No.651633

黄泉姫夢幻Ⅱ~お兄ちゃんの妹はあたしふたりだけなんだかンねッ!~

闇野神殿さん

しばらく前に全文公開しました「黄泉姫夢幻Ⅰ」
http://www.tinami.com/view/479549

及び「黄泉姫夢幻Ⅱ~バレンタイン・パニック~」
http://www.tinami.com/view/651629

続きを表示

2014-01-04 14:01:23 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1061   閲覧ユーザー数:1061

 お兄ちゃんの妹はあたしふたりだけなんだかンねッ!

 

 あたし、根本夜見子がその女と出会ったのは、中学校の入学式の日だった。

 まァお決まりのタイクツな式が済んでこれから一年間お世話になる教室に案内され、先生が来るまでの間の時間。みんな前の学校での知り合いとか、気の合いそうな人に声をかけたりとかしてざわざわしてる。

 あたしも、通ってた小学校とは離れたトコの中学に来たから、あんまり居ないだろーとは思うけど、ひょっとしたら知り合いの一人や二人でもいねーかなーとか、誰か友達になれそーな人とかいないかなーとかきょろきょろしていたとき、そいつが声をかけて来たのだ。

 第一印象はって言うと……もう一言だったァね。

 ……デカっ!

 多分……つーか間違いなくクラスで……いや、下手すっと上級生まで含めても校内の女子で一番デカかったかも知んないわネ。とてもじゃないけど先月まで小学生だったたァ思えない。

 ……あたしなんか逆にクラスでどころか校内一ちっちゃいカモとか言われそーなくらいだってのに。で、それに応じて胸なんかもデカくてさー。

 肩までのふわふわの栗色の髪で、糸みたいに細いたれ目が印象的だ。常にゆるゆるでほわほわした感じの笑顔を浮かべてる。制服の胸がはちきれそーなくらいもりあがってて、それがあたしの目の前で揺れてンの見ると、『ケンカ売ってンのかてめー』的な感情も湧いて来ないでもないけど。

 でも……まァ、たとえてゆーなら、綿菓子みたい、とでも言いたくなるよーなほんわかした笑顔向けられちゃうと、ね。なんつーか、こっちまで気持ちが緩んで来るっつーの?

 で、顔から受けたイメージ通りなちょい間延びした関西弁でこう言うわけョ。

「やほー、ウチ沢村明音って言うねんー、なー、あんた可愛いやんなー。名前何て言うんやー?」

「あ……うん、あたしは根本夜見子ョ」

「ふーん、せやったらー、夜見ちゃんって呼んでええー?」

「ん、別に構わないわョ、じゃ、あたしァ明音って呼ぶけどいーかしら?」

 まァ、これでも中学生活初日にこーして話しかけてくれる人が居るってのは結構嬉しくて、自然とあたしも笑顔になって答えたワケよ。

「……」

「……どったのョ? 急に黙り込んじゃって」

「…………」

 表情を変えないままでずっと黙ってるデカ女こと明音。あたしは不安になって尋ねる。

「……よ、呼び捨ては嫌……とか?」

 と、あたしが言った途端、我に返ったよーにハッとした顔で明音はトートツ過ぎる行動に出やがった。

「うぉおおおおおー、夜見ちゅあああん可ぁ愛いぃいいいいでぇえええー」

 とか叫んであたしにがばーと抱きつこうとしやがったのだ。

「うぉあっ、ナニしやがンのョこンのバカ女!」

「ふみゃー!」

 と反射的にあたしはヤツの顔面に足の裏を叩き込んでいたのだった。

 ……とまァ、これがあたしの悪友、沢村明音との腐れ縁の始まりだったっつー訳ョ。

 

 * * *

 

 それからってゆーもの、なにかってゆーと明音はあたしに構ってくる。

「なーなー、次体育やねんなー、一緒に更衣室行くやんなー」

「はいはい、わーったからンな引っ張ンなくていーわョ」

「夜見ちゃんの下着姿ハァハァ……」

「ナニコーフンしてやがンのョオラ!」

 とか……。

 

「お昼やでー、一緒におべんと食べよー」

 あ、ウチの中学はお昼おべんとなのョ。

「あーはいはい、わーったから騒がないの」

「夜見ちゃんはいあーんしてー」

「……しねーわョ」

 とか……。

 

「夜見ちゃん一緒に帰ろー」

「あんたこっちの方でいいの?」

「せやでー」

「……本当にこっちの方なの?」

「もちろんやでー」

「……つーかもーすぐあたしン家に着くんだけど……」

「はっはっはー、夜見ちゃんと一緒に帰れるんやったら逆方向だってなんのそのやでー」

「……アンタねェ、それは流石に引くレベルだァよ……?」

「あ、さ、さっきの! さっきの角から逆なんやー」

「ホントかョ……」

 とまあ万事が万事このチョーシ。いや、そりゃあたしのコト気に入ってくれてるのはそりゃ悪い気ァしねーけどさ。

 しかし、あたしの場合、放課後はその足でお兄ちゃんに会いに行くのが日課になってるワケで、ンなトコにまでついて来られても流石に困るのョね。ちなみに、幸いなコトに、あたしの中学→あたしん家→お兄ちゃんの下宿→お兄ちゃんの高校はほとんどまっすぐ一直線に並んでるのだ。

 そんな立地条件の妙のおかげで、あたしは帰宅した後、すぐに着替えてそのまま出ちゃえば、お兄ちゃんの高校にたどり着くまでに割と高確率でお兄ちゃんの下校途中に出会えるのョ。

 しかも、まず下宿でお兄ちゃんが帰宅してるかどーか確認→彼の通学路を逆行→そこで出会えなくても高校の校門前で待つ、って流れを踏まえれば、まず毎日間違いなくお兄ちゃんに会うことが出来るって寸法なのョ。素晴らしいァねー。まァ、お兄ちゃんの携帯番号だってメアドだってちゃんと教えてもらってるし、連絡取って待ち合わせだって出来ないこた無いんだけどネ。

 ところが。中学に入ってから一週間くらいそんなよーな毎日を繰り返し、明音の方とは件のあたしん家の手前の角で別れるコトになってたんだけど、その日トツゼン、明音のヤツってば、こんなコト言いだしヤガったのだ。

「なーなー夜見ちゃん、たまにはふたりでどっか寄り道してかへんー?」

 ……いや、別に友達なんだからおかしなコト言われてるわけでもねーんだけどさー。

「……っとね、あたし帰ってすぐ出かけなくちゃいけないトコがあんだけど……」

「えー水臭いやんなー夜見ちゃーん、せっかく友達になったんやしー、それともウチもついてったりしたらあかんのー?」

「う……まあ……絶対ダメってこた……ないけど……」

 あたしとしてもこれに関してはちょっと自分本位な言い分すぎる気はしてるから強くは言い返せない。正直なトコこりゃ押し切られるパターンだなー、ってなんとなく読めてしまう。

 

 ……ハイ、その通りになってしまいました。

「夜見ちゃんと寄り道よりみち嬉しいやんなー」

 満面の笑顔でカバン持った手ぶんぶん振りまわして節付けてンなこと大声で言いながらあたしに付いてくる明音。

「……ったく、恥ずかしーからンな大声でわめーてンじゃねーわョ」

「んでんでんでー、ところで夜見ちゃんドコに寄り道するつもりなんー?」

「寄り道寄り道って……アンタが来なけりゃフツーに帰ってから出かけるつもりだったンだけどね」

 そんなコトを言いあいながらお兄ちゃんの下宿の前を過ぎ(ちらっと見た限りまだ帰ってないみたい)、お兄ちゃんの高校の方へと向かう。

「あら……? 夜見子さん、制服のままなんて珍しいですね」

 まあ、こーゆーパターンもあり得るワケだけど、お兄ちゃんより先に行きあったンは、あたしの最大のライバルのひとり、カメ子こと亀井三千代さんだった。

 お兄ちゃんの幼なじみに近いポジションのヤツで、あたしと同じくお兄ちゃんに想いを寄せている。まあ……なんだかんだあって、仲良したァ言えないまでも、ライバル同士としてァそれなりに認め合ってはいる仲……ってトコかしらね?

 ともかくも明音のヤツをカメ子に紹介してやることにする。

「あー、コイツ、こんど同じクラスになった沢村明音ってヤツよ。なんか寄り道に付いてきたいとか抜かしやがったんでねー」

「ちゃーすー」

「あ、始めまし……て!?」

 明音のヤツの顔見たとたん、カメ子が顔色を変えた。で、ばびゅーん、ってな勢いで明音の腕ひっ掴んで、近くの路地に引っ張り込んでこそこそと話を始めたのだった。

 ……え、ナニ? あいつらって知り合いだったン?

