No.705610

真・恋姫✝無双 ~夏氏春秋伝~ 第四十四話

ムカミさん

第四十四話の投稿です。


撃退戦。ただその一言です。

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2014-08-02 10:33:55 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:7015   閲覧ユーザー数:5139

獣はおろか虫さえもが深く眠り、染み入る様な静けさに包まれたとある陣。

 

その静寂を破って駆ける足音が、次いで名を呼ぶ声が響く。

 

「麗羽様~!麗羽様~~!!」

 

焦りを含んだその声の主は、己が主君の眠る天幕の帳に手をかけ、中に向かって叫んでいる。

 

「ん……んん……一体何なんですの、こんな時間に?」

 

「斗詩ぃ~、まだ夜中だぜぇ~?もう少し寝かせ……むにゃ……」

 

未だ焦燥に駆られたままの顔良とは対照的に、天幕の中から眠そうに答えるのは彼女の主君たる袁紹と同僚の文醜。

 

確かに陣を張ったその最奥、最も安全な天幕であるとは言え、こんなにも無防備に眠りこける2人に思うところが顔良にもあったが、今はそれどころでは無かった。

 

「報告なんて明日聞きますわ……まだ眠り足りないですし……」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないですよぉ!劉備さん達が陣の撤収をしているんです!!」

 

主の返答を待たずに一息に言い切ってしまう顔良。

 

袁紹の性格からして、こちらから話さねば本当に明日にまで引き伸ばされかねないことを経験上熟知しているからこその行動だった。

 

果たしてその判断はこの場に於いては正しいものとなる。

 

「ぬぁんですってぇ~!?」

 

劉備が逃げようとしている。それを理解した瞬間、眠気に半ば以上落ちていた袁紹の瞼が瞬時に持ち上がった。

 

「それは本当なんですの!?」

 

「はい、本当です。ただ、ちょっと問題がありまして……

 

 どうにも劉備さん達、曹操さんの領地を抜けようとしているみたいなんです」

 

「はぁ?あの華琳さんの領地を?

 

 よくもまぁ、あの小生意気なちんくしゃさんが通行を許可したものですわね」

 

流れるように華琳を貶す袁紹にも慣れたもので、顔良は、どうしましょう、と目で問う。

 

その視線を受け取ったのかは定かでは無いが、袁紹は即座に軍の行動を決定した。

 

「斗詩さん、猪々子さん、すぐに準備なさい!

 

 雄々しく華麗に全速で劉備さんを追い込みますわよ!!」

 

「は、はい!」

 

「ふぁ~い……」

 

「もうっ!ほら、文ちゃん、起きて!戦の時間だよ!」

 

「いくさ~……?戦っ!?本当か!?よっしゃ、行っくぜ~!」

 

何とも締まらない、漫才のようなやり取り。

 

いつものことではあるが、心の底から自由気ままな2人の皺寄せをいつも喰らうことになる顔良は、心中で深い溜息を吐きつつ、出陣の指揮を執りに行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ、月。どう思った?」

 

「えっと……」

 

桂花、零、風が袁紹撃退の策を練っている間に、一刀は月に労いの言葉を掛ける。それと同時に問いも。

 

月は僅かに言い淀むも、正直な感想を言ってくれればいい、との促しを受けて心中を言葉にして紡いでいく。

 

「一刀さんが私を劉備さんに当てた理由は、なんとなくですが理解しました。劉備さんも私と同じ、民の笑顔を、民の幸せを求めている方なんですね。

 

 ただ、一刀さんや華琳さんも仰った通り、劉備さんの考えは甘い、とも思いました。

 

 問答の中で答えたことは、董卓として執ってきた私の政の軸からぶれていません。

 

 少し言葉は悪いですが、私達は支配層です。被支配層の人達から少なからず吸い上げることで成り立っている集団です。

 

 その分、支配層に身を置く私達は、私を捨て公を目指さなければいけません。時には私達の命すら公に分類される、と私は考えています。

 

 霞さんを、或いは詠ちゃんを。たった1人の犠牲でその他大勢を救う判断を。この層にいれば、それは仕方がない、いえ、当然の判断だと」

 

