第27話 ナショナリズム ~ご主人様は怖いお方です~ <上>
「なしょ な り……? と宗教?」
「なしょ……? 宗教?」
愛紗も福莱も困惑している。というより、まず”ナショナリズム”を上手く発音できていない。外来語なんだから当たり前だけど。
「……。その前に”人間、長所の裏は短所”という話かな。最初、知ったときは感動したんだけど……。長所は短所になり、短所は長所になることがある。」
「ご主人様、何をわけのわからないことを仰っているのです? そんなことあるはずがないでしょう。」
「いえ。言われてみれば頷ける話です。」
「?」
「”臆病な人”と言うと悪い意味ですが、”慎重に物事を進める人”と言うと良い意味に捉えられるでしょう?」
「確かに……。」
本当に、福莱には敵わないな。”一を聞いて十を知る”ことのできる人物だ。この能力、きちんと教えてあげたいけど、俺の力でできるだろうか……。
「で、なしょ……とは何ですか?
”宗教”のほうは”黄巾賊”が信仰しているという”太平道”に関係があるのか? と思えないこともないのですが。」
と福莱が聞いてきた。それを俺の知識で説明するのが最大の課題だ。
「”ナショナリズム” 俺の国の言葉だからちょっと難しいけど、”ナショナリズム”だ。 せーの。」
「ナショナリズム」
何度か繰り返すうちに、愛紗も福莱も”ナショナリズム”をちゃんと発音できるようになった。
「で、ナショナリズムが何だというのですか? というか、そもそもナショナリズムとは何ですか?」
「それだよ。」
「?」
正直言って俺も完全につかみきれてはいないんだよな……。とりあえず、あの話を振り返ろう。あの2人に散々コケにされた後だし、昨日のことのように覚えている。
<
そもそもは楠原先輩が世界史のテストについて聞いたんだ。
「章人さん、次の空欄A-Fを埋めて、Dの意味を教えてください!」と。
”
ナポレオンは、フランス革命の理想であるA・B・Cを広めることで相手国の民衆の心を掴み、それに加えフランス国民のDを高揚させることでヨーロッパを瞬く間に征服した。しかし、逆に他国のDを刺激し、プロイセンではEが『ドイツ国民に告ぐ』という講演を行った。また、ナポレオンはFという概念をつくりだし、兵を集めた。
”
早坂さんは
「……。藤田大先生、どう答える?」
と藤田さんに振った。あの頃は早坂さんのことは悪い印象しかなかったから、答えられないのか、ざまあみろ なんて思ったっけ。
ところが
「……。そもそも楠原先輩がどの程度理解しているのかわからねえしなあ……。”意味”とか言われてもねえ……。」
藤田さんも悩んでしまった。この人でも悩むことがあるのか……と、かなり驚いたなあ……。
「ちなみに、中に入るのは?」
と相馬先輩が聞いたのには
「A-Cが順不同で自由・平等・愛、あるいは博愛、友愛。Dはナショナリズム。Eはフィヒテ。Fは国民皆兵ですね。彩香、書けた?」
と早坂さんはあっさり答えた。そのとき、一緒に居た3年の先輩方がほっとした顔をしていたのが印象的だったなあ……。
「もちろんです! でも、”ナショナリズム”って何なのかよくわからなくて……。」
「こういうことを聞いてくるから困るんだよなあ……。
”リンゴ2個はどうして2個なんですか?”
”リンゴ2個+3個はどうして5個になるんですか? 木になっているのは全部違うリンゴです!”
と幼稚園――こっちだと幼稚舎か――のときに聞かれて”抽象的な概念”を説明するのに苦労したのを思い出したわ。」
俺はそんなこと考えたこともなかった。凄い先輩なんだな……と思った。
「……。一般論でよく言われる”近代ナショナリズム”の始まりは今出てきたフランス革命だが、あのとき”民族”でまとまったか? と考えると矛盾が出てくるよな。”フランス人”としてまとまったことは間違いない。しかし、その内実は”フランス語を話す者”・”フランス語を学ぼうとする者”のことだ。”民族の血”によってまとまったわけではない。」
「ああ。当時はユダヤ人もフランス市民としての資格を認められていた。象徴例だよ。」
藤田さんの言葉に早坂さんはそう応じた。2人の会話には誰もついていけていないようだった。難しすぎて。
「……。何らかの”モノ”を中心として、政治的に”まとまろう”とする考え、或いは運動……とでもしよう。今はそのレベルで充分だ。」
そう早坂さんが言った。その意味は何となく分かった。
「”政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動”は?」
「やめてくれ。ゲルナーなんて持ち出したら何時間あっても終わらない。」
藤田さんはちょっと笑いながらそんな話をしてきた。後で調べてみたら、ナショナリズム研究で有名な学者、アーネスト・ゲルナーの定義らしい。意味は全くわからなかったけれど。
「”モノ”ってなんですか?」
楠原先輩はそう聞いた。確かに、そこが重要だ。
「一般的には”民族”だけど、他のモノになることもある。○○語を話す人 なんていう具合にね。」
何となく、わかるような気がした。何となくだけど。
「なるほど……。ところで、それと”愛国心”は違うんですか?」
「”同じ”という人もいるだろうけど、私は違うと思っているよ。愛国心は”自然に芽生える”ものだ。文字通り、”愛着が出てくる”とか、そんな感じかな。プラスのこともマイナスのことも含めて、”やっぱりこの国、あるいは土地が好きだな……”という気持ち。だから、たまに唱える人がいる”愛国心教育”なんてナンセンスだと思っている。」
「それで、”ナショナリズム”っていうとどこか危ない響きがあるような気がするのはどうしてですか?」
「ああ、それは単純。”排他的”になりやすいから。
”Aが好き”というのを突き詰めると、”A以外は嫌い”となるでしょ?