 

 MICHIYO

 

「い……いったいなに考えてるんですか貴女はー!」

「声が高いで三千代ー、夜見ちゃんらに聞こえてまうやんー」

 彼女……沢村明音はそうへらへらと笑って言う。

「で、ですけど、よ、夜見子さんと同じクラスって……中学一年じゃないですか! なに無茶なことしてるんですか! たしかマ……貴女って私とおないどむぐ」

 そこまで言いかけたところで彼女は私の口を手でふさぐ。

「はっはっはー、それ以上は言わぬが花ってやつやねんなー三千代ー。ウチはぴっちぴちのちうがくいちねんさわむらあかねちゃんやねんなー?」

 ……まったくもう、この人にも困ったものです。また何か気まぐれかなにかで変なことを始めたみたいです。こうなっちゃったら話を合わせるしかないみたいですね。はあ。

 私は、仕方なく沢村さんを伴って路地から出て夜見子さんのところへ戻った。

「……なに、あんたらって知り合いだったン?」

 夜見子さんが目を丸くして言う。まあそりゃ驚きますよね……。

「え、ええ、まあ、ちょっとした……」

 あはは、と私は誤魔化すように笑う。

「いやーこないなトコで知り合いに会うたぁ思わへんかったでー、なー三千代ー」

 私の肩に肘を乗せてなれなれしく笑ってそう言う沢村さん。っていうか貴女誤魔化す気あるんですか……?

「……なんで明音ってば年上相手にそんなにエラソーなん?」

 ほら、夜見子さんも訝しげに……。

「……でもまあ、カメ子じゃしゃーねーか」

 ……ってあの? 夜見子さん?

 私はなんだか情けなくなってきて思わず大きくため息をつく。もういいです。

 BROTHER

 

「ねえ、今日ヒマだったら途中まで付き合いなさいよ」

 今日は委員会の仕事がないので、HRが終わった後のんびり帰り支度をしていた俺にそう声をかけてきたのは一年生のときから引き続いて、今年もクラスメイトになった紅・エリサベタ・光紗だった。俺とはほとんどクラス内で宿敵みたいな間柄だと思ってたんだが、二月のバレンタインに義理チョコをくれて以来、なんだか少々態度が和らいできた気がする。

 まあとりたてて用事があるわけではないものの……中学校に上がってから、以前より来やすくなっただけにここ一週間毎日学校帰りに夜見子が会いに来るので、それでもよければ、と訊いてみる。

「ん、いいわよ。久しぶりにあの子に会うのもいいかも」

 と、意外にもさらりと笑顔のままで承知する紅。

「で、俺はどこに付き合えばいいんだ?」

 と尋ねるが、

「んー、別にいいじゃない。一緒に帰ってその辺ぶらつくだけだって構わないでしょ」

 なんておっしゃられる。まあ……確かに、紅らしいっちゃ紅らしい言動ではあるんだが……そもそもこの言動が俺に向けられているってのがおかしい。バレンタインのときのちょっとテンパったような態度の方が、普段のあいつらしくはなくとも、俺に無理に義理チョコをよこそうって状況下でならむしろあいつらしいとさえ思えるくらいに。

 つーかクラスの、特に男どもの視線がなんか痛いんだがなァ……。なんだかんだで紅は人気者なのだ。それも男女問わずの。

 それでも、俺だって紅のことが嫌いなわけじゃない。気さくでいいヤツなのはずっと前から知っている。ただ少々度が過ぎることがあり、そういうときにブレーキをかける役がクラス内でいつの間にか俺の役目になっていたせいで、なし崩し的に一年生の終わり近くまで天敵関係みたいな形になっていただけだ。そんなこんなで紅となんてことないこをと駄弁りながらの通学路は、普段よりもずいぶん楽しかったと言っていいだろう。やがて、いつものように夜見子の姿が……ただし、いつもと違って制服姿で、かつカメちゃんと、もう一人大柄な女の子と三人一緒になって見えて来た。

「あ、お兄ちゃん、おーい」

 夜見子の方も俺に気付き、俺のことを呼びながら大きく手を振った。俺も笑いながら軽く手を振ってそれに応える。

 それからすぐに俺の方へとたたた、と駆けて来た夜見子だが、俺の横に紅がいるのを見てぎょっ、とした顔になる。

「く……紅……さん? ど、どーして?」

「こんちは夜見子ちゃん。コイツが毎日夜見子ちゃんと放課後会ってるってゆーから、たまにはキミに会いたくなっちゃってねー、ふふふ」

 そう言って紅は悪戯っぽく笑った。

「そ、そーですか……えっと、こんにちは……」

 ちょっとバツが悪そうに夜見子はそう言って頭を下げる。バレンタインのときちょっと意地悪な態度を取ってしまったことがまだ少々後ろめたいようだ。

「別に気にしなくても良いのに。私夜見子ちゃんのこと結構好きだよ?」

 そう裏表のない笑顔で紅は言った。

「ををっと夜見ちゃんに親しゅうすんのはウチを通してからにしてもらおーかー?」

 そんなよーなことを言いながらしゃしゃり出てきたのは、初めて会う大柄な女の子だった。

「ナニ言ってやがンのョあんた。別にあたしのマネージャーとかじゃないでしょーが」

 夜見子が呆れたような顔で言う。

「ええと?」

 俺は夜見子に目配せをする。夜見子と同じ制服ってことは?

「あ、うん。コイツはあたしのクラスメイトになった沢村明音ってやつョ。まあ一応は中学で出来た初めての友達……ってヤツかしらネ」

「どもー、よろしゅうたのんますー」

 そう関西弁で言って俺の顔を見た彼女の顔が一瞬だけ強張る。なんだろう? 俺彼女とは初対面のはずなんだが……と思ったが、すぐに彼女はまたもとの笑顔を取り戻す。

「でー、このヒトはー?」

「まあちょっとフクザツなんだけど……あたしのお兄ちゃんョ。血のつながってない」

「ああ、どうも、俺は……」

 と、こちらが名乗る間もなく。

「そーなんかー、どもー、夜見ちゃんとは仲良うさせてもらってますー、沢村明音ですー」

 俺の手を取ってぶんぶん振りまわす。

「あ、ああ、よろしく」

 ずいぶんテンションの高い子だなー、と思っていると、もう一人のデフォルトハイテンション娘がずいぶんと難しい顔をして首をかしげている。

「どっかで……たしか……えっと、まさか……」

 どうやら明音に見覚えがある様子なのだが……と。

「……って、ああーっ!? サークル『リリィ・ウンディーネ』のあかにゃん先生ー!?」

 思い至ったように紅はそう叫んだ。と、突然何を言いだすんだ彼女は。つーかなんだそりゃ。

「あー……バレてもうたかいなー」

 そう言ってあはは、と笑う明音。

「で……でも、あ、あれ? なんで夜見子ちゃんと同じ学年って、中い……もごが」

 そう紅が言いかけた途端、明音は紅の口を塞ぐやばびゅーんと部屋の隅へと二人してすっ飛んでいった。

「ちょ……そ、それはやなー……」

「で、でも、確かこの前のイベントでお話させて頂いたときはー……」

「……ふ、たしか……前回ンときはー、一足違いで完売してもうて悪かったなー」

「あ……お、覚えてて頂いたんですね……」

「……でやなー、よければやけどー、実は身内用の分一冊ここに……」

 なんか薄い本をカバンから取り出して紅に手渡す明音。

「え、えええーっ」

「もし黙っててもらえるんやったらー、今後新刊優先的に……」

「……だ、黙ってますわたし何も聞きませんなにも気付いてませーん」

「おー、ありがとなー」

 どうやらなんか知らんが話がついたらしく、戻ってきた明音の顔が疲れきってたのに対し、紅の方は浮かれてるとゆーかお花畑っつーかとにかくぽややーんと幸せそーな顔になっていた。

 ……うーん、なんか最近だんだん紅ってヤツのことが判らなくなってきたなー……。

「……さっきとァ逆パターンだァね……?」

 なんて夜見子が言ってるが、俺が来る前にもなんか似たよーなパターンがあったようだ。

 ほくほく顔で受け取った薄い本を自分のカバンにしまいこもうとする紅(なんか表紙にはアニメっぽい女の子の絵が描いてある)だったが、カバンを開いて中を覗き込むや、あれ、と訝しげな顔になる。と、あれ、あれれれれ、と声を上げてカバンの中だけでなく、体中のポケットやら懐やらをあわただしく両手でばばばっと探ったり抑えたりする。

「どうかしたのか?」

 と聞くと、困ったような顔をして言った。

「そ、その……おサイフ、学校に忘れてきちゃったみたい……なの」

「間違いないのか? 落としたとかじゃなく?」

「う、うん。間違いないはずよ。確か机の中に入れた記憶があるから……ってことで、私から誘っておいて悪いんだけど、これから取りに戻るわ。定期とかも入ってるからこのままって訳にいかないし」

