導かれるように、ふらふらと灯りに群がる蛾のように城壁の上に登っていた。
なんとなしに部屋を出る途中で星の持ち出した酒が目に留まり持ってきて月見酒を始めた。
たぶん酒だったら何でもよかったのだと思う。
たった一杯でいい。
二人を抱いたという陶酔感から抜け出せるようになみなみと杯いっぱいに注いだ酒を口に流し込み、喉と腹の中が焼けつくような刺激が欲しかった。
「んぐっ…んぐっ…けほっけほっ」
一息ついて酔いが醒めるのを待った。
それなりに強い酒だったけど一杯だけだったので酔いが醒めるのも早かった。
城壁にもたれかかり、さっきより少しだけ西に移動した月を見つめる。
答えが返ってくるはずもないことは分かっていた。
その答えを出すのは自分しかいない。
誰も助けてはくれない。
あの部屋の前に立った時、何かが答えが出たような気がしたんだけど。
「お~い、そこのお前、城壁なんぞに上がってなにしとんのや?」
下から声が聞こえた。
「ちょっとそこ動くなや。今からいくさかい」
すぐに声の主はやってきた。
「あれ、確か徐州からきた北郷とかいうんやっけ?」
「あぁ、そうだよ」
「そんでこんな所で何しとるん?」
「見てわからないかな」
酒の入った徳利を見せてやる。
「そうなんか~、ええなぁ」
「良ければ君も呑むかい?」
「ええの!?んじゃいただくとするわ」
「悪いんだけど、杯はこれしかないんだ。もしかして杯なんて持ってないよね?」
「持ってへんけど、1つあったら十分やん」
「君が気にしないんだったらいいんだけどね」
持っていた杯を渡して、酒を注いでやる。
「おおきに。んっ…んっ…ぷはっー」
「い、いい飲みっぷりだね…。ところで君の名前はなんていうの?」
「ん?そうか自己紹介がまだやったな。ウチの名前は張遼や。よろしゅう」
「そういえば董卓の軍勢にいたような気がするけど」
「そのあと華琳に拾われたんや」
「君があの張文遠だったのか…おもわぬところですごい人と会うもんだな…」
「ちょ、ちょっと待ちぃ。ウチ、字は教えてへんはずなんやけど。あんた何者や?」
さっきまでの友好的な態度とは打って変わり、張遼の眼光が鋭くなる。
「張遼、君も俺が天の御遣いって呼ばれてるのは知ってるよね?」
「名前だけやったら」
「それじゃ、どういう人物なのかは知らないんだ?」
「……」
手に掛けた愛紗の青龍刀に似た得物から手を放そうとはしない。
「はぁ…。愛紗も同じような反応をしてたっけ?」
「それって関羽のこと…?」
「あぁ、そうだけど」
「えへへぇ~関羽と同じか~」
なんだかニヤニヤし始めたんですけどこの人…。
「ウチ、関羽のことめっちゃ好きやねん」
「そ、そうなんだ。それでだけど俺は天の御遣いって言われてるけど実際はこの世界よりずっと先の未来からきたみたいなんだ。その…2000年ぐらい」
「はぁ!?」
「信じられないかもしれないけどホントなんだ。だから、君の字も知ってたってわけ」
「ふーん、まぁええわ。それよりも関羽のこと聞かせて!」
「軽いな!?ふーん、て!?」
必死こいて説明したのに…。
「ええから、ええから!早く!」
「なにから話したらいいのか…。まず、俺が初めて愛紗に出会ったのは…………」
俺が話し始めると張遼は真剣に話を聞き始めた。
面白いエピソードの時は笑って、真剣なエピソードの時は黙って聞いてくれた。
俺と愛紗達とのことを話始めたらきりがない。
俺たちが出会ってからまだ一年くらいしか過ぎていないっていうのに。
楽しかったことも悲しかったこともたくさん、たくさんありすぎてきりがない。
俺の知っている愛紗も知らない愛紗も両方が愛しかった。
それは途中まで読みかけて大好きになった本の次のページ捲っていくように、今度はもっと大好きになれるかもしれない。
その可能性を摘み取っていくような行為をした曹操がとても憎くて、どうすることもできない自分がどうしようもなく不甲斐なかった。
「そうして俺たちは徐州を手に入れたんだ」
ふと顔をあげてみると張遼が俺の方をじっと見ていた。
「どうしたんだ?こっちをじっと見て?」
「どうしたやあらへん。自分の顔触ってみい」
「え?」
自分の頬に触れてみると眼もとから頬、そして顎先に濡れた感触があった。
