~真・恋姫✝無双 孫呉伝~ 第三章第五幕
――北郷流六の太刀“音断”
読んで字の如く、音を断ち切る奥義。
わずか一瞬ではあるが、周囲の音を沈めてしまう。烈火の如く迸る氣を一閃のもとにとk放ち、空間を鎮める。
音とは空気の振動。その振動が鎮められればどうなるか。
――言うまもなく音が途絶えるのだ。
この奥義、もし至近距離で放ったなら、如何な防御でも切り捨てたことだろう。
遠距離でやったところで、殺傷力はない。故にこの行為は無駄と思われるかもしれない。
だが、日常では、否、戦場で音が消えることなど、基本的にあり得はしない。
だからこそ、この奥義は至近距離で使わずとも意味を持つ。
自信を包む状況で、起こりえないことが起きてしまったなら、僅かな虚が生まれる。
――それこそが、俺が掴み取れる最大にして最後の好機。
そして、その好機が現実のものとなった。
――ここだ。
――瞬刃で間合いを詰めて――。
「!」
目に映ったのは天幕の天井だった。
辺りが暗い。どうやら夜になっているらしい。
「?」
何故、自分はここにいるのだろうか。確か、張遼と戦っていて。このままでは勝てないことを悟って、最後の賭けに出て、その賭けが成功して。
――それから?
何度思い出そうとしても思い出せない。忘れているという感じではなく、全く覚えがないのだ。
誰かに話を聞こうと立ち上がろうとして力が入らないことに気が付いた。
そして、それ自体が自分の身に起きたことへの疑問に対する最大の回答だった。
「――」
言葉なく、強く唇を噛んだ。
力が入りすぎたのか、血の味が舌の上に広がったが、気にもならなかった。
――負けた。
その事実だけが頭の中を支配していた。
アレだけ偉そうに啖呵を切って、自分は何一つとして成し遂げてない。それどころか戦場に出る度に俺は。
「足手まといになっている――等と馬鹿なことは考えてくれるなよ」
傍らから聞こえた声には、僅かに怒気が含まれていた。
声の主が誰かなんて考えるまでもない。聞いた瞬間に分かった。
「ただいま。香蓮さん・・・そんでごめん。負けた」
「大まかな事情は燕から聞いた。あの張遼相手に生きて帰ってきたんだ。負けを責める気は毛頭ない」
そうはいってもやはり悔しい。
勝ちたかった。
「ふむ。身内に敗北する以上に、生きて帰ることが出来た敵との戦いに敗北は、学べることが多い。それが生かされたものであっても・・・だ。だから、反省は構わんが。後悔だけはしてくれるな。いいか?反省は、過去と今の自分を次へと活かす行為だが、悔い・・・後悔は、過去の己の全てを否定する行為だと、あたしは考えている」
「・・・」
「生きている者がすべきことは、今を次に繋げることだ・・・とりわけお前が今すべきことは華雄の説得だ」
軽い衝撃が脳裏に走った。
「ククッ、良い顔だ。だがまぁ、今は体が動くまい。少々休んでいろ・・・と言いたいところだが・・・聞きたいことがある。先の戦闘でのアレは、お前の仕業だろう?何をやった?」
「何って言っても・・・“音”を“断った”としか言えないんだけど」
細かく話してもはたして伝わるかどうかの保証がないし、正直な話。
「成功したことに未だに驚いてるからなぁ・・・」
と、香蓮さんを見ているとキョトンとしていた。
信じられないことを聞いた、という感じの表情である。
「あれ程のことを土壇場の賭けでやってのけたのか?」
「気力体力ともに限界だったから・・・それに・・・勝ちたかった。香蓮さんたちと戦ったときにも思っていたことだけど、その時以上に、あの人に、張遼さんに・・・何が何でも勝ちをつかみ取りたかった・・・で」
そこまで聞いて、合点がいったらしく、一度頷いて香蓮さんは口を開いた。
「一か八かの大博打を打ったというわけか・・・やったことには呆れるが、それを成したことにはもっと呆れる。が、あたしがお前にすべきことは、まぁ一つだな」
拳にはぁと息をそっと吐く。
その瞬間、一刀は全身の血の気が、一気に失せたのがハッキリと自覚できた。頭の中で、警鐘がガンガンと鳴っていて、体は本能的に逃げることを望んでいるにも拘らず、限界を迎えている体は、鈍痛をもたらし、動きは非常に鈍い。
