いやあ、美味しい日本酒ですねえ。
するする行けますね、これは。
え? いや、俺は別に怒ってませんよ、馴染みの店ですから、後で謝りに行きましたけども。店の主人も笑ってましたし。
まあ、お詫びと言うことでこんな旨い酒が頂けるんなら、有り難いくらいですよ。
いや、ほんとに気にしてませんから。流石に店の中で、狐の姿になった先輩に追い回されたときは吃驚しましたけど、大分呑んでましたからね。
はあ、先輩が噛んだところですか。
や、もう直ってますよ、先週のことですしね。元々、アホみたいに頑丈なのが人狼の特徴ですから、大丈夫ですって。
はあ、見せてみろ、ですか。良いですけど、傷痕とか残ってないですよ。塞がっちゃって。
……。
あの、先輩、俺の指になんか付いてます?
や、何時までも撫でられると、くすぐったいんですか……。
はあ、神経がやられてないか調べてる?
皮膚感覚が戻ったかが大事、ですか?
そういうものなんですかね。ほっといても傷が治るもんで、あんまり気にしないからなあ。
え? 案外片付いてるな、ですか。
名義だけですけど、社宅ですからね。小綺麗にしとかないと。掃除も別に面倒じゃないですし。
いや、片付けに来るような相手は居ませんよ。この間も言いましたけど、俺は彼女いませんからね。
え?
何なら自分がやってやろうか?
いやいや、流石に先輩にそんなことさせられませんよ。
はあ、お詫び、ですか。
や、もうお酒も貰ってますしねえ。これ以上は悪いですよ。
そんなことない?
結局酒は一緒に呑んでるし、つまみも作って貰ったし、ですか。
つまみは先輩も持ってきてくれたじゃないですか、きんぴらすげー旨いですよ。
はあ、兎に角任されろ、ですか。
でしたら、まあ、来週にでもお願いします。
あの、俺の手を掴んだまま左右に振り回すのはどうかと……。
呑みすぎてませんか、先輩。機嫌が良いのは悪い事じゃないですけども。
や、にこにこしながら、俺の手を胸に押し付けるのもダメですよ。
ちょ、挟まなくていいですよ!
サービスって、明らかにやり過ぎです!
いや、ほんと勘弁して下さいよ。先輩、美人なんですから、そういうことは慎んで下さい。
誉めてないですよ、くねくねしながら俺の手をつねるのは何でですか。
ほんとにもう、この会社に入ってから先輩には振り回され放しですよ。
いい女の条件?
はいはい、そうですねー。
と言うか、いい加減、手を解放して下さい。
指を絡めてもダメです。引っこ抜きますからね。
よいしょ。
わたしのーって、俺の手は俺のです。生まれたときから俺の所有物です。
泣いてもダメです。
いじけても睨んでもダメですよ。
はあ、代わりに酒を注げ?
はいはい、幾らでもお注ぎしますよ、どうぞ。
あ、俺もですか。じゃあ、空けますね。
うーん、矢張り旨い。生酒はクセになりますね。
え?
耳が出てる?
鼻面が尖ってる?
ああ、呑みすぎましたかね。
普段はないんですが、気が緩んで酒が入ると、本性が出るんですよね。
これは、ほっといたら完全に獣化しますね、むさ苦しくてすいませんが。
あ、あれ、先輩が見る見る不機嫌に……。
どうかしました?
え、もうちょっと緊張しろ、ですか。
こんな美人と呑んでるのに?
まあ、先輩は確かに綺麗ですけど、一緒に居ると安心するんですよねえ。偶に、どっと疲労しますけれども。
それは誉めてるのか、ですか。
や、誉めてますよ。少なくとも、ほっとできる相手の方が俺は好きですからねえ。
酒を呑むときぐらい、気を抜きたいじゃないですか。
って、あれ、どうしたんですか、固まって。
えらく顔が赤いですよ、呑みすぎました?
何でも無い、大丈夫、ですか。
はあ、先輩が言うんでしたら大丈夫なんでしょうけども。
何でしたら、お開きにします? 家まで送りますよ。
はあ、大丈夫、ですか。
何か機嫌が急上昇してるのが、良いような、こわいような……。
気にするな、兎に角、呑め、ですか。
まあ、呑みますけどね、美味しいですし。
あ、洗面所ですか。奥に行って右手です。風呂の手前ですね。
うーん、日本酒美味しいなあ。
獣化する前に服は脱いでおくか。破れたら悲しいし。
うわ!
