「一刀、ちょっと今いいかしら?」
突発の調練を終えた夕方のこと、廊下を歩いていた一刀はそれを見留めた華琳にそう呼び止められた。
「ああ、構わないが。何か不備でもあったか?」
「いいえ、違うわ。詳しいことは執務室に行ってから話すわね」
一刀の問いを簡潔に否定だけして華琳は踵を返す。
一刀の方もそれ以上問う事なく華琳の後に付いていった。
華琳を前にして2人が執務室に入る。中には軍師達が勢揃いしていた。
華琳が自身の執務机に着くと早速本題に入った。
「先日の麗羽の軍との一戦の詳細、詠に報告してもらったのだけれどね?
ちょっと、貴方の口からも報告を聞いておきたいのよ」
「詠が報告したのに?……もしかして何かしらの不備があったのか?」
「いいえ、むしろ知りたい情報は余すところ無く記されていて手間が省けたくらいよ。
流石はかつて桂花を唸らせた軍師、賈文和と言ったところね」
一刀の懸念はすぐに一蹴される。
その代わりとでも言うかのように謎が降り積もる。
ちまちまと探るのは面倒であり、またそんなことをせねばならない間柄でも無いので、一刀は単刀直入に疑問を口にした。
「だったら何が気になったんだ?」
「これよ」
短い言葉と共に華琳は一刀に一つの竹簡を手渡す。
ざっと目を通して分かったことは、先の戦の各所における細かい戦果、及び被害のようである。
「詠と斗詩がそれぞれの情報を持ち寄って作成してくれたのよ。
それを見ていて何か気づくことは無いかしら?」
「ふむ……特に気になることは……あぁ、やたら怪我人が多いのは俺が出した策の所為だ」
「それは既に詠に聞いたわ。そこでは無いの。
私が気になったのはね、左翼の戦果の大きさよ」
左翼。恋と梅に任せた部隊である。
何か一刀の窺い知らぬ失態があったのだろうか。
その懸念はそのまますぐに言葉となって一刀の口から飛び出した。
「左翼の?遠目から見た限りでは動きに乱れは無かったように思うんだが?」
「悪い意味で気になっているのでは無いわ。さっきの言葉のまま、左翼の戦果が随分と大きいのよ。
恋が出たから、と考えれば多少の戦果の増大はあるのでしょうけれど、それでも尚大きいと感じる程だわ。
これは間違いかしら?それともこれで合っているのかしら?」
「あぁ、成る程……それなら間違いは無いと思うよ。戦果が大きいことだが、恋も確かに出ていたが、梅もまた出ていた。それが理由だ」
「梅が?詳しく説明して貰えるかしら?」
一刀の答えに完全な納得を示すことが出来ず、華琳は更なる詳細を問う。
それに応じて一刀も簡潔にまとめて回答する。
「月の下にいた頃から梅は恋の副官をずっと務め上げてきた武官だ。
恋は戦の時でもあんな感じだ。そつなく部隊の統率を行うような類では無い。だから、その役はずっと梅が担っていたわけだ。
詠や霞から聞いたんだが、恋はあれで策がこれと言ってないような戦では随分と自由奔放に動くらしくてな。その分、梅に要求される統率力は跳ね上がっていたことと思う。
今回の戦では相手は混乱の最中にいて、かつこちらは策をてんこ盛り状態だった。
そんな中で梅に精鋭のみで構成された部隊を率いさせれば……まぁ、後はその結果が物語っている通りだな。
正直に言って、任意の部隊を率いることになった時の梅の統率力は俺なんかを遥かに超えているだろう。
思うに、菖蒲さんに次ぐくらいはあるんじゃないか?」
一刀の言葉の裏には、自身固有の部隊の統率ではまだ負けない、という含みもあったが、それでも相当の賛辞であった。
自由構成の部隊の指揮、つまり純粋な部隊統率力を比べれば、魏で菖蒲の右に出るものはいないだろう。それは一刀の偽らざる本心だった。
菖蒲もまた梅と同じく真面目な性格かつよく気が付くタイプの人間であり、参入当初は春蘭の補佐役での出陣も多かったために培われたスキルだ。
そんな彼女に次ぐ実力、と一刀が評価する。そのことに部屋に居た者のほとんどが驚きを隠せなかった。
「へぇ……貴方がそこまで言うなんて珍しいことじゃない、一刀?
