『龍王放浪記:壱~鈴の音を聞きながら:中之三~』
思春と龍志が街を歩いたその夜。
甘寧邸。
「良い湯だった…」
今日は湯を張る日であった為、一日の疲れを湯で流した思春は濡れ髪に布を当てながら屋敷内の廊下を歩いている。
結局、今日はあの後三人に会う事もなく有意義な時間を過ごすことができた。
「しかし、恋人か……」
昼間に小蓮の言った言葉を思い出す。
結局、自分は龍志に惚れているのだろうか?確かに龍志と共にいると言葉に出来ない安らぎを得ることができるし、その人柄や能力に一目置いているのもまた事実だ。
だが、それが本当に恋愛と呼べるものなのだろうか?
武芸一筋、近年は蓮華一筋の人生を送ってきた思春には、その問いは難しすぎる。
ふとその時、中庭の方から声が聞こえた気がして思春歩みを止めた。
すでに夜も更け始めており、暗い中庭に誰かいるとは思えない。警備の為に巡回している兵士もこの時刻は中庭にはいないはずだった。
よもや賊か?と愛刀を手に息と気配を殺して思春は中庭に降り立つ。
暗い闇の中、気を抜けば聞き洩らしてしまいそうな程度の声を頼りに進む思春。
声の元はどうやら一際暗い庭木の合間らしい。
(この声は男…しかも一方は……龍志か?)
声の主の一方が解って気を抜きかける思春だったが、すぐさま彼がこのようなところで話す理由があるのかと言う事に思い当たり、先程以上に息と気配を殺して木立の陰に近付いて行く。
もしも龍志がどこかの間者だとしたら…いやな想像が頭をよぎった。
(いや…その時は私が責任を持って斬るだけだ……)
斬る。
龍志を斬る。
(……できるのか?私は)
孫呉の将として当然の振る舞い。
冷徹なる親衛隊長として迷う事など許されない選択。
それに思い悩むは、龍志が彼女の友だからか?
それとも……。
(……まだきまったわけではない)
果てのない思考の海を断ち切り、思春は漏れ聞こえる声に耳を傾けた。
「それで、于吉達の現在地は?」
「特定中です。とはいえ幾つかの霊地に目星は付けていますから、さして時間はかかりません」
龍志の問いに答えるのは、龍志同じくらいの年頃に聞こえる男の声。
「むしろそれ以降が問題でしょう。外史の管理者に殴り込みをかけるだなんて…折角の討伐指定免除がふいになりかねませんよ」
(外史?管理者?何を言っているんだ?)
「ああ…だが遅かれ早かれそうなる。この外史を出て次の外史…恐らくは曹魏にて紡がれるであろう外史にて、俺は外史に深く関わろうと思う」
「魅せられた故に…ですか?彼と外史を生きる者達の可能性に」
「惹かれた故に…だよ。彼と人々…そして外史と関わることで生まれるやもしれない、我々の可能性に」
闇の、龍志が笑い、男が溜息をつく。
それをただ思春は聞くばかり。
「追走から逃れるためとはいえ、偶然にも俺はこの外史に関わってしまった。これから俺がすることは完全にテストであり、個人的感情から来たものだ。ここまで来て何だが、お前はここで引き返しても構わないぞ?」
「何を馬鹿なことを…私はあなたのおかげで管理者の業から外れることができた。そして共に彼等から『悪魔』だの『祟り神』だの言われる存在になったのです。あなた一人を行かせるわけがないでしょう」
それよりも。と男は言葉を繋ぎ。
「むしろ義兄さんこそ、良いんですか?」
「え?」
「惹かれているのでしょう?甘寧に」
男の言葉に、思春が小さく息を呑む。
静まらせていた鼓動が、早鐘を打つように速くなる。
(龍志が私に惹かれている……?)
