「劉備殿、諸葛亮殿、面を上げてください。何時までもそのままでは陛下がお話をしにくい
との仰せです」
「ひゃ、ひゃい!!」
「はわっ!?申し訳ありみゃしぇん…はわわっ、かんじゃった」
月からかけられた言葉に劉備と諸葛亮はわたわたとこたえていた。
劉備は五胡との戦いの後、それまでの平原だけでなく鄴も与えられ、南皮も領する事にな
った公孫賛・并州の州牧を兼務する事になった董卓と共に実質北方の守りを担う事となり、
今回は定時報告の為に諸葛亮を伴って洛陽へ来ていたのであったのだが…冒頭の通り、命
の前に出て来たと同時に二人ともカチンコチンになってしまい、話がまともに進んでいな
いという状況であった。
「劉備よ…お主とて太守の身、何時までもそのような体たらくでは困るのじゃがな。これは
皇帝としてだけではなく、同じ劉姓を持つ者としての忠告じゃぞ」
「は…はい、申し訳ありません」
・・・・・・・
「はぁ~っ…朱里ちゃん、やっと終わったよぉ~」
「…私がこう申し上げるのも何なのですが、桃香様がもう少ししゃんとしていただけていれ
ば多分もう少し早く終わったのではないかと」
「でもでも~、陛下と面と向かってお話するなんて滅多に無いし緊張するなって方が無理な
話だよ~」
命への拝謁が終わった後、劉備はそんな事ばかり言っており、さすがの諸葛亮も少々辟易
していたのであった。
「ところで朱里ちゃんはこれからどうするの?帰るのは明後日だったよね?」
いきなりの話題の転換に、諸葛亮は内心苦笑しながらも答える。
「私は輝里ちゃん…じゃなかった徐庶殿とこの後会う予定がありまして」
「徐庶さん…って確か衛将軍の北郷さんの所の軍師さんだったよね?」
「はい、徐庶殿は私と同じく水鏡女学院の出身で、姉弟子であると同時に私と雛里ちゃんに
とっては本当のお姉さんみたいな存在の人なんです」
「へぇ、そうなんだ…ねぇ、私も一緒に行っちゃダメかな?」
「えっ、桃香様も…ですか?」
「うん、今日はこれから何もする事が無くて暇だから『へぇ、何時何処であなたは暇になっ
たのかしら…桃香』…ひっ!?」
突然かけられた声に驚きの声をあげた劉備が振り向いた先にいたのは…瑠菜であったのは
言うまでもない。
「桃香?確か陛下との拝謁が終わった後で私の部屋に来るように言ってあったわよね?私が
ボケているわけではない…わ・よ・ね!?」
「は、はい!そうです!そうでした!ごめんなさい!!先生のお部屋に行く約束でした!!」
「ならばこのまま来なさい…ああそうだ、諸葛亮さん。桃香の事を少しお借りしますから」
諸葛亮にそう言って瑠菜はまさに劉備の首根っこを掴んで連れて行ってしまう。それを見て
いた諸葛亮はただ呆然と顔をひきつらせているだけであった。
「あれ、瑠菜さん何やってるの?」
今日の仕事を終えて部屋に帰る前に少し散歩をしていた俺の眼に映ったのは…差し向かいで
劉備さんと何かやっている瑠菜さんの姿であった。
「あら、一刀。今日は少々出来の悪い教え子への再教育…って所かしら?」
瑠菜さんはそう可愛く言っていたが…俺の眼に映る劉備さんは完全にグロッキー状態だ。何
だかまるで劉備さんの精気を瑠菜さんが全て吸い取ってしまっているような…それじゃまる
で何処かのホラーかエロゲーだな。
「うう~~~っ………あれ、北郷さん?何時からいたのですか?」
「ついさっきですけど?劉備さんが何だか虚ろな眼で本を見ていたので何があったのかと思い
ましてね」
「えっ…私そんな顔してました?」
「ええ、その顔に『一刻も早く授業が終わって欲しい』って書いてある位にね」
「え…ええっ!?私の顔にそんなのが!?」
劉備さんは慌てふためきながら袖で顔をゴシゴシこすり始める…いや、本当に書いてあるっ
てわけじゃないんだけど。
「桃香、落ち着きなさい。本当に顔にそんな事が書けるわけがないでしょう?」
「………あ、そうなんだ。嫌ですよ~、北郷さんったらそんな嘘なんか言っちゃって」
「ねぇ、瑠菜さん?」
「…お願いだからこれ以上聞かないで」
瑠菜さんは少し疲れた顔でそう言ってくるので、俺はそれ以上聞く事をやめたのであったの
だが…劉備さんって色々と独特な人だな。
「それで、今は何の授業なの?」
「今教えているのは『韓非子』よ」
韓非子ねぇ…あれ?確かそれって諸葛亮が劉禅への教材として献上したってやつじゃなかっ
たっけ?それが此処じゃ盧植が劉備に教える教材か…色々不思議だな。
「でも見た所あまり理解出来ているようには見えないんだけど…」