「諦めるんだな・・・この・・・大馬鹿者ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
次の瞬間、鈍い打撃音が、尋常ならざる音量で辺りに響くのだった。
頭にデカいコブを作り、煙を出している一刀に、仁王立ちしている香蓮は凄まじい剣幕で一刀を見下ろしている。
「此度の戦場、確かに勝利を求めた。だが、それ以上に帰還することを望んだはずだ。お前が望みを叶えたいのは百も承知している・・・。失態の恥など取り返す機会は、この先に幾らでもある。
・・・だがな、死んでしまえば、それまで。
未熟な青二才なら、生き残ることを何よりも優先して望まんか!!!!」
二度目の拳骨、一撃目と全く同じ位置に打撃を貰う。
頭の芯から全身に響く衝撃に、悶絶したくて堪らなかった。
「お前、間違いなくその時、強迫観念で動いていたな?・・・一刀、お前その時、燕たちのこと・・・頭の中から消えていただろう・・・」
「!」
完全に図星だった。
あの時の自分にあったのは、敗北して、万が一生きて帰れたとしても、口だけだと笑われる事への恐れと、せっかく築きあげた自分の価値が、なくなってしまい、居場所を無くしてしまうことへの恐ればかりだった。
己のことを信じてくれている人たちの事など微塵を考えていなかった。
「それも含め、いい経験になったな、孺子。この場合は餓鬼と呼ぶべきか」
返す言葉もない。
否、そもそも返す資格さえ自分にはない。
「しかし、一滴の涙はおろか、のたうちまわりもしないとは・・・雪蓮が全霊をかけて逃げようとする代物なんだが・・・」
いえ、のたうちまわる力も、泣くだけの気力も無いだけで、恐ろしく痛いです。痛さの度合いが尋常じゃないから声も出やしない。
だから、「鍛え直すか?」なんて自問しないでください。
「まぁいい。これを最後に今回は許してやる。いいか、その阿呆な頭に叩き込んどけ」
香蓮の提言に、一刀はただ黙って肯く。
「先ほど言ったことだ・・・“反省”は大いに結構。“後悔”は厳禁。“今”と“過去”を次に活かせ・・・否定するな、肯定しろ」
重く、だが確かに、一刀の胸に、心に、彼女の言葉は響いた。
――目が、覚めた。
見覚えのない場所。
一体我が身に何が起きたというのか、まるで頭の理解が追い付かない。だが、身動きが取れないのは、拘束されているからだと、すぐに気付いた
私は太史慈と刃を交えていたはずだ。が、中で記憶が途切れている。
「お?ようやく目が覚めたんさ」
聞き覚えのある声が耳に届いた。
そちらに動かせる首を動かしてみれば、その当人が荷の上に腰を下ろしてこちらを見ていた。
「もう夜中さね。可愛い寝顔だったよ」
「何が目的だ」
「やれやれ、直球さ。殺気のオマケつきとは気が利いてるねぇ」
悠里は頭を振りながら、この状況にあってなお戦意を失わない華雄を呆れ交じりに嘆息しつつも、内心で称賛した。
自害をしないのは、誇りがそれを許さないからだろうということが、同じ武人であるからこそ、悠里には理解できていた。
「ま、夜明けまで待ってりゃわかるって。その頃には、あの馬鹿も目が覚めているだろうからね」
「?」
華雄が首を傾げるが、悠里は答えない。ただ、「ま、早まるだろうけどなぁ」とこぼすだけ。
そうして、一度、自身を納得させるように頷き。
「ちょっとそいつと話をしてもらいたくてね。きっと耳を疑うよ。あの馬鹿の話はね・・・なぁ、華雄・・・一つだけ、教えといてやるさね」
天幕を出る前に、一度立ち止まり、華雄へと顔を向ける。
「あの馬鹿が話すことは、きっとアンタにとっても悪い話じゃないからさ。話を聞いて、それでも納得できなかったら、掛け値なしにケリをつけてやるよ。だから、さ・・・そいつと話が済むまで大人しくしておいてくれないかい」
「・・・・・・どの道、敗残の将だ。自害などという無様を晒す気はない。孫堅がいるところでなら、尚の事だ」
――恋さん、霞さん、華雄さん、死なないでください。
主君が常に願い続けた、ただ一つの事。出陣前にも言われたことだ。
――華雄、もし生き残れる機会を得たなら生き残って。恋、霞、アンタもよ、いい?
