No.561422

おにあい エイプリルフール小説家新藤光一郎のスランプ

エイプリルフール作品第三弾。悩める若手小説家姫小路秋人はスランプを脱出することができるか? そして鬼門エイプリルフールを生き残れるのか?

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2013-04-01 01:20:27 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1934   閲覧ユーザー数:1881

おにあい エイプリルフール小説家新藤光一郎のスランプ

 

「スランプ……だ」

 僕は真っ白な液晶画面を見ながら大きなため息を吐きだした。

 新進気鋭な若手小説家新藤光一郎の最大の危機だった。

 原稿が仕上がらない。それどころか、あまり気に入っていないプロットを本文におこす手がまるで動かない。このままじゃ確実に落ちる。

 僕みたいな新前ペーペー作家が原稿を落とすなんて許されることじゃない。出版社は僕を見限り、小説家新藤光一郎は瞬く間に世間から忘れ去られるだろう。

 すると僕は失業者となり収入がなくなる。秋子との生活を維持できなくなり、下手をすればまた秋子と離ればなれにされてしまう。それは絶対に嫌だ。

 だが、完成しなければいけないという強い想い、または焦りに反比例して手は動かない。

 締め切りまで後3日。残り枚数は原稿用紙100枚分。1日当たり33枚。今が春休み中で1日中執筆に当てられることを考えれば不可能な数字ではない。気合いさえ入れば1日で50枚まで書き進められる。

 でも、朝6時に起きてから1時間。まるで進んでいない。何故ならそれは……

 

 

 

『多彩な薔薇の殿堂神山高校で男も作らない奉太郎は、結果だけ見れば灰色そのものだってことだよ。その奉太郎が寂しい生き方だなんて自虐趣味以外の何物でもない』

『口の減らない奴だなッ!』

 右手をヒラヒラと回しながら馬鹿にする里志の物言いに奉太郎はカチンときた。奉太郎は里志の両肩を掴んで床に押し倒した。

『なら、お前を俺の男にしてやろうか?』

 奉太郎な眠そうな半開きの瞳の奥に野獣の光が宿る。呼吸がいつもより荒い。

『ハッ。奉太郎に僕を襲う勇気があるものかい』

 教室のタイルに押し倒されながらも里志は冷ややかな瞳で奉太郎を見つめている。その冷たい瞳は奉太郎を意気地なしと馬鹿にしているように思えた。そのことが奉太郎の怒りに火を注いだ。

『ウルセェッ!!』

 奉太郎が力任せに里志の制服を左右に引っ張り引き裂く。

 学ランのボタンが勢いよく吹き飛び、白いワイシャツがその下から現れる。奉太郎は間髪いれずにワイシャツの中央を持って左右に引っ張り引き裂いてしまう。

 スイッチが入った奉太郎は止まらない。里志の抵抗を力で押さえながらズボンまではぎ取ってしまった。

『へぇ~。里志ってば意外と白くて細い足をしてんじゃねえか』

 白い太ももを晒した里志を見て奉太郎の黒い欲望が一気に膨れ上がっていく。

『ハッハッハッハ』

 衝動とともに笑いがこみ上げてきた。欲望のままに里志の太ももを撫であげる。

『俺に勇気があるかどうか…………今から里志の体に教え込んでやるぜ』

 奉太郎は黒い笑みをたたえながら征服欲に酔いしれていた。黒さを表に出した自分に堪らない心地よさを覚える。

『…………奉太郎は単純で助かるよ』

そんな奉太郎を見ながら里志は小さく笑ってみせた。薄く頬を紅潮させながら。

『犯らなくていいなら犯らない。犯るなら手短に、だ』

 奉太郎は興奮を隠そうとしないギラギラとした瞳で里志のトランクスに手をかけて……

 

 

 

