始まりは、結婚してすぐの頃だった。鬼灯は爆睡型ではあるが、以前よりも深く眠るようになった。
「お前、働き過ぎなんじゃないのか?酷使してると、体がガタガタになるぞ」
白澤はそう注意したものだが、『以前よりもほんの少し睡眠が深い』だけだったので、それ以上は何もしなかった。妻のワーカーホリックはいつもの事だった為、半分諦めているというのも理由の一つだろう。
そして、その不可思議な睡眠は徐々に緩やかに、鬼灯に浸透し慣れさせ、また彼女の自由を奪っていった。
特に妊娠中は長く深く眠り過ぎた。元々、妊婦は慢性的な睡魔に悩まされるものだが、鬼灯は一般的な者よりも症状が重かった。出産前に唐瓜に代替り出来たのは、奇跡と言っても良かったろう。
その睡魔は、出産後も鬼灯を悩ませた。毎日ではなかったが、一日中眠る事もあった。そしてとうとう、二日間の爆睡で異常を感じた白澤が『目』を使い診察するに至った。
「…お前、また妊娠してる…」
それは、娘が生まれて五年の年月が経っていた。更に、白澤の見たモノはそれだけではなかった。
「それに、鬼火が減っている」
「鬼火が?」
鬼灯の体を支える鬼火。ソレが無くなるとどうなるのか、鬼灯は考えた事がなかったが『妊娠』という事実が気になった。
「…子に、影響は?」
不安そうに訊く鬼灯に、白澤は唸り声を返した。
「ん~…鬼灯は鬼火の力で鬼になったから、無くなったら亡者になると思うんだけど…」
しかし、亡者になると胎児がどうなるのか、前例がない為に確かな事は分からない。ただ、いきなり鬼灯の肉体が消えるという事はないだろう。
「今のところ少ないなりに残りの鬼火に異常はないよ」
このままの状態を保ってくれたなら、子は心配ない…と思う。それよりも、白澤には気になる事があった。
「この胎児、僕の気も鬼灯の気も感じない」
「はい?」
白澤の言った意味が分からずコテンと首を傾げる鬼灯に、彼は説明する。
「神気は感じる。でも、この気は僕に似ているけど僕のじゃない。僕の子なら、白火と同じように僕と鬼灯、二人の気を感じる筈なんだ」
だが、彼が感じるのは白澤が感じた事のない、白澤に似た神気。それだけなら鬼灯の不倫が疑われてもおかしくない状況だが、この胎児には鬼灯の気すら感じない。
鬼火もそうだが、胎児も不可解だ。
「つまり、どういう事なんでしょう?」
「ん~…?」
訳が分からず、白澤は首を傾げるばかりだ。不安そうな様子の鬼灯に何も答えられないのを歯痒く思う。
二人で黙り込んでいると、後ろから声が聞こえた。
「…爸爸」
遠慮がちに白澤を呼ぶ声は、娘のモノだ。振り返ると、やはり遠慮がちに訊く。
“あの…母様、赤ちゃんが出来たんですか?”
どうやら傍で聞いていたらしい。
“うん、そうだよ”
“なら、喜ばしい事ですよね?何故、二人で深刻な顔をしているのですか?”
“うん、それが…”
娘の質問に、白澤は正直に答える。父の説明にフンフンと相槌を打ちながら聞き、終わると不思議そうな顔をした。
“私は、父様と母様の気で生まれたのですね”
何やら楽しそうに納得した。以前チラッと、自分が半神半人だというのは聞いていたが、ここまではっきりと説明された事はなかった。そして、説明した白澤は思い至った。
「白火は神の気と人の気が合わさった、半神半人だ。でも今、鬼灯の胎にいる子には神の気しかない。つまり…胎児は神?」
白澤の大きな独り言に、鬼灯は驚愕で目を見張る。
「私は今、神を孕んでいるんですか?」
「胎児の状態を見るに、他の可能性が考えられない」
あまりの事態に理解が追い付かない。それは、白澤も鬼灯も、そして娘もそうだろう。そして、鬼火や胎児の状態がどうであっても、現時点でどう行動を起こせば良いのか分からない。しかし、白澤が一番気にかけているモノが何かははっきりしている。
「鬼灯、体の具合はどう?何処か悪い所はある?」
白澤にとっては、胎児よりもまず鬼灯なのだ。これを言うと彼女に叱られてしまうから言わないが。そして、鬼灯の答えは家族を安心させるモノだった。
