一刀が静養する山村に出発する日は一週間後。
南征軍が出陣するのと日程をあわせて決められた。
理由は一刀の乗る馬車の護衛も兼ねているからだった。
出発当日、呉の主だった将官が見送りに来ていた。
特に城に居残りになる雪蓮等(冥琳以外)は最後まで出発を遅らせようとしていた。
一刀も嬉しくはあったがこれでは元も子もないと苦笑いをしながら雪蓮等(冥琳含む)に口づけをした。
全工程の約半分ほどで両者は別れることになる。
その場所で野営をすることになった。
つまり、ここでしばらくのお別れになるからだった。道中はなかなか互いに話をすることはできない。
野営の準備と式を終えた蓮華達は一刀のいる簡易寝台に行き食事を共に取っていた。
行軍中の食事であるためお世辞にも美味しいとは言えない。
味よりも保存性を重視するためだ。
そんな食事も今日この時は素晴らしく美味なものに感じた。
食後の談笑を終えたて蓮華達は各々の天幕に戻っていった。
閨を共にするわけにはいかないのでせめてもと全員に口づけをした。
彼女たちはそれで満足したみたいだった。
一刀は全員が出て行ったのを確認して医師を呼んだ。
ただ「人払いをして欲しい」そう頼んだ。
命を受け、医師は出て行った。
少し経ってから一刀は口を両手で覆い。
数回、咳込んだ。
それが収まるのを確認して自らの手のひらを見た。
生暖かい血液がべっとりと付着していた。
「ははっ…」
乾いた笑いを洩らす。
一刀の辛く厳しい孤独な戦いはこうして始まりを告げた。
結果的に南征は成功を収めた。
時期を同じくして呉の本城に攻め込んできた呂布軍も雪蓮達の必死の防戦あり、その後到着した呉主力部隊と連携して撃退することに成功した。
それから数週間後に一刀からの手紙が届いた。
一刀らしいというか一人一人に一通ずつあった。
それを手に取り全員が大切そうに懐に仕舞って各部署に戻っていった。
皆の顔には笑みが浮かんでいた。
雪蓮は自室に戻ってから手紙を開封した。
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親愛なる雪蓮へ
こうして手紙を書くなんて初めてだから字が下手なのも文章が少しおかしいのも見逃して欲しい。
あ~なにを書いていいかわかんないや。
とりあえず元気ですか?俺の方は大丈夫です。村の人たちはとても優しいし、付いてきてくれた医師の皆は親身に俺の世話をしてくれます。
不満があるとすれば雪蓮に、呉の皆に会えないことぐらいかな。
これまで俺がどれだけ皆に世話になっていたのかが身にしみてわかった気がします。
俺も早く復帰して恩返しがしたい。
最近、そう強く思います。
会いたい。
俺の我儘だということは十分わかっています。
だから無理は絶対しないで欲しい。
話は変わるけどいろいろ大変だったみたいだね。
南征成功と本城防衛ご苦労さま。
これから呉はいろんなことが起きると思うけど、皆のことを信じ続けていれば必ず乗り越えられると思うので頑張って下さい。
離れた場所からではあるけど心だけは皆と一緒です。
早く呉の皆と笑って暮らせるそんな時が必ず訪れると確信しています。
短くってゴメン。
これが今の俺の精一杯です。
追伸:返事は送ってくれないで構わないから。皆のひいては呉の大切な時間を静養している俺に使わないで欲しい。
一刀より
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「ふふっ、一刀ってば。言葉使い滅茶苦茶じゃない」
雪蓮は微笑ながら机の引出しにしまった。
それからしばらくの時間が流れた。
呂布軍を破った劉備軍はそれを吸収し戦力を増やしていった。
それも長い時間は持たなかった。
曹魏が大規模な南征を開始したのだった。
総兵数50万の大軍だった。
対する劉備軍の兵力は5万ほどであった。対抗などできるわけがない。
総大将劉備は軍師の諸葛亮・龐統の進言に従い益州に逃げることを決定した。
その行程で呉に対し領内を通過の許可を求めてきた。
冥琳の「恩を売っておいて損はない」という進言により通行は許可された。
益州に入った劉備軍は巧みな軍略で蜀を我がものにすべく次々と成都に続く城塞を陥落させていった。
この行程で馬超・馬岱、次に黄忠、さらには厳顔・魏延という猛将と配下に加えていった。
民衆の解放と謳っているが実際は侵略したに過ぎない。
元々、蜀の地は皇帝と血縁のある劉璋の治める地だったのである。
ある意味での皇帝に対する反逆であったことは余談に過ぎないのかもしれない。
それにしても劉璋が皇帝の血縁ということは中山靖王劉勝の末裔を称している劉備とは遠い血縁、言うなれば血縁関係にあるのだった。
つまり同族どうしの殺し合い。
これも乱世がなせる業だろうか。
大徳を名乗りながら、矛盾とも言える行為。
決して褒められたものではない。
だがなんと愉快なことだろう。
後世の史家はどう評価するのだろうか、不愉快に思う者もいるだろう。諧謔味を帯びた笑みを浮かべるのだろうか。
興味をそそられるばかりである。
少々蛇足が過ぎてしまったようだ。
その後のことを語ろう。
