No.71136

真・恋姫✝無双 呉改変シナリオ 中篇

IKEKOUさん

またも長くなり過ぎてしまい中篇という形の投稿になってしまいました。

書きあがってから読み返していて稚拙この上ない出来に恥ずかしさが隠せません。

作者の初めてのSSですのでそこは見逃していただくと幸いです。

続きを表示

2009-04-30 09:55:30 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:23161   閲覧ユーザー数:16550

それから数日後には一刀は仕事に復帰していた。

 

地獄だった。

 

いくら曹魏に快勝したとはいえこちらも無害だったわけではない。膨大な戦後処理が残っていたのだった。

 

魏軍侵入時に起きた民衆の混乱の鎮圧、戦争で家族を失った者への生活保障。

 

駆け出しの軍師にもやるべきことは山のようにある。

 

 しかし、それとは別の理由で一刀は頭を抱えていた。

 

 それは昨日の朝議でのこと。

 

 

 朝議自体はなんの問題なく進行していた。

 

 一刀もまだ本調子とは言えない体を無理やり覚醒させ、メモを取りながら参加していた。

 

 それも終盤に差し掛かり。

 

「本日の朝議はこれで終いとする。いいな雪蓮?」

 

 冥琳は朝議を終了と雪蓮に許可を求めた。

 

 いくら冥琳主体で朝議が進められていたとはいえ、この場にいる最高権力者は呉王である雪蓮だ。

 

「いいわよ~」

 

 全くやる気を感じさせない返事をしながら、手をひらひらと振っている。

 

 その様子に冥琳は溜息を吐く。

 

 親友の奔放な性格は冥琳自身が一番良くわかっているはずだったが、それを補佐するこちらの身にもなってもらいたい。

 

 そう思うのだった。

 

 まぁ無駄だろうが。

 

「それでは皆の者、解さ」

 

「ちょっとよろしいですかな?」

 

 声を挟んだのは祭だった。

 

 その顔にはいやらしいと言ったらいいのだろうか、からかう様な笑みを浮かべていた。

 

「祭殿、どうされたのですか?」

 

「いや、ひとつ聞きたいことがあってな」

 

「はぁ、それはどのような?」

 

「質問したいのは策殿にです」

 

「え~私に?」

 

 

 雪蓮は驚いたように祭の顔を見る。

 

「いかにも。構いませんかな?」

 

「…別にいいけど」

 

「出陣前の軍議の時なのですが、策殿は一刀のことを自分が『惚れた男』だと仰られたがそのあたりどうなのだろうかと思いまして」

 

「えっ!?」

 

声を上げたのはもちろん一刀。雪蓮とは目覚めてすぐに愛を交わしたがまさかそんなことがあったとは初耳だった。

 

朝議に参加している者達も思い出したようである。

 

「あっ!?」と声をあげる者もいれば不機嫌そうに頬を膨らます者、なぜか自分のことのように顔を紅潮させる者、例外的にだが一刀にむけ殺気を放つ者も一名ほどいた。

 

当の雪蓮はバツの悪そうに頬を掻いている。若干、顔が赤く見えるのは気のせいではない。

 

瞬間、雪蓮の顔が輝いた。

 

最高の悪戯を思い付いた子供のように…。

 

それに気づいたのは冥琳。

 

「……」

 

 止めるつもりはないらしい。

 

「そうね。皆にはちゃんと言っておかないとね」

 

「ちょっと雪蓮!?」

 

 一刀も雪蓮の表情に気がついたらしい。立ち上がりそれを制する。

 

「いいからいいから、一刀も聞いてて。なんせあなたに関係のあることなんだから」

 

「むぅ…」

 

 唸りながらしかたないといった感じで席に着く。

 

 そこに冥琳が小声で話しかける。

 

「こうなった雪蓮は誰にも止められない。孫堅様以外はな…」

 

「そ、そんな…」

 

「ご愁傷様だ」

 

 冥琳の言葉に一刀は頭を抱える。

 

 いったい自分にどんな不幸が降りかかるのだろうか。

 

 確実に良い結果にはならないだろう。

 

「そこっ!ちゃんと静かに私の話を聞きなさい」

 

 雪蓮に注意された。

 

 注意したいのはこっちだってのに…。

 

 その本人はすでに皆の方に向き直り、話を始めようとしていた。

 

「あの時、私が言ったことは真実よ。だから一刀は私のモノ。本当は蓮華の夫にでもしようと思ってたけど、気が変わっちゃった。ゴメンネ」

 

「ね、姉様!?」

 