「相変わらず眠いのと、そのせいなのか体が怠いくらいですね」
その言葉に白澤はホッとし、妻に優しく言う。
「なら、もう少し様子を見よう。これからは毎晩、『目』で診ないとね」
「はい」
鬼灯は、素直に頷いた。それは、白澤への信頼の証であった。
それから数ヵ月間、鬼灯の胎はどんどん膨らみ、相変わらず睡眠量も多かった。臨月を迎える頃には『一日起き、二日寝る』を繰り返していた。
白澤は何度も『目』を使い胎内や体調を診たが、相変わらず命を脅かす異状は無かった。ただ、白澤が初めて胎内を見た時から胎児の姿は人だった。娘が人の姿をとるのに数ヵ月必要だったのを考えれば、やはり胎児は神なのかもしれないと思う。
更に分かったのは、胎児の纏う気の性質が陰だという事だ。コレから白澤の頭には、ある説が浮かんだ。胎児が産まれたら、この説が正しいかどうか分かるのかもしれない。
「白澤さん、どうですか?」
夜、鬼灯は彼女の腹に手を触れる夫に訊ねる。彼は、首を横に振る事で答える。
「駄目。応答無し」
妊娠が発覚したその晩から、白澤は妻の腹に触れるようになった。娘を妊娠した時と同じように。だが、現在彼女の胎に宿る命は、白澤の神気が無くともスクスクと成長していた。そして、彼が思念で呼び掛けても応える気配がない。診たところ体に異常も見られない。表面上は普通の子と同じで、しかし実際は普通と大分違う。
「神だったら、僕の呼び掛けに応えてくれても良いのに…」
胎児は白澤どころか、恐らく鬼灯にも思念を送れるのではと彼は思っている。だが、どちらも胎児の声は聞いていない。
「胎の子は、どんな姿で産まれてくるのでしょう?」
「僕の気に似てるから神獣かもしれないけど、今は人形(ヒトガタ)だから人の姿で産まれるかもしれない」
また、二人揃って難しい顔をする。『神の子』ではなく『神そのもの』を妊娠…嬉しいばかりでないのは仕方ない。どちらの体調にも異状がない事が救いだ。
「多分、神なら問題なく産まれると思う。あまり考えすぎない方が良いよ。また明日、診察しようね」
「はい」
鬼灯は白澤の言葉に頷き、思案げに腹を撫でた。
* * *
それは、満月の夜にやって来た。夕食が終わり、白澤が後片付けをしていると妻に呼ばれた。
「…白澤さん」
「何?」
「胎が、動いてます」
「え?」
後ろを振り返ると、両手を腹に添える鬼灯がいる。その腹は、確かに内側から押されているようにポコポコと動いていた。胎児がここまで動くのは初めてである。
「…ん…」
鬼灯が僅かに顔を歪める。
「鬼灯?」
慌てて彼女の元に走り寄る。
「産まれるの?」
額の『目』を開くと、今度は本来の目を大きく見開いた。
「は、白澤さん?」
娘の時にはない反応に、鬼灯は不安げに呼び掛ける。
「目が…開いてる…」
「…え?」
「胎児の…え!?」
喋っている最中に大きな声を出した。桃太郎と娘が異変に気付き、不安そうに夫婦を見る。
白澤の『目』は、胎内で胎児の目が開き姿がボヤけていく様を映していた。まるで霧か靄のように姿が不鮮明になり、そして…
「きえ、た…」
胎児が跡形もなく消え失せた。鬼灯の風船のような腹も萎み、元の細さを取り戻していた。
誰も何も言えず、沈黙が店内を支配する。その空間を変えたのは、やはり靄だった。
鬼灯の隣の景色が人の形にぼやけ、靄がかかり、軈てその姿が鮮明になる。それは、鬼灯の胎内で起きた様子を逆にした感じだった。
その姿は、十歳程の背丈だった。黒を基調とした漢服を身に付けている。髪の色は銀。
「ふうぅぅ…」
子供が、大きく息を吐き顔を上げた。子供以外の全員が、息を飲んだ。
「…僕?」
白澤が、掠れた声を出す。子供は、白澤の顔をしていた。もっと詳しく言えば『童女の姿をした白澤』だ。黒い服、銀の髪、金の瞳を持った、白澤によく似た童女。
彼女は白澤に目を止め、中国式の礼をとった。
“白澤様、お初にお目にかかります。私の名は黒澤。貴男様の対として生まれ出た者です”
“対?”
