第41話 -それぞれの事情-
日も高い呉領内の街道を、愛紗は自分の前に雛里を乗せ、馬を走らせていた。今のところはまだいいが、石亭から泰山には今はもう魏のものとなった領内を通らなければならない。顔割れしている可能性は高いと言えないだろうが、あまり派手に飛ばし過ぎると通りすがりの兵士などに余計なことを考えさせかねないだろう。進めるうちに進んでおきたかった愛紗であったが、
雛里「きゅー。」
愛紗「おい、大丈夫か!?雛里ぃーっ!」
愛紗のあまりの気迫に、同乗していた雛里が気絶してしまっていた。普段の仕事場の違いからすれば無理もないことだ。
最初は一人で行くつもりであったのだが、ここから泰山までの安全な道順、実際に龍と相対した時の対処法、龍の血の保存法などを雛里に知っているかと問い詰められ、それならと止む無く雛里を連れて行くことになった。実際、勢いだけでそこらへんに頭が回らなかったことからも、自分が普段通りでなかったことを改めて思い知らされた。
愛紗「ほら、水だ。少しは楽になるだろう。」
雛里「ありがとう御座います...」
馬を止め、近くの木陰に雛里を座らせ休ませると、水のはいった竹筒を渡す。少し疲れた様子の雛里はゆっくりとした動作でそれを受け取った。馬はといえば暢気に草を食んでいる。
雛里「...ご迷惑おかけします。」
立ったまま周囲を警戒する愛紗に、申し訳無さそうに言う雛里。確かに雛里の同伴は愛紗にとって気を使う部分も多くなるが、
愛紗「それはこちらの台詞だ。あの時といい、これからといい世話になるな。」
愛紗の言うあの時とは、おそらく雪蓮と相対した時のことだろう。
雛里「...いえ、結果的にあれで問題なかったのですから。」
愛紗に自覚がないと思っていた雛里は、少々愛紗に対する評価を改めなければいけないと自省した。愛紗のあの応答の後、雛里は本国に伝令を出し、今後の動向を織り込んだ内容の指示を出しておいていた。こちらの状況は伝えうる限り伝えたし、後は現地で風が正しい判断をしてくれるだろう。むしろ今怖いのは、五胡のように関係のないところから厄介事が回ってこないかということだけだ。そうして残ったのは、雛里にとって目下の最重要事項の一刀の存命である。
愛紗「しかし、まさか泰山とはな...」
雛里「何か言いましたか?」
愛紗「いや、なんでもない。今日は暑いなと言ったのだ。」
雛里「はぁ、そうですねぇ。」
愛紗にとって、泰山は因縁の場所である。左慈たちと戦い、仲間たちと別れ、そして一度愛するものを失いかけた場所である。
愛紗「雛里、泰山とはどういう場所なのだ?」
雛里「そうですねぇ。歴代の皇帝にとっては大事な土地ですね。封禅の儀という、天下が平和になったことを天地に感謝する儀式が行われるそうですよ。」
愛紗「ふむ、具体的には何をするのだ?」
雛里「えーと、それはよくわからないんです。ひたすら祈ったり一日宴会をやったり、特に形は決まってないそうで...」
祈るならまだわかるが、山の上で宴会を行うというのは少々無理があるのではないだろうか。愛紗が前に行った時は祭壇のようなものが置かれていたが、そこで宴会するのであろうか。ともかく、この世界にも何がしかの施設があることは確定だろう。官軍が入っていくようなところなら、あの白装束のようなどこかの怪しい集団のたまり場になっているということもあるまい。
愛紗「だが、そんな場所に龍がいるのか?龍は気性が荒いと聞く。時に人里まで降りてきてありとあらゆるものを破壊していくのだとか。そんな大事な場所にそんなやつがいるなら、官軍が退治していよう。」
雛里「...お言葉ですが、今の官軍にそんな余裕があると思いますか?」
愛紗「あー、なるほど。すまん、無駄な質問をした。」
というか龍のでるような場所までわざわざいって宴会するというのは、流石に頭が悪すぎるのではないだろうか。いや、悪い。少なくとも、愛紗の持つ因縁とこの世界のそれは関係がなさそうだ。
雛里「平時は龍を退治すると報奨金がでるそうですが、今はそんな余裕ないでしょうねぇ。」
愛紗「そこは構わんだろう。必要なのは血だけだ。」
一刀曰く、一刀のいた世界には龍などいないのだとか。昔世間話をしていてたまたまその話になったのだが、愛紗自身も本物の龍は見たことがない。高山のような険しい環境に住み着くらしく、見たことがあるというやつからも話を聞いたことがあるが、大きな蛇に足が生えたようなものらしい。頭は...自分の獲物を確認すればわかる。驚くことに鳥のように飛べるらしいが、官軍が退治できているということは、愛紗でも切り傷をつけて血を採取するくらいはたやすいことだろう。