何にしても、貴方が梅を将に推薦した理由がようやく分かったわ。このこと、とっくに予測していたんでしょう?」
「ん~、半分正解、かな。正確にはその素質を知っていたからそうなれるよう育てた。結果が出るのは思ったよりも随分と早かったけどね」
「あら、そうかしら?私にはそうは思えないのだけれど?」
「いやいや、全て嘘偽りの無い本心さ」
2人が暫くの間意味深に笑いあった後、華琳が結論を出す。
「ともかく、これで先の戦の功労がはっきりしたわね。桂花、零、報告を基に賞与の決定をお願い」
「はっ」 「御意に」
話はこれで終わったか、と考え、ここで退出しようとした一刀だったが、その背中に声が掛けられた。
「それにしても、お兄さんは随分とえげつない手を使いますね~。こういった搦め手で突く方法はまだまだ持ってらっしゃるのでは無いですか~?」
「こ、こら、風!すいません、一刀殿」
風の瞳はいつも通りその真意を読みきれない。が、隠しきれない好奇心が浮かんでいることだけは窺い知ることが出来た。
風は零と並んで人の心理の裏を突くような策を得意とする軍師。だからこそ、今回のような策には興味を惹かれるのだろう。
稟が諌めてはいるが、風のその何事をも知ろうとする姿勢は一刀にとってみれば好印象こそあれ悪印象にはならなかった。
「はは、風のそれは褒め言葉と受け取っておこう。
俺にももっとこういった引き出しがあれば良かったんだが……生憎、あまりに特殊な状況下でなら有効かもしれない、程度のものが幾つか残っている程度なんだ」
「ほぅほぅ。ですが、お兄さんの献策は結構な数だったと思うのですが~?」
「治世方面では俺が元居た所に照らし合わせて、こっちが良くなりそうなものの概要を出しているだけに過ぎないさ。
肝心なところの肉付けを上手くしてくれた桂花や零さんがいなければここまで成功してはいなかったさ」
「むぅ~……お兄さんも意外に頑固ですね~」
「そうじゃないよ。本当に大したものは持っていないだけだ。風の方がよっぽど上手くやれるだろうな」
「むむぅ~~」
未だ不満そうな顔をしている風は渋々といった様子で納得を示す。
風の心情としては一刀から情報を聞き出せなかったという悔しさが占めていたが、事実として一刀は風が満足するような新手の奇策などはもう持っていなかった。
今度こそ用済みかと考えた一刀だったが、ふとあることを思い出し、詠に尋ねる。
「そういえば、詠。火輪隊の評判の件、どんな感じになっているか分かってるか?」
「えぇ。勿論よ。私個人の所感としても上々と言った感じだけれど……詳しいことは桂花からの方がいいんじゃないかしら?」
「桂花?桂花が纏めてくれているのか?」
「ええ、そうよ。何かおかしいかしら?」
「いやいや、そんなことは無いよ。ただ、まだ帰ってきたばかりなのに仕事が早いなって」
桂花の半目に咄嗟に否定を入れる一刀。
桂花の方も本気で気分を害した訳では無く、すぐに表情を戻すと振られた内容を話し始めた。
「あんたの部隊、火輪隊だったわね、それに同行させた兵、覚えてるわよね?
主に春蘭、秋蘭、菖蒲の部隊の古株から、その他にも数は少なくなるけれど華琳様の親衛隊からも選出していたの。
幹部という枠に収まっている者でなく、けれども周囲の兵達から信頼されている者達を選んだわけだけど……結果から言って大成功のようね。
既にその者達を中心に火輪隊を認める、中には一歩進んで一目置く者も出始めているわ。数日の内には陰口の類は大幅に減るでしょうけれど、今回の策に伴った問題も出てきているわ」
「問題?力を持つ敵性部隊は危険だから何が何でも排除しろ、って勢力でも出てきたか?」
「一刀……時々思うのだけれど、あんたって案外考え方暗いわよね。そもそもそういう勢力が出てきたのだったらお世辞にも”大成功”なんて言わないわよ」
呆れたような溜息と共に放たれた桂花の言葉だったが、それを受けて一刀も少し心中で反省する。
確かに今の自分の発言は見方によっては桂花を軽んじているようにも見えることに気付いてしまったからであった。
桂花の方はその可能性に気づいているのか敢えてスルーしているのか、何も言及せずに報告を続ける。
「話を戻すわ。問題のことだけれど、簡単に言えば、その目で見なければ少し信じ難い、って連中がいるみたいなのよ。
それほど人数は多くは無いみたいだけれど……こうなってしまうとこの手合いは難しいのよね……」
この報告は既にこの部屋内の人間は一刀以外知っていたようで、話がここに至って一同の表情が難しいものとなる。
華琳もどうやらこの問題は持て余しているようだった。
「なるほど……ん~……歓迎会、いや、お披露目会に近いか?そんな場を設けてみればどうかと思うんだが」
「ぅん?どういうことかしら、一刀?」
「公開演習みたいなものも考えてはみたが、演習に充てる時間は大体昼間になる。だが、兵は皆その時間は何かしら仕事があるからな。
だったらいっそいつかの夕方なりにでも集まれる兵を集めて主に月達新たな将を皆に知らしめる会合を開いてみたらどうか、って思ったんだ。
そもそもの発端は俺が月達を勝手に連れ帰った上、そのまま周知も無しに秘匿部隊として構成してしまったことに原因があるからな。
周知が数月遅くなったが、その辺りも最早隠す必要が無くなったことだし、この際全て包み隠さず説明してしまったらいんじゃないか?