劉備軍は成都を攻略し、巴蜀の地を手に入れた。
そして蜀を国と定め自らを蜀王とした。
つまり世にいう三国時代の到来である。
それでも曹魏の力は強大であった。
南進をして来るのは目に見えている。
呉・蜀の緊張は日に日に高まっていた。
そんな時、何度目になるだろうか一刀からの手紙が届いた。
毎回雪蓮は自室に戻りそれを開封する。
今回はそれとは別に小さな贈り物もあった。
大きさは手のひらに乗るぐらいの大きさだった。
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親愛なる雪蓮へ
いよいよ、最後の決戦が近くなってきたみたいだね。
俺も本当は雪蓮達と一緒に戦いに参加したかったけどちょっと間に合わなかったみたいだ。
その代りと言ったらなんだけど贈り物をすることにしたんだ。
小さな袋が届いていると思うんだけど。
あんまり期待しないで欲しい。
中身は雪蓮に似せて作った木彫りの人形なんだけど。
似てないなと自分でも思うよ。
それでも何か送りたかったんだ。
お守りとして持っていてくれれば嬉しいな。
最初の手紙に書いたと思うんだけど、次の戦では信頼が一番重要になってくると思う。
でもホントはあんまり心配してないんだ。
だって呉の皆の絆は凄く強いものだって知ってるから。
雪蓮達の言う天の国には『信じる者は救われる』って言葉があるんだ。
それは本当だと思う。
だからもう一度だけ、書いておくよ。
どんなことがあっても呉の仲間のことを信じて、信じ抜いて欲しい。
これが俺のお願いだ。
もう少し、もう少しだけ頑張ろう。
一刀より
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雪蓮は机の上に置いていた袋を開け、中身を取り出す。
それを掌に載せる。
お世辞にも褒めるような出来ではない。
そんなことはどうでもよかった。
一刀が自分の為に作ってくれたのだ。
宝物庫に納められているどんな芸術より価値のあるものだ。
そう思えた。
それをギュッと抱きしめた。
一刀の指先の温もりが感じられたそんな気がした。
曹魏軍50万が我らが呉領に南進を開始したとの報告を受けたのはその後すぐだった。
即時呉軍は軍を編成し、江稜に防衛線を敷きこれに対応せんとした。
しかし、敵軍はあまりに強大。
防衛線はじりじりと押され続けていた。
そんな時、蜀から使者が届いた。
希代の軍師諸葛孔明であった。
内容は同盟の締結。
呉・蜀この二国で曹魏に対抗しようという申し出だった。
当然だろう、呉が敗北すれば次は蜀が標的になる。
それと曹魏亡き後の大陸の二国支配体制。
孫呉に選ぶ余地も時間もなかった。
それほど悪い条件ではないわけではない。
今の孫呉自体が天下統一の意志がそれほど高くないのも理由の一つだろう。
決戦は赤壁でそう決定が下された。
呉は一度後退し体制を整えた。
赤壁近くの陣地に呉・蜀同盟軍は集結していた。
迫りくる魏軍は兵力50万、対する同盟軍は呉軍20万・蜀軍10万の合計30万。
数的不利は否めない。
それについて呉軍筆頭軍師・冥琳と蜀軍筆頭軍師・孔明を中心に軍議を進めていた。
それを聞き流していた雪蓮は一刀にもらった『お守り』を見つめていた。
(もう少し、もう少し)
一刀の手紙にあった内容を反芻していた。
いつの間にか冥琳と祭の罵声が飛び交っていた。
多少驚いたが戦前でピリピリしているのだろうと窘めようとした時。
一刀の手紙の内容が思い出された。
『皆を信じて』
そうだった。
私が皆のことを信じなくてどうするのか。
それに直観がこれは悪いものではないと告げている。
雪蓮は成り行きを見守った。
結果として祭は処罰されることとなり、祭は魏軍へと逃亡を図った。
追撃軍が出たものの捕らえることはできず魏への投降を許してしまった。
これにより同盟軍は多少混乱したがそれぞれ雪蓮と孔明が皆を宥め落着きを取り戻した。
異変が起きたのは夜になってからだった。
風向きが東南変わった時だった。
突如、曹操の大船団から火が上がったのだった。
雪蓮はこれが一刀の手紙にあったことなんだと確信した。
「総員攻撃に移れ!蓮華は撤退してくる祭の援護に向かえ。これは孫呉の存亡を賭けた戦である!これを乗り越えれば平和を手にすることができる!!火計の成功した今こそが好機!!!我らが怨敵曹魏を撃滅せよっ!!!!」
即時、雪蓮は大反攻を下令した。
混乱する曹魏軍はうろたえるしかなかった。
それに対し同盟軍は快進撃を続けていた。
先陣を撃破し曹操のいる本陣に迫っていた。
このとき祭は蓮華により助けられて後方支援に回っていた。
彼女の弓の先端に不格好な木彫りの人形が結わえつけられていたのはほとんどの者が気づいていなかった。
雪蓮の乗る旗艦は曹操が視認できる位置まで接近していた。
両者、互いの眼をじっと見据える。
あの日の死闘以来の再会であった。
戦場特有の怒声、悲鳴が響く中で二人の間だけは凪いでいる海のように静寂が支配していた。
雪蓮の激しく鋭い虎眼、曹操の誇り高き竜眼。
声を発したのは同時。
「曹操!」「孫策!」
二つの旗艦は前進を開始した。
