あれから幾ばくかの日数が経った。
あの事件以来、一刀と月たちの絆はよりいっそう深まり、より親密になっていった。
月と談笑をしたり。
詠と政策について意見を交わしたり。
恋と一緒に食事をしたり。
霞と酒を酌み交わしたり。
ねねをいじってみたり。
華雄と仕合をしたりした。(そのたびに華雄は負けたが)
ちなみに一刀の家臣になった雫は、ほとんど常に一刀の後に付いて来ていた。気分はすでに、カルガモのお母さんな感じだ。
この日、一刀は鍛錬をしようと思い、中庭に向かって歩いていた。
その後ろを歩いているのは、言わずもがな、雫だ。
スタスタスタスタ
「・・・・・・・・・・・・」
すたすたすたすた
「・・・・・・・・・・・・」
ピタリ
「・・・・・・なぁ、雫・・・」
ちらりと、後ろを振り向きながら声をかける。
「なんでしょうか、一刀様?」
「いい加減、後ろを歩くのはやめてくれないか?」
「なぜですか?」
雫は心の底から、不思議そうに聞いてくる。
「なぜって・・・・・・話しかけづらいじゃないか」
「こっちを見なくても構いませんよ?」
その言葉に思わず頭を抱えそうになった。
「・・・そんな偉そうな真似、出来るわけないだろ・・・・・・」
どこの王侯貴族だ、そりゃ?
「お気になさらずにいいんです。私はあなたの臣下なのですから。」
「気にするに決まってるだろ。・・・確かに俺は君の主だが、君とは対等に接したいと思ってる。だから、隣を歩いてくれないか?俺は雫の顔を見ながら話がしたい」
もし、この場に詠がいたなら、『さすが、天然の女ったらしね』と言ったかもしれない。
「・・・・・・分かりました、一刀様がそう言うのなら・・・」
雫はそう言うと、一刀の隣を歩き始めた。
(むぅ・・・いい子だな)
改めて一刀は思う。この雫という子、基本的に感情が表に出ずに何を考えいるか分からないように見えるが、本当は素直な良い子なのだ。
表情が読めないという点では恋と似ているのかもしれないが、恋は大体の雰囲気で喜んでいるのか、悲しんでいるのかが分かる。しかし、雫はそれすらも読み取ることが難しい。
言い方が悪くなるかもしれないが、人形みたいな子なのだ。彼女の整った顔立ちが余計にそれを助長させる。もし、彼女とポーカーをやったら彼女の圧勝になりそうな感じだ。
だけど、近くで接してみて、そして、会話を交えてみると、彼女の言葉の端々から人を気遣うような思いがにじみ出ていているのがよく分かる。
実際、よく尽くしてくれるのだ。現にその手には竹で作った水筒と手ぬぐいがある。きっと、俺が鍛錬をした後のために用意してくれたのだろう。
(くぅ・・・なんて素晴らしい娘なんだ・・・。彼女をお嫁にもらう人はきっと幸せになるに違いない・・・)
そんな益体もないことを考えているといつの間にか中庭に着いた。
「それじゃ、俺は鍛錬をしているから、雫はあそこの長いすに座っているといいよ」
一刀がそう言うと、雫は頷いて長いす(ベンチのような物)に向かっていった。
雫が長いすに座ったのを確かめてから一刀は己の武器、『聖天』を取り出す。
手に持った聖天を目の前に掲げるように持ち、氣をこめる。
すると、聖天が白銀色に輝きだした。
それを手に、一刀は鍛錬を開始した。
私が長いすに座ったのを見て、一刀様は鍛錬を始めた。
いつ見ても不思議に思う。彼の武器は何の変哲もない木の棒なのに、彼が持つと綺麗な白銀色に輝きだす。
以前、霞さんに聞いたが、あれは一刀様の氣なのだそうだ。
一刀様はその白銀――確か、聖天・・・を手に持ち素振りを始めた。
最初は打ち下ろし、次に右に振る。ただ、それだけを延々と繰り返した。
彼が聖天を振ると、聖天からこぼれ落ちた白銀色の粒がその軌跡をたどるように輝いては消える。
素直に綺麗だと、そう思ってしまう。それは、武器そのものだけでなく、彼の動きもだ
私は武術のことは良く知らないけど、彼ほど綺麗な素振りをする人はこの大陸にはいないのでは、と思う。
北郷一刀。私の主で私を導く者。皆さんの話では、どうやら彼が噂の『天の御遣い』であるらしい。
一刀様自身はそう呼ばれることを、あまり良く思ってないみたいだけど・・・私はその通りの方だと思う。
だって、一刀様は救ってくれた。愚かで罪深いこの私を。
