「ではもう一度聞こう。名と出身は?」
「名は北郷一刀です。出身はこの大陸ではありません」
「ふむ。姓が北、名が郷、字が一刀か」
「いえ、姓が北郷で名が一刀です。字といったものはありません」
「何?字が無いというのか?それに2字性とはまた珍しい」
ここは夏侯僥の治める街の県令室。そこに夏侯僥とその護衛として10人の兵士、そして対面に一刀が座っていた。
夏侯僥は街に着くなり休む間もなく一刀をここに連れてきて尋問を再開したのである。
「それでは北郷よ、単刀直入に聞こう。お前は大陸の出身では無いと言っていたな。では、お前の出身は天の国か?」
「天の国?いえ、違います。えーと、どういったものか…あえて言うならば、大陸の東の海を渡った先にある島国の出身、ということになりますね」
「海を渡った先の国だと!?よくぞそのようなところから…ではお前は天の御遣いでは無いというのだな?」
「天の御遣い?それは何なんでしょうか?」
「うむ。実はここ最近庶民の間にある噂が流れていてな…その噂というものが天の御遣いに関する予言についてなのだ」
夏侯僥が言ったように、ここ最近大陸の各地で占い師・管輅の予言が庶民の間で噂になっていた。曰く、
『流星に乗りて、白き光を纏いし天よりの御遣い降り来る。その者、比類なき「武」と「知」を以てやがて来る戦乱の世を鎮めん』
漢王朝は既に腐敗が酷く、多くの庶民は心無い役人により苦しめられる毎日。日々人々から漢王朝への畏敬の念は薄れて行っている。最早、民の不満がいつ爆発してもおかしくは無いような状態であった。
そんな状態にこの予言である。当然人々は現状を打破してくれるやもしれない救世主の噂に嬉々として飛びついてしまった、という次第だ。
「我々は流星があの山に落ちるところを目撃した。そしてその場に急行してみるとお前がいたというわけだ」
「なるほど、そういうことでしたか。申し訳ありませんが私はその予言の者とは別人でしょう。私が元々いた場所は天の国では無く、信じられないかもしれませんが、未来であると思われます」
「未来だと?何故そう思った?」
「そうですね…まず、あなたの名前ですが、夏候さん、ですよね?私の居たところには『三国志』という物語があります。その中で『魏』の曹操孟徳の下でその武を振るった夏候惇元譲、夏侯淵妙才が有名な武将として挙げられるのですが、その姓が引っ掛かりました」
「……なんと…」
「兗州、陳留も『三国志』では有名な地名なんです。そして山中での質問に関してですが、『三国志』の物語は後漢王朝の霊帝、劉宏、様の時代から始まってるんです。細かな違いはあれど、ここまで条件が一致しているとなると、といったところですね」
「……」
事ここに至り、夏侯僥は一刀の話に驚きながらも、半分以上は納得出来るものと考え始めていた。何より、未だ世に名前が出ておらず、出会ってすらいないはずの夏侯惇、夏侯淵の姓名を知っており、さらには曹家の次期当主、曹孟徳に仕えることまで知っていたのだ。一刀の言葉通り、文献なりの形で後世に伝えられたものを知っていなければ出そうにも出せない情報。それが十分に一刀の話の根拠となっていた。
「確かに眉唾な話ではある。しかし、会ってもいない春蘭や秋蘭の名を知っているのはやはり…」
夏侯僥は考えを纏めようとブツブツとつぶやき始めた。一刀はその呟きに微かな引っかかりを感じ再び問いかける。
「あの、春蘭、秋蘭という方は…」
誰なんでしょうか、と言葉を続けることはできなかった。夏侯僥が突然全身から怒気を発し、一刀の首筋に剣を突きつけたからである。