相槌代わりに頷きを時々入れる一刀を真っ直ぐに見つめて月は語る。

 

己が信条、月の中心を貫く、太く大きな芯を語ってくれる。

 

「ですが……」

 

だが、それまで明白な声音であった月が、僅かに声を翳らせた。

 

それは劉備に感じた可能性なのか。はたまた月が過去を悔いたのか。

 

「将や兵の方達も含めて皆思うとおりに幸せに……劉備さんのその考えは、素晴らしいものだとは思います。

 

 実現させることが出来るのならば、もしかしたら私もそんな道を歩んだのかも知れません。それは、私には叶わなかったことですけど……」

 

深い優しさと、為政者として培ってきたこの世界の常識と。

 

それらを併せ持つ月ならではの意見と言えるだろう。

 

望みたくとも望めない。実現可能性の低い、いや、無いともいえる目標を打ち立て、目指すばかりでは、いずれ万事がずれていき、政が崩壊しかねないのだ。

 

だからこそ月は自らの身を、将兵の身を、民のために捧ぐ道を選び、それを全うした。

 

華琳とは全く異なるスタート地点から初めておきながら、その終着点は華琳と似たところを多分に含むものとなっていたのだった。

 

「月はやれる限りのことを出来ていたよ。自分たちの軍の能力を過大評価も過小評価もしていなかった。

 

 理想と現実に区別を付ける。意外と難しいそのことをきっちりとこなせていた月は、尊敬すべき為政者だと俺は思う」

 

「へぅ……あ、ありがとうございます、一刀さん。ただ、それは詠ちゃんがいてくれたからだと思います。

 

 私一人では絶対にもっと早い段階で間違っていたと思います」

 

そういったズレの無い自己評価こそ月の真に尊敬すべきところだと一刀は考えている。

 

だが、それを今口にしたところで、非常に謙虚なこの少女は決してそれを認めはしないだろう。

 

(追々、月には諭してあげればいいか。今はそれより……)

 

月と問答をしている間に策が決まったようで、さっきまでとは一転、桂花が次々と指示を出していっている。

 

その内容はすぐに一刀も知るところとなった。

 

今回の作戦は至極単純。

 

従えて来た兵力を全て弓兵として注ぎ込み、闇を利用して魏軍の数を錯覚させて追い払うというもの。

 

突然の強行軍に至った魏が引き連れる兵数は少なく、まともにぶつかれば確実に敗北しか無いこの状況、多少の賭け要素が入るのは仕方が無いと言えた。

 

「一刀!今回の策、月達も使うわ。構わないわね?」

 

「ああ、問題無い。月、十文字は持ってきているか?」

 

「あ、はい。一刀さんの部隊から来た兵の方達には皆持って来てもらってます」

 

「さすが。だったら、桂花、月とその部下は弓隊として他の数倍に足る働きをしてくれるはずだ」

 

「それは好都合ね。その兵達は2分して第一地点と第二地点に配置。月は最終の第三地点で待機して」

 

「はい、分かりました、桂花さん」

 

月は早速詠に策を伝えて、部隊の分割・伝達に向かう。

 

桂花達の策の成功率は相手方、つまり袁紹軍の将の気質に完全に依存するもの。

 

慎重志向の顔良と基本的に面倒事が嫌いな文醜。

 

袁紹軍を主に指揮するこの2人をのみターゲットにした作戦であった。

 

桂花達が立てた作戦は次の通り。

 

劉備が陣を張っていた位置から考えて袁紹軍が通るであろうルートを選出。

 

袁紹軍が陣を張る位置から近い順に第一から第三まで番号を振り、兵を配置。

 

第一及び第二地点では全兵による弓の一斉射撃で迂回ルートを選択させる。

 

慎重を期したい顔良と面倒を避けたい文醜の利害はここまでは一致するだろう。

 

問題は第三地点。

 

桂花の見立てでは、文醜に三度我慢を強いることは出来ない。それは顔良が止めようとしたとて同じこと。

 

