『帝記・北郷:十七~忠烈汜水関・参~』
「退け!!柴桑城まで退却せよ!!」
轟く馬蹄の響きや軍靴の音に混ざり、龍志の下知が飛ぶ。
言われるまでもなく、呉兵達は我先にと城めがけて駆けて行く。
後方で敵の追撃をいなしながら撤退の援護をしているのは龍志率いる騎兵五十騎。
そうたったの五十騎。
彼等の後ろからは二千程の騎馬隊が凄まじい速さで追いかけてきている。
「くそ…しくじった」
忌々しげに吐き捨てて、龍志は太刀を片手に飛来する矢を叩き落とした。
城から城兵は撃って出まい、出ても物の数ではない。
兵の数と勢いに自信を持つ敵兵の油断を付く龍志の策は当たりを治めた。
先鋒の関羽隊は数少ない騎兵を巧みに使った龍志の戦法で攪乱され撤退に追い込まれた。
その戦法とは車懸の戦法の変形と言っていい。
車懸の戦法、もしくは陣とは第四次川中島の戦いで上杉軍が使用したことで有名な、車輪を回すように(実際に奇麗な円周軌道を行くわけではないが)次々と部隊を繰り出す戦術である。
この車懸の利点を二つ程あげるならば、一つは断続的な攻撃で敵を疲弊させること、もう一つは前方の自軍が離脱する際にそれを追いかけた敵を側面から攻撃できることがある。
必然的にこの戦法は機動力が必要とされるため騎兵向きなのだが、龍志はそれに歩兵を織り交ぜた。
歩兵が混ざったことで回転数は鈍くなる、しかし釣り上げた部隊を側面から叩くならば制圧力に優れる歩兵の方が適している。
結果、釣り上げた敵を次々と各個撃破するという龍志の戦術に関羽隊は完膚無きまでに打ちのめされた。
無論。普通ならばこれだけで潰走に追い込まれるほど関羽は凡将ではない。しかし、劉備の事で冷静さを欠き、なおかつこのところの連勝で配下の兵に奢りが生まれていたのが決定打となったのである。
ここまでは良かった。
問題はここから、適度に追撃してから撤退しようと考えていた龍志の前に現れたのは、深紅の鎧に身を包んだ鉄騎兵の群れ。
それは龍志の警戒していた琥炎率いる連環馬軍であった。
そこから戦況は一変した。
連環馬とは文字通り馬同士を繋ぎ合わせたものであり使用目的により用法も色々とあるが、琥炎の得意とするのは人馬共に鉄の鎧で固めた騎兵を三十騎ずつ繋ぎ合わせたものである。
ただでさえ攻撃力、防御力に優れた鉄甲騎兵が群れを成して襲ってくるのである。その破壊力は計り知れない。
加えて琥炎は副将の韓季、彭桃にそれぞれ軽騎を率いさせて両翼に展開させている。
これは連環馬がその特性故に通常の騎兵よりも機動性に欠けることと側面からの攻撃に弱いことを補うものであり、追撃戦の為でもあった。
「敵将・龍志!お命頂戴!!」
「ちっ」
繰り出される彭桃の三尖刀を太刀の腹で受ける。
「こちらも忘れてもらっては困るぞ!!」
反対側からは韓季の金馬槊が襲いかかった。
太刀とその鞘で二人の攻撃を捌きながら、再び龍志は己の迂闊さを呪う。
連環馬への対策をしていなかったわけではない。騎兵には油の入ったソフトボール大の土瓶に投擲用の縄と火縄を付けたものを持たせていた。
刃も矢も通じない連環馬を炎で撃退するためである。
だが、龍志の予想を越えて連環馬の数は多かった。
斥候の報告から鑑みるに、旗差し物を伏せて中軍の中に潜伏していたのであろうが、それにしても数が多い。
結果、出撃した兵士の半数を失い龍志は撤退に追い込まれる。
「龍志さん。手を貸すわ!」
長い緋色の紐の結ばれた鉄扇を韓季めがけて投げつけながら揚羽が馬を飛ばしてくる。
「龍志!大丈夫か!?」
鉄脊蛇矛で彭桃の三尖刀を防ぎ、曼珠が龍志を庇うように立つ。
「二人共…ここは任せたぞ!!」
「はいは~い!」
「了解した」
韓季と彭桃を二人に任せ、龍志は後方から迫りくる圧倒的な殺気の持ち主へと対峙する。
並の人間ならば近付くだけで中てられ震えが止まらくなってしまいそうな殺気に、さしもの龍志も背中に冷たいものが流れるのを禁じ得ない。
「キイィィィィーーーーーーーーーーーー!!!」
奇声をあげながら襲いかかってきた二本の鉤鎌刀を太刀で捌き、龍志は声の主と馬を並べて駆ける。