 すまなさそうに苦笑いして言う紅。

「そっか。それじゃ俺も付き合うよ」

「……え、いいの?」

 目を丸くして紅が声を高くして聞き返す。

「まあな。まだそんなに遠くまで来てないし、折角そっちから誘ってくれたんだから付き合うよ」

 まあ俺としても、紅が俺との敵対関係修復しようと思ってくれてるのなら、それに協力するのが筋ってもんだろう。これからまた最低一年間同じクラスで過ごすんだしな。

「お兄ちゃんんが行くんだったら、あたしもついてくわョ」

「そ、それじゃ私も……」

「夜見ちゃんが行くんやったらウチもー」

 ……ってなことで、何故か全員揃って俺の高校へと引き返すことになったのだった。

 

「それじゃ、急いで取ってくるからちょっとだけ待っててね」

 校門の前までたどり着いた俺たちにそう言い置いて、紅が昇降口へと駆けてゆく。

 だが、五分、十分、二十分……紅はなかなか戻ってこようとはしなかった。

 最初のうちは残った者同士、改めて明音と初対面の挨拶をしたり、それぞれの学校でのことを話したりしていたが、あまりにも戻って来ない紅に不審を覚えた俺は、しびれを切らし、迎えに行くことにする。

 

「おーい、紅ー」

 俺はなかなか戻らない紅を探しに、夜見子たちを待たせて校内へと戻って行った。まあ、どうせ忘れ物が見つからなくて困ってるんだろうと、真っ直ぐ教室へと向かう。

 だが、そこに待っていたのは紅だけではなかった。

 そろそろ陽も落ちかけ、朱色の西日が差し込む教室に彼女たちはいた。

 ぐったりとして机にもたれかかり、そのままぴくりとも動かない紅。その傍らに立つ小柄な……夜見子と同じくらいに小柄な少女が言った。

「こんばんは、いいえ、ただいま……と言うべきかしらね、兄さん。私……洋子ですわ」

 そう、確かに彼女は言った。

 西日を避けるように立つ少女。

 白い、色素の薄い肌。夜見子のように健康的な色ではない、紙のように白い肌。まるでアルビノのようだ。

 そんな中で唇だけが、まるで血で紅をひいたかのように紅い。

 顔立ちも夜見子とどこか似ている。いや、夜見子の中の『洋子』の部分に似ていると言うべきなのだろうか? だが、つり上がった目は夜見子のようなくりっとしたものではなく、剃刀のような鋭さを感じさせる。瞳も白ウサギのように紅い。

 長い髪。白髪と見まごうばかりのプラチナブロンドを、夜見子と同じくらいまで長く伸ばしている。身にまとっているのはシンプルなひざ丈の黒いワンピース。

 そこまで見てとったとき、俺は彼女の左目の目じり下にある泣きぼくろに気付き、心臓が跳ね上がる。それは、洋子にもまた、まったく同じ位置に泣きぼくろがあったことを思い出したからだった。

「お前……紅に……何をした?」

 かすれた声でそれだけをどうにか口にしたが、それ以上声が出ない。

「酷いんですのね、兄さん。久しぶりに逢えたというのに他の女の話だなんて」

『洋子』はそう言って紅の長い髪を指先で軽く弄ぶ。紅は動かないままだ。わずかに……本当にわずかだが呼吸のために肩が上下しているので、死んではいないようだが……。

「覚えてますか? 兄さん。わたしが死んだときのこと……」

 俺の脳裏を、あのときのことが次々とフラッシュバックする。

 冷たい骸となった妹、洋子。

 白木の棺に横たえられた小さな身体。

 火葬炉に入る棺を見送るときの喪失感。

 そして……洋子の骸は骨のひとかけらも残らなかった。まさか……まさか?

「そうよ、兄さん……」

 目の前の『洋子』がつうっ、と音も無く俺の傍へとすり寄って来る。

「わたし、火葬にされる直前にお棺から助け出されたんですの。そして、こうして兄さんのところへ帰って来ることが出来たんですのよ」

「そんなはずは……ない、洋子は……たしかに死んでいたはずだ。それに……」

 俺は、近寄って来る『洋子』から身を離す。ひどい違和感がある。たしかに洋子そっくりな容姿、洋子と同じ位置にある泣きぼくろ、そしてあのときのことをちゃんと覚えていること。

 だが……俺のなかのなにかが違う、と告げている。目の前の少女が『洋子』ではないと。少なくとも、夜見子に対してはこのような違和感を覚えたことは無い。

 不可解であるのは、この少女の身体は不自然なまでの色白さを除けば洋子としか思えないいうことでもある。

「……それに、何ですの?」

 小首をかしげて『洋子』は俺に尋ねる。

「お兄ちゃんにナニしてやがンのョこンのヤロー!」

 教室の窓を震わせるほどの大声が俺の周りにまとわりついた『なにか』を切り裂くように響く。目の前の『洋子』の死の香りを吹き飛ばすような生命力の塊のような声が。

「夜見子? どうしてここへ?」

「お兄ちゃんの来るンが遅いから迎えに来たのに決まってンじゃない! そこのアンタ! お兄ちゃんに言い寄るだなんて良い根性してンじゃねーのョ! 覚悟ァ出来てンでしょーね!」

「ああ……貴女が……黄泉姫ですのね……?」

『洋子』は物憂げな微笑みを浮かべながら言う。『黄泉姫』という言葉にはむしろ彼女の方が相応しいかのような死の匂いを漂わせた笑みで。

 YOMIKO

 

「な、なにョあんた……」

 あたしは、目の前の女の子を改めて見据えた途端、背筋をぞわり、と気持ちの悪いなにかが走った。

 なんで。なんであたしの目の前にあたしがいるの?

 あたし自身が見間違えるはずがない。あたし、夜見子の前に居たのはまぎれもないあたし、洋子だった。しかし、この居心地の悪さは一体なんだろう。たしかにあたしの半分だったあたしの身体が、あたしじゃない誰かの身体になっているっての? 頭がごちゃごちゃしてくる。だけど、あたしは一瞬で迷いを振り棄てる。ンなこたァどうだっていいのョ!

「ハッキリしてンなァたったひとつョね。アンタがお兄ちゃんをユーワクしようってゆードロボー猫だっつーコト、たった一つだわ」

 あたしは目の前の知らないあたしを睨みつける。

「ふふ……誘惑だなんて……わたし、兄さんとは血のつながった実の妹ですのに……ああ、でも、それも素敵かもしれませんわね、背徳的で、とっても素敵……」

「ふ、ふざけンじゃねーァよ!」

 あたしは、とんでもねーコトを言いだしやがったヤツを真っ赤になって怒鳴りつける。

 あいつのコトを『あたし』とァ呼びたくねーし。身体はたしかに『あたし』かもだけど、中身はぜってー『あたし』じゃない。なにか得体の知れないヤツだ。

「よ……夜見子、あれは……」

 お兄ちゃんの声がかすれている。

「……う、うん、あれァ……間違いなく『あたし』……『洋子』の身体ョ」

 なにしろ、自分自身のことだ。疑う余地は全くない。だけど。

「でも、『中身』は『あたし』じゃないわ。別人……まったくの別人ョ。あたしとあたし……洋子と夜見子以上に別人だわ。気持ち悪ぃ……あたしの身体に別人が入ってるとか……」

 無意識に自分の両腕で自分の肩を抱きしめてるのに気付き、忌々しくなってばっと両腕を下ろす。

 それを聞いたヤツはくすり、と笑った。

「ふふ、それを言うなら貴女だって似たようなものではなくて、黄泉姫? 貴女の身体には別人の魂が半分入っているのじゃない」

 ……いやまァそー言われりゃそーなのかも知れねーけど、でも違う。

「あたしはあたしョ、今のあたしァ根本夜見子以外の何モンでもないわ。ふたりでひとり、もう別れよーったって別れらんない、ううん、もー今さら別れさせられてたまッかってくらいの、ふたりでひとりのお兄ちゃんの妹ョ!」

 そこまで言われてあたしは気付く。

「ってゆーか、アンタあたしたちンこと知ってるの?」

「ええ、よく知っていますわ、黄泉姫。わたしとあなたが、何があっても相いれない敵同士だってことも……ね」

 そう言うや、ヤツはあたしに向かって弾かれるように襲いかかって来る。けっ、ンなこたァ予想済みだっつーのョ!

