「……何だと?それではまだ――――だと言うのか?」
「――――――」
「そうは言うが……分かった。私が何とか策を練ってやろう……」
動乱の最中にある大陸にあって、今現在台風の目のような平穏期に入っている許昌の街。
とある夜、その街のとある路地にて二つの人影がそんな会話を交わしていた。
どちらもあまり長くその場に留まることはせず、さらに二言三言話した後、どちらもそこから去っていく。
後には寂し気に鳴く猫が数匹、座っているだけであった。
さてさて、時は移って翌日の許昌でのこと。
そのような会話が為されていたことなど露程も知らない一刀は今、許昌の街の大通りをとある店に向かって歩いていた。
本日その隣にいるのは恋である。
「えっと、もう一つ先の筋を右だっけ?」
「……そう。曲がって、三つ目」
恋に確認を取りつつ一刀は歩を進める。そう、一刀は恋と共に、彼女の示す店に向かっているところなのだ。
一見すればデートのように見えるのだが、実はこれも立派な仕事の一つであり。
「ん~……お、ここだここだ。よし、それじゃあ……」
目的の店を見つけた一刀は恋に軽く首肯で確認を取ってから扉に手を掛けた。すると。
「ご主人様、おかえりなさいませニャ~!」
「今日も一日お疲れさまですワン!」
扉を開いた途端に店中から聞こえてくる挨拶の声。しかもその店員の頭にはなんと、猫耳、犬耳が漏れなく装着済み。そして極め付けは、聞きよう聞き真似で繕われた店員の体を包むメイド服。
想像以上の徹底ぶりにさしもの一刀も瞬間フリーズしかけたほどだった。
「これは……すごいな。ぶっちゃけここまで出来るとは思ってなかった」
「……ん。沙和たち、頑張ってくれた」
軽く感想を述べていると、二人の正体に気付いた店員の一人が叫び声を上げた。
「って、あ、ああっ!!北郷様に呂布様じゃないですか!
すみません、すぐに貴賓席までご案内させていただきます!」
「あぁ、いや、別に気にせずとも――――」
「そうは参りません!お二人はこのお店の、えっと、王名?なのですから!
さ、さ!どうぞこちらへ!」
「わ、分かった。ありがとう」
有無を言わさぬ勢いに思わず負けてしまい、一刀は恋と連れだって少し奥まったところにある上等な席へと案内されたのだった。
さて、では何故このような事態になっているのか、その発端に戻ってから話を進めていこう。
事の始まりはおよそ一月前、恋のこんな言葉からだった。
「……一刀。この子たちのお店、やりたい」
そう言って背後の犬猫たちを示す恋に対し、瞬間一刀は意味が理解出来なかった。
が、すぐにとある出来事を思い出す。
かつて見た、大通りを塞がんばかりの人集り。その中心にいた恋とその家族たる動物たちの為に、一刀はこんな提案をしていた。
曰く、動物喫茶みたいなものをやってみないか。
あれ以来その話は出て来ず、恋の方に興味が無かったのだろうと一刀も忘れ去っていたのだ。
しかし、どういうことか、突然これをやりたい、否、やらせてあげたいと言い出した。
突拍子も無かった為に一刀も初めは戸惑うも、恋の動物たちの為でもあるので、これの案を出すことを決める。
こうして一刀が必要な物資や躾等を考え始めてすぐ、どこから聞きつけたか、華琳からこのことで呼び出された。
何かまずいことでもあったのか、との懸念を抱きながら華琳の下へと参じた一刀に、華琳はこんな命を下す。
「恋のやるという喫茶、貴方がそもそもの発起人らしいわね?