夕方とかの日がまだ出ている時間にしておけば、多少なりの実演も出来るだろう。
何より、兵同士、横の繋がりがこういった催しで強くなってくれれば色々と捗ることもあるだろうからな」
一刀の発言が終わると部屋を沈黙が包み込んだ。
皆して一様に何事かを考えている様子で発言した一刀自身も少し戸惑ってしまう。
現代ではこういった時にどうしていたか、と考えた時、出てきた一刀の答えが、手っ取り早く実際に見せてしまう、その一言だった。
ならばその為の場を作り、それにかこつけて他もいくつか纏めて良い方向へと導けないものかと考え、ほとんど思いつきで提案しただけだったのだが。
予想外に皆が真剣に検討しているようで、思いの外沈黙が長い。
それを破ったのは一足先に自身の考えを纏めたのであろう、華琳だった。
「随分と異例な事ではあるけれども……零、現実問題として実現出来そうかしら?」
「そうですね……夕方に城外演習を予定している日であれば、皆の仕事を早く切り上げさせても全体の影響を少なくは出来そうです。
ただ、漫然と兵を集めて月達を紹介する場を設けたとして、それが一刀の言ったように兵同士の繋がりの強化に役立つかは半信半疑……いえ、むしろ疑いの方が強いですね」
「それもそうね。大した目的も無く人を集めたところで効果は薄いでしょうね」
「だったら簡単な立食形式の宴のようにしてみればいいんじゃないか?あんまり豪勢にするのはあれだけど、ちょっと摘める程度のものを作ってもらって。
食事の場でなら、普段接点が無い者同士でもそれなりに話は出来るだろう」
「あら、それは面白そうね。零、今の一刀の案でならどうかしら?」
華琳に尋ねられ、零は顎に手を当てて思考に没する。
その時間はそれほど長くは無く、比較的早く結論を出してきた。
「流琉に一度話を持って行ってみます。食糧備蓄等の問題がありますので、今後の食糧事情を考慮に入れた上で流琉が大丈夫と言うのであれば可能でしょう」
「分かったわ。流琉には今日明日中には結論を出すように伝えておいて頂戴」
「はっ」
一刀から話題を出したとは言え、対外的に見ればたかが一部隊のためにここまで話し合ってくれている。
そこに感謝を感じないようなことなどあろうか。
「ありがとう、華琳。助かるよ」
「あら、当たり前のことよ。我が国の部隊が内部分裂なんてことになってしまったら、笑いごとにすら出来ないわ」
「はは。ま、そういうことに。それじゃ、俺はこれで」
「ええ。お疲れ様、一刀」
普段の華琳を見ていればその言葉通りなのだろう。
が、一刀にはどうしてか華琳の本心には別の理由が存在している気がしていた。
はっきりとした形にはならないその疑問は扉から出れば霧散する程度のものではあったが、確かに一刀の心中に何らかの楔を打っていた。
執務室を出た一刀はそのまま元々の用事を果たすべくとある場所へと向かう。
進む先にあるのは真桜の”研究所”。
そこは扉の外からでも分かるほど活気に溢れている。
勤める所員は皆腕に覚えのある者達であり、日常に使える物から軍事物品まで様々な分野で日々発明に勤しんでいる。事実彼らは今までに期待以上の働きを示していた。
そして、今一刀がここに来た理由もまたそれら発明関連のことである。
「突然すまない。真桜はいるか?」
扉を開けて入っていく一刀に所員達は口々に挨拶を返す。
その人並みの奥から目当ての人物が現れた。
「お~、一刀はんやん。どないしたん?」
「いや、進捗状況を聞きたいと思ってな。十文字と一緒に開発を頼んだアレなんだが……どうだ?」
「あ~、せやな~……まあウチらも色々試してはいるんやけどなぁ……