「無理だから。僕に男同士のガチラブ。しかも年齢制限ありを書けとか無理だからぁ~~っ!」

 出版社からの無茶な要求に頭を抱える。普段より原稿料の払いが良い提示をされたので考えなしにホイホイと引き受けてしまった自分が恨めしくて仕方ない。原稿料が入ったら秋子に洋服でもプレゼントしてあげようなんて余裕こいていた自分が許せない。

「三回戦連続でお願いしますとか、やおい穴の描写を詳しくとか、神野さんも今回の原稿においては指定が細かすぎっていうか、気合い入りすぎ!」

 こっちは活動限界を下回るやる気のなさだってのに、担当の神野薫子さんはいつになく今回の原稿に燃えていた。

 他人のせいにしちゃいけない。のだけど、神野さんのやる気は僕の書く気を完璧に消し去ってしまっている。

 神野さんは編集らしく男同士の恋愛を扱った小説やマンガ、アニメを大量に資料として渡してくれた。それを見て僕のBLを書こうという意欲は木っ端微塵に消し飛んだ。

「大体……初めての女性向け恋愛作品なのに、どうして最大級に濃い作品を書かなくちゃいけないんだぁッ!」

 神野さんの渡してくれた資料は多彩だった。男同士でお手て繋いでウフフアハハなライトなやつから、男同士の輪姦陵辱調教というディープ過ぎるものまで様々。

 そして神野さんは明らかに後者の展開を望んでいて、事あるごとに「男同士なら強姦罪には問われません」とかわけの分からないことを唱えてきた。

 そして、無理やり関係を持ってしまってからの男同士の熱烈ラブストーリーという困った展開で小説を書かなければならなくなった。

 

「男が男を無理矢理襲って展開だけでも理解できないのに、どうして襲った男と恋に落ちるんだよ? 言い換えればレイプ犯と恋に落ちる人間がいるってのかよ!」

 どうすればそんな展開になるのか。どんな心境ならそうなれるのか僕にはまるで理解できない。襲う男も襲われる男に対しても行動や心理がまるで分からない。

分からないことは描写できない。そもそも作中の彼らの会話や行動が頭の中に浮かんでこない。浮かばない以上、パソコンのキーボードを叩く手が動くはずがなかった。

 だから仕方なく、本当に仕方なく、ストーリー:千反田L・作画:伊原マラ華という作家が書いた同人誌『折木奉太郎×福部里志 古典部部室は男同士の密会現場』を参考にさせてもらっている。勿論色々設定は変えてるし展開だって神野さんとの打ち合わせで決めたプロットによるもので同人誌の筋をなぞる訳じゃない。最後に人名は一括変換して奉太郎と里志の痕跡は消させてもらう。ただ一部を参考にさせてもらうだけだ。

 とはいえ、プロとしてこれはナンセンスな書き方だった。下手をすれば盗作とみなされかねない。

「でも無理だからッ! 書けないからッ! ていうか、男は男の尻や太もも見ても興奮しないからッ! マッスル・ドッキングな展開にならないからッ! そんな世の中だったら、銭湯の男湯は大変なことになってるからッ!」

 僕が今までずっと書いてきた兄と妹の恋愛モノだって実際にはただのフィクションだ。僕と秋子は恋人同士じゃないし、僕自身ちゃんと恋愛したことさえない。全部空想の産物。

 でも、想像はできる。僕の頭の中でストーリーを、キャラ同士の会話を、各キャラの行動を仕草を頭の中で詳細に思い描き再現することができる。

 それが今回の原稿だとまるでできない。それどころか、男同士の恋愛シーンを思い浮かべようとするだけで全身を激しい悪寒が襲ってくる。1秒だって自分の世界に入れない。

「このままじゃ原稿は落ちて、僕は失業者。秋子ともみんなとも離ればなれになりかねない。ど、どうすればいいんだぁっ!?」

 BLのせいで僕の人生は破綻しそうだった。そんな僕は、藁にもすがる心境だった。

 そんな僕に、救いの手が、いや、転機が訪れた。

 

