第43話 -不発-
立ち並ぶ両軍の兵士から、二人だけが前へ進み出る。赤を基調とした鎧に身に纏った呉軍と青を基調とした鎧に身を包む魏軍が向かい合い、互いに主君の一命さえあればすぐにでも相手を食い破らんと牙を研いでいた。
曹操「...」
雪蓮「...」
舌戦には守らなければwならない決まりなどない。その時その時の状況や雰囲気によってその内容は変わってくるものである。しかし、多くの人間を束ねる者が交える言葉は、確実にその場にいる皆に影響を及ぼすのだ。侵略者を糾弾し、国を守る士としての自覚を煽り、士気を高める。相手の抱える不満を浮き彫りにし、自国の在り方に不信感を与えることで敵の結束を崩す。舌戦で明確な優劣を見せつけられるというのは、時にそのままその戦いの結果に直結することさえあるだろう。
だがだからこそ、舌戦というのはある程度形式ばっているものが多い。多くの場合、お互いが自らの属する勢力に悪影響を及ぼさぬよう、当たり前なことや自らの勇敢さを自慢する程度に落ち着くからだ。侵略者に対する糾弾も攻められる側にすれば当然のものであるし、攻める側の口上も結局は攻撃することに対する大義名分を掲げるに過ぎない。そもそも、勇猛果敢な将軍も口が立つとは限らない。あれこれ述べた挙句、締めに勢いをつけて敵を倒せと掛け声を合わせる程度なのだ。つまり、多くの舌戦では、戦といえども言葉の刃すらまともに交わしていない。
曹操「...」
雪蓮「...」
二人は互いから視線をはずさない。周囲は先ほどまで殺気立っていた鳴りを潜めて、そんな二人の様子を固唾を呑んで見守り始めた。この二人はそんな意味のない言葉のぶつけ合いをするはずがない。もはや時代を代表すると言っても過言ではないほどその異彩を放つ者たちの言葉を皆は期待していた。かたや乱世の奸雄。卓越したカリスマと頭脳でその地位を上り詰め、自らの思想のもと大陸に覇を唱えんとする少女。かたや江東の小覇王。代々受け継いできた地をその武をもってまとめあげ、今や大陸でも有数の規模を誇る国を築いた者。
そして、それを楽しみにしていたのは曹操も同様であった。しかし今、進み出てきた人物のまとう雰囲気のいびつさに曹操はある意味期待を裏切られていた。怒りを押さえているようなのは見て取れる。だが、それは侵略者に対する憤怒の感情とはどこか異なっているように感じられた。曹操は様子見とばかりに、相手の言葉を待つことにした。孫策の方も、その雰囲気を感じ取ったのか、やがて口を開いた。
雪蓮「私は、皆に先に謝っておかねばならない。」
曹操の期待をさらに裏切るように、なんと孫策は曹操に背を向け開口一番自軍の兵士に謝罪した。
雪蓮「私は今日、我らが父祖の代々守り抜いてきたこの国に、愚かにもその汚い足を踏み入れてきた者達に対する怒り以上に、ある個人的な感情を持ち込んで今ここに立っている。」
どういうことだと呉軍の兵士の者がざわめき立つ。誰よりも呉の地を愛する主君が、それ以上に抱えているものとはなんなのだろうかと。しかし、動揺しているのは曹操や曹操軍の者達にとっても同じであった。兵士たちは、あの者は一体全体何を言い出すんだという顔でお互いの顔を見合わせている。曹操はといえば、いきなり自分に背を向けてきた孫策の行動に怒りを覚えつつも、その言が一体何を表そうとしているのか見当もつかない。孫策は背を向けたまま、曹操の方を指さした。
雪蓮「あの者は、この国を侵すだけには飽きたらず、卑劣にも私に対して刺客を放ってきた!」
曹操「!?」
見に覚えなど全くない曹操はさらに心を揺さぶられる。
曹操「(刺客ですって!?そんなもの、私は用意していない。ならばなぜ...)」
動揺する曹操の心中も知らず、孫策はただ言葉をぶつけた。これが証拠だと言わんばかりに、曹操軍の証である部隊章を前に放る。遠目でもわかる、あれは徴用したばかりの部隊の割り当てに使った、ごく最近のものだ。
雪蓮「...見覚えがあるようね。本来であれば、私はその持ち主の刃に倒れていただろう。だが!無防備な私に放たれた下衆の刃は、我が身体を貫けなかった!私が今ここにこうして立っていられるのは、天運とも言うべきものであろう!」
