外は月と星が広がる夜になっている。日光が昼の間に幻想郷を明るく彩り、月光が夜の間に幻想郷を青白く染める。
しかし、この館全体に常時差し込む光のほとんどは、橙色の光。窓の少ない紅魔館には館内奥まで照らせる事は出来ない。
幻想郷を全て照らす夕日のような巨大なものではなく、ゆらゆらと揺れてまるで自分はここにいると言わんばかりの小さな命のような、部屋の一部の狭い範囲しか照らせない、そんな小さき個がこの館の部屋や廊下にほとんどに存在する、小さい灯火。
地下の図書館にいる灯火たちも、地上で起きた稲光のような光を受けること無く、自我を保ち続けている。
「……!」
相変わらず薄暗い図書館の中の、更に内部の暗さが増す本の城に囲まれながら魔導書を読んでいたパチュリーは、突然顔を上げて固まる。
「……なにこの感じ、怖気……?」
顔をしかめながらそう呟くと、奥から小悪魔が台車を押しながら現れる。
「パチュリー様、何か戻す本はお有りですか?」
「え? ああ、もういいわ」
「パチュリー様、どうかされたんですか……?」
顔をしかめていたパチュリーを見て、小悪魔は心配した様子で尋ねる。
「大丈夫、なんでもないわ……」
「そう、ですか……」
パチュリーの返事に歯切れの悪さを感じながらも、言及せずに小悪魔は台車を押してパチュリーから離れる。
(……何か嫌な予感がする。異変……ではないでしょうけど)
まるで戦慄という名の雷が、自分に落ちたように感じた怖気に、パチュリーはそれを気味悪く感じた。
第26話 只唯一の信頼
「ぐぅっ! さすがに能力縛りの近接は、ツライわねッ!」
数分間の『デモンストレーション』は、徐々に形勢が男の方に傾いていた。
互いの服や皮膚に刃物で裂いた傷があるものの、咲夜にとっては久々の実戦であり、慣らすのに少々時間が少ない。対して男は素早い身のこなしや攻撃に、実戦で死んだものがそのまま生き返り戦っているような感じに思え、実戦離れとは無縁な動きだった。
そして武器は、二人が所持している刃物だけではなく、拳や脚での肉弾戦の攻撃も当然交えてくる。肉弾戦では男性と女性の筋力の差も顕著に出る。よって、肉弾戦で食らうダメージも咲夜の方が大きい。
加えて咲夜は自ら能力を使わないと明言した。この戦闘を楽しむ為とはいえ相手を軽んじて見てしまった事への自業自得に、咲夜はあの時の自分に軽く後悔した。
「くっ、これじゃ防戦一方になるわね……仕方ない」
咲夜がそう呟いているその間に男は、咲夜に急速接近し持つ物を忍者刀に変えて、確実に命を取る態勢に入った。
「自分で言っといて自分から破るなんて、私ってホント馬鹿ね……幻世『ザ・ワールド』」
「!?」
目の前にいた咲夜に水平斬りをした忍者刀は、肉を斬る音ではなく空を切る音だけだった。
そして、男の全方位に咲夜のナイフとそれに混じってクナイが、男を囲み、男に向かって飛んでいく。
「ごめんなさいね。実力を認めるということで、使わせてもらったわ」
上空に漂う咲夜は苦り切った顔で見ていた。お嬢様にわざわざ譲っていただきながら不甲斐ない戦いをして申し訳ない気持ちと、あまつさえ自分から使わないと公言したくせに使ってしまったという悔しい気持ちが、顔にも現れていた。
男と刃との差が急速に縮まる。しかし男はなぜか忍者刀を鞘に収め、逃げるどころかその場で居合をするときの態勢に構える。
ひとつ、またひとつ。飛ぶ虫を叩き落とすように、ナイフがクナイが、金属音を鳴らして地面に落ちる。
男は、目にも留まらぬ速さで飛んで来るナイフ達を打ち落としていく。身体の向きは一方向にしか向いていないが、斬撃は男の背後にまで届き、後ろから来るナイフ達も打ち落としていく。