ここで第一地点からの兵を予め合流させておき、やはり弓兵のみの構成で遠隔射撃。

 

さらに、突出してくるであろう文醜に対して強く一当てする白兵部隊を一部隊だけ構成する。

 

最後の白兵部隊以外は遠隔から攻撃させることで、魏は万全の態勢である、と錯覚させることが出来れば魏の勝ち。

 

万が一バレれば袁紹軍に容易く突破を許してしまうだろう。

 

「一刀。あんたは春蘭、菖蒲と共に第三地点で待機。

 

 袁紹軍が見えたら、第一陣の射撃の後、吶喊。文醜が飛び出してくるだろうから、手際よく一騎打ちでも何でもいいから打撃を与えなさい」

 

当然この策で最重要となるのが第三地点。

 

ここの戦力を分厚くするのは当たり前であった。

 

「分かった。指揮は誰が?」

 

「第一は風、第二が零、第三が私よ。

 

 第一と第二は相手に誤解させる機が重要になってくるから、心理戦に長けた2人に任せてるわ」

 

「第三の指揮も大変そうだが……大丈夫か?」

 

「誰に物を言っているのかしら?華琳様も認める”王佐の才”、最初はあんたが言ったんでしょう?」

 

「はは、そうだったな。それじゃあ、早いとこ所定の位置に向かおう」

 

懐かしき南皮での勧誘劇。

 

そこでチラと口にした後世に伝わる荀彧の呼び名を、気に入ったのだろう、未だに覚えて誇りにしているようだ。

 

丁度一刀自身も南皮への潜入任務の際の記憶を呼び覚まそうとしていたところでもあり、懐かしさに自然と笑みが浮かぶ。

 

別勢力、警戒に包まれた出会いから、今では最も頼りになる仲間の1人の策を信じ、袁紹を迎え撃つべく移動を開始するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほ~ら、さっさと進め~!チンタラしてたら劉備達に逃げられっぞ~!!」

 

斥候から報告を得て、慌てて追撃部隊を組織した顔良と文醜。

 

その部隊の中央から文醜が激励の言葉を発する。

 

とは言っても、実は今の時点で随分な強行軍なのである。

 

馬に跨る文醜や顔良他一部の兵はともかく、歩兵にこれ以上に速度を要求するのはあまりに酷というものだった。

 

「文ちゃん、もう精一杯の速度は出てるよ。それより、そろそろ曹操さんの領地だから、ちゃんと警戒してね?」

 

現状における最大速度を理解している顔良はそう文醜を軽く諌めつつ、警戒を促す。

 

顔良の言葉通り、袁紹軍の追撃部隊は華琳の領地との境界を今まさに踏み越えようとしていた。

 

「んなにピリピリしなくたって大丈夫だって。曹操の奴もこんな夜中じゃ眠っちまってるよ、きっと」

 

「もうっ!そうは思えないから言ってるんじゃないっ!

 

 あの曹操さんだよ?本当に劉備さんに通行許可を出したんだったら、私達を迎撃する準備は整えてる可能性が高いんだから!」

 

言い合っている間に境界は既に背後に。

 

それでも一向に緊張感の無い親友に顔良は語気を強くする。

 

いつもの事ではあるが、このお気楽思考だけは改善して欲しい、と溜息を吐きたくなる。

 

とにかく警戒を、と再度文醜に警告を発そうとしたその時、部隊の先頭を走る兵の中から連絡兵が慌てて飛び込んできた。

 

「顔良様、文醜様、敵襲です!前方より射撃!暗がりの為敵の目視は不可!

 

 完全なる不意打ちでしたが威嚇射撃と見受けられ、被害はそれほど大きくはありませんが、前線は混乱中!」

 

「うっわ、マジかよー。曹操の奴、仕事早すぎねぇ?」

 

「ほら~!だから言ったじゃないっ!

 

 矢の規模から敵部隊の数の推測は出来ますか?」

 

「射撃の間隔に然程空きが無いことから弓隊に限っても相当数!

