No.646241

真・恋姫†無双 想伝 ~魏†残想~ 其ノ二十一

半月ほど空けての更新となります。ごめんなさい!

※恐ろしいことに其ノ二十で金冠を取ってしまいました……(;゚Д゚)
                読者様方、ありがとうございます!!

2013-12-19 00:13:25 投稿 / 全13ページ    総閲覧数:8468   閲覧ユーザー数:5829

 

 

【 嘘と自分 ~時代の足音~ 】

 

 

 

 

 

「……死にたい」

 

 

私の一日はそんな心にもない言葉から始まった。

今日どころか、ここ数日同じことを時折呟いている。

 

一刀に聞かれたら怒られそうな言葉ではあるけれど、この件に関しては彼も事情を知っているから怒らない。先日、一緒にいる時につい口にしてしまったことがあったが一刀は苦笑いだった。

 

辛気臭い顔で眉間に皺を寄せながら手元にある書類や竹簡に筆を走らせる。

 

いくら気分(天の言葉では“てんしょん”とも言うらしい)が落ち込んでいるとはいえ、それが仕事に影響することはあまりない。そんな程度で私の仕事力は落ちない。

 

というか、仕事が捗るぐらいだ。それは何故か?

 

 

「……(イライラ)」

 

 

そのイライラを仕事にぶつけるような性分だからだ。

 

 

「思い出すのも嫌だし、腹立たしいわ……(ギリギリッ)」

 

 

無意識に自分が歯ぎしりをしていることに気付いて慌てて口を押さえ……まあ、今この部屋に私以外の人間はいないから問題は無いのだろうけど。でもそこは私だって女だ。そういうはしたない真似は出来るだけ控えたい。

 

“はしたない真似”。その単語を頭に思い浮かべた瞬間に又もや数日前の悪夢が蘇る。

 

本当に醜態を晒したと思う。いくら強い酒を飲み続けたとはいえ、酔い潰れるなんて。

昔の私からは考えられないことだった。この外史では指導者や為政者という立場ではないからなのかもしれない。急に増えた仲間、友人達と酒を口実に色々なことを語らいたいと思ったが故の深酒だったのかもしれない。

 

結果として、私は酷い醜態を見せた。赤面ものの醜態だ。

いや、赤面では済まないから私の口から冗談なんてものが出るのだけれど。

 

 

「はあ……」

 

 

溜息を吐いて筆を置く。前言撤回。

イライラが一周回って更に気分が落ち込んでしまった。こんな気分じゃ仕事にならない。

 

そういえば、と思い出す。昔、魏の王だった頃。

仕事に対して気分が乗らない時、私は一刀の部屋に行って気分転換をしていたことがあった。

 

一度目は暇つぶしどころかちょっとした情事になったのだが。その後も何度か訪れては気の済むまで入り浸った。

 

思い返してみれば、既にあの頃から私は一刀に夢中だったと思う。そう考えると、自然と頬が緩んでしまっていた。さて、なら善は急げ。

 

邪魔が入らない内に早く行こう。早く一刀の所に行こう。そうしよう。少しだけ身嗜みを整えてから――ガチャリ、という扉が開く音。

 

 

「やっほー、華琳。今大丈夫かなー?」

 

 

最悪の間(たいみんぐ)で邪魔者が現れた。

手に大量の竹簡を持った楓が暢気にもヒラヒラと手を振ってこちらを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっはっは、北郷君のところに行こうと思ってたんだ? それは申し訳ないことをした気がしなくもないなー」

 

「真実申し訳ないことをしたのよ。まったく……この“たいみんぐ”で新しい仕事を、しかも急ぎのものを持ってくるなんて」

 

 

ぶつぶつと言いながらも、華琳は仕方なく竹簡に筆を走らせる。

楓が持ってきたのは太守である一刀、もしくはそれに次ぐ立場の人間でないと判断が効かないものだった。なら一刀のところに持って行けば良かったじゃない、とは口にしたものの

 

 

「北郷君が部屋にはいなかったんだよー。だから私は華琳のところに来たんだ」

 

 

という楓の一言によって呆気なく論破された。

それにしても部屋にいないのね、一刀。まあ、行き損にならなかっただけでも善しとしておこう。

 

 

「……何よ」

 

 

じろ、と楓に目を向ける。

何故か、楓がこっちを見ながら笑っていた。しかしながら筆を動かす手は止まっていない。

 