試作品いくつか作ってみたんやけど、全部ダメやったわ」
真桜は渋い顔でそう報告する。
完成の報が来ていない時点でそれは予測していた一刀は、それによって特に落胆することも無く、更に真桜に質問を重ねていった。
「まあ、実際に作れるかどうかは分からないわけだしな。ちなみにどう失敗したのか教えてもらえるか?」
「ええで。最初の方はそもそも試そうとした1発目から本体自体が耐えられへんかったみたいで、衝撃でバラバラになってもうてん。
ほんで、詰める量の方を徐々に減らしていったら本体が耐えられるようになったんはええんやけど、今度は推進力が足らへん。
そこんとこをどうにかして上手いこと均衡保たなアカンねんけど……正直言うと、今のウチらじゃちょいとキツイわ」
「ん~、そうか……」
真桜の説明から見えるのは技術的な限界。
それは時代間の技術の差というものを考えれば仕方の無いものであった。
それでも本体を形作れたことだけでも十分な成果だとは思うのだが。
真桜の説明から、今のまま開発を進めてもらったところで、完成する見込みは少ないことは分かった。
それでも万が一完成出来た場合のリターンを考えれば、開発を続行することも一考の余地はある。
コスト、リターン、可能性。更に加えて仮に完成した場合の品の安全性、量産性。
様々な面から開発続行の有用性を検討すること数分。
一つの結論を出した一刀は真桜のその旨を告げる。
「……よし。真桜、今をもってそれの開発は中止にしてくれ」
「へ?ホンマに中止でええの?」
「これの図面を渡す時にも重ねて言ったと思うけど、製法が完全に確立していない状態だと危険も大きいんだよ。
しかも、今回はどうやら技術がまだ追い付いていないようだし、このまま続けると、最悪の場合、真桜なり所員なりが取り返しのつかない怪我を負ってしまいかねない。
元々、出来たら便利、程度の考えで頼んだ開発だしな。もし後々により高い可能性を見つけられたら、その時にでも試してくれたらそれで構わない」
「……せやね。途中で放り出すんはちっと悔しいけど、まあしゃあないわな」
真桜にも研究者、発明家としての意地があるのだろうが、一刀の言う事も理解出来ている。だからこそ、その意地を捨てて賛同してくれたのだった。
変に意固地にならなくて助かった。そう内心で安堵の溜め息を吐きつつ、一刀は真桜を訪ねた2つ目の用件へと話を移らせる。
「それからもう一つ。真桜に用意してもらいたいものがあるんだ」
「ほいほい。何を用意したらええん?」
「確か春蘭の今の大剣って真桜が作ったんだったよな?」
「はいな。最初は春蘭様の前の大剣より強度上げて軽ぅしたんやけど、春蘭様に渡したら軽いから手抜きや、って言われてまいましてん」
「それはご愁傷様……いや、とにかくそれなら余計に適任だな。
実は刀剣を作ってもらいたいんだ。丈夫なのは勿論として、重さは出来る限り軽くして貰いたい。
その重さも可能なら4~5種類くらい揃えてくれるとありがたいんだが」
「ふぅん……それ、剣の意匠とかは適当でもええの?」
「そうだな。意匠は特に気にしない。後々正規品として作ってもらうかも知れないが、その時でいいだろう」
その回答を聞くや、真桜はニヤリと笑みを浮かべた。
一刀には真桜の突然の笑みの理由が分からず、頭上に疑問符を浮かべてしまう。
一方の真桜には焦らす気も無かったため、勿体ぶる事もなく一刀にこう告げた。
「せやったら、試作品として作った剣がぎょうさんあんで!どうせ他に使い道無いし、使ったってや」
「本当か?それはありがたいな。でも、何で試作品?」
「いやぁ~、実はウチも何度か一刀はんの剣みたいなん作ろうと頑張ってな?
