で。また追加の情報が入りましたら報告いたします」

 

「ああ、それで頼む」

 

多くを言わずともベターな案をさっと決めてくれる。

 

そんな相手の対応に一刀は改めて感心するに至った。

 

「最後に昨日頂いた文にあった本日の件ですが、例の場所には馬超さんと、補助として周倉さんに向かってもらうよう仕向けることが出来ました」

 

「ほう。やっぱり馬超の方が与し易いという判断か。あれを実現させる辺り、さすがは――――」

 

「ですが、申し訳ありません、馬鉄さんの動向までは調整出来ませんでした。

 

 馬休さん次第ですが、あちらからの情報取得は五分五分、といったところかと」

 

「そうか。まあ仕方ない。可能性を産めただけで十分だよ」

 

どうやら鶸にはチャンスとピンチが同時に迫ることになりそうだ、と一刀は報告から思う。

 

頑張ってくれ、鶸、と一刀は内心でエールを送っておいた。

 

「以上となりますが、何か追加の指令等ございますでしょうか?」

 

「いや、特には無い。引き続き、頼む」

 

「はい」

 

「ただ、前にも言ったが、これだけはもう一度言っておく。

 

 もし正体が割れそうになったら、許昌に来い。その時は俺が何とかしてやるから」

 

「はい。ありがとうございます。

 

 微力ですが、今後も北郷様の助力となれますよう頑張ります。では、またいつか……」

 

「ああ」

 

最後まで互いに相手には目を向けず、密会は終わりを迎えた。

 

元より蜀からの情報は多かった分、この密会で得たものはそこまで大きなものでは無い。

 

しかし、蜀内部に張った根が上手く機能していることの確認には十分であった。

 

今後どうなるかは不透明な部分が多いが、出来れば”あの戦”までは持ってほしい。

 

怪しまれない程度の速度でその場を離れながら、一刀はそんなことを思案しているのであった。

 

 

 

 

 

その夜。

 

成都に取った宿場に、鶸が帰って来ることは無かった。

 

念のため、厩舎まで足を運んでみれば、そこにいるべきアルの姿は無い。

 

(残念だが、失敗してしまったみたいだな。ともあれ、鶸が無事ならばそれでいい)

 

最悪の事態にだけは陥らなかったことに、一刀は安堵の息を漏らした。

 

 

 

翌朝、真っ赤な体躯の馬に跨った旅人が、ひっそりと成都の街から発って行った。

 


 
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