相も変わらず優秀な文官ぶりだと思う。とはいえ彼女は一応、軍師職。本人もたまにぼやいているけれど、今のところ軍師の采配が必要な大きい戦は無い。それが多少心苦しいところではあった。もっとも――

 

 

「いやぁ? この間の酔っ払った華琳がまた見たいなーってね」

 

 

――そんな心苦しさは楓自身の不用意な発言で、一瞬にして消え去ったのだが。

 

 

 

改めて、静かに筆を置く。どうやらキョトン顔の楓は未だ自分が不用意な発言をしたことに気付いていないらしい。

 

 

「楓」

 

「うん?」

 

 

私は机に頬杖を付いて楓に笑い掛けた。そして今一番口にしたい一言を投げつける。

 

 

「ぶっ殺すわよ」

 

 

この時、私は自分がどんな表情をしていたか分からないが自分では満面の笑みを浮かべたつもりだった。物騒な言葉とは裏腹に。

 

 

「ひいっ!」

 

 

しかし慄き、息を詰まらせ、そのまま凄い勢いで楓は壁まで後退した。

世にも恐ろしい物を見たかのように震えながら、引き攣った顔で壁に張り付いている。

 

私はこの成果に満足気に頷いて、また筆を取った。こんな茶番を続けていてはいつまで経っても仕事が捗らない。無論、『終わらない』ではなく『捗らない』だ。この程度の仕事、終わらせることなんて造作もない。

 

筆を進めながら、さっきの楓の発言を思い出す。

……思い出したくもない発言だが、気になったので仕方なく思い出す。

 

 

「というか、貴女。焔耶と璃々と一緒に早々に宴から退散したはずじゃない。何で私が酷く酔っていたのを知っているのよ」

 

「……」

 

 

無言。机から顔を上げて楓を見る。

張り付いていた壁から離れ、用意した机で黙々と自分の仕事を進める楓。しかしその表情は固まっていて、体は小刻みに震えていた。

 

なんと言うか、ここまで怖がられると流石に傷付くわね。

 

 

「楓。聞いているの?」

 

「は、はいっ!?」

 

 

裏返った声を上げながら楓は不自然な挙動でこっちを向く。取り敢えず、溜息を吐いた。

 

 

「そこまで怒ってないから怯えるのは止めなさい。それと、私の質問聞いていた?」

 

「あ、ああ、うん。あれでしょ? なんで華琳が酔っ払ってたのを知ってるかーって話」

 

「そうよ。まったく、聞いているなら返事を返しなさいよ」

 

「い、いや、その話題を振ったら、華琳にぶっ殺すって言われたんだけど……」

 

「気のせいじゃない?」

 

「絶対気のせいじゃない! 言った! 絶対言った! 『ぶっ殺すわよ』って!」

 

「ぶっ殺されたいの?」

 

「ごめんなさいっ! ぶっ殺されたくないですっ!」

 

 

楓を弄るのは楽しかった。でもこの辺りで自重しておく。本題に戻ろう。

私は再び机の上の竹簡に目を戻した。もう一度言うが、複雑な案件でもない世間話なら仕事をしながらでも出来るというものだ。

 

 

「それで?」

 

「ああ、うん。私、焔耶ちゃんと璃々ちゃんと一緒に寝てたんだけどね。夜中に喉乾いちゃって、一人で厨房に水を飲みに行ったんだ。そしたら行く手から化物みたいな叫び声が――」

 

「楓?」

 

「――はい、嘘です。ごめんなさい。ええと、行く手から酔っ払いの叫んでる声が聞こえて来てね。最初は耳を疑ったんだけど、廊下の角からそーっと覗いてみたら北郷君とその背中に背負われてる華琳を見つけたんだ。んで、ああさっきの声ってやっぱり華琳の声だったんだーってさ」

 

「なるほどね。まったく、不覚だわ」

 

「いやー、でも華琳もあんなに荒れることあるんだねえ。お酒には強い筈なんじゃなかった?」

 

「いくら強くても自棄になって一気に大量の酒を煽れば酔いもするものよ。まあ、流石にあんな乱れ方をするのは初めてだけど」

 

「へえ。ってことは覚えてるんだ」

 

「ええ。死にたくなるくらいにはね」

 

 

私の台詞を聞いて楓が軽く笑う。

 

 

「それ北郷君に聞かれたら怒られるんじゃない?」

 

「聞かれたけれど苦笑いだったわ。一刀は事情を知っているし、何より私が冗談で言っているのを分かってくれているもの」

 