これだけ念を押されれば、早々に死を望むわけにはいかない。少なくとも、自害などという真似で、主君らの願いを踏みにじる事だけはできないのだ。
死ぬならば、戦いの中で――。
――そう思考した、彼女は、その数時間後
彼女たちに於いては、“天の御使い”という呼び名しか知らぬ一人の青年と運命の出会いを果たすこととなる。
そのことを、今の彼女が知る由はなかった。
意識を取り戻してからほどなくして、ふらつきながらも、立てる程度には回復した一刀は、思春に肩を借りつつ、とある天幕へと足を向けていた。
一刀からすれば、微妙に気まずいものだが、当の思春の表情に、際立った変化はみられず、ただ淡々と仕事をこなしていると言った、“いつも通り”の凛とした表情だ。
「ろくに体も癒えてはいないだろう。馬鹿か貴様は」
「・・・面倒掛けてごめんね?」
「ふん。貴様の無茶など今更だ。貴様は、貴様の成すべきことに集中していればいい。謝罪など、余計なことを考える暇があったら、貴様自身の仕事に意識を集中していろ」
確かにそうだ。謝るにしても、やるべきことをきっちり果たしてからの方がいい。
思春の意見に納得した一刀は、ありがとう。と、礼を言って顔を正面に向けた。
礼を言われた思春は、何も言葉を返すことはなかった。ただ、一刀は前を見ていたから気付かなかったことだが、礼を言われた彼女の頬は、ほんの少しだけ、朱色を帯びていた。
孫呉の陣営の外れの天幕には、悠里が立っていた。天幕で姿は見えないのだが、彼女の断つ反対側には、明命も控えていた。
「――お?来たさね。明命、周囲に間者は?」
「気配、在りません。引き続き警戒を続けます」
結構。とだけ悠里は返した。
一応、自分自身でも気配を探ってはみたが、明命の言う通り、特に間者の気配を感じることはない。
尤も、自分以上にそういった技術に長けた明命が言うのだから、わざわざ疑う必要はないのだが。
と、そこで、近づいてくる二つの気配に気づいた。
一刀と思春である。
「意識が戻ったばかりだろうに・・・まったく、ここは呆れるべきかねぇ」
どう思う?と暗に明命に向けて沈黙を作ってみたが、明命が答えを返しては来なかった。
特に声に出したわけでもなかったので、悠里も悠里で、気にはしなかった。
「さぁ、お前の出番さ。見せやるといい・・・華雄に、彼女にとっても幸いへと至れる可能性ってやつをさ」
言って、微笑む。悠里の言葉に、思うことがあったのか、明命が小さな声で。
「きっと大丈夫です」
そんな囁きが聞こえた。
天幕まで辿り着くと、その入り口に立っていた悠里がそっと道を開けた。
歩くことも儘ならない一刀は、思春の肩を借りたまま、天幕の中へと歩を進める。
「頑張んな」
そんな悠里の声と、彼女の手が、軽く肩を打った。
「貴女が、華雄さん?」
「何者だ」
「北郷一刀って言うんだ。“天の御使い”なんて呼ばれてる」
「貴様が?」
顔を合わせた時から厳し表情をしていた華雄の表情は、厳しさを緩める気配はなかった。
「胡散臭いのは百も承知。ただ・・・話を聴いて欲しいんだ」
そう言って一刀は、思春の手を借りて華雄と向き合う形で腰を下ろした。
思春が天幕を出た後、一刀は振り向き、外にいる三人に尋ねる。
「今から、華雄さんと話をするけど・・・ええと、いいかな」
一刀の心配に対して、三人はそれぞれの答えを返した。
「無問題、初めて構わんさ」
「大丈夫です」
「構わん」
三人の返事に、ありがとうと返すと、改めて一刀は、華雄と向き合った。
「華雄さん・・・これからいくつか質問するんで、出来るだけ答えてほしい。どうしても嫌だったら、沈黙してくれていいから」
そうして、一刀と華雄の“対話”が始まった。
この戦が始まる前の、董卓が治める前の洛陽の様子。董卓が治めるようになってからの洛陽の様子などだ。
この二つに関しては、色々と話してくれたので、一刀が独自に入手していた情報と比較することが出来たのだが、政治に関しては、武人として己や兵を鍛えることにしか興味がなかったため、詳しくは知らないと返された。