「貴様!我が娘達の真名を許可無く呼ぶとはどういう了見だ?!」
「ま、真名?あの、真名とは一体…?」
「ここにきて恍ける気か?!」
「いえ、本当に知らないんです!」
「な…!?真名を知らんというのか?!どちらにせよ、まずは先ほどの言を撤回せよ!!」
「は、はい!わかりました!撤回します!」
夏侯僥の余りの迫力に押され、一刀は思わず言葉に従う。一刀が前言を撤回したことを確認した夏侯僥は幾分か怒気を和らげ、一刀に真名の説明を始めた。
「真名とは姓名、字とは別にある、その人物そのものを表す神聖な名前のことだ。例え知っていたとしても、本人の許可無しに呼ぶことは決して許されるものでは無い。お前はこの大陸のことを物語で知っていたのではないのか?」
「申し訳ありませんが、『真名』という風習は聞いたことがありません。どうやら私の知っている歴史とは少々違いがあるようです」
先ほどまで剣を突きつけられていたにしては、随分と落ち着いた対応を一刀は見せていた。夏侯僥は一刀のその態度に内心で少々感心しながら答える。
「そうか、ならよく覚えておくことだ。本来なら問答無用で斬られても文句は言えないことなのだからな」
「わ、わかりました。肝に銘じておきます」
「それにしても、真名を知らぬということは、お前には真名はないのか?」
「その人そのものを表す名前、ということでしたら『一刀』が真名に近いものになりますね。あっ、で、でも、こちらの真名とは感覚が随分違いますよ!?」
夏侯僥の非常に驚いた表情を見て慌てて付け足す一刀。真名の風習を持たない一刀にとってはやはり簡単に理解できるものでは無いが故のやりとりだった。
その後。一刀は未来の話を、夏侯僥はこの時代の話を互いに簡単に交わしていると、夏侯僥がふと一刀に疑問を投げかけた。
「そういえば、北郷よ。お主はこれからどうするつもりだ?」
「そうですね…行く当ても無いですし、とりあえず、何処かしらで衣食を確保出来るよう働こうかと」
「そうか。時に、お主、剣を持っていたが、剣の心得があるのか?」
「はい、一応は。実家が剣術の道場を開いておりまして、子供の頃から鍛錬だけは行っていましたが…」
「では、北郷よ。我が軍に加わってみてはどうか?我が県は治安がよく、税収が安定しているおかげで兵士の俸給も良い方だ。何より、今、お主が下手に出歩くのは得策では無いしな」
「得策では無い、とは?」
「うむ、数多の民がお主がここに連行されるのを目撃している上に、お主のその格好だ。お主の国では普通のものかもしれぬが、大陸にその服は無いのでな。目立ってしょうがないであろう」
「…なるほど」
この話を受けるべきかどうか、一刀は悩んだ。申し出は確かにありがたい。しかし、平和ボケしているともいわれている現代日本で生きてきた自分に果たして出来ることがあるのだろうか。
一刀が思考の海に沈み始めたとき、夏侯僥がさらに言葉をつないできた。
「管輅の予言が真実でなかったとしても、この大陸にやがて乱世が訪れるであろうことは明白。そうなっては民草にも数多の被害が出てしまいかねん。そうさせないように、民草を守る為に、そしてやがて訪れる乱世を鎮めるために、北郷、お主の力を貸してはくれぬか?」
この言葉を聞いて、一刀は遂に決心した。
「わかりました。不肖この北郷一刀、未熟ながらもこの武を民のために役立てることを誓いましょう」
未だに、何故三国志の世界に己が来ることになったのかはわかっていない。しかし、そこに何かしらの意味があるのだとすれば、そして、ここにいるのが『北郷一刀』であることに意味があるのだとすれば、やはり子供の頃から続けて来た、現在の自分を形作っている大元ともいえる『剣術』、つまりは『武』にあるのだろう、とそう考えた末での結論でもあった。