しかし、あまりのナイフとクナイの多さからか全てを打ち落とすことは叶わなかった。致命傷になる位置は避けているものの数本のナイフ、クナイが男の身体を刺していく。
「まさか、避けないだなんて……」
咲夜はその光景に唖然としていた。その瞬間、男は流れ出す血をそのままに、その刺さったナイフとクナイを抜いてその全てを咲夜に向けて投げ飛ばす。
「無駄よっ!」
それらが身体を差す前に咲夜は、時を止めてすぐに男の後ろを取る。その後にナイフを数本設置し、そして解除して男の背中に突き刺さす、はずだった。
「えっ!?」
さほど距離を開けてもいないのに、まるでパターンを読んでいたかのように後ろに振り向きながら、忍者刀を振って全てのナイフを打ち落とした。
そして間を開けずに男は咲夜の方に接近する。ある程度しか距離が開いていなかったことで、ナイフを落とされて驚いていた咲夜が、その事に気づいた時は男が懐にまで接近していた。
「ぐあっ!」
男は咲夜の顎を蹴り上げ、空中に浮いたのと同時に男も飛び、身体を捻り踵が鳩尾に入る。身体を捻ったことで、脚力に遠心力が加わりとてつもない威力が咲夜の身体に伝わる。
それでも咲夜は、気力で込み上げる吐き気を抑えて受身の態勢を取る。
その行動を狙っていたのか、男は咲夜に忍者刀を携えて再接近する。
(油断したっ! 早く時を止めないと!)
しかし男はそれも読んでいたのか、懐から今度は棒手裏剣を投げ、咲夜の綺麗にさらけ出している太腿に突き刺さる。
「ああっ!」
これにより能力を使うための集中が完全に阻害された。時を止めるまでに集中を戻すのにはもう間に合わない。
(くそっ!)
迫り来る切っ先を見て、心の中で悪態をつく。せめて相打ち程度にと、ナイフを持って待ち構える。
と、咲夜の前に黒い影が視界から降りてくる。その影は小さく、悪魔のような羽をばさばさと音を立てながら降りてきた。
「だらしないわよ」
咲夜の前に降りたレミリアが、手にオーラを纏わせ爪を立てて腕を男に向かって振る。そのオーラは男の身体に数本もの裂傷を作り、男を遠くに吹き飛ばす。
「お、お嬢、さま……」
「いい加減観るのも飽きてきたし、もういいでしょう? 存分に動いて、派手ではないけどやられてきているし」
「も、申し訳ありません……」
「まったく、元よりこういうことになるのはわかってたわ。自分から能力使用の制約してたら尚更ね」
「・・・・・・」
咲夜は黙る。ある程度時間が経てばレミリアに返すことにしていたが、こういう形で返すつもりは毛頭なかった。
自分がここまで追い込まれること。自分の仕えている主人に守られること。これは全て自分の驕りから起こしてしまった。
レミリアにとっては、お預けだった『お遊び』が再開できるきっかけ程度にしか思っていないだろうが、咲夜にとってこの行動をされるのは、『主人に守られてしまう使えないメイド人間』を烙印されたに等しいほどの醜態を晒してしまったと感じてしまう。
自分の愚かな慢心を責め、守られてしまう無力さに責める。それは棒手裏剣が刺さる事より苦痛の、自戒でなく自責の意味を込めた、生きる意味さえ失ってしまいそうな自虐。
それをレミリアが、
「こういう事でいちいち難しい顔しないで頂戴。余計なことは考えないで、貴女は貴女がやるべきことだけを考えなさい」と言い放ち、そして、
「忘れないで頂戴、貴女は私が認めた紅魔館に居る唯一の人間なのよ」
「お嬢、さま…………はい」
咲夜は毅然と返事する。レミリアのその言葉は神の訓示のように、咲夜はその言葉を聞いて我に返る。
「まずは散らばっているナイフ達を集めないといけませんわね」
「……出来れば扉の前で見張りをして欲しいんだけど」
