真恋姫無双 幻夢伝 第三章 7話 『寿春攻防戦』
アキラと袁術との争いは一方的な展開に終始していた。
汝南兵を中心として士気が高く、アキラや華雄、凪たちなど優秀な指揮官が揃った李靖軍。一方で黄巾族の残党を手当たり次第に吸収し、民からの評判が悪かった袁術軍。当初は袁術軍の方が圧倒的に数は多かったが李靖軍に各地で粉砕され続け、今やその数も逆転してしまった。
アキラ・華琳・雪蓮の会合から一か月後、アキラたちは汝南周辺の汝陰・安豊を陥落させる。その二か月後には袁術勢力の下半身に当たる盧江も陥落させた。孫策軍に裏切られ、水軍の支援を立たれた彼らは降伏するしかなかった。さらには丹陽も、今度は孫策の手に落ちた。揚州全土を失った袁術の勢力圏はもはや淮南、それも寿春付近しか残されてはいなかった。風前の灯である。
そんな時であった。最後の仕上げとなる寿春攻撃まで2週間を切り、合肥に陣を構えていたアキラの元に一報が届いた。彼は机に向かって資料を読みながら、袁術旧領の支配体制の見直しを進めている所だった。
「袁術に使者?」
「はっ!密偵によりますと、寿春郊外で袁術配下の韓胤と何者かが会っていたと」
「誰だ?」
「一人が探りを入れましたが戻って来ていません」
「やられたか」
彼は資料を置き、腕組みをして考えた。報告をしてきた凪は直立不動でその様子を見つめていた。
「そうは言っても、総攻撃まで後少しだ。今更考えてもしょうがない、か。報告ご苦労!戻っていいぞ」
「はい!」
一礼して本陣のテントを出ようとする凪。しかし「そういえば」とアキラに話しかけられて振り返った。先ほどの真剣な表情とは打って変わって、アキラはにやにやと笑っていた。
「“病気”は良くなったのか?」
「えっ!びょ、病気とおっしゃいますと」
「上の空で過ごしていたり、ぶつぶつ呟いていたって真桜が言っていたぞ。俺と会った時も急に気を失っただろう」
「も、もう三月も前のことじゃないですか!」
赤面する凪。アキラは彼女にサッと寄ると、肩を優しく抱いて耳元で囁いた。
「今晩、来ないか?」
「~~~~!!!し、失礼します!!」
肩に乗ったアキラの手を振りほどいて、凪は一目散に走り去っていった。イタズラが成功したアキラはニコニコしながら、その後ろ姿に手を振った。
そこへ華雄が凪の逃げた様子を見ながら、テントに入ってきた。
「イタズラが過ぎるぞ。特に凪は初心なのだから」
「分かっているって。でもそれが面白いのだけどな」
華雄は大きくため息をついた。真桜も沙和も凪をいじる方である以上、フォローするのは彼女の仕事だ。また自分の負担が増えたことに対する苦労のため息だった。
華雄は苦々しい表情を張りつかせた顔をアキラに向けると、話題を変えた。
「それで、袁術の方はどうするんだ」
「作戦は変更しない。このまま一気に寿春を攻め落とす」
天気は晴れ。気温も徐々に高くなり、遠くに見える山腹から徐々に白い雪が消えていく。道端に生える梅が満開に咲く時期を迎えていた。
その梅の花を馬上で見ていたアキラは、今度は寿春城へと目を向けた。ここは寿春の郊外。総勢1万を数える李靖軍が陣を構えていた。袁術軍からの降兵も多かったが、その大半は汝南と同じように農民から募った志願兵だった。士気は高い。
敵が籠る寿春の歴史は古い。古の時代から交通の要所として栄えてきた寿春は楚末期の首都にもなったことがあり、幾度となく歴史の本流に関わってきた土地だった。
寿春の注目すべき特徴はそこに流れる川の数だ。細い川が縦横無尽に流れて上流から栄養が豊富な土を運んできて、この地域の農業を支えた。その一方で洪水ももたらす。それに耐えるためにこの地域の為政者は城壁を高く高くと建築してきた。その結果、ぬかるむ大地と空にそびえる巨壁に守られた寿春は、誰も寄せ付けぬ難攻不落の城と化した。
勿論アキラにもそれは分かっている。しかしここを落とさなければ袁術に勝ったとは言えない。彼は意を決して指揮棒を城へと向けた。
「全軍!行動開始!」
李靖軍は前進を始めた。幸いにもまだ冬の寒さが残るこの季節、空気は乾燥していて土地も湿っていない。各軍は陣形を保ちながら、水の張っていない田を進んでいく。その先頭を切ってアキラも進んでいった。
ビュッとアキラの顔の横を矢がかすめた。まだまだ距離があるのにもう撃ってきている。一斉に弓矢を撃てないことから見ると、敵は統制が取れていないのか。アキラは内心微笑んだ。
「隊長、こんなに前に出られては危ないです!」
「構うな!自分に飛んでくる矢に集中しろ!」