 軽い口調でそう告げられた蓮華は顔を赤くして叫ぶ。

 

 蓮華も一刀とはあってそれなりの時間しか過ごしていないが、確かに好意らしきものを抱いていた。

 

 それは蓮華も含む、大多数の人間に言えたようだ。

 

「えー!?」「そ、そんな」「ぶーぶー」「あらあら」

 

 どれが誰の声かは明言するつもりはない。

 

 そのなかそれに含まれなかった人間はというと。

 

 まずは思春。

 

「北郷一刀、殺す」

 

 ものすごい殺気である。

 

 次にこの騒動の発端となった祭。

 

「ほぅ」

 

 ニヤニヤしていた。

 

 最後に冥琳。

 

「はぁ」

 

 とてつもなく深い溜息を吐いていた。

 

本人である一刀はというと。

 

「………」

 

 放心していた。

 

 苦しみとも喜びともつかない複雑な表情を浮かべながら。

 

 逆に雪蓮はたいへん満足そうな表情を浮かべていた。

 

「なぁ雪蓮」

 

 この混沌とした状況を打開すべく声と発したのは冥琳だった。

 

「どうしたの冥琳?」

 

「お前は北郷をどうして呉で匿うようになったのを覚えているか?」

 

「え~なんだったかなぁ~?」

 

 白々しいとしか言いようがない口調で答えた。

 

「ならば思い出させてやろう。呉の繁栄のため天の御遣いの種を将達に蒔く。そういう理由だったはずだ」

 

「そういえばそうだったわね」

 

 雪蓮の余裕は崩れない。

 

「ならば」

 

 言葉を挟むようにして雪蓮は言う。

 

「わかったわよ。しょうがないわね」

 

 しょうがないのはお前だろう。冥琳はあえて口にしなかった。

 

「ちゃんと一刀のことは皆にも“貸してあげる”。でも優先権は私にあるから私の邪魔にならない程度だったらの話よ。あ、これは王としての命令だからよろしく~」

 

この日の朝議は荒れに荒れた。

一刀はとてつもない倦怠感に辟易しながら仕事をしていた。

 

昨日も雪蓮の伽の相手をした。

 

決して無理やりになどではない。

 

むしろ幸せだった。

 

あの朝議があってから一刀は全員と関係を結んでいた。

 

まぁ、そのことについてはひと悶着あったりしたのだが。特に思春。

 

毎夜毎夜必ずと言っていいほど誰かと閨を共にする。

 

こんな調子でいいのだろうかと思いながらもそれを控えようとしないのは若さゆえか、一刀本人の獣欲が高いだけなのか。

 

「もうそろそろか」

 

太陽は中天より西に、元いた世界でいえば3時ぐらいだろうか。

 

呟いて椅子に座り続けていたため硬くなっていた筋肉を背筋を伸ばしてほぐしていた。

 

ちょうどその時。

 

勢いよく一刀の部屋の扉が開かれた。

か~ずとっ」

 

 満面の笑みを浮かべるのは雪蓮。

 

 当然の如く、椅子の背もたれ越しに一刀を抱きしめる。

 

「そろそろ仕事もひと段落ついたと思って、遊びにきたんだけど」

 

 一刀は微苦笑しながら雪蓮の方向を向き、答える。

 

「あぁ、今日終わらせる書類はあらかた片付いたから」

 

「よかった。それじゃ庭でお茶にしましょ」

 

 そう言うと同時に一刀の手を引き、椅子から立ち上がらせる。

 

「いいけど、お酒はダメだよ」

 

「ぶー、一刀のケチ。いいじゃないちょっとぐらい」

 

「ダメだって、また冥琳に怒られるよ」

 

「それは嫌だけど…」

 

 雪蓮は酒を止められたことよりも、一刀の口から自分以外の女性の名前が出たことに不満を覚えたようだ。

 

「ちぇ、わかったわよ。お酒は無し。これでいいでしょ」

 

「う、うん」

 

 突然の雪蓮の心変わりに一刀は戸惑う。

 

(こんなに雪蓮って人の言うこと素直に聞いてたっけ?)