みるみる二つの影は近づいていった。
「「舵はそのままでさらなる前進を続けよ!退くことは罷りならん!」」
もうどうにもならないほど接近していた。
「「総員、追突時の衝撃に備えよ!!」」
船首がぶつかり合い船体が悲鳴を上げる。
さらに二つの影が疾走を開始する。
互いの全力を込めた剣戟が交叉した。
それを弾くように両者間合いをとる。
全軍が二人を見つめていた。
「やはりこうでなくてわね。英雄同士の戦いというのは」
「お生憎様、こっちは早くこんな戦終わらせてしまいたんだけど」
「釣れないこと言うのね」
「当然よ。だって私のこと待ってる男がいるんだもの」
「くだらない理由ね」
「そうかしら?」
「えぇ」
両者黙り込み睨み合った。
そしてまた剣戟をぶつけ合う。
総大将どうしの戦う姿は美しい舞のようであった。
辺りは燃え盛る曹魏軍の船で真昼並の明るさで全てを照らし出していた。
例えるなら蝋燭が最期のほんのわずかな時間だけ激しく燃え盛るように。
これが三国鼎立の最期か乱世の最期かはまだ誰にもわからなかった。
それを決定し得るのはこの二人に委ねられたのだった。
当に実力伯仲。
前回二人が戦った時とは状況が違う。
曹操の心情に揺らぎはなかった。
それどころか曹操の双肩には曹魏50万の兵の命、そして彼女が愛して止まない娘たちの運命が懸っている。
そして得物『絶』を振るう。
静かにそして激しい蒼炎を双眸に宿しながら。
対する雪蓮は僅かな焦りを感じていた。
(曹操がここまでやるなんて)
それでも負ける気はしない。
決して武将としての能力を言っているわけではない。
想う対象の違いだ。
曹操は多数の人間を広く愛している。
それこそ王のあるべき姿。
配下に公平な愛を。
間違っていることは何一つない。
むしろおかしいのは私の方だ。
王の部分の私が言う。
実際、私はいま女である私に従い、発言・行動した。
一刀のことだけを想って。
一途に。
笑っちゃうわ。
私はこんなにも一刀に依存している。
わかりきってたことなのに。
だから、私は負けない。
負けられない。
この苦しみから私を解き放ってくれるのは一刀だけ。
ただ一人だけ。
そして得物『南海覇王』で斬りつける。
ひたすらに激しい業炎を双眸に宿しながら。
二人だけの戦いが始まってから半刻が過ぎようとしていた。
双方、汗と灰で美しい顔を汚し、肩で息をしていた。
体力はもうほとんど残っていないだろう。
数合打ち合えるかどうか、その程度だった。
「そろそろ終わりにしない?」
切り出したのは雪蓮だった。
「そうね。いいでしょう」
お互いの船の崩壊が近いのだった。
激突した部分から浸水、廃棄寸前の状態だった。
二人は間合いをとった。
「当然、勝つのは私でしょうけど」
「それはどうかしらね。私も負ける気がしないし」
「ふふっお互いさまね」
柔らかな笑みから一瞬、曹操が風のように駆けた。
小柄な体格を利用し破損した船の一部を縫うようにして。
対する雪蓮はそれを迎撃しようと切っ先を曹操に向け、その姿を瞬きもせず見据える。
両者の距離は見る見るうちに詰まっていく。
それが10間ほどになった時、雪蓮は飛び出した。
体を沈ませ、一歩で懐に入り込み、南海覇王を曹操の喉に向け突き出した。
それを曹操は予見していたかの如く、横っ跳びに避ける。
飛んだ先にあるのは無残に圧し折れた帆柱。
地面に対し垂直になる様な体勢でそれに両足をつけ、膝を曲げてそのまま二段目の跳躍。
雪蓮に斬りかかった。
不意を突かれたとはいえ、武人である雪蓮だ。
曹操を正面に捉え、南海覇王を構える。
得物同士が激突した。
勢いで勝る曹操の鎌撃に雪蓮は二間程弾き飛ばされた。
辺りに転がる残骸のせいで雪蓮は体勢を崩してしまう。
当然、その隙を曹操は見逃すはずがない。
雪蓮の頸めがけ得物を振るった。
それを雪蓮はじっと睨みつけていた。
周囲から歓声と悲鳴が聞こえる。
曹操は『絶』を振り切った。
一段と声が大きくなる。
それに掻き消されそうな声で曹操は呟いた。
「終わりね」
「えぇ、曹操あなたの負けでね」
あり得るはずのない声が響いた。
先ほど頸を刈り取られた雪蓮の声だった。
「納得いかないわ」
曹操は自らの得物を甲板に投げた。
甲板にあったのはただの鉄の棒だった。
曹操の得物『絶』は刃の部分が衝撃に耐えきれずに折れてしまっていた。
「さぁ、私を斬りなさい。それで」
「ダメ」
雪蓮は斬り捨てるように言った。
「はぁ!?」
「だってあなたにはやって貰わなくちゃいけないことがあるんだもの」
「ふざけないでちょうだい!!」
「別にふざけてなんていないわよ」
「そんなことが許されるわけないでしょう!?」
「許すとか許さないとかそういう問題じゃないの。私が勝って、あなたが負けた。敗者は
勝者の言うことを聞く。当たり前でしょう」
「……」
「だから今は殺さないであげる。…ほら」
雪蓮は船団の一角を指した。
「「「華琳様~!!」」」
そこには曹魏の将達が居た。
「…わかったわ。それで私はなにをすればいいのかしら?」
「腕のいい医者を連れてきて」
「そんなことでいいの?」
「もちろん!ただし、生半可なヤツを連れてきたらあなたを殺す」