あの時の私は目指した理想から大きく外れて絶望の底だった。だから、死んで償うことで終わりにしたかった。
だけど、あの人はそれを許さなかった。彼は私に『逃げるな』と言ったのだ。
その言葉に思わず胸を打たれた。確かに私は犯した罪の大きさのあまりに楽になりたかったのだ。
それでも、私はどうすればいいのか分からなかった。そんな彼は、私と一緒に贖罪の道を歩んでくれると言ったのだ。
あの時の私には、それがどれだけ嬉しかったことだろう。
この人になら、私の知識と知恵を預けても良いと、そう思った。
彼についていけば、より多くの人を救うことが出来ると、そう確信したのだ。
そんなことを考えていたら、一刀様は素振りを止め、聖天を片手に下げながら立っていた。
おもむろに、一刀様が動くと同時に聖天が空を切った。
打ち下ろし、切り上げ、袈裟切り、払い、突き・・・・・・私が見えたのはここまでだった。
ものすごい速さで次々と放たれる斬撃。しかも、それを縦横無尽に動きながらやっているのだ。
それが延々と続いていくのを見ていると、『彼一人で万の大軍を相手に出来るのではないか?』という、ありえないことすら考えてしまう。
「いや~、相変わらずスゴイな~」
そんな光景に見入っていると、いきなり背後から声をかけられた。
私は内心驚いたが、それを表には出さずに振り向いた。
「よぉ、雫。元気にしとったか?」
「霞さん・・・それに、華雄さんも・・・」
振り向いた先には、霞さんと華雄さんが立っていた。
「元気にするも何も、私たちが城を出てから一週間もたっておらんぞ、張遼」
そう、彼女たちは五日ほど前に出てきた賊の討伐ために城を出たのだ。
賊の出没した地点を考えて、五日で帰ってこれたということは、かなり順調に事が済んだのだろう。
「そりゃ、そうやな。それにしてもスゴイで。よくあんな動きが出来るな?」
「ああ・・・そうだな」
霞さんがやや興奮気味に言うと、華雄さんやや短めに返した。
「そんなに、すごいのですか?」
私は好奇心に駆られて思わず聞いてみる。
「おお、スゴ過ぎやで。うちにはとてもあんな真似はできん」
「そうですか・・・」
どうやら、霞さんでもあれ程までは出来ないらしい。
「どうやら、終わったみたいだな」
華雄さんの言葉を聞いて目を戻すと、一刀様は立ち止まった状態で息を整えていた。
私はそれを見計らって、一刀様に水と手ぬぐいを渡すことにした。
「一刀様、これを・・・」
私が水と手ぬぐいを差し出すと、一刀様は笑顔でそれを受け取った。
「ありがとう、雫」
彼のその言葉を聞くと、不思議と心が温かくなる。自分でもよく分からないが、悪い気分じゃないのは確かだ。
「いや~、一刀。精がでるな~」
「あれ?霞に華雄?」
そうしていると、霞さんと華雄さんがやってきた。
「二人も見てたんだ?」
「ついさっきな。それにしても、中々に見事な演舞だったぞ」
華雄さんが褒めると、一刀様は恥ずかしそうに頬をかいた。
「そんなことないよ。ただ、滅茶苦茶に振り回しただけでとても演舞とは呼べないよ」
・・・・・・あれで、滅茶苦茶とは・・・。つくづく、とんでもないお方です・・・
私の内心をよそに、三人の会話は続く。
「そういえば、霞と華雄は賊の討伐に行ってたんじゃなかったっけ?」
「それは、もう済ませたで」
「ああ、随分とあっけなく終わったな」
「・・・まぁ、華雄が考えもなく突撃したおかげで思うてたよりも早う終わったんやけど・・・」
「ふふっ、よせ、照れるではないか」
「褒めてないっちゅーねん!・・・それより、ここんとこ賊が増えて、忙しいったらないわ」
「そうだな。この増え方は少し異常だ」
「そうか・・・やはり・・・」
二人の話を聞いて、一刀様は何か思いつめたような顔をした。
「ん?一刀どないしたん?」
「いや、なんでもないよ」
「ふむ・・・・・・北郷、私と仕合おう。」
「・・・・・・華雄っていつも脈絡もなく言うよね・・・」
「あっ、うちも一刀と仕合したいで!」
「私が先だ、張遼」
「む~、ずるいで華雄。華雄はいつもやっとるやないか」
「こればかりは、譲る気はない」
「なら、仕合して勝ったほうが一刀と戦う、でどうや?」
「いいだろう」