 

 どこまでも鈍感な一刀に女性の心情を理解するのはかなり無理があるようだった。

 

 

 庭には広めの机と椅子が据え置きされており、雪蓮と一刀はそこに向かい合うように腰かけた。

 

 雪蓮は近くを通りかかった侍女にお茶とお茶菓子を用意させた。

 

 二人はそれを十分に満喫しながら他愛ない雑談に耽った。

 

 そこには絶えず笑いが響いており、他の者から見れば仲睦まじい夫婦に見えたに違いない。

 

 実際、そこの近くを通りかかった一刀と関係を結んでいる者もそうでない者も二人に間には入り込めないのだった。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。誰にも公平に。

 

 太陽は傾きかけており、二人を包む光は無色から橙色に変わりつつあった。

 

 比較的暖かい呉領でも夜は冷える。

 

「ケホッ、ケホッ」

 

 軽く咳を吐いたのは一刀。

 

「一刀、大丈夫?」

 

「あ~ちょっと風邪気味かも」

 

 自覚症状はあった最近体がだるく、たまに咳が出る。

 

 一刀自身、夜の方を頑張りすぎの気もある。

 

「夜風は体に悪いわ。早めに部屋に戻りましょ」

 

「うん、そうだな」

 

 一刀も頷く。

 

 これが異常なのに誰もツッコミを入れないのはなぜだろうか。

 

 通常なら一刀の方が呉の王である雪蓮の心配をすべきである。全く逆だった。

 

 それでもそんなに違和感を感じないのは雪蓮の一刀を想う愛情ゆえだろう。

 

 時に、深すぎる愛は自身を傷つける諸刃の剣であることを彼女はまだ知らない。

 

 事件は魏軍襲来から一ヶ月後に起こった。

 

 平穏を取り戻した呉軍は強大になりすぎた魏に対抗すべく南征を計画していた。

 

 呉から見て南部の方には小規模ではあるが穀倉地帯がある。

 

 軍を動かすにしても維持するにしても兵糧の確保は最重要課題である。

 

 これを指揮するのは総大将に蓮華、軍師として亞莎が抜擢された。

 

 この意図するものは呉の次代を担っていくであろう若い世代の訓練に他ならなかった。

 

 その会議が玉座の間で行われていた。

 

 計画は綿密に組まれていた。

 

 大局的な指示は冥琳がするものの彼女は実際現地に赴かないので臨機応変に対応するように亞莎に伝えた。

 

 不幸は突然訪れるのである。理不尽に、そう突然に。

 

 「ゲホッ、ゲホッ」

 

 ガタッ

 

 崩れてゆく。

 

 音を立てて。

 

 誰も止める術を持たない。

 

 

 一刀は朝から体調がおかしいことに気づいていた。

 

 そもそも一刀が風邪をひいたと思っていたのが二週間ほど前。

 

 その症状は日に日に重くなっているように感じていた。

 

 この時に医師を訪ねるべきだったのである。

 

 それでもそうしなかったのはこれ以上、雪蓮に呉のみんなに心配をかけたくなかったからだった。

 

 ほんの少し前に自分は皆に死ぬほど心配かけてしまっていた。

 

 それは単なる自己満足に過ぎなかったことを後悔してももう遅い。

 

 あの時彼の体に侵入した毒はゆっくりと、そして着実に一刀を蝕んでいた。

 

 そして軍議中も一刀は何度か体調不良を申し出ようとしていた。

 

 できなかった。

 

 蓮華・亜莎の初めての大仕事なのだ。

 

 自分のせいでそれを邪魔することになってしまうかもしれない。

 

 一刀は我慢した。

 

 もう少し。

 

 あと少し。

 

 そして一気にそれは溢れ出した。

 

 大量の血という形になって。

 

 卓上を鉄の臭いのする液体で汚しながら。

 

 一刀は冷たい床の上に倒れ伏した。

 

 

 

 はじめは誰も何が起きたか理解できなかった。

 

 一瞬の静寂の後、爆発した。

 

「一刀!?大丈夫、一刀!」

 

 最初に正気を取り戻したのは雪蓮だった。正確には正気にとは言えないが。

 

 その端正な顔には明確な焦燥が浮かんでいる。

 

「はぁ…はぁ」

 

一刀は弱弱しく息も絶え絶えになっている。

 

「誰でもいいから早く救護兵を呼んで!誰でもいいから一刀を助けてよ!!!」

 

 次に声をあげたのは冥琳だった。

 

「明命!早く救護兵をここに連れてこい!!」

 

「はいっ!」

 

 明命は顔を青くしながらもそれに答えた。

 

 命じた冥琳でさえも焦りの表情を隠し切れていない。

 

 亞莎はあまりの光景に気を失っている。

 

 穏は普段の余裕は何処へ行ったのかオロオロとしてしまっている。

 

 蓮華は混乱していた。いや、言葉が適切じゃないだろう狂乱していた。

 

 思春はそれを止めようと必死である。

 

「一刀!目を開けてよ!一刀!!」

 

 雪蓮は一刀の名を叫び続けていた。

 

