いや、あのね、呑みすぎですよ。
幾ら馴染みの店とは言え、限度ってものがあります。
へ?
いやいや、違いますよ。メールが送られてきたんで、返してただけです。
は?
恋人?
違いますよ。
やっぱりな? どういう意味ですか。またえらく嬉しそうな顔ですね。
いや、先輩、小指を立てて「これとはご無沙汰だねえ」はないでしょう。オヤジ臭いですよ。
痛っ、痛い痛い痛い。すみません、ごめんなさい、先輩はお若いです、もう、十代に見違えるぐらい、痛い痛い!
本気で爪を立てないでくださいよ。あー、血が出てきた……。
はいはい、俺が悪いんですね。
え? お詫びに面白い話をしろ、ですか。いや、負傷したのは俺なんですけど……って、いてー!
噛み付きましたね! 今!
いや、もう分かりましたよ。分かりましたから、その笑顔を止めて下さい。
まあ、急に面白い話と言われてもあんまり思いつかないですけどね。
あー、先輩、ぎらりと光る犬歯を見せびらかしながら、俺の手首を口元に持って行くのは止めて下さい、本気で泣きそうです。
うーん、面白いかどうかは分からないですけど、この間田舎に帰ったときのことなんか、どうですかね。
兎に角、話してみろ、ですか。いや、面白くなかったらお前をとって喰う、ってどこのハスキー犬ですか。
はいはい。まあ、この間の長期休暇に田舎に帰ったんですけどね。
ええ、東北の山奥ですよ。何にも無いとこです。日が暮れると本当に真っ暗になるところで、空を見たら、びっくりするぐらい星がひしめいてるんですよ。星屑、の意味があれ見ると分かります。
え、ロマンチックが止まらない夜空の向こうの話はいいから、ですか。いや、意味が分かんないですよ。
はいはい、続きですね。
まあ、田舎に帰ってですね、休みだーってことで、ごろごろしてたわけですよ。とは言え、二、三日もすると飽きてくるんですよね、やっぱり。
で、山に入って山菜でも採ってくるか、って話になりまして。
はい、結構色んなものが採れますよ。
松茸、ですか。いきなり、大物が来ましたね。いや、これが採れるんですよ。本物のシメジ? それもあります。はあ。今度里帰りしたら持ってきますよ。いや、一万年と二千年前から愛してるって、どんだけ安いんですか。
まあ、そんな訳で山に行くべえ、てなことになったんですが。
そしたらですね、家で四方山話してたじっちゃんばっちゃん連中がですね、「狐が出るから気をつけな」とか言うんですよ。
そうです、化かされるな、っていう忠告ですね。
まあ、俺は大丈夫だよとか言って、山に入ったわけです。
で、山に入ったら結構採れまして。え? ウドとかミョウガですよ。ええ、天麩羅にすると旨いですよね。
……料理追加ですか。はいはい、分かりましたよ。
えーと何処まで話しましたっけ。
ああ、天麩羅がおいしいとこまででしたね。いや、ちょっと違うか。
兎も角、山に入って、面白いぐらい採れたもんですから奥へ奥へと行ってしまいまして。
気が付いたら、日が暮れてたんですよ。
ほんと、山は日が沈むとなるとあっという間に真っ暗になりますね。
え? いや、怖くはなかったですよ。子供の頃から何度も入った山ですしね。何となく帰りの道も覚えてましたし。
いやいや、泣きませんよ。なんでそこで「ママー」なんですか。ばぶーって、あなたは魚類の卵の名を冠した未就学児ですか。
……受けすぎですよ。はいはい、水ですね、どうぞ。
で、まあ暗い中をてくてく歩いて帰ってたんですよ。
それで、途中ですね、こう、道が二股に分かれてるとこがありまして。
右に行くと山裾に出るんですが、左だと沢の方に行っちゃうんですよ。
ところが、そこまで行ったら左に曲がる道しかないんですよね。
最初は、道を間違えたかなと思ってですね、一旦、引き返したんですよ。でもですね、何回やっても同じなんですね。左の道しかない。
で、仕様がないし、まあ、面白いかなと思って左の方へ進んだんですよ。
ええ、ざくざく進んで行きましたよ。夜目は利きますしね。
そしたらですね、案の定、沢に着きまして。で、そこをちょっと行くと崖になってるんですね。こんな感じで切り立ってる崖です。
で、何となく崖の縁まで行きまして、下を覗いてみたんですよ。
もう、真っ暗なんで、良く見えないんですが、微かに水の音はしましたね。ちょろちょろって。
それで、ああ、高いなあ、どうしようかなあって呟いてですね、沢の方を向いたんですよ。そしたら、その沢を挟んで、人が立ってたんですよ、女の子が。
ええ、女の子です。それも、夏服のセーラーを着た。それが、闇の中、ぼう、と浮かんでるんですよ。
