No.756037

すみません、こいつの兄です。93

妄想劇場93話目。遅くなりました。すみません。言い訳すると、一ヶ月で50ページくらいの漫画を描いていたので、遅くなりました。漫画のほうも読みに来て頂けると嬉しいです。コミケや即売会の楽しさが伝わるといいなという回。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411

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2015-02-04 21:33:21 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:770   閲覧ユーザー数:712

 ぼんやりと半分眠りながら、駅まで歩く。

 コミケ二日目の朝。昨日は三島(姉)と一日目。今日は、長崎みちる先輩と二日目だ。同人誌くらいは読むけれど、別に作ったりしているわけでもない俺がコミケ二日連続だ。俺は、よほどオタクに縁があるらしい。

 駅の前で見慣れたジーンズのオーバーオールを見つける。さすがにこのくらいの時間だと、他には人影が見当たらない。

「よ」

世界最小サイズの挨拶でみちる先輩が片手を挙げる。肩からかけているカバンは、いつも大学で持って歩いているものと同じだ。過去のコミケ経験からすると、コミケに行くようなかっこうには見えない。

「荷物……それだけなんですか?」

「ん」

世界最小サイズの返答。

 そして、くるりと向こうを向いて改札を通ってしまう。こちらも、追いかけるように改札を通る。今日もみちる先輩の愛想は世界最小最軽量である。無言のまま、がらがらの始発電車に乗りこむ。ボックス席の窓際に座る。先輩は斜向かいの席に座る。

「旅行に行くみたいですね」

電車のボックス席というのは、味気のない横並びのシートよりも旅行っぽさがある。

「うん」

みちる先輩が、三白眼の瞳をこちらに向けてうなずく。電車がモーターの音を立てて加速する。これが汽車だったり、ディーゼルだったりしたら先頭車両のほうから引っ張られる振動でも伝わってくるのだろうかと思う。味わいのない揺れでも、列車の揺れというのは眠りを誘う。数分で眠気が訪れて、意識を手放す。どうせ乗換駅は終点だ。寝ていても問題はあるまい。

 終着駅の一つ手前で目を覚ます。途中駅の記憶はまったくないのに、こういうときの脳の働きってのがどうなっているのか不思議だ。みちる先輩も目を覚まして、時間を確認している。それで気がついた。みちる先輩も今日は首から鎖にぶら下げた小さな懐中時計を持っている。オーバーオールの胸ポケットに入れていたから気がつかなかった。

 終着駅で降りて、都内を走る通勤電車に乗り換える。乗り換えて、ビッグサイトに近づくと車内のオタ密度がみるみる上がっていくのは昨日と同じだ。

 違うのは、隣を歩くのが昨日は三島(姉)で今日はみちる先輩だということ。三島(姉)は俺の六歳くらい年上で、みちる先輩は俺の一つ年上。どちらも年上だけど、なんだかみちる先輩はひどく子供みたいに見える。背も低いんだけど、それ以上に子供みたいに感じる。みちる先輩にはお姉さんがいると言っていたっけ……。三島(姉)は長女で妹に三島由香里のいる姉で、みちる先輩は次女でお姉さんがいて、そして俺が妹のいる長男だからだろうか。

 サークル入場の列がじわじわと渋滞するように並んでいる。目の前にみちる先輩の枝毛だらけの頭がある。この頭を撫でたらどうなるのだろうと思うが、みちる先輩も一応女性なのでそんなことはしない。男性にもしない。というか、男性の頭をナデナデする男はヤバすぎると思う。つまり他人の頭はあんまり撫でない。例外は真奈美さんだけだ。真奈美さんは、俺の認識の中では女性でも男性でもない。真奈美さんだ。

 そんなことを考えているうちに、入場ゲートを通過する。

 祭りの前の落ち着かなさをはらんだ空気の中を歩いて、いわゆる島中ブースに到着する。両隣のサークルさんに「おはようございますー。一日、よろしくお願いします」と挨拶する。俺だけが挨拶する。みちる先輩、挨拶しろよ。オタ同士でも、みちる先輩の愛想の悪さは揺るがない。揺るいで欲しいところだ。なんだかマンガを描いたこともない手伝いの俺の方がイベント慣れしちゃっているみたいになっているのだ。実際慣れている。机の上を埋め尽くすチラシの片付けも手馴れたものだ。大きなものと小さなものに分けて、大きなチラシで包むようにしてたたむ。続いて、椅子を広げる。働く俺。通路でぼさーっと見守るみちる先輩。あーもー。

「敷く布とかないんですか?」

「ないよ」

みちる先輩が斜めがけしていたカバンを、机の上に置いて中からチラシで包まれたカタマリを取り出す。チラシを破くと、中身は本だ。たぶん、みちる先輩が描いたやつ。一番上の本にだけ、三百円と値段の書いたラベルが貼り付けてある。それを机の上にぽつんと置いて、パイプ椅子にみちる先輩がぽつんと座る。いつものにらみつけるような三白眼である。

 あ。

 だめだこれは。

 これは売れない。

 本を見るまでもなく、楽しそうなオーラが一つも伝わってこない。

 まぁ、でも……みちる先輩がそれでいいなら、手伝いの俺がなにか言うことじゃないか……。俺も諦めて、とりあえずみちる先輩の隣に座る。

 九十センチ幅のスペースは狭くて、パイプ椅子を真横に並べるといっぱいになって、席から立ったりするときにお隣に迷惑をかけてしまう。少し前後にずらすのがコツ。

 みちる先輩が、首を捻ってこっちを見る。

「ならばないの?」

「狭いですから」

「肩触れて、ドキドキとかないの?」

「ないです」

美沙ちゃんならともかく、みちる先輩ではありえない。たしかにオーバーオールの肩紐のかかるTシャツ越しの肩は、意外な華奢さで予想外の女の子らしさを醸し出してはいるが、残念ながらみちる先輩である。