それから、華雄自身の事、仲間である他の武将たちの事も含めて、色々な質問をして、そして最後に一刀は、真剣な面持ちで、こう尋ねる。
――「華雄さん・・・貴女は、董卓を救いたいですか?」
ハッキリ言ってしまえば、言葉の意味が、全く理解できなかったと言っていい。
確かに自分は、学と呼べるようなものは、無いに等しく、武を取られたなら、何も残らないだろうと胸を張って言える。
だが、馬鹿ではないつもりだ。
――主君を、董卓様を・・・救いたいか、だと。
何を言っているのだ。
だが、聞き間違いでないことは、目の前の男の、眼を見れば、疑う余地など皆無。
間抜けなことだが、私は、心中に浮かんだ疑問、即ち、男の言葉を、そのまま相手に聞き返していた。
「董卓様を・・・救いたいか、だと?」
「はい。この質問はどうか沈黙しないで、答えてほしい」
即答は、出来なかった。
これが、主君である董卓を討つための、計略である可能性を頭が導き出したからだ。
だが、無理もないだろう。最早、董卓という名は“悪名”として広く知れ渡っている。それは、それまで治めていた、洛陽の町などの部分的な好評化など、なんの効果もないほどだ。
――董卓は、討つべき悪であるという認識だけが周囲にはあり、それ故にこの戦が起きたのだから。
そこに何かの謀略があって、主君は貶められたのだとしても、どうにもしようがない。
自分たち以外の味方などない、このままいけば、死ぬ以外の未来が残されていないあの小さな主君を、目の前にいるこの男は、救いたいと、そう言った。
「馬鹿な、貴様一個人が救いたいと言ってどうにかなるような話ではあるまい!!」
そう、国は個人の意思で動きはしない。
「申し訳ないけど、今、俺が聞きたいのは、そういう言葉じゃないんだ。・・・貴女自身はどうしたいって聞いてるんだ。だから、もう一度聞くよ」
一度目を閉じ、深く息を吸って目をあけたこの、北郷という男は、先と同じ言葉を私に向けてはなった。
――「華雄さん・・・貴女は、董卓を救いたいですか?」
二度目の問い、何の冗談でもなく、そこにはただ、真剣な眼差しで、私の答えを待つ一人の男の姿があった。
「あの方は・・・董卓様は・・・あの小さな肩に、国を背負っておられた」
言葉が、勝手に出てきた。
「懸命に頑張っておられた。自分に足りない部分は、賈駆や、我らを頼り・・・民を導いておられたのだ。腐敗が跋扈していた都が息づき、あの方の治政も、ようやく実りだした・・・だというのに、突然だ・・・我々は、何もできなかった・・・。私は、武人にあるまじき、無様を晒す」
両の手は腰のところで縛られている。だから、手は使えない。
華雄は、膝立ちの状態で、そのまま地面に額を擦りつけて、彼女自身の願いを声にした。
それは、叫びではなく、震えた、小さな声だった。
――「我が主君を・・・董卓様を・・・救ってほしい。あの方は死ぬにはまだ早すぎるのだ。この願いを果たしてくれると言うなら、この首・・・喜んで差し出す。我が身一つで済むのなら、この身、如何様にもしてくれて構わない。だから・・・頼む」
華雄という女性は、武将として誇り高く、敵の前では如何な時でも勇ましくあると、双香蓮に聞いていた一刀は、土下座をしてまで、主君の未来を望む姿に、少し驚いて、だけど、そう言ってくれたことが嬉しくて、反射的に微笑んでしまった。
「華雄さん、顔を上げてください。貴女が、どれだけ董卓のことを思っているかは、よく分かりました。だから、その顔を上げてください」
土下座をする彼女の肩にそっと手を置く、たったそれだけの動作だったが、ダメージの抜けきっていない体では、かなり堪える。手の震えを彼女も感じたらしく、ばっと勢いよく顔を上げてきた。
怪訝そうにする彼女に向かって、今の自分に出来る精一杯の力を、眼差しと声に宿して、一刀は華雄に、確かにこう告げた。
――「救って見せます。貴女の主君を・・・どんな手段を使っても」