“はい。貴男様は陽の気をお持ちです。私は陰を司っております”
自分に似た神獣かもしれないとは思っていたが、まさか対とは思わなかった。
“この世界は今、貴男様の陽の気で満ちています。奥方様の陰の気は強い方ではありますが、それだけでは到底たりませぬ”
“何で…あ”
問い返そうとして、気付いた。理由は、己の側にある。黒澤と名乗った童女は白澤の様子に一つ頷き、説明を続けた。
“貴方がたの姫君は、陽の気が強いです。陰の気もおありですが、これも到底たりませぬ”
ここまで来れば夫妻や娘、桃太郎も察した。
“つまり、この場が陽の気で満ち、陰の気がたりないんだね?”
“さようにございます”
陰と陽、どちらの気も大切だ。どちらか一方が強過ぎても弱過ぎても駄目だ。黒澤は、弱過ぎる陰の気を補う為に生まれたらしい。
“だからといって、何をするという訳ではありませぬ。存在し続けるだけで、陰の気は陽の気と同等まで回復するでしょう”
そこまで言うと、黒澤は鬼灯に向き直り、今度は日本式の礼をとった。
「鬼灯様、大切な御身の胎を貸して頂き、感謝申し上げます。無断での使用になってしまい、申し訳ありませんでした。今後は対である白澤様を父、胎をお貸し下さった鬼灯様を母として敬愛し、世に在りたいと思います」
黒澤は、そんな言葉で締め括った。そんな白澤似の童女に、極楽満月の面々が質問をする。
黒澤が鬼灯の胎に宿ったのは、白澤が唯一無二の伴侶と決め定めた者が彼女だったからだ。伴侶と定められた者は白澤の気が浸透し、神の妊娠や出産に耐えられるのだ。
鬼灯に憑いた鬼火の数が減ったのは、彼女が幸せを感じているからだ。人に憑いた鬼火は憎悪と怨嗟を糧としている。幸福感を感じる事で消え去るのは道理。
だが、亡者では黒澤が世に生まれ出る事が出来ぬ為、己の持つ陰の気で鬼火を補強したのだ。
故に、鬼灯はこれからも鬼として生きる事になるだろう。
神産みと説明会を終え、白澤が鬼灯を抱き締め布団に潜っていた。因みに、黒澤は説明を終えると獣の姿に変じ熟睡した。毛は黒く子牛程の大きさで、額と体には『目』が備わっていて、まさしく『黒い白澤』といった姿だった。今は、娘と共に子供部屋で眠っている。
白澤は何やらとても幸せそうで、鬼灯は訝しげに彼を見上げた。
「白澤さん、どうしました?」
「ん?あのね…」
妻の不思議そうな問いに、彼は機嫌良さげに笑顔で答えた。
「色々と懸念が多くてそれどころじゃなかったけど、鬼火が減ったじゃない」
「はい」
「僕と結婚して、娘を生んで…今が幸せだって思ってくれた事が嬉しくてさ」
幸福感が鬼火を消す…それはつまり、鬼灯が今、幸せであるという事実の証明だ。
人に憑いた鬼火が消える理由は元から知っていた。だが、神を妊娠している事が気にかかってゆっくりと感じ入る事が出来なかったのだ。
「…白澤さんは、私が亡者になる事をどう思っているのですか?」
鬼火は補強されたが、やはり遠い未来に全て消え去り、己は鬼ではなくなるかもしれない。そうなると、どうなるのだろう?
「僕は、鬼灯が傍にいてくれるなら人でも鬼でも亡者でも良いよ」
小野篁や源義経とて亡者だ。だが二人は、現在地獄で働いている。常世に留まるか、現世に転生するかは本人の意思なのだ。
「それとも鬼灯は、転生したい?」
彼女が何者でも無条件で自分の傍にいてくれるものと思っていたが、それは勝手な思い込みで勘違いなのかもしれない。白澤の目に不安が宿った。
そんな彼の頭を、鬼灯は安心させるように撫でる。
「私は地獄が、閻魔大王が、幼馴染が、私が関わった者達が大好きです。此処には可愛い娘と愛する夫がいます。決して離れたくありません」
だから転生したいなんて、現世で生きたいなんて思いません。…そう、鬼灯は微笑み言った。白澤はなんだか堪らなくなって、抱き締める腕に力を込めた。
「僕も、白火が大好き。鬼灯を愛してる。だから、僕から離れないで」
「はい、勿論です」
囁き声で乞う。はっきりと応える。
白澤は、己の腕に包まれている最愛の妻の存在を噛み締めるのだった。
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白澤と鬼灯が夫婦になった、夫婦パロ。
鬼灯は、白澤と結婚してから謎の睡魔に悩まされていた。妻を心配した白澤が『目』で診たところ、信じられない事が鬼灯の身に起こっていた。