相手は赤味のかかった黒髪を風に流し、真紅の瞳でニコリと微笑んだ。
「お疲れ様です龍志さん。まずは先立っての車懸、お見事でした」
「関羽隊を囮にしておきながらよく言う……」
「おや、お気づきでしたか」
「気付かないわけがないだろう……」
関羽隊の潰走。それを狙ったかのように現れた連環馬。
つまりの所、この戦は始めから龍志は琥炎の掌の上で踊らされていたのだ。
「ま、それはそれとして……楽しみましょう!!この邂逅、この剣劇、この刹那、この熱情!!ああ、ぞくぞくしてきましたよ!!徐福も北郷一刀も三国も関係ない!あなたと…闘り(おどり)たい!!あなたを殺りたい!!私の刃で凌辱したい!!貴方の刃をこの身に刻みたい!!」
興奮しながらも恐ろしい程の正確さで叩き込まれる鉤鎌刀。
刀身だけでなく柄の部分も鉄鞭のようになっており、まともに受けたのでは龍志の太刀など易々と折れてしまうだろう。
それをかわし、時折受け流しながら龍志は小さく溜息をついた。
「こうも易々と手玉に取られるとは…俺も引退する頃合なのかもな……」
「キィーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
所変わって司隷州汜水関。
汜水関に襲いかかる新魏軍。懸命に防衛する城兵。
そんな光景から少しだけ離れた戦場の片隅。
ここに四人の女が相対していた。
いや、正確には大身槍を持った女を残りの三人が包囲するように立っていた。
「はあああああ!!」
三人の内、背中に長い三つ編みを揺らした少女が裂帛の気合と共に女に蹴りを放つ。
「………」
女は無造作にそれを避けると、大身槍の柄を少女の脇腹に叩き込んだ。
「ぐが…」
「凪!?このぉ!!」
「ま、真桜ちゃん一人で突っ込んじゃダメなの!!」
少女・凪が吹き飛ばされるのを見た真桜は、螺旋槍を女めがけて渾身の力で突きだす。
「……ふっ」
ギャラララララララララ……
「な、なんやて!?」
目の前に光景に、真桜のみならず沙和と脇腹を押えながら身を起こした凪も言葉を失った。
回転する槍の一点。唯一動いていないその先端に、大身槍の先端が押しあてられていた。
それだけで真桜は身動きが取れなくなる。
押し切ろうとすれば支点をずらされ、引けば間合いを詰められる。
ピシッ
螺旋槍の付け根から嫌な音がした。
緻密な絡繰を施している分、通常の槍よりもその強度は劣っている。
「く…えやあああああああ!!」
親友の危機を救うべく二刀を構えて女に襲いかかる沙和。
「…………」
その視界がひっくり返る。
一瞬何が起こったのか解らなかった沙和は頬に当たる地面の感触により、自分が地面に蹴り飛ばされたのだと言う事を悟った。
「う、嘘やろ…」
「ありえん……」
他の二人も文字通りありえないといった表情で、ただ目の前の光景に戦慄する。
女は襲いかかる沙和の胴を蹴り抜いた。
その速度も恐るべきものであったが、それ以上に二人を恐怖させたのはむしろ槍の方だ。
片足を地面から離し、対象物にぶつける。
単純なようでバランスの問われるこの動作をしながらも、女の槍は微動だにしていなかった。
そう、女は真桜の槍の先端に己の槍の先端を当てたまま沙和を蹴り飛ばしたのだ。
なんという神技、なんという武才。
「痛て…」
苦痛に顔を歪めながら立ちあがる沙和に凪が駆け寄る。
「どうしてや…」
思わず漏らした真桜の槍が遂に不可に耐えかねて、その身を折った。
咄嗟に後ろに飛ぶ真桜。
だが、女はそれを上回る速さで真桜に迫り彼女の心臓めがけて槍を突き出した。
迫りくる死の感覚から逃れようとしたのかはたまた全くの偶然かは解らないが、その時真桜は思わず女の顔を見た。
そして後悔した。
見るべきじゃなかったと。
女の病的なまでに痩せ細った顔に穿たれた二つの眼には、光が無かった。
ただ深淵の闇すらかくやと思わせるほどの黒が広がっているのみ。
そこに潜むは絶望か、それとも虚無か。
「……っ!!」
槍の穂先が真桜に迫る。
ああ、ここで彼女はその生を終えてしまうのか。
その発明の才も、その智も、その武も、その人生も、愛も、ここで潰えてしまうのか……?