「変だな。酒が回ってきたのかも」
「そんなわけあるかい」
「さて、そろそろ寝ないと。明日まで宴はあるからね。それじゃあおやすみ」
「ちょ」
張遼の声も聞かずに立ち上がって二人が眠っている部屋に帰った。
「………………」
張遼はわけがわからないといった様子でその場に立ち尽くしていた。
彼女が事の次第を知ったのは二日後のことだった。
「おはようございます。ご主人様」
「あぁ、おはよう愛紗。体は大丈夫か?」
「はい。日頃の修練のおかげですね。そ、それでですね、ご主人様」
「ん?どうかした?」
「こっ、これで私と星はご主人様に身も心も捧げることができたのですよね…?」
愛紗の頭をゆっくり撫でて「そうだよ」と頷いた。
そこにちょうど星が部屋に帰ってきた。
「主よ、朝からお熱いことですな」
「星、茶化すなよ。それより体は大丈夫か?かなり無茶しちゃったような気がするんだけど」
「そうですな。少々、歩きにくくはありますが。それほど問題にならぬでしょう」
「…そっか、よかった」
「それでご主人様、今日の宴までの時間はどういたしましょう?」
「愛紗と星はどうしたい?」
「私は市を見て回りたいですな。掘り出し物のメンマがあるやもしれませぬ」
「私も鈴々達になにか買っていきたいと」
二人とも買い物をしたいみたいだな。
「それじゃ、日中はみんなで買い物にでも行こうか」
「「はっ」」
二人はめいめいに市の散策を楽しんでいたみたいだったが、俺は曹操に言われたことについてずっと考えていた。
「ご主人様、他に行きたい所でもあったのですか?」
「どうしてそう思うの?」
「どこか上の空といったご様子でしたので」
「それは愛紗と星の二人を相手にしたもんだから、どうも腰辺りがだるくてね」
「ご、ご主人様!?もう知りません!」
「………ふぅ」
おどけたように腰を叩くと愛紗は顔を真っ赤にして先に歩いて行ってしまった。
「…………」
その様子を星は何にも言わず、ただじっと見つめていた。
そして最後の宴の時間が来た。
昨日と同様に並べられた豪華な食事も何か全く別の物のナニカのように感じた。
(砂を噛んでるみたいだ)
一刀は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
今にもモドシテしまいそうだ。
「あら、今日の料理は口に合わなかったかしら?さして昨日の物と変わりはないはずよ」
曹操はそう言って、皿に盛られた料理を口に運んだ。
「………」
俯き、唇を噛みしめる。
「可笑しな人ね。今日でこの宴も終わり、人生で一番いい夜になりそうだわ」
そう言って曹操は俺の方を軽くたたき、耳元に口を寄せて、
「…返事、楽しみにしているわ」
と呟き、立ち去った。
「ご主人様、曹操は何を考えて私たちを宴に招いたのでしょうか?このまま何事もなければいいのですが」
「あ、あぁそうだな。何もないに越したことはないよ。幸い料理とかには何も細工をしていないみたいだから楽しめる時に存分に楽しめばいいよ」
「そんな心構えでどうするのです!ご主人様にもしものことがあったら…」
「そうなれば我らで主をお守りすればいいだけのこと」
「星…それはそうなのだが。だからといって」
「そうだね。悪かったよ愛紗、気をつける」
俺がこの子を不安にさせてどうする。
ひとしきり謝って、愛紗を落ち着かせると星の近くに行って耳打ちした。
「少し俺は席を外すから愛紗の事を頼んでいいか?」
「それは一体どういう?」
「なにも言わないで俺の言うことを聞いてくれないか、頼む」
星に向かって頭を下げた。
「主、頭を上げてくだされ。一国の君主ともあろうものがそう軽々しく人前で頭を下げてはなりませぬ」
「そっか…悪い。それでも頼む」
今度はしっかりと星の眼を見据えて言った。
「……そこまで仰られるのであれば断るわけにはいきますまい」
「ありがとう。それじゃ後を頼む」
そう言って俺は宴の会場を後にした。
俺はそのままの足で昨日と同じ城壁の上に向かった。
あの場所はどこか落ち着く。
無論、考え事をする場所なんていくらでもあるのだが、あの場所に行けばなにか掴めるかもしれない。
「昨日はなーんにも言っちゃくれなかったけど、今日は満月……クソッ」
どうにかなるわけないだろうが!