そう言って二人は中庭の中央へ向かって、相対した。
「行くぞ!張遼!」
「おうよ!いつでもかかって来いや!」
二人が壮絶な仕合をしている間、一刀様はずっと考え事をしていた。
「・・・・・・そうだな・・・そうしよう」
不意に、何かを決意した表情でそうつぶやく。
「・・・一刀様?」
「ん?何?」
「・・・いえ、何でもないです・・・」
「そうか」
正直、気になるが、やはりやめておこう。
どうなろうと、私はこの人についていくと決めたのだから。
・・・・・・二人の仕合の結果は引き分けに終わった。二人とも死力を出し尽くした為、一刀様と仕合することは出来なかった。
「月、詠。二人に話があるんだ」
翌日、評議の間で軍議をして、終わったころになって一刀は二人に話しかけた。
「はい?何でしょうか?」
「何よ、話って?」
月と詠は一刀に突然声をかけられて驚きつつも話を聞いてみる。
「実は俺、旅に出ようかと思うんだ」
「「・・・・・・・・・・・・」」
一刀が何気なく言ったその言葉に、月と詠はぽかんと口をあけたまま呆然として、
「「ええぇ~~~!?」」
一刀が驚くほどの驚愕の声が出た。
「ど、ど、どうしてですか!?どうして旅に出ちゃうんですか!?」
「お、落ち着くのよ、月!ま、まずは話を聞かないと!」
そう言う詠も、十分に落ち着きをなくしている。
「二人とも落ち着いて。ほら、深呼吸して。・・・スー、ハー」
一刀が深呼吸すると、二人も釣られて深呼吸をし始めた。
「「すー、はー、すー、はー・・・・・・」」
しばらくして、『そろそろいいかな?』と一刀が思い、声をかけることにした。
「落ち着いた?」
「あ、はい、落ち着きました」
「それで?どうして旅に出ようなんて思ったの?」
「そうです。ここの暮らしに不満があるのですか?それなら言ってください」
「ちがうよ、月。ここの暮らしには十分に満足してる。月には感謝してもしきれないくらいだ」
一刀は月の言葉に、苦笑しながらも否定する。
「それじゃあ、どうして・・・?」
月の疑問に一刀は答える。
「詠、最近、賊が増えているらしいね?」
「え?・・・ええ、その通りだけど・・・」
突然、振られた問いに答える詠。
「それは、恐らく予兆だ」
「予兆・・・ですか?」
月が思わず聞き返す。
「ああ。賊が増えているということは、それだけ今の漢王朝に不満を持っている者が増えているということになるな?」
「・・・・・・そうでしょうね・・・」
詠が一刀の言葉に同意する。
「近いうちにその不満が爆発するときが来る」
一刀の言葉に月は息を呑んで、詠は納得するかのようにうなずいた。
「それは、大陸全土を巻き込んで広がっていくはずだ。・・・・・・そして、その時に一番被害を受けるのは、力のない人たちになる」
「あなたはそういう人たちを助けるために旅に出ようと思ったの?」
詠の問いに一刀はうなずく。
「ここでは駄目なの?ここからでも人助けは出来るわよ」
確かに詠の言う通り、ここでも人々を助けることが出来るだろう。しかし・・・・
「ここじゃ駄目なんだ。これから起きる乱は中央が一番大きくなる。だから、ここからでは遠すぎる」
そう、これから起こる乱は役人の腐敗がひどい洛陽を中心にして起こる。西涼の近くにあるここでは、それほどの被害は出ないだろう。
それなら、最初から月たちに任せれば良い。彼女たちなら何の問題もなく乱を鎮圧できるだろう。
中央には助けを求めても、助けてくれない人たちが大勢いるはずだ。俺はそういう人たちを助けたい。
そのことを詠に説明すると、渋々ながら理解はしてくれたようだ。
「でも・・・」
それでも、詠は納得しかねていると月が口を開いた。
「分かりました、一刀さん。出立はいつ頃にしますか?」
「ちょ、ちょっと月!?」
詠が慌てて月に声をかける。
「何、詠ちゃん?」
「えっと・・・月はそれでいいの?」
詠が恐る恐る尋ねると月はうなずいた。
「うん。確かに一刀さんがいなくなるのは寂しいけど、それを理由にして助けられる人を助けないのはいけないと思うから・・・」
「・・・分かったわ。月がそう決めたのなら、ボクもそれに従う」
その言葉を聞いて詠は納得することにした。
「・・・ありがとう、月、詠」