 鉤爪状にした両手指をぶぅん、と唸りを上げて振りまわす。あたしは机の間を転がるようにかわすが、あんな細っこい腕なのに思いがけないパワーで、机や椅子を弾き飛ばしながらあたしに迫って来る。お兄ちゃんも必死であたしを庇おうと近寄ってこようとすっけど、飛んでくる机を別の机を持ち上げて盾にするのが精いっぱいみたい。あたしは、たちまち教室の隅へと追いつめられてしまう。

「こンにゃろ……」

 あたしは、首筋に突き付けられた鋭く長く、短剣みたいに伸びた爪に身動きできないまま、壁に押し付けられる。

「夜見子!」

「兄さんはそこでおとなしくしていてくださいね」

「……ぐぁっ!」

 あたしに駆け寄ろうとするお兄ちゃんだが、ヤツが投げた椅子で、脚の間に身体を壁に縫いつけられるようにされてしまう。なんてコントロールに威力ョ……。

「ふふ……綺麗な肌ですのね。ピンク色で羨ましいですわ……」

「な……にしやがンのよてめー……」

 ヤツは、あたしの両手首を頭の上で組ませ、左手で壁に固定、右手の爪であたしの首筋を撫でるように弄ぶ。

「もちろん、貴女を始末して、わたしこそが本当の黄泉姫だと証明すること……ですわ」

「な……んですって?」

「あぁ……でも、その前に貴女のことを可愛がってあげますわ……兄さんの目の前で、とっても恥ずかしい目に遭わせてあげる……」

 そう言うと、ヤツはあたしの制服のボタンを爪で弾き飛ばす。一瞬で、上着だけでなくブラウスのボタンまで。

「な……!」

 しゅるっ、と首のリボンタイが解かれ、引き抜かれる音。ブラウスの前が開けられ、下着のスリップがむき出しにされてしまう。顔が耳まで真っ赤に染まってるンが自分でも判る。

「夜見子! やめろ……よ、洋子!」

「あら? 兄さんはわたしより黄泉姫の方を心配するんですの……嫉ましいですわね。これはたっぷりと虐めてあげないと……」

 ヤツは、嗜虐的な笑みを浮かべて紅い舌で唇をぺろりと舐める。いやらしい感じ……。でも頭の上で組まされた両手首はびくともしない。ったくなんて力ョ……。

 そして、肌に触れるか触れないかにした爪の先であたしの首筋を撫で続ける。下手に動くとすっぱりってことかョ……やがて、爪があたしの胸元に伸びる。首筋の方には今度はヤツの舌の感触。つつー、と爪の先が撫でたトコをなぞるように舌先が撫でてゆく。キモいっつーの!

「動くとあぶないですわよ……」

 そう言うと、ヤツはスリップの胸元に爪をかけ、ぴっ、とおへそンあたりまで一気に切り裂く。

「きゃ……っ」

 肌がさらされる恥ずかしさに思わず悲鳴が出てしまう。

「ふふ……まだわたしと同じでぺったんこなのね……可愛い」

「よ、ヨケーなお世話ョ!」

「夜見子!」

 お、お兄ちゃんが見てるよォ……。

「や、やめ……なさい……よぉ……ひゃ」

 ヤツの爪がスカートの留め金を弾き飛ばし、すとんと足元にスカートが落ちる。そのままスリップの裂け目をもっと下まで広げてゆく。

「ふふ……お子様ぱんつね、お子様な貴女にはとても似合ってて可愛いですわ……」

「く、くそぉ……」

「よくない言葉づかいする子はおしおきしなくてはね」

 そう言うと、爪の先でスリップの胸元を広げ、露わになったあたしの胸を爪で撫でるように探る。刺さったり切れたりはしないぎりぎりの強さで、鋭利な爪があたしの肌に触れている。ちょっとでも身動きすれば、それが肌を傷つけるかと思うと、怖くて動けない。

 やがて、あたしの乳首を爪先で弄び始める。

「……ッ」

 上がりそうになる悲鳴を押し殺す。敏感な部分を針のような鋭い爪が、傷をつけないぎりぎりの強さでつつき、弄ぶ。ヤツは紙のような白い肌を上気させて、嗜虐的で蕩けたような顔をしながらあたしを弄んでいる。チクショー……。

「ふふ……いただきます……」

 そうヤツが言うやいなや、あたしの身体から生気……とでもいうようなものが、吸い取られる感覚があたしを襲った。

 

 BROTHER

 

 俺は、奥歯をぎりっと軋ませながら夜見子が弄ばれる様を見せ付けられていた。椅子の足の間に挟まれて壁に縫い付けられていなければ、今すぐに助けに行くというのに……だが、壁に食い込んだ鉄のパイプは容易には外れてくれない。俺は必死で椅子を外そうとするが上手くいかない。

「あぁ……ッ!」

 やがて、『洋子』が夜見子の首筋に唇を寄せた刹那、夜見子の口からこれまでとは違う叫びが上がった。それを聞いた瞬間。俺の脳髄が赤熱する。

 どがっ。

 どこからこんな力を出したのか、俺は自分を壁に縫い付けていた椅子を弾き飛ばすように外し、それを拾うや『洋子』に向けて投げつけた。

 それを『洋子』は容易にかわすが、壁におさえ付けられていた夜見子は解放され、くたっ、と床にくずおれる。

「夜見子!」

 俺は、夜見子に駆け寄ると、自分の上着を脱いで羽織らせてやる。ちらりと愛らしいピンク色の乳首がスリップの裂け目からのぞくが、肌に傷が無いことだけは確かめてやらないといけないので、心の中でごめん、と謝りながら一瞬だけ、本当に一瞬だけ夜見子の眩しい白い肌を確かめ、羽織らせた上着の前ボタンを留めてやる。

 非常時であるにもかかわらず、この子のあまりの愛らしさに気持ちが惑いそうになるが本気でそれどころではない。俺はそれだけ済ませると『洋子』に向き直り身構える。

「あら羨ましいこと。黄泉姫ってば血もつながってないくせに兄さんにこんなに可愛がられて……」

「オーラ体吸血鬼……」

 俺は、目の前の『洋子』がいま一体何になっているかに気付いた。

 

『オーラ体吸血鬼』あるいは『エーテル体吸血鬼』……いわゆる生き血を吸う『吸血鬼』ではなく、人間の『オーラ体』即ち肉体に重なって存在する霊的な身体からエネルギーを強奪する能力も持った者を指す。今『洋子』が夜見子に対して行った行為こそ『オーラ体吸血』の行為だと俺は理解したのだった。

「さすがは兄さんですわ。よく判りましたのね」

「……そりゃあな。お前が死んでから色々勉強したんだよ」

「でも、その子を庇うのは許しませんわ。その子を離してください、兄さん」

「……断る。夜見子は俺の大事な妹だ」

 目の前の『洋子』が眉をひそめる。

「わたしは妹じゃないんですか?」

 そう言ってずい、と一歩を詰める『洋子』。

 だが、そのとき『洋子』の足元にかっ、と音を立てて何かが突き立った。

「……ガラス? いや、氷……のナイフ?」

「そこまでにしとき、それ以上はウチが相手になるでー」

「マイスター……姉妹・ウンディーネ?」

「久しぶりやなー、姉妹・リリス」

『洋子』の足元に氷のナイフを投げて牽制したのは、初めて会ったときとは別人のように鋭い目をした沢村明音だった。

 

「ふふ、そう、本当に久しぶりですわ、マイスター、姉妹(ソロール)・ウンディーネ」

 マイスター……そして互いの『名前』、『姉妹』と冠したところから察するに、恐らくは『魔術名』(マジカル・モットー)を呼び合う二人。ということはこの二人は共に魔術師だということだ。そして、『親方』(マイスター)を冠したということは、明音は『結社』内において指導的立場にあるということなのだろうか? さっきの紅とのやりとりから、どうも本当は夜見子と同じ中一ではないんじゃないかっていう気はしていたが、それでもまだ明らかに十代……せいぜい半ばくらいである明音がそれほどの立場にあることは驚きだ。とはいえ、この威圧感と氷のナイフを投擲した技の冴えからすればそれも納得出来なくはない。

「だけどなー、その我慢でけへんよになると見境なく人襲いよる癖は直した方がええって言わへんかったかー?」

「ああ……この方々。ですけど、そんなに見境なく襲ったつもりはありませんのよ。だって、この私を差し置いて兄さんに言い寄ろうとするだなんて、お仕置きしてあげなくっちゃいけませんでしょう?」

 そう言って洋子……リリスは酷薄な笑みを浮かべる。

「それに……この方々、とっても、美味しいんですもの」

 と、夜見子、それにいまだ倒れたままの紅の方を見ながらリリスは言った。

「でも、流石にこの様子では退散しないといけませんね」

 そうくすり、と笑うと、左手の指をくい、と持ち上げる。すると、そこから糸で操られてでもいるかのように、紅の身体が跳ね上がる。完全に彼女の意志ではない、操り人形の動きで。