「はっ!!」
否。
天命というものがあれば、少なくとも彼女は見捨てられなかった。
繰り出された槍の柄に巻き付く一条の布槍。
新魏軍においてもこのような物を武器にしているのは一人しかいない。
「………っ!!」
飛来した縄鏢を辛うじて避ける女。
そして女と真桜の間に降り立った一人の男。
「霊亀軍師・蒼亀、推参」
背で真桜を庇うように立ちながら、蒼亀は背に喪門剣を負い布槍と縄鏢を引き寄せた。
「華雄…やはりあなたでしたか……」
そして女の顔を見て苦虫を噛み潰したような顔でその白皙の美貌を歪める。
女・華雄はその言葉を聞いても何も言うことなく、やはり暗い瞳で蒼亀を見つめるのみである。
「…李典、楽進、于禁。状況報告を」
蒼亀の突然の登場にあっけに取られていた三人は、その声ではっと我に返り状況を伝える。
「は、はい。四半刻程前に兵士の一人が私の所にこのような話を持ってきたのです」
まず口を開いたのは凪。
「曰く『華雄将軍らしき人がこちらへと近付いて来ている』と。その方を受けた私は自らの目で確かめるべくこちらへ参り…」
「華雄を見つけ、近付いたら攻撃を受けたと言ったところですか?」
「……はい」
蒼亀の言葉に静かに凪は頷く。
「んで、うちらは凪が謎の敵将と闘こうて劣勢やって聞いたから…」
「助けに来たのー」
「成程……ね」
理知的な双眸を静かに華雄へと向ける。
一見すると無造作に立っているようにしか見えない彼女。
いや、実際にそれだけなのだ。
殺気も闘気も無い不自然なまでの自然体。
「……義兄に捨てられたと思い、心を壊しましたか」
一切の感情を見せずに端的にそう告げる蒼亀。
予想していなかったわけではない。
華雄の中で龍志がどれほどの存在なのか蒼亀はよく理解していた。
恐らくは当事者たちよりも。
(こういうのって離れた所からの方が色々と見えてくるんですよね……)
故に龍志が華雄に真名を返したと聞いた時、こうなる可能性も考慮していなかったわけではない。
いや、こうなると思っていた。
考えてみればおかしなことなのだ。たった一人の人間が距離を置いただけで心を壊してしまうなど。
人生は出会いと別れでできている。そしてそれは異なるものであり同じものである。
かつて夢奇が言った言葉だ。
しかし、極稀に自分の存在そのものを左右してしまうような存在に出会う事がある。
それはとても素晴らしく、とても危うい話。
何故ならそれによって自分は強くなり。
それによって…壊される。良くも悪くも。
「……そうですね。汜水関。思えばここはあなたにとって特別な地でしたね。董卓軍の将・華雄の終わりが始まった地であり…二年前、龍瑚翔の一番弟子にして第一の部下・華雄の生まれた地でもある」
龍瑚翔。
その名を聞いた時、華雄の肩がピクリと動いた。
「自然と足がここに向いたのは、過去を振り返りたいが故ですか?それとも死に場所を求めてですか?」
「………」
沈黙。
「いずれにせよ。あなたには生きてもらわねばなりません。あなたは義兄さんの全てを受け継いでいる唯一の人間。天下に、何より新魏に必要な人間なのですからね」
もっとも。と蒼亀は言葉を繋ぎ。
「義兄さんの真意に気付かずにだだをこね続けるようならば、龍瑚翔の名の穢れに過ぎませんので、さっさと死んでいただいて結構ですが」
「!!?」
刹那。
凪達には華雄の姿が揺らいだようにしか見えなかった。
だが次の瞬間、華雄の大身槍は蒼亀の体を見事なまでに貫いていた。