「あっ。高坂さんからメールだ」

 高坂京介さんは、ブラコンな妹を持つ兄同士ということで縁が生じて知り合った1歳年上の友人。まだ朝っぱらなのにメールを送ってくるのはとても異例のことだった。

「どれどれ内容は……」

 気分転換したかった僕はすぐにメール内容を確かめることにした。

 

 

From:高坂京介

Sub:エイプリルフールに嘘をつくと死ぬぞ(強調)

本文:エイプリルフールに嘘をつくと、特に結婚に関連する嘘をつくと女たちに無慈悲に残酷に冷酷に殺されるぞ。気を付けろ。絶対に死ぬからな。念を押しておくぞ。

 

 

「一体何なんだろう、このメールは?」

 見れば見るほど謎な警告だった。

「高坂さんみたいなハーレム王ならともかく、秋子やありさっていう妹たちから好意を寄せられているだけの、言い換えればモテない男である僕には関係ない話だよね」

 高坂さんは5人、6人、それ以上の可愛い女の子から言い寄られている。そういう人は結婚なんて話を持ち出せば、揉めるっていうか女の子から恨まれ憎まれるだろう。

 そこでは普段は見えない人間のドロドロした部分が赤裸々に露出するに違いない。普段の明るい陽の面とは違う、人間の闇ともいうべき陰の面が。

「闇を曝け出せば普段とは違う……僕の知らない人の一面が見られるってことか」

 自分の言葉を脳の中で反芻しながら何も書かれていないノートパソコンの液晶画面に目をやる。

「結婚をネタにエイプリルフールの冗談を発動して回れば……このBL小説も書き上げられるかも知れない」

 僕がいまだ知らない人間の深い闇の面を垣間見れば……今の僕には分からない奉太郎と里志の気持ちが分かるようになるかも知れない。

「そうだ。そうだよ。エイプリルフールを利用して女心を弄んでダークサイドを引き出す。その様子を観察して小説に活かせば、僕は失業者にならずみんなと楽しく暮らし続けられる。なんだ、最高の結果じゃないか」

 自然と笑いがこみ上げてくるのを止められなかった。

 後になって思えば……外道に落ちたこの瞬間、僕の死は既に決まっていたのかもしれない。

 実に愚かな選択だったと後悔せざるを得ない。

 

 外道に落ちてからの僕の行動は素早かった。

 それだけ僕は切羽詰っていた。作家にとって締切とはそれほどに恐ろしいものだった。

「それでお兄ちゃん……大事なお話ってなんですか?」

 最愛の妹秋子が僕の部屋を尋ねてきた。

 いや、今の秋子は最愛の妹じゃない。小説家新藤光一郎の執筆を円滑に進めさせるためのネタ提供者だ。

 僕が放つエイプリルフールの嘘によって絶望に陥る秋子の表情を、その言動を観察したかった。

 クックック。今の僕は最愛の妹さえも道具として利用しようとするダークサイト秋人だ。

 さあ、最初の狩りに取り掛かろう。

「僕たちもそろそろ新学年、高校3年生に上がるようなまた高校2年生を繰り返すようなそんな季節を迎えた。それに当たって、今まで秋子には内緒にしていた重大な秘密を話しておこうと思う」

「重大な秘密、ですか?」

 秋子が大きく首を傾げた。

 それは今まで僕が17年間の人生で必死になって隠し通してきたこと。

 それを今、明らかにしたいと思う。

 鼻から軽く息を吸い込んで秋子に向かってそれを告げる。

 

「実は……僕と秋子は実の兄妹じゃないんだ」

 

 サラッと重大事実を述べてみた。

「へっ? 私たちが、実の兄妹じゃない?」

 秋子が口を半開きにしたまま固まってしまった。そんな彼女の変化を確認しながら僕は淡々と話を続ける。

「本当の僕と秋子の関係は従兄妹っていうかまあ親戚で、全く血の繋がりがないわけじゃない。だけど、実の兄妹じゃ決してないんだ」

 さて、この“真実”を秋子はどう受け取ってくれるだろうか?