何でも、天の国にある店から案を得て、それを基に作るのだとか。
――――へぇ、そう。事実なのね。
いいわ。ならば、一刀。盛り込める要素は全て盛り込みなさい。
ただし、むやみやたらとするのではなくてよ?下品にならない程度に、煌びやかな天の国らしい店を作り上げなさい。
その為の費用は全て国庫から捻出させるわ。ちなみに桂花も零も承諾済みよ」
意外や意外、小ぢんまりとした店でも作って存続させられれば上出来かと思ってみれば、あれよあれよという間に国家プロジェクトとなっていた。
聞けば、折角”天の御遣い”を擁しているのだから、これを街の目玉の一つとしても良いだろう、とのことだ。
華琳がどこまでの先を見据えているのか、どれほどの効果を狙ってのことかまでははっきりしない。
だが、華琳の浮かべる楽し気な笑みの奥には、ただの道楽では無い事を示すかのように鋭い光が宿っていたのだった。
ただの思いつきが数奇な運命を辿った末に一大国家プロジェクトとなったものの、一刀のすることは元より変わらない。
むしろ楽になったほどであった。
詳細までは知らずとも、猫カフェや犬カフェの概要ならば一刀も知っていて、そこから恋の動物たちを店内に放した喫茶が主軸となる。
今回はその知識に対して大陸に合うような補正はほとんど掛けなくて済むのだ。
それから、どうせならば店員の服装も天の国らしさを出して見ろ、との要望も入り、これを受けて”メイド”要素が追加。
というのも、天の国の、つまり現代日本の色々な店の制服を一刀が取り敢えず図面に興してみて、これを皆が協議。
その中から今回の案件の中心人物となる恋の意を汲んでメイド衣装が選出されたのだ。
しかも、それがただのメイド衣装では無く、半ば一刀もネタとして悪ノリで入れただけの、猫耳メイド服だったのが事の始まり。
猫がいるのならば犬も。これだけか?いやいや、ならば他の動物も。
そんな具合に案はポンポンと出てきたのだ。
さて、では作製を、という段階になって、はたと気付く。この服を誰が作れるのか、ということに。
そんな時にタイミング良く沙和と三姉妹が帰ってきたものだから、いの一番にこの話を持って行った。
すると、4人が4人ともこれに食いつき、しかも作成費用が国庫から出るとあって、一も二も無くこれを引き受けた。
いずれもお洒落には一家言ある者たちだけに、素早くかつ実に可愛らしく、ブツは仕上がった。
ちなみに、その直後の許昌におけるライブ限定で獣耳メイド三姉妹がお披露目となったことが、後に伝説として語り継がれるのはまた別のお話。
ともあれ、国家の幹部総出で店の敷地確保、店舗建設、衣装製作に取り掛かり、ものの見事に短期間で全てを終えてしまったのであった。
何度も言うようだが、これはただの一刀の思いつきから始まったものである。
それに果たして、これだけの金と労力を、しかも今この時期に費やしてもいいのだろうかと思うかも知れない。
いいのである。むしろまだ数件は同様の策を実施しておきたいくらいなのである。
それと言うのも、全てはある策の上にこれらが成り立っているから。
零が一刀のこの話を小耳に挟んでからすぐに提唱し、華琳もその有用性を解してこれを決定するに至ったその策。
それは、天の国というネームバリューを最大限に活かし、より一層大陸の民を味方に付けるというものだった。
現在の大陸は知っての通りの時代である。
ここで生き残ろうと思えば、武張った政策に重きを置き、そちらに専念したくなるが、実のところ真に注力すべきはそこでは無い。
民の心を捉えておくこと、そのための策。それこそが大切なのだ。
戦に勝つことよりも戦に勝った後のことの方が難しい。それを零はよく理解していて、このような策を勧めたのであった。
この点におけば、ただでさえ、今の許昌は大陸中で話題になるほど様々な目新しいものが町中で目に留まるような、言わば最先端の街である。
特に露天区画は関税が撤廃されているだけあってあらゆる土地からの物産を持ち込む露天商で賑わい、未だに許昌の人気ナンバーワンスポットであり続けている。
零はそこに更なる一石を投じようと進言したのだ。
『天の国の店』。そんなことを聞けば、許昌に訪れた者は皆足を運ぶだろう。
その店が魏の皆が揃って拵えた最高の店であれば客の満足度も相応に高くなる。
現状であっても魏領民のみならず、露天商を始めとした旅人たちからも好意的な視線を向けてもらっている魏国。
この視線を盤石なものとし、戦後の治世をスムーズに。それが零の策の真の目的なのであった。
兎にも角にも、そんな経緯で作り上げられた店が竣工したのがつい五日前。
そこから予め手配しておいた人員、調度品、その他諸々を運び込み、準備すること三日。
一昨日に晴れて”天の店”はオープンしていたのだ。
なお、全員で作り上げたものではあるのだが、発起人ということで店のオーナーには一刀と恋の名が連ねられていた。
そんなわけで、店員のあの言動となるのだった。
「それにしても……すごいな。
恋、あの子らって元々野生なんだよな?