「退屈だったら、うしろから胸揉んでもいいよ」

「退屈しのぎに、女子大生の胸を揉むとか人間として終わっていると思うので」

「大物っぽいじゃん」

なるほど。それには同意せざるを得ない。片手で退屈しのぎに女の子のおっぱいを揉むのは大物だけが許される行為だ。大物すぎて人間やめているとすら思う。

「大物になるつもりはありません」

「そうだよな。なおとは」

そう言って、またみちる先輩は正面に向き直る。

 拍手が会場を満たして、コミケ二日目がスタートする。

 座る。

 ひたすら座る。

 開場前の予想通り、売れるどころか足も止めてもらえない。むしろ、このスペースの前だけ逃げるように通行人が加速してすらいるかもしれない。

 暇だ。

 昨日の三島(姉)先生のスペースは賑やかだったなぁ……。

「先輩」

「なに?」

「その通行人を目で追うの止めたほうがいいと思います」

「追ってる?」

「追ってます。むしろ追い散らしています」

「……じゃあ、交代。なおとが前に座ってて」

行き交う人たちに片っ端からガンを飛ばすみちる先輩をスペース内で後列に下げて、代わりに俺が前列に出る。売っている人が変わったからと言って、みちる先輩の同人誌が輝いて見えるわけではないが、少なくともなんか女の子がスペースから睨みつけていて、その前に立ち止まることすら気まずい状態よりはいいかもしれないと思うのだ。

 ……。

 そらみろ。一応、たまに足を止めてくれるようになってきたぞ。

 手に取ってくれる人もいる。

「(後列からにらんじゃダメです)」

さっき一人、立ち読みを始めようとしたとたんにビクッとして逃げた人がいた。振り向くと、上目遣いに三白眼のみちる先輩が睨んでいた。小声で注意する。

「(うん……)」

みちる先輩の視線が地面に落ちる。少し可哀想になるが、このまませっかく描いたマンガを立ち読みもしてもらえないまま、今日が終わってしまうよりは可哀想じゃないだろうと思うことにする。こういうのは、きっと目の前の売り手があまり積極的じゃないほうが立ち読みはしやすいだろう。

 俺も、とりあえずサクラになって読んでみることにする。

「読んでいいですか?」

「え……うん」

コミケに呼んでおいてそんなことはないと思うけれど、知人に読まれるのは恥ずかしいなんてこともあるかもしれないので、とりあえず確認。

 許可をもらって、目の前に積んである山の中から一冊抜き出して開く。

 ……。

 けっこう上手いな。描かない俺が言うのも偉そうだけど、絵柄は好みがあるものだが、少なくとも下手だったりしない。読みやすいし、背景も丁寧に描いてある。もちろんプロフェッショナルである三島(姉)には届かないが、読んでいて辛いほどじゃない。話もすいすいと頭の中に入ってくる。無理な設定もない。

 するすると読んで、ほんのりとしたフィナーレまで読み進む。

 なんというか、真面目なマンガだった。

 いや、別に難しいことが描いてあるわけじゃなくて、つくりが真面目だった。ちゃんとした絵が丁寧に描いてあって、起承転結がちゃんとあって、読みやすくて、ページ数なりのスケールのストーリーだった。

 読み終わると、肩越しに視線を感じて振り返るとみちる先輩が睨んでいた。いや。こっちを見ていた。睨んでいない。これがディフォルトである。

「お、おもしろかったです。本当に」

「ありがと……」

薄い感想に反応が返ってくる。言葉ほど薄くない反応だった。あのみちる先輩が頬をほころばせたのだ。目つきは相変わらずだけど、照れたような笑顔が不覚にもチャーミングだ。こういう笑顔をたまに見せたら、彼氏だってできるだろうと思うくらいには可愛い。

 つばめちゃんもコミケに来ると子供みたいな笑い方をするし、マンガを描いている女性がコミケに来るのは可愛くなる魔法なのかもしれない。コミケでキュートに小悪魔しちゃえ♪とか女性誌で特集したら、ナメた装備で夏のコミケに来て死者続出だと思うけどね。

 

 午後四時。拍手で始まったコミケ二日目が拍手で終わる。

 みちる先輩は、売れ残った本を大きいサイズのチラシで包んでまたカバンにしまう。なるほど。ある意味慣れてる。これは楽チンだ。チラシに包んできて、チラシに包んで帰ればいいんだからな。

 結局、売れたのは三冊。そのうち、一冊は俺が買った。三百円で。

 ゆりかもめの駅もJRの駅も臨時バスも大混雑の大行列だ。さすがはコミケ。

「歩く?」

いつものつばめちゃんとのコミケだったら「御冗談を」というセリフしか出てこない発言がみちる先輩の口から飛び出す。

 今日の軽装なら、歩くのもありだな。

「そうしましょうか」

真夏にしては比較的涼しい気候の中、お台場のやたらに大きな道路をてくてくと歩く。だだっ広くて真っ直ぐな道路は変化が乏しくて、歩いても歩いても進んだ感じがしない。

「自分が小さくなったみたいな気がしますね」

「うん。まどろっこしくて走りたくなる」

走り始めたら、三分で息が上がるだろう。そのくらい運動不足だ。

 大きな橋を渡る。右側に物理的にも物件的にも高そうなタワーマンションがどーんどーんと建っている。橋の下の水は、川じゃなくて東京湾そのもの。海を渡る橋というのは、川を渡る橋よりも少しだけSFっぽい。「空を渡る橋」とかSFのタイトルにありそうよな。

 あと二つくらい橋を超えたところが築地だ。築地って、港に近かったから魚市場とかあったんだよな。たしか。

「あっちもこっちも、全部海だったとかすごいよな」

みちる先輩の声が隣から聞こえる。俺と同じことを思っていたらしい。

「どうやって作ったんでしょうね。埋め立てたんでしょうけど……」

「うん……海だったころって、どうだったんだろ」

「そりゃ、海でしょ。一面の大海原ってほどじゃないでしょうけど、海の真ん中」

海だったころは、わりと簡単に想像がつく。イメージにディテールが要らない。一面、青い海。

 でも、目の前がすぐに海な築地は想像がつかない。銀座のあたりだよな。

 てくてくと海風に吹かれながら歩く。潮の香りがして、コミケ帰りなのに海岸通りを散策しているみたいだ。気づきづらいが、コミケは海のど真ん中で開催されているのだ。ちなみに明日は触手の日である。海っぽい。

 おお。そうだ。触手神さんの本を買いに行こう。十八歳以上だし!