 できるだけ面白い反応を期待する。そう。小説家新藤光一郎絶望という名の愉悦を期待しているんだ。

 

「………………え~と、ですね」

 俺の説明が終わり1分以上が経過した所で秋子はようやく口を開いた。目を大きく見開いたまま。

「え~と、お兄ちゃんのお話というのは、つまり、私は本妹ではないと。ありさちゃんと同じで義という文字が付く妹だと。そういうことですね?」

「まあ、そういうことだね」

 秋子が思ったよりも動揺していないことにちょっと失望する。いや、もしかすると、この反応は……。

「言い換えれば、私はお兄ちゃんの本妹でないと暴露して驚かせようという、お兄ちゃんが私に仕掛けたエイプリルフールの嘘なわけですね」

「…………さすがは秋子。鋭いな」

 目を瞑って頷いてみせる。まるで秋子に嘘を見破られたことに降参の意を示すように。

 

「さて、どう進めるべきかな?」

 今回の嘘発動に関しては、実は二重の構えを施している。

 ちなみに僕と秋子が実の兄妹でないというのは本当のことだ。

 でも、僕はその嘘のような真実をエイプリルフールという日に秋子に伝えた。

 この場合秋子から期待できる反応は2つ。

 一つは秋子が僕の嘘を間に受けて深く悲しむというケース。

 この場合だと僕が目的を達成するためには都合がいい。

 深く傷つき、執筆のネタをタップリ提供してくれた秋子に対して、観察が終わった後にあれはウソだったと言って慰めることができる。

 僕は秋子と本当の兄妹でないという事実をできることなら一生涯隠しておきたい。だから、騙して、更に騙すというこの展開が理想的だった。

 でも、このルートを秋子は辿ってくれなかった。

 そして想定していたもう一つのケースが秋子がエイプリルフールの嘘として受け取るというもの。

 この場合だと僕が目的を達成するのはかなり困難になる。

 秋子が傷つかない分フォローは楽だ。でも、普段は見せない心の闇を引き出すことには失敗してしまう。妹のことだから悪ノリに関しては続けて付き合ってくれるかも知れないけど……う~ん。

 ちなみに、現在こっちのルートを進んでしまっている。秋子の頭の良さが僕にとっては不利な方向へと作用している。さて、どうしたものか?

 

 僕が頭の中で方針を決めあぐねている間にも秋子からの言葉は続いている。

「秋子はお兄ちゃんの言うことをよく聞くいい子です。従いまして、先ほどのお兄ちゃんの言葉も全面的に受け入れます」

 妹は正座して姿勢を正しながら真剣な表情をして訴えた。

 とても、嫌な予感がした。

 僕よりも遥かに頭のいい妹が、この状況を利用して僕をハメにくる。それを予感せずにはいられなかった。そして、実際にその通りの展開へとなっていった。

「私は、お兄ちゃんの本妹でないということを信じます」

 妹の口調はやけにキッパリすっきりしている。表情はやたら清らかでかつツヤツヤしている。秋子のヤツ。一体、何を考えている?