曹操は平静を保とうとしつつも、心のなかでは苦虫を潰したような感情を抱いていた。こちらのあずかり知らぬことだと弁解することだけは自分の矜持が許さない。恐らく、本当に曹操軍の者が孫策を暗殺しようとしたのだろう。なにしろ、証拠として提出されたそれは前もって用意することなどできない代物だ。刺客が自分の及ばない所で放たれてしまったのは、原因は後で調べるとしていまさらどうしようもない。自分の監督不行き届きで自分の楽しみが損なわれたことに対する後悔も感じる。しかし、それ以上に問題なのはその刺客が暗殺に失敗し出処が露見したことであった。一般的に、暗殺というのはあらゆる権謀術数の中でもとりわけ人々の心象がよくない。国と国との戦であれば奇襲や政略は当然のこととして行われるわけであるし、暗殺もそれに含まれてはいる。しかし、それには暗殺がなった時、誰にやられたかわからないという点が重要なのだ。もし失敗しそれが誰の差金かわかってしまえば、相手には大義名分を与えてしまうことになる。だいたい、曹操にしてみれば暗殺なんて面白みも何もない。
一方で、その言葉に呉軍の兵士は湧いていた。自分たちの主君はやはり天に愛されるほどの逸材だったのだと。個人的な感情とは、あまつさえ刺客まで仕込んできた曹操のやり口に対するものなのだろうと。しかし、それらの予想はすぐに覆される。
雪蓮「(一刀...未だ生きてるわよね?おこがましいかもしれないけど、貴方の仇、私が討ってあげるわ。だからこれから私が言うことは見逃してね。)」
雪蓮「我が愛する同胞たちよ!私は天運によって復讐の機会を得た!だがこの復讐は、私のものだけではない!刺客の刃は、我が友の献身によって阻まれたのだ!私は、毒を受け今まさに掻き消えようとしてる友の魂に報いねばならない!」
そして、自分を慕う者達に問いかける。国を守るために集まった彼らだが、孫策にとって今はそれだけではなく自分の復讐に付き合ってもらわねばならない。この後自分の命が潰えることになっていても、何もしないで逝くことだけはできなかった。毒に侵され精気を失っていく顔、そして腕を失い苦痛にゆがむ彼の顔が頭をよぎる。もし、彼が生きながらえることができなければ、自分は彼の腕まで落としておきながらあの世で彼になんと詫びればいいのだろうか。
雪蓮「皆の者!孫策伯符は私心を持ってこの戦いに望む!そんな私に、諸君は幻滅するか!」
兵士「否!」
誰も、戦いにおいて自分の気持を捨てきることなどできない。それは王であってもあたり前のことだと、槍を携えた兵士たちが言葉とともに石突きで地面をつく。
雪蓮「今この時、私は王という立場を忘れ、己が復讐心と友を害した罪を償わせるために、劣悪な命を狩ろうとしている!そんな私に従うくらいならば、諸君らはこの場で矛を収めるか!」
兵士「否!」
友が傷つけられ怒らない人間などいるだろうか。むしろその気持ちは尊いものだと評されるべきであろう。再び地面が揺さぶられる。
雪蓮「ならば今日、高潔な魂と雄建なその武を私に貸し与え、私と共に下賤の者共を殺し尽くすか!」
兵士「然り!然り!然り!」
ならば共に戦おう。大地を揺るがすほどに、三度鈍重な音が生まれる。自分たちの主君の命がけで救ってくれた者がいたならば、その魂に報いることを断ることなど誰ができようか。ましてや卑劣なやり口を用いた者達を狩るのなら、刃を抜くのにためらいなど無い。孫策の気持ちに皆が同調した瞬間であった。答えを聞いた孫策は振り返り腰の剣を抜いて曹操軍に向けて掲げた。
雪蓮「聞け!曹魏の下郎共!これから始まるこの戦は、もはや戦いなどと生ぬるい言葉で形容されるものではない!貴様らは我らの喉を引き裂き、胸を貫かんとするであろう!だがしかし!我らは必ず、お前ら下郎共の耳を削ぎ、鼻を削ぎ、目玉を突き刺し心臓を抉り出してくれよう!曹操に与し我に仇なす愚者どもよ!我らを恐れよ!そして我らが怒りに触れたこと、地獄の底で後悔するがいい!」