「あはは。仲睦まじいよねー、華琳と北郷君。でも最近は北郷君の周りにも女の子ないし女性が増えて来てるから、ちょっと思うところがあるって感じかな、華琳は。表面上はそう見えないけど――いや、敢えてそう見せてないだけか」

 

 

何気なく楓が放った一言。心の温度が下がったのを嫌でも感じた。私の表情は一瞬、固まっていただろう。

 

まったく、曲者だ。普段はおちゃらけているくせに突然核心を突いてくる。まあ、軍師として考えるなら政治方面で重用しやすいのだけれど。

 

チラ、と楓を見る。相変わらず普段と同じような笑顔でこちらを見ていた。

 

大人気ないのは分かっている。私だって人間だ。嫉妬もすれば心苦しい時もある。でもそれは私自身が善しとした現状。状況に流されてではなく、自分の意志で下した決断。だからこそ。

 

正直、それをからかい半分で口にされるのは納得がいかなかった。

 

 

「……そう。確かに少し思うところはあるけれど、それは私が下した決断よ。敢えてそう見せないように自分を抑えているのもね」

 

 

納得がいかなかったけれど、実際そこまで目くじらを立てるようなことじゃないのもまた事実。私は取り敢えず自制して見せた。

 

 

「あはは、だからこの間の夜みたいなことがあるってことか。うんうん、華琳も苦労してるんだねえ」

 

「それはそうと、楓」

 

 

思いついたように話を振る。

 

 

「うん?」

 

「貴女は一刀のこと狙ってたりしないのかしら。新参の焔耶、星、桔梗。この三人はともかく、貴女はそこそこ長いでしょう? もし一刀に対して何かしらの行動を起こすならそろそろかと思ったのだけれど」

 

「そんなまさか!!」

 

 

楓は、ありえないとでも言う風に大仰な仕草で手を振って見せた。

 

 

「流石に華琳達と張り合えるほどの度胸は無いって」

 

「ふうん。じゃあ誰か他に好きな相手でもいるの?」

 

「な、なんかグイグイ聞いてくるね、華琳」

 

「貴女がそう仕向けたようなものなんだから少しぐらい付き合いなさいよ。それで?」

 

「え、えー。う~ん……」

 

 

顎に手を当てて考え始める楓。それを見ている私はからかうような表情でそれを愉しむ。けれど表面上はそうでも、心の内は冷えていた。相手の思惑を量るのは何も軍師だけの専売特許ではない。

 

上手く言い表せない、綻びのようなものを楓の言葉から感じ取っていた。だからだろうか。困りながらも真剣に考えている筈の楓のその仕草でさえ、滑稽に見えてしまう。

 

 

「……じゃ、じゃあ内緒にするって約束するなら言うけど」

 

「するわよ。貴女ほど口の軽い女じゃないわよ、私」

 

「あ、酷い! 私は口が軽いんじゃなくて、よく回るってだけだよ」

 

「はいはい。分かったから、ほら。教えなさい」

 

「む~……仕方ないなあ。それじゃ、言うよ?私ね――」

 

 

 

 

 

 

「――李通君が好きなんだ」

 

 

 

 

 

 

楓は少し恥ずかしそうに頬を軽く染めながら小さな声で言った。

 

 

「いやあ、言っちゃったなあ。誰にも話したことなかったんだけどなー」

 

 

身体をクネクネさせて身悶える。如何にも恥ずかしいというような、両頬を手で押さえるという仕草で。

 

 

「バレてないといいなあ。流石に告白する勇気はまだ無いしねー、うん。出来ればこう……もうちょっとゆっくりと親密になってからの方が良いよね。華琳としてはどう思う?」

 

 

純粋に恋する乙女の疑問。こんな風に恋愛相談をされたのは初めてだった。もっとも、前の外史ではそんな立場じゃなかったし、そんな余裕も無かった。紫苑には恋愛相談らしきものをされたが、あれはまた別の枠組みに入るのだろう。

 

 

「そうね……お似合いなんじゃない? 貴女も李通も縁の下の力持ち的な立ち位置で動いてるから案件を共にすることも多いし、色々と共感する部分も多いんじゃないかしら」

 

「え、ホントに!? うわー、なんか恥ずかしいなあ。でも、李通君と付き合いが一番長いのは華琳だもんねえ。その華琳のお墨付きかー、うんうん。これはちょっと嬉しいなあー」

 

 