 

 通常の軍編成基準で考えても数万は下らないかと!」

 

兵の報告に顔良は顔を顰める。

 

相手はあの曹操、或いは変則的な部隊編成を行っているかも知れない。

 

だが、顔良の見積もりではどれほど変則的でも弓兵の比率は5~6割がいいところ。

 

弓兵が予測内最大数であったとしても、袁紹軍を待ち伏せしていた曹操軍の数が万を下ることは無いだろう。

 

そこまで考えて顔良は対応を即決する。

 

「分かりました。全隊、反転!別経路から劉備軍を追跡します!」

 

「今曹操とやりあってる暇なんてねぇよ、面倒臭ぇ!おら、後ろ向け後ろー!」

 

頭2人の命令を受けて追撃部隊は反転、次なるルートを顔良が計算して定める作業に入っていた。

 

接触どころか接近から僅かに5分、まさに風の如き早さであっさりと撤退していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わっ、わっ!すごいの~!風ちゃんの言った通り、本当に袁紹さん達引いて行っちゃったの~!」

 

「ふむ。流石だな、風」

 

「いえいえ~。秋蘭様もすごかったのですよ~。ですが、一番凄かったのは……」

 

賞賛を受け、返しの風が視線だけでその先を示す。

 

秋蘭もまたそれを理解していて、言葉の続きを請け負う。

 

「一刀の部隊、だな」

 

「ですね~」

 

「あんなに短時間での連射って、もう反則なの~」

 

「十文字、だったか?確かに凄まじいものだな。

 

 あれを作ったのは真桜だと聞くが、それを難なく使いこなす一刀の兵もまた驚くばかりだな」

 

3人の視線の先には移動に備えて十文字を仕舞う部隊の兵。

 

一刀の話によれば、その部隊は特に弓隊や騎馬隊といった固定兵種を作っていないらしい。

 

にもかからわず、つい先ほど秋蘭達の前で見せた弓隊としての運用では、秋蘭の部隊に勝るとも劣らない働きであった。

 

「お兄さんの”天の知識”、その恐ろしさの一端、と言ったところでしょうかね~?」

 

「つくづく一刀が仲間で良かったと感じるよ」

 

「なの~」

 

しみじみとそんな話を展開している内に、第一地点に配置された部隊の移動準備が整う。

 

各隊の確認も終わって報告を受けると、直ぐ様移動を開始する。

 

「さあ、我々も第三地点に向かうぞ!次が正念場だ!」

 

「隊列を崩さぬよう、出来る限り急いでくださ~い。こちらの動きを気取られたら終わりですので、気をつけてくださいね~」

 

「さ~、キリキリ急ぐの~!遅れたり、隊列乱した人は、後で凪ちゃんからお仕置きがあるの~!」

 

三者三様、将達の声を受け、兵達は動き出す。

 

向かうは第三地点、この急遽の防衛戦の要の地。

 

自分達が為すべき責任を胸に、途切れる事なく歩みを重ねて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だあああぁぁぁっ!!何なんだよ、曹操の奴っ!」

 

「全隊、反転!また別の経路を行きます!

 

 ……こっちも駄目かぁ。う~ん……他に道、あったかなぁ?」

 

魏軍に待ち伏せを喰らった第一地点を迂回し、劉備軍を追おうとしていた顔良達。

 

しかし、選択した道はまたしても桂花達の予測通りで、魏軍側では第二地点と銘打たれた場所であった。

 

当然またしても待ち伏せから手痛い一撃を受け、現在慌てて部隊を反転させている。

 

顔良の推測でしか無いが、迎え撃つ魏軍の規模はまたしても数万。

 

先ほどとは異なる場所でありながらもこれだけの兵力を配置しているとなると、曹操は万全の態勢を持って迎撃に当たっているのだ、と顔良は考えていた。

 

ここに来て顔良は次の選択を迷う。

 

曹操の態勢が万全であると考えるならば、追撃の名目で急遽作り上げたこの部隊で戦うには余りに厳しい。

 

しかし、だからと言って引き返すような選択は文醜が決して認めないだろう。

 

よしんば文醜が認めたとして、袁紹が納得するとは到底思えない。

 