底冷えするような声で雪蓮は告げた。
当然、そのくらいで臆する曹操ではない。
「いいでしょう。華陀っていう腕のいい医者を知っているから見つけ次第、あなたの所に送るわ」
「信用できるんでしょうね?」
「私自身も華陀に診てもらったことがあるくらいよ」
「へぇ、それなら大丈夫そうね」
「理由を聞かせてもらっていいかしら?」
「教えてあげない」
「あなたのことを待ってるっていった男の為?」
「わかってるじゃない」
「ただの勘よ」
「すごくいい男なんだから。あげないわよ」
「いらない。でもあなたほどの人間が惚れるんですもの興味はあるわ」
「私だけじゃないわよ。呉の将は皆、一刀に惚れてるんだから」
「…本気?」
「本気も本気よ。ベタ惚れ」
「そんなヤツのせいで負けたなんて」
「失礼ね~。ま、気が多いのはホントだけどね。それじゃこれで戦は終わり。後は冥琳たちに任せるわ」
二人の総大将の壮絶な一騎打ちで後に赤壁の戦いと呼ばれる合戦は終わりを告げた。
雪蓮は華琳に頼んでいた華陀の捜索も待たずに一刀が療養している山村へ単騎で駆けていた。
もちろん始めからそうだったわけではない。
雪蓮が早過ぎる為に追いつけないのだ。
他の諸将がなぜ居ないかというと、全員が戦後処理に追われていたからだ。
戦に勝ったからといって喜んでばかりはいられないのだ。
家族を失った者への援助、戦により高騰した物価の問題、数え切れない程の問題が山積みだった。
それでも昨日は大規模な宴が催された。
もはやお祭りと言ってもよかった。
呉の老若男女すべてが顔に笑みを浮かべていた。
無論、呉の主要な面々も同じだった。
ただし、どこか影がさしているようだった。
皆、一刀のことを考えているのだった。
本来ならばここで共に喜びを分かち合えたはず。
しかし、彼は以前刺客からうけた毒によりここより遠く離れた山村で療養生活を続けている。
どうしようもないことはわかっている。
だが心配なのだ。
愛する男のことが。
大好きな酒の味がわからなくなってしまうほど。
「ふぅ」
「どうしたというのだ?」
「べっつに~」
雪蓮は声をかけてきた冥琳の目を見ずに答えた。
じっと杯の七分目ほど注がれている琥珀色の液体を見つめながら。
一方、話しかけた冥琳も雪蓮がなにを想っているのか気づいていた。
当然と言えば当然だった。
彼女は雪蓮の親友なのだ。
長い時間を共有してきたのだ。
わからない方が無理だった。
「北郷のことだろう?」
「…」
雪蓮は答えなかった。
図星だったからではない。
冥琳なら気づいて当然…いや、ここにいる全員が気づいていただろう。
ただそれを表に言葉として具体的な形を持たせたくなかったのだ。
そうすれば溢れてしまう。
感情と言う名の奔流が。
一刀の身を案ずる私(女)。
戦勝を祝わねば…喜んでいる私(王)。
相反する感情はちょっとしたことで決壊し、漏れだしてしまう。
「気持ちはわからんでもない」
沈黙を破るように言ったのは冥琳だった。
かくいう冥琳も一刀の身を心から案じている人間の一人だった。
「そんなに気になるのなら様子を見に行けばいいだろう」
「えっ!?いいの?」
「良いも悪いもないだろう。我らの王は雪蓮なのだ。お前の言う通りにするさ」
「ありがと!」
「そのかわり」
「…そのかわり?」
「帰ってきたらちゃんと報告しろ」
「了解♪」
「抜け駆けは許さん。それに雪蓮の分の仕事は全部残しておいてやる。覚悟しろ」
「はぁ~い」
二人の表情に笑みが戻った。
それを見た呉の将達の顔にも笑みが浮かぶ。
「今日は無礼講よ!存分に食べて、大いに酔いなさい!」
歓声があがった。
一刀の療養している山村が見えてきた。
疲れきっている馬を気にすることもせず、さらに速度を上げた。
眼を閉じれば瞼の裏に一刀の姿が浮かぶ。
もう少しで会える。
いっぱい話をしてやろう。
もうすぐ腕の良い医者が来てくれること。
私も皆のどれだけ一刀に会いたかったかを。
そして城に一緒に帰ってどんなことをするかを。
一刀といっしょならなんでも楽しいに決まってる。
「待っててね、一刀」
もうすぐそばにいるよ。
なぜだか村は閑散としていた。
人がいないわけではないが覇気がない。
呉が戦に勝利したことはすでに伝わっているはずだし、それほど日数も経っていないはずだからもっと活気があっていいはず。
変な感じはしたがそれよりも一刀のことが気になり、一人の村人に声をかけた。
「ねぇ、この村で療養してる一刀って男がいるはずなんだけどどこにいるか知らない?」
「…それならあちらに」
村人は村のはずれにある割と大きめの家を指で指し示した。
「ありがと!」
雪蓮はその家に向かって駆け出した。
「あっ!」
後ろの方でなにか声をかけられた気がしたがそのまま足を進めた。
期待に胸を膨らませて。
玄関の前に立つ。
突然、鈍い痛みが雪蓮の胸に走った。
外傷ではない、雪蓮の勘が告げている。
ここを開けたらだめだ。
後悔する。
それでも雪蓮は扉に手をかけた。
開け放った。
中を覗き、一刀の姿を探す。
誰もいない。
さっきまで人のいたような感覚はある。
散歩にでも出かけたのだろうか?