明らかに変ですよね。真っ暗なのに、その子だけ、くっきり見えるんですよ。表情まで分かる。
は? 美人だったか? 変なこと訊きますね、先輩は。
まあ、不美人ではなかったですよ。美人というより、可愛いと言ったところでしょうけれども。
で、そっちの方に歩いて行きました。
え? 何でって。そりゃあ、後ろは崖ですからね、前に進むしかない。
それが、歩いて行ってもその女の子は全然近付いてこないんですよ。足を動かしているようには見えないのに、こっちが進んだ分だけ遠ざかっていく。
で、不意にその女の子が見えなくなりまして。
あれって思って立ち止まったら、水の音が聞こえる。
足元を見たら、崖の縁でした。沢の所に戻ってたんですよ。
それで、振り向いたら女の子が立ってました。セーラー服の。
笑ってましたよ、楽しそうにね。
それから、また、女の子のほうへ進みました。崖だから仕様が無い。
でも、同じことの繰り返しなんですよ。前に進む、女の子がいる、女の子がいなくなる、立ち止まる、崖、の繰り返し。
それを五回か六回ぐらいやりまして。いい加減、飽きてきたんですよ。
で、崖の上から見下ろしてですね、飛び降りました、ぽーんと。
そしたら、きゃあって女の子の声が上がって。
いや、川には落ちてないですよ。崖の途中で、こう、手足を開いてですね。
ええ、俺の爪は長いですからね。爪を、崖に突き刺しまして。クモか、ヤモリみたいに張り付いてました。
直ぐに、女の子の白い顔が、崖の上からこっちを覗いているのが見えましたよ。
それで、思い切り吼えてですね。
ええ、そのときにはもう、人の形はしてなかったですよ。頭は、狼のそれだし、全身には獣毛が生えて。長い腕を使って、垂直な崖を駆け上がっていきました。
女の子は、それはびっくりした顔をしてましたよ。まあ、落っこちた筈の人間が、狼の顔して上がってきたら驚愕しますよね。
で、女の子の真正面まで一気に上がって、顎を大きく開いて、また吼えました。山全体が震えるぐらい。
いやー、面白かったですね。女の子が、びっくりしたのと、多分、怖かったんでしょうね、ぽんって三角の耳と、尻尾が出てきたんですよ。薄茶色の。今の先輩と同じ感じですね。え、出してない? いや、出てますよ、ほら。
……先輩、タイトスカートからはみ出た尻尾を無防備に直さないで下さい、見えますよ。
見せてるって、勘弁して下さいよ、冗談でも。
え、それからどうしたか、ですか。
まあ、ショックで固まった女の子を抱えて山を降りましたよ。今度は普通に下山できました。まあ、下山というほど大きな山でもないんですがね。
それで、後で聞いたら、その子は隣村の子らしくて。その村はそっち系の神さま所縁の土地らしくて、彼女もそうだと言ってました。
悪戯? いえ、それも訊いたんですが、どうも山菜泥棒と間違えたらしいんですよ。
ええ、大分悪質な業者がいてですね、根こそぎ採っちゃうそうなんですよ。そんなことされると、もう、生えてきませんからね。第一、山の神様に申し訳ない。
は? いや、俺はそんな大層なものじゃないですよ。先輩の方が由緒あるところのお嬢さんじゃないですか。
まあ、そんな感じで俺の休暇であったことはそれぐらいですかね。あんまり面白くなかったら、申し訳ないですが。
あ、また携帯が鳴ってる。
メールだな。
え? ああ、さっきの女の子ですよ。山の件以来、妙に纏わり付かれまして。まあ、村には同い年の子も居ないし、メールする相手もいないから退屈だと言われてですね、アドレスを交換したんですよ。
はあ、中学生ですよ。分校に通ってるそうです。
うーん、中学生がこんな時間まで起きてるってのはどうなのかなあ。
メールの内容ですか。他愛のない内容ですよ。ドラマとか、漫画とか、学校のこととか。
って、先輩、俺の携帯を奪わないで下さいよ。
へ!?
これは何だ?
『来年はそっちの高校を受ける。下宿先として宜しく』。
いや、知らないですよ。俺も初耳で……。
はい? このハートマークや音符が乱舞してるのはどういうことだ、ですか。
いや、最近の子は大体そんなメールなんじゃ……。
え? 浮気もの? それは、年齢=彼女いない歴である俺に対する厭味ですか、先輩。
鈍感? 朴念仁? いやいや、先輩、俺ぐらい人間関係における情味の機微に通じた人狼も珍しいかと……、痛っーーー。
先輩、牙が、牙が刺さってますよ! 完全に獣化してるし! うっ、容赦なく牙が! 俺の手の平に、今、みりみりとっ!
あーーーっ。
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居酒屋で馬鹿話に興じる二人(?)。