真恋姫無双 幻夢伝 第三章 6話 『酒杯の誓い』
地平線の向こうに真っ赤な火が消え、黒が赤に勝ち始めた空。光り始めた星々と同じように店の中でも明かりが灯り始めるのが見える。道を歩く人々の数は減ることが無く、騒がしい店の中を入っては出ていく。野犬はうろつく隙間を見つけられず、ただ路地の隙間でじっとしているのみ。時折、北から汝南に吹き込む風が野犬の毛を撫でた。
道行く人々が秋口の夜風に身を縮めて、纏うマントをしっかりつかんでいる。そんな中で場違いなほど露出の多い服装の三人が堂々と道の真ん中を歩いていた。その一人が周りを見渡しながら感想を漏らした。
「これはすごい」
長身の彼女は眼鏡の位置を直しながら、道行く人や開いている店の多さに驚いていた。日も暮れたというのに、荷物を載せた牛車とそれを引く商人が彼女の横を通り過ぎていく。彼女たちの本拠ではこんな時間に開いている店は賭博場ぐらいだろう。この町の治安の良さを肌身で感じた。
「私たちが滅ぼした時とは大違いね、冥琳」
「雪蓮!声が大きい!」
冥琳にたしなめられても馬耳東風というようにケラケラと笑う雪蓮は、町行く人々の表情に喜びを感じた。皆、生気に満ち溢れている。この町は強い。
「姉上、私は従軍していなかったのですが、その…」
「あの時はね、蓮華、ここ一帯は焼け野原になったものよ。城壁は完全に壊して、家は燃やし、田畑もぐちゃぐちゃに踏みにじるように命じられたわ。墓も掘り起こしたわね」
「確か李靖が独立する前まではこの町の再建は許されなかったはず」
「そこまで…」
蓮華は言葉を失くした。そこまでこの汝南は朝廷の恨みを買ったというのか。まして正義感の強い姉たちがそれを行ったとは到底考えられなかった。
その虐殺が起きたのは母が亡くなってすぐだったと聞いている。幼い私やシャオ、そして少数の母の旧臣を抱えていた二人は、吹けば飛んでしまうぐらいの勢力しか持っていなかった。袁家の掌の上で踊るしかなかったと程普などは悔しそうに言っていたことを思い出す。それでも姉たちがそんなことをしたとは信じられない。
町の様子を物色しながら歩く雪蓮と冥琳の後ろで彼女は一人考える。その当時の姉たちは今の自分よりも若い。もし私が今、命じられたとしたらどうする?肉親を人質に取られた状態でもそれを出来るのか?答えの出ない問題を心に抱えた蓮華はただ、目の前にいる二人の辛い経験を思い、それを耐え抜いた凄味を実感するしかなかった。
「ここ、ね」
蓮華が我に返ると、いつの間にか目的の店の前に来ていた。並列している他の店と同じように古ぼけた外装に扉が大きく開かれた店の中からは、蝋燭の明るい光と香ばしい匂いがあふれていた。
とてもこの町の君主がいるとは蓮華には思えなかった。しかし雪蓮は躊躇いなく店に足を向ける。
「さて、入るわよ」
「姉上、お待ち下さい!怪しすぎます!」
蓮華が雪蓮の前に立ちふさがり、腕を広げて行く先を妨げた。ここまでしないと姉はさっさと行ってしまうことを彼女は知っている。そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、雪蓮はあからさまに不満顔を見せた。
「え~!ちょっと怪しくたっていいじゃない。お腹も減っちゃったし」
「しかし、同盟のための会談の場所がこんな所とは考えられません。これは罠です!」
「でも蓮華もお腹減ったでしょ?」
「減っていま…!」
その時突然、「ぐう」と大きな音が鳴った。
「あら誰の音?」
「………」