そうとは思えないくらいよく躾けられていて、しかも統制されているんだけれども」
「……ん、みんな、いい子。
セキトが言って、みんな訓練した。だから、大丈夫」
「へぇ、なるほど。
前から思ってたけど、セキトって本当にただの犬なの?ちょっと賢過ぎやしない?」
「……?別に、普通?」
ふと湧き出た疑問を口に出してみるも、恋は小首を傾げてしまう。
そもそも恋は月の下に来るまでは人よりも動物に囲まれて過ごしている時間の方が長かったというくらいなのだ。
恋にとって動物たちは身近な存在であって、人間と差異を持って接する対象では無いということなのかもしれない。
ともあれ、一刀が感心したのは何も動物たちがただ大人しいというだけでは無いからだ。
「きゃ~~っ!可愛い~~!!ほらほら、ここおいで~」
街の女性客が黄色い声で近くの猫を膝に誘えば、呼びかけられた猫はスッと要望に従う。
「おぉ、この犬、立派な毛並みだなぁ。
なぁ、お前。ちょっと吠えてみ?」
「バウッ!」
流浪の傭兵らしき男性客の求めに応じて吠える犬も、周りの客への配慮から声は抑えている。
「はぅあぁ~~♪お猫様が……お猫様がこんなに……あぁ、なんと……何という幸せ!!
天の国とはこんなところにあったのですねっ!!」
大きな二つのお団子髪がフードからチラ見えする旅装の女性客に至っては、陶酔しきった声と表情で大量の猫を膝に足下に肩にもと集めている。
肩に乗らされた猫たちは上手くバランスを保ちながらその場に留まっていた。
こんな感じで店内の猫区画からも犬区画からも、そして混合区画からも。
至るところから犬猫を愛でる声や感心する声が聞こえてくる。
そんな中、一際感心を集めているのが、先ほども話題に出た赤いスカーフを首に巻いた犬、セキトだ。
セキトは犬猫たちのリーダーとして各区画を回りながら指示を出している様子。
それに応じて他の皆も移動したり交代したりと動いていた。
どこにいっても客はそんなセキトを微笑まし気に、あるいは驚きを以て見つめていた。
当然声を掛ける客もいるのだが、セキトはまるで『仕事中ですので、すみません』とでも言いたげな目とお辞儀だけ返し、次の指示へと向かうのだ。
一刀がセキトを賢過ぎると評するのも納得というものであった。
「だけどまあ、この分なら目的は果たせそうかな?」
「ええ、そうね。期待以上の効果が出そうよ。
まだ十日と経っていないのだから諸々言及するのは早急かも知れないけれど、それでも問題無いと言いたいくらいね」
一刀がポツリと漏らした言葉には不意に背後から返答があった。
見ればそこには華琳の姿が。
どうやら華琳もまたこの店に視察に来たようだ。
店内の様子を見回すその表情を読むに、確かに結果には満足しているようである。
「目に付くものとか動物が屯っているっていう店の制度もそうだけど、それ以上に動物たちの挙動が素晴らしいと思うよ。
恋の子たちじゃなかったらこうはいかなかっただろうね」
「ええ、そのようね。
それにしても、犬や猫にこのような活用法があったとはね……さすがは天の国、と言ったところかしら?」
「いやいや、いくら何でもここまでのことを動物に仕込むことは出来てなかったと思うよ。
繰り返すようだけど、恋のところの子たちが凄いだけだからね?」
「それも分かってるわよ。
一刀、恋。ご苦労様だったわね。今後もこういった民の娯楽になりそうなものは、案があれば遠慮なく出していって頂戴。
文武の余裕を見て実施出来そうなものは積極的に採用していくわ」
店がこの調子ならば、桂花や零も首を縦に振るだろう。いや、すでに振っているも同然なのだ。
それでも、現状であまり案を出し過ぎるのも皆の負担が大きくなり過ぎる。
だから、一刀の答えはこんなものになった。
「ああ、また機会があれば何か記憶を探ってみることにするよ」
期待してるわよ、とだけ告げ、華琳は席に着くことも無く店を後にしていった。
今の情勢において国王たる華琳の仕事の量は計り知れないもの。
その合間を縫ってチラとでも見に来てくれたことは、素直に嬉しいものなのであった。
「……セキト、お仕事、頑張って」
「わん!」
店の様子を眺め、料理を注文して店員の接客の具合を図る。
そんないかにも視察らしい大義名分の下、二人は食事を楽しんだ後、こうして出口まで見送りに出てきてくれたセキトに一声掛けているのが今の状態だった。