「そうか、ありがたい!時に、お主の名前なんだが、大陸の者の名の形式と異なっており、些か目立ちすぎる。先の予言のこともあり、悪用されるやもしれん。そこで、今後は『夏侯恩』を名乗ってはどうか」
「確かに、その可能性もありますね…しかし、ぽっと出の私なんかが『夏侯』を名乗ってもよいのでしょうか?」
「それは構わん。先ほどの一幕を見て感じたが、お主には武の素質がある、と私は見ている。ああ、それと『一刀』は真名にすると良い。尤も、どう扱うかはお主次第だがな」
「わかりました。それでは『夏侯恩』の名、有り難く頂戴致します」
こうして一刀は『夏侯恩』を名乗ることとなった。
一刀と夏侯僥のやり取りがひと段落ついたところで、一人の兵士が夏侯僥に声をかけてきた。
「夏侯僥様、そろそろご息女方の本日の調練の時間ですが…」
「おお、そうか、わかった。すぐに向かおう。そうだ、一刀よ、お主も参加してみんか?春蘭と秋蘭、あ~、夏侯惇と夏侯淵にも一刀を紹介しておきたいしな」
「よろしいのですか?でしたら随伴させていただきます」
(魏でその武を誇った夏侯惇、夏侯淵に実際に会えるのはラッキーだな。でも、今日は娘さんの調練って言ってたっけ。夏侯一族で有名な女武将っていたっけか?まあ、夏侯惇、夏侯淵といつか手合わせできたら万々歳なんだけどな)
まさかこの願いがすぐさま実現してしまうとは、この時の一刀は露程も思っていなかった。
場所は移り、調練場。
そこでは2人の少女が日課の調練の為に父親を待っていた。
1人は長い黒髪のストレートで触角の如き一房の髪を前面に垂らしている少女。
もう1人は青い短髪で右目を覆うようにしてこれまた前髪を垂らしている少女。
「なあ、秋蘭。父上、遅くないか?もう帰ってきてるんだろう?」
「兵士の報告を聞いただろう、姉者。不審人物を一人連行してきたからその尋問で少々遅れると言っていただろう」
「むう。そうだったな。だが、私はもっと強くなって早く華琳様のお力になりたいんだ!」
「ふふ。それは私もさ、姉者。だが、今は焦らずじっくりと実力をつけて行かねば。千里の道も一歩から。一足飛びに行動しようとしてはつまらない失敗を犯しかねんよ」
「た、確かにそうだな!一刻も早くこの『七星飢狼』を使いこなせるようになって、華琳様の正式な為に我が力を振るうんだ!」
(ああ…よく理解できてないことを誤魔化そうとする姉者もかわいいなあ…)
そのようなやり取りが行われていると、調練場の入り口に2人の人影が現れた。それを真っ先に見つけたのは黒髪の方の少女だった。
「父上~!待ちくたびれたぞ!早く今日の調練を!!」
「ああ、待たせてすまなかったな、春蘭。ん?どうかしたか、秋蘭?」
「父上、そちらの者は一体?」
「そういえば、お前は初めて見る顔だな。一体何者だ!」
夏候僥の後ろに付いてきていた一刀を見た秋蘭と呼ばれた少女がまず疑問を投げかけ、それに春蘭と呼ばれた少女が便乗する。
その問い掛けに一刀が答えようとする。
「自分は…あ~、夏候僥さん、この娘達にはどちらで名乗れば?」
「ふむ、そうだな。では私から紹介しておこう。春蘭、秋蘭、この者は遠い異国の地から来た、姓を北郷、名を一刀という者だ。」
『北郷、一刀?』