愛紗「ちなみに、官軍はどうやって龍を退治していたのだ?」
雛里「矢を射掛けて弱って降りてきたところを、兵士の方が総動員で剣や槍で串刺しにするのだとか。」
愛紗「...」
惨たらしいというかなんというか。まあ流石に退治に馬鹿にならない被害が出るようなところに通うほど、皇室も馬鹿ではないだろう。恐らく、飛ぶのが厄介でそれほど強くはない。矢はあいにく持ってきていないが、そこら辺に落ちている石を片っ端から投げつければ、注意を向けることはできるだろう。後は適当に叩き斬ればいいだけだ。
雛里「私からも愛紗さんに質問してもいいですか?」
愛紗「なんだ?」
雛里「私から見ると、愛紗さんはもっとこう...」
愛紗「ん?」
雛里「お言葉ですが...ご主人様のことで悲しくなって動けなくなるかと思ったんです。」
愛紗の雰囲気が変わった。それまでのいつものように真面目だが、どことなく声のトーンが高かった愛紗も、今は静かに雛里の言葉を受け止めている。
愛紗「...」
雛里「正直、私も最初は動ける気がしませんでした。ご主人様がその...いなくなってしまうと思いましたから。でも、一番悲しんでいると思った愛紗さんが、次の日には立ち直っていたので私も何かしなきゃって...」
愛紗「...そうか。」
雛里「愛紗さんはどうしてすぐに立ち直れたんですか?」
まっすぐに見つめてくる雛里の視線を、愛紗はしばらく正面から受け止めていた。見つめる雛里はその時のことを思い出し、その表情は不安そうである。やがて、
愛紗「そうだな...まあ構わないか。」
観念したように口を開いた。
愛紗「一つ言っておく。私は立ち直ってなどいないぞ。今にも不安で押しつぶされそうだ。」
雛里「え?」
雛里からはそうは見えない。確かに雰囲気は少し違うが、今は殆どいつも通りだ。愛紗は雛里の隣に腰を下ろす。
愛紗「本当はあの時、あの方に泣きつきたかった。だが、そうしてしまえば私は迫り来る死を恐れ、二度と立ち上がれなかっただろう。そしてあの方の傍から離れられなくなっていただろう。それほど、あの方の存在は私の心に深く染み付いている。」
温もりを求めるかのように、愛紗が雛里の手を求めて伸ばしてくる。雛里はそれを優しく握り返した。愛紗がニコリと雛里に笑いかける。
愛紗「...あの人が...一刀が死ぬと思えばそのことへの恐怖に囚われ動けない。だから、あの人の傍にはいけなかった。傷つき、苦しむあの人の傍に。こうして誰かの温もりを求めていたはずなのに。ひどい女だな、私は。」
あの時、愛紗は必死で弱気になった自分と戦っていたのだ。自嘲気味にそう付け加える今の愛紗からも、自責以外の深い悲しみや不安が感じ取れる。
愛紗「我等の願いはこの世に泰平を築くことだ。だが、まだこの世は混迷を極めている。たとえ何があったとて、私は歩みを止めてはならんのだ。あの人のためにも。」
愛紗の頬を一筋の涙が伝っていた。愛紗は雛里の視線にいつのまにか自分が涙を流していたことに気づくと、袖でクシャクシャとそれを拭って、誰が見ても無理に笑ってみせた。
愛紗「だが、私は欲張りだからな。愛する...主君、愛する人々。どちらも諦めたくはなかったのだ。それに、この大陸にもまだまだあの方は必要だからな。」
それは欲張りと言えるのだろうか。少なくとも、世間一般ではそれを欲張りとは言えないだろう。だが、彼女にとってはそれこそが至上のものなのである。最後に上がった語尾も彼女の精一杯さを感じさせ、返って雛里の方が感涙してしまいそうであった。
雛里「愛紗さん...」
愛紗「さ、さあ行くぞ!我等に全てがかかっているのだ。今は一分一秒も惜しい。」
立ち上がり、ぱぱっとホコリを払う。払った手を一度見てパンパンと叩くと、愛紗は済まなそうに座っている雛里に手を伸ばした。
雛里「...はいっ!」
雛里はその手をとって立ち上がる。その手は、今までとは比べ物にならないくらいたくましく感じられた。
愛紗「あっ、さっきの事は他言無用だぞっ!」
雛里「ふふ、どうしましょうかね~。愛紗さんの女の子っぽいところが見れて嬉しかったですし。」
愛紗「~!!」
再び、二人は泰山に向かって進み出した。
数日前。愛紗たちと別れ、雪蓮たちは合肥へと向かっていた。その道中。
冥琳「で?どうするのだ?」