「策殿、すこし落ち着かれよ!」

 

「これが落ち着いていられるもんですか!!」

 

 パァン

 

 祭は雪蓮の頬を張った。

 

「そのように声をあげられては一刀の傷に響きます。一刀のことを大事に思うのであれば安静にしてやるべきでしょう」

 

「…ごめんなさい」

 

 祭に張られ赤くなった頬を涙が伝う。

 

「よいのです。愛しい男がこのようになれば冷静にいろというのが無理というもの。策殿がそのような状態にならねば自分がそのようになっていたでしょう」

 

 祭の目にもうっすらと涙が浮かんでいる。

 

「祭、ありがとう」

 

「いいえ」

 

 私は孫呉の王。

 

 誰よりも冷静にならないと。

 

 そう思ってからの雪蓮の動きは早かった。

 

「みんな落ち着きなさい。特に蓮華、あなたは次期国王でしょう」

 

 その一言で蓮華を含む全員が正気にもどる。

 

 威厳に溢れた声だった。

 

「穏、亞莎の介抱をしてあげて。思春、城下から腕の良い医者を迅速にできるだけ多く連れてきなさい」

 

「「はっ!」」

 

 命令を下したあと一刀の手を強く握った。

 

 まだ温かかった。

 

「絶対に死なせたりなんてしない」

 

 呟いた。

 

 

 救護兵が到着してすぐに一刀は医務室に担ぎ込まれた。

 

治療は三日間に亘った。

 

 政務に支障をきたさないように医務室の扉の前は交代制で誰かが必ず立っていた。

 

 当番になっていない者も仕事の合間に様子を見に来ていた。

 

 中には寝る間を惜しんでくる者もいた。

 

 流石にそれは不味いと冥琳によって止められたのだが。

 

 一人だけ例外がいた。

 

 雪蓮である。

 

 今までの奔放さは嘘のように消え去り、政務もきっちりとこなし時間さえあれば医務室の前に来ていた。

 

 夜は寝具を持ち込んでここに寝泊まりする始末である。

 

 冥琳もさすがにそれはと注意したが、聞きいれる様子はない。

 

 そして扉が開かれたのは三日目の夜のこと。

 

 出てきた医師は憔悴しきっていた。

 

 その場に居たのは雪蓮と冥琳の二人だった。

 

「どいて!」

 

 雪蓮は医師を押しのけるように一刀のいる寝台に駆け寄った。

 

 一刀は顔色は悪いもののちゃんと息をしていた。

 

 生きていた。

 

 ここで雪蓮の緊張の糸は切れる。ゆっくりと上下する一刀の胸に顔を預け、声を押し殺しながら嗚咽を漏らした。

 

 

 一方の冥琳も駆け寄りたい衝動に駆られたがそれより先にすべきことがあることを知っていた。

 

 雪蓮に押され倒れていた医師に手を差し伸べ、立たせてやろうとする。

 

 しかし、医師は謹んで断り自力で立ち上がった。

 

 相手は大都督・周公瑾、当然の行為と言えよう。

 

 冥琳は差し伸べた手を引き質問する。先ほどの行為に対する憤りはない。

 

「それで一刀の容体はどうなのだ?」

 

「一命は取り留めたというところでしょうか」

 

「思わしくないのだな?」

 

 苦い顔で質問を重ねる。

 

「はい」

 

「どうにかならなのか」

 

「申し訳ありません。先にうけた毒が御遣い様の身体を深く蝕んでおられます。自覚症状はおありになったはずです。あそこまで毒素に蝕まれておられたなら尋常ではない苦しみであったに違いありません。どういう事情があったかはわかりません。でもそれは常人では堪えられぬ…ほどの…」

 

治療にあたった医師は声と涙を滲ませて告げた。

 

「そうか…」

 

 冥琳は理解した。

 

 医師の言うことに偽りはない。

 

 一刀ならやりかねない。

 

 優しすぎるのだ、あやつは。

 

 その優しさはこの上なく嬉しくもあり、罵倒したくもある。

 

 こういう男だから惚れ、体を許したのだ。

 

 自分を含める全員が。

 

「最後にこれからどうすれば一刀にとって一番良いかだけ聞いておく」

 

「…静かに静養する以外に手はないでしょう。私はこれが手だなどとは思えません。悔しくて仕方がないのです。お救いすることができないこの自分の技量の無さが!」

 

 涙を隠そうともしない、男泣きだった。

 

「お前の責任ではない。全てはそれを見抜くことができなかった我らの責任だ。ご苦労だったな、下がってくれ」

 

「失礼いたします」

 

