真・恋姫✝無双 魏アフター・参 ~死に損ないの役割~
ほのかな日光が眠りを誘ううららかなある日の午後、一刀は窓に頬杖をついて視線をどことなしに彷徨わせていた。
龍志が一刀に謀反の意を告げてから、今日で三日。
三日間、結局一刀はほとんど部屋から出ることなくこうして窓の外をぼんやりと眺める日々を送る。
心配した龍志が何度か訪ねて来たが、ことの原因が自分にあると思っているのであまり会話も弾むことなく終わってしまっていた。
今日も今日で一刀は意味もなく窓の外を眺める。
これからのことについて思考をフル回転させたのは初日のみ。あとはただ無為に時間を重ねているだけ。
まるで、目の前の問題から逃げているかのように。
「北郷殿。よろしいか?」
部屋の戸を叩く音とともに扉越しに声がした。
「あ、はい。開いてますよ」
音もなくドアを開けて入って来たのは官吏の服をきっちりと着こなした一人の青年だった。
年のころは龍志と同じくらい、つまり一刀より少し上くらいだ。
「どうかしましたか如月さん?」
姓を蒼、名を亀、字を如月。龍志の軍師であり義弟にあたる人物だ。
一刀の問いに如月はまず深々と礼をした後。
「いえ、ここのところずっと部屋にお籠りの様子でしたので、この陽気に庭を散策なされてはいかがかと愚行したものですから」
「ああ…そうですね。確かに今日は絶好の散歩日和だ」
努めて明るくふるまうようにそう言った一刀に如月は一瞬だけ僅かに顔を曇らせたが、再び窓の外を
見ていた一刀はそれに気付かなかった。
「……屋敷から出られなければ特にご注意申し上げることもございませんので」
そうして蒼亀は来たときのように恭しく礼をして部屋を後にした。
蒼亀は部屋を出ると、テクテクと歩きながらやれやれと言わんばかりに溜息を吐く。
「気持ちはわかりますが……とっとと決めていただかないと。彼のために謀反を延期させるわけにはいかないんですから」
「そうねぇん。でもぉ、これはご主人様にとってもその一生を分ける決断…そう簡単に決められないのもしかたなぁいわぁん」
ぞわっ
急に背筋を這い上って来た言葉にできない悪寒を、表にださないように努めながら蒼亀は廊下の隅にたたずむ筋肉達磨に微笑みかけた。
「おや、どうしたのですかこのようなところで?」
「ドゥフフ…そろそろあたしもこの世界のご主人様にご挨拶がしたくてねぇん。こっそ~り逢いに行こうとしてるのよぉん」
「駄目です」
「ひぃん」
にべもなく言い放った蒼亀に奇怪な声をあげて身をよじる筋肉達磨。
「あなたの言ったとおり、彼はその人生を左右する決断をしようとしています。そんな彼にあなたを合わせるのは彼の精神衛生上よろしくない……」
「ちょっと!それどういうことよぉん!!」
「言ったままの意味ですが……というか、仕事はどうしたんですか?タダ飯を食わせるつもりはないと言ったはずですが?」
「ひぃぃん!?」
あくまで笑顔を崩さず言い放つ蒼亀に、今度は筋肉達磨の背に悪寒が走る。
「仕事をさぼり、私の目の前に姿を現すなんていい度胸じゃないですか……」
笑顔だ、しつこいが蒼亀は笑顔だ。
『ゴゴゴゴゴゴ…』とでも聞こえてきそうな……。
「こ、怖いわぁ…でも、恋する漢女の前にはどんな障害も関係なしぃ!例え蒼亀ちゃんだろうと邪魔はさせないわぁ!!」
「くくく…いい度胸ですね」
ふんぬうぅぅぅぅ。と奇声を上げて筋肉を隆起させる筋肉達磨に蒼亀は目を細めると。
シュン
流れるような動作で蒼亀は腰の長剣を抜き放った。
「やれやれ…私はあくまで只の軍師なんですがねぇ」
そう言って筋肉達磨に剣を向ける蒼亀の眼は………何故か心底楽しそうに嗤っていた。
「ん?なんだか屋敷が騒がしいな」
蒼亀に勧められるまま庭に出ていた一刀は、屋敷内から聞こえてくる炸裂音のようなものに首をかしげた。
「まあ、蒼亀さんもいるし大丈夫だろう」
その本人が戦っているのだが。
「さて、どうすっかなぁ」
頭を掻きながらそう呟く。
庭に出たのはいいが、目的地も何もまったくない。
あてもなくぶらぶら彷徨っていると、庭の端の木陰に設けられた簡単な休憩所のようなところに誰かいるのが見えた。
「ん、誰だろ?」
何となしにそちらへ行ってみる。
そこにいたのは二人の女性だった。