「紅をどうするつもりだ!」

 俺はリリスに叫ぶ。

「そうですね……人質、とでも思っていて下さればいいかしら」

「そう簡単にはいかへんでー!」

 明音が両手に新たな氷のナイフを生成し、身構えるが、自分の前に操られた紅の身体を盾代わりに移動させる。

「くっ……」

 明音が悔しそうに一瞬迷った次の瞬間、操った紅に自らを抱き抱えさせると、教室の窓から身を躍らせる。すぐに窓辺に駆け寄るが、そこから見えたのは、ぎくしゃくした人形の動きでありながら、驚くべき身体能力で二階の窓から校庭に着地し、凄まじい勢いで駆けてゆく紅の姿だった。

「しまった、逃がしたか……」

「うう、すまんかったなー、ウチが来たってのにまんまと……」

「いや、それでも助かった。それに、あいつは『人質』って言った。何らかの形でまたすぐに俺たちの前に出てくるだろう……そう言ったからには、紅の身もすぐに危険ってことはないはずだ。それよりも、夜見子を……」

 俺は、俺の上着を羽織って床にぐったりと半分倒れたようにしゃがみ込んだ夜見子を優しく抱きあげた。落ちたスカートも拾い上げておく。

「問題はこの教室の惨状だな……」

 酷いものである。机や椅子、その中身は散乱し、壁にも椅子の足が突き立った穴が開いている。思わずため息が出るほどだ。しかし、今はここを片付けるよりも夜見子だ。

 俺たちは、暗くなった廊下を小走りで駆け抜け、学校を後にした。明日のことを考えると気は重いがまあしらばっくれるしか無かろう。とりあえず、俺は校舎から出る直前あたりに、となりを歩く明音に耳打ちをする。

「あとで話をさせてもらうがいいな?」

 その俺の厳しい口調に彼女もこくこくと頷く。俺たちは、簡単に待ち合わせの時刻と場所を合わせるとすぐに一旦別れた。夜見子を自宅に送り届け、ベッドに寝かせてやると、俺は明音との待ち合わせに急いだ。

 

 * * *

 

「やほー」

 待ち合わせ場所……俺の下宿近くの公園に着くと、すでに待っていた明音が能天気そうな顔と声でそう呼びかけてくる。だが、油断はしない。とりあえずは助けられたものの、さっきのカメちゃんとのやりとりから見て、もし彼女がカメちゃんの所属していた結社の団員だとしたら、必ずしも決して味方とは言い切れないのだから。

「来てくれたことには感謝する。だが、まず一つ確認したいが、いいか?」

「んー、ええでー」

「君は……『高天原』から来たのか?」

 単刀直入に聞く。明音は流石に少し目を見開くが、すぐ素に戻って言った。

「せやー、なにしろ、ウチが夜見ちゃん連れてくるよう三千代に指示伝えた当の本人やからなー。もちろん、大元の命令はもっと上からやけどー」

「!」

 俺は、その言葉を聞き反射的に身構える。

 この女……ぽやぽやしてるようだが、油断ならない相手なのはひしひしと伝わって来る。

 

 AKANE

 

 ウチの言葉を聞いたお兄さんの目がすうっと細められる。その視線の冷たさにウチの背筋を冷たいもので貫きとおされたような感覚が走る。つい今しがたまでの飄々とした様子が嘘のようや。

 それにしても、まさか、夜見ちゃんの『お兄さん』がこの男やったとは思わんかった。なにしろ、ウチの所属する『結社』の構成員がこれまで何人もこの『お兄さん』に痛い目を見せられてる。何故?

 肉体的にはほんまに普通の人間やし、武道や格闘技なんかの心得もさほどではあらへんらしい。かといって魔術師やってワケでもあらへん。しいて言えば多少霊的な素養はあるようやけど……それにしたってどうやら霊感が多少強いって程度や。

 せやのに……にもかかわらず、『お兄さん』はとびきりの要注意人物としてその筋では知られている。なのに、その理由がまるで判らへんかった。実際の本人をこうして目の前にするまでは……やけどな。ウチのアンテナにも、危険信号がびんびんと来てる。それにしても、彼の目が細められたときのおっかなさときたら……。急に背中に刃物を突き付けられた……それも、先端が肌に触れるか触れないかまでのところまで、みたいな感覚さえ覚えるほどやった。

 そもそも、ウチがこうして真実を話したんは、『お兄さん』とコトを構えたくないからや。

 少なくとも……今のうちは。真実を隠すんは簡単や。ただし、コトが明らかになった場合、彼はまず間違いなく……たとえ運よく敵対まではしなかったとしても、ウチらに決定的に不信感を抱くやろ。

 ともかく、それだけは避けたかった。ここで真実をしっかり打ち明けとけば、この場こそいくらかの反感は持たれたとしても、おいおい少しずつでも信用を得ていく道はあるはずや。そのためには……この切所をどうにか切り抜けんといかん。さー、気は抜けんでー。ウチらは、表面上は平気な顔を崩さずに話し合いを始めた。

 

「『リリス』の件を話す前にまず二つ訊きたい」

 最初に話を切り出したんはお兄さんの方やった。

「なんやー? ウチに答えられることやったらー……」

「まず一つ目。冬に俺が『鬼』に攻撃を受けたことは知っているか?」

「え?」

 ウチは目を丸くする。いや、これに関してはウチは何も知らんて。

「……とまあこういったことがあった訳だが」

 そう、お兄さんは夜見ちゃんと出会ったときのことだっつーその話をしてくれた。

「いやー……それはー……ウチらの結社の手のもんとは違う思うんやけどー」

 信じてくれるやろか? と思ったが、

「そうか。まあ西洋魔術師が使役するようなものとは思いにくい性質のモノだったしな。わかった。信じる」

 そうあっさり言うてくれた。だが、ホッとしたのはそこまでやった。

「もう一つ……お前たちは、『洋子』と夜見子の魂を合一させて『霊的改造体』にしたと言った。お前たちは……そのために洋子を殺したのか?」

 ……!

 刹那。ウチはのど元に突然白刃を突き付けられたみたいに硬直した。

 こ……怖い。お兄さんの声から、目から、身体から。ウチがこれまで感じたことも無いような殺気が放射されとる。さっきまでかて相当やったけど、これは段違いや。ウチは、誰あろうソロール・ウンディーネと呼ばれた魔術師であるウチが、しばらく動くことさえままならんほどの恐怖に捉われた。下手な答えを返せば即座に殺される……かも知れんと本気で思った。

「して……へん」

 辛うじて答えた声がかすれる。

「少なくとも……そないなことをしたとは聞いてへんし、ウチらの結社は無闇に人の命を奪うようなことはせえへん……はずや」

 嘘やあらへん。少なくともウチ自身がそう信じてることであるんは間違いない。

 お兄さんの視線がウチの瞳を真っ直ぐに射抜く。怖い。けど、逸らすわけにはいかへん。逸らしたら……そのときこそウチは金輪際信じてはもらえへんやろう。

「その……洋子はんの亡くなったことには、ウチらは関わってへんはずやー。も、もちろんそのときはウチかてちっちゃくて結社に入ってへんかったから、実際に知ってるわけやあらへん……けどー」

 そこでウチはお兄さんの様子をひと息置いて伺う。相変わらずの厳しい目。

「夜見ちゃんの身体と魂との合一処理を受けたことからも、多分霊的な素養が高い子として目は付けられとったとは思うけどー……あくまで、あの時点で偶々洋子はんが亡くなったからこそ、あの処置がなされたんであるはずやー。ひょっとしたら、成り行き次第では夜見ちゃんと洋子はんが逆になってたパターンかてあり得たかも知れへんしー、三千代みたいにある程度成長したとこでヒドン・マスターの訪問を受けとった可能性もあると思うー。けど、う……ウチの信じてる限り、少なくとも直接手ぇ下して霊体を取り出そうなんて性急なことはせえへんはずやー」

 ウチは、緊張のあまり思うとったことをほとんど一気呵成に吐き出した。

「……それは、少なくとも動機はともかく、霊的素養のある人間は貴重な存在だとして、それを損なうようなことはしていない、ってことだと解していいのかな?」

 ……うゎシビアやなぁ……人道的な立場とか善意とかがウチらの側にあるとか全く思うてくれてへん言い方やん……。まあお兄さんの立場からすればそう思われても仕方あらへんのかなー。

「そうだな……少なくとも、君がそう思っているってことは信じてもいいだろう」

 ウチは、その言葉にようやくほっとしてはぁー、と息を吐いた。けど、それはトンデモナイ油断やった。お兄さんは、そこでウチ自身思ってもみなかったことを言うたからや。

「それじゃ本題に入る。沢村明音。君は……君があのリリスって呼んだ子が、洋子だってことは知っていたか?」

 な……?