国レベルだと一番わかりやすいと思うよ。
例として日本でやってみようか。
日本こそ最高の国だ!!
日本以外の国は下劣で劣っているのだ!!
という感じ。ちょっと例えが極端だけれども。」
そう早坂さんが説明した。とてもわかりやすかった。”愛国心”か……。と、松原先輩が
「だから、”コントロール”する必要があるわけ?」と聞いた。
「ええ。バカな奴は
『否定するなんて非国民だ』と言ったり
『コントロールとは何事か!?』なんて言ったりしますけどね。」
「つまり、燃え上がると”外国の製品の排斥運動”になったり”戦争すべき”という世論が高まったりするわけですね?」
最後に楠原先輩がそう聞いて終わったんだった。
>
俺はその思い出した話のうちリンゴの話を除く全てを必死で話した。福莱はしきりに頷いていた。愛紗は頭に?マークが浮かんでいるらしい。
「で、これがどう役に立つのです?」
愛紗からそう聞かれた。それをどう説明するかが俺の最大の課題なんだよな……。最初に話すのをこの2人に決めた。それを”成功だった”にしなければいけない。
「”役に立つ”どころの話ではありません。これほどの概念があるとは……。それにしてもご主人様は怖いお方です……。」
「福莱、分かるのか?」
「ええ。桃香様、つまり”劉”備を中心としてまとまり、ナショナリズムを燃え上がらせようというのでしょう? そのためには誰かが殺されればいい……と。違いますか?」
「あ、ああ……。」
今の話からそこまで見抜いたのか……。福莱は本当に凄いな。
「誰かが殺されればいい? 福莱、それにご主人様も、一体何を……?」
「すみません。愛紗さんはちょっと黙っていてください。ご主人様がこの概念をどう使おうとしているのか、それを伺いたいのです。」
「これが国の基盤になる。目標とする国のカタチは”国民国家” 最終的には”漢民族”で一つにまとまる。まずは暫定的に桃香が皇帝になるけど、将来的には大統領制の国を作る。」
今、どこまで言うべきなんだろうか。俺の目指す国の大枠はアメリカだ。世界一の大国となったアメリカ合衆国。それを中国としてここにつくる。そうすればずっと栄える素晴らしい国ができる。
「”国民国家”とは?」
「領土を統治している民が国民としてまとまっている国家のこと。”漢民族”として一つにまとまった国のことだよ。」
「”大統領制”とは?」
「国家行政の首長である大統領という役職を民衆が直接選ぶやり方のこと。」
勉強するまでは議院内閣制と大統領制の違いなんて分かっていなかったんだよなあ……。議院内閣制は首相を議会が信任することで選ばれる。一方、大統領制は国民が信任することで選ばれる。それぞれメリット、デメリットがあるけど、最終的には皇帝を消すことにしたのだから首長の選び方はアメリカ式にしたほうがいいだろう。そう思った。行政の枠組みはわかりやすいから日本の官房長官や外相・財相なんかを使うつもりだ。正しいと良いけど……。(※1.2)
「ちなみに、ご主人様はなんという
「桃香が皇帝になっている間は
俺が相国になるには、董卓から相国の位に就いてもらう必要があるんだよなあ……。”史実に似ている”というだけで、歴史に当てはめるとかなり滅茶苦茶だからきちんと就いてくれるか心配だ。
相国、今でいう”超”総理大臣。漢(前漢)の建国に多大な功績を挙げた重臣
「……。”丞相”ではだめなのですか?」
「”丞相”になるのは君か朱里のどちらか、たぶん君だよ。」
「……。わかりました。話を”大統領制”に戻します。それには民衆の側にもかなりの知識が必要になります。識字率さえ低いこの国でそんなことをやろうとしても失敗するのは火を見るよりも明らかです。ご主人様も、『下手に啓蒙するのは、統治をやりにくく、難しくするだけ』と前に仰っていたではありませんか。」
「ああ。」
「”ああ”ではありません。何か対策が?」
「勿論。他言無用だよ。」
「こんなこと、話せるわけがないでしょう。で、何があるというのです?」
福莱たちの考えを根底からひっくり返すようなものだから、これを話すのは勇気が要るなあ……。
「”学校”をつくり”儒学”を教える。」
「”学校”ですか……? 何です? ”学校”とは?」
「教育を授ける機関だよ。一定の年齢に達した者は、必ずそこに入り何年かそこで儒学を学ぶ。儒学の他にも治水や兵法、農業といったものを学んで貰い、最後には必ず一定期間、兵役に就いてもらう。」
「な……。」