こんな時になってもどうにかなるなんて考える自分が心底嫌になる。
“ガッ”
苛立ちをぶつけるように殴りつけた石の壁は底冷えするほど冷たく、とても硬かった。
鈍い痛みが走る。拳を引き寄せて見ると皮膚が破れ、血が流れ出ていた。
「はぁ…惨めだなぁ」
まるでこの世界での俺の未来を暗示しているような気がした。
だからこそ俺はこんな未来を黙って認めるわけにはいかない。
「とは言ったものの…」
良い考えなんてそうそう浮かぶわけがない。
なんとなく辺りを見回すと昨日の晩に忘れて行ったらしい酒の入った徳利と杯が置いてあった。
「いっけね、忘れてたのか。確か昨日来たのは張遼がだっけか」
張遼…張遼ね……。
「張遼って言えばあの『張来来』って言われる魏の猛将でたった800の兵で10万の大軍を退けたんだっけ」
今の俺が持ってる武器という武器といえば未来に関する知識だけだ。
史実は全く同じとは言えないが大きな流れとしてはそう変わりはないみたいだし。
「なにか有効に使えないか?」
俺と同じような出来事はなかったか頭の中を必死に探る。
今の俺と愛紗のような……。
「人質かぁ…。ん?」
なにか引っかかるものが、
「そうか…わかった…」
「なにがわかったのですかな?」
「!?」
声のした方を振り向くとそこには、
「なんだ星か…ふぅ」
「なんだとは酷いですな」
「ははっ、ごめん…って愛紗のこと頼むって言ったろ!?」
「それならば大丈夫です。愛紗はああ見えて酒にめっぽう弱いらしく、少し煽ってやったらすぐに泥酔してしまったので部屋に寝かせておきました」
そう言って星は俺の横に腰を降ろした。
「そっかぁ」
「それで、ですが主」
「ん?」
「今日の主はどこか変でした。しかし今は憑き物が落ちたようにすっきりとした顔をしておられる。それにさっきの『わかった』が関係しているのですかな?」
「……教えないって言ったらどうする?」
「ふむ、主の陣営を抜けさせていただきます」
「なっ!?……本気なのか?」
「えぇ、臣下に隠し事をするような主を君主と仰ぐわけにはいきませぬからな」
「……は構わないけど、……わけにはいかなよな」
「主、そのような小さなお声では聞き取れませぬ!」
勝手に口が動いていたみたいだ。
「今のは別に関係ないんだ」
「……」
〈星side〉
今日の主はどこかおかしかった。実際はもっと前からかもしれない。
今考えれば曹操と服の話をしに呼ばれた後、部屋に戻ってきた時からなにか違和感はあった。
どんなに主が女好きだと言ってもあのような形で迫ってくるなど考えられない。
私自身、初めての経験ということもあり緊張して気付けなかったのは致し方ないが…。
もちろん、嫌というわけはなかった。むしろ惹かれていたといっても過言ではない。
主に好いていると聞かされた時は全身の血管が沸騰するような感覚が稲妻のように走った。
自分で言うのもなんだが容姿はそれなりに整っていると思う。
でも私はこんな性格だ。他人から見ればよく言って酔狂、悪く言えば変なヤツとしか受け取れないだろう。嫌われもしないが好かれもしない。
一緒にいればいるほどそれは顕著になるのはわかっている。
それなのにも関わらず、主は私のことを好いていると言ってくれた。
そんな主が私に隠し事をしていると気づいた時は悲しくて、
それをすぐに気付いてしまった自分が浅ましく思えた。
どうして信じてやれないのだ。
自分自身を罵倒した。
愛紗のように幸せな気分だけを味わえないことが…。
一度でも気にしてしまったらもう我慢なんてできない。
それでも必死に耐えた。
「どうかなされたか?」
という一言が何度も口から出そうになった。
それなのに…主は何も言ってくれないどころか「一人になりたい」などと仰る。
これでは何のために私が臣下としてここにいるかわからない。
いや、それ以前に惚れた男が思いつめたような表情をしているというのに黙って見ていることができるはずがない。
もしアナタが苦しんでいるのなら私は助けてあげたい。
もしアナタが悩んでいるのならいっしょに悩んであげたい。
そんなに辛そうなアナタの姿なんて見たくなどありません。
そんな主を見たくなくて卑怯な嘘までついた。
『教えない』などと仰るから。
主の傍を離れるなんてもう考えられない。
だからこうして私は黙っている主が話してくださるのを。
「…この話は誰にも聞かせるつもりはなかったんだけど…。それに聞いてしまったらもう後戻りはできないし、口外することもゆるさない」
星は神妙な表情で頷いた。
「これからずっと辛い思いをすることになるぞ。絶対に後悔することになる。多分なんかじゃない、確実に…だ。それでもいいかい?」
もう一度星の顔が上下に動いた。