 そう言って医師はふら付きながら立ち去った。

 

 その姿が見えなくなってから近くのひんやりとした壁に背を預けた。

 

 渦巻く感情の火照りを冷ますようにして。

 

コツンと後頭部を壁に当て天井を見つめる。

 

零れ落ちようとしている感情の奔流を押し留めようとして。

 

見つめる先は霞んでいた。

 

彼女の切れ長の双眸からそれは一筋漏れ出し、顎を伝い服に染み込んだ。

 

 一刀が目を覚ましたのは一刻ほど経ってからだった。

 

すでに全員が集合しており、一刀の状態は説明し終わっていた。

 

一刀の治療が終わり、ちゃんと息があることを報告されこちらに来た時は全員に安堵の笑みが浮かんでいた。

 

そして病状についての説明は冥琳が行った。

 

淡々と。

 

ある意味では冷酷に。

 

しかし、誰もそれを咎めようとはしなかった。

 

階級の問題ではない。

 

ただ、彼女の瞳は赤く染まっていたから。

 

説明を終えた時、目に涙を浮かべていない者はいなかった。

 

祭も、思春でさえ例外ではなかった。

 

皆が少しばかり落ち着いてきた時に一刀は目覚めた。

 

 瞼を上げるのも緩慢な動作だった。

 

「俺は…」

 

 自分がどうなっていたのかも理解できないらしい。

 

「…軍議に出てて」

 

 気分が悪くなって…

 

「そこから…思い出せない」

 

 軽く自分の額を揉んだ。

 

 そこへ不意に声がかかる。

 

「一刀!?」

 

 これが聞こえた方向に振りかえる。

 

「…雪蓮、それにみんなどうしたんだ?」

 

 ひどく弱弱しい声で尋ねた。

 

 瞬間、抱きしめられた。

 

「いいの。一刀はなにも気にしなくて」

 

“生きていてくれるそれだけで”

 

 そう言葉は続かなかった。

 

 その一言はあまりにも悲しくて、残酷で…救いようがないから。

 

「それでは今後については明朝の朝議で決めようと思う。もう夜も遅い、自室に戻り休養を取ってくれ」

 

 冥琳はそう促した。

 

 親友に一つ目配せをする。

 

 その姿はあまりに痛々しく。声はかけなかった。

 

 その場にいる全員がそれを理解したらしく、無言で一刀を一瞥し退出していった。

 

 いくら鈍いところのある一刀でも何かしらの事情があったことが理解できていた。

 

 それも自分に関する重要ななにかが。

 

「雪蓮」

 

 優しく髪を梳き何かに必死に耐えている、愛する人の名を呼んだ。

 

「一刀?」

 

「今日は一緒に添い寝してくれないか?」

 

 弱く、それでもしっかりと微笑んだ。

 

「!?」

 

 雪蓮は自分が一刀に心配されているのだと気づく。

 

 これでは立場が逆じゃないか。

 

 自分を責めそうになる反面、喜んでいる自分がいる。

 

 それは悶えそうになるほど甘美で切ない。

 

 頷き、一刀の横に身を横たえる。

 

「ありがとう」

 

 雪蓮はそれに答えぬかわりに自分の近くにある方の一刀の手を両手でギュッと握りしめた。

 

 とても温かい。

 

 掌から一刀の生命の鼓動を感じる。

 

 以前に閨を共にした時に感じた逞しい脈動は見る影もないほどのものになっていた。

 でも、それでも確かにあるのだ。ここに。

 

 どんなにみすぼらしくなっていても構わない。

 

 いつ消えるとも知れない命が愛しくて堪らない。

 

 このまま時が永遠に止まってしまえばいいのに。

 

 そんなあまりに陳腐、ある種の定例句のような言葉も平気で使える。

 

「一刀」

 

「どうした雪蓮?」

 

「おやすみ」

 

「うん、おやすみ」

 

「明日の朝、私におはようと言って。…お願い」

 

 懇願するような表情で言った。

 

「約束するよ」

 

 そう言って一刀は今までで一番優しく私に口づけした。

 

 私の唇は震えていた。

 

 そのまま二人は一緒に眠りに堕ちて行った。

 

翌朝、雪蓮はふと眼を覚ました。

 

 自分の隣を確認する。

 

「…嘘」

 

 一刀がいない。

 

「一刀!?」

 

 必死で周囲を見渡すがどこにもいない。

 

 寝台から抜け出さないのはまだ頭がちゃんと覚醒していないからだろう。

 

 不意に部屋の扉が開かれる。

 

「おはよう、雪蓮」

 

