Aはいつも「遠く」へ行きたいと言っていた。
カーテンを閉め切っていつも天井をただ眺めるばかりの人間の言葉とは思えない。
それでも、彼は口々に「遠く」という言葉を使った。
ハワイや箱根といった遠方へ行きたかったのではない。
ここではないどこか「遠く」へ。
痛みも憎しみも妬みも無理解も侮蔑とも縁遠い「遠く」へ。
彼は行きたかったのだ。
そんな淡い願いがどこにもないユートピアへと駆り立てた。
ユートピアへの恋心はいつのまにか彼の唯一の原動力である好奇心へと姿を変えていた。
Aは人ごみが苦手であった。
それは毎晩催されていた祖父主催の晩餐を端に発する。
酒を飲んだ大人のあの調子はずれで獣じみたあの叫び。
社長と煽て、金品を少しでも搾り取ろうとするその取り巻きのいやらしいあの目つき。
それに気付きながらも誰かにちやほやされずにはいられない祖父の虚栄心。
どれもがいやだった。
だから、AはMの取り巻きとは距離を置いていた。
Mの周囲をその取り巻きが囲んでいるときはいつも砂場にいた。
保育園の教室からもっとも離れ、陽射しもあたらないジメジメしていた場所であったためA以外の園児には人気がなかった。
喧噪と陽射しを嫌うAにとっては最良の場所であった。
Aはいつも砂場で「遠く」を目指していた。
シャベルを使って時間が許す限りひたすら砂場を掘り続けるのである。
勿論、5歳や6歳の園児がシャベルで掘ったところで地球の裏側まで到達できない。
それでも、「遠く」という希望へ向かって一心不乱に穴を掘った。
普通のAが囚人と呼んでいた園児は富士山だお城だと砂を使って何かしらの創作をしていたのだから、皆からAは相当変わった人間に映っていただろう。
小学校では、別の保育園の園児と合流しても、A,M,Y,Sの奇妙なつながりは変わらなかった。
寧ろ、義務教育最後の中学までその不思議な関係は日々密になっていた。
ただし、そのつながりは友情や愛情といった名前が付いた関係ではなく。
滑稽だが好奇心を尽きさせない中世の写本のようにただ誰かが誰かに強い関心を持っているというだけのものであった。
その関心は嫉妬や嫌悪といった汚らわしいものであり、愛や友情といった微笑ましいものではなかった。
変わったとすればMの取り巻きであるRとSが昵懇になり、SがAはいつ自分の本性をRに暴露するのかと不安になり、Aへの監視をより強めたこと。
高校受験を控え、学力が人を図る唯一の物差しになったためにYはAを敵視するようになったことである。
いつも、学内の一位はAとYで競っていたからだ。
実際、AはYとの競争などなんとも思っていなかった。
「今勉強している」という言葉は彼の家族の暴力から彼を守ってくれていた。
だから学校の勉強など便利な手段としか考えていなかった。
勉強している時間よりも図書館から借りた白黒映画や落語のCDといった「遠く」を体現するものを楽しんでいる時間のほうが圧倒的に多かった。
また中学入学を条件にAの住む学区では自転車の所有、運転が認められる。
Aは学校で支給されたオンボロの、よく言えば以前の所有者の息遣いが感じられる自転車のおかげで孤独感を紛らわすことができた。
家では家族に罵られ、学校では悪意を向けられる人間のどこに居場所があろうか?
そこから離れたどこか「遠く」へ逃げようとするのが人である。
しかし、子供がなにをするにも制限を受ける現代はその願いは脆く砕け散るのだった。
それでも、漕げば漕ぐほどに自分を「遠く」へ連れて行ってくれる自転車は、Mの語る未知の言葉とピアノの音色以外の生きる数少ない糧であった。
皮肉なことに、Aは自身が求める「遠く」は自分の居場所なのであって、汗をかきながら漕いだ成果である遠方ではないと気付くのに時間はかからなった。
漕いだあとに現れる未知な風景も同じように彼を異邦人として受け入れてくれなかった。
苦労して漕げば漕ぐほどに彼は、遠方の空気や匂いそして風に拒絶された。
世界はどこまでも無慈悲であって、施しかと思った次の瞬間その希望は無残にも打ち砕かれる。
私たちが不死でないその理由は、我々に与えられた唯一の救いが死なのかもしれない。
神は天になど居らず、地面の下から私たちの足元をこっそり見上げ、笑いを必死で堪えているのかもしれない。
どこにもない「遠く」を目指し自転車のペダルを漕ぎつづけたAを照らしていた西日が真に照らしていたのは彼の肉体ではなく、彼の希望なのかもしれない。
「遠く」などどこにもないと気付いてしまったあの日にAはもう死んでいた。
以後、Aと認識されていた肉塊はゾンビであった。
ただ、自身の破滅をただ夢見て、時間の流れに身を任していた。
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突然ですが、文学とはみなさんはどのようなものだと考えていますか?
私は、自分の手が届く範囲での世界と私に隔たりを感じた時に文学は始まり、
その間隙を埋めるための営みが文学だと考えています。
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