どうやら“てんしょん”が最高潮に達したらしい。楓はキャーキャー言いながら服に着いている“ふーど”を被る。“ふーど”に着いている猫の耳を模した装飾が、私のことを補佐してくれていた軍師の一人を思い出させた。

 

 

「本当にお似合いだと思うわよ? もっとも――」

 

 

そういえば楓の姓も“荀”だったわね。一刀じゃないけれど、落とし穴よろしく猫の耳を模した装飾のついている“ふーど”付きの服が荀家には伝わっているのかしら――なんてことを適当に考えて

 

 

「――貴女の言葉が本心からのものなら、ね」

 

 

 

唐突に、冷えた心の内で思っていたことを吐き出した。

 

 

「えっ?」

 

 

思いもしなかった言葉と声色だったのだろう。小さい声と共に楓の表情が固まった。

 

 

「李通はそういう感情に敏感なのよ」

 

 

まったくもって脆い。李通のことが好きだと口にした前後辺りから顔に貼り付けられていた虚飾の表情。おそらく、今まで誰にも気付かれなかったのだろう。だからこそ、脆い。そして容易い。この程度の嘘を見抜くのは。

 

 

 

 

 

 

私の嘘は、こんなものじゃなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

「終わったわよ」

 

 

筆を置いて席を立った。

言いながら自分が処理した竹簡を纏める。未だに楓は思考が整っていないようで、椅子に座って停止したままだった。

 

 

「はい、これ。無いと思うけど、万が一にも誤植やおかしなところがあったら今日中に持って来てもらえる?」

 

「え……あ、うん」

 

 

心ここにあらずな楓の前に竹簡を置き、その瞳を正面から見つめる。逸らしはしなかったが、その瞳は私のことを映してはいないようだった。なにか遠くのものを見つめているかのような、揺れ動く瞳。

 

 

ポン、と楓の頭の上に手を置いた。

 

 

「別に嘘を吐くなとは言わないわ。でも、嘘を吐いている自分とそうでない自分の線引きははっきりさせておきなさい。でないと……」

 

 

忘れようにも忘れられない、脳裏に焼き付いた別れが思い出される。

『言葉』の嘘なんかじゃない『心』の嘘。それが引き起こした、悲劇なんかじゃない滑稽な結果。

 

 

「……『自分』が分からなくなるわよ」

 

 

 

それだけ言って手を放す。少し歩いて部屋の戸の前へ。最後に楓のことを一瞥して、私は自室を出た。

 

 

 

 

 

 

華琳が出て行った部屋で一人、私は椅子の背もたれに寄り掛かっていた。

 

私の『嘘』がバレたのは初めて……じゃないけど。それでも、こんなに大きい衝撃になるなんて。うん、驚いた。

 

驚きが大きすぎて泣きそうだった。これじゃまるで小さい子供だ。今年でいくつだ、私。

 

 

「はは……」

 

 

自嘲気味な笑いが零れた。

何度私は『嘘』を吐いて来ただろう。嘘の中に本当を織り交ぜれば、それは効果的な嘘になる。

 

その考え自体は間違っていないんだ。軍師には必要なことでもあるし。

だからと言って『李通君が好きなんだ』はないだろう。自分で笑えてくる。

 

確かに李通君のことは憎からず思っているけど、それは恋とか愛の好きって感情じゃない。どっちかって言うと友情。いや、同僚愛とでも言うべきなのかな。だからさっきのはそれを誇張した『嘘』だった。

 

それにしても華琳は一体何者なんだろう。いやまあ北郷君もなんだけどね。

二人は不思議すぎる。もちろん、何が不思議なのか明確に言葉では言い表せない辺りも不思議なところ。不思議すぎて興味が尽きない。尽きないけどまあいいや、今度聞いてみることにしよう。

 

 

今はそんなことよりも、華琳に言われた言葉がずっと頭の中で回っていた。

 

 

――『自分』が分からなくなるわよ

 

 

寄り掛かっていた椅子の背もたれから身体を放して、机に突っ伏す。

 

華琳の言葉は何故か重みがあった。

彼女の過去なんて全く知らない私にさえ、それが伝わるほどに。

 

華琳も『嘘』を吐いたことがあるんだろうか?