さっきのは杞憂だったんだろう。
そう思いながらも雪蓮は家の中に入った。
寝台は綺麗にしている。
それに女性の臭いもしない。
「さすがの一刀もあんな状態で女に手を出せなかったみたいね」
笑みがこぼれた。
寝台に座って、下掛けを指で撫でた。
ここで一刀がいつも寝てるのね。
なんだか一刀の温もりが残ってる気がする。
しばらくの間、そうしていたが一向に一刀が返ってくる気配がないので雪蓮は探しに行くことにした。
周囲を散策してみるが見つからない。
しかたないので気の向くままにふらふらと歩を進めた。
いつの間にか一刀の家の反対側の村はずれまで来ていた。
「こんな所に来るわけないか」
方向転換してきた道を戻ろうとした時、来る時には見えなかった細い道を見つけた。
ひと一人がやっと通れるくらいの道で、森の方に続いているみたいだった。
ここから先は行っちゃいけない。
再び雪蓮の勘がそう告げた。
それでも行かないといけないような気がする。
好奇心などではない。そう、言うなれば義務感。
雪蓮は細い道に足を踏み入れた。
辺りは木々が多くなってきた。
森に入ったのだろう。
だが、道はまだ先に続いている。
さらに進むと小川が見えてきた。
そのほとりにポツンと置いてあるものがあった。
石だ。
なぜだかものすごく見覚えがある。
「…嘘」
そんなはずない。
「…ウソ」
もう気づいてた。
「そんなのダメよ」
見えてる。
「こんなの信じられるわけない!」
その石に刻まれているのは…
「嘘だって言ってよ!!!」
『北郷 一刀』
「ねぇ、一刀っ!!!!」
雪蓮は一刀の家の方に走った。
すぐに扉を開け放つ。
そこには一人の男がいた。
見覚えがある。
城で一刀の治療をした医者だ。
雪蓮はその医者の胸倉を掴み叫んだ。
「どういうことなの!?」
「そ、それは」
「一刀が死んだなんて嘘でしょう!?」
「…申し訳ありません」
医者は目を伏せて雪蓮にとって最も残酷であろうことを告げた。
現実を。
雪蓮は足もとが崩れてしまったように床に座り込んだ。
「ぁあ…ぁぁぁあああああぁぁあ!!」
抑えきれない感情が涙に声になり溢れ出した。
「そんなの嘘!!!違うの!一刀が死んだなんて嘘よ!!」
なかば狂乱したかのように雪蓮は中空に叫ぶ。
涙が溢れて止まらない。
「私は…一刀が生きて戻ってきて……くれるって信じてたのに。一刀が信じる者は救われるって…言ったのに…一刀は救われなかったじゃない!一刀がいなきゃダメなのに!一刀が、か…ずとが…ぅうぅうう」
寝台に顔を押し付け嗚咽を漏らす。
あの時と同じように。
でも一刀はいない。
もう温もりもない。
もう二度とあの優しさを肌で感じることはできない。
そう思うとさらに涙の量は増えるばかりだった。
雪蓮はそのまま泣き疲れて眠ってしまった。
「…ん」
目を覚まし、辺りを見回すと窓から暖かい朝日が差し込んでいた。
寝ぼけた頭でぼんやりと昨日のことを思い出す。
また目頭が熱くなってくる。
存分に泣いていいのだろうが近くに人の気配がするのと、王としての誇りがそれを押しとどめた。
木と木がすれ合う様な音が響いて扉が開かれた。
中に入ってきたのは昨日会った医者だった。
「お加減はいかがですか?心中お察しいたしますなどと出過ぎたことは申せませんが…」
「かまわないわ」
素っ気なく応じる。
怒る気力もないのだった。
しかし、背中に羽織っている毛布はこの医者が用意したものだろう。
それよりも情けなさが込み上げてくる。
「昨日は取り乱して悪かったわね。…それで話してくれるのでしょう、一刀のこと…」
むろん、一刀の死に際のことだ。
このことはきちんと皆に報告しなければいけない。冥琳との約束だった。
この堪えようもない事実を伝えなければいけないことはこの上なく辛い。
これも王としての責務なのだろうか。
最後まで聞き終える自信すらないのだ。
すべてを捨ててしまいたい。
(いっそ…)
自虐的な衝動までが頭を巡る。
「御遣い様の容体はこの村に着く前から決して良いとは言えませんでした」
医者の言葉が聞こえて我に帰る。
「続けて」
抑揚のない声で続きを促した。
「呉の皆様の前では気丈に振る舞っておられましたが、皆様が帰られると少し時間を空けて人払いをなさって一人苦しんでおられました。もちろん我々も全力を以って治療に当たりました。しかし、施しようもないくらいに毒は御遣い様の体は蝕んでおいでだったのです」
「……」
「それはもう想像を絶する苦痛だったと思われます。それでも御遣い様は耐えておられました。孫策さま、そして呉の将の皆様の真名を口にしながら、ひたすらに耐えておられました。それどころか治療している我々にまで気をつかわれて…これ以上に口惜しいことがありましょうか。苦しいのはご本人に違いないはずなのに!」
「それで」
昂ぶっている医者を諌めるように雪蓮は言った。
内心は少し嬉しかった。一刀は変わってない。
そう、出会ってからずっと。
「申し訳ありません。それでこの村に着いてからなのですが、御遣い様の容体は悪くもおなりにならない代わりに良くもなられませんでした。僥倖と思いました。その間になんとか御遣い様を治療できる術を模索できると思いましたので」
「…」
視線だけで続きを促す。
「それが一か月ほど前でしょうか、朝から妙に体調が良いと言われて近くを散歩なさった時にお倒れになったのです。もちろん事前にお止しましたが聞き入れてもらえず、しかたなく後ろからついて行っておりましたのですぐに安静に寝台までお連れすることができました」
倒れたという言葉に眉をぴくりと動かしたが同様に促した。
「次の日の昼ごろに目を覚まされましたので体調はどうかと伺いましたが、変わりないと仰られました。当然、診察は行いましたが別段変った所は発見できませんでした」
雪蓮は我慢できないとばかりに椅子を倒して立ち上がった。
「どうしてそのことを報告しなかったの!?」
「そ、それは…御遣い様が絶対にこのことは孫策様たちに言わないでくれと申されましたので」
「はぁ!?」
「我々もそれは拙いと言ったのですが、『責任は自分が取るから、お願いだ』と申され頭まで下げられては我々にはどうすることも…」
「いったい何を考えてるのよ、一刀は!」
「ですが、その時に御遣い様が浮かべておられた表情は忘れることができません」
「…どんな?」
「微笑んでおられたのです、ひどく悲しげに。その後、孫策様たちの居城の方をじっと見つめていらっしゃいました」
「…どうしたっていうのよ。教えてくれなきゃなにもわからないじゃない」
雪蓮の顔が悲しげに歪んだ。
「それと、もし呉の将の誰かがここに来ることがあればこれを渡してくれと頼まれていたものがあります」
医者はおもむろに立ち上がり、戸棚のある方に歩いて行った。
そして扉を開け、大きな袋を取り出した。
「どうぞ、お受け取り下さい」
雪蓮はそっと袋を開けて中身を見た。
「手紙?」
「はい、御遣い様はずっと呉の皆様に宛てた手紙を書いておられました。お亡くなりになる直前も」
数通取り出して見てみると自分や他の皆の名前が書いてあった。
「どうしてこんなに?」
明らかに不自然だった。量からして一人に対して10通以上はあるだろう。
「御遣い様は倒れられてからというもの手紙を書いておられる時間が極端に増えました。不謹慎ですが、もしかしたら自らの死期を悟られておられたのかもしれません。その一週間後に再び倒れられた時、この時は吐血もされましたので治療後、手紙を書くのをお控えになるように進言したのですが、逆に増えてしまわれました」
「……」
どうして一刀はこうなんだろう。
誰にも言わずに自分の中に全て押し込める。
これが一刀の優しさであることはわかってる。
わかってる、けど…。
その優しさは時に私たちにとってどれほど残酷なことか一刀自身はわかっているのだろうか?