「うむ。字と真名は無いらしくてな、強いていうならば『一刀』が真名に当たるそうだ。だが、この大陸においてこの名前のまま暮らしていくでは例の予言のこともあって何かと都合が悪い。そこで、一刀には今後『夏候恩』を名乗らせる。なお、今後は『一刀』を真名として扱うように言ってある。それから、一刀には武の素質があると見えるのでな、我らが軍に加わってもらうことにしたよ」
『なっ!?』
夏候僥の言の前半部分を聞いて春蘭、秋蘭と呼ばれた少女は驚いて固まってしまった。知らずとはいえ、他人の真名を許可なく呼んでしまっていたのだ。その事実を理解し、
直ぐ様
2人は謝罪する。
「真、真名を…す、すまなかった、北郷!許してくれ!」
「も、申し訳ない、北郷殿…」
しかし、まだ真名の風習に慣れていない一刀には瞬時には2人の行動を理解できない。
「えと、お2人とも、どうして…ああ、そうか。私の居た国では名前を呼ぶことに、この大陸程に重い意味は持っていないんです。ですからそんなに気にしないで、気軽に呼んでくれて構いませんよ。それにしても、夏候僥さん、悪趣味が過ぎますよ…」
「クックック…いや、何。普段から天真爛漫な春蘭と沈着冷静な秋蘭があそこまで取り乱すところは中々見れんのでな。それにお主ならそう言うと思っておったしな」
あえて説明を遅らせた紹介をして娘を罠に嵌め、笑いを堪えている夏候僥を見て、一刀は軽く夏候僥を非難する。しかし、夏候僥はそんな非難などどこ吹く風で飄々としていた。
『ち、父上ぇ~…』
そして2人の娘は恨みがましい視線を父親に向ける。
そんなやり取りがひと段落すると、一刀が改めて自己紹介した。
「え~、そんなわけで。名は夏侯恩、真名は一刀です。よろしくね」
その挨拶を受けて春蘭と秋蘭も一刀に自己紹介をする。
「私は姓を夏侯、名を惇、字は元譲だ。よろしく頼む、一刀」
「私は姓を夏侯、名を淵、字は妙才という。こちらこそよろしく、だな」
「……え?あなた達があの夏候惇と夏侯淵…?」
「??ああ、そうだが、それがどうかしたのか?」
「……」
2人の名前を聞いて一刀は心底驚いていた。三国志の世界(それも何故か日本語が通じる世界)に来てしまったことだけでも十分に混乱すべき事象。しかもそれに加えて『あの』夏候惇と夏侯淵が女だというのだ。
(一体ここはどんなところなんだよ…単に過去に飛ばされただけの方が随分とマシな気もしてしてきたな)
「ん?どうかしたか、一刀よ。お主は春蘭と秋蘭は知っておっただろう」
「あ。いえ、知っていたと言っても名前だけですから…」
夏侯僥の問い掛けに無難な答えを返す一刀。事ここに至っては最早状況を考えることに意味を感じられなくなってしまっていた。
(とりあえず、流れに身を任せるか…)
諦観。そう言ってもよいかもしれない。しかし、それ以外に何ができようか。
そんな心理状態になり押し黙ってしまった一刀に、ふと秋蘭が疑問を投げかける。
「ところで、一刀殿は随分と妙な服を着ているな…先程遠い異国から来た、と父上が仰っていたが、まさか、天の国、か?」
「いや、違いますよ。天の国ではありません。まあ、技術的な意味などではそれに近いのかも知れませんがね…」
「ふむ、そうか。あの予言のこともあったのでそう思ったのだがな」
「秋蘭、『あの予言』とは何だ?」
「姉者…」
何度か聞いてるはずだろう、と秋蘭は呆れながらも春蘭に説明を開始する。
ここまでの流れで一刀は春蘭、秋蘭の性格をほぼ分析し終え、そこからおよその戦闘スタイルを導き出していた。
(夏侯惇さんはあまり『考える』ということをしない型だろう。となれば、力押しが一番考えられるか。逆に夏侯淵さんは『考える』ことによって戦闘をすすめていくタイプ。こちらは罠を仕掛けて、そこに誘い込むような型か将棋のように理詰めで一手一手を打ってくる型といったところ。そうであれば…)