 ウチは、今度こそ愕然とした。

「なん……やて……?」

 え? え? 洋子……って?

「そ……その洋子って、お、お兄さんの亡くなった妹さんの洋子……のことでええんかー?」

 お兄さんはウチから一瞬たりとも目を離そうとしない。ウチの一挙一動をも見逃すまいとしてるようや。その目が怖くて身じろぎさえでけへん。嫌、いやや、怖い、一体どういうことなん? 一体なにが起きてたっていうんや……。

 リリスが洋子で……お兄さんの妹は亡くなってて、でもリリスは生きてた……ハズで。

 あのリリスは、短期間だけウチの結社に所属……つーかもぐり込んで来て、教義の美味しいトコだけつまみ食いしてすぐに消えてもうたヤツやった。大方あちこちの結社でそないなことやっとるんやと思うて、大して気にしてへんかったんやけど……。

 ウチは、その辺の事情を簡単に説明して続けた。

「ウチは……あのリリスとはそんなに長い付き合いはしてへんかったー。そもそも、『高天原』っつー結社は『スクール・ロッジ』やから、ウチかてホントに実権のある『マイスター』っちゅうわけやあらへん。『秘めたる師』(ヒドン・マスター)から、指導者としての訓練のために限定的に権限を預けられた、言うんやったら、『生徒会長』とか『クラス委員長』みたいなもんやと思ってもらえると近いと思うー……」

「……なるほど、そういうシステムか」

 お兄さんは頷きながら続ける。

「だが……『リリス』が『洋子』なのは、どうやら肉体だけ、つまり、洋子の身体の中に別人の魂が入りこんでいるようだ」

 ……ていうことは、つまり……。

「やっぱり……そうなんか……初めて会うたときからそんな気はしとったんやけど、リリスは……アイツの正体は、『非―人間』(ノン・ヒューマン)やー」

 ウチのその言葉を聞いたとき、お兄さんの拳が固く握られるんを見た。けど、驚きはあらへんみたいや。やっぱり、お兄さんには予想済みやったようや。

 

『非―人間』。英国の魔術師、ダイアン・フォーチュンがその著書『心霊的自己防衛』で論じている存在で、簡単に言えば、人間の身体に人間以外の魂が入りこんで生まれて来てしまったモノを指す。ただし、リリスの場合は死者の肉体に別の魂を入れることで誕生させた存在であり、原義の非―人間とは精確には違うが、人間の肉体にそれ以外の魂、という意味では共通している。便宜上ではあるが、非―人間と呼んでも差し支えはあらへんやろう。

 

「やっぱり……そうか。洋子の身体に入り込んでいるのは人間以外の霊的存在ってことだな」

「ああー、それは間違いあらへんと思うでー。お兄さんの妹の洋子……はんの身体を誰がどうやって奪ったんかは……ウチには判らへんけど、ともかくその身体に何者かの……あの特異な能力、倫理観の無さ……人間以外の魂を封じ込めたんがあのリリスやってのは間違いあらへんと思うー」

「……そうか。だが、君が知らないってこと自体は信じても良いが、リリスは夜見子のことを『黄泉姫』と呼んでいた。それに、彼女自身が夜見子に代わって『黄泉姫』になるつもりだ、とも。夜見子を『黄泉姫』としたのは他ならない君の属している『結社』だ。正直なところ、君の『結社』とリリスが全くの無関係だと丸呑みで信じることは難しいだろう」

 BROTHER

 

「うう……ヤツが……そないな……ことを……」

 明音が俺の言葉にうめき声を上げる。彼女には悪いが、彼女の信じるものがそれに値するのか確かめるためにも、ここで追及を止めるわけにはいかない。

「そもそも……だな。君はどうして夜見子の学校にやって来たんだ? 偶然同じクラスになった……なんてな無しだ。年齢的なことでもむぐ」

 そこまで言った途端明音は慌てて俺の口を手でふさぐ。

「い、いややなーお兄さん、そ、その先は言わぬが花ってもんやでーはははー」

「……判ったからとりあえず手は離してくれって」

「まあ……そのやねー。夜見ちゃんが可愛かったから……って言うたら納得してくれるー?」

 明音は両手の人差し指同士をつんつん、としながら恥ずかしそうに言った。

「……は? いやまあ夜見子は可愛いけど……じゃなくて」

 あ、今ちょっとお兄さんの雰囲気が若干くだけた。呆れたせいかも知れへんけど。

「まァ一応……マジな話なんやけどなー。その……やねー、この前の三千代の件でのお兄さんからの要請、っつーか圧力? っつーんかな、もあってやなー、夜見ちゃんらに手ぇは出さへんにしても、とりあえず近くで監視する必要はある、って上の連中は判断したわけやー。で、夜見ちゃんの通う中学に学生か教師で……教師だと大人やから能力的にはええけど、限られた時間しか監視でけへんから、多少未熟でも学生……同級生の方がええやろー、ってことでウチら高天原・スクール・ロッジで誰か適当なのを選ぶよーに、って指令が来たと思ってもらいたいわけやねー」

「ああ、それなら判る」

「……で、その監視相手の夜見ちゃんの写真見た途端、やねー……その……かぁいくて……こりゃウチ自身が行くしかあらへんってゆーか……他のヤツなんかに譲ってたまるか、っつーか……」

「あー、それはそれで君見てると判るよーな……」

 と苦笑する。

「てなわけでウチが来たっちゅーわけなんやけどー、まさか、来て早々にこないなことが起きるとは、正直思わんかったわー。オマケに、あの場合しゃーなかったとはいえ、よりにもよってお兄さんに正体バレるしなー」

 そう言って、明音ははぁー、と深くため息をついた。

 

 とりあえず話すべきことは一通り話しただろうかと思い、明音と別れよう、としたその時。

「……紅!?」

 突然、少し離れた街灯の下に、生気のない顔をした紅光紗の姿が浮かび上がる。一瞬、リリスの許から逃れて来たのかと思ったが、どうもそんな様子ではない。果たして、彼女の口から、彼女のものでない……リリスの声が発せられる。

「こんばんは、兄さん、それに、姉妹・ウンディーネ」

「リリス……か」

「洋子……って呼んでくださらないのですね、兄さん」

「俺の洋子は……夜見子のなかにいる洋子だけだ」

「そうですか……まあいいです。どうせすぐにわたしのものになるんですから。兄さんも。黄泉姫の名も」

「……どういうことだ?」

「さっきの教室で待っていますわ。この女を返してもらいたければ、深夜二時に黄泉姫を連れて来てくださいましね。ああ、ここに現れているこの女は投影体で実体ではありませんので」

 それだけを言い残し、紅の姿はあっという間にかき消えた。

「言いたいことだけ言いよってからにー……」

 明音も悔しそうに言う。

「だが、夜見子を連れていくわけには……」

 そう俺が口にしたその時。

「行くァよあたしは」

 俺の後ろから、夜見子の声がした。振りかえると、いつもの普段着に着替えた夜見子が、やや顔色は悪いものの、しっかりとした足取りで歩いてくる。そんな夜見子を気遣いながらカメちゃんも一緒にやって来ていた。

「……夜見子、どうして?」

「べつに気絶してたワケじゃないから」

「だがな、夜見子……」

「あンの女ブッ飛ばしでやんなきゃ気がすまねーってのョ。お兄ちゃんに言い寄っただけでなく、紅さんにまで酷いコトして……」

「私も同じ気持ちです。それに、彼女は野放しにしてはいけないと思います。マ……沢村さんも同じですよね?」

 夜見子とカメちゃんが揃って決意の言葉を口にする。

「……せやな。あの女は放ってはおかれへんかー……ウチら高天原ロッジの名誉のためにもなー」

「どうやら止めても無駄か。それじゃせめて時間まではちゃんと休んでくれ、夜見子」

 俺が近寄って頭をぽん、と手のひらで軽くたたいてやると、それだけで膝を崩してしまう夜見子。すかさず腕を取って支えてやる。

「ぴゃ……うう、わーったァよお兄ちゃん……」

「夜見ちゃんにはウチがついてるでー」

「……なんかあんたの場合みょーな下心が透けてる気がすンだけどねー……」

「うう、ひどいで夜見ちゃんー。ウチかてこーゆー場合くらい空気読むねんなー」

 てな具合にわざとらしくよよ、と泣き崩れる明音。

「ったく、わーったァよ……」

 

 * * *

 