「本来なら彼女には『孟子』の方が良いのかもしれんだけど…何だか孟子の言葉を拡大解釈し
てしまいそうで」
孟子を拡大解釈ねぇ。『人は皆良い人だから話せば皆分かってくれるよ』って言い出すとか
だろうか?でも拡大も縮小も本人が内容を理解出来なければやりようがないような気もする
のだが。
「…なら、北郷さんは分かるんですか?」
俺の『理解してない』という発言に少々ムッとした顔になった劉備さんがそう聞いてくる。
「俺も完全に理解していると断言出来るわけではないけど…法によって国と人を統治する為の
心構えとその方法について書かれた書だったかと。確か始皇帝の愛読書だったよね?」
「確かに完全に理解しているという感じではないけれど、おおよそそんな感じね」
「むぅ、でも始皇帝って民をいっぱい苦しめた人ですよね?だから秦ってわずかの期間で滅び
たって聞きましたけど?」
「それは少し違うな。確かに始皇帝にやり過ぎな面もあったのは事実だろうけど、秦が滅んだ
原因を作ったのは宦官の趙高だよ。少なくとも始皇帝の後を長子の扶蘇が継いでいればあん
なに早く秦が滅ぶ事はなかったんじゃないか?」
劉備さんの疑問に俺がそう答えると彼女は少々ふてくされたような顔で俺を見る。
「桃香、自分が言い負かされたからってそういう顔をするものではありません」
「でも先生、漢はその秦を打倒して出来た国ではありませんか?その秦の始皇帝の愛読書なん
かに何の価値があるというのです?」
「それは少し違うな。高祖は確かに秦を打倒はしたけど、漢という統一王朝が出来たのは項羽
との戦に勝利した後だろう?しかも今の漢はそれを継承こそしているけど、王莽に一度滅ぼ
された国を光武帝が再建した物じゃなかったっけ?」
「そうね、それにそもそも幾ら敵だったとはいえ、それの基になった思想の全てを否定する事
はまた違った話よ」
俺と瑠菜さんにそう言われ、劉備さんはますますふてくされたような顔になる…っていうか
大丈夫なのか、この人?
「まあいい、別にこれ以上あなたと言い争いをするつもりも無いし…邪魔したね、瑠菜さん」
「ううん、この子にはたまにはこういう事も必要だと思ってたし。また頼むわね、一刀」
瑠菜さんがそうにこやかに言っている横で劉備さんはとてもげんなりした顔をしていたが…
俺がそういう顔をしたい位なんだがね。
・・・・・・・
次の日、俺は街の視察に来ていた。将軍職にある者がわざわざする必要は無いと言う人もい
るけど、報告書だけでは分からない事の方が多いのでこうやって自分の眼で確かめる必要も
あるというものだ。
今日は何時もあまり回らない本屋街の方に来てみたのだが、此処は街の中心よりは少し奥ま
った所にあるのでそんなに人通りが多いわけでも無い。
「うん、あれって…」
そこに見えたのは…何だかこそこそ辺りを窺うようにしながら一軒の本屋に入っていく諸葛
亮さんの姿だった。
何だろう…あの本屋って確か他の店とラインナップが違うって前に及川が言っていた所だっ
たよな?でも、本を買いに行くだけでそんなにこそこそするはずは無いし…まさかとは思う
けど、諸葛亮さんが何かしら怪しい取引とかに手を染めているなんて事だったら大変な話に
なる。此処は一応確認しておこうか…。
・・・・・・・
その本屋に入ってみると…なんともいえず怪しさ満点だな。店内は全体的に薄暗く、普通は
棚に入っている本の書名が分かるようになっているのに、この本屋の本は一見しただけでは
何の本か分からなくなっている。
一応、一冊だけ中身を一部だけ読めるようにしてある見本的なものがあったので開いてみた
のだが…。
「これって…艶本だよな?」
その内容は…完全に18禁的な物であった。まさか諸葛亮さんにそのような趣味が…まあ、別
に個人の趣味についてどうこう言うつもりは無いのだが、一応何をしているのかだけ確認し
ておく事にしよう。
俺は店のさらに奥に進んでいく。すると奥まった所のある一角に諸葛亮さんの姿があった。
「はわわ~っ…さ、さすがは洛陽でしゅ。八百一だけでもこんなにも種類が…しかも輝里ちゃ
んの新作がもうこんなに製本されてるなんて。新作が発売になったって平原に伝わるまでが
三日、それから発注して本が届くまでにさらに三~四日かかるのに…此処じゃ輝里ちゃんが
書き上げてからわずか数日でこんなにあるなんて…凄すぎでしゅ」
そして彼女は何だかもの凄く感動したようにそう呟いていたが…今、八百一って言ってたな。
彼女もそういう趣味なのか…っていうか、輝里といい彼女といい、水鏡女学院とやらはそう
いうのを教えている所なのか?