雪蓮はその音がどこから鳴ったか分からなかった。しかしよくよく観察すると、蓮華の顔がだんだんと赤くなっていたことに気が付いた。首筋まで赤くなっていた。
思わず忍び笑いを漏らす雪蓮に代わって、冥琳が蓮華を説得する。
「蓮華様、それは拙速なお考えでしょう。彼らが私たちを害す理由はありません。むしろ袁術への対抗手段として私たちを使いたいはず」
「しかし…」
蓮華が反論をしようとした時、雪蓮と冥琳の視線が自分の後方に向いたことに気が付いた。振り向くとそこには、自分達とは対照的に重厚な服装をした四人がこちらへと歩いてきていた。
「あら?」
「意外なところで会うものね、華琳」
華琳と雪蓮は互いの顔を確認すると、まるでいつも会っている友人のように自然に挨拶を交わした。この状況に対して全く動じていなかった。
しかし周りの者は別だ。特にまだ雪蓮たちを袁術の一派と認識している華琳の配下たちの動揺は激しかった。
「華琳さま!お下がりを!」
「桂花と共に私たちの後ろへ」
「袁術軍!なぜ!」
春蘭は早々に武器を抜き、秋蘭は華琳を自分たちの背中に隠した。桂花は驚愕の表情を隠さなかった。
一方で、蓮華と冥琳も困惑すると同時に警戒を強めた。
「姉さま!やはり罠です!」
「なぜ曹操軍が…」
一気に緊迫する空気。両者は店の扉から零れる光の筋を挟んで睨み合った。彼らから発せられる緊張感を感じ取ったのか、通行人も姿を消していた。
3人と4人が対峙する店先に、一人の少女が店の中から現れた。可愛らしいそばかすが付いた眼鏡の少女だった。
「ようこそ!ヤキトリ汝南店へ!ささ、こちらなの」
このピリピリした空気を吹き飛ばすように彼女は店へと呼びこんだ。
「大丈夫。彼女らは敵ではないわ。とにかく入りましょう」
華琳は春蘭たちを宥めながら、さっさと店の中へと入って行った。春蘭たちも雪蓮たちを睨みながらだが、その後を追って行った。
「入りましょう。話はそれからね」
雪蓮も二人を連れて店へと入っていく。三人は明かりが灯る扉の向こうへと消えていった。店の少女はその二組を笑顔で迎えると、入り口の扉に札をかけて、閉めた。
風に揺れるその札には『貸切』と書かれていた。
「久しぶりね。アキラ」
「ご無沙汰でございました、なんてな。もう商人言葉じゃなくて良いか。あいつらも元気か?」
「薄情ね。季衣と流琉はちゃんと私の手元に置いているわ。親衛隊として良く働いているわよ」
「真名も預かったようで、なによりだ」
カウンターに座った華琳と厨房に立つ料理人姿のアキラがさっそく談笑しているところへ雪蓮が割り込んできた。ニンマリと笑みを浮かべている。
「なになに~?二人はもうそんな知り合いなの?」
「ま、深い仲だな」
その言葉に春蘭と桂花ががたっと椅子を跳ね除けて感情を露わにしたが、秋蘭が二人の肩を掴んで宥めた。そうして怒りを込めてアキラを睨みつけながら坐った春蘭たちや、一方で姉の絡み癖を心配する蓮華たちはじっとその様子を見守っていた。
そんな視線を受けながら、先ほどのアキラの言葉に「わお!」とおどけて見せる雪蓮に対して華琳が軽くいなす。
「殺し合ったって言う意味でよ」
「なーんだ。それだったら私ともいい仲よね。忘れたなんて言わせないわよ」
「忘れるわけないさ」
ちょうどその時、給仕姿の三人の女性が酒瓶とおつまみを乗せたお盆を持って、食堂へと現れた。先ほども登場した沙和と、エプロン越しでも分かるくらいの大きな胸が特徴的な真桜、そして「なんで私まで」とぶつくさと不平を言う華雄だ。三人ともふりふりの髪飾りが良く似合っている。
「さあさあ、とりあえずは料理と酒を楽しもう。話はその後で」