一人は長い黒髪を無造作に流し、妖艶な美貌と陰のある表情がえもいえない隠微さを醸し出している。
姓を司馬、名を懿、字を仲達、真名を躑躅(つつじ)。
そう、かの司馬仲達であった。
その司馬懿の隣で彼女の言葉に時には頷き時には豪快に笑う女性。
その女性を見て、一刀は我が目を疑いそこに立ちつくしてしまった。
「あら、北郷君」
一刀に気づいた司馬懿が穏やかな笑みを浮かべて声をかけた。
それを見た隣の女性も一刀の方を見た。
「おお、お主確か北郷と言ったな。目が覚めたと聞いておったが本当じゃったか」
人懐っこい笑みを浮かべてこちらを見る、白く長い髪に褐色の肌の美女。
その姿に一刀は言葉も出せず呆然としていたが、何とか絞り出すように一言だけ言った。
「…黄蓋さん?」
「おお、覚えておったか。ボーっと突っ立っておるから忘れているかと思ったぞ」
赤壁の大戦にて策を破られ秋蘭の矢に倒れたはずの呉の宿将・黄蓋がそこにいた。
「え?ど、どうして?」
「なんじゃ、化け物でも見たような顔をしよってからに」
不服そうな顔をする黄蓋だが、一刀の反応もしょうがない。
一刀は確かに長江に落ちる黄蓋を見たのだ。確かに死体は確認されなかったが、あの傷では助かったとは思えない。
それに何より孫呉の将である彼女が魏の、それも幽州にいるということが一刀には解らなかった。
「まあ北郷君、ひとまず座りなさいな」
「あ、ああ…」
やんわりと司馬懿に勧められて、一刀は戸惑いながらも椅子に腰をおろした。
「祭さんも察してあげなさいな。死んだと思っていた人がいきなり現れたんだもの、彼じゃなくても驚くわ」
「ふむ、確かにそうじゃのう。これはあいすまなかった」
「え?いえ…こちらこそ」
歩く頭を下げた黄蓋に、慌てて一刀も頭を下げる。
それを見て司馬懿が楽しそうに微笑んでいた。
「えっとその…つまり生きていたってことで良いんですよね黄蓋さん」
「うむ。死に損なってしもうたわ」
そう言って豪快に笑う黄蓋。その姿に少しだけ一刀の心も落ち着いてきた。
(とりあえず……幽霊じゃないんだな)
……まっとうなようで少しずれている気がしないでもない落ち着き方だが。
しかし落ち着くと同時に浮かび上がってくるのは、言いようのない気まずさ。
赤壁で黄蓋が破れた理由は間違いなく一刀の入れ知恵、それも天の知識という名の卑怯と言われても否定できないものであった。
そのこと自体を恥じるつもりも後悔するつもりも一刀にはない。そうしなければ華琳の覇道は大きく足止めをされ、この大陸は未だに戦乱の中であっただろう。
だが、ある意味そのことによる一番の被害者を目の前にするとどうしても後ろめたさや罪悪感がこみ上げてくる。
このあたりが一刀の一刀たる所以なのだろうが。
「でも…生きているんだったら孫策さんのところじゃなくてどうしてここに?」
「うむ、もっともな話じゃ。実はな……」
「うん……」
表情を真剣なものに変えた黄蓋に、一刀も自然と表情を引き締める。
「……目を覚ましたらもう戦はみんな終わっておってのう、今更帰るのもなんだか気まずうて龍志殿の厚意に甘えておったら一年以上経っておったのじゃ」
「……はぁ?」
素っ頓狂な声を上げる一刀。
ふと隣を見ると、司馬懿が口元を押さえて必死に笑いをこらえていた。
「気まずいって…それだけ?」
「それだけとはなんじゃ。あれだけ偉そうなことを言って死に損なったなぞ、恥ずかしゅうてたまらんわい」
少し顔を赤くして黄蓋はそっぽを向く。
「ああ、ごめんごめん。でも、それだけじゃあ納得できないよ。そもそもどうして龍志さんの所に?」
「それは私が説明するわ」
その声に一刀は司馬懿を見る。
「赤壁の大戦の時、私たち後方支援組からも龍志様と蒼亀さんが援軍に行ったのは覚えているかしら?」
「ああ、でも確か赤壁には来なくて、長江下流の呉軍に対する抑えをしていたって思うけど」
「ええ。その中で偶然にも龍志様が長江を漂う祭さんを発見したのよ」
司馬懿の話はこうだった。
すでに赤壁での大勢は決まったという報告が龍志の元に届くや、彼は長江を下ってくるであろう死体の処理や負傷兵の保護の準備を始めた。そんな時、他の将兵に混じってひときわ目立つ者がいるという報告を受けた龍志は自らその者を保護したという。