「こ、これだけ、くだしゃい!!」
そしてしばらく物色してから諸葛亮さんは結構な量の本を一気に買っていた。まさかこの世
界で大人買いの現場を目撃するとは…彼女の見た目は大人っぽくないけどね!
まあ、何時までもそれを見ていても仕方ないし街の視察に戻ろうか…そう思い店を出ようと
した瞬間、諸葛亮さんが店のカウンターに載せた本の束が崩れて彼女の上に落ちそうになる。
「は…はわわわっ!?」
俺は危ないと思ったと同時に一気に駆け出し彼女と本の間に身体を滑り込ませる。俺が身を
呈したからとりあえず彼女に怪我は無さそうだが…本が当たった背中とかが少し痛いんです
けど。一冊一冊はさほどの厚さや重さは無いはずの本でもこれだけの量だと半端無いな。
「大丈夫か、諸葛亮さん?」
「は、はい…ありがとうございます。でも…何で北郷様が此処に?」
「え~っと…視察中に何だか挙動不審な諸葛亮さんの姿が見えたもので」
「………全部見てましたよね?」
彼女のその質問に…誤魔化すべきかとも思ったが、此処までタイミングの良い登場の仕方を
してしまった以上、彼女の頭の回転の良さなら全てを察するだろうし…。
「…ごめんなさい」
「………………はうっ」
俺が深々と頭を下げると同時に彼女の顔が一気に赤くなったかと思うとその場で失神してし
まう。
俺は彼女が失神しただけである事を確認した後、彼女が買おうとした本の代金を代わりに支
払い、彼女と本の山を抱えて店を出たのであった。
それから半刻程後。
「………うう~~~~~ん、あれ…此処って?私は確か………」
「眼は覚めたようだね」
「北郷様?……………………はわっ!?」
眼が覚めた彼女に声をかけると、最初は少し寝ぼけている感じだったが、すぐに状況を思い
出したのか、驚きの声と共にとびあがるように起き上がる。
「あ、あの…私、確か」
「ああ、此処は君達の宿舎だよ。とりあえず倒れた君とこの本を持って此処に来たんだけど…
劉備さんはまだ帰ってきてないようだし、一応兵士さんには断りを入れた上で此処まで運ば
せてもらった」
「も、もももももも…申し訳ごじゃいましぇん!!まさか北郷様にそのような事を…」
「大丈夫、大丈夫、そもそもこっちにも原因があった事だし」
諸葛亮さんは寝台の上で深々と土下座をしてくるので、俺は彼女をなだめて顔を上げさせる。
「あ、あの…それで、今日の事は、その…」
「ああ、分かってる。誰にも言わないから…ああいう本は輝里で十分慣れてるし」
「あ、ありがとうございます…えっ!?それはどういう…?」
「輝里がああいうのを書いているという事も既に知っているという事だ」
俺がそう言うと、彼女の眼は完全に驚きに見開いたままになっていた…まさか瞳孔まで開い
てないよね?