 触手の良さが最近分かってきた。次に生まれ変わるなら触手モンスターに生まれ変わるのもいい。美沙ちゃんのペットの触手モンスターになりたい。

「なおと……?」

不意に隣を歩くみちる先輩が眉間にしわを寄せて、不審そうな表情を向けてくる。

「え?声に出てました?」

「いや……出ていないけど、ただならぬオーラは出てた」

みちる先輩もニュータイプで人の革新なのか。

「なんでもないです」

ただの触手です。触手と美沙ちゃんのことを考えていただけです。もう少し具体的には触手(俺)×美沙ちゃんのことを考えていた。

「なおと…あのさ」

「はい」

海からの風と道路の騒音にかき消されないように、みちる先輩がすぐ近くまで寄ってきて話す。

「私の漫画どうだった」

「面白かったです」

小学生並みの感想。

「……もう少し、具体的には…えーと」

あわてて言葉を継ぐ。みちる先輩の三白眼がいつもよりも真剣で真摯な目で俺を見る。

「売っている漫画みたいでした。本屋で」

「本屋で?商業誌ってこと?」

商業誌っていうのか……同人誌との対比でってことだな。

「んー。そこまでちゃんとしてないんだけど……」

商業誌って言葉を出されると、少し違う気もする。本屋さんで売っている漫画はもっと安定感がある。うまくいえないけれど、みちる先輩の漫画が本屋に売っていたら、あれでもやっぱり雑な漫画だと思ってしまうだろう。

 それでもコミケでたくさん売っている同人誌と比べると、やっぱり『本屋で売っているみたいな』本だなと思ったのだ。

 それをどういう言葉で言ったものか頭をひねる。

 鉛筆で描いたものをコピーして束ねたみたいな本がたくさん売っている同人誌の標準から見たら『雑』という表現は当たらないだろう。

 みちる先輩の目を見ると、不用意なことは言えないことがわかる。みちる先輩らしからぬ真剣さだ。この真剣さでネガティブモードに入られると、永代橋からダイブしかねない。さっきの『ちゃんとしてない』なんて言い方で、すでに目がすがめられている。

「うーん」

腕を組んで、永代橋を渡りながら考える。うまい言い方と、正確な言い方を考える。

「文芸誌みたいでした」

永代橋を渡りきって、築地に足を踏み入れたあたりでようやく正確さの尻尾を捕まえたみたいな言葉を見つける。

「文芸?」

三白眼の中の瞳が少し大きくなる。また足元に視線が落ちる。

「そっか……文芸か……なるほど」

つぶやくようにみちる先輩が言って、黙る。

 

 そのまま無言で歩く。東銀座の駅から、地下鉄に乗ることにする。

 

「うちに来る?夕食くらいご馳走するよ」

地元の駅の改札で、ずっと無言だったみちる先輩が口を開く。

「遠慮しておきます。実は明日も手伝いなんですよ。コミケの」

「あ、そうなんだ。えと……」

みちる先輩がクレイジーなことを言い出す前に帰ろう。このパターンだとみちる先輩はすぐにまた別のお礼を言い出すので、その前に逃げねばならん。

「じゃあ、そういうわけなんで!それじゃ!」

「あ……」

ぱっと手を挙げて、挨拶してオサラバ。てってけ早足で自宅に向かう。実際、二日連続のコミケでへとへとなのも事実なので、早く寝たい。

 少し冷たかったかなと心の中でだけみちる先輩に謝って、自宅へと急ぐ。

 夕食を食べて、シャワーを浴びて自室に戻ると携帯電話にメールの着信があった。開くと、みちる先輩からだった。

《今日はありがとう。すごく楽しかったです。》

メールだと、ずいぶんと印象が違うなと思いつつ。

《今日はご馳走様でした。おやすみなさい》

と返信して、ベッドに潜り込んだ。明かりを消して、ベッドサイドのスタンドを点ける。寝る前に、今日みちる先輩から買った同人誌をもう一度読んでみた。

 

 文芸誌みたいな本だ。

 やっぱり、そう思った。

 

 翌日。朝、五時三十分。つばめちゃんのマンション。コミケ三日目出動の朝。

 やっぱり、これはおかしかったのだ。そう思う。

 一昨日の三島(姉)先生の女性向け同人誌スペースも、昨日のみちる先輩の創作同人誌スペースも、こんなことにはなったいなかった。

 今まで、コミケってつばめちゃんの手伝いでしか行ったことがなかったから、違和感を感じていなかったけど、これはやはりおかしかったのだ。マンションの廊下でギシギシと台車が抗議の呻きをあげる。二十種類近い同人誌を各三十冊。合計六百冊が台車の上のダンボールに詰まっている。