「実は昨日の夜――――――」
俺は昨日の晩、曹操とあったやり取りを包み隠さずに洗いざらい話した。
「なんと!?…そのようなことが」
「…うん。それで星や愛紗達に嫌な思いをさせたのは悪いと思ってる」
「ふざけるなっ!!愛紗はまだしも私にすら話してくださらないとは、臣下に対する冒涜でしかない!」
星は激昂して拳を振り上げた。
俺は次の瞬間に訪れるであろう衝撃の恐怖に耐えきれず目を瞑った。
しかし、いつまでたっても衝撃が訪れることはなかった。
それどころか俺の顔は柔らかい感触と甘い匂いに包まれた。
「どうしてそうお一人で全てを抱え込もうとなさる。臣下である私の立つ瀬がないではありませんか」
「…殴らないのか?」
「主は殴って欲しいのですか?」
必死に頭を横に振る。
そうですか、と一言だけ言って星は抱きしめていた手を解き、正面に座りなおし俺の顔をしっかりと見据えた。
「それで星は俺の言った事を聞いたうえで、聞きたいんだけどどうすればいいと思う?」
「……すみません、今の私ではどのような策も…」
「そうだよなぁ」
「この場に朱里や雛里がいればあるいは…」
「でもここには俺と星しかいない。愛紗は当事者だから気どられるわけにはいかない」
「…うむ」
「それで俺はずっと考えてたんだ。どうしたらいいのかってね。でも星と愛紗の二人を抱いた後に」
ひと呼吸おいて、
「…俺って幸せだなって思った」
さらにもう一つ、
「だから守りたい、ずっと大切にしたいって思った。そうするためには俺はなにができるかって」
「…………」
「俺にはみんなみたいな力はない。星たちが持ってる武も朱里たちが持ってる知も、ね」
「そのようなことっ!」
「事実だよ。でも俺にはこの世界にない知識を持ってる。確かに実用的じゃないの方が圧倒的に多いんだけどね」
「むぅ…」
「だけど俺はこの世界…現在ここにいる世界のことを歴史として知ってる。そりゃ全てが歴史と同じってわけじゃないんだけど大筋の流れは変わってないんだ。これが何かの役に立たないかって思って思った」
星は何も言わずに俺の話に耳を傾けている。
「昨日、ここで今日と同じように考え事をしてたら張遼が来たんだ。別にそれ自体がどうということはないんだけどさ」
「むっ」
他の女の名前が出てきたからか星は少し不機嫌そうに顔を歪めた。
「だ、だからそれは関係ない…とも言い切れないけど人に言えないようなことはしてないって!」
「流石は主だな」
完全に棒読みで答えてくれた。
「はぁ…。それじゃ話を進めるよ。それで張遼ってどんな人物だっけ?って思い出してたんだ。も、もちろん俺の元いた歴史の方のね!」
俺を見る目つきが鋭くなったのを感じて、あわてて補足をしておく。
「俺たちのいた時代で張遼っていったらすごい猛将として有名でさ。たった800の兵で10万の大軍団を退けたらしい。その戦いがあった地方では『張来来』って言ったら泣いている子供も泣きやんだそうだよ」
「それはにわかには信じがたいですな」
「だよな。普通だったらよくて籠城、退却するところなのに張遼は正面から突撃したんだ」
「な、なんとっ!?」
「当然、夜明けに奇襲って形だけど。でもその場所を奪われるとこの許昌が危険に晒されることになるほどの重要地だったんだ」
「ですがあまりに無謀、自殺行為では?」
「そうだね、成功する確率は限りなく0に近い。退けば罰せられることは目に見えているけど彼ほどの将だったらどこにでも士官は可能だったろうね。なんたってこんな時代だからな」
「それは彼が忠義の士からではありませぬか?それ以前になぜ主はこのような話を?」
「きっかけの一つだったからだよ」
「きっかけとは?」
「うん、これから俺はどうすればいいか、どうやったら愛紗を曹操に渡さないですむのかってね」
「それでは主は妙案を思い付いたと!?」
「あぁ。元々は俺一人でやろうとしてたんだけどこの作戦は確実に成功するとは言えなかったんだけど星が協力してくれるのなら成功率はもっと高まる。手伝ってくれるよな」
「無論です」
「ありがとう、って言いたいところだけど俺の話を聞いたんだ。嫌だって言ってもそのつもりだった」
「それで主が考えた策とは?」
「それはな―――――」
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三日連続の投稿です。
書き溜めのストックがあるとなんだか安心してしまうので今あるぶんを出してしまいたいと思います。
またも多くの閲覧、たくさんのコメントをありがとうございます。
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