一刀が礼を言うと、月は微笑んで返した。
「気になさらないでください。一刀さんの考えは立派なものだと私は思いますから」
「それで?出立はいつ頃にするの?」
「そうだな・・・・・・色々、準備や挨拶もあるから三日後にするか」
「三日後ですね?分かりました」
こうして、一刀の旅が決まったのだった。
三日後、一刀は城門に向かって歩いていた。
一刀は普段着ている制服ではなく、動きやすい旅装をしていた。
そして、その隣には同じく旅装をした雫の姿が。
「・・・なぁ、雫。何も君まで付き合わなくてもいいんだよ?」
これからするのは、言わば人助けの旅なのだ。決して安全であるとは言いがたい。
一刀としては親切心で言ったつもりなのだが、雫は気に入らないようだ。
「・・・一刀様。私はあなたの何なのですか?」
「何って・・・俺の仲間だけど?」
「・・・私はあなたの臣下。そうですね?」
若干、訂正しつつも確認する。
「まぁ、そうとも言うな」
「なら、あなたの側に居ることは当たり前のことなのです。ですから、私を置いて行こうなどとはしないで下さい」
その言葉には、少しだけ懇願の響きが含まれている気がして、一刀は観念するしかなかった。
「分かったよ、俺が悪かった。だから機嫌を直してくれ、雫」
「分かって下さればいいのです」
一刀が早々に降参したので、雫の機嫌も多少は直ったようだ。
その時、城門の向こうから声をかけられた。
「何、イチャついてるのよ、あんたたちは」
「え、詠ちゃん・・・・・・」
「月に詠・・・それにみんなも・・・」
そこには月に詠、霞、恋、ねね、華雄、全員がそろって一刀たちを待っていた。
「一刀、水臭いで~。うちらに黙って行こうとするなんて」
「・・・・・・・・・(コクリ)」
「その通りです!ねねに黙って行くなど失礼極まりない奴なのです!」
「私はみんなが行くと言うので付いてきただけだ」
「ありがとう・・・みんな・・・」
素直に感謝の言葉が出た。期待してなかったわけではないけど、こうやってみんなに見送られることを考えると、感じ入るものがある。
「一刀さん。少ないですけどこれを・・・」
そう言って月は布袋を差し出す。中を見ると決して少なくないお金が入っていた。
「そんな・・・少ないだなんてとんでもない。ありがとう、月」
「いえ、私に出来るのはこれくらいですから。・・・・・・それに、詠ちゃんの方がもっとすごいですよ」
「ちょっ、月!?」
月がいたずらっぽくそう言うと、詠が顔をうろたえながら声を上げた。
「そうなのか、詠?」
一刀が声をかけると詠は「うー」とか「あー」とか言って、中々話そうとしない。
「ほら、詠ちゃん!」
月が急かすと、詠は観念したのか、「そこで待ってて」と言ってから門の影に向かって行った。
少しして詠が戻って来た。その手には手綱が握られており、その先には馬がいた。
それは、ただの馬ではなかった。
その馬は体のつやといい、筋肉の張りといい、見事と言うしかなかった。
その馬体は全身真っ黒、黒を通りこして紫光りしているようだ。
そして、なんと言っても大きい。通常の馬の軽く一回りは大きいに違いない。
歩く姿も勇ましく、まさに名馬と呼べるほどの馬であろう。
「これは・・・・・・すごい・・・」
一刀は思わず感嘆の声をもらした。周りに目をやると、月と詠以外の人たちも一刀と同じ反応をしている。
「・・・どうしたのですか・・・・・・これほどの馬を?」
一刀たちを代表して雫が詠に尋ねた。
「この間、偶然見つけたのよ。丁度、あんたが旅立つって聞いたから餞別がわりに持ってきたの」
「詠ちゃんね、一刀さんが旅に出るって聞いたときから一生懸命探してくれてたんだよ」
「月~~~!!」
月があっさりとネタバレすると、詠が顔を真っ赤にして絶叫した。
「はぁ・・・さすが西涼に近いだけのことはあります。・・・・・・まさか、これほどの馬がいるなんて・・・」
雫が感心したようにつぶやくのを聞くと、一刀は段々と不安になってきた。
「だけど・・・さすがにこれは高価すぎないか?」
一刀は恐る恐る詠に聞いた。
そう、馬は基本的に高価なのだ。それなのに、これほどの馬を買おうとするならそれこそ目玉が飛び出るほどの値段がしたのではないか?