戯言。その一言で片づけるのは容易い言葉。
だというのに、何故だろうか。思春はただ龍志の応えを待っていた。
呉将としての責務を一瞬忘れ、闇の中で見えぬ龍志の顔を見た。
思春の胸を、言いようのない何かが絞め詰ける
「……解らん」
そっけなく。しかし重いものを吐き出すように龍志が言う。
ほっとしたように小さく息を吐いた思春。
しかし、彼女の心を締め付ける何かの力は弱まるどころかいっそう強くなるばかり。
「正直。何とも言えん。確かにあいつには親近感を覚える」
「まあ、華龍様に仕えていた頃の義兄さんもなんだかんだで一途でしたからね…一種、盲目的な程に」
懐かしむような響きを漂わせながら男が言う。
「だが…それが恋なのかどうかは……」
「義兄さんの場合は恋をすっ飛ばして愛してしまいそうですからね」
「え?」
「『相手に求め続けるものが恋、与え続けるのが愛』有名な言葉じゃありませんか」
「……だとしても、もう終わる話だ」
「…そうですね」
急激に龍志と男の気配が薄くなる。
それは聞き耳を立てていた思春にも伝わる。
「別れは言わなくても?」
「下手に感傷的にするよりも、恩知らずが一人消えた程度に思ってもらった方が楽だろう、お互いに」
だが彼女は動かなかった。
否。動けなかった。
『もう終わる』龍志のその言葉が、ほんのしばらくの間ではあったが思春の心中を掻き乱す。
(終わる?どういうことだ?龍志、お前は何を……いや、そもそもお前は何者なんだ!!)
鈴の甘寧。その中にある少女・思春の部分がついに悲鳴を上げた。
いや、悲鳴を上げていたのずっと前からだったのかもしれない。鈴の甘寧という仮面の裏で、本人も気付くことなく。
そしてその小さな悲鳴を知ってか知らずか龍志という男は受け止めていた。
だから龍志といると楽しかった。
だから龍志といると安らかだった。
かつて一途に華龍に仕えた龍志は知っている。
忠誠を尽くす事の幸福とその代償を。
身を隠していた陰から飛び出し、龍志達のいた場所に駆け込む。
「龍志!!」
しかしそこには、ただ深い闇があるのみ。
「龍…志……?」
答えは無い。ただ永劫の果てから滲み出てきたような黒の発する夜の歌が響くのみ。
龍志達のいた場所からどこかに行くのに、思春に気付かれずに動くことなど出来ない。
つまり、消えてしまったのだ。
龍志は、消えたのだ、思春の、前から。
リン
不意に足先に当たった何かをそっと思春は指で摘み、微かな月明かりにかざす。
それは龍志に渡したあの鈴だった。
「…………」
何時の間にか思春の頬を伝う液体。
理解してしまった。
自分と龍志を繋いでいたものは、この小さな鈴に過ぎないのだと。
「……馬鹿者が」
思わず口を突いて出た言葉は消えてしまった男に対して言った言葉なのか。
それとも自分自身に対しての言葉なのか。
それは思春にさえ解らない。
ただ一つ思春はまだ漠然としたものではあったが、一つの事を確信した。
自分は龍志に惹かれていたのだと。
そしてその思いが報われる機会は永久に失われてしまった問う事。
「………」
涙の流れるまま、思春はしばらくそこに膝をつき天を仰いだ。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
夜の声が深まり、天を行く金色の船が中空に登りきらんとした頃。
おもむろに思春は立ち上がった。
一度目を閉じ再び開いた時、そこにあった顔は少女・思春のものでなく。鈴の甘寧。それも龍志と出会った頃のもの。
何も言うことなく、思春は屋敷へと戻っていく。
明日から再び始まる任務の為にその身を休めるべく。
~続く~
後書き
どうも、タタリ大佐です。
これで中編は終わり、次の後篇で龍王放浪記の一作目は終わりになります。
いやぁ、中編の一、二に比べて三の暗いこと暗いこと。
意識してやったとはいえ、ギャップが凄いですねぇ。
三のお題はあえて前書きに書いていませんが、『責務に自分を殺すは王のみにあらず』です。
恋姫やっていて思ったのが、絶対に思春は無理しているだろうなぁってことなんですよね。蓮華に尽くすっていう事は幸せなんでしょうが、それ以外の幸せを無意識に拒んでいるようにも見える。
本編で具体的には書いていませんが、龍志もそういう時期があったと思っていただくと理解が早いかも……。
正直、本編で龍志が一刀を主と仰いだ遠因は思春だと思う作者です。
それから思いの他に思春が龍志と仲が良くなっていると思われた方も多いかと思います。
個人的な意見ですが、思春って龍志との相性はいいと思うんですよね。加えて一刀と違って蓮華絡みの因縁はない。行動を見せることで信頼を得る一刀と違って、雰囲気でまず人を惹きつける龍志の方が第一印象が良い。そして目に見える形で有能。
まあ、そんなかんじで一刀よりも懐かれるんじゃないかと思います。龍志って(他のキャラはまた別問題ですが)。
さて、次で終わり(予定)のこの悲恋譚。どうなりますか皆様お待ちくださいませ。
また次の作品でお会いしましょう。
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スピンオフ作品、龍王放浪記:壱の中編其之三
今回は暗めです
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