「つまり私は本妹でもない。ありさちゃんみたいに鷹ノ宮の人間でもない。お兄ちゃんにとっては扶養する価値のない縁の薄い親戚ということになります」

「へっ?」

 秋子の意見に面食らったのは僕の方だった。

「お兄ちゃんも夜遅くまで働いて得た貴重な収入で本妹でもない私を養う必要はないのではないでしょうか? そのお金はありさちゃんのために使うべきではないでしょうか?」

「いやいやいやいや。ちょっと待ってよ、秋子っ!?」

 急速に焦燥感が僕を支配していく。

 僕は両親が亡くなって引き離されてしまった秋子と再び一緒に暮らすために何年も時間をかけて準備してきた。小説家になったのもそのためだ。

 でも、秋子は僕と血が繋がっていない。ただ、それだけの理由で僕は彼女を扶養しなくていいと言い始めた。

 血なんか繋がろうが繋がっていなかろうが秋子は僕にとって誰より大切な妹、家族だというのにだ。知らず呼吸が荒くなっていく。

「お兄ちゃんに養われる価値のない縁の薄い私は……お兄ちゃんと一緒に暮らすべきではないのだと思います」

「ちょっと待てってばっ!」

 思わず大きな声を上げてしまった。

 だけどそんな僕の焦りや不安に構わず秋子は正座を続けたまま話を続ける。

「実の兄妹でもないのに、お兄ちゃんに夜中まであくせく働かせて自分1人だけのうのうと暮らすなんて恥知らずな真似は私にはできません。私は有栖川の家に戻るべきなのだと思います」

「だからやめろって言ってんだっ!」

 僕という人間の全てが、生きている理由が根本から崩れ落ちているようで。とても恐ろしくて……。

 電灯がついている室内にもかかわらず視界が急に暗くなっていく。胸の中から熱くて苦しい何かがこみ上げてきて吐き出してしまいそうになる。

 苦しい。苦しい苦しい苦しいっ!!

「私はお兄ちゃんの言葉を信じます。そして、私がお兄ちゃんの本妹でないということはそういうことを意味します」

 秋子の瞳が鋭く光った。

「両親がおらず、仲の悪い別々の家に数年間引き離されて暮らしてきた以上、私たちは一緒にいないのが普通なんです」

「頼むからそれ以上言うなっ!」

「お兄ちゃんの本妹でない以上、私はお兄ちゃんと一緒に暮らす家族でいることはできないんです。それが私たちという間柄なんです」

 秋子は礼儀正しい姿勢、落ち着いた声で僕とは家族でいられないと言い切った。

 

「血が繋がっていようがいまいが僕たちは兄妹だろうっ! 家族だろうっ!」

 声を荒げて激しく反論する。

 けれど、秋子は冷たくさえも見える礼儀正しい姿勢を崩さない。

「私たちの環境はそれを許さないんです」

「けどっ! それでも僕は秋子を養いたいんだっ!」

「私を……秋子を恥知らずな人間にしないでください」

 どこに出しても恥ずかしくない立ち居振る舞いを身に付けてきた秋子の声はどこまでも凛としていて。そのどこにも歪みを感じられなくて。

 それは言い換えれば、僕が秋子に本当の兄妹でないと告げた時に今と同じ反応が起きることを意味している。

 秋子は僕と本当の兄妹でないと分かれば別々に離れて暮らす覚悟を決めている。

 それが分かってしまった瞬間、僕の心は絶望に塗り潰された。

 

「本妹でない私にお兄ちゃんの隣にいる資格はありません。家族ではいられませんから」

 僕の心を深く抉り込む声が秋子から発せられる。

「…………もう、やめてくれ。それ以上言わないで」

 目の前はもう黒く塗り潰されて、かろうじて声を発しているのが秋子であることが分かる程度。僕という人間は、姫小路秋人は自我を保っていられているのか自分で自信がない。

「ですが、私がお兄ちゃんの家族としてずっと側にいられる方法が一つだけあります」

 自然と顔が上がって秋子を見つめていた。

「その方法とは……」

 秋子が僕の手を掴みながら自分の身体を背中から畳へとつけていく。

 自然と僕は秋子に覆いかぶさる姿勢となった。

「私を……有栖川秋子をあなたの手で姫小路秋子にしてください。そうすれば私は永遠にお兄ちゃん……秋人さんの側にいることができます」

 罠だ。

 瞬間的にそう直感した。

 秋子は僕の嘘に便乗する形で、今度は僕自身を嵌めようとしている。

 それは十二分に理解している。

 理解している。の、だけど……。

「秋子を妻に娶れば……僕たちは永遠に離れずに済む。というわけか……」

 僕はその提案の魅力に惹き込まれ始めていた。

「ええ。秋人さんが私を女にしてくださるのなら、永遠の愛を誓ってくださるのなら……秋子は一生あなたから離れません」

 心臓が爆ぜて吹き飛ぶような大きな音が鼓膜を揺さぶっている。

 音が大きくなるほどに僕の思考は不明瞭になっていく。

 秋子という存在が今までとは違って見えてくる。

 僕がずっと自分を騙し続けてきたもう1つの姿で見えてくる。

 僕が秋子と一緒に暮らしたかった理由は何か?