「脚に棒手裏剣が刺さって、うまく守れるか自信があまり……」
「気にしなくていいわよ。どうせここであの男は終わりだからついでよ、ついで」
などと会話している間に、男は手負いのままに扉の方に走っていた。
「って、アイツ! 逃がすかっ!」
「あっ、お嬢様! 痛っ……」
追いかけるレミリアを追いかけようと咲夜は足を動かしたが、突き刺さった脚の痛みで止まってしまう。レミリアはそれに構わず、男を紅魔館の中に入らせるのを阻止する。
その時男は懐から、レミリアに放った黒い玉よりやや一回り大きい赤い玉を、扉に向かって投げた。その赤い玉には火が付いた導線が付いていた。
「まさか!?」
赤い玉が扉に当たった瞬間に、激しく爆音を上げ爆破した。その爆破によって扉に大きな穴が空く。
「ちぃっ、させるかっ!」
レミリアはすぐさま男に弾幕を放つが、放つ前に男は扉の中に入ってしまう。
「逃げんなネズミ!」
苛立ちからのやや汚い口調を発しながら、急ぎ紅魔館へ入る。
相変わらずの赤黒のみで、明かりがシャンデリア含めロウソクしか無いしかない。そんな目を痛めつけるようなエントランスホールをレミリアは見渡す。
しかし何処にも見当たらない。忍者にとってはこの薄暗い空間は姿を隠すのに都合の良い事だろう。その後ふらふらな足取りで咲夜も紅魔館の中に入る。刺された箇所は、未だ血が流れ出ている。
「ちっ、厄介だな」
「お嬢様、落ち着いてください。口が悪いですよ」
「まともに攻撃を食らったんだから、まだそんなに遠くに――うぐっ!?」
「お嬢様っ!? うっ……!?」
会話の途中で、突然二人の首が絞まる。見るとシャンデリアの上から、男が琴線のような糸でぎりぎりと首を絞めているのが分かった。
「ぐぐぐ……これで殺せると思うな!」
レミリアはピンと張っている糸を爪で切り裂き、首がこれ以上締め付けられる事を防いだ。
「がはっ、はぁ……はぁ……」
「お嬢様っ、げほっ。大丈夫ですか……?」
「めんどくさい男だ、降りてこい!」
レミリアはシャンデリアに構わず、男に目掛けて容赦なく弾幕を放つ。多数のシャンデリアパーツが弾幕で砕け散り、最終的にはシャンデリア本体も轟音を出しながら落ちる。男は落ちる前に跳躍しながら、懐から煙玉をレミリア達に向かって投げる。
「あああうざい! げほっげほっ。 待てぇ!」
いち早く煙の中から脱出したが、男の姿はもうどこにもいなかった。レミリアは更に苛立ちながら、二階の方へ飛んでいく。
「げほっげほっ……この足じゃ、探すのにも一苦労ね。はぁ……」
煙の中からよろよろと咲夜が現れ、近くの壁に寄りかかり、そのまま煙が消えて行くのを黙って見ていた。
「!?」
突然咲夜は目を張った。徐々に消えていく煙の中から、目の前にあの男が堂々と佇んていた。
「……悪いけど、相手が違うのでいらして? お嬢様は今二階の方へ行きましたわ」
「・・・・・・」
「なんて、そんなわけないわよね。戦力を分散し確実に戦力を減らす、てとこかしら」
まるで自虐をひとりごちるように分析する咲夜を余所に、男はゆらりと忍者刀を抜いて咲夜に近付く。
「まさかこんな事になるとはね……さすがに相手をなめすぎていたわ。本当はお嬢様のために取っておいた身体だったのだけれど――」
「――貴様は何故、あのような餓鬼の下に仕えている」
「……え?」
今まで無言を貫いていた男が、ここで初めて喋る。
「なによ、口あるじゃない。口元隠してたのはそれがバレないようにと思ってたけど」
「この館にいるものを統べる者とは見えぬ。自分本位にしか考えていない。右腕のこのような事態にも見向きもせず、俺と戦うことに固執する。周りの者は奴の陰口、悪言しか聞かぬ。奴の妹に至っては敬う言葉使いではなかった」