つまり、結局のところ顔良には追撃を続ける選択肢しか無いのである。

 

(うぅ~、どうして私がこんなに悩まないといけないんだろう……私、武官なのにぃ……)

 

心の中で涙を流す顔良であったが、泣き言を言ったところで何かが解決するわけでも無いことは彼女自身が最も良く知っている。

 

(えっと、確かこの辺りの地形は……)

 

知っているからこそすぐに切り替えて為すべきことを為す。

 

行軍中の軍師的役割にしても、城中での文官的役割にしても、袁紹も文醜もやらないとなれば全てが顔良に降りかかる。

 

グチグチと泣き言を言う暇があれば、少しでも片付ける方がマシ。

 

それが長年袁紹に仕えてきた顔良が出した結論であった。

 

「……よし。全隊、進路を北西に!回り込んで劉備さんを追います!」

 

周辺地理をなんとか思い出して三度進路の変更を指示する。

 

だが悲しいかな、顔良は終ぞ桂花の掌の上で踊っているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第二地点より早馬での連絡です!袁紹軍の撃退に成功、直ちにこちらに向かうとのことです!」

 

「夏侯淵様の部隊より連絡が!もうすぐ到着するそうです!」

 

「分かったわ。どうやら秋蘭は顔良達が来るまでに間に合いそうね。

 

 弓隊を厚くできるのは僥倖だわ」

 

兵からの報告で作戦に少し修正を加えていく。

 

その周りで指示を待つのは一刀に春蘭、菖蒲に月の計4人。

 

「だったら弓の数に依る錯覚はこれまでの2地点と同じく大丈夫そうだな。白兵部隊はどうする?」

 

「そうね……春蘭、菖蒲、あんた達2人は弓の第一射の後、恐らく文醜が突っ込んでくるからそれに当たって頂戴。ただ、文醜が逃げたら追わなくていいわ。

 

 一刀はこのまま陣で待機。万が一春蘭達が突破されたらあんたも突っ込みなさい」

 

「任せろ!」 「はい」

 

春蘭と菖蒲が待ってましたとばかりに返答を返す。

 

一刀もまた了承を示す頷きを返していた。

 

「それから、月。あんたは弓隊を纏めて秋蘭に合流、第一の斉射の機は指示するけど、それ以降は秋蘭に一任するわ」

 

「分かりました」

 

月にも指示が飛び、第三地点における作戦が組み上がった。

 

そして各々が各々の配置に向かう中、しかし一刀だけがその場に留まる。

 

「桂花、春蘭達が抜かれる可能性、何割くらいだと思う?」

 

「9割9分大丈夫だとは思うけど……どうして?」

 

「ちょっとな……万が一の時の待機の件なんだが、それ、恋に任せてもいいか?」

 

「……ええ、問題無いわ。ただ、それはあんたから伝えておいて。

 

 恋はあんたか月からじゃないとちゃんと動かないかも知れないから」

 

「ああ。すまないな」

 

要件を簡単に済ませると、一刀もまた春蘭達と同じくその場を離れていく。

 

その背を目だけで追いながら、今度は一体何をする気なのか、と若干ならず桂花は気になっていた。

 

 

 

 

 

四半刻と置かず秋蘭も合流、弓隊の編成がそれにて完全に完了する。

 

秋蘭も月も既に展開し、桂花からの指示を今か今かと待ち構えていた。

 

ここまでの袁紹軍の動きは桂花たちの予測が的中している。

 

桂花曰く、顔良は文官も務め上げられる多才ではあれど、軍師一本で通すには幾分足りないものがある、とのこと。

 

それ故に短くはない時間彼女を見てきた桂花にはこういった局所的場面においてはほぼ確実にその思考傾向を読めるらしい。

 

桂花は如何にも簡単そうに言ってのけたが、条件付きとは言えそんな簡単に為せるとは思えない。

 

目の前で相対している相手の思考を、その一瞬一瞬において読むことは一刀にも一応出来る。

 

事実、それを戦闘に利用することで一刀はこの世界で名立たる将と渡り合えている。

 