 秋子が妹だから。

 それは正解だ。

 でも、100点満点の解答じゃない。

 僕は秋子だから一緒に暮らしたいと強く願ったんだ。

 それは何故か?

 

『おかえり……秋子』

『はいっ。ただいま。お兄ちゃんっ』

 

 1年前の春のあの日、秋子と数年ぶりに再会した日に僕は自分の努力が間違っていなかったことを確信した。

 そしてそれが何故間違いでなかったと確信できたのか。その理由について僕は深く考えないまま1年間を過ごしてきた。

 考えちゃいけなかった。

 それは何故か?

 秋子を押し倒しているという今のこの姿勢を取っていると、その理由が嫌でも僕の胸の内から脳へと這い上がってくる。

「秋…子……」

 秋子の名前を呼ぶだけでも僕の脳はおかしくなってしまいそう。

 年相応以上に膨らんでいる2つの頂きの上下動は僕の目を惹きつけて止まない。

 秋子の体から発せられる女の子特有の甘い香りが僕の鼻腔をくすぐって衝動を掻き立てる。

 僕は今、秋子の体に触れたくて仕方なかった。体に触れ、それ以上の行為をしたくて堪らない。

 秋子の全てを僕のモノにしてしまいたい欲望で頭のてっぺんからつま先まで満たされようとしている。

「認めるしか……ない……かな」

 僕が秋子に本妹だと告げないでいた本当の理由。

 それは秋子の変化ではなく僕自身の変化を恐れていたから。

 秋子を1人の女の子として、性欲の対象として見てしまう自分を抑えられないことに勘づいていたから。

 そう。僕は秋子のためでなく、僕自身のために告げてこなかったのだ。欲望のままに秋子を、妹を傷つけてしまうことを恐れて。

「秋人さん……」

 秋子が目を瞑って身体の力を抜いた。

 そして『秋人さん』という呼び方は、僕が彼女に手を出すことへの心理的負担感を減らすための配慮に違いない。お兄ちゃんとは違う存在であることを示している。

 それらは僕に全てを委ねるという意思表示。

 それらの言動は一見普段と何も変わらない。

 けれど、それを受け取る僕の方が普段とまるで変わってしまっていた。

「いつか秋子を手放すことになるぐらいなら、いっそこの手で……」

 明子と一緒にいたいという思いは僕の理性を溶かしていく。

 兄として妹を守ろうとしているはずなのに、1人の男が1人の女に手を出そうとしている。

「私の全ては……あなたのものです」

 その言葉に最後に残っていた理性さえもプツンと音を立てて切れてしまった。

 僕は秋子の柔らかそうな胸の膨らみに向かって手を伸ばした……。

 

