語りたがりな彼女と彼
「一樹は音楽を崇高なものだと思うかい?」
彼女のしたり顔には慣れたものだった。今日も同じように、そんな会話が始まる。
「思うんじゃないかな。音楽は素晴らしいものだよ」
喫茶店内のくるくる回る天井扇をぼんやりと見ながら言った。
「ふふん。そういうと思っていた。なら、なぜ素晴らしいと思う?」
僕は手元のグラスに入ったアイスコーヒーを口に含みながら、少し間をとった。彼女はその間にガムシロップが大量に入ったアイスコーヒーを飲んでいる。僕の分も含めて二つ分だ。そんなものを飲むぐらいなら最初から甘い飲み物を頼めばいいと思う。
「その音楽独自の世界観に浸れるからじゃないかな」
「ふふふ。そうだろう! 要は依存しているのだ!」
彼女は得意気に僕の方を指さしている。いや、ストローさしている。
「ほらほら、行儀が悪いことはやめてくれ」
「う、うぬ。失礼した。それで、どう思うのだ」
「どう思うって?」
「私の意見に対して、だ」
「依存か。うん。そうだね。それはちょっと違うと思うかな。だって別に僕は音楽を聴かなくたって死にはしないし、そこまで熱心に求めてもいないからね」
「それでも、音楽の世界に浸るというからには同調して、依存するってことだろう」
「じゃあ葵はどうなのさ? それを聞いてから答えるよ」
「わたし? わたしは、そうだな。歌詞を読んで、メロディを聞いて、リズムに乗ってその音楽の世界に自分を置いたりして、楽しむ……かな。歌詞に共感して分かるなあってなるとか。それでこの曲は世界に一つのモノで、これを大切にしたいって思う」
「うんうん。僕もその感覚分かるよ。でもさ、その好きな曲は好きな曲で一つしかないけど、それだけしか好きな曲がないってわけじゃないでしょ? いろんなジャンルのいろんな曲が僕は好きだからね。バラードなラブソングも聴くし、ロックな社会風刺の曲も聴くよ。その曲だけに依存しているわけじゃないんじゃないかな」
僕の意見を聞いて、彼女は少し首を捻り、腕組みをして考えだす。こうなると彼女は長い。暇そうにしている店員さんを呼ぶのは気が引けるが仕方あるまい。呼び鈴に手を伸ばした。
銀製の鐘の音が店内に反響していく。それでも目の前の彼女は反応することなく、じっと目を瞑って考えこんだままだ。いたずらをしても気づかないんだろうな。学生らしい若い店員が奥からスタスタとこちらに寄ってきても、彼女は微動だにしなかった。
「お待たせしました。お伺いいたします」
この店は手書きでメモを取っている。最近は電子機器の店が多くなったものだが、僕はこちらのほうが好きだった。
「すみません。このパンケーキ二つお願いします。……苺ソースとチョコソースで」
僕の発言と同時に、店員さんはスラスラとメモを取っている。
「苺とチョコソースですね。それではお作りいたしますので、お待ちくださいませ。失礼します」
店員さんの素直な笑顔が眩しかった。彼女もしたり顔ばかりではなく、たまにはこういう人を良い気分にさせる笑顔を出来ないものだろうかと思う。……まあ、無理だろうな。
無い物ねだりをしても仕方ない。彼女はうーんうーんと唸りながら僕の意見を折るような持論を生み出そうと悪戦苦闘しているようだ。鞄から文庫本を取り出してそれを読むことにした。
音楽と文学は似ていると思う。どちらも仮想の世界への誘いだ。音楽はそれがリズムになっているし、文学はより深く繊密に世界を表している。店内で流れるBGMのようなものに世界を抱くのは難しいかもしれないけれど、ある意味現実の中での世界を再現するのに使えるのではないだろうか。
文学作品で言えば、『喫茶店内は小気味の良い音楽が流れていて、落ち着いた雰囲気をしている。焦げ茶色に統一された落ち着きある空間だ』とか。こんな感じかな。
「そうだっ! 思い出したぞ!」
彼女が突然に声を出した。
「葵。静かにしなさい」
感傷に浸りながら本を捲っていたものだから、少し驚いた。
「ご、ごめんなさい……」
「それで何を思い出したんだい」
「えっと、ほら、昨日お風呂あがりに歌を口ずさんでたじゃないか」
浴室での歌唱は音が反響して耳に入ってきやすいし、音が外に漏れにくいのでよくやっていた。その延長で脱衣所に来た時にも昨日は少し口ずさんでいたのだ。
「うん。そうだね。素晴らしい音楽はやっぱり自分でも歌いたくなるよ」
「口ずさむということは常習性が高いということであり、依存するってことと言える!」
「違うと思うよ。さっきも言ったけど毎回同じ曲を口ずさんでるわけじゃないでしょ?」
「でも毎回同じアーティストだよね」
「そう言って来るとは思ってたよ。葵だって同じアーティストだからってそのアーティストの曲は全て好きってわけじゃないだろう。それでも中には、あるアーティストの作る作品は全て好きって人もいるかもしれない。しかし、その曲の一つ一つを全く同じ理由で好きということではないとは思うよ」
言い切ったところで、またアイスコーヒーを喉に運ぶ。葵の様子を見るが、なんとか言い返せないものかと考えあぐねているのがひしひしと伝わってくる表情をしていた。
「……ぬぬ、依存説は終了!」
どうやら諦めたようだった。
「じゃあ僕から新たに一つの説を提唱しよう」
「……なに?」
「葵の甘いもの依存説、だよ」
葵の後ろからは先ほどの店員が両手にお皿を持ってこちらに歩いてきているのが見えていた。
「おまたせしました。苺ソースのパンケーキと、チョコソースのパンケーキですね」
店員の女性に、苺のほうを彼女に、と伝えると、音を立てずに並べてから去っていった。
「え、え? なんでパンケーキが運ばれてきたの?」
葵は目を丸くし、ついでに目をゴシゴシとこすりつつ、ぱちくりもしていた。
その動揺っぷりに吹き出しそうになる。
「葵が考えて自分の世界に入り込んでる時に頼んで置いたんだよ。頭を使うと甘いモノが食べたいってうるさいからね」
「……そんなことはない」
むすっとした表情を浮かべて、葵はそっぽを向いてしまった。
「じゃあ、いらない? 僕が頼んだものだし、食べないなら二つちゃんと食べるよ」
「えっ……」
「さすがに二つは食べられないなあ、とか僕は言わないからね。知ってるでしょ」
「……一樹は優しくない」
「くとな、の二文字はいらないんじゃないかな」
ニコリと葵に向かって笑みを浮かべる。葵は引きつった笑みを浮かべたかと思うと、腕を組んで何かを考えようとしていた。さすがに二回目に付き合うつもりは起きない。
葵の頭を軽くポンポンと触る。
「美味しいものは美味しい時に食べるものだよ。パンケーキもホットケーキも出来たてを食べるのが礼儀さ」
「……それなら仕方ないから、食べる」
「……素直じゃないなあ」
「うるさいっ! 仕方ないんだから、仕方ないとしか言えないでしょ!」
「はいはい。僕が勝手に注文しただけだからね」
無愛想な顔を貼り付けながら葵はパンケーキを運んでいる。しかし、葵が口にそれを含む瞬間、本日一番の笑顔をしていたのを僕はもちろん見逃さなかった。
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音楽について考察しあうカップル。