「そういう趣向?良いわね」
「そうこなくっちゃ!」
ノリノリの華琳と雪蓮に比べて、まだ怪しんでいる他の5人にも振る舞われた。春蘭も渋々といった表情で飲んでいくが、その酒のうまさに愁眉を開いた。そして一気に楽しげな表情に代わるとさっそく二杯目を注ぐ。
「単純バカ」
「姉者……」
桂花と秋蘭はため息を漏らした。
全員に酒がまわったことを確認すると、アキラは料理を再開した。そこへ真桜がきょろきょろと辺りを見渡しながら厨房へ入ってきた。
「なあ、隊長」
「ん?」
「凪のやつ知らへんか?というか、ここんとこ部屋に閉じこもってばっかなんやけど。たまに会うとぶつくさとずっと言って、なんか変な感じやし」
胸を強調するかのように腕を組んでいる彼女は、アキラに疑問を呈していく。
「昨日なんか隊長に会っただけで目回しとったで。なあ、隊長。凪、何があったか知らん?」
彼は一瞬言いよどんだが、一言、こう答えた。
「知らね」
宴もたけなわになる頃には緊張はほぐれてきたようだった。
桂花と冥琳は王莽政権の歴史的な意義について論議を交わし、華雄と秋蘭はお互いの苦労話をして慰め合い、春蘭・真桜・沙和・蓮華は札を使ったゲームに興じていた(罰ゲームは酒イッキで、無理やり参加することになった蓮華はもうふらふらになっていた)。
君主三人はというとカウンターに並んで座り、話に花が咲いていた。アキラが出した“ヤキトリ”に話題が移っていた。
「美味しかったわ。本当に私の所の給仕長にならないかしら」
「華琳、抜け駆けは許さないわよ!なるなら私のね」
「どっちもならない!それに華琳の所には流琉がいるだろ」
「確かにね。でも私は欲張りなのよ」
それは困ったな、とアキラが笑いながら答え、華琳も微笑みを返す。雪蓮も笑っていたが、突然ボソッとアキラに伝えた。
「ありがとね」
「うん?」
「この町を、この地域を再興してくれて、本当にありがとう」
雪蓮がこう言うと、華琳も姿勢を正してアキラに感謝を述べた。
「私からも、ありがとう」
「よせよせ。あの戦いは俺が起こしたようなものだし、再興したのも俺のためさ。償いだよ。自分の罪を少しでも軽くしたかっただけだ」
「………」
罪。その言葉は彼らに重くのしかかった。それぞれの脳裏に過去の記憶を思い起させ、そしてその会話にしばらくの沈黙を与えた。
酒杯を一杯空けるぐらいの時間が経った頃、新たな酒を注ぎながら雪蓮はアキラに尋ねる。
「これからどうするの?」
「まずは袁術を滅ぼす。そしてこの町に起きた惨劇を二度と繰り返さないような国を作る」
「国ってことは、それは漢朝自体も変えるってこと?」
「変える。もし漢の皇帝がそれに反対するようなら、俺は漢を滅ぼす」
「あら、大胆!でも、私もそうするつもりよ。母以上の国を、天下を築くつもり」
「二人とも不謹慎なこと。私は漢を滅ぼさないわ。しっかり利用するわよ」
「それも不謹慎だな」
三人は高らかに笑い、そして互いを見つめた。
「競争だな」
「ええ。でもこの三人以外には天下を獲られたくないわね」
「誰が獲っても恨みっこなしよ」
誰からともなく杯を持ち上げる。いつの間にか、彼らの部下たちもその姿を見つめていた。そんな中で、彼らは誓うのだった。
「「「天下のために」」」
キンッと杯を交わすと一気にあおった。ここに三国の同盟が築かれることとなり、一時的ではあるが協力関係になることが決まった。
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アキラ・華琳・雪蓮の邂逅です。やっと話が進みます。