 これを台車に乗せて、電車で三時間近い距離にある東京ビッグサイトまで移動するのだ。

 一瞬、宅急便を使えばいいのに……と思って、そうだった、今日の俺はその宅急便の代わりなのだと思いなおす。宅急便代くらいはバイト代も貰う。

 ちゃんと働かねばな。

 そう思って、ギシギシと台車を押す。

 いつもよりもナチュラルなメイクに、ノースリーブのワンピースと大き目のつばの帽子を被った美人の隣で段ボール箱満載の台車を押す大学生は、外からはどう見えるのだろう……。幸い、この時間では街には誰もいない。

「今日は、少し涼しくてよかったわね」

「そうですね」

ギシギシ。

「今回はけっこうページ数たくさん描いたのよ」

「なんだと?」

つばめちゃんのコミケは、往路よりも復路の方が荷物が重いのだ。印刷屋さんが会場に直接届けた分を持って帰ってくるからだ。

 つまり、今押している百キロに達しているんじゃないかと思う量の同人誌に加えて、さらに箱が一箱……下手したら二箱増えるのだ。

「つばめちゃん……」

「なぁに?」

二十九歳と三十六ヶ月め。かわいいしぐさするな。本当に少し可愛いから困る。

「マンションの床抜けるよ」

「実は、少しそれを心配しているわ」

実際マンションの床が抜けるとどうなるのか分からないけど、たぶん下の階の部屋の天井まで突き抜けるようなつくりにはなっていないと思う。万が一そんなことになったら目も当てられないだろうな。上の階から、エロ同人誌が降り注ぐのだ。

 ……………。

 ちょっと見て見たい。

「『マンションの床をブチ抜いた美人教師が描いた同人誌のすごい中身』っていう週刊誌の見出しが目に浮かぶ」

「ひっ!」

かわいい笑顔を作っていたつばめちゃんの顔がひきつる。

「そ、それはさすがにマズいわ!終わるわ!」

ようやくヤバさに気づいたか……。というか、高校の教師でエロ同人誌を描いているという時点でけっこうな勇者だ。でも、つばめちゃんは女性で助かっているな。これが男性高校教師がエロ同人誌を描いていて、昼間は女子生徒に勉強を教えていたりしたら、法には触れていないがアウトだと思う。女性って得だな。とくに美人は。

「なおくん!どうしよう!」

「いや、まだ床抜けてないし」

「抜けたらどうしよう!」

「抜けないようにしましょう」

「いっぱい売ってね!」

「無茶言うな」

コミケで売れる売れないは営業努力じゃどうにもなんないと思う。マーケティングとかは効くかもしれないけど、営業はあんまり効果ないと思う。

 都内の電車が混み始めるところまでは電車で行って、そこからはいつものようにタクシーに乗る。ダンボールをたくさんトランクに積んだタクシーが、リアサスペンションを思い切り沈み込ませて上を向きながらビッグサイトに向かう。

 ビッグサイトに到着すると、ギシギシ悲鳴を上げる台車が珍しくなくなるから驚きだ。

 この夏三日目のコミケが始まる。足元と、椅子の下と机の上にみっちりとエロ同人誌。ちょっと肩の触れる距離にノースリーブのつばめちゃんだ。風が吹くと、生ぬるさの中にふんわりとシャンプーの匂いがする。真奈美さんといるときも、美沙ちゃんといるときも、妹といるときもお兄ちゃんしている俺が、つばめちゃんにお姉ちゃんを感じる。なんだか安らぐ。お姉ちゃんというものがいたら、こんな感じなのだろう。

 ……お姉ちゃーんって言って抱きついたらどうなるのかな?などと、デンジャラスな発想が一瞬浮かぶ。真奈美さんがしょっちゅう俺にお兄ちゃーんとか言って抱きつくからだ。真奈美さんが俺にそれをするのはアリだが、俺がつばめちゃんにやったら犯罪である。

 女性はなんだかんだと言って得である。

 真奈美さんにやればいいのか……。やったら後に引けないな。あと、美沙ちゃんにすりおろされる。

 

「よ。なおと……」

お昼を過ぎて、少し経ったころに目の前にみちる先輩が現れた。運の悪いことに、つばめちゃんは買い物に出てしまっていて俺一人で店番をしているタイミングだった。

 みちる先輩の三白眼がスペースの机の上に落ちる。

 今日の新刊はオークが主役だ。ヒロインはハイエルフである。登場人物はすべて十八歳以上である。ヒロインのエルフは百十六歳である。けっして十六歳ではない。

「俺が描いたんじゃないですよ。こんなに上手に描けません」

「うん。見せてね」

俺の言葉を信じたのか信じないのか、みちる先輩の手が今日の新刊を手に取る。

「……うまいじゃん。隠すことないのに」

「違います。本当に俺じゃないんです」

「なおと、優しそうに見えて縛ったりするの好きなんだな」

信じてもらえてない。

 そこにつばめちゃんが帰ってきてくれる。

「ほら、先輩。こっちが作者ですよ」

「よろしくー」

つばめちゃんがにっこりと微笑んで、みちる先輩に愛嬌をふりまく。しっとりとした大人と子供っぽさの交じり合った人懐っこい笑みだ。

「……」

みちる先輩の三白眼がつばめちゃん→俺→つばめちゃん→エロ同人誌(つばめちゃん著)→俺と動く。

 だめだ。

 信じてもらえていない。先輩の脳内で、つばめちゃんの外見(上品で薄化粧な美人)とマンガの内容(オーク×エルフ)が繋がってない。

 しかたなく、カバンからスケッチブックを取り出す。

「つばめちゃん。オーク×エルフ描いて!」

「いいわよ」

まさに安請け合いして、つばめちゃんが俺からスケッチブックを受け取ると、シャープペンを取り出してアタリを取り始める。

 スペースの前で立ち止まっている先輩の目が本から外れて、つばめちゃんの手元を注目する。スケッチブックに、くっころ感(「くっ!殺せ!」感のこと)満点の絵が出来上がっていく。どうだ。