恋の言葉にセキトは元気よく答え、お辞儀をしてから店内へと戻っていく。
こうして二人きりになって、恋が一刀に尋ねた。
「……一刀、この後もお仕事、ある?」
「いや、今日は特には無いかな。ま、明日の準備だとか繰り上げだとかも出来そうな時間だけど」
「……お仕事無いなら、恋と一緒に来てほしい」
「ん?恋からってのは珍しいな」
「……ん。恋、一刀の恋人になった。だから、でぇと、する。したい」
「はは、なるほど。うん、分かった、いいよ」
恋の言葉を聞いて思わず笑みが漏れてしまった。
わざわざ『デート』という言葉を使うということは、誰かに何かを吹き込まれたのだろう。
(大方、こういったことが好きそうな風辺りか?天の言葉も色々と知りたがって聞きに来るしな)
内心でそう考えつつも、恋の方では何かを間違って理解しているらしい。
(改めて誘ってくれるのは嬉しいけど、さっきまでのも十分にデートっちゃあデートなんだよなぁ。
ま、恋らしいっちゃあらしいんだけどさ)
そう考えると随分と微笑ましいものである。
さて、恋の考えたデートコースはどんなものかな、と期待に胸を膨らませつつ、一刀は恋と並んで歩き出すのだった。
恋が一刀を連れて歩く場所は、ある所は恋らしいのに、またある所は恋らしく無い。そんな印象だった。
どうやら誰ぞが考えたデートの原案に恋が独自に手を加えている様子。
どちらにしても、これはこれで楽しませかつ楽しもうとする心が二重に見えて面白いものだった。
街の名所や噂になっている店を覗いたり、路地や街の外すぐの林で動物たちと戯れたり。
色々な場所を巡って二人で楽しんでいると、時間が過ぎるのなどあっという間である。
気が付けば日は大きく傾き、西の空は赤く染まっていた。
まだまだ遊び足りない気も多分に感じるが、この時代の大陸ではさすがに夜まで外を出歩くのはあまりよろしく無い。
なので、一刀はいつも通りに恋に帰城を促した。
「恋、もう暗くなる。名残惜しいけどそろそろ帰ろうか」
「………………ん」
恋もそれは分かっているようで、素直に頷いた。のだが。
恋は何故か緊張に身を固くしていた。その為、いつもの独特の間もより長くなってしまっていたのである。
だが不幸にも、或いは幸いにもか、逆光の位置に立っていた一刀はそんな恋の些細な変化に気付くことが出来なかった。
談笑しながら歩く時というものは、これまた実に短く感じる。
あれよと言う間にいつも二人が別れる場所、恋の部屋と一刀の部屋との分かれ道に辿り着いてしまっていた。
「っと、それじゃあ今日はこれまでだな。
ありがとう、恋。楽しかったよ。よかったらまた誘ってくれ。
……いや、違うな。今度はこっちから誘わせてもらうよ」
「…………」
今まで恋は一刀が言葉を掛けて反応を示さなかったことは無い。
最低でも短い返事、或いは首を傾けることでの意思表示は行っていた。
ところが、今の恋は少し俯いたまま、何の反応も示さない。
「……恋?どうかしたか?」
聞こえなかったか、或いは体調に不調でも来したか。
そう心配して問うた一刀だったが、次の瞬間には目を見開いて驚くこととなった。
「…………行く」
「え?!ちょ、ちょっと、恋?!」
恋は突然顔を上げると、一刀の腕を引っ張って廊下を颯爽と歩き始めたのだった。
「待った!待った待った、恋!」
恋にしては珍しい、強制的に人を振り回す行動。
一刀はその行動に驚いたものの、恋にしたいことがあるのならばちゃんと付き合うから、との意思を込めて自らの腕の開放を求める。
が、終ぞそれが叶うことは無かった。
結局一刀の腕が解放されたのは、恋がとある一室に入った直後のこと。
ちなみに、一刀にはこの部屋がどこか、ここに入る大分前から何となくで察していた。理由までは察することが出来なかったが。
そう、ここは一刀の部屋。
恋は一刀を連れてこの場所まで来ると、迷わずに中に飛び込み扉を閉めていた。
要するに、まだ二人でいたかったってことなのかな。一刀は簡単にそう推測する。
天下無双だとか魏一の武だとか言われていても、その中身は純粋過ぎるほど純粋な少女なのだ。
時には誰かに飽くまで甘えたくなる時もあるのかも知れない。
そう考えたが故であった。
「なんだ、恋。まだ話し足りなかったのならそう言ってくれれば良かったのに。
別に逃げようとしたわけじゃ無いんだからさ」