けど、ちゃんと剣として使える程度の丈夫さ備えようとしたら、似ても似つかんもんしか出来んかってんよ」
「まあ、それはしょうがないことだ。この刀、日本刀はかつて職人達が何百年と掛けて作り上げた緻密な製法と洗練された職人達の技術。
それらが揃って始めて作り上げることが出来る代物だからな」
「ほへぇ~。そらまた難儀なもんなんやね。まさしく”天の武器”って感じやな!」
「まあそういうことだな。ちなみにその製法は俺でも欠片も分からん。だから悪いことは言わん、諦めとけ」
「あ、そっちはもう諦めてましてん。見た目から何もかも似せられへんもんを作れるとは、さすがのウチでも思えへんからなぁ」
呆気らかんとした様子の真桜には確かに未練は感じなかった。
先程にしてもそうだが、真桜のこの無駄に意固地にならないところは美点だと言えるだろう。
仕上げられそうなものを見極めて諦めるべきは潔く諦める。
やろうと思っても中々出来ないそのことに、一刀は密かに感心していた。
「まあ、そんなわけなんで、剣は割と余っとるんよ。勿論、注文あったらいつでも作んで~」
「ああ、ありがとう、真桜。そうだな……それじゃあ早速明後日にでも使わせてもらうよ」
「はいな♪」
これで2つ目の用件も片が付いた。
一つ息を吐き、一刀は真桜に改めて礼を言う。
「取り敢えず用件はこれだけだ。時間を取らせてしまってすまなかったな」
「全然かまへんで。なんやったらまた新しい発明の種くれたら嬉しいんやけどなぁ」
「今のところはまだ無いな。でも、その内また頼むかも知れない。その時はよろしく頼むよ」
「ほいほい。あ~、そん時が来るんが楽しみやわ~!」
最後に軽く会話を交わし、一刀は研究所を後にした。
真桜に、研究所の皆に頼めば実現出来そうなものは確かにまだ一刀の中にあることはある。
ただ、それをどこまで出してもいいものか、そのバランスを考えて今までずっと、そしてこれからも小出しにしていた。
そのことを真桜がどう思っているのか、本心のところは分からない。
だが文句を言う事も無くいつも引き受けてくれる真桜には感謝してもしきれない、と一刀は改めてそう感じていた。
「さて、後は……」
真桜への用事も片付け、一刀はこの日最後の用事を果たす為にある場所へと足を向けるのだった。
一刀の案を受け取ってからの華琳と零の動きの早さは圧巻の一言だった。
まず、零は例の話し合いの直後に流琉の下へと向かった。
この日の流琉は突発鍛錬会の後、すぐに夕食の仕込みへと入っていたために零が見つけるのは簡単だった。
零から一刀の案を聞いた流琉は、兄様らしいですね、と微笑みを漏らし、直ぐ様食糧の備蓄を確認に。
城お抱えの他の料理人数人と簡単に話し合い、どの程度の食糧を回せるかの計算に入る。
そこから弾き出された結論は、可能、であった。
ただ、催しの規模によっては料理人の負担が格段に増すことも考えられる。
流琉はその旨も余さず話し、その辺りの計らいも考えて欲しいと零に頼んでいた。
そのことに関しては零の方でも予測済みだったようで、善処すると即答を返す。
話が纏まると、零はそのまま足を再び執務室へと向け、結果的にその日の内に見積もりがトップたる華琳の下へと届くことになった。
華琳も華琳で、零と流琉が話し合って上げてきた案件にそうそう間違いは無いと半分流し読みのように目を通し、ゴーサインを出した。
ちなみに、後日桂花が細かく目を通してみても問題点は無かったことから華琳のこの判断は正しかったと言える。
決定した交流会の日時は、なんと翌日の夕方。
帰還したばかりの部隊に本格的に仕事を割り振る前に済ませてしまおうとの意図があったようだが、それを考慮に入れても超スピードの開催であった。
そんなに急な予定では人数も集まらないのではないか。そんな一刀の懸念は当日のその時間になれば全くの杞憂であったことが分かった。
簡易に設営された会場についた一刀の目の前には目を見張るばかりの人集り。
今はまだそれぞれの所属する部隊の者の間でしか会話が交わされていないような様子ではあるが、それは会が始まれば直に変わっていくだろう。
会場に屯する兵達の間を抜けて一刀は幹部連の詰める一帯へと向かう。
事前に簡単に聞かされていたとは言え、改めてこの日の一刀の役割を聞くためだ。
華琳に課された一刀の役目は簡単であるが責任重大。その後の会の空気を左右しかねない、導入の挨拶だった。
尤も、華琳と零が打ち出した情報では、この会は天の御遣い、つまり一刀が開いたことになっている。そのために拒否は出来ないのであった。
「さて、時間ね。一刀、始めなさい」
華琳に促され、一刀が皆の前に進み出る。
それに気付いた前方の兵から順に、徐々に波が引くように全体が静かになっていった。
声が通るようになったタイミングを捉え、一刀は声を張り上げる。
「皆、今日は集まってくれてありがとう!