それが黄蓋だったのだが、奇しくもその時黄蓋の顔を知っている者がおらず、加えて生きているのが不思議なほどの傷であったためにひとまず治療して意識の回復を待つこととなった。
そうしているうちに曹操は本国へ帰還。龍志は呉の残党処理と人民の慰撫を命じられ、黄蓋はまだ意識が戻らぬままであった。
実はこの時彼女が呉将・黄蓋であると気づいた者たちによって龍志はその正体を知っていたのだが、赤壁で黄蓋がどのように死んだことになっているかまでは知らなかった彼は、せっかく治療したのに報告して処刑にでもなったら元も子もなくなるじゃないかという蒼亀の言を受けて(ちなみに黄蓋を治療したのは彼である)あえて本国に報告してはいなかった。
やがて魏と呉蜀の連合軍による決戦に先立ち龍志は異民族対策のために眠り姫を連れて幽州へ帰還。決戦が終わり三国同盟が為された頃、ようやく黄蓋は目を覚ましたという。
三国が同盟を組んだ今、処刑される心配は無くなったと判断した龍志は黄蓋に今の大陸の情勢を教え曹操を通じて帰国できるように計らおうという事を言ったそうだ。
だがそこからは先ほど本人が言った通り、今更のこのこと帰るのは気まずいとのことで今に至る。
「祭さんったら頑固でねぇ。龍志様がどれだけ説得されても首を縦に振らないのよ」
「ふん…無礼な奴め。それに先程から聞いておれば儂がつまらぬ面子だけでここにいるようではないか……」
「違うの?」
「違いましたっけ?」
「貴様等ぁ!!」
ドゴス!
「って~~」
「っと、危ない危ない」
黄蓋の鉄拳制裁をまともに受けた一刀と華麗に避けた司馬懿。
黄蓋は憮然とした表情のまま、腰に手を当て。
「確かに気まずいというのはある。だがそれ以上に儂は瑚翔殿に恩返しがしたいのじゃ!!」
「恩返し?」
「うむ……死に瀕していた儂を救ってくれ、こうして丁重に扱ってくれておる。その恩も返さずに帰るなぞ武人としてあるまじき不義ぞ!!」
堂々と言い放つ黄蓋の迫力に、思わず一刀は身を引かせる。
「幸いにも…その機会ももうすぐ来る。尤も、そうなると国に帰ることもできなくなるがのう」
「機会?」
首を捻る一刀に黄蓋はおやと言った顔をして。
「なんじゃ、お主も聞いておるのではないのか?この度の企てのことは」
「……っ!?」
その言葉に、一刀ははっとして黄蓋を見る。
彼女が言っているものは、三日前に一刀が龍志に聞かされた謀反のことに他ならなかった。
「でも…そうしたらもう呉には……」
「帰れぬと言っておろう。魏国での内乱とはいえ、その大義名分はあくまで天下を三つに裂いた者達への反駁……つまりは三国に対する反乱じゃ」
こともなげに言い放つ黄蓋。
「されど…、義も返せ、間接的にも呉の為にもなるというならば加わらぬ理由はどこにもあるまい」
「だ、だけど…」
一刀には解らなかった。
どうしてそうもたやすく過去を捨てるようなことができるのか。
この乱に加担すれば黄蓋は呉に帰れないだけではない、かつて共に戦場を駆けた仲間、命を預けた主君、それら全てから裏切り者の烙印を押されることになるのだ。
それはまさしく過去の自分が歩いてきた道を放棄するに等しい。
黄蓋も一刀の言いたいことが分かっているのか慈しむように、だがどこか寂しげに微笑み。
「のう北郷よ、儂はあの赤壁の時に死ぬはずであった人間じゃ。儂自身そう思っておった。呉の為に、愛する者の為にこの命を捧げるのだと」
一度、黄蓋は目を閉じた。
その瞼裏に浮かぶはかつて仲間たちと共に過ごした日々か。
「だが、儂はこうして生きておる」
そうして黄蓋は目を開く。
その眼には強い…強い光が見て取れた。
「死に損ない…何の因果か瑚翔殿に救われた。これはただの偶然かも知れぬ。だがのう、もしも宿命というものがあるのならば、まだ儂には成すべき役割があるのではないかと思うのじゃ」
「宿命……」
「うむ、故に儂はこうして生き延びた。死に損ないの役割を果たすためにのう」
「それが…龍志さん共に戦うことだと?」
「さて…断言はできぬよ。じゃがしかし瑚翔殿の考えを聞いた時以来、儂はそう思っておる」
「………」
一刀は何も言えなかった。黄蓋の覚悟と決意を前にかける言葉が見つからなかった。
だが同時にこうも思っていた。
(俺とこの人は…同じだ)