「……全種類、売ってよ」

「え?」

「えぇっ!?」

俺とつばめちゃんの声がハモる。

「つばめちゃんが驚いてどうするのさ」

描いた本人くらいは自分の描いたマンガが売れて驚かないで欲しい。

「あの……先輩。全部って、こっちのバックナンバーも?」

「うん」

まじか、この人。過去二年ほどつばめちゃんのスペースを手伝わせてもらっているが、全部買う人とか初めて見たよ。

「えと、これが五百円で……」

動揺する国語教師が足し算を間違える前に、カバンのポケットからガラケーを取り出す。ガラケーでも電卓くらいはついているのだ。

「うわぁ……一万円丁度です」

計算結果に軽く怯えながら値段を知らせる。

「ん……」

迷いなく、オーバーオールのポケットから一万円札が出てくる。

「イチマンエンはいりまーす」

ファーストフードみたいになったぞ。

 このくらいの束になると、むき出しで渡すのが忍びない。紙袋にでも入れられるといいんだけど、残念ながらそんな洒落たものはない。

「き、気に入ってくれたんですか?」

珍しく、つばめちゃんが冷静さを欠いた調子で先輩にたずねる。

「うん……なんか楽しそう」

「あ……そうね。描いてる間は、すごく楽しいです」

ふんわりとした笑顔がつばめちゃんの顔に浮かぶ。二十九歳と三十六ヶ月。二十九歳と三十六ヶ月。そう自分に言い聞かせないと、軽くどきどきしてしまうくらいイノセントな笑顔だ。

「そっか……コツは、なに?」

相変わらず不機嫌そうな表情のみちる先輩が、手にした同人誌の表紙に目を落としてつぶやく。人と話すときは、相手の目を見ましょうね。先輩。

「コツ?さぁ?自分の好きなことをしているときは、楽しいでしょ」

「……描くのは、私も好きなんだけど。描いてて泣きたくなることが多いな」

「そう?私には、よくわからないけど」

つばめちゃんとみちる先輩のやり取りを聞きながら、昨日と同じ感想を思う。みちる先輩のマンガは文芸なのだ。身を削るようにして、小説を書く明治時代の文豪たちと変わらないのだ。

「先輩」

「なに?なおと」

気がつくと、口を開いていた。

「先輩は、それでいいんだと思います。みちる先輩と先輩のマンガに合っていると思います」

文豪と文芸。それをキーワードにして、俺の中でみちる先輩が形を作っていく。世間と家族と自分の間でもがくようにしながら、漫画だけは描き続けている。変な人だと思っていたけれど、文豪だと思えば実に典型的なのだ。この人は。

 作品が理解されないところも文豪っぽい。けっしてつまらないわけではないけれど、誰もが好き好んで読むようなマンガでもなかった。

「……うん。ありがと。じゃあ、邪魔したな」

そう言って、ずしりと重そうな同人誌の束をカバンに入れてみちる先輩が人ごみの中に消えていく。

「今の人は、なおくんの大学の人?」

「ええ。長崎みちる先輩って言って、創作マンガ描いています。実は先輩の手伝いで、昨日も来てたんですよ」

「あ。そうなんだ……なんだか……」

そこまで言って、つばめちゃんの言葉が詰まる。

「なんだか、なおくんって意外と女の子キラーなのかしら」

「みちる先輩は単純にクレイジーなだけです」

そのまま『胸揉めよ!』とか要求してくることとか話してしまいそうになったが、事実でもみちる先輩に悪い気がして、ぼんやりとした表現にとどめる。クレイジーという単語が柔らかい表現かどうかはわからないけど。

「素直な子なのね」

すっと目を細めるつばめちゃんが、一瞬だけ佐々木先生の顔に戻る。子供の俺たちを優しく見守る大人の佐々木先生と、マンガを楽しく描く子供のつばめちゃんが同居する。

「素直なんですかね。みちる先輩は素直というか、文豪的な方向でねじれていると思います」

「なおくんに、そんなに観察してもらえるなんて少し妬けちゃうわ」

会話の流れがわからない。なぜ、みちる先輩が素直じゃなくてクレイジーでねじれているという話を、二十九歳と三十六ヶ月のつばめちゃんとしていたのに妬かれてしまうのだ。

「なんで?」

「少し妬けるのは、少し好きだからよ」

はい?

 こっちの心の動揺を見透かしたようにつばめちゃんがくすくすと笑う。

「動揺しちゃって、かわいい。少しよ。少しだけ好きよ」

年上に遊ばれている。くっそー。二十九歳と三十六ヶ月にからかわれたって、どきどきしない。ど、どきどきなんてしていないんだからねっ!(←してる)

 そこに、触手神さんがやってくる。

「どーも。もう少ししたら、今日は少し早めに上がってしまうんで、その前にもう一度挨拶をと思って来ました」

触手神さんの今日の新刊は、午前中の早いうちに買ってしまっているのだけど、まだ読んでいない。感想を伝えられればよかったのだけど、やはりエロ同人誌は家族の寝静まった夜に一人で開いてこその真価だと思うのだ。

 ちなみに新刊タイトルは「触手の王子様」だ。「触手の神さま」「触手の仏さま」の次は「触手の王子様」だった。

 触手神さん、センスいいよな。洗練されている。同意を求めづらいセンスのよさだ。

「じゃあ、またメールで」

「そうですね。メールで……あ、二宮さんもよかったら感想メールください」

「あ、はい」

そう言って、ぺこぺこと頭を下げながら触手神さんが去っていく。

「あれから、けっこうメールのやり取りをしてるのよ。さわりさん、メールの文面も几帳面でちゃんとした日本語でいいわ」

そう言って、つばめちゃんがまた笑う。コミケのときのつばめちゃんは笑顔が絶えない。たとえ半年かけて描いたマンガが、ほとんど売れなくても笑顔が絶えない。普段の優しくてきっちりした教師の仮面を脱ぎ捨てて、子供に返ったような笑顔を見せる。