既に分かっている者もいるとは思うが、今日この時の目的は、先日新設した我が部隊、火輪隊についての周知を行うことにある。
ここ暫く、情報漏洩を防ぐためとは言え皆に対しても隊の情報を閉ざし、結果として多数の者に不平不満を抱えさせてしまうこととなってしまった。
その点については素直に謝罪しよう。すまなかった!」
言葉と共に頭を下げる一刀。
その様に兵達からはどよめきが上がる。
それもそうだろう、一刀は今や華琳に並ぶ魏の中枢たる人物として認識されている。
そんな上に立つ人物が下の者に頭を下げる。それは未だ大陸の人間には素直には受け入れ難いものなのであった。
しかし、当の一刀はそのどよめきを特に気にすること無く、頭を上げると挨拶を続ける。
「もうほとんどが気づいているだろう。それに何人かは我等と同行した者から話を聞いてもいるかも知れない。
それらの情報、我等火輪隊の正体から全てを、今日は皆に知ってもらいたい。そして、その上で、是非とも我等を受け入れてもらいたい。
我等もまた、魏の為に尽力する仲間なのだと、そう認識してもらいたい。
今日、俺が望むのはたったそれだけだ。後は彼女達、火輪隊の各部隊長に任せよう」
一刀の真摯な文言に打たれたのか、はたまた元よりそのつもりで集まってくれたのか、兵達は神妙にその後を見守っていた。
一刀が引っ込んだ後は、まず月が、続いて詠が、恋が、梅が出ていき、それぞれの言葉で語りかける。
その名を聞いた兵達は、そのほとんどが、やはり、といった表情をしていた。それはつまり、思った以上に兵達の間に例の噂が出回っていたということだろう。
しかし、既に一部の兵に伝わっている先日の成果のこともあり、この時点でも相当数の者たちが好意的に受け取ってくれているようであった。
月たちが話を終えると、一刀は再び前に出る。
「皆、まだまだ聞きたいことがあるかと思う。だからこそ、皆、存分に語り合ってくれ!
火輪隊の者よ、請われたならば十文字を始めとした各種武器の実演も構わない。
ささやかながら料理も用意してある。皆、楽しんでくれ!」
それだけ言うと一刀は兵達の前から引いていく。
兵達はと言うと、初めてとなるこのような場に大半の者が戸惑っているようであった。
ほとんどの者は近くの者と多少の会話を交わす程度。
だが、中には数人、積極的に他部隊の者と話をするために集団を渡り歩く者達もいた。
そんな彼らが火付け役となり、兵達の会話の輪は徐々に広がっていく。
やがて、会場中あちこちで兵達が行き交い、様々な会話が為されるまでになっていた。
単純に話すだけの者もいれば、一刀の許可した実演を求める者もいる。
それらのやりとりが為される度、彼らの間にあった溝は段々と無くなっていくのだった。
「この策は成功だったみたいね」
「ああ、安心したよ。ありがとうな、華琳」
会場の様子を眺めながら一刀と華琳が言葉を交わす。
どちらの視線も柔らかく、策の成功を喜んでいることが見て取れた。
「貴方は本当に異例尽くしだけれど、それが利に繋がっているのだから凄いわね」
「俺じゃなくて先人達が凄いだけなんだけどなぁ……」
「知識は使えてこそ、よ。ふふ、これからも期待しているわよ、一刀?」
「ああ、俺に出来ることはやれる限りやるさ。華琳の覇道を支え、大陸に平穏を齎すためだからな」
チラリと一瞬だけ移動する一刀の視線。
その先には赤と青、対照的な色の服を纏う彼女達がいた。
(何より、春蘭と秋蘭が望んでいることでもあるんだからな……)
いつまでも変わらない、一刀のその決意がそこにはあったのだった。
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第五十四話の投稿です。
暫くは拠点回ということになりますね。