ここで言う『嘘』はただ単に吐く嘘の事じゃない。それだけでひとつの罪になり兼ねない、そんな『嘘』のこと。『言葉』じゃなくて『心』の『嘘』。

 

 

「それにしても、『自分』か。……そんなの今の『私』には分からないよ。それに――」

 

 

思い返す。『私』の始点を。

 

 

「――『私』なんてもう、どこにもいないのかもしれないしね」

 

 

『私』の始点。それは過去。半分無意識に耳の古傷をなぞる。

今自分が口に出した言葉ですら、『私』には酷く空虚な物に感じられた。

 

 

 

 

 

 

「……よくもまあ、説教なんて真似が出来たものね。何様のつもりなのかしら、私は」

 

 

部屋を後にし、行先も決めずただ歩きながら一人呟いた。

権利もなければ資格もない。だけど、もし楓がかつての私と同じように自分ですら気付けない『嘘』を吐いているならば、それは絶対に良いことには繋がらない。その先に待っているのは悲劇かもしれない。自分と同じような。

 

でもあの表情から察するに彼女自身、自覚はしているのかもしれない。

それなら大丈夫かもしれない。私と一刀のようなことにはならないだろう。

 

そんな希望的観測を以て、心に憂いを残しながら歩を進めて、気付けば私は城の入口付近まで来ていた。堪えきれずに溜息を吐く。

 

 

「はぁ、私は夢遊病者か何かなの? なんで用も無いのにこんなところに――」

 

 

――来たのかしら、と続けようとして止める。独り言を呟きながら視線を城の外へ向けた私の眼に、見知らぬ女性の姿が映った。その女性は私に気付くと、微笑みながら会釈をする。

 

どうやら、また悪い虫が来たようだ。

女性を惹きつけるという本人さえも制御できない一刀の悪癖を思いつつ、表向きは優雅に会釈を返しながらも、裏ではモヤモヤした心の内を必死で抑えている私だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんでこんなことになったんだろうな」

 

「何故このようなことになったのかは、一刀様が一番お分かりかと」

 

「はっはっは、主よ。美人二人に取り合われるとは男の本望ではないですか」

 

 

日々、北郷軍の将が交代で部隊を調練するために使用されている練兵場。

街に隣接して位置するこの場所はあくまで急ごしらえのものだった。故に殆んどただの更地である。

 

 

そこそこの広さは確保したので現状問題は無いが、今後兵力を増やすとなると少し手狭。しかしもう一度言うがこの練兵場。そこそこの広さがある。

 

そう、人間五人が微妙に離れた場所にいるという状況下で、ポツンという効果音が入るくらいには。

 

 

五人。即ち紫苑と桔梗、李通と星、そして俺。

 

 

冷静な状況指摘を述べる李通と、ただ状況を愉しんでいる星。

そして色々と複雑な、形容しがたい表情を浮かべているであろう俺、北郷一刀の三人は紫苑と桔梗を少し離れた位置で眺めていた。正確言うなら、紫苑と桔梗が今まさに行っている勝負を眺めている、と言うべきだろうが。

 

 

「確かに事の発端は俺だけどさ、流石にこうなるって誰が予測……」

 

「申し訳ございません。私は予測できていました」

 

「ふむ、僭越ながら私も予測できておりましたぞ?」

 

「……そ、そう」

 

 

流石に、当たり前という表情で返されてはぐうの音も出ない。潔く引き下がった。

 

 

「なにせ弓が得意な二人に『紫苑と桔梗って弓の腕前はどっちが上なんだ?』聞いたのですからな。当たり前にこうなるでしょう。李通殿、私はこれだけ」

 

「趙雲殿の言う通りかと。そうですか……なら私はこちらにこれだけ」

 

「いや確かに俺も言ってから、しまった!と思ったけどさ。というか何やってんの、君らは」

 

「「どちらが勝つかの賭けを少々」」

 

「なにこの状況楽しんでんだよ!!」

 

 

当たり前のことを言っているかのような顔で揃って答えた李通と星。

ちなみに星は桔梗が勝つ方に賭け、李通は紫苑が勝つ方に賭けていた。レートと賭けた物については内緒である。

 

 

「ったく、んじゃ俺は引き分けにこれだけ」

 

「ほう。主は引き分けになると?」

 

「なんとなくだよ。明確な理由があるわけじゃない」

 

「しかし、なるほど。引き分けという線も無くはないですね」

 

 

李通が熟考し始めるが時既に遅く、俺が参加して第三の道を示した時点で賭けは締め切られていた。まあ、李通は一度決めたことを覆すようなやつでもないけどな。

 

 