その気迫に、曹操軍の兵士たちは一様に恐怖を覚えた。自分たちは虎の尾を踏んでしまったのではないか。目の前にいるその人物は、もはや抗うことなどできないと思わせるほどの圧力を放っていた。だが、
曹操「狼狽えるな!」
崩れかけていた兵士たちの心は、その喝によってギリギリ保たれた。そう言い放つ魏軍総大将は、ただ呉軍の様子を見つめている。そしてその背中を見た魏軍の兵士たちは、自分たちの主君はそのようないわれを受ける人物ではないと確信した。そして互いに話は終わったとばかりに踵を返し、本陣に戻っていく。
曹操「...話は聞いていたわね。」
荀彧「今事実関係の確認に、楽進に部隊を一つ預け向かわせました。確認してもよろしいでしょうか。孫策の投げたあれは本当に我軍のものだったのでしょうか?」
曹操「ええ。配給する前の段階に一度見たものだから、間違いないわ。」
郭嘉「孫策の虚言の可能性は?」
曹操「ないわ。」
曹操ははっきりとそう述べた。曹操は自分の中で急激に興が削がれていくのを感じた。せめてもの救いは、また機会は作れるということか。馬騰の時は逃してしまったが、孫策も周瑜もまだまだ健在であるということは確認できたのだ。
曹操「犯人を見つけたら即刻ここに連れてきなさい。暗殺にうごいた者達が呉内部まで潜行できたということは、出身の者がいる可能性が高い。それを加味するよう伝えなさい。また、これから功を焦って独断専行する者は厳罰に処すと周知徹底させること。」
荀彧「華琳様、ひとえに私の管理能力不足です。罰はいかようにも。」
郭嘉「私にこそ罰をお与えください。今回の遠征の基幹部分を提案したのは私です。」
夏侯惇「いえ、私が...」
夏侯淵「姉者が罪に問われるというのであれば私も同罪です。」
曹操「いえ、私にも責任の一端はあるわ。兵の末端まで、私の方針が伝わっていなかったということだもの。貴方達を罪には問わないわ。」
四人「...御意。」
曹操「...撤退するわよ。この戦場での勝利に意味はなくなった。個人的には無理やり組み敷くのも刺激的でやぶさかではないけど、今回はよしておきましょう。」
夏侯惇「華琳様!?あの程度の敵に我らが負けるとは思えません!どうかお下知を!」
曹操「確かに、あの兵たちには勝てるでしょう。しかし、春蘭はあそこにいる全員を皆殺しにできるかしら?」
夏侯惇「できます!」
夏侯淵「姉者、無茶を言うな。」
郭嘉「...なるほど、そういうことですか。」
荀彧「嵌められたわね。」
夏侯惇「ん?何がなるほどなのだ?」
夏侯淵「...すまんが、私もうまく言える自信はない。姉者に説明してやってくれ。」
荀彧「アンタみたいな馬鹿に理解できるかほとほと疑問だけど...いい?孫策はこの大観衆の中で、華琳様が自分に刺客を放ったと証言した。さっきは確認したけど、実際はそれが本当であろうとなかろうとどっちでもいいのよ。要は、それが情報として芽吹いたということが重要なわけ。」
夏侯惇「...んん?」
郭嘉「少なくともあの場にいた全員が、特に呉の兵たちは華琳様が命じて孫策に刺客を放ったと思ったはずです。ここで華琳様が孫策を討っても、暗殺できなかったから仕方なく戦で決着をつけたという解釈もできてしまうでしょう。間違いなく、呉の民はこちらの言よりも孫策殿の言を信じます。我々が勝ったとして、生き残った者が入ればそれをどこかで口にする。そうすれば、呉の民は華琳様を信用することはなくなります。」
民の信用がなければ、国の運営はうまくいかない。孫呉に忠義を誓う人間は主君の仇を討とうとするだろうし、もし生かしたまま捕らえることに成功しても、孫策が自ら自分の言を間違いだったと認めない限り、曹操には以後卑怯者としてのイメージがついていってしまう。勝てば官軍と孫策が嘘をついたと押し通すことはできるだろうが、曹操がそんなことを言えるわけがないことは、この場にいる者なら誰でも想像できる。言いたい奴には言わせておけばいいというのも、いくらなんでも限度がある。