だが、相手が目の前にいたとしても長期的にその思考を読むことなど出来ないし、それが離れた場所にいれば尚更のこと。

 

超人的な能力を何気無く話す辺り、”王佐の才”を自負するに十分だと言えるだろう。

 

何にせよ、桂花の推測があの先も的中するのならば、この場にてこの局所戦の進退が決まることになる。

 

 

 

「荀彧様、袁紹軍が見えました。前方十里。確認時の距離ですので、現在は八里半から九里ほどかと」

 

闇に溶けるような漆黒の衣を纏った兵が突如現れ、袁紹軍の到来を告げた。

 

その報告に桂花は口角の端を吊り上げる。

 

声に出さずともその表情が全てを物語っていた。

 

「弓隊に連絡。斉射の準備。すぐに行くわよ」

 

「はっ」

 

ザリッという音が止めば、そこには1分前と変わらぬ風景が戻る。

 

唯一の違いが桂花の手元。

 

さあ、いよいよだ、と桂花は軽く拳を握って気合を入れ直していた。

 

 

 

 

 

「そうか。分かった、ありがとう」

 

「いえ、任務ですので。では」

 

桂花の下に届いた報告は一刀の下にもまた届いていた。

 

同じように秋蘭、月の下にも届いているはずだ。

 

人員の数が許す限り、リアルタイムでの情報共有を。

 

かつての軍議で提案され、通って以来、魏では当たり前となった光景。

 

いくら軍師達が優秀とは言え、局面によっては指示が間に合わないこともある。

 

そういった時、現場判断で動いておいた方が適切だった、と後々に気付いてもどうしようもない。

 

ならば出来る限り情報を共有しておけば、多少知恵の回る武官であれば待機よりかはマシな対応が出来るはず、との考えの下。実行されている。

 

だが、メリットはそれだけでは無い。

 

情報を共有することで想定される様々な局面に対して予め心構えを作っておけることも大きな利点と言えた。

 

「もうすぐのようだ、春蘭。大丈夫か?」

 

「私のことは心配いらないぞ、一刀!文醜如きに遅れなど取らん!」

 

「あの……春蘭、作戦、理解してるよね?」

 

「ん?桂花からの指示があったら吶喊して、文醜を叩きのめすのだろう?」

 

「…………菖蒲さん」

 

「はい、お任せください。もしもの時は必ず止めますので」

 

「うん、お願い」

 

相変わらずな春蘭だったが、菖蒲が全てを分かっているような返答。

 

言葉にせずとも理解してくれる菖蒲に感謝しながら事態の推移を見守る態勢に戻った。

 

春蘭も菖蒲も、霞や恋が来てから一段と腕が上がっている。

 

恋を除けば、それぞれ特色のある武の持ち主。

 

その特色をより磨き、苦手な面を互いに鍛え合い。

 

春蘭や菖蒲は初めこそ恋に戸惑っていたものの、今では恋に挑むことを楽しんでいるきらいがある。

 

かつて戦場で見せつけられた圧倒的な武。

 

それを常に側に感じていながら、心が折れない辺り、後世にその名を残す勇将なのだと思わせるものがあった。

 

当の恋は現在は本陣にて待機の任をこなしているのだが。

 

「荀彧様より伝令。直、斉射あり。確認次第夏候惇隊、徐晃隊は吶喊せよ」

 

「来たか!」

 

「了解しました」

 

伝令の報告、そして春蘭と菖蒲の返事が追想から一刀を引き戻す。

 

七星餓狼を握り締め直し、気合いを漲らせる春蘭の背を、激励を込めて軽く叩く。

 

意図を察した春蘭が軽く、しかし力強い頷きを返したその時。

 

ヒュンヒュンと風を切って飛んでいく無数の矢の音が耳朶を打った。

 

「よし!行くぞ、お前たち!文醜隊を押し返すぞ!」

 

気合一閃、春蘭が矢を追うようにして駆け出す。

 

「では、行って参ります、一刀さん」

 

簡単に一言残して菖蒲もその後を追う。

 

2人の将に引っ張られるように、兵達も飛び出していき、その場には一刀だけが残った。

 

「…………」

 

一刀の意味有り気な視線と沈黙は誰に見られることも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬああぁぁぁ~っ!無理っ!もう無理っ!我慢できねぇっ!