時折、少し離れた場所。練兵場の壁際からは鋭い風切り音と衝撃音が聞こえてくる。

言うまでもなく、紫苑と桔梗が放った矢の音だ。間髪入れずに鳴る風切り音のせいで内容は聞こえないものの、会話しながら射ているのが見て取れる。

 

当初、紫苑はともかく桔梗の弓術はどれほどのものだろう、とか思っていた。

こう、得物的に。パイ〇バンカーだし。しかしどうやら問題は無かったらしい。勝負は拮抗しているようだった。

 

そもそも実力に差があるなら、どちらもが自信満々に意気揚々と勝負には赴かないだろうけど。

 

 

 

 

 

 

「ふむ、中々外さんな」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

「当たり前でしょう? 賭けているものが賭けているものだもの」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

「ふっ、確かに」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

「でも少し驚いたわ、桔梗。あなたの方から言い出してくるなんて」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

「なに、そうおかしな話でもあるまい。それに儂を疼かせたのは紫苑、お主の手紙だぞ?」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

「それについては失敗だったと思っているところよ」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

 

互いに一歩も引かない勝負。寸分違わず、的の中心に矢が刺さる。

会話中ではあるものの、その眼は互いを見ずに真っ直ぐ的に向けられていた。

 

紫苑と桔梗。弓術が得意などというレベルにあらず、達人と呼べるほどにまでその技を昇華させた二人。基本的に戦場で敵を射抜くために磨かれたその技は今、それとは何の関係もない勝負ごとに使われていた。しかも恐ろしいことにこの二人、戦場で弓を弾く時よりも若干だが真面目に集中している節があった。

 

それもそのはず。

 

 

「まさか桔梗の方から夜討ち朝駆けの提案をしてくるなんてね」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

「ふっ。儂が言わずとも、いずれお主の方から提案してきただろうに」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

「どうかしら。私はいつでも一刀さんを独占したいと思っている女よ?」

 

 

ヒュッ! ドスッ!

 

 

そう。この二人が賭けているものは即ち『夜討ち朝駆け』。

『夜討ち朝駆け』が何のことを指すかは、まあお分かりいただけるだろう。

 

この戦いは、どちらが夜討ちでどちらが朝駆けかを決める為の真剣勝負だった。

今の時間帯は昼食時。これから訪れるのはもちろん夜。その後、夜が明け朝になる。

 

つまり“弓術の腕前はどっちが上?”という一刀の疑問に乗っかって、断固夜討ち!と紫苑が我が儘を言った結果こうなっているだけなのだ。

 

しかし、それならばと言って制止したのが他ならぬ桔梗。

初閨は早い方が良いだろう、というある意味欲望ダダ漏れな発言を返して紫苑を驚かせたのだった。

 

ちなみに、最初に事の発端となった“弓術の腕前はどっちが上?”発言をした一刀は、紫苑と桔梗の間でこんな会話が行われていることを知らない。というか既に紫苑と桔梗の間で“弓術の腕前はどっちが上?”なんてことはどうでもよくなっていた。

 

つまりこれは、武将としての腕前云々を純粋な欲望が凌駕したという、まったくもって恐ろしい話だった。

 

 

 

 

 

 

ヒュッ! ドスッ!

ヒュッ! ドスッ!

 

 

そんな音を連続で聞きながら俺、李通、星の三人は適当な世間話を続けていた。

まったくいつになったら終わるのだろうこの勝負、と微妙に辟易しながらも律儀に的がハリネズミのようになっていくのを見続ける。

 

 

「おや。お帰りなさいませ、お二方」

 

 

李通の涼やかな声に練兵場の入口を見やる。もちろんその気配には気付いていたが、声を掛けるのが最も早かったのは李通だった。

 

 

「ただいまー!」

 

「た、ただいま」

 

 

元気いっぱいな璃々とは対称的に、戸惑いながらの返事を返したのは魏延。どうやら李通の柔らかで丁寧な対応に少し驚いたらしかった。

 

 

「よいしょ……っと」

 

 

魏延は俺達の傍まで来るとその場にしゃがみ込み、肩車していた璃々を下ろす。

 

 

「一刀お兄ちゃんただいまっ!」

 

「お帰り、璃々」

 

 

途端に駆け寄ってきた璃々の身体をやんわりと受け止める。

外から帰って来て、帰還の挨拶と同時に突撃。璃々のいつもの行動だった。

 

 

「今日はどこに行ってたんだっけ」

 

「えっとね、東の方にある森に行ってたの」

 

「ああ、俺と璃々が初めて会った辺りか。てことは薬草探し?」

 