考えこむ一刀。そこに秋蘭から予言の内容を改めて教えてもらった春蘭の声が聞こえてきた。
「つまり、秋蘭は一刀が『天の御遣い』とやらだと思ったのだな?だが、私には一刀がそれほどの武と持っているようには見えんぞ?」
「姉者の基準は全てそこなのか…」
そのやり取りを聞いた夏侯僥は思い出したように声をあげた。
「おお、そうだ!すっかり忘れていた。春蘭、秋蘭。私は一刀には武の素質があると見ているのだ。そこで、今からそれぞれ一刀と仕合って貰おう」
「望むところだ!私はこんな優男には負けん!」
「兵士ではなくいきなり私達と、ですか?」
「ああ、そうだ。一刀には武の素質があると見ている、と言っただろう。年も見たところお前たちとそう変わらん。ならば一度仕合ってみるのもよかろう。一刀もそれでよいか?」
「ええ、構いません」
それぞれに対する暫定的な対応を決めた一刀は夏候僥に諾の返事をする。その返事に気分を良くしたのは、やはりというか春蘭であった。
「よし、では私から行かせてもらうぞ、一刀!」
「わかりました、夏候惇さん。得物は…こちらにある木剣を使用しても?」
「うむ、構わん。審判は私が務めよう」
許可を得ると一刀は木剣が纏めて置いてある場所へ行き、木剣を拾い上げる。そして、すでに調練場の真ん中で大きな模擬剣を構えて待ち構えている春蘭に相対し、木剣を構えた。
「準備はいいか?では…始め!!」
「どぉりゃあ~~!!」
「うぉっ!」
開始と同時に春蘭は一刀に向かって一直線に突っ込み、剣を振り下ろす。予想以上の速度に少々驚きながらも、一刀はきっちりと木剣でその攻撃を受け、距離を取る。
「私の一撃を止めるとは、やるな!一刀!!」
「思ったより速かったので焦りましたよ…では、次はこちらからいきます!しっ!はっ!」
「ふんっ、こんなもの!」
予想通りの力押し型だった春蘭に対し、一刀は”予定通り”フェイントを織り交ぜた攻撃を仕掛ける。それを受けた春蘭は、小細工など無意味、と言わんばかりの威力の豪剣を放ってくる。
「くっ…うっ!?」
「は~はっは!さっきの威勢はどうした!?」
始めのうちはフェイント等で牽制して上手く距離を取っていた一刀も、春蘭の豪擊の前に徐々に押され始める。やがて一刀が防戦一方の様相を呈し始めた。
「~~~っ!ふっ!」
「おおっ!?」
このままジリ貧になるのを防ぐため、一刀は木剣を大きく振って春蘭を弾き、間合いを取った。
「さすがですね、夏侯惇さん。ですが、次でラストにさせてもらいます」
「らすと??何を言ってるのかよくわからんが、来い!受けて立つ!!」
「はあぁぁぁぁっ!」
「どぉりゃあぁぁぁっ!!」
互いに力を貯めて打ち合った一合。
果たして宙に弾かれたのは一刀の木剣だった。
「ふぅ。参りました」
「勝者、春蘭!」
「はっはっは!どうだ!」
「えぇ、凄い豪擊でした。さすがはあの夏侯惇将軍ですね」
「は~っはっは!そう褒めるな!照れるではないか!それと一刀、私のことはこれから春蘭でよいぞ」
「え、いいんですか?真名ってとても大切なものなのでは?」
「父上が認めている上に私相手にあれだけ仕合える武を持っているのだ。認めない理由はないさ!それと、言葉も普通でいいぞ。一刀は私と同じくらいなのだろう?」
「…わかったよ。有り難く真名を預からせて貰うよ、春蘭」
「うむ!」
(ほう…あの春蘭にこうもあっさりと真名を許させるか。やはり私の見込みは正しかったようだな。しかし、秋蘭はどうかな?)