天幕の外でそれを聞いていた三人、その一人である悠里は、ククッと声を殺して笑った。
「言ってて思っただろうさね。なんで自分はこんな事を喋ってるんだって・・・ね。まぁいいさ。思春、我等の王に報告よろしく」
「御意」
思春の気配が、この場から消えて、悠里が呟いた
「さて、この戦、ウチ等にとってこっからが本番さね。次の虎牢関・・・どうするかねぇ。ぶっちゃけ、どうしようもない気がするねえ。張遼だけなら何とかなるだろうけど、“アノ”呂布もいるわけだし。下手しなくても死人が出るよ?」
「呉からは、どなたを出されるのでしょうか?」
「伯符以外の誰か」
悠里の意見があまりにも至極真っ当だったので明命も、思わず沈黙していた。
「出たがるだろうけどね。流石に相手が相手さ・・・」
すると、知った気配が近づいてくるのがわかった。
呉が誇る軍師、冥琳だ。
まぁ、無理もないか、まだまだ夜は深いのに、全員を動かしたのでは、流石に怪しまれる。やること自体は、すでに呉では了承済みだ。あとは手はずを整えるだけなのだから、冥琳一人いれば事足りる。
とはいえ、来るのが早すぎやしないだろうか。
(・・・うまくいくのを見越していたかね?)
「・・・呉の筆頭軍師様は、何を考えておられるのやら」
苦笑する悠里に気が付いた冥琳は、それに応えるように、にやりと笑う。
そのまま呉の筆頭軍師は、悠里を横切り天幕の中へと姿を消す。
――「話はついたか?」
呉が誇る軍師様の声に一刀は振り返ると、事の顛末をすでに知っているであろう彼女が、笑顔でそんなことを聞いてきた。
「うん」
「・・・」
一刀の柔らかな表情に対し、華雄は厳しい表情をしていた。
まぁ、無理もないか。実際問題として彼女は、主君である董卓が助かるまで、事を楽観的に見ることなんてできないのだから。
「華雄、話の流れは把握している。が、貴殿には一連の流れが決着を見るまで、現状のまま拘束させてもらうが、よろしいか?」
「もとより自由を得られるなど微塵も思ってはいない。そして、貴様と問答を交わすつもりもない。何せ私は武だけを追い続けた身、学の程度などたかが知れている。その私が、軍師との問答で勝ち目など皆無と言っていいだろう。私が語るべきことは、すでに北郷に話した。あとの事は、この男に聞け。まぁ、私が話せる内容などたかが知れているがな」
鼻で笑い、華雄は再び表情を引き締めた。
これ以上の会話はない、冥琳は一刀に肩を貸し、天幕を出る。
悠里に引き続き、監視と見張りを任せると一刀のペースに合わせて、ゆっくりと天幕から去って行く。
その後ろ姿を見ながら悠里は声を殺して笑い、
――「羨ましいねぇ」
一言、呟いた。
「北郷、随分と無理をしているようだな」
「あはは・・・まぁ、今が無茶のし時だろうからね・・・正直な話、虎牢関から洛陽まで、もうみんなに丸投げしかできないんだよ」
肩を貸す冥琳は優しく笑う。
「任されよう。夜が明けてからは、我々が本腰を入れて働く番だ。
お前は、我々を信じて待っていればいいさ」
ああそれと、と言葉を繋ぎ。
「蓮華様が随分と心配されていたぞ。日が昇ってからでも構わんから、顔を見せてやるのだな」
「・・・うん」
返事に力がなかったのが気になった。よくよく考えてみたら、今この男は、一人で歩くのも儘ならない状態だ。
現状でも、無理をしたツケを払わされているのだから、たかだか数刻開けた程度で癒えるものでもないだろう。
「北郷、どう予測する?」
「考えたくない」
答えをそのまま表しているような、げんなりとした台詞と表情だった。
「文台様の言ではないが、自業自得だ。
ふふっ・・・良い勉強になったではないか」
「蓮華が真っ赤になってお説教してくる未来しか浮かばないよ・・・」
妥当な線だと冥琳は思った。
しかし、と冥琳は改めて思う。
この男が来るまでの呉という国はどうにも空気が淀んでいるように感じられたものなのだが、今はそれを全く感じることがない。
むしろ、風が巡って清々しささえ感じているぐらいだった。