「うん。それと焔耶お姉ちゃんは……あれ? なんだったっけ」

 

「他州から賊が侵入した形跡が無いかの確認。つまり偵察だ」

 

 

 

璃々の疑問に答えると同時に、それは俺に対しての報告にもなった。

 

 

「ありがとう、魏延。手間だったか?」

 

「……いや、別に」

 

「あはは」

 

 

まだ俺のことを太守と、仕えるべき主と認めたわけじゃない魏延。

しかしごく個人としてある程度は認めてくれているらしい。だからこそ、微妙にやり辛い表情での返答だった。まあ元々、それを善しとしているのは俺だしな。

 

色々な意味を込めて軽く笑った。さらに魏延の表情が微妙なものへと変わる。

 

ちなみに魏延は華琳のことになると一切そういう立場的なことを忘れる。軽い暴言なんて当たり前。下手をすると手が……いや、武器が出る時もあるくらいだ。とはいえその度に、華琳にはお仕置きをされ、桔梗には拳骨を食らっていたりする。それでもめげない姿勢は尊敬に値すると思うのだが、もちろん真似をする気は無い。

 

 

「あ、そうだ。お館、警備の連中から報告だ」

 

 

桔梗と同じような呼び方。未だに慣れない“お館様”、“お館”という呼称。

某戦国ゲームよろしく『武田信玄か!』とツッコんではみたものの、残念ながらその意味は華琳でさえ理解出来ないようだった。もちろん、当たり前と言えば当たり前。

 

ともかく、警備の連中からの報告と聞いて一瞬固まりかけた緊張を、魏延の様子を見て解いた。

 

 

「魏延のその様子なら、敵襲とかじゃあなさそうだな」

 

「ああ。北の監視に当っている連中からの報告で、どうやら北西から軍勢が接近してるらしいぞ。多分、どこかの正規軍だと思う」

 

「北西から正規軍……官軍か?」

 

 

大陸の地図を頭に思い浮かべ、直感したことを口に出す。

とはいえ当てずっぽうではなく、独自の情報網から流れて来た話を踏まえての発言だった。

 

 

「可能性は高いかと。ここ魏興は北に雍州、北西には司州が位置していますから。それに、最近になってやっと官軍が黄巾党の討伐に向けて動き出したという情報もあります。魏延殿、旗に関する報告は受けていませんか?」

 

「いや、旗は上げていなかったみたいだ。でも黄色い布は巻いてなかったらしいし、行軍も整然としているっていう報告をされた」

 

「う~ん……こういうことは華琳の助言を求めた方が早いか。李通、念の為にいつでも兵を動かせるように手配を。それと――」

 

「――お嬢様を御見掛けしましたら伝えておきます」

 

「はは。うん、頼んだ」

 

「かしこまりました」

 

 

相も変らぬ優雅さと丁寧さを兼ね備えた李通の礼。

着ている服の色や意匠も相まって、本物の執事のようだった。イケメンの。

 

 

「璃々も行くー」

 

「構いませんよ、璃々ちゃん。私が肩車をしましょう」

 

「わーい!」

 

 

悦び勇んで璃々は李通の背中に飛び乗った。

そのまま足を肩に掛け、それを李通が押さえて支える。

 

 

「官軍相手に警戒を?」

 

 

指示された命を遂行する為に練兵場を後にする李通。そしてその李通に肩車をされた璃々。二人の後ろ姿を眺めていると、星に素朴な疑問を以て尋ねられる。

 

 

「まあね。官軍っていっても一筋縄じゃいかないだろ。もし横暴な大将だったらお帰り願うさ」

 

「ほう? 成程、我が主は中々に過激だな」

 

 

どうやら俺の考えは星にとって少し予想外だったらしい。

意外そうな声を上げ、それを愉しむようにクツクツと笑いはじめた。

 

それを見て肩を竦める。

 

 

「嫌いか?」

 

「いえ。そうなれば望むところ。この趙子龍、筋を弁えぬ輩はこの槍で躾ましょう」

 

「躾……えへへへ」

 

 

星が折角カッコいい台詞を決めたというのに台無しだった。

『躾』という単語に反応した魏延が何かを思い出し、宙を見ながらだらしない笑みを浮かべていた。

 

 

「何に反応してんだか」

 

「華琳の躾か……ふむ、どうにも私は『そういう方面』の楽しみが分からないようだ」

 