何ですか、先輩、いきなり走ってきて。
狭い部屋なんですから、走る必要はないですよ。
歯ブラシ握り締めて、どうかされました?
どうかしたかじゃない?
洗面所に歯ブラシが二本あったが、この一本は誰のだ、ですか。
ああ、それはですね、この前話した、あの、田舎の子ですよ。
へ?
いやいや、そんなのじゃないですよ。
ええと、要はですね、こっちで受けるっていう高校の下見に出て来たんですよ、彼女。
それで、街やら受験会場の案内に付き合わされたんですが、遅くなっても帰ろうとしなくてですね。
てっきり、親戚とかいるのかと思ってたんですが、そうでもない。
訊いてみたら、宿の予約もしてないって言うんですよ。
まあ、外にほっぽり出すわけにもいきませんから、しようがなく泊めたわけです。
歯ブラシやら、着替えやらは持ってましたから、最初から俺ん家に泊まる積もりだったんですかねえ。
て、あれ。
先輩、歯ブラシがみしみし言ってますよ、力入れすぎじゃ……。
あ。
ばきってなりましたね。
あ、あれ、先輩、どうしました?
何で、獣化してるんですか?
狐の頭でこっちを睨んでるのは何故ですか?
あの、じりじり近付いてくる先輩から、途轍もないプレッシャーを感じるんですが……。
って、ぎゃあ!
先輩! 飛び掛からないで下さいよ!
ちょ、待って、待って下さいって!
俺も獣化してるし、獣人同士で暴れたらこの部屋、ぶっ壊れますって!
ちょ、落ち着いて下さい!
痛ーっ!
肩、肩がっ!
牙が刺さってるし!
と、取り敢えず押さえ込まないと、床が抜ける!
てい!
とりゃ!
どこいしょー!
ふう、何とか取り押さえた……げ!
せ、先輩、なんで泣き出すんですか。
何か、絵的に凄く俺が悪人ぽいじゃないですか。
え?
間違いなく悪人?
酷い奴だ?
あ、あの、俺、何かしました?
ぎゃ!
こ、今度は反対側の肩を……。
あの、兎に角、謝りますから理由を教えて下さい。
……え?
わたしも泊まる?
いや、幾ら何でもそれは問題があるんじゃ……。
う゛!
正確に同じ箇所へ牙を打ち込むこの技術! 恐るべし、先輩!
痛い! 凄い痛い!
あのですね、彼女はまだ中学生の子供ですよ。子供を泊めてやるのと先輩を泊めるのとでは、話が違うと思うんです、がふっ!
の、喉元に……、先輩の犬歯が……。
頸動脈が、締まって、何だか意識が……。
ああ、狐の牙でも犬歯と呼ぶんですかねえ、俺のなら犬歯で良いと思うんですが。
あ。
外れた。
俺が完全に獣化したんで、首が太くなったんですね。
大丈夫ですか、大口を開けて引っ繰り返ってるって、はしたないですよ、先輩。
五月蠅い?
起こせ?
はいはい、分かりましたよ。
よいしょ、と。
そんなに睨まないで下さいよ。
一応、来客用の布団がありますが、先輩はベッドの方が良かったですかね。
え?
いや、もう泊まっていって良いですよ。色々問題はありますが、喉笛喰い千切られるよりはましです。
あれ、何ですか、また急に顔を赤くして。
黙れ、この唐変木?
この間も言いましたが、俺ほど細やかな心遣いを一義としている人狼は居ませんよ。
言っておきますが、完璧に獣化した俺の身体には先輩の牙は徹りませんからね、牙を剥き出しにしてもダメで……うひゃあ!
先輩! 尻尾はダメです!
痛いと言うよりくすぐったい! う、く、うはははは、いやいや、甘噛みとか止めて下さいよ!
うひゃ、うひゃひゃひゃ、ちょ、舐めるとかダメです!
咥える? 余計ダメ、ダメで、うはははは、うひゃ、うひゃ、うひゃひゃひゃ!
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居酒屋の後日譚になります。
またしても馬鹿な話です。