徐々に城壁が近づいてきた。目の前で見ると、他の城と比較しても桁違いに高い。段々と放たれる矢の数が増えたことを受けて、アキラは剣で矢を弾きながら指示を出す。
「盾を構えろ!李典に伝令!井闌を早く出せと伝えろ!」
そう言うと、アキラは持っていた弓で一矢放つ。城壁から一人落ちるのが見えた。李靖軍は一斉に持っていた盾を上に構えつつ、密集陣形を組んだ。その陣形そのものを大きな盾としながら城内に矢を打ち込む兵もいたが、大抵その前に勢いを失った。普通は届かないものだ。
しばらくすると大きな地鳴りと共に滑車が付いた櫓が5機現れた。井闌である。大勢の兵士に引かれた櫓の上には、弓兵が備え付けの盾に守られながら城壁の兵に狙いを定めていた。井闌自体は城壁の高さに届かないものの城壁の上に潜む敵兵が良く見える。これで互角に戦える。
「しっかり狙いや!放て!」
井闌の上にいた真桜の号令に合わせて矢を放つ。城壁と井闌の間で激しい矢合戦が始まった。兵士の練度は李靖軍の方が上。城壁の兵の方が多く倒れていった。
しかし井闌にも限界がある。袁術軍は矢を放ちつつ、井闌に向かって火炎瓶を投げ込んだ。不運にも一つの井闌に直撃した。火にまかれた井闌の兵士は叫び声を上げながら地面へと落下していった。
「丸太はまだか?!早く!」
井闌が戦っている間にアキラが催促した丸太が到着した。その長さは20m近くある。先端は荒く削られており、尖った形をしている。
「城門を破れ!」
数十人の兵士が丸太を担ぐと、正面の城門へと駆け出す。途中で何人もの兵士が矢で撃ち殺されるも、丸太を城門へ勢い良く投げ出すことが出来た。
ドンッと音を立てる城門。しかしビクともしない。少し門の表面が傷ついたぐらいだった。
丸太を置いて引こうとする兵士の背中に矢が突き刺さる。無事に戻ってきたのは半数に満たなかった。
「怖がるな!次の丸太を持ってこい!」
「于禁様より伝令!『田畑のくぼみに遮られ運送困難。時間かかる』とのことです」
アキラは大きく舌打ちした。このままでは的になるだけだし、井闌も燃やされる一方だ。アキラは脳裏で撤退も考え始めた。
その時だった。突然、城内から鬨の声が上がる。その声は城外のアキラの耳にもしっかり届いた。
アキラの中ではその事態の正体に予想はついていたが、確信が持てない。ひとまず部下に指示を出す。
「油断するな!弓兵、攻撃の手を緩めるなよ!」
少し手を休めていた李靖軍が再び攻撃を加える。一方で袁術軍は明らかに動揺しているのが見え、先ほどまで無数に放っていた矢も飛んでこなくなっていた。
それからしばらく交戦の音が聞こえた後、あれほど頑丈であった城門が内側から開き始めた。そして一人が飛び出してくると、門の前で白い旗を大きく振った。
「遅いぞ!待ちくたびれた!」
アキラは文句を言いながらも、歯を見せて笑った。そして剣を大きく掲げ、突撃を指示した。
裏切ったのは寿春の住民たちであった。彼らは袁術の華美な生活を支えるために納めてきた税の負担に苦しんできた。さらには袁術の配下となった黄巾族の残党に良いようにされて段々と悪くなる治安に困り果てていた。
そこにアキラは目を付けた。アキラはお得意の商人を通じて、彼らの代表者に接触してきた。それは一年も前、アキラが再独立する前からであった。その着々と進められてきた工作が実った瞬間だった。
アキラ達はまだ辛うじて抵抗してくる袁術軍を蹴散らし、城門を駆け抜けた。城壁の上からも兵士が逃げているのが分かる。
「全軍!一気に袁術の所まで進行せよ!奴を捕まえろ!」
この時代の城は外城ともう一つの城壁で区分された内城の二重構造になっていることが多い。城主を中心とした支配階層と庶民を分けるためでもあり、万が一住民が反乱を起こした際に備えるためでもあった。
周辺の袁術軍の始末は後方から来る味方や反乱軍に任せ、アキラは袁術が住む内城へと攻め上った。
城門から真っ直ぐ伸びる街道を駆け抜ける。その途中で抵抗してくる敵は少ない。抵抗してきたとしても、アキラ達に簡単に蹴散らされてしまう。
長い道を突き進んでいくと、ついに袁術の内城へ続く門が見えた。まだ兵を回収しようとしているのか、半開きになった状態だった。アキラ達の姿を見て兵士が急いで閉めようとしているのが見える。
「この好機を見逃すな!突撃!」
アキラ達は門番たちをなで斬りにする。そして開いたままの門の中へと入って行った。
急に、門の中に入った彼は肌で何かを感じた。違和感に近い。ぞわぞわと鳥肌が立つ。
(なんだ…?)