 そして午前二時五分前。俺たち……俺、夜見子、明音、カメちゃんの四人はふたたび校門前へと集合した。

「無理はするなよ、夜見子」

「ん、だいじょーぶョお兄ちゃん。これァあたしとお兄ちゃん、どっちが欠けてもダメなコトでしょ?」

「……そうだな。お前の言う通りだ」

 俺は、夜見子の頭にぽん、と軽く手のひらを乗せ、優しく撫でてやる。

「あんたらも……頼むァね。あと明音、あんたにァちぃと言いたいこたあっけど、とりあえず不問にしといたげるわョ」

 そうカメちゃんと明音にも声をかける夜見子。さすがに明音は少々バツが悪そうな表情ではあったが、すぐに気を取り直し、それなりに真剣な顔になる。

「リリスが何を企んでるのかは判らないが、紅のこともあるし、少なくともこのまま放置しておくことだけは出来ない。恐らく罠もあるだろうが乗り込むぞ」

 俺は三人にそう声をかけ、校舎内へと踏み込んだ。

「……って、罠があるだろうとか自分で言っときながらそんなに無造作に踏み込んでええんかー?」

 俺に素直についてきた夜見子とカメちゃんにワンテンポ遅れて、そんなことを言いながら明音が慌てて追って来る。

「判りもしないことに過度に神経質になっても仕方ない。何かあるだろうってことだけ念頭に置いといて、起こったことに柔軟に対応できる意識でいればいい」

「は、はあ、さいですかー」

「それに、罠の専門家ならともかく、限られた時間で校舎のあちこちに罠を仕掛けておく余裕はさほどはないだろう。もちろん皆無だって保証があるわけはないが、リリスの性格から見ても、多分、要注意なのは教室に入ってからだろうな」

 指定された午前二時一分前。俺たちは指定の教室前へたどりついた。

 半開きになっていた引き戸を無造作に開け、教室に一歩踏み入れたそのとき。俺の頭の上からなにかが落ちて来た。

 ぽふ。

 そんな感触とともに、もうもうと白いものが目前にたちこめる。これは……。

「……黒板消し?」

 頭に載ったままだったそれを手に取ってみた俺の言葉がそれだった。間を開けず、はじけるような笑い声。教室奥の机の上でリリスがお腹をかかえて心底楽しそうに笑い転げていた。

「……えーと」

「あははははっ、引っかかりましたわね兄さん。マンガとかで読んで、いっぺんやってみたかったんですわ」

 そう言いながらまだ笑い続けるリリスは、年相応の女の子の姿にも見える。

 どうしたものかなーと思いながら、とりあえずは激昂してリリスに詰め寄ろうとする夜見子を引っ張って止める。

「ちょっとアンタ何考えてやがンのョお兄ちゃんになにしやが……っとと?」

 俺に襟首掴まれて後ろに引きもどされた夜見子を目の前をひゅん、と音を立ててなにかが通過する。

「なるほど、こっちが本命か」

 俺は、夜見子の目の前をかすめて反対側の壁に突き立った短い矢を見ながら言った。

「この高さからして、狙いは夜見子の方か?」

 まず女の子たちに先行して戸を開けるだろう俺にいたずらを仕掛ければ、夜見子の方が逆上して先に教室に踏み込んでくるだろうと読んだ上でこの位置に罠を仕掛けたってとこか?

「……ふふ、おっかないのね、兄さん。べつに、これで本当に黄泉姫を仕留められると思っていたわけじゃありませんのよ? 現に、兄さんは止めてしまいましたでしょう?」

「……ッ、テメー……」

 夜見子が真っ赤になってリリスを睨む。とはいえ、俺の読みが遅れていれば、確実に夜見子は少なくとも大けがを負っていただろう。やはり、こいつには普通の人間としての倫理観がきわめて薄いことは間違いがない。人としての……心が無い。

 

「悪いがな……お前は俺の妹じゃない。たとえ血がつながっていたとしてもだ」

「……そうですか、残念ですわ兄さん。力づくで奪わないといけなくなってしまうだなんて」

 さして残念そうでもない顔でそう言うと、リリスは短剣を抜くと、背後の闇から、リリスくらいなら平気で背中に乗せられそうな大型の二頭の黒犬を引きだすように呼びだした。

「喚起済みってことか。よーするに最初ッから力づくにするつもりだったっつーことだな」

 俺はポケットの中で熱を帯びるそれを意識しながら身構える。二頭とは厄介だな、とは思ったがどう転んだところでこれが今の状況だ。

「お兄さま、こいつらは私たちが」

 そう言いながら俺を庇うように前に出て来たのはカメちゃんと明音だった。

「せやー、お兄さんと夜見ちゃんはリリスの奴をー」

 明音もそう言ってすっ、と前に出てくる。やや動きの固いカメちゃんと違い、肩からも力がほどよく抜け、全身が素早くどこへでも動ける体勢になっている。やっぱり只者じゃないな彼女は。

 

「……ノワ!」

 カメちゃんが三つ編みを留めていたリボンを解く。果たして、彼女の頭から一瞬ネコミミがはねたと思うや、小さな黒猫がにゃー、と一声鳴いて跳び出してくる。

 カメちゃんの使役する人工的精霊(エレメンタルズ)・ノワだ。

「……この前よかずいぶんちっちゃくなってッけど大丈夫なん?」

 夜見子が心配そうに言う。

 カメちゃんは優しく微笑むと、

「ご心配なく。大きさなんて関係ありませんから」

 と珍しく自信ありげに言った。

 

「それじゃー、ウチもトクイの氷結魔術で、つまみ食い娘にキツいお仕置きしたらなあかんやなー。あんたが盗んだ秘儀なんぞ、ウチら高天原ロッジの一端でしかないって思い知らせてやるでー」

 明音も、細い目を見開いて両手を軽く振る。次の瞬間には片手に三本ずつ、計六本の氷のナイフが彼女の指の間に生成されていた。

 

「ひゃあん」

 カメちゃんが身構える間もなく黒犬獣が彼女めがけて跳躍する。その牙を避けさせたのは、ひとえにノワがカメちゃんの襟首をくわえて引き倒したからに他ならない。ちっちゃくなってもパワーは健在のようであった。並べられた机の上に黒犬獣は平然と着地する。ふぇえ、と床にしゃがみ込んで椅子を盾にするカメちゃんだが、黒犬獣の前脚の一振りで椅子はカメちゃんの手から奪われてすっ飛び、無残にひしゃげて教室の壁に食い込む。あーあ……マジで明日どうなってるよこの教室。

 だが、ピンチと思われたカメちゃんだったが、黒犬獣はちっちゃな……赤ちゃん猫より多少大きい程度しかないくらいちっちゃなノワが素早く足元を駆けるのについてゆくことが出来なかった。カメちゃんに迫ろうとする黒犬獣をノワはそのスピードと小ささに似合わぬパワーで容易に翻弄し、足をひっかけてバランスを崩す。

 そして、ノワはその隙を逃すことなく、そのまま黒犬獣の足元から上方へ跳ね、鋭い爪でその太い首を刎ねたのだった。一瞬黒犬獣の動きが止まり、そのまま首だけがずるり、と床に落ちる。間をおかず、泣き別れの首も胴体もともに黒い粒子と化して崩れ落ちた。

 

「なんですって……?」

 自らの喚起した黒犬獣の片割れのあっけない最期に驚愕するリリス。その隙をついて夜見子が跳びかかる。

「とァりゃああーッ! シスターエクストリーム!」

 いやそのネタまだ引っ張るのか夜見子。ちなみに両足蹴りでもないし身体が半分に分かれたりもしませんので。

「く……っ」

「よそ見してるヒマァねーわョ!」

 夜見子の飛び蹴りを間一髪でかわすリリス。避けようとする先に俺はすかさず回りこむ。

 

「ひゃ……はぁ、の、ノワ、ありがとう……」

「なんやー、結局ネコ頼りで自分は逃げまわっとった……つーか逃げるのもネコ頼りやあらへんかー」

「そ、それでもちゃんとやっつけました!」

「はっはっはーせやなーせやなー三千代ちゃんの言う通りやなー。ほなウチもやることやったろーかー」

 そう言いながら明音は六本のナイフをひと息で投擲する。だが、黒犬獣には一本たりとも当たらない。カメちゃんの相手をした奴より多少機敏なのか、横ステップで軽やかに全てのナイフをかわす。だが、明音は平然としてふたたび両手にナイフを生成すると、まるで当てるのが目的でさえないようにナイフをばらまき始める。

「く……姉妹・ウンディーネ、なんのつもりですか?」

 俺と夜見子にはさまれながら明音の様子を見ていたリリスが言う。

「まあ黙ってみてりゃええねんなー。ご自慢の黒犬獣が退治されるトコをなー」

 都合三回、一八本のナイフを教室中にばら撒いた明音は、最後に一本だけのナイフを生成すると、今度は真っ直ぐに黒犬獣に投擲した。はたして、最初のようにあっさりと避けられるか……と思いきや、なんと一本だけのナイフは吸い込まれるように黒犬獣の額に突き立った。