一刀の言いたいことが分かったのだろう。しかし、詠はそれを気にするでもなく平然と言った。
「気にしないで。こいつ、すごく凶暴で、誰も乗せようとはしないから。だから、思ったよりも安く買えたわ」
「・・・・・・はっ?」
一刀が呆然と聞き返すと、詠は、「見てて」と言って、手をそっと馬の首に近づけた。
ガチンッ
黒馬は突然、詠の手に噛み付きだした。詠は素早く手を引っ込めてそれを回避する。
「ご覧の通りよ。ボクも月も馬の扱いには自信があるけど、これは手に負えないわ」
「ちょっと待て・・・君はあれか?誰も乗れなくて、君たちでも手を焼いている馬に乗れと、そう言いたいのか?」
「大丈夫、あなたなら乗れるわ。・・・・・・・・・多分」
その多分は余計だっつーの!
「一刀さんお願いします、どうか試してみてください。詠ちゃんは本当に頑張って探したんですけど・・・・・・時間がなかったんです」
「月!余計なことは言わなくていいから!」
「うっ・・・」
月の言葉に思わず声をもらしてしまった。確かに三日の内に訳ありとはいえ、これほどの名馬を探し出した詠の手腕は賞賛するに値するだろう。
それに、俺のために探してきてくれたのだ。受け取らないわけにはいかない。
「・・・・・・分かった。試してみるよ」
そう言って一刀は黒馬に近づく。
黒馬は怪訝そうにこっちを睨みつけた。その瞳は『何だ貴様は?』とでも言っているようだ。
一刀はそれを真っ向から受け止めて、黒馬に語りかけた。
「突然ですまないが、俺たちを君の背に乗せてくれないだろうか?」
黒馬はジッとしたまま、こちらを見ていた。
「もちろん、これが自分勝手な願いだって分かっているつもりだ。馬は人がいなくてもどうとでもなるけど、俺たち人は馬がいなくてはどうにもならないからな」
傍から見たら、さぞおかしな光景に見えるだろう。人が馬に必死になって頼み込んでいるのだから。
しかし、この中にはそのことを笑う者はいなかった。全員が一刀を見守っている。
「だけど、俺にはやるべきことがあるんだ。それは俺一人ではとても成しえそうにない難しいこと・・・。だからそれを成すために、しばらく君の背を預けてはくれないか?」
一刀は誠心誠意を込めて黒馬に語りかける。誠意を込めても伝わらないことがあるが、誠意を込めなくては心に響くことは決してないからだ。
やがて、微動だにしなかった黒馬が動き出したと思ったら、一刀の前に横付けるように移動したのだ。
「・・・ありがとう!」
まるで、『乗れ』とでも言っているようなその様子に一刀は礼を言った。
そっと、黒馬に触れる。馬は噛み付きも暴れたりもしなかった。
一刀は鞍に手をかけ、一息に鞍にまたがった。
そのとたん、周りから歓声が上がった。
「すごいです、一刀さん!」
「だから言ったでしょ?大丈夫だって」
「やるやないか~!一刀~!」
「・・・・・・・・・(コクコクコクッ!)」
「ぬぅ~、その馬は恋殿にこそふさわしいと思っておりましたのに・・・」
「よくやったな、北郷」
「・・・さすが、一刀様です」
みんなが口々に賞賛してくれて、少しだけ気恥ずかしくなった。
「一刀さん。その子に名前をつけてあげたらどうですか?」
月がそんな提案をしてきた。
「そうやな。名前がないと、色々不便やからな」
「・・・名前・・・・・・大事・・・・・・」
霞と恋もその案に賛成する。無論、俺も大賛成だ。
「そうだな。・・・・・・・・・じゃあ、君の名は『黒兎』(こくう)だ」
名づけられた黒馬-―黒兎は軽くいなないただけで、後は無反応。まるで『呼びたければ、勝手に呼べ』と言ってるみたいだ。
「黒兎・・・ね。まぁ、悪くはないんじゃない?」
「ふんっ!ねねの方がもっとカッコいい名前をつけてやれるのです!」
「では、お前ならなんて名前をつけるつもりなんだ?」
華雄が聞くと、ねねはまるで一大発表すると言わんばかりに胸をそらした。
「耳の穴をかっぽじって聞くがいいのです!その名も『陳宮号』!これほど素晴らしい名前は他にないのです!」
そう言ってねねは黒兎を指差した。
「そういうわけで、お前の名前は陳宮号で決まりなのです!分かったら、ワンと鳴くのです!」
いや、犬じゃねーし。一刀はそんなことを心の中で突っ込んでいると、黒兎がそれは、それは、もう鋭い目つきでねねを睨み出した。
ギラリッ!!