王、将、兵、民――そのすべてが、何かしら変わったと思うのだ。それが、“何”かと問われると、残念ながら答えが出てこない。
いつか、その答えを見つけたいものだとも思う。
(尤も・・・私の身体が、それまで大事なければいいのだが)
そう考えて、頭を振った。
(否――抗ってみせよう。・・・・私も変わったものだ。北郷ともっと時を過ごしたと思うようになるとはな)
自身が肩を貸している男に愛おしさを感じてならない。
願わくばもう少しばかりでいいから、この時が続いて欲しいと願うばかりだが、生憎と現実はそんなに甘くはないわけで。
一刀が使用している天幕に辿り着いてしまう。
天幕の入り口には彼の副官を務める燕がじっと立っていた。
「後は頼むぞ、燕」
「ん」
「ごめんね、だけど助かるよ。燕」
自分より小柄な彼女に肩を借りねばならないことを少しばかり恥ずかしいなと思う。
「いい・・・・恥ずか・・・しいって・・・思わなく・・て・・・いい、よ」
「だね」
強がったところでどうにもならないのだから、素直に好意に甘えるとしよう。
「ご苦労だったな北郷。あとは我々に任せ、お前はしっかりと体を休めておけ。
お前の仕事はこの戦が終わった後こそが本番なのだからな」
「了解。おやすみ・・・冥琳」
「ああ、ゆっくりと休め」
そう言い終えると冥琳は背を向け去っていき、一刀は燕としばらく見送り、天幕に戻るのだった。
そうして、睡眠をとり、夜明けを待つ――筈だったのだが、どういうわけか一刀と燕が互いに向き合う形で腰を下ろしていた。
話がある――と彼女が言ったのが事の始まりなのだが、もう五分くらい沈黙が続いている。
沈黙が非常に痛いが、燕は一切口を開かない。ただただ沈黙していた。
自分に向けられた真っ直ぐな瞳が静かに言葉を伝えている
――何か言う事は?
ここは謝るべきだろうかとも、正直思った。ただ、そう思った瞬間先刻の香蓮さんとのやり取りを思い出した。
「ただいま、燕」
「・・・・・・・・・ん」
それでようやく納得できたのか、軽く嘆息して小さく笑う。
「お説教ナシ・・・今日・・は、休ん・・・で」
そのまま天幕を去る燕。
いろいろ考えることがある。だけど、今日はもう休もう。忙しいこれからの為に、少しでも回復しないと――。
その日は驚くほど速く眠りに落ちる一刀だった。
余談ではあるが、この時の一刀には、彼を心配して眠れずにいる蓮華の事が頭から抜け落ちていた。
強引な形ではあったが、母親の力技によってその日の眠りについた蓮華は翌日、状況を無視して一刀に説教という名の八つ当たりをするのだったが、それは別の話である。
夜明け――物語は次の舞台へと移る。
――虎牢関
天下無双の二つを持つ最強の“武”が待つ、今回の一件における最難関の関所が連合軍の前に立ちはだかる。
――「敵は・・・倒す」
赤毛の少女は、誰に聞こえることのない声を溢す。
その瞳には大切な家族を脅かす存在へ対しての殺気と闘気で溢れていた。
~あとがき~
どうも、数年ぶりの投稿となりました。
Kanadeでございます。
実を言うとある程度は書けてました。ただ、終りの方がまとまらず、だらだらと伸ばした結果が今です。ぶっちゃけ次回投稿がいつになるか、見当つきません。
今日までに英雄譚が販売され、この作品のキャラの内2名(1人は名前のみ)が公式に登場してしまっていますが、変更なしで行きます。
孫呉伝の次回予告としては、虎牢関にて呂布線の予定です。(現在、真っ白です)
同時進行している魏afterの書き賭けを投稿すると思いますが、上記のとおりいつ投稿するかは確約できません。駄目作者でほんとごめんなさい。
そんな私ですが、今も読んでくださっている皆様には惜しみない感謝を。
それでは次回作でまた――。
Kanadeでした。
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年単位で間が空いた続きです。
はい、では作品をどうぞ