「……違う」
「違う?話したいってことじゃないと?」
「……ん」
コクリと首肯する恋。
これもまた、何かを吹き込まれたが故の行動なのだろうか。
そんな風に考え始めた一刀の思考は、しかし恋の発した言葉の衝撃によって吹き飛ばされた。
「……恋と一刀、恋人。恋人は愛し合うもの、だって聞いた」
「……なぁ、恋。一応聞くけど、恋はそれ、意味を分かったうえで言ってる?」
「……ん」
頷く恋の頬は真っ赤に染まっていた。
それは恋の純粋性を示すとともに、意味を取り違えていないことの証左でもあった。
「恋。誰に何を言われたか知らないが、別に他人を気にしたり焦ったりする必要は無いんだぞ?
俺と恋の関係には、二人なりの進め方がある。それは他人とは違っていたとしても確かなもので、誰に恥じることもないものだ」
諭すように語る一刀。
一応注釈を入れておくと、別に一刀は恋と”そういう関係”になりたくないわけでは無い。
だが、恋はつい先日までそういった知識はほとんど持っていなかったのだ。
共に過ごすことが出来れば、それが幸せ。そんないかにもな乙女チックな恋だったのである。
何者かに唆され、”恋人だから””しなければならない”なんて心情で関係を進めてしまっては、それこそ後々の遺恨ともなり得る。
一刀としてはそれを懸念してのものであった。
だが、恋はふるふると頭を振る。
「……秋蘭から、たくさん聞いた。武人でも、”女の幸せ”が得られたって。
……恋も、”それ”、欲しい。
一刀に貰いたい。そう思った。から、行動してみた。
……ダメ?」
そこまで抑揚が声に出ない、表情の変化も乏しい恋だが、この時ばかりは違っていた。
秋蘭が何をどう語ったのか、恋はこれからするだろうことをきちんと理解し、その上で求めてきている。
その声にはどこか切実に訴えて来るような響きが籠っていて。
しかも最後には伺うような表情での上目遣いときた。
これら二つの攻城槌は一刀の理性の城門を砕き割るに十分な威力を持っていたのだった。
「……一度だけ確認しておくぞ。
本当に、いいんだな、恋?後悔しないな?
もし暴走しているだけなら――――」
「後悔なんて、有り得ない」
今ならまだ間に合うぞ、という一刀の言葉は遂に口から出ることは無かった。
「恋……」
「あっ……」
そっと、一刀は恋を寝具に押し倒す。
その腕の下にいるのは最早天下無双の飛将軍などではなく、ただ一人の恋という可愛い女の子だった。
ゆっくりと近づく一刀の顔を、恋は目を軽く瞑って受け入れ。
直後の小さな音が、二人の今日という日を〆る、長い長い夜の始まりの合図となるのであった。
翌朝。
一刀と共に寝具から這い出た恋は、昨夜の出来事に頬を赤らめながらも手早く身支度を整えて部屋を後にした。
これを見送った後、一刀もまた部屋を出る。
向かう先は中庭の四阿。何となくだったが、そこに目的の人物がいる気がしたのだ。
果たしてその予感は正しく、まだ朝の早い時間だというのに四阿には先客がいたのである。
「おや?誰かと思えば、一刀ではないか」
「何を白々しいことを……
俺が来ること、分かってたんだろ?秋蘭」
質問の形を取ってはいるが、既に一刀は確信していた。
そしてそれは秋蘭も確と心得ていた。
「恋が口にしてしまうか、そうでなくとも状況等を考えれば一刀なら私に辿り着くとは思っていたのでな。
だがまあ、良かったではないか。以前に私が言った通りだったろう?」
「半分当たってはいたが、半分はやっぱり外れだよ」
「ふむ、そうだったか?」
秋蘭が以前言ったこと。
それは一週間も開いていない、つい最近の夜のことになる。
一刀と春蘭、秋蘭の関係は別に誰憚ることの無いもの。
従って、互いに求めたくなったのであれば、そういった日には体を重ねることがままあった。
事が終わった後、春蘭はいつもすぐに心地よさそうに眠ってしまう。
その為、ピロートークの相手は専ら秋蘭であった。
今日は何を話題にするかな、と一刀が考えていると、隣に横たわる秋蘭の声が耳に届く。
「……ふふ」
「ん?どうかしたか、秋蘭?」
「いや、なに。仕合では我等は全くお前に歯が立っていないが、”この戦”であれば私でもお前に息を切らせられるのだなと考えると少しおかしくてな」
「……前提条件が違い過ぎて何とも言えん」
「ふふ。別に悪いことだとは言ってないぞ?
むしろ、それだけ真剣に私達を愛してくれているのだから、逆に嬉しいくらいだ」
そう微笑む秋蘭の顔は、普段人に見せる笑みとは格別に違ったもの。
心から信頼し、己が身全てを委ねられる相手にだからこそ見せられる緩み切った表情であった。
そんな顔をしてくれる秋蘭に愛しさを感じて暫し眺めていると、ふっと秋蘭の顔に悪戯な笑みが浮かぶ。
「なあ、一刀。あの恋でも息を切らすのか?」
「さあ?俺にはまだ分からないな」
「ん?何故だ?
お前は恋の想いを受け止めたのだろう?」
「そうだよ。でも、秋蘭こそ忘れてない?
素の恋は、年以上に純粋無垢な少女だよ」
無理矢理関係を進めるのはいただけない、と一刀は暗に示す。
が、秋蘭はその含まれた意味を解した上で一刀に避難がまし気な視線を向けた。
「一刀、それは少しばかり酷薄だと思うぞ?
むしろ、お前が優しく導いてやってこそ、より恋も幸せになれるのではないのか?」
「恋には恋なりの”恋の道”を進む速度がある。
それを無理に引っ張って乱したりはしたくないんでね」
「……私達の時もそうだったな。お前は随分と――」
秋蘭がその先に何を言いたかったのか。何となく一刀にも分かったが、事実なので何も言わなかった。
それきりその話題は打ち切りとし、他愛ない話を2つ3つしてから共に眠りに落ちていった。
「要するに、恋にも最大限のフォローを加えた上で背中を強く押しやったわけだ?」
「うむ、そうだな。しかし、勘違いするなよ、一刀?
確かに色々と囁きはしたが、最終的に全てを決めたのは恋だぞ?」
「ああ、それは分かってるよ」
だから別に恨み言を言いに来たんじゃないんだ、と一刀は頭を振った。
「秋蘭に伝えたいのは、感謝と助言、かな?」
「感謝と助言?」
「うん、そう。
まずは助言からだけど。前にも言ったと思うけど、それをもうちょっと広げた話をするよ。
秋蘭や春蘭も勿論そうだろうけど、人にはそれぞれの恋愛観ってのがある。
そこに他人が手を加えると、下手をすると人生観までもが変わってしまいかねない。
だから、多分そうそうこんなことはしないだろうけど、そこは注意してもらいたいかな」
「ふむ、なるほど。確かに私も、今回は相手が恋だからこう出来ただけなのだろうことは分かる。
分かった、気を付けることにしよう。それで?感謝とは?」
「うん、こっちは単純。
恋はどうやら正しく道を進めたみたいだからね。手助けしてくれて、ありがとうってこと。
ま、ちょっと一足飛びな感はあるけれどね」
一刀の言葉を聞いて、秋蘭は笑みを作った。
「なんだ、そんなことか。
私も恋には色々と世話になっているからな。そのお礼のつもりだとでも思っておいてくれ」
少しだけ、理由に後付けの感じがあった。
或いは、動機なんて単に『仲間だから』なのかも知れない。
(ほんと、色々な意味でいい人材ばかりだよ、この国は。
さすがは曹孟徳、ってところなのかもな)
曹操が人材コレクターと呼ばれるのも伊達ではない。
それをこのような形であれ、改めて感じ直す一刀なのであった。
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第百話の投稿です。
舞台は魏に戻ります。
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