「ひぃぃっ!?こ、こいつ、ねねを睨んでるのです!?」
そう言ってねねは恋の後ろに隠れた。
「・・・・・・どうやらその名前は気に入らなかったようだね。・・・というわけで、こいつの名前は黒兎だ」
「そ、それでいいのです・・・。だから、早くその馬を何とかするのです・・・」
怖々と言うねねに苦笑して、一刀は黒兎をなだめることにした。
「これでもう、旅の準備は出来たかな?」
「はい、後は出発するだけです」
一刀が何とか黒兎をなだめると共に口にすると、雫が返してくれた。
「そうだな。じゃあ、雫・・・・・・」
そう言って一刀は雫に手を差し出す。
「・・・はい」
雫はその手をつかみ、一刀と共に馬上の人となった。
月と詠がそれをうらやましそうに見ていたのはここだけの話。
「それじゃあ、月、詠、そしてみんなもありがとう。色々と世話になって、すごく感謝してるよ」
「私も短い間ですけど、色々とお世話になりました」
「本当よね。いつか必ず恩返しに来なさいよ」
「もぉ、詠ちゃん!」
「ああ、困ったことが起きたら言ってくれ。いつでも助けに行くよ」
「~~~っ!?わ、分かればいいのよ、分かれば!」
詠が顔を赤くしたのを皮切りに、一刀たちは旅立つことにする。
「それじゃあ、みんな!また会おうな!」
「皆さん、お元気で」
「一刀さんも、雫さんもお体に気をつけてください」
「手紙くらい出しなさいよ!」
「一刀~!また会おうな~!」
「・・・・・・・・・・・・」(ぶんぶんぶんっ)←手を振っている。
「この馬畜生め~、覚えてやがれです~!」
「北郷!次こそは私が勝ってやるからな!」
みんなの言葉を背に受けて一刀は黒兎の腹を蹴った。
黒兎は瞬く間に加速した。あっという間に月たちが小さくなっていき、やがて見えなくなる。
「さて・・・これからどうしようか、雫?」
実は割りと無計画なこの旅。現金な話だが雫がいてくれてよかったと思う一刀だった。
雫は地勢にも詳しいし、旅をしていたこともあるから、旅初心者の自分としては非常にありがたい。
一刀の腕の中にいる雫はあっさりと一刀の問いに答えてくれた。
「まずは中央に向かいましょう。町を転々としてその都度、予定を決めればいいと思います。幸い、路銀はたくさんありますからしばらくはお金に困ることもありません」
「そうか、ならその通りにしよう。・・・・・・これからも、そして、これからよろしくな、雫、黒兎」
「はい、一刀様」
黒兎は軽く鼻を鳴らしただけだが、何となく言いたいことは分かった。
平原を走りぬく彼らの上には、ただ、ひたすらに青い空が広がっていた。
『舞い降りた御遣い』編 完
紹介ページ
『黒兎』
漆黒の雄馬。知能が高く、恵まれた馬体もあって、完全に人を見下している。
それゆえに、人を乗せるということは無く、何人も怪我人を出したせいもあって、誰も買い手が付かなくなった。
その頃に詠が黒兎を見つけ、詠の容赦のない値切りで買い叩かれ、一刀の愛馬となる。
一刀は何故か黒兎と簡単な意思の疎通ができる。
作者コメント
やっと第一部が終わりました。
これからは第二部『流浪の御遣い』編を書きます。楽しみにしててください。
実はこの黒兎の名前ですが、かなり苦心しました。
最初は『黒王』にしようかと思ったんですけど、ある世紀末覇者の愛馬と被りそうなのでやめました。
そして、赤兎馬の赤を黒に置き換えて、読み方も少しいじった感じで落ち着きました。
正直、ネーミングセンスのない自分が恨めしいです。
そんな私ですが、これからも『蒼天の御遣い』をよろしくお願いします。
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今回は少し長めです。
オリキャラって微妙にイメージがつかみづらいですよね?
だから、一部を雫視点で書いてみました。
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