「そ、蒼亀殿!?」
蒼褪める三羽鴉。
だが次の瞬間。
「ふむ…これで怒ると言う事はまだ脈はあると言う事ですかね」
貫かれた蒼亀の姿が消えうせた。
そこにはただ穴が開いた紙製の人形(ひとがた)が一枚ひらひらと漂うのみ。
「あなたには悪いですが…連れて帰らせていただきますよ」
「!?」
華雄の背後から飛来する八本の縄鏢。
それを華雄は大身槍の一振りで起こした風圧で纏めて叩き落とす。
「……少々骨が折れそうですがね」
何時の間にか背後に立っていた蒼亀が、やれやれと肩をすくめて背の喪門剣を抜いた。
華雄を捕えた所で正気に戻せるかは解らない。
しかし、ここで彼女を終わらせるわけにもいかない。
勝算が無いわけではない。龍志はいないが、新魏には誰よりも人の心を癒すことに長けた王がいるのだから。
「忠義とか理想何てものはあまり好きじゃないんですがね。義兄の描いた天下の為、我らの王の為……参りますよ」
蒼亀の身から流れる清流の如く静かで、猛虎の如く激しい闘氣。
「ア…アアアアアアアアア!!!」
叫びながら荒れ狂う龍のように、大身槍を…龍志の大身槍を構え蒼亀に襲いかかる龍将の狂気。
龍瑚翔の思いを受け継ぐ者二人の闘いがここに幕を開けた。
~続く~
中書き
どうも、タタリ大佐です。
忠烈汜水関も佳境に入りました。次くらいで多分終わるかと思います。
華雄と戦うのは一刀君にするという案もあったのですが、流石に無理だろうと言う事で久々の蒼亀の登場となりました。まあ、この忠烈汜水関の忠烈が示す人物の一人は彼なので作者的にはそれはそれで良かったのですが。
そうそう、この間自分の過去作品を読みなおしてみたんですが……いやぁ、昔の自分に学ぶことも多いですね。あの頃は考えずともストーリーが出てきてましたからね。何というか細かい事を考え始めてからどうも書くことから積極性が抜けていた気がします。
細かい点への配慮がないのも問題ですが、楽しんで書くって言う事を思い出しました。というわけで、楽しんで書きたいと思います。
二週間程構想を練り直していた期間で、正直以前の構想と第二部は大きく違ってきています(第三部はほぼ以前のままですが)第二部はある意味、最も重い章です。多分、一番つまらないけれど一番私の思想等が含まれているのが第二部だと思います。
第一部の命題が『自立』や『信頼』だとしたら、第二部は『宿命』と『葛藤』です。そして第三部が『救済』と『忠愛』…といったところでしょうか。まあ、第三部はまた修正される可能性も無きにしも非ずですが。
何はともあれ、第二部の終了まであと僅かとなりました。この『忠烈汜水関』から『二雄落花』『第二次赤壁大戦~戦の風になって~』が残りの話となっています。
とりあえず第二部までは読んでやろうじゃないかという方々はもうしばらく。三部まで付き合うぜというからはもう結構しばらくお付き合いくださいませ。
では、次作にてお会いしましょう。
追伸
先日の一頁投稿は申し訳ありませんでした。正直、あの一頁に三日かかったもので、気力があそこで尽きまして……以後、気をつけます。
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帝記・北郷の続き
最初ちょこっと呉、それから新魏です
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