「な……」

 愕然とするリリス。見ると、教室中に撒かれたナイフから、氷の蔦が伸び、黒犬獣の足を床に繋ぎとめていたのだった。やがて、四肢と額の突き立てられたナイフから、見る間に黒い身体が白い霜で覆われてゆく。そして全身が真っ白になったとき。

 ばりいん。とそんな音を立てて黒犬獣は粉々に砕け散ったのだった。

 

「さーリリスさんやー、これで四対一やねんでー」

 ……多分『四』の内訳は俺、夜見子、明音、ノワなんだろーなーとか思いながらも油断せずリリスを囲む輪をじりじりと詰めてゆく。

 

「……ふふ、まさか、こんなことくらいでわたしに勝ったなんてお思いですの?」

「負け惜しみはみっともないでリリスー。ご自慢の黒犬獣も始末した、もうアンタ一人やねんなー」

 明音が右手に氷のナイフを生成しながら言う。だが、リリスの顔にはいまだ余裕の表情が浮かんだままだった。

「ふふ、くろちゃんたちが簡単にやられてしまったのには確かに驚きましたわ。でも、わたしがくろちゃんたちに頼りきりだなんて思われてしまうのは心外ですわ」

 そう言ってリリスがぺろり、と唇を舐める。その様子に俺の背筋をぞわり、と走るものがあった。それは幼い少女の姿には似つかわしくない淫靡さのためだけではなく……。

「みんな、下がれ!」

 俺の突然の警告に、真っ先に明音が、次いでノワが反応し、俺、明音、ノワに襟首をくわえられたカメちゃんがリリスから距離を取る。だが、夜見子だけが一瞬それに戸惑い、反応が遅れる。マズい、夜見子が俺とリリスをはさんだ対角線側に居たのでなければ、連れて下がってやれたのに……!

「え、ナニ……?」

 まるで、リリスの身体が倍にまで膨れ上がったような錯覚。リリスの身体から、闇が放射されている。そうとしか表現できない。リリスの背後が彼女の身体から放射された闇で覆い隠されている。にもかかわらず、彼女自身の姿は闇の中にくっきりと浮かび上がったままだ。やがて、そこから闇が触手を伸ばした。逃げ遅れた夜見子に向けて。

 

 YOMIKO

 

 ウカツにもお兄ちゃんの声に反応が遅れてしまったあたしに、リリスの奴の身体から伸びた闇の触手がからみつこうとする。ッたく気持ち悪いにもホドがあるってもんョ!

「っ、この、近寄ンじゃねーァよ!」

 触手を払いのけようとするが、払おうとする手に逆にまとわりついてくる触手。

 触手って言っても、生の実体がある触手じゃなく、『闇』とでも言いようのないモンが触手みたいな形と動きでまとわりついてくるだけなんだけど。けど、こんなンに絡みつかれたらどーなるかなんてあんまし考えたかァない。お兄ちゃんたちも、自分たちに伸びる触手を払おうとするのに精いっぱいだ。

「てっ、この、やろ、だーッ!」

 両腕をぶんぶん振りまわしてどーにか撥ね退けようとするが、ついに右腕に触手が絡みつくのを許してしまう。その瞬間、がぐん、って感じであたしの身体から力が抜ける……いや、抜かれるをの感じる。これがお兄ちゃんの言ってた『オーラ体吸血行為』ってヤツなの……?

 だけど、あたしの腕に食い込むように絡みついた闇の触手に対して、吸われるだけじゃない妙な感覚がある。これァ……試してみてもいいカモしんないァね。

「え……?」

 リリスの奴が一瞬訝しげな顔をする。ふん、そのスカしたツラ、二度と出来ねーよにしてやンわョ!

「『吸収』すンのが自分だけだと思わねーコトよオラ!」

 そう。あたしがしたンは闇の触手を通して……いや、闇の触手それ自体をあたしの方から吸収してやるってコトだ。夕方ンときァそれどこじゃなかったが、正面から相対してっトキまで同じコト通用すンと思ってンじゃねーわョ!

「そ……んな、黄泉姫、あなた……」

 今度こそリリスの顔が驚愕に歪む。ふん、これだけで済むと思ってンじゃねーわョ!

「今度は……使い方間違えたりしねーンだから……」

 あたしは、慎重に狙いを定める。冬のとき。あたしは自分の力の使い方を誤ってお兄ちゃんを傷つけてしまった。今度はそんなコトをするわけにはいかない。

 吸収した闇の触手があたしン中で『火』のエネルギーに変換されてる。どーゆー理屈なんかは知らないけど、あたしが吸収した力は、あたしの中でほぼ全てが自動的に『火』のエレメントに変換される……ってあの件の少し後にあたしの能力をいろいろ試したときカメ子が説明してくれた。その説明と実験の中で、ノワが冬ンときよりまたちっちゃくなっちゃったのはまあご愛嬌……と思っといてねあはは。

 そして、あたしの吸収した力は、しばらくの間は元の構造を残したまま、属性だけが『火』に変換されてあたしの自由に操れる!

「行くァよ! 覚悟しとけョてめー!」

 あたしの空いた左手から、炎の触手がリリスに向かって伸ばされる!

「……っ!」

 短剣を振るってリリスがあたしの炎を逃れよーとするがそうはいかない。あたしの意志に従って触手の先がふたてに分かれ、左右から挟み込むようにリリスを捕らえた。

「あああっ!」

 ぐるぐると炎がリリスの周囲を何重にも巻き、リリスの全身を覆う炎の繭になる。

「とどめブチかますァよ、ばァん!」

 あたしの声とともに、炎の繭が内側に向けて爆発した。

「きゃああああーっ!」

 爆発のショックで悲鳴を上げてくるくると回りながら倒れるリリス。肌や髪、服には焦げ跡ひとつないが、リリスの闇の触手が物理的なものでない以上、あたしの炎も物理的な炎じゃないのだ。いわば、リリスは霊的な大やけどとでも言うような状態になってる……はずだ。

 

 BROTHER

 

「さあ、話してもらうぞリリス。お前がなにを目的にしてやって来たのか。お前の背後には誰が居るのか。そしてお前を……洋子をそうしたのは誰なのか……をな」

 俺は、ジーンズの後ろポケットから、さっきから熱を発し続ける金属製の円盤を取りだしてリリスに語りかけた。円盤の表面には、アルファベットやギリシャ文字に似た図形がちりばめられ、円周部分にはJACH、ELEH、ADONAY、そしてSAMAELの名が刻まれている。戦いをつかさどる天使・サマエルのタリスマンである。

 正式に秘儀参入(イニシエーション)した魔術師ではない俺が作ったものだけに、パワーにせよ安定性にせよさほどのものではないが、少なくとも丁寧に時間をかけて作ったので、そこそこのパワーはチャージされている。

 タリスマンから発せられるパワーに、リリスがたじろぎを見せる。恐らく、平常時のリリスなら、この程度の力を恐れたりはしないだろう。夜見子の力でダメージを負った今だからこそ通用しているのだ。とはいえ、この状況に持ち込むことが出来たからには充分切り札として機能させることが可能になる。俺は、右手に炎の剣、左手に天秤を持ち、戦車(チャリオット)に乗ったサマエルのイメージを自らに重ね合わせ、ゆっくりとリリスに歩み寄る。

 恐らく俺の姿に同じサマエルのイメージを重ね合わせて見ているのだろう。リリスが俺から離れようと後ずさる。

「うーん、お兄さんが魔術師でないなんてにわかには信じられへんなー。少なくとも、ウチらの初参入者(ニオファイト)信心者(ジェレイター)よかよっぽど魔術のなんたるかを身につけとるやんなー」

 明音が感心したように言う。まあお世辞と受け取っておこう。

 苦悶の表情になりながら、俺に短剣を向け、何らかの術を使おうとするリリス。

「エェェロヒィィム・ゲェボォオル」

 俺は、それを制するように神名を振動させ、リリスの意志を挫く。リリスの手から弾かれるように短剣が落ちた。

 その反動で思わずたたらを踏んでよろめいたリリスが、辛うじて机に手をついて身体を支える。

「ふ……ふふ、今日のところは貴方たちに勝ちを譲っておきますわ……」

 とそこまで口にしたところでリリスの目が大きく見開かれる。俺たちもまた、何が起きたのかにわかに信じられない思いでその光景を食い入るように見つめる。

 俺たち以上に何が起きたのか信じられない、いや、理解できない面持ちのリリス。

 彼女の肩にほっそりとした手が背後両側から廻され、がっしりと固められている。

そして、その白い首筋からつーっ、と紅い糸が二本垂れさがっている。その首に突き立てられた二本の牙から。

 そう。

 リリスを背後から襲い、その首筋から彼女の生き血をすする、紅・エリサベタ・光紗の口元から。

 

つづく

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
0
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択