「あら、仕事中にそんなことしてたのあの妖精たち。一度灸を据えないといけないわね。それで、なんであなたがそんなこと知っているのかしら?」
「統率も知謀もない餓鬼に何故従い続ける。貴様は異能な能力、恒久に流れる時を止める力を持っているのだろう。ならばその異能な能力を使い、妖精とやらを自分の配下に置き、謀反を起こせば良いものを」
咲夜の質問を答えず、男は一方的に喋る。その姿に、レミリアと『お遊び』をしていた時ですら気合も悲鳴も上げなかった者とは思えない。咲夜は呆れた雰囲気を隠さない溜め息をひとつ吐いて、
「質問を聞かない奴に答えるつもりはないのだけど、いいわ、教えてあげる」咲夜ははっきりと、「私は、お嬢様を尊敬している。ただそれだけよ」毅然とそう答えた。
「くだらん」男は咲夜の答えを男はそう言い放ち「敬うに値しない者に尊敬などと言う無稽さは愚かとも言うべきか」
男は切っ先を咲夜の喉に向ける。しかし咲夜は怯えるどころか、ふふふと声を出して笑っている。その顔を見て男は怪訝の表情になる。
「何故笑っている」
「貴方はお嬢様を上辺にしか見ていない。本質というものは、常に見えないところにあるものよ。見た目でしか物事を判断できない浅はかさには、哀れとしか言えないわね」
親友のパチュリーや妹のフランと比べたら、大海に一石を投じるくらいの束の間の時間しか仕えていないと思っているだろうが、一番近くに仕える者として他の誰よりも尊敬し、他の誰よりも心を寄せている。
貴方のその言動はまるで、気に入った者にだけ執着する子供とも、気に食わぬ者を次々と処刑する臆病な独裁者とも取れそうな、可哀相な小心者ではないか。
咲夜はそのような心情を言葉に乗せて、男に噛み付くように反論する。
「そうか、それが遺言と捉えてよいな」
男はもう聞きたくない、というように刀を上げて斬りつける態勢に入った。それでも咲夜は男の眼を毅然と見続ける。
「最後に教えてやろう。俺が奴にしか知りえない記憶を持っているのは、奴の記憶を覗くことが出来るからだ。そして、たしかに本質は眼では見えぬ。だがそれは、他人に見られたくないモノだからだ。本質というものは、常に陰惨で残酷なものだからだ」
咲夜に手向けの花として語り、男は刀を振り下ろす。
「そこまでよ!」
男の後ろから、少女の制止の言葉が響く。男は反射的に刀を止め、声が聞こえた方向に振り返る。
「咲夜さん伏せて!」
パチュリーより前に出た小悪魔が、男に向かって数発光弾を放つ。咲夜は頭を下げ、男はそれを避けて後ろに下がる。離れている間に小悪魔は咲夜のもとへ駆け寄る。
「大丈夫ですか!? これは、ひどい傷……」
「大丈夫よ、どうってことないわ」
傷口からの痛みを抑えて咲夜は立ち上がるが、足を地面に付け力を入れた瞬間に強い痛みが走り、顔が苦悶の表情になって額から玉のような冷や汗が出る。
「咲夜さん! 無理しないでください!」
「ちっ、今すぐに楽にしてやる!」
仕留め損ねたことに舌打ちし、男はもう一度咲夜と小悪魔に急速接近し仕留めにかかる。
「させるかぁっ!」
「ぐうっ!?」
突然、上から人影が降りてきて男を勢い良く吹っ飛ばした。あまりに突然だったことと、男の頭に当たった脚の威力がとてつもなく強かったため、思わず声を上げてしまう。
上から降りてきた少女は、姫を守る用心棒の如く咲夜の前に立ち、中国拳法のような一本足で構える独特の構えをして男と対峙する。
「助けに来ましたよ、咲夜さん」
「そんな、ありえないわ……」
咲夜は目の前に立つ用心棒の背中を見て、何故か呆然としていた。
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