雪蓮「...どうするって、何を?」
冥琳「わかっているだろう。この大陸をどうするかだ。」
雪蓮「...」
今まさに、雪蓮は大陸の行末を握っていると言えた。自国では大陸でも有数の国の主とその側近が少数でとどまっており、これからこちらに攻めてこようとするもう一国も手の内を既に見透かしている。つまり、雪蓮の決定如何では通常苦戦を強いられる他国との戦いを短期に、しかも楽に終わらせることができるのだ。
雪蓮「冥琳は、曹操なんて障害にもならないと?」
冥琳「そうは言わんが、こと今回に限っては、お前が許せば私は曹操を再起不能にすることから、こちらの被害を最小限に押さえてただ追い返すことまで出来る策を授けられるぞ?」
情報がリークされていることによって、規模や兵站や装備、部隊構成といった曹操軍の内情は駄々漏れだ。通常、それだけわかっていたとしても、実際に戦えば相手がどう出てくるかはその時次第であるし、完封勝利を収めることは難しい。相手にも優秀な軍師がいるであろうし、何か手を打てば対抗策を取られることは必定だ。しかし、冥琳ほどの軍師にとって、それだけわかっていればそこから取れる策、こちらの手に対する対抗策への対処手段、そのまた先へと見切ることは造作も無いことだった。何より、相手は確実に後手に回らざるを得ないのだから圧倒的に不利と言えよう。こちらの兵力が十分である以上、負けることだけはあり得ない。
雪蓮「そうね、あの小生意気な曹操をいたぶってその屈辱にまみれた顔を見るのもいいけれど...」
曹操を壊滅させた場合、北郷との同盟は意味を消失する。また、兵力だけを削ぐにとどまり国の主柱である曹操の撤退を許してしまえば、いや、逃がした場合でも北郷との同盟は意味を消失する。同盟の根幹となる曹操軍の脅威がなくなるからだ。そして何より、曹操が生き延びていれば北郷の重鎮たちは黙っていないだろう。となれば、呉は魏と怒った北郷が決戦をした後、勝ち残り弱った方と戦い楽に大陸を手にすることができる。
しかしそれは、呉が今後も存続し続けていた場合の話である。雪蓮は招いた他国の王を傷つけられたけじめとして、この戦いが終われば自分の首と国を北郷側に預ける約束をしてしまった。つまり、雪蓮が自らその約束を破らない限り、そもそも呉という国に未来はない。
冥琳「...覇王となれば、大陸を手にすることができる。これだけの条件が揃うことなど、奇跡に近いことだぞ?」
冥琳が言っているのは、北郷との約束を反故にするかどうか選べということである。あの時、愛紗は一つ過ちを犯していた。それは、雪蓮と約束をした時、重要な事柄でありながら立会人も文書も何一つ約束を保証するようなものを用意しなかったことである。一刀は雪蓮を信用していたが、関羽と雪蓮の間にはそれほど信頼関係は生まれていない。現代ほど契約に細かい定めをする習慣がないとは言え、これなら雪蓮はそんな約束はしていないとしらを切ることもできるのだ。もしくは、強引な手段であるが、非情に徹し他国の領土で僅かな手勢しかいない北郷軍を一人残らず壊滅させ、それを曹操軍のせいにすることで回避することもできる。その場合は北郷からも何がしかのアプローチがあるだろうが、正直今領内にいる面子、特に一刀を失った北郷が国としての体制を維持していけるとは思えない。
実利をとって策謀を用い覇者となるか、五徳を選び王者として果てるか、雪蓮はその選択を迫られていた。雪蓮が小覇王と呼ばれているのも、その活躍を項羽になぞらえたものとは別の意味がある。利に重きをおいていても時にそれを無視し徳に立って行動する、覇王には徹しきれないある意味中途半端な者としての意味合いが含められていた。
雪蓮「(こんなことならさっさと蓮華に家督譲っとくんだったわね...)」
今となっては意味のない考えだと一蹴する。だが直ぐに、方向性としては間違っていないかもしれない、と雪蓮は思い直す。孫呉には他国にはない強みがあった。それは王が倒れた時、その後を継ぐ者をすぐに立てられるということだ。一刀にも世間話がてら少しだけ話したのだが、蓮華には常日頃から、自分がいなくなっても国がやっていけるよう、王としての振る舞いや思考を身につけさせている。器で言えば雪蓮は蓮華の方が自分より向いているとさえ思っていた。実際、あの場で倒れたのが自分であったら、今頃は蓮華に跡を継がせることを公言していただろう。そう、自分がいなくとも蓮華がいる。次の戦場で自分が死ねば...