わかってるはずない。
「孫策様、もう一つお渡しする物が」
医者はあの時のことを思い出しながら懐に手を伸ばした。
「ちょっといいかな?」
一刀は近くにいた医者に寝台の上から声をかけた。
「どうされました?」
「そんな畏まらなくてもいいっていってるのに」
「そういうわけにはいきません。御遣い様は呉のすべての民にとってなくてはならない大切な御方です」
「ははっ」
一刀は苦笑いしながら頬を掻いた。
その頬も体を蝕む毒のせいですっかりやつれてしまっていた。
「うん、今書いてる手紙を渡して欲しいんだ」
「それはこの前仰っていた物とは別にですか?」
「うん。たぶんここに最初に来るのは雪蓮だろうから」
「はぁ、どうして孫策様が来られるとおわかりになられるのですか?」
「ん~、勘…かな」
「勘ですか」
「ちょっと待ってて後は名前を…ガハッ」
一刀は大量の血液を口から溢れさせた。
それでも必死に手紙は手で覆って守っている。
「御遣い様!!」
「…いいから」
一刀は震える手で筆を走らせた。
「いけません!」
「いいって言ってるだろ!!ゲフッ…はぁはぁ」
「…でも!」
「怒鳴って悪かった。だから…これを雪蓮に」
焦点の合っていない眼で医者のいるであろう方を向き、手紙を差し出した。
端の方は血で滲んでいた。
「もういいです!わかりましたからこれ以上お話になるのをおやめください!」
「ありがと…う」
一刀は礼をするように頭を下げそのまま意識を失った。
その日、その時の赤壁では曹魏と連合軍の一大決戦が行われていた。
医者は一刀の血でよれてしまっている手紙を雪蓮に差し出した。
雪蓮は沈痛な面持ちでそれを受け取った。
封筒の表には血で汚れた字で『雪蓮』と書いてあった。
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大好きな雪蓮へ
まずは雪蓮に謝らなきゃいけないかな。
ゴメン。
雪蓮と呉の皆といっしょに過ごせる日がいつか来ると思っていたけど、無理みたいだ。
自分の体なんだから俺が一番良くわかっていると思う。
もう長くないって。
雪蓮は憶えてるかな?初めて出会った時のこと。
俺は凄くはっきりと憶えてるよ。
いきなりこの世界に飛ばされた俺が見た初めての人だったからね。
同時にすごく綺麗だなって思った。
俺は混乱しててすごく恥ずかしいことも言ったような気がする。
いきなり「呉に種を蒔いて欲しい」って言われた時は自分がおかしくなったのかなって思ったぐらいだ。
それでも雪蓮と接しているうちにだんだんとこの状況になれてきて、気づいたら雪蓮のことが好きになってたんだ。
そりゃ暴走した時の雪蓮を怖いと思ったこともあるけど、それ以上に雪蓮の笑顔に惹かれてた。
相手は呉の王で自分は身元もわからないただの男、絶対に結ばれないと思ってた。
でも、雪蓮に強引に抱かれたあの日、状況は特殊だと言わざるを得なかったけど嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
雪蓮の気持が本当に俺に向いてなかったとしてもだ。
ちょっとでも俺に心を開いてくれたのかなぁなんて変なことも考えたんだ。
そして雪蓮を守って刺客に弓で撃たれたあの日。
俺にとって最高で最悪の日になったんだ。
撃たれて倒れている俺を見て、雪蓮が泣いてくれてる。
こんなに幸せなことが他にあるだろうか。
ないに決まってるさ。
それでも俺の幸せは止まらなかった。
その後、俺と雪蓮は初めて合意で閨を共にしたんだっけ。
嬉しすぎてどんなことをしたのかはっきり思い出せないよ。
それが自分の命と引き換えに手に入れた幸せだったとしても俺は構わないと思った。
けど、自分の命があと少しになってちょっとだけ不安になったんだ。
もしも、自分が居なくなったらどうなるだろうかって。
自惚れてる訳じゃないけど、雪蓮も皆も悲しむと思ったんだ。
馬鹿な勘違いだと思うのなら笑ってくれていいよ。
だけど、もしそうなったらって考えるとどうしようもないくらい自分が情けなくなってくるんだ。
大好きな女性を泣かすことしかできない自分が。
それでも俺は雪蓮を庇ったことに関してはなにも後悔してないよ。
むしろ誇れるぐらいだ。
惚れた女の子を守れたことはこの世界にきて俺がした行為で一番だと思ってる。
嘘じゃない。
もう二度と会えないのは寂しい。
愛する女性を悲しませるのはすごく悔しい。
悲しくて辛くて泣きそうになるよ雪蓮。
もし許されるなら君に会いたい。触れたい。愛したい。
もう俺にはどうすることもできないのかな?