夏候僥は改めて一刀を評価していた。しかし、その上で秋蘭に認めさせるのは少々厳しいと見積もっていた。
いくら姉者至上主義とも言えるような秋蘭であろうと、未だほとんど素性を知らない男相手に簡単に真名を預けるとは思えない。しかも、今まで父親以外の男に真名を預けたことの無い春蘭がこうも簡単に真名を預けたとあって、秋蘭はより厳しく一刀を観察することにしていた。
実は春蘭が至極あっさりと真名を許した理由はちゃんとあるのだが、その理由を知るのはしばらく後のことである。
「次は私だな。連戦となってしまうが、一刀殿は大丈夫か?」
「ああ、問題ないよ、夏侯淵さん。それから”殿”はつけなくていいよ。なんかくすぐったいしね」
「了解した。では、一刀。お相手願おう」
そういって秋蘭は弓を取りだして構える。弓の名手と謳われているだけあって、その構えだけで相当の力量が窺えた。
「両者、良いかな?では…始め!!」
(さすがに弓の相手はしたことがないしな。まずは様子見もかねて…)
「はあぁぁ…って、おぉっ!?おわぁっ!?」
「ふっ!」
小手調べに一太刀、と一刀が突っ込もうとすると、寸分の狂いもなくその足元に矢が射ち込まれた。一刀はそれを横っ飛びで躱すが、それも予想済みとでも言うかのように躱した先の一刀に向かって矢が飛んでくる。立て続けに飛来する矢をなんとか躱して態勢を整える。
(初手から数手の動きは既に読まれていたか。それにさっきの早撃ち…まだまだ余裕を持っていたみたいだし、これは理詰めの型だな。なら…)
一刀は距離を詰めるべく最短距離を駆けようとする。秋蘭は当然のようにそれを読んでおり、今度は右足に狙いを定めて矢を放つ。秋蘭は一刀がこれを左に避けると推測していた。そして、その方向への射撃の準備も整っていた。
しかし、一刀はここで意外にも矢を木剣で切り払う選択に出た。飛来する矢は剣で払い落し、ただひたすら最短距離を進む。
春蘭と一刀の立ち合いを見て、一刀の戦闘は足を使う型だと秋蘭は推測していた。そのため、一刀の行動に戸惑った。しかし、さすがは夏侯淵と言うべきか。直ぐ様一刀の動きに対応する。
「しっ!」
「くっ…!」
胸の真ん中と右足首への同時速射。走りながらの一振りでは弾ききれない射撃。一刀は左方への回避を余儀なくされる。
(一歩で避け、次の踏み込みで修正する)
思考通りに行動しようとする一刀だが、秋蘭はそれを許さない。一刀が再び突撃を始める前にその足元に矢を射ち込む。
一刀が一度避け始めると、後は秋蘭のなすがままだった。避けた先避けた先に矢が射ち込まれ、反撃の糸口をつかめない。
「イチかバチか…はあぁぁっ!!」
「終わりだ、一刀。はっ!」
このままで埒があかないと判断した一刀は矢を最小限の動きでギリギリ躱し、僅かに出来た隙で突撃を敢行する。しかし、秋蘭にとってはその動きも想定内であった。秋蘭は一刀の胸の中心目掛けて矢を放つ。一刀はこれを剣で弾くことを選択した。
(”1本”ならば弾きながら距離を詰めて終わり)
「ふっ!」
一刀が剣を振るうと見事に矢は弾かれる。ところが。
「かはっ…」
その一瞬後、一刀は地に倒れ伏していた。1本目の影に隠して放たれた”2本目”の矢によって。
「勝者、秋蘭!」
「はっ…はぁ……ふぅ…さすがだね、夏侯淵さん」
「一刀、ちょっと聞きたいのだが」
「ん?どうしたの?」
「姉者との仕合いとは立ち回り方が随分と違っていたのだが、一刀の戦闘は足を使う型ではないのか?」
「夏侯淵さんは随分弓の腕がありそうでしたからね。ヘタに足を使うよりも出来る限り一直線に距離を詰めた方が勝率が高いと判断しただけですよ」
「…ほう」
(たしかに理屈はわかる…わかるんだが、果たしてそう簡単に自らの戦闘の型を変えられるだろうか?それもどちらの型も姉者と私と同等に仕合える程の熟練度だ。一体、一刀は何者…?)