「いいよ、一生分からなくても。ああでも、ある意味で華琳の『あれ』は毒牙だからなあ。一応、気を付けた方が良いぞ」

 

「毒牙と言う意味では主も負けてはいないと思いますが? 既に華琳、紫苑、桔梗の三人から熱烈に愛されているのですから」

 

「ぬあ……華琳と紫苑はともかくとして、まさか桔梗もなのか?」

 

 

内容が内容だけに、自然と小声になる。妄想か記憶かは分からないが、取り敢えずどこかへトリップしている魏延は置いといて、秘密の話をするように星に顔を近付けた。

 

 

「おや、まさか自覚していないとは驚きましたな。これは華琳や紫苑が主のことを鈍感や朴念仁と評するのも無理はない」

 

「ぐ。その辺は確かに自分でも困ってるよ。自覚もしてる。でも勘違い野郎よりかはマシじゃないか?」

 

「それは確かに。私も、男にそういう目的の元で声を掛けられたことは数十度くらいありますが、その殆んどが有象無象でしたな」

 

「はは、星も美人だからな。そりゃたくさん言い寄られただろうよ」

 

「――」

 

 

不意に以前、華琳が同じようなことを言っていたのを思い出した。

有象無象と称される男性諸氏はどんな気持ちなのだろうか。取り敢えず思うのは、自分がその有象無象でなくて本当に良かったということだった。

 

 

「まったく、本当に自覚しているのか疑わしいな、これは」

 

「へ?」

 

「なんでもありませぬよ、主」

 

 

再びクツクツと笑う星。しかし先ほどとは少しだけ違う種類の笑いに感じた。

 

 

「随分と楽しそうにしてるわね。羨ましい限りだわ」

 

「華琳か」

「華琳様!」

 

 

ほぼ同時に反応する俺と魏延。

華琳の声は魏延を妄想の彼方から引きずり戻すのに最適なようだった。

 

声のした方――つまりは練兵場の入口。声に反応し、そちらを見た俺と魏延、そして星。

 

そこには黒く艶やかな髪を相変わらずツインドリルにした華琳ともう一人。見慣れない女性が立っていた。

 

見慣れぬ女性の髪色は黒。しかし、失礼かもしれないが華琳と比べるとやや劣る。

なにせ今の華琳の黒髪は、前の外史の関羽に勝るとも劣らないほどの艶やかさなのだ。

 

入り口から華琳と連れ立って歩いてくる女性。

不躾で失礼だとは分かっているが、その間に観察をさせてもらう。

 

容姿は目鼻立ちの整った美人。理知的な雰囲気が漂っている。

若く見えるが多分、紫苑や桔梗よりも一回りくらい上かもしれない。だが若作りをしている様子が見受けられない辺り純粋にこれは彼女の美貌なのだろう。身長は紫苑と同じくらい。更に同じく、紫苑のような改造チャイナ服(俺命名)を着用。また少し意匠が違うが、基本的には一緒だった。ちなみに色彩は薄く綺麗な緑色。流行ってるのだろうか、ああいう改造チャイナ服。

 

胸部は見た瞬間に目を逸らした。じろじろ見るのは不躾を通り越して無礼だし、何よりじっと見ていて良いことなんてひとつもない。目の保養にはなるのかもしれないが、俺の命が危なかった。ついでに言及しておくと、胸の大きさは平均的だった。しかし華琳よりは大きいと思われる。

 

あ、華琳に睨まれた。本当にこういう話になると華琳はエスパーじゃないかってくらいに鋭いから困る。

 

 

「一刀、お客様よ」

 

 

普段通りの、どちらかといえば事務的な華琳の声。

観察(随分と主観の入り混じった)をしているうちに華琳と女性は目の前まで来ていた。

 

 

ん、と返事をして女性を真っ向から見据える。

すると穏やかで柔らかい笑顔を向けられた。釣られて小さく笑い掛ける。

 

 

 

「お初にお目に掛かります。魏興郡太守、北郷一刀殿。私は――」

 

 

 

鐘のように良く響く声。

 

 

 

「――盧植、と申します」

 

 

 

女性は笑顔のまま頭を下げ、名を名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【お知らせ】

 

年末ということもあってちょっと忙しくなりそうです。と言うよりも既に忙しい(笑)

なので更新が滞ってしまうかもしれません。読者様方には申し訳ありませんが、何卒ご理解のほどをよろしくお願いします。……ああ、出来れば年内に白蓮を書いてあげたいなあ(切実)

 

 

 

 

 


 
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