 

 いくぞお前ら!突撃だー!」

 

そんな叫びだけを残し、顔良の制止にも全く聞く耳持たず、暗闇の先、視認も出来ぬ曹操軍へと突っ込んでいった文醜。

 

すぐに後を追って顔良も加速したかったが、それをしてしまえば部隊が縦に伸びてしまう事態を避け得ないだろう。

 

結局顔良が取った行動は文醜の無事を祈りつつ、部隊を纏めて文醜隊の回収に向かうこと。

 

文醜が堪忍袋の緒を切らし吶喊してしまった原因は、三度浴びせられた矢の雨である。

 

ここで三箇所目にも関わらず、射掛けられた矢の数は前2地点とほぼ変わらず。

 

最早曹操が万全の態勢を整えていることは疑う余地もない、と結論付けた顔良は、文醜を回収次第、即座に撤退することを決めていた。

 

が、そんな顔良の思考を掻き乱すような報告が前線から届けられる。

 

「前線より報告!前方より2旗接近!『夏』の字と『徐』の字です!」

 

「そんなっ……!」

 

この局面に至って向こうも吶喊。となれば、『夏』の旗はほぼ間違いなく夏候惇だろう。

 

文醜も腕が立つとは言え、曹操の誇る勇将2人を相手に無事勝ちきれるとは思えない。

 

いや、下手をすれば顔良にとって、袁紹軍にとって、取り返しのつかない痛手を被る可能性すら大いにあった。

 

「くぅっ……!ぜ、全体に連絡!速度を上げ、文醜隊を回収次第転進!

 

 余りに分が悪いです!ここは退きます!」

 

「はっ!」

 

千々に乱れかけた思考をなんとか繋ぎ止め、撤退の指示を出す。

 

そして顔良自身も文醜の無事を祈りながら速度を上げかけた、その時。

 

「顔良様!顔良様はいらっしゃいますか!?」

 

背後からよく通る声が響く。

 

何事かとそちらを見やれば、伝令と思しき兵が馬に跨って視線を彷徨わせていた。

 

主からまた何か無理難題をふっかけられるのか、と内心で戦々恐々としながら、その兵を呼び寄せるべく声を上げる。

 

「私ならここです!どうしたんですか?!」

 

「こちらにいらっしゃいましたか、顔良様!顔良様宛に書簡が御座います!こちらです」

 

「書簡、ですか?」

 

確かに、兵の手には書簡が握られており、その報に疑いは持たない。

 

だが、疑問は残る。

 

もし袁紹からの指示であれば、書簡ではなく伝令兵の口頭で十分というもの。

 

南皮他各地の文官にしても、遠征中の顔良にわざわざ書簡を出して支持を仰ごうとしてまで仕事をする者は、情けないながら今は存在していない。

 

いくら派手好き、金を掛けたがる主ではあれども、こんな七面倒臭いことはしないはずである。

 

それ故に何故今、それも書簡が届くのか、と疑問を覚えつつも兵が差し出すそれを受け取る。すると。

 

「では、確かにお渡し致しましたよ。顔良さん……」

 

「ぇ?」

 

息が漏れてしまったような疑問の声と共に、不意に覚えた違和感に従ってその兵に振り向く。

 

ところが、伝令で来たはずのその兵は、どうしてか前線へと馬首をめぐらせていた。

 

「はっ!」

 

その行動が理解出来ず、顔良の行動に僅かにラグが発生している間に、兵は掛け声と共に馬を駆け出させる。

 

兵の顔が間近から消えるその直前、顔良の目は確かにその兵の口元に薄く笑みが刻まれていることを見て取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曙光の訪れもとうに過ぎたその陣に、平原の向こうから近づく人影が一つ。

 

これといった特徴の無い服装、鎧を外した一般兵のような装いのその男。

 

焦るでもなくゆったりと、しかし決してのろのろとしたものではない歩みで陣に向かってくる。

 