「どこに行ってたの!?」

 

「いや、早く目が覚めたから散歩してた。最初は雪蓮の寝顔を見てたんだけど、あんまり長い間同じ態勢でいたから体が痛くなっちゃって」

 

 雪蓮は目の前にいる呑気な一刀に呆れながらも笑いが込み上げた。

 

「ふふっ、やっぱり一刀は一刀ね。あぁ、遅れたけどおはよう。約束は守ってくれたみたいね」

 

 二人を包む空気は以前のもののように柔らかいものに変わってきた。

 

「当然だろ。約束は守るためにあるんだ」

 

「そうね。一刀はここで待ってて、朝食を運ばせるから」

 

「いいよ。自分でやるから」

 

「ダメよ。もう、そう決めたから私が」

 

「…了解」

 

 柔らかいが有無を言わせぬ口調でそう言って入れ替わるように部屋から出て行った。

 

 その後、二人で朝食を食べた。

 

 食べ終わると雪蓮は朝議があるからと言って部屋を出た。

 

 四半刻も経たないうちに医師が一刀のいる医務室に入ってきた。

 

 冥琳が手配していたものだった。

 

 

朝議の議題は多々あったが、全員が気になったのはやはり一刀のことだった。

 

これについては確実に荒れるとわかっていたため冥琳がわざと最後に回していたのだった。 

 

荒れるということは時間もかかる。

 

下級士官に任せるというのは多少なりと不安はあったがこれに関してはどうしようもないと冥琳でさえも看過してしまっていた。

 

それもそこそこに本日の最重要課題、北郷一刀の処遇をどうするかという議題に入った。

 

その場にいる全員の顔が引き締まる。

 

まるで出陣前の様相である。

 

不謹慎にも苦笑いが漏れそうになる。

 

それが一刀を愛するが故だということが簡単に理解できたから。そう理解できる自分に対しても。

 

「各々方なにか意見はあるか?」

 

「……」

 

 誰も答えようとしない。

 

 一刀のことを思うが為、私情を挟んではならないこともわかっている為だった。

 

 完全な二律背反。

 

 自分が女だという気持ち、孫呉を思う気持ち。

 

 二つが鬩ぎ合い、葛藤していた。

 

「誰も意見がないのであれば私の意見を述べさせてもらおう」

 

 言葉を発したのは冥琳。

 

 全員が彼女の方を注目する。

 

「私は北郷一刀をここより東南にある山村にて静養させようと思っている」

 

 明確に告げた。

 

 彼女の瞳に迷いはない。

 

「ちょっと待ってよ、冥琳!」

 

 それに対し反対の声をあげたのはもちろん雪蓮だ。

 

 周囲もそれに同調するように首を縦に振る。

 

 誰もが一刀を自分の眼の届く場所に置いておきたいのだった。

 

「そんなの絶対に許さないわよ!誰が一刀の面倒を看るって言うのよ!?」

 

「それはちゃんと考えてある。一刀に直属の医師を数人つける。彼らで持ち回り一刀の面倒を看させる」

 

「そんなの別にこの城内でも構わないでしょう!」

 

 二人の議論、むしろ口論は一気に過熱していく。

 

 そんな時、朝議の行われていた玉座の間の扉が開かれた。

 

 入ってきたのは議論の中心にいるべき存在、北郷一刀その人だった。

 

 

 部屋に入ってきたのは中年の医師だった。

 

医師から聞かされた話は驚愕すべきものだった。

 

なんせ自分の命に係わる内容だったからだ。

 

そこで初めて自分が先日の軍議で吐血し、倒れたことを知った。

 

起きた時に見た全員の表情の意味を知った。

 

なぜか死に対する恐怖はそれほど感じなかった。まだちゃんと自覚できていないからかもしれない。

 

一刀はこの時そう思った。

 

一刀は医師に病状の説明を受けながらも別のことを考えていた。

 

呉の皆のことだった。

 

 全幅の信頼、身を犠牲にするほどの愛情とは言えなくとも、あの場で涙を浮かべていな

い者は居なかった。

 

 差異はあるだろうが自分に対し好意、またそれに近い感情を持っていてくれたことは確かだった。

 

 そんな人たちに俺は涙を流させてしまった。

 

 全ては自分のせいだった。

 

 自分がそんなに皆を悲しい思いをさせたことが悔しくて許せなかった。

 

 すぐに皆の所に行かないと、そう思ってからは早かった。

 

 自分が何をすべきかもちゃんとわかっていない。

 

 それでも自分のせいでつらい思いをさせてしまっている女性を放ってはおけない。

 