曹操「今回は徐州が手に入ったことでよしとしましょう。時間がないわ、直ぐに撤退するわよ。真桜が煙の出る玉の試作を持ち込んだと言っていたわね。命じてありったけ用意させなさい。」
丁度その時、暗殺を行ったと思われる部隊の者達が引き出されてきた。何人かは既に呉で処理されているのだろうが、実行犯以外にも部隊から離れるのに口裏を合わせたりなど手を貸した連中がごろごろいたのだろう。少なくとも、部隊に組み込まれた者達が勝手にいなくなれば、部隊長やその周辺はその事実を把握していたはずである。離脱者がでれば報告する義務くらいはある。それを報告しなかったのは、成功したら手柄をわけてやるとか話を持ちかけられていたのかもしれない。或いは無関心を貫いたのか。どちらにしても腹立たしい。
曹操「さて、英傑との凌ぎ合いという私の楽しみを奪った挙句、いらぬ汚名まで着せてくれたお礼はどうしてくれようかしら。それにこれから撤退するのに私の大事な兵隊に無駄な命を散らしてもらわねばならないのだから、それ相応のものを用意しないとね。」
兵士「敵軍突出ーっ!」
曹操「...」
テキパキと指示を出していくが、周囲のものは曹操が苛立っていることを感じ取っていた。
曹操「私の計画がご破算だわ。戦を愉しんでから孫策に敗者の苦痛を味あわせたあと、目の前で泣いて許しを請う妹達を...」
本音が駄々漏れである。ただ、いつものこととはいえ先ほど持ち直した兵士たちに聞かせられる内容ではなかった。曹操軍はその後、被害を出しつつもその場を離脱した。
冥琳「まさかあんなにあっさり引くとは。粘っていくとおもったが拍子抜けだったな。」
戦闘が一応の決着を見てから、冥琳はそう漏らした。曹操が正面から受けて立てば、曹操軍の遥か後方に配置していた工作部隊が輜重隊を襲う手はずになっていたが、それを使う必要もなくなってしまった。その部隊は、袁術の領土が失われた時点で背後に回れるよう予め配置していたものだが、曹操が撤退してきた場合は手を出さず帰ってくるよう指示をしておいた。恐らく迂回して無事に帰ってきてくれるだろう。遠征軍にとって補給線を絶たれることは死活問題である。ましてや、互いに明るい二つの領土では、互いに同意済みで作戦行動が可能であった。数は多くはないが後詰めとして待機していた残存の袁術配下の部隊も無駄足であった。だからこそ、純粋に全軍即撤退を決断した曹操には舌を巻いた。それは最も敵に与えられる被害が少ないもので、あちらにとってはほぼ最善である。だが、それでも雪蓮の活躍は多くの魏の兵の命を刈り取っていった。魏の兵にしてみれば、いの一番に突撃してきて白兵戦を繰り広げる王など前代未聞に違いない。もちろん十分以上に護衛はつけているのだが。
冥琳「問題はここからだな...」
曹操との問題はこれで一段落したわけだが、まだ呉には今後の存続に関わる重要な案件が残っている。その解決次第では、呉だけではなく大陸の趨勢も大きく変化することになるだろう。
冥琳「(雪蓮の心はもう決まってしまったようだな。だが雪蓮、お前の決断はこの国をさらなる混乱に陥れることになるぞ?そうなると、私も決断しなければならないな...)」
一度だけ手に出来た可能性を思いやったが、それはすぐに頭の外へ追いやった。もう無くなった可能性のことを考えても仕方がない。
その後間をおかず曹魏から立てられた使者には、縄で縛られ馬に引き摺られた男たちの行列が付き従っていたという。
-あとがき-
あけましておめでとうございます。そして去年に続いて今年も遅くてごめんなさい。
今年の初夢がまさかの華雄さんのSS書いてたなんて口が避けても言えないです。舌戦うんぬんはどっちかというとやーやー我こそは的なノリの方に近いです。
それでは、今年もよろしくお願いします。
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恋姫†無双の二次創作、関羽千里行の第4章、43話になります。
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