冥琳「馬鹿なことを考えるのだけはやめて頂戴。」
雪蓮「わかってるってば。」
考えを見透したかのように冥琳が釘を刺す。冥琳もまた、雪蓮と同じように今後の行く末に考えを巡らせていた。だが、冥琳が考えていたことは雪蓮とは少しその方向性が異なっていた。
冥琳「(やはり、約定は守れそうにないか...)」
王の決定とあれば逆らうべくもないが、正直代々受け継いできた呉の地を簡単にやる訳にはいかない。国内でも納得できない輩も出てくるだろう。それは雪蓮もわかっているはずだ。どういう決着になるかは雪蓮次第だが、少なくとも何の波風も絶たずに解決するとは思えない。
ならば雪蓮はなぜあんな約束をしたのか。少なくとも曹操軍が迫る中、雪蓮はあの場に居続けるわけにはいかなかった。ましてや、あの場で斬って捨てられるなど...ないだろうがもってのほかだ。そういう意味では、あの場では確実に相手が納得する、こちらの出せる最大の条件を出すというのは正解の一つではある。時間に余裕あるわけではないあの状況から考えれば議論を挟む必要がないあの提案は時間短縮という点において利があると言えよう。
冥琳「(それだけではないな...)」
そういった計算もあるだろうが、一刀が傷ついたことに責任を感じているというのも雪蓮の偽らざる本心だろう。こんな奥まで敵部隊に入り込まれるとは思っていなかった油断もあったのかもしれない。雪蓮の考える利というものが、全てにおいてあの結論を導いたのかもしれない。
冥琳「だが...」
冥琳にはそれとは別に一つ疑問が残っていた。それは、雪蓮と愛紗が話している間、文官の筆頭であるはずの雛里が口を一切挟まなかったことである。いくら序列があるとはいえ、愛紗は武官である。国に重大な影響を及ぼす事柄を一人で決めることなどできない。少なくとも、文官やその場にいる者達と相談くらいはするべきだろう。
冥琳「(その理由はおそらく...関羽殿にはそこに気を回すほどの余裕がなかった。今思えば、最初に会った時は自然と堂々とした態度を醸し出していたが、あの時は堂々としているように見せようとしているかのようだったな...)」
ならなおのこと、雛里は愛紗の決断に口を挟まなかったのか。少なくとも、約束をさせるのであれば何かそれを裏付けるものを合わせるはずだと冥琳は考える。そこまで考えて、
冥琳「(まさか...わざと我々が約束を反故にする余地を残した...とでも言うのか?)」
冥琳は集めた情報や実際に話した印象から、雛里の力は自分と同等か、もしくはそれ以上あるのではないかと考えていた。その雛里が、目の前で同僚の不備に気づかないことなどあるだろうか。気づいていてあえて指摘しなかったと考えたほうが自然だ。ならば、その意図はなんだろうか?こちらが約束を守った場合の利は言うまでもないとして、反故にされた場合の利とはなんだろうか?冥琳は思考の迷路の中に囚われていた。もしかしたらこうして惑わせること自体が雛里の意図であったのかもしれない。
そうして合肥までの間、二人はひたすらに自分の抱えた問題について考えこむことになった。
-あとがき-
読んでくださった方はありがとうございます。そして深夜の更新失礼します。
最近、ここでグダグダしゃべるのもどうかなぁと思うので、捕捉があった場合にそれを書くくらいにしようかと思います。とか言いつつまたぐだぐだ喋りそうですし、本来毎回つけるものでもないのかもしれませんが..
えーと、というわけで今回の捕捉ですが、雪蓮さんと冥琳さんのくだりは二人が石亭を立ってすぐになります。愛紗さんたちの件は前回の続きです。時間軸が前後しますが、今回は同時進行しますのでこういう場合は捕捉しておきますね。
それでは、次回もおつき合いいただけるという方はよろしくお願いします。
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恋姫†無双の二次創作、関羽千里行の第4章、41話になります。
この作品は、恋姫†無双の二次創作です。設定としては無印の関羽ルートクリア後となっています。第一話はこちらhttp://www.tinami.com/view/490920
今年もあと一ヶ月ですね。
やり残したこと...しかない。どうしよう。
それではよろしくお願いします。