「それを”国民皆兵”という。この世界には”募兵”しかないようだけど、それじゃあダメなんだ。無理矢理にでも兵役につかせる”徴兵”でなければ。」(※3)
ナポレオンが初めてつくりだした概念と言われている”国民皆兵” その拡大解釈とも言え、兵の不足を無理矢理にでも補える”徴兵制” これこそ軍の肝だ。
「なぜ、”儒学”を教えるのですか?」
福莱の声は震えていた。気づいたらしい。
「儒教思想を根付かせることは、俺たちの統治にとって利益が大きいから。というより、都合のいいことしかないんだ。”目上の者を敬いましょう”ということを解釈すれば”身分の違い”を認めていることが明らかだよね? 啓蒙したところで、”君主”という目上の者に逆らってはいけない……という教育が染みこんでいれば、他をどれだけ啓蒙したって問題無いんだよ。福莱だってそれは何となくでもわかるんじゃない? 教育が何より大切だということは。」
「…………。はい……。」
儒教の新しい学問体系である”朱子学”が後に生まれるが、それは明・清で官学化された。それだけ支配者にとって都合の良い教えだということだ。それをやろうが、あの素晴らしい”孔子”の考えを教えるというのだから誰も不審には思わないだろう。まさにうってつけの学問だ。”教育”が何より重要だというのは戦前の日本を見れば明らかだ。(※4)
「……。正直、俺にも葛藤はあるけどね。」
「何故ですか?」
「Love,Peace,Freedom, 愛、平和、自由、を説く、或いは広めることで皆の支持を集めようとしているからさ。俺たちのところへくれば争いとは、犯罪とは無縁の、皆が笑って暮らせる地になるはず。そして何より”自由”だ。あるいは……。”すべて国民は、個人として尊重される”……と言って意味が分かるかな?」
日本国憲法の根底にある原理。第13条。”個人の尊厳の尊重”
「すべて国民は、個人として尊重される……。何となくわかる気がします。とても、尊いものである気がします。」
「意味は、自分の人生は、自分で決めることができる”ということだよ。ひとりひとりの人間を大切にする……ということ。そこに国家が介入することは許されない。それが、俺の住んでいる国における最も重要な決まり事だ。」
「……。」
「そういうことを表に出して行いつつ、裏では今言ったようなことを考えてる。なかなか辛いところがあるよ。」
「……。それでも、やるのですか?」
「ああ。俺の世界の諺に”賽は投げられた”というものがある。」
「そんな話を桃香様にしていましたね。意味は、”後戻りはできない”・”事既に決す”でしたか。それにしても……。ご主人様は本当に怖いお方です。もう一つ聞いておきたいのですが、”所得の再分配”はどうやって導入するおつもりですか? 富裕層からの反発は目に見えていますよ。」
「福莱の目は曇っちゃった?」
「? ……! まさか!?」
「ああ。”戸籍”さえ作ってしまえばあとはどうにでもなるよ。資産がわかってしまえば怖いものなしだ。ナショナリズムを燃え上がらせて、”敵”を作り、対抗するためには金が必要……という流れにすればいい。それだけの話さ。」
「本当に、ご主人様は怖いお方です。」
福莱はそう言うとクスリと笑った。と、愛紗が不安げな眼差しでこちらを見つめているのに気づいた。
「私だけ蚊帳の外でとても悲しいというか何というか……なのですが、わかるように説明して頂けないでしょうか?」
「わかりました。最初から説明しましょう。まずは”ナショナリズム”の話です。これから、民衆が”戦争はしたくない”という思いが強くなっていくときに ? 何でしょう?」
「話を遮ってすみません。どうして民衆は”戦争をしたくない”と思うようになっていくのですか?」
福莱が一番の基礎から説明しようとしたら、そもそもそこが愛紗には理解できていなかったらしい。
「……。愛紗さんは戦で人を殺すのが好きですか?」
解説
※1:議院内閣制・・・つまりイギリスや日本の政治体制
※2:大統領制・・・これがアメリカの政治体制
※3:徴兵制・・・前漢には徴兵制があったようなのですが、後漢以降は不明なのでなかったことにします。
※4:戦前の日本の教育・・・荒れると悪いのでこれ以上書きません。自己責任でお調べください。ここに関するコメント(感想)は避けてください。もし書かれても筆者は返信を致しません。
Tweet |
|
|
10
|
0
|
追加するフォルダを選択
第3章 北郷たちの旅 新たなる仲間を求めて