それを視界に収めている警備兵は、しかし近づいてくる男を全く意に介する様子も無い。

 

「お疲れ様です、隊長」

 

「そっちもお疲れ。皆はまだ起きてないか」

 

「隊長がいつも早すぎるだけでしょう。誰もそんな時間に起きて鍛錬なんてしてませんよ?」

 

「何を言う。軽く走るだけでも結構気持ちいいぞ?お前もやってみればいい」

 

「はは……勘弁してください……」

 

陣に着いた男、一刀はその場で警備兵としてその場にいた黒衣隊員と会話を交わす。

 

 

 

ここは魏軍の張った陣。

 

袁紹軍の追撃部隊を相手に三度目の撃退戦を繰り広げた後、一晩の待機となっていた。

 

軍師達の策は見事に為り、顔良達はあのまま撤退していった。

 

しかし、相手の大将は、華琳と桂花をして悪い意味で読みきれないと評されるあの袁紹。

 

三度に渡る奇襲と転進で兵力と時間を浪費した袁紹軍は、あの時点で劉備軍を追うには最早無理とも言える状況であった。

 

が、袁紹のこと、或いはまだ重ねて侵入して来ようとするやも知れない。

 

そこで幹部陣が話し合って決定したのが、要地に見張りと伝令の早馬を付け、一晩の監視を行う、という案だった。

 

その時間もようやく過ぎ去り、日が昇った今、直に皆起きだしてくるだろう。

 

皆が起きて準備が整えば、そろそろ陣に向かって帰還を始める監視人員の最終報告を聞いてから帰還、の流れとなる。

 

 

 

(ま、何も起きはしないだろうな。実利の少ないことはいくら袁紹でもやらないだろうし)

 

そう考えていた一刀の予想通り、特に何かが起こるでも無いまま撤収となった。

 

「むぅ。なんだか物足りないぞ。一刀!帰ったら仕合だ、仕合!」

 

「いやいや、無理だって。帰ったら残りの準備をしてすぐに出発だから、俺の部隊は」

 

「うん?ああ、そうか。一刀が行くのは今日だったか。なら仕方無いな」

 

見るからにショボンとする春蘭に、一刀は微笑ましさすら感じてしまう。

 

単純だ、バカだ、と評されることの多い春蘭だが、その分純粋でもある。

 

己の感情をここまで素直に出せるのはある意味で凄いことだな、と思いながら、一刀は春蘭に笑顔を戻すべく言葉を掛けた。

 

「大丈夫だよ、春蘭。戻ってきたらいくらでも仕合出来るからさ」

 

「本当だなっ!絶対だぞ!」

 

即座に顔を輝かせる春蘭。

 

その様子に一刀も笑みを浮かべていると、華琳が馬を寄せてきた。

 

「一刀。貴方、このまま帰ってすぐに出発するのかしら?」

 

「ああ、そのつもりだ。劉備を追ってのこととは言え、一度こうして剣を交えたんだ。

 

 本当にいつ侵攻してきてもおかしくは無い状態になってしまったからな」

 

「ええ、分かってるわ。だから、戻ってからだと時間も無いだろうから、ここで言っておくわ」

 

ス、と息を吸い、より凛々しく顔立ちを整え直し、華琳はこう告げた。

 

「恐らく、貴方が矢面に立つその戦が、我が魏の真の覇道の第一歩となるわ。

 

 その名に恥じぬ活躍、期待しているわよ」

 

「ああ、分かってる。覇王の下で、そして天を冠した今、無様は見せないさ」

 

平野を駆ける馬の蹄が響かせる音。

 

通常であればその音にかき消されて2人の会話は周りにはほとんど聞こえなかっただろう。

 

しかしどうしてか、この時の2人の会話は周囲にもよく通っていた。

 

それが王たる資質を有する2人の引力とでも言うのか。

 

ごく普通の戦前の掛け合い。

 

しかし、今までの戦とは、その意味合いが全く異なるもの。

 

皆がそれを意識し、良い緊張を漲らせていくのであった。

 


 
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