頭の中で黄色信号が灯る。反射的に、まだ駆け込んでくる兵士たちに向かって命令した。
「門を閉めるな!周囲を警戒しろ!」
アキラの不可解な命令にも兵士たちはしっかり対応した。その結果、門を中心に陣形を組む形になった。半数が門内に入り、もう半数が門外で備えた。
アキラは自分が感じた違和感に気が付いた。
(静かだ)
落城寸前であるはずだ。恐怖して走り回る文官や女官もいていいはずだ。それなのに門内には人の姿は無く、物音も聞こえない。遠くで戦っている音が聞こえるだけだ。
彼らが警戒を強めていると、その静寂を切り裂くように笑い声が響いた。
「さすがは李靖。見破ったか」
声が聞こえた方角を見ると、目の前の屋敷の上に白い服を着た女が現れた。それと同時に屋根や城壁など高台から大勢の兵士が現れた。
「李靖隊長!後方からも争う音が聞こえます!」
「囲まれたか」
焦ることなく状況を確認したアキラは部下に盾を構えさせながら、白い服の女をじっと見る。その女に見覚えがあった。
「趙雲子龍だったかな」
「おや?どこかでお会いしたかな?」
「客の顔と名前を覚えるのは商売の基本でね」
不敵にも星に笑顔を見せるアキラ。しかし彼の首筋に嫌な汗が流れだしていた。
「李靖殿。この状況は理解できるだろう。貴公の後方の部隊にも我々の伏兵が襲い掛かっている」
「それがどうした」
「今だったらまだ間に合う。降伏せよ」
「ふん。相変わらず冗談が好きと見えるな」
アキラは降伏勧告を一蹴した。その回答に星は心底残念といった表情になる。
「そうか…それではしょうがない。我が主の命により貴公を討ち取る!いざ!」
星は兵士から旗を受け取ると、大きくその旗を振った。赤い旗には『劉』の文字が大きく刻まれていた。
左右から鬨の声が上がり、アキラ達に一斉に襲い掛かってきた。
「関雲長!お相手いたす!」
「張益徳だ!勝負なのだ!」
高台から矢も飛んでくる。左右の伏兵に動揺した兵士は次々とその矢に倒されていった。
形勢は明白に不利だ。アキラはすぐに退却を命ずる。
「引け!血路を開け!」
アキラは自らがその部隊の殿となりながら、各軍へ撤退命令を下した。
「各軍に通達!合肥まで撤退せよ!」
下から繰り出される槍を馬上で跳ね飛ばしながら、巧みに馬を操って下がっていく。そして退却路を確保したことを受けて一気に逃げ始めた。道端に味方の兵士の死体が転がっているのが見える。
外城の正門が見えてきた。そこではアキラの帰りを待っていた華雄が必死に耐えていた。
「アキラ!」
「華雄か!殿を頼む!」
そう華雄に頼むと、返事も待たないままその脇を駆け抜ける。華雄もまるで打ち合わせたかのようにアキラの手勢を逃がし、その後ろを追いすがる敵に一撃を加えようと突撃した。
日はまだ高い。しかし数刻前とは打って変わった李靖軍が逃げていく。逃げるアキラの左手に前に眺めた梅の木が見えた。ちょうど風に吹かれたのか、花びらがはらはらと散っているのが見えた。
(負けたな)
寿春攻防戦。伏兵による奇襲が成功し、劉備・袁術軍が勝利を収める結果となった。それはアキラにとって再独立後初めての敗北であった。
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アキラと袁術の決戦です。この章もこれを除いて後2話です。