 

 売れないということは、帰りも百キロオーバーの台車なわけである。

 俺は復路も筋肉という意味で男らしさを要求されて、ミシミシキーキーと音を立てる台車を押す。タクシーが空に向かってリフトオフするレベルで上を向きながら、少し離れた駅まで走る。バリアフリーは人道的である。本来は車椅子用であろうエレベーターを最大限に利用して駅から電車内に超重量級の台車を持ち込む。

「はい。ポカリどーぞ」

行きよりも帰りの台車が重くなっても、つばめちゃんは相変わらずの笑顔だ。幸せいっぱいだ。電車の中で、ひととき筋肉を休ませてポカリ燃料を補給する。つばめちゃんのマンションの最寄り駅に到着してからが本番だ。ここからずーっと上り坂なのだ。だが、この重さになると実は下りよりも登りのほうが楽だ。本当のことだ。

 むぐっ!ふぬっ!ふぉっ!

 台車を押し上げる。気分はピラミッドを建造した人と同じである。ファラオの方じゃない。建設した人のほうだ。道路の段差を乗り越えるたびに、べきっがきっという音が台車から聞こえる。

 汗だくになりながらマンションに到着する。

 最後の一仕事。抗議の声をあげる筋肉に鞭打って、玄関から一箱ずつ奥に運ぶ。床はまだ抜けない。まだ、抜けていない。

「ぶへーっ」

 箱を運びきって、台車を畳んで自分はカーペットの上に伸びる。

 つばめちゃんの部屋は、甘い匂いに混じって同人誌の印刷のにおいがする。

「おつかれさま」

カーペットの上に転がる俺の横につばめちゃんが座る。

 見上げると、前かがみになったつばめちゃんの胸が視界に入る。その向こうに優しげで楽しそうな瞳が見える。

 うーむ。二十九歳と三十六ヶ月でも美人だ。

「ご飯……」

薄い桜色のルージュを引いた唇が柔らかく微笑む。

「たべていくでしょ?」

うなずいていいものか、迷う。そして気づく。いつものパターンじゃないか。コミケを手伝って、つばめちゃんの家まで荷物を運んで夕食をご馳走になる。つばめちゃんは年に二回だけのワインを飲む。うなずくことを迷わせた感情の正体を捕まえる前に、つばめちゃんが電話でピザを注文し始める。ハーフ&ハーフ。

「シャワー浴びてくるわね。ピザ屋さん来たら、払っておいて」

そう言って、カバンの中の売り上げ箱を机の上に置く。いくらつばめちゃんの本が売れないと言っても、ピザ代くらいは売れる。今日はみちる先輩も買ってくれたしな。

 さっきの感情は、そのせいかなと思う。

 昨日みちる先輩に夕食に誘われて断って、今日みちる先輩が同人誌を買った売り上げでつばめちゃんとピザを食べる。微かな罪悪感。

 ドアの向こうでシャワーの水音がする。

 さっきの感情は、こっちかもしれないなと思う。

 女性の一人暮らしの部屋に上がりこんで、二人きりでピザを食べる。冷静に考えたら、「健康な男女が、なにもないわけがない」という状態かもしれない。なにもないよ。なんですぐそうなるんだよ。なにもないわけがないばかりじゃないだろ。

 でもドアを二枚ほど隔てた向こうで、つばめちゃんが全裸になっているのかと思うと健康な男子は少しは想像してしまうのは当然。以前、一度つばめちゃんのバスタオル巻きも見ている俺の脳はかなりの解像度でレンダリングする。テクスチャまでばっちりである。

 呼び鈴が鳴って、ピザが届く。言われたとおり、売り上げからピザ代を抜いて支払う。ドアが閉まったところに、丁度シャワーを終えたつばめちゃんが出てくる。水色のキャミソールに包まれたつばめちゃんは、いい匂いがする。シャンプーの匂い。

「おつかれさまー」

コーラとワインで乾杯。

 ピザをコーラで流し込むという、最高にジャンクな夕食。隣では、つばめちゃんがけっこうなペースでワインを飲んでいる。真夏に外出して、汗だくで帰宅して、シャワーを浴びてのワインだ。しかも半年に一度のワイン。

 あっという間につばめちゃんの頬に朱がさして、目がとろんとする。大丈夫かな。これ以上飲ませない方がいいかもしれない。

「なっおくぅーん」

わぁっ。抱きつかれた。

「ちょっ、つ、つばめちゃん?」

ぎゅうぎゅう抱きつかれたまま、ソファの上に押し倒される。

「もう先生と生徒じゃないもーん」

もーん、じゃない。

「せ、先生と生徒じゃなかったら?なんなの?」

「男と女ですぅ」

「いやいやいやいや。そ、それはそうかもしれないけど、恋人同士とかじゃないですよね!」酔った二十九歳と三十六ヶ月(処女)に抱きつかれて、このままイベントシーンに突入するのはマズい。変なルートに入るから。(エロゲ脳)

「ちがうと、抱きついちゃだめ?」

「だめでしょ。ふつう」

「市瀬さんは抱きついてるじゃない?」

「真奈美さんは別で!」

「特別扱いずるーい」

ぎゅう。押し付けられる胸が柔らかすぎる。ノーブラだ!いいね!グッド!ヤバイ!本当にヤバイよ。特に、そんな風に首筋とか舐められたらまずい。なにしてんの、この人(理性)。気持ちいい(本能)!