死ぬはずの運命を変えられた黄蓋。
消えるはずの運命が変わった自分。
そして共に、一人の男のもとへ辿り着き彼の決意を聞いた。
違うのは、そこから先。
男と共に歩く決意を固めたか、固めていないか。
(死に損ないの役割……か)
その言葉が、一刀の頭に響いて離れなかった。
「そうか、祭殿がそのようなことを」
その夜、ここに来て初めて龍志の部屋を訪ねた一刀から昼の出来事を聞き、龍志は小さく苦笑いを浮かべた。
「嬉しくはあるが……無理に付き合わせてしまったようで悪いな」
「そうかな?確かにここに連れて来たのは龍志さんだけど、謀反に加わるって決めたのは黄蓋さんなんだから、気にすることはないと思うよ」
「そうは言うがなぁ……」
言いながら胃のあたりを押さえる龍志。
剛胆かつ胃痛持ちというわけのわからない彼の性格をふと一刀は思い出した。
「で、だ」
「うん?」
唐突に居住まいを正した一刀に、龍志は怪訝な表情をしたがすぐに察したのか表情を厳しいものに変える。
「………」
「………」
部屋に落ちる沈黙の帳。
微かに、本当に微かに一刀は震えていた。
今の位置から一歩でも足を進めてしまったら、もう引き返すことはできない。
それだけではない、今まで共に道を歩いてきた人たちを裏切ることになる。
それでも、それでもなお。一刀は一度だけ深く息をして、その一歩を踏み出した。
「俺は…龍志さんの反乱に参加する」
迷うことなく。
すっと一刀は龍志を見据えた。
静かに、喜悦はおろか一切の感情を見せることなく龍志はこちらを見ている。
「反乱に参加して、華琳達と戦う。それが俺の…『消え損ないの役割』だと思う」
「………」
「自分でこの考えに至ればよかったんだけど、たぶんそれは無理だった。俺はずっと思ってた。こうして戻ってこれた以上、華琳のところに帰るのが一番なんだって。それをしなかったのは、俺が一度彼女との約束を裏切っているからだ」
『ずっと一緒にいる』
果たせなかった約束。
「彼女の所に自分が再び戻る資格があるのか解らなかった、そして再び自分がここに戻ってきた意味も解らなかった……でも黄蓋さんの言葉を聞いて確信した」
「……何と?」
ポツリと言った龍志を、さらに強く一刀は見据える。
それが彼の決意の強さを表している一方で、必死に何かをこらえているようにも見え、龍志は息を飲む。
「華琳の天下を支えるのが俺の役割…そして龍志さんのもとへと俺は来た。だからもしもこれが偶然でないのならば、俺のするべきは龍志さんと共に戦うこと。そうして華琳の敵となることで華琳の天下を支えること……そして」
一瞬、一刀の瞳が大きく揺れた。
「そしてそれが華琳との約束を守れなかった俺の…贖罪になる」
「………」
龍志は何も言わず一刀を見ている。
いや、言葉にできないだけでその心は凄まじい後悔に襲われていた。
やむを得なかったとはいえ、愛しあう二人を引き裂いてしまった。
そのことが、龍志の心を大いにかき乱す。
だが、龍志もまた将であり武人である。それらを一切表に出すことなく、一言。
「…後悔はしないか?」
とだけ問うた。
「後悔しない…とは言い切れないよ。先のことなんて俺には解らないし、きっと華琳を泣かせることになるんだと思う……でも、後悔したくはない」
「……北郷殿。いや、北郷様」
突如、龍志は椅子から降りると片膝を付き一刀へと拱手の礼をとる。
「お覚悟…承りました。この龍瑚翔、非才の身ではありますが我君の大願のため、この身を捧げさせて頂きます!!」
最初は驚いた顔でそれを見ていた一刀だったが、やがて微かに笑みを浮かべたような表情で龍志の手を取り。
「頼りにしているよ、龍志将軍」
「はっ!」
三国同盟成立より一年後。
再び大陸に、乱の風が吹こうとしていた。
~続く~
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また時間があったので続きをば。
何ていうか、一刀とオリキャラしか出していない現状に気づき自己嫌悪中です。今回やっと原作武将登場です。
……魏アフターにも関わらず、魏将ではありませんが。
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