だから先に謝っておくよ。
ゴメン。
これくらいしかできない俺を許してはくれないんだろうな。
けど約束する。
雪蓮のもう一度会えたなら絶対に君を離したりはしない。
悲しませたりなんかしないよ。
雪蓮、愛してる。この世界で一番。誰よりも。
今すぐに君の所に駆けて行きたい。
このポンコツの体が言うことを聞くのなら。
動かないんだ。
どこに力を込めても。
俺のことを忘れてくれなんてキザなことは言えないよ。悲しすぎるから。
でも心の片隅にでもいいから覚えておいて欲しい。
君を心から愛した男が居たってことを。
今までありがとう。そしてさよなら。
雪蓮のことが大好きでした。
一刀より
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紙に書かれた字が涙で滲む。
昨日、出し尽くしたと思っていた涙は双眸から溢れて止まらない。
「か、ずと…」
絞り出すように呟いた。
もう二度と会えない愛しい男の名を。
「ぅうぅぅ…」
握りしめた紙の端はクシャクシャになってしまっている。
「…なんで、……どうしてよ…。こんな、こんなの!」
ありえちゃいけないのに。
一刀を忘れられるわけないのに。
「一刀!一刀っ!!!」
雪蓮は手紙を自分の方に引き寄せ、ギュッと抱きしめた。
手紙がグシャグシャになるのも気にしない。
力いっぱい抱きしめた。
「御遣い様が亡くなられたのはその手紙をお書きになられた翌朝でした」
医者の目にも涙が浮かんでいる。
その日の村は一日中、悲しげな虎の咆哮が木霊し続けた。
雪蓮は城に帰ってすぐに呉の主だった将を玉座の間に集めた。
全員、雪蓮が一刀の所に行っていたことを知っていたので興味津々といった様子だ。
いつも冷静な冥琳でさえも笑みを浮かべている。
対する雪蓮は無表情で皆の様子を眺めていた。
「策殿、そのようにもったいぶらず話してくださらぬか?」
声をかけたのは祭だった。
「……」
「策殿?」
祭は怪訝に思い再び声をかけた。
「…と…、…た」
消え入るような声で言った。
「おい、雪蓮それでは私にも聞こえないぞ。もう少し大きな声で言ってくれないか?」
一番近くにいた冥琳が言った。
その場にいた雪蓮以外に全員が首肯した。
「…ずとが、…じゃったの」
「雪蓮!」
ふざけていると思った冥琳は声を荒げた。
「かずとが、死んじゃった」
雪蓮の声は小さく、でも全員に聞こえるように響いた。
「どういうことですか姉様!?」
最初に叫んだのは妹の蓮華だった。
それに続くように次々と声があがった。
「私だってわからないわよ!!!」
辺りが静まり返った。
「一刀が死んだなんて。信じられるわけないでしょ!」
雪蓮の頬に涙が伝って、全員が雪蓮の言っていることが真実であると信じざるを得なくなった。
冥琳がいきなり雪蓮の胸倉を掴み上げた。
雪蓮は抵抗もしない。
「本当なのか…?」
冥琳は眼尻に涙を溜めていた。
そのまま懺悔するように雪蓮はことの顛末を独白するように語った。
泣き崩れる者、気を失ってしまう者、誰もそれを助けようとしない。
自分自身を抑えるのに精一杯なのだった。
平静でいられた者はだれ一人としていなかった。
天の御遣い・北郷一刀の死は瞬く間に呉の全土に広まった。
一週間後、一刀の国葬が行われた。
一刀が死んでから半年が過ぎていた。
なんとか落ち着いた呉の面々は普段以上に仕事に打ち込んでいた。
そして今日は通算二度目となる三国合同会議が呉で行われていた。
もちろん真面目な会議も行われるが、三国の将たちの交流としての意味合いが強い。
そうすることでお互いに良い関係を築き、さらなる発展につなげようとする意図があった。
この意見を出したのは蜀王・劉備だった。
彼女らしいといえばらしいだろう。
交流とは言うもののただの大規模な宴会になってしまっていることは否めない。
その様子を雪蓮は旨いとも思えない酒を片手に眺めていた。
「どうしたの雪蓮?」
声をかけたのは曹操だった。
すでに真名の交換は済ませている。
「別に」
素っ気なく言った。
「あの男のことを考えているんでしょう?」
「……」
「忘れろとはいわないけど。主宰であるあなたがそんな顔をしていたら皆が心配するでしょう」
華琳は窘めるように言う。
雪蓮の顔は見ずに同じ方向を見つめている。
「そうね。これじゃあ皆が楽しめないわね。私は少し席を外すわ」
雪蓮は一度も華琳とは目を合わせないで席を立った。
去っていく雪蓮の後姿を全員が心配そうに見つめていた。
雪蓮はというと馬に乗り、母の墓の方に駆けていた。
到着し、馬を近くにあった木に結びつけた。
そこには二つの墓石があった。
ひとつは母・孫堅のもの。
もうひとつは一刀のもの。
暇があるたびに訪れているから墓と墓の周囲は綺麗に片付いている。
雪蓮は二つの墓の前に腰を降ろした。
城から持ってきた酒を取り出し、盃を満たす。
それを少しだけ口にする。
本来は良い酒なのだろう。体の芯から暖められるようだった。
体とは裏腹に、心は冷めきっていた。
一刀のいない生活など雪蓮にとってはなんの意味もなさない。
雪蓮は何度ともいえない涙を流した。
「はぁ、私ってこんなに泣き虫だったっけ?」
ひとり誰にともなく囁いた。
嘘、一刀にだ。
母と戦場に出ていた時でさえこんなことはなかった。
変わったのだ私が。
一刀のせいで。
いや、おかげで。
瞬間、辺りが光に包まれた。
同時刻、呉の場内で多くの人間が昼間でさえ明るく感じるほどの流星を目撃した。
雪蓮はなにが起きたのかわからなかった。
咄嗟に腰に佩いていた南海覇王を抜き身構えた。
「そんなに俺のこと嫌いになっちゃったのか…」
ありえるはずのない声が聞こえた。
「…えっ?」
そんなありえない!