「なおくんならーサービスしてあげちゃうー」

「だめですぅー。もっと自分を大切にしてください」

「年下のくせに生意気なのよー。自分を大切にしてたら、キスもしないままにこの年齢だよー。賞味期限どころか、消費期限切れて廃棄処分まっしぐらだよー。半額セール。処女膜つき!なおくんの肌おいしー」

ぺろぺろぺろぺろ。首筋舐めすぎだ。気持ちいい。ちがう。この酔っ払いはなにをするのだ。お前は真奈美さんか!舐めんじゃねー(物理で)。

「いやいやいやいや。待って!大丈夫!つばめちゃん、まだまだまだまだイケてるから!あわてない!」

「あわてるわー。このアホがー。私、何歳だとおもってんじゃー」

「二十九歳と三十六ヶ月!」

「そういうのを三十二歳って言うのよー。あほー。もー完全に消費期限過ぎてるわー。」

「切れてない!大丈夫!」

「まじで?」

「マジで」

ウソじゃない。近づいてよく見れば、肌のきめとかは妹や美沙ちゃんと比べたら、そりゃあ少しばかりざらついた感じがあるけど、大学のキャンパスを歩いている女子大生と比べたら遜色がないどころか、むしろつばめちゃんの方がきれいだ。

「じゃあご賞味くだされー」

「それは無理!落ち着いて!」

気持ちよさを鉄の意志で振り切って、つばめちゃんを押し剥がす。

「じゃあ抱きつかないから、くっついてていい?」

「そ、そのくらいなら」

二十九歳と三十六ヶ月の上目遣いに負けた。

「んふふー。ありがとー」

ソファの上にようやく起き上がった俺の膝の上に上体を投げ出して、ピザに手を伸ばすつばめちゃん。緩みきったつばめちゃんの体重と体温がジーンズを通して伝わってくる。膝の上で仰向けになったつばめちゃんの胸部にちらちらと視線が行きそうになるのをぐっと堪える。

 つばめちゃんが落ち着いたので、こっちも残りのピザに手を伸ばす。膝の上のつばめちゃんにピザをこぼさないように注意しながらアンチョビピザを食べる。

「なおくんはー。市瀬姉妹のどっちと付き合うの?」

ひざの上から撃ち込まれた不意打ちの質問に、どきりとする。

「ど……どっちかなの?」

「美沙ちゃん、すごい成績あがってるわよー。それでね。褒めたらなんかものすごいノロケられちゃったわー。なおくん、お勉強見てあげてるんだって?美少女って得よねー」

美少女が得なのには同意する。

「つばめちゃんは、高校時代美少女じゃなかったの?」

「さぁ?どうだったかなー」

俺の見立てでは、美少女だったはずだ。片鱗が垣間見える。今も美少女の痕跡を探せば、あちこちに見える。鼻筋の通った顔立ちとか、笑うと細くなる二重瞼の瞳とか。

 その顔が急に近づいて、キスしそうになってあわてて避ける。

「よけらりたったったー」

ひらひらと笑いながら、立ち上がってふすまの向こうの部屋につばめちゃんが消えて行く。なんなんだ、あの人。

 しばらくすると、ふすまが開いてつばめちゃんが戻ってくる。セーラー服着用で。

 なにがどうなっているのか……。アルコールで簡単に理性が飛びすぎだろ。

「どおー。美少女ぉー?」

完全に間違っているぞ。俺はつばめちゃんが高校生だった十五年前の話をしていたわけであって、高校生のコスプレをしたつばめちゃんの話をしていたわけではないのだ。

 しかし間違いとはいえ、遠目には十分女子高生に見える。しかも、現役にも十分対抗できる。生足であっても。

「美少女です(ただし距離五メートルまでは)」

「やったぁー」

ぴょんぴょん跳ねるな。かわいいぞ。セーラー服着用の酔っ払った二十九歳と三十六ヶ月の美人さんが隣に座る。

 セーラー服着用の三十代前半が隣に座る。中年オヤジなら、この状態に対価を払うほどである。さすがに俺にはまだ理解できない。対価を払わないと、隣に座ってもらえない自分を思うと死にたくならないのか?中年男性たちは……。

「つばめちゃん、これ着てなおくんとお買い物に行きたいわー。ファンシーな文房具とか買いたいわー」

「学校の生徒に見られたら、死にますよ」

「現実こわいー。ひきこもりたいー」

「真奈美さんを見習ってください」

「なおくんが一緒じゃなきゃ学校行かないー」

真奈美さんの偉大さをナメるな、この二十九歳と三十六ヶ月め。

「真奈美さんも、一人で仕事に行ってますよ」

「知ってるー」

「知ってたの?」

「美沙ちゃんの方から聞いたわー。この不景気にホワイト職場斡旋とか、なおくん有能すぎー。ハロワとカウンセリング無能すぎーしねよ」

「じゃあ、つばめちゃんも一人で仕事行こうねー」

「ちゅうしてくれたら行くー」

「バカっぷる」

「わーい。カップルだー」

「カップルじゃないよ」

「ってことは『バ』ってことか。ババァ扱いかー、泣くぞー」

頭の回転が面倒くさい方向に速くて困るのである。そうやって年齢アピールしなきゃ、セーラー服を着たまま、ワインをぐびぐび飲んでいるのが犯罪に見えるくらいではあるのでもったいない。

「あははははは。なおくんといるの超楽しい!」

「おもしろい?」

「なにも飾らなくていいの超楽しいー。めんどくさいこといわないしー。ゲームしよーぜー」

そう言って、また隣の部屋へよたよたと消えて行くつばめちゃん。酔いが回りすぎて、まっすぐ歩けてない。大丈夫だろうか。そして、ノートブックパソコンを抱えて戻ってくる。ノートブックとは名ばかりの十八インチディスプレイ装備のやつだ。

「なおくん、なんか買ってたじゃんー。同人ソフトー」

「わぁっ!」

つばめちゃんが、俺のディバッグを勝手に漁って中からCDケースを取り出す。

「おー。《オークvsエルフ魔女学園6》ステキなタイトルねー」

今、ここに《オークvsエルフ魔女学園6》を去年までの教え子と一緒にプレイしようとしている美人教師がいるよ。

「…………」

どうやらつばめちゃんも、うちの妹と同じタイプの人だ……。俺は、妹のことを飛びぬけてクレイジーだと思っていたんだが、実は意外と多いのか?エロゲ好きな女の子って?