俺は彼女の顔の前で手をひらひらさせてみたりしたが、しばらく固まったままであった。
「……まさかあれを知っていながらお認めになられているとは、本当に驚きです」
しばらくしてようやく正気に戻った彼女の第一声がそれであった。
「まあ、俺は人に迷惑がかからない限りは個人の趣味に関してどうこうと言うつもりは無いか
らね…ただ、命…陛下は八百一の事を凄く毛嫌いしているから気を付けておいた方が良いか
もしれないけど」
「は、はい、分かりました」
彼女はあの諸葛孔明だからこれだけ言えば後はうまくやるだろう…頭の回転は速いだろうし。
「まあ、それはそこまでの話として…一つ聞きたい事があるんだけど、良いかな?」
「はい、私でお答え出来る事でしたら」
此処でふと疑問に思った事を彼女に聞いてみる事にした。
「君は劉備さんの何に期待して彼女の軍師になろうと思ったんだ?」
「何に…とはどういう事です?」
「正直に言うと、彼女は武に優れているわけではないし頭が良いという風にも見えない。彼女
なりの信念は持っているのだろうけど、正直な話それに捉われ過ぎて現実が見えていないよ
うに感じるんだけど。瑠菜さん…盧植殿もそこを不安に感じて一生懸命鍛えようとしている
みたいだけど、あまり聞く耳を持っていないようにも見えるし…あなたは彼女に何を見出し
て軍師になったんだ?」
俺のその言葉に諸葛亮さんは眼を伏せて考え込むような表情を見せる…どうやら俺が言うま
でもなくそれは彼女も思っている事ではあるようだ。
「…確かに劉備様はご自分の理想とする所に拘り過ぎて現実から眼をそらしているような所が
あります。それが原因で逆に諍いが起きた事も一度や二度ではありません。でも、それでも
あのお方は自分の道を曲げずに進み続けています。だから私はいっそ劉備様にはそのままで
いてもらい、そこに問題が発生する場合は軍師として私が対処すれば良いと…そして劉備様
にはあの子供みたいな純真な心を持ち続けてもらいたいとそう思っているんです。それが私
があの人の軍師を続けている理由なんです…でも」
「でも?」
「ちょっとはシャンとして欲しいとも思っちゃったりもしてるんですけどね」
彼女はそう言って笑っていた。まあ、彼女がそこまで考えてやってるというのなら俺がこれ
以上とやかく言う事でもないのだろうが。
「劉備さんもなかなか優秀な軍師をお持ちのようで何よりですね。でも…」
「でも?」
「劉備さんがその理想に拘るというのなら、もしそれが近しい人間や愛しい人間を失う事にな
ろうともそれを貫いていく位でないと全てが中途半端に終わる事になる可能性がある。劉備
さんがそれを見失おうとしている時が来たらあなたはそれを止める事が出来るか…ですね」
俺が言ったその言葉の意味を即座に理解したのか、諸葛亮さんの顔がひきつる。
「ごめんごめん、少々嫌な話をしたようだね。ちょっと長居し過ぎたようだし、これで失礼さ
せてもらうよ」
俺はそう言って立ち去ったが、諸葛亮さんは何だか考え込んだ表情のままであった。
・・・・・・・
そしてさらに次の日、領地に帰る劉備さん達を俺と瑠菜さんで見送りに出ていた。
「桃香、しっかりおやりなさいね」
「は、はい!頑張ります!!」
瑠菜さんにそう言われたと同時に、劉備さんは背筋をこれでもかとばかりにピンと伸ばして
答えていた。結局の所、劉備さんと瑠菜さんのこういった関係は変わる事は無さそうだな。
「あ、あの、北郷様」
「どうしました、諸葛亮さん?」
そこに何だかおずおずと諸葛亮さんが話しかけてくる。
「私…これからも頑張りますから。例え誰に何を言われようとも、劉備様こそ一番の主君だと
信じて…」
「そう、ならば衛将軍としてあなた方の活躍に期待していますよ」
「はい、期待していてください」
諸葛亮さんはそう言って笑っていた。まあ、彼女にそういう意気込みがあるのなら俺はただ
それに期待するだけだな。
そして劉備さん達は帰っていったのであった。
・・・・・・・
「ふぅ、桃香ももう少し頑張ってくれると嬉しいのだけどね」
劉備さん達の姿が見えなくなった頃、瑠菜さんはそう呟いていたが、その顔は何だか嬉しそ
うに見えた。
「ふぅん、何だかんだ言って瑠菜さんも劉備さんの事が可愛くて仕方がなさそうだね」
「まあ、彼女も私の可愛い教え子だからね♪」
瑠菜さんはそう言ってウインクする。
「さて、それじゃ行きましょ」
そして瑠菜さんは俺の腕にガッチリ自分の腕を絡める。
「えっ、何処へ…『一刀、忘れたとは言わせないわよ?』…ああ、そうでした」
そういえばこの後は瑠菜さんの買い物に付き合うんだったな。正直、女性の買い物に同行す
るのはあまり得意じゃないんだけど…仕方ないか。
俺は瑠菜さんに引っ張られるまま歩いていくのであった。
続く。
あとがき的なもの
mokiti1976-2010です。
今回は劉備陣営のお話…のつもりだったのですが、
何だか朱里ちゃんメインになってしまいました。
決して前作のヒロインだからと依怙贔屓したわけ
ではありませんので。
そして…とりあえず次回はこの続きからで、瑠菜
さんとの逢引をお送りします。
果たしてどのような結果になるのか、乞うご期待?
それでは次回、第五十六話にてお会いいたしましょう。
追伸 関羽・張飛・趙雲・鳳統の四人は平原でお留守番
でしたので今回は出番無しです。
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お待たせしました!
今回は拠点第五弾です。
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