でもこの声は確かに。
「なぁ、雪蓮」
眩んでいた目がぼんやりと見えるようになってくる。
そこにいたのは白銀に輝く服を纏った青年。
天の御遣い・北郷一刀そのひとだった。
涙で再び前が見えなくなってくる。
そうなる前に。
二度と手を離すことがないように。
「嫌いに、嫌いになんてなるわけないでしょ!一刀!!」
南海覇王を地面に投げ捨てて、愛おしい男の胸に飛び込んだ。
それを待ち構えていたように一刀は雪蓮の背中に手をまわし、強く抱きしめる。
二人の唇が近づき、一つになった。
歯が当たろうが気になどしない。
強く、強く口づけを交わした。
雪蓮が泣き終わり、落ち着いたころ二人は並んで墓の前に腰を降ろした。
雪蓮の右手と一刀の左手は絡み合ったままだ。
「ゴメン」
申し訳なさそうに一刀は言った。
「いいの。また一刀に会えた。それだけで十分」
雪蓮はつないだ手にギュッと力を入れた。
一刀も同じ分だけ力を込めた。
「でも、どうして?一刀は…」
死んだとは続けられなかった。
「あぁ、それなんだけど。実際、俺は死んでなかったらしいんだ」
「はぁ?」
「俺もよくわかってないんだけど。雪蓮に宛てた手紙を書いた後に意識がなくなったんだ」
「それは知ってるわ」
「目が覚めたら目の前にムキムキのおかまみたいな喋り方をする大男が二人いたんだ。なんか片方は俺のことご主人様なんて呼んでたし、俺のことを知ってるみたいだった。もちろん別の世界から来たってことも」
「なにそれ?」
「よくわかんない。だけど雪蓮たちのいる世界が外史で俺いた世界が正史って言うらしい。細かいことは理解できなかったんだけど、外史は俺のいた世界の歴史に沿っているらしいんだけど俺が雪蓮を助けたことで歴史が変わっちゃったらしいんだ」
「…それって」
「別に雪蓮は悪くないよ。俺がここに戻ってこれたのも雪蓮のお陰なんだから!」
泣きそうに歪んだ雪蓮の顔を見つめて力強く告げる。
「ホントに?」
「本当だって。俺が雪蓮に嘘ついたことなんて…あるな」
雪蓮はジト目で一刀を見た。
「それより続きなんだけど」
一刀は強引に話を変えた。もちろん目が泳いでいた。
「時代の流れが大きく変えることは俺の存在を外史から消してしまうらしい。だから、俺は毒で死ぬ前にこの世界から存在が消えちゃったんだ。消える前に毒で死んでたらその大男二人でもどうにもならなかったんだけど間一髪そいつらに助けられたんだ」
「…じゃあまた一刀は」
「大丈夫。もう俺は雪蓮の前から消えたりしないよ」
「絶対?」
「絶対。確かにここに戻ってくるのに条件はあったんだけど」
「条件はって何よ!」
「ちょっと雪蓮落ち着いて。別にそんなに慌てることじゃないよ」
「…でも」
「その二人が言ったんだ。何かを得るためには何かを捨てなければいけない。その覚悟がお前にはあるかって。俺はあると答えた」
「どんな内容だったの?」
「再び外史に戻れば二度と元いた世界には帰れない」
「…そんな」
「でも俺はここに戻ってくることにした。雪蓮がいるからだ。元の世界には友達もいたし家族もいた。それでも俺はこの世界でなにより大切なものを見つけたんだ。雪蓮がいない世界になんて何の意味もない。だから、俺と結婚して残りの生涯を俺と共に歩いてくれないか?絶対に幸せにしてみせる!」
雪蓮は面食らったような顔をしていたがすぐに笑顔になった。
「はいっ」
一刀は雪蓮の体を抱き寄せた。
「愛してるよ、雪蓮」
「私もよ。一刀」
お互いの顔を見つめ笑いあった。
遠くから魏・呉・蜀の面々が走って来るのが見える。
雪蓮と一刀は手を繋いだまま立ち上がりそれを待った。
すぐに全員が集まった。
呉の将達は涙を浮かべている。
魏・蜀の将達は怪訝な顔で一刀を見ている。
それを確認した雪蓮は地面に落ちている南海覇王を拾って、『北郷 一刀』と書かれた墓石を一刀両断した。
「紹介するわ。私の隣にいるのは天の御遣い・北郷一刀、私の夫よ!!!」
周囲に驚きの声が木霊した。
あとがき
これにて呉改変シナリオは終わりです。
楽しんでいただけたでしょうか?
なにぶん初めてのSSだったので読みにくい点が多々あったと思います。
今後は偽√の方に力を注いでいきたいと思っていますのでよろしくお願いします!
その偽√なのですが途中でハッピーendとトゥルーendに分岐させたいと思っています。
それに近くなってきたらどちらがいいかアンケートを取らせていただきたいのですがよろ
しいでしょうか?
予定としましては偽√が詰まるたびに呉のアフターストーリーや魏の外伝を挟んでいこうとも思っています。
それでは自分の書いた作品を読んでくださった皆様に感謝の意を申し上げて終りにしようと思います。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
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紆余曲折ありながらも呉改変シナリオを完結することができました。
USBメモリのデータは消えてしまいましたが幸いパソコン本体に途中まで書いていたものが見つかり投稿することができました。
また誤字がありましたらご報告ください。
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