 あいつ、意外とまともなのか?

 世界のクレイジーさを知って、妹の評価が相対的に上がっていく。

 そんなことを考えているうちに、インストールが終わってしまい、オークがエルフ魔女学園に攻撃を仕掛け始めている。

 どうやらシュミレーション仕立てのエロゲーだ。

 自分はオークの首領になって、エルフたちの通う魔法学園をオーク軍団を操って陥落させるゲームだ。陥落させると陥堕させるゲームが始まる。分かる人には分かる説明だ。

「んー。どうやるんだろ?これ?いーか、適当で……」

適当に、オーク小隊を学校正門に突撃させるつばめちゃん。オークの首領に「なおくん」とか名前をつけている。なにをするんだ。貴様。人の名前をずいぶん気軽にオークにしてくれるじゃあないか。

「あ。なおくん、死んだ」

エルフもバカじゃない。あっという間に前後左右から挟み撃ちにあって、孤立したオーク小隊が魔法の十字砲火を浴びて死ぬ。

 画面が暗転してCGがフェードインしてくる。

『エルフ:さんざん舐めたことしてくれたじゃない』

『エルフB:ねー。おねーさまー。このオーク、生意気にチ○コ勃ててるよー。』

『エルフC:縛られて勃てるとか、呆れたヘンタイね。さすがオーク。ヘンタイだわ』

『エルフD:ほらほら、ブーツで踏まれて気持ちいいんだろ。ぶひぶひ鳴いてみな』

あれ?負けるのが正解なのか。このゲーム……。

「あーん。わたしのなおくんが犯されるぅ……ぐぬぬ。このエルフゆるさん!」

私のじゃないし、オークはつばめちゃんの間抜けな戦略の被害者であるし。

 画面が戦略画面に戻る。

 つばめちゃんが反省せずに「なおくん2」というオークを作成して、再びエルフに戦いを挑む。今度は、部隊を二つに別けた。なおくん2が正門に正面攻撃を仕掛けて、周囲をエルフに囲まれたところで、なおくん3がエルフの背後から襲い掛かる。

「いけー。なおくん3、おかせー」

なおくん2を取り囲んでいたエルフ軍団の背後から襲い掛かったオーク軍団が、エルフ軍団を弱体化させたところで、虫の息だったなおくん2も攻撃に加わって、なんとか正門付近の陣地を勝ち取る。

 画面が暗転して、CGがフェードインしてくる。

『エルフA:くっ、殺せ!』

『なおくん2:ぶひひっ。心配せずとも、俺様の○○○で昇天させてやる。ブヒブヒ』

負けるとエルフがオークとセックス。勝つとオークがエルフとセックス。そういうゲームだった。すばらしいな。

 ピザの残りを平らげながら、エロゲサウンドをBGMにすごしていると、いつしかつばめちゃんがカーペットの上で寝落ちしていた。

 まぁ、朝も早かったしな……。

 夏だし、エアコンさえ止めておけば体調を崩したりすることはなさそうだけど、腰とかは痛くしそうな姿勢で寝ている。

「あっちの部屋が寝室だったよな……」

つばめちゃんの両脇に手を差し入れて、ずるずると引っ張る。お姫様抱っことかファンタジーだ。あんな重たい持ち方できない。

 ずるずると引きずって寝室のベッドまで運び、最後だけがんばってベッドの上に持ち上げる。

 とつぜんつばめちゃんの両腕が俺の首に回される。

「お姫様だっこ。してくれないんだ」

「起きてるなら、自分で動いてください」

「お姫様抱っこの最後のチャンスかもしれなかったんだもん」

半分閉じた瞳が悪戯っぽく笑う。今

「ね。なおくん」

「なに?」

「真奈美ちゃんとつきあわないの?」

「……えと…」

困った質問をされた。できれば、うやむやにしておきたい臆病な俺がまたつるし上げられる。

「私のわがままを言えば、私とつきあってくれないなら、真奈美ちゃんとつきあってほしいわ。美沙ちゃんじゃなくて……」

「なんで、つばめちゃんが?」

「だって……美沙ちゃんとなおくんがつきあったら、きっとこんな日はもうないでしょう?」

ああ……そういうことか。

 それはそうだと思う。美沙ちゃんは俺を独占しようとするだろう。もし、美沙ちゃんと付き合ったら。美沙ちゃんがいて、美沙ちゃんの姉の真奈美さんがいることはあるだろう。美沙ちゃんがいて、俺の妹の真菜がいることもあるだろう。だけど、こうやってつばめちゃんのマンションでコミケの後にひっそりとふたりだけの打ち上げをするなんてのは、いくら浮気してないよと言っても美沙ちゃんは許してくれないだろう。だけど、それを言うならこっちだけじゃない。

「つばめちゃんが結婚しても、もうないと思う」

「そうね。あと何回、こうやってなおくんとコミケの打ち上げできるかな」

「年に二回だもんね」

「今日も最高に幸せだったわ」

「俺も……楽しかった」

互いの吐息がかかるほどの距離で、そうつぶやきあって笑った。

「鍵は、外から閉めて郵便受けに入れておくから」

返事の代わりに寝息が返ってきた。

 最終電車に乗って、自宅に帰る。

 疲れた……。

 コミケ三日間フル参加なんてするもんじゃない。

 

(つづく)


 
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