通常人には好みの型があり、その好みの型を重点的に鍛錬することで、戦闘における勝率を高めようとする。しかし、好みの型、自身に合っている型であっても、一つの型を熟練の域にまで持っていくには果てしない努力と時間が必要となる。ところが、今一刀が見せた2つの型はどちらも相当なもの。秋蘭は自分達の年頃程度では複数の型の熟練はやろうと思っても出来ないものだと考えていた。それ故に一刀の異質さの欠片を秋蘭は見抜いたのである。
そんな秋蘭の思考などいざ知らず、春蘭が2人の会話に割って入ってきた。
「中々やるではないか、一刀!だが、やはり秋蘭の方が強かったな!さすがは我が妹!」
「ああ、本当に強かったよ。僅かに立てた作戦も形無しだしな」
「はっはっは、そうだろう!何せ、この私の妹なのだからな!」
「はは、確かに。あ、夏侯淵さん、お手合わせありがとうございました。またよろしければお願いしますね」
「あ、ああ。そういえば、姉者との仕合いに足を使った型を用いた理由は何かあるのか?差し支えなければ聞かせてもらいたいのだが」
「あ~、えっとですね。それまでの夏候僥さんや夏侯淵さんとの会話を聞いた上で春蘭の性格を判断した結果、恐らく力押しの直線型なのだろうと推測しまして。さすがに力比べで勝てるとは思えなかったのでフェイントで惑わそうと思ったんですよ」
「ふぇ、いんと?とは何だ?」
「あ、すいません。フェイントとは自分の居た国の言葉で、相手を惑わすための動作を表すんです。所謂『虚の攻撃』ですね」
「なるほど…」
(あの短い会話から姉者をそこまで読んだのか。いや、確かに姉者は読みやすいかもしれないが…それでもかなりの洞察力も備えているはず。しかし、2つの仕合いの結果に今一つ納得しきれないのは一体何故なのだろうか…もしかしたら、一刀は何かを隠してるのかも知れんな。ふふ、これは楽しくなりそうだ)
「あの、どうしたんです、夏侯淵さん?」
突然考え込んしまった秋蘭に対して一刀は質問を投げかけた。自らの返答に何かしら不備があったのかと不安になったが故の行動だったが、秋蘭からの返答は予期しないものとなった。
「いや、なんでもないよ。それから、私のことはこれから秋蘭でいい。敬語も無しで構わない」
「えっ?その、申し出は嬉しいんですが…」
「何、私と姉者2人を相手に武を示し、先程のような洞察力もある。それに父上と姉者も認めたんだ。認められるだけのものを持っていることを私は自分の目でもって確かめた。ならば、私が認めない理由はないさ」
「そっか。わかった。ありがたく真名を預からせて貰うよ、秋蘭。これからよろしく」
「ああ、よろしく頼む、一刀」
一刀が秋蘭とも真名を交わすのを満足気に見た後、夏候僥が上機嫌に話し出した。
「はっはっは!我が娘達にこうもあっさり真名を預けさせるとは、やはり私の目に狂いはなかった!さて、一刀。一刀は春蘭、秋蘭と年が近そうだな。さすがに今すぐ兵士として連れて行くのは忍びない。まだ、春蘭と秋蘭も連れて行っておらんしな。そこで、一刀にはしばらくは訓練にのみ参加して貰おうと思っている。また、時折だが春蘭と秋蘭には普段の調練とは別に訓練を課すことがある。一刀にはそちらにも加わって貰う。異論は有るか?」
「いえ、ありません」
「春蘭、秋蘭もそれでよいか?」
「勿論です、父上!」
「問題ありません。父上」
「よし。後は調練以外の時間だが…」
「すいません、ちょっといいですか?」
今後の調練に関する事項を取り決め、その他の事項をどうしようかと悩む夏候僥に一刀が口をはさむ。
「ん?どうした?」
「実は私の居た国とこの大陸とでは文字が全く異なってまして。出来れば文字を学ぶ時間を頂きたいな、と」
「ふむ、なるほど。では秋蘭。空いてる時間に一刀に文字を教えてやってくれ」
「わかりました」
「ありがとうございます」
「とりあえずはこんな所でいいだろう。文字の学習をある程度終えたら報告に来てくれ。一刀に出来る仕事を見定めて行きたいからな」
「はい」
「よし!では、一刀よ、これからよろしく頼む」
こうして一刀の夏候軍での生活が始まったのであった。
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第二話の投稿です。
しばらくは隔日で投稿していくことにしました。
そしてようやく女キャラの登場です。