「秋人にいさまっ♪ 今日はお天気もいいですし一緒にお花見にでもいきませんか? ……あっ」

 僕が秋子の胸に手を触れようとした瞬間、鷹ノ宮家の妹ありさが扉を開けて室内へと入ってきた。

 その次の瞬間に大きく目を見開きながら硬直して立ち止まるありさ。そんな彼女の様子を見て僕は急速に平凡無害な男子高校生姫小路秋人としての理性を取り戻していく。

「違うんだっ! これはっ!」

 僕は慌てて秋子から身を離そうとした。けれど、秋子の手はいまだに僕の服を掴んだままなので立ち上がることもできない。

「ちょっとアッキー。朝から粗野で下品で貴方の人格そのもの卑しい大声を出されては、お笑い芸人になるための鍛錬にも集中できないわ……あっ」

 那須原さんが同じく部屋に入ってきて僕たちを見ながら固まった。

 普段セクハラ発言を盛んに行ってくるけれど、本人曰く処女であるらしい那須原さんにとってこの光景は刺激的すぎたのかもしれない。

「君たちは秋人の部屋に集まって何をしているんだい? ……あっ」

 ありさたちにつられて部屋の中へと入ってきた銀が前の2人と同じように僕たちを見ながら固まった。

 古風な家に生まれ古風な人格を持つ彼女にとって、この光景は受け入れられるものでは到底ないのかもしれない。

「お前ら、姫小路秋人の部屋に集まって何やら面白そうなことをしているようじゃねえか。どれどれっと……」

 そしてこの寮で最も厄介な人物、会長までもが僕の部屋へと入ってきた。

 会長は押し倒した姿勢になっている僕と秋子を確認して軽く目を瞑った。

 

「事後、か?」

 

 今日の昼食のメニューを尋ねるような軽い訊き方だった。

 その瞬間、僕を含めた残りの5人の体は激しく痙攣した。

「事後じゃありませんっ! これは、秋子のエイプリルフールの冗談に付き合ってこんな体勢になっただけで……っ」

 僕は真実を覆い隠して慌てて弁明に走った。

 事後じゃないのは本当だ。僕はまだ、秋子の胸にさえ触れていない。

 そして僕は鈍感で意固地で草食動物な姫小路秋人像を貫き通さなければならなかった。そうでないと、僕はもうこの寮に秋子と、みんなと一緒に住めなくなる。

 そんなのは絶対に嫌だった。

 さあ、秋子。ここは僕と口裏を合わせてこの学生寮での生活をもう1年エンジョイするために口裏を合わせておくれっ!

 

「勿論……事後です。三回戦連続でした」

 

 妹はドヤ顔で返答してくれた。何一つ恥じた様子のない清々しい返事だった。

「私の純潔は、先ほどお兄ちゃんによって奪われてしまいました。これから本屋さんに行ってたまごクラブを購入したいと思います。後、お役所に行って母子手帳をもらってこないといけませんね♪」

 勝者の笑み。そして特権。

 そんなフレーズが秋子の顔の横には浮かんでいるようだった。

 会長を含めた4人の少女たちの体が大きく激しく震え出す。

「うっ、嘘だからっ! 全部秋子のデタラメだからっ!」

 僕は必死になって疑惑を否定する。けれど……。

「秋人さんは私の純潔を奪うに際して言ったのです。『いつか秋子を手放すことになるぐらいなら、いっそこの手で……』っと」

 秋子はポッと頬を染めた。

 セリフ自体が嘘でないのがまた厳しかった。

 しかも、ここぞとばかりに僕のことを『秋人』と呼んでくれた。僕と秋子がただの兄妹でないことをわざと匂わせる呼び方だ。

「秋人さんは私に、実は私たちが本当の兄妹でないと告げたんです。そして、私は秋人さんと家族であり続けるためにこの身体を捧げました。私と秋人さんは……もう、普通の仲の良い兄妹じゃないんですっ! 結婚を前提とした恋人同士なんですっ!!」

 秋子、涙を流しながらの一世一代の名演技だった。

 

「はぁ~。僕の人生、終わった。よね」

 恐る恐るありさたちへと目を向ける。

「ありさ……秋人にいさまをこの手で料理しなければならない日が来るなんて、今日まで想像もしていませんでした。とても残念で」

 ありさは全身を震わせながらよく研ぎ澄まされた鋭利な光を放つ包丁を僕に向かって構えている。

 包丁を研ぐことも怠らず家事全般に決して手を抜かないありさは将来良いお嫁さんになるだろう。

「漫才の相方のぬいぐるみを修繕しようとして針を使ってみたのだけど上手くいかなかったわ。代わりにこの針でアッキーをお仕置きしてあげようかしら」

 那須原さんはバールのようなもの、というかバールそのものを振ってみせた。

 バールを針と言い切る那須原さんはお笑いのボケとしてはきっと大成するに違いない。いいツッコミと巡り会えさえすれば。

「秋人の更生は親友であるