目を開けていても閉じていても、浮かんでくるのは彼のことばかり。
自分はいったい、どうしてしまったのだろう。
夢みたいだと思いつつ、本当に想いが通い合っているのか恐る恐る確認すると、深行はさも当然と言わんばかりに肯定した。
照れくさそうに顔をしかめて。
それを思い出すと頬が緩んでしまう。一度認識してしまうと、まったく歯止めがきかない。自分の身体なのに、自分じゃないみたいだ。
留学の話を聞いたときは、急に深い闇に落とされたようだった。
深行は遠くまで羽ばたける未来ある人であり、泉水子は一生隠される存在。
深行にそんなつもりはなくとも、あらためて突きつけられたような気がした。深行と一緒に行ける場所などないのだと。
けれどそれは思い違いだった。
(・・・私のがんばり次第では、これからも深行くんと一緒にいられるかもしれないんだ)
深行は泉水子のすべてを受け入れた上で、最善の道を懸命に考えてくれた。
泉水子は自室のベッドで、自分の両手をかざしてながめた。右手を見て、左手を見る。
天から受け取るための手だと姫神は言った。偶然だと思うけれど、深行が咄嗟に握るときはこちらの手が多いように思える。
そして、紫子の言葉を思い浮かべた。
嫌なものや醜いものを恐れなければ、思いもよらない贈り物だって見つかると。
恐れるものとは自分自身であり、とりまく環境のことであり、贈り物とは深行のことだと思えてならなかった。だって、これ以上の贈り物は考えられない。
会いたい。早く、会いたい。
・・・でも、会いたい気持ちと同じくらい、怖い気もする。
明日の日曜日、会う約束をしている。生まれてはじめてのデートだ。
深行がそうでないことは、今までの会話の端々から感じられた。彼ほどの人であれば当たり前だと納得するけれど、問題はそこではなくて。
どのようにしたらいいのか、まったく分からないのだ。
上手に話せなくて、退屈させてしまったらどうしよう。早くも泉水子に幻滅してしまったら。
明日のことを思えば思うほど、緊張して、苦しくて、胸が張り裂けそうだった。
泉水子は両手でそっと胸を押さえ、瞳を閉じた。ゆっくりと深く息を吸い込んで、大好きな人の顔を思い浮かべる。
(・・・大丈夫)
だいたい、泉水子のことをみそっかすとまで言った深行だ。ありのままの泉水子を分かっているはず。
(それでも・・・そばにいてくれるんだ)
沈んでいた心が浮き立ってくる。不安で黒く渦巻いていた毒気が抜けていくようだった。
翌朝。寝不足で少し冴えない顔をしていたけれど、真響がうっすら施してくれたメイクによって、なんとか見られるようになった。
これまで嫌われたくないとは思っても、誰かに気に入られたいなんて、思ったこともなかった。
けれども深行に好かれたいと願っている。少しでも可愛いと思われたい。自分の中にこんな心があったなんて驚きだ。
そのことに気がついたのは、あのアンジェリカに誘われたパーティーの服選びのときだっただろうか。
着ていく服を決めるのも真響は根気よく付き合ってくれ、本当に泉水子は感謝してもしきれなかった。
「どうもありがとう、真響さん。恥ずかしいけれど、私、こういうことはじめてで・・・。真響さんがいてくれて、本当によかった」
目をぎゅっと閉じて祈るように真響の手を両手で握ると、真響は、ふふ、とやわらかい吐息を漏らした。
「私も嬉しいんだよ。こんなことでしか恩返しできないけれど、心からそう思っているの」
「真響さん・・・?」
自嘲気味な微笑みを浮かべる真響に、泉水子は首をかしげた。真響は柱時計に目を向けたあと、泉水子の前髪を手ぐしで整えてにっこりと笑った。
「うん、可愛い。そろそろ行ったほうがいいんじゃない? きっと相楽、泉水子ちゃんに惚れ直しちゃうよ」
「ええ・・・っ そん、そんなこと、あるわけないよ!」
いったい何を言い出すのかと真っ赤になって否定するも、真響は泉水子にコートを着せてバッグを持たせた。
「えーと、靴はこれね。それより、嫌なときはキッパリ嫌だと言わないとダメだよ」
「い、嫌って? あの」
背中を押されてバタバタと靴を履き、追い出される形で部屋を出る。
「はい、行ってらっしゃい」
真響は満面の笑みでひらひらと手を振りながら、パタンと扉を閉めた。
・・・怖気づいていた気持ちを完全に見透かされている。
覚悟を決めて待ち合わせ場所である学園の門に向かうと、深行はすでにいて携帯電話を操作していた。
その姿と見るだけで心がほんわかしてくる。
深行はこちらに気がつくと、僅かに目を見張った。視線が唇に向いているのが分かる。沸騰したように顔が熱くなった。
「あ・・・っ あの、真響さんが、してくれて。・・・でも似合ってないよね」
グロスタイプのもので、そんなに派手な色ではないけれど。でも注目をされると急に恥ずかしくなってしまった。
泉水子はティッシュを取り出すべくカバンを探った。その手首を深行がぎゅっと掴む。
「そんなこと、一言も言ってない」
そのまま手を引いてずんずん歩いていく。後ろからは表情がうかがえないが、その耳が赤い。つられたように泉水子の頬がさらに紅潮する。冷たい風がありがたいくらいだ。
そういえば、とはじめて村上穂高に会った日のことが脳裏によみがえる。
お化粧をすると、それを見るほうも恥らうというのは、なんとも不思議な気持ちだった。
行きたいところを尋ねられても、何も思いつかなかった。泉水子がまごついて答えられないでいると、深行は映画でも観るかと提案した。心からホッとして、こくこくと頷く。
駅ビルに併設された映画館は、明るい音楽が流れていたり、甘い匂いが立ち込めていたりして、楽しげな雰囲気で満ち溢れていた。
思わずおどおどしてしまう。なにしろ映画館に来るのなんてはじめてなのだから。
玉倉山では毎日学校と家との往復であり、休みの日も友人と出かけることはかなわなかった。上京してからも、真響とほんの時々買い物に行くくらいで映画を観たことはなかったのだ。
高い所に液晶ディスプレイがあって、映画の題名と上映開始時刻が表示されている。丸や三角などの記号はいったいどういう意味なのだろう。
「とりあえず、今、話題になっているやつでいいか」
さっぱり分からないので、こくんとひとつ頷く。
そのまま固まって動けずにいると、券売機と思われるところから戻ってきた深行が、チケットを渡しながら泉水子をじっと見つめた。
「鈴原。具合でも悪いのか?」
「あ・・・っ ち、違うの。映画館に来たのがはじめてで・・・。ちょっと、びっくりしてしまって」
急いで手を振りながら、自分の態度を激しく後悔した。映画を見ること自体はとても嬉しいのに、これでは絶対に伝わっていない。それどころか、嫌な気持ちにさせてしまっているかもしれない。
言葉が出てこなくて焦っていると、深行は納得したように相好を崩した。
「そういうことか。そういや鈴原は、はじめてコンビニに行ったときも、挙動不審になってたな」
「・・・っ あれはもう、忘れて」
思い出したくもない過去をいきなり突きつけられて、泉水子は真っ赤になってぷいっと顔をそむけた。深行がおかしそうに短く笑う。
「つまらないのかと思って焦った。・・・俺もたいがい緊張している」
「えっ」
聞こえていたけれど、一瞬意味が分からなくて泉水子は深行を見やった。深行は失言したとばかりに苦い顔をすると、すたすたと泉水子を置いて歩き出した。あわてて後を追い、隣に並ぶ。
「深行くん。緊張しているの?」
「そりゃ・・・するだろ」
胸がとくとくして、自分の心臓が大きく動いているのが分かった。
「でも・・・深行くんは、はじめてではないでしょう?」
深行は売店の前で足を止め、ポップコーンを食べるかと聞いてきた。反射的に泉水子が顔を輝かせると、眉を寄せて苦笑する。
買ってくれたポップコーンは、とてもいい匂いがした。この甘い匂いはキャラメルだろうか。
「ありがとう。あの、お金」
映画のチケット代もまだ支払っていない。わたわたお財布を取り出すと、
「気にするなよ。しゃくだが俺の金じゃないし。むしろ鈴原からもらったら、雪政に何を言われるか分かったもんじゃない」
「で、でも、私もお小遣いをもらっているよ」
深行はそれに答えず、スタッフにもぎってもらったチケットを確認しながら劇場へ入っていく。
「本当はバイトでもできたらいいんだが、今はそういうわけにもいかないからな」
「バイト? 深行くん、アルバイトしたいの?」
彼の後にくっついて階段を登り、促された席に座る。真似して肘掛部分のくぼみに紙コップのジュースを収めた。
薄暗い映画館の中で、ドキドキしながらもう一度尋ねてみる。
「緊張しているって、本当? 深行くんは・・・だって」
「今までと勝手が違えば、当たり前だろ」
深行はこちらを見ることなくそう言うと、紙コップを手に取りストローをくわえた。
「私・・・そんなに、違う?」
「・・・全然違う」
泉水子があまりにも浮世離れしているせいだろうか。にわかに落ち込みつつポップコーンを口に入れると、びっくりするくらい美味しかった。
思わず深行に顔を向けると、優しげな瞳とぶつかった。ごくん、とポップコーンが喉を通る。
ふっ、と場内が暗くなった。
深行がスクリーンに注目する。その横顔に、胸が甘く痛む。
鎖骨の下あたり。こんな感覚ははじめてだった。心というものは脳が司っているはずなのに、感覚的には心臓部分にあるような気がする。
映画に集中できる気が、まるでしなかった。
続く
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RDG6巻原作終了直後の冬休み明けからです。
勝手妄想満載ですので、原作のイメージを大事にされたい方は、閲覧にどうかご注意ください。