 皆に会いに行かないと。

 

 寝台から立ち上がり、早口に医師に礼を言った。

 

 その返事も聞かないうちに一刀は医務室を飛び出した。

 

 それを制止する医師の声を背中で受けながら。

 

 この時間ならまだ朝議が終わってないかもしれない。

 

 一刀は玉座の間につま先を向け、駆けだした。

「はぁ…はぁ…」

 

 一刀は肩で息をしている。

 

「「「「一刀っ!?」」」」

 

 全員の声が重なった。

 

 扉から一番遠い場所にいるはずの雪蓮と冥琳が駆け寄った。

 

「一刀どうしてここに!?」「北郷なぜ此処に来たのだ!?」

 

 二人の声は完全に重なる。

 

 当に親友と呼ぶに相応しい同調だった。

 

 一刀は早鐘を打つ胸を抑え、息が整ったところで言った。

 

「わからない」

 

「「はぁ!?」」

 

 またも重なる。

 

「いや、なんだか皆の所に行かないといけないような気がしたから」

 

 素直にそう答えた。

 

「もう、人騒がせなんだから」

 

「まったくだ」

 

 ついさっきまで険悪な雰囲気だったのが嘘のように二人は受け答えした。

 

 二人は互いの顔を見合わせ、軽く噴き出した。

 

 これが一刀の持つ力なのだろうか。

 

 なぜか周囲の人間を彼が作り出す柔らかい雰囲気に包みこんでしまう。

 

 それが無自覚であるがゆえ、その効果は絶大だった。

 

「それで今は何の話をしてたんだ?なんか険悪な感じだったけど」

 

「あぁ、他でもない北郷、お前のことだ」

 

 冥琳が答える。

 

「どういうこと?」

 

「お前の病状のことはわかっているだろう?」

 

「あぁ」

 

「えっ!?なんで?」

 

 それまで黙っていた雪蓮が口を挟む。

 

「私が医師に命じたのだ。雪蓮が部屋から出て行ったあとに一刀に病状説明をするようにと」

 

「そんな勝手に!」

 

「では、いつ言えばよいのだ?」

 

「もう少し落ち着いてからでも」

 

「それは具体的にいつだと言っている。そうやっていつまでも引き延ばしてどうにもならなくなってから話すのか?それでは遅いのだ!」

 

 冥琳が声を荒げた。

 

 一刀にとっては初めてのことで恐ろしいというより、驚いてしまった。

 

 周りの人間もそうだった。雪蓮でさえも。

 

「…すまない。少し興奮してしまったようだ」

 

 冥琳は少しバツが悪そうに謝った。

 

「雪蓮、俺は大丈夫」

 

 一刀はそこまで言って気がついた。

 

 なんで自分の死期が迫っているかもしれないのに恐怖しなかったのか、その理由が。

 

「一刀?」

 

 雪蓮が怪訝に思い一刀の顔を覗き込む。

 

「あ、あぁゴメン。なんかわかったんだ。自分の体がこんな状態なのに混乱しなくて済んでるのかって。たぶん…いや、きっとみんなのお陰なんだ」

 

「「「「?」」」」」

 

 誰もが頭上に疑問符を浮かべる。

 

「皆が俺の為に泣いてくれたそれがなにより嬉しかったんだ。本当に俺はここの、呉の一員になれたんだってそう思えた。それは俺の勝手な感違いかもしれない。俺という個人じゃなくて天の御遣いとしてかもしれない。それでも俺の為に涙を流してくれる」

 

「この際、どちらで見られようと構わない。必要とされたことが泣きたくなるほど嬉しい。あぁ、皆のこと好きになってよかった、そう思ったら自分のことより皆の顔が頭の中に浮かんだんだ。絶対に泣かせちゃいけない。だから今俺はここに両足を地面につけて立っていられる」

 

「たった一言だけ伝えたくて、ありがとう」

 

 そう言って一刀は頭を下げた。

 

 実際、彼の言っていることは支離滅裂で本人もよくわかっていないだろう。

 

 それでも一つだけわかることは自分自身の事よりも彼女たちのことが心配だった。

 

 好きで、抱いた女が泣いている。

 

 一刀を駆り立てるには十分の理由だった。

 

 その言葉通りにまず行動する。

 

 他人が見れば愚劣、そう称するかもしれない。

 

 それでもその女たちから見れば嬉しいだろう。

 

 逆に口惜しくもある。

 

 自分のため何かを必死でしてくれようとしている。一刀の場合文字通り必死なのだ。

 

 そんな直情さが彼女たちの心を捉えて離さない。

 

「だから俺は大丈夫だ。絶対に皆を悲しませたりはしない。約束だ」

 

 一刀は最高の微笑みを見せる。

 

 彼の瞳には信念とも言えるべきものが見えた。

 

 その場にいる全員が惚けた。

 

 必要なものはきっと彼の笑みそれだけだったのだろう。

 

 そこでは意思の疎通をはかる言葉でさえも無粋なものに思えた。

 

 一刀自身に彼女たちを骨抜きにしようという意図はない。

 

 故に彼は気づかない。

 

 自分の行為の意味したものを。

 

「あれ?皆黙り込んでどうしたんだ?」

 

 一気に場に空気は緩んだ。

 

 全員が深く溜息を吐く。

 

「??」

 

 彼の持つ天性の鈍感力はある意味で最強かもしれなかった。

 

「話を戻すとしよう」

 

冥琳が促した。

 

皆も首肯する。

 

「ちょうどいい北郷にも聞いてもらうとしよう」

 

「なにを?」

 

「お前を今後どうするかだ」

 

「あぁ、そっか」

 

 不快感は全く感じていなように一刀は答えた。

 

「ね~、一刀聞いてよ。冥琳ってば一刀のこと山奥に隠居させようって言うのよ」

 

 雪蓮は甘えるように言う。

 

 言外に「嫌だよね?」と言っているのだった。

 

 一方の冥琳はムッとしたような表情を浮かべている。

 

 両者を見比べて一刀は雪蓮の方を向いて言った。

 

「そんな邪見にしなくてもいいだろう?冥琳がこれを提案した何か考えがあるはずだよ。これまでもそうだったし。それを聞いてからでもいいだろ?」

 

 一刀がそう言うと雪蓮はむくれたような表情で冥琳の方を向き、それを促した。

 

 冥琳は今日何度目になるかわからない溜息を吐いて話し出した。

 

「率直に言おう。私がこれを提案したのはこの場所、つまり王城のあるこの地が安全ではないからだ」

 

「はぁ!?どうしてよ!?」

 

 雪蓮が反論する。

 

 彼方此方から雪蓮の意見に同意するような声があがる。

 

「ほぼ全員がそう思っているのだな。ならば質問しよう。次に曹魏が我らが領内に攻め込んできた場合、確実にそれを追い払うことができるといえるか?」

 

「「「「……」」」」

 

 声はかき消えた。

 

「軍師としての観点から言わせて貰おう。それは非常に難しい。前回でこそ雪蓮と北郷のことがあったから数で勝る敵軍に士気で勝つことができた。兵法の常道は敵兵より多くの味方兵を集めることだからだ」

 

「一度や二度であれば追い払えるかもしれない。しかし、敵も馬鹿ではないのだ。曹操とその配下の将達は優秀であると以外言いようがない。呉はそれに劣っているとは決して思わない。だが、圧倒的な物量には勝てない」 

 

 自分の言ったことのも関わらず冥琳は苦々しげな表情をしていた。

 

「もしそうなってしまった場合北郷はどうなる。城内にいたとして十分な治療を受けさせてくれるか?そんな保証はどこにもない。苦しんでゆく姿を指をくわえて見ているなどできないだろう。なればこそ北郷は別の場所に置いておくべきなのだ」

 

 誰も声をあげることができなかった。

 

 冥琳の言葉の節々から一刀に対する強い愛情が感じられたからだ。

 

 普段の彼女からは決して聞けないような力強さがそこにはあった。

 

「当然、始めから負けるなどと思ってはいない。我が智謀知略その全てを出し切るつもりだ。一兵たりともこの城より後方に行かせるつもりは毛頭ない。以上で終わりだ。判断は北郷本人に仰ぐのが妥当だと思うのだが。どうだ雪蓮?」

 

「えっ!?」

 

 急な指名に驚いたがすぐに考え込み黙り込んだ。

 

「……」

 

 全員の視線が雪蓮に集まる。

 

「…わかったわよ。一刀が決めて」

 

 視線は移動し一刀に向く。

 

「そうだね。俺は冥琳の提案に賛成するよ」

 

 喜びとも落胆ともとれる声が響く。

 

「俺も皆と離れるのはすごく寂しくて、呉の大事な時に戦線離脱するのは悔しい。でも俺が皆の足枷になるのはもっと辛い。早く皆の所に戻って来れるように大事をとって休むことにするよ。その間、皆が俺を含む呉の民達を守ってくれるんだ。こんなに頼もしいことはないよ」

 

今朝の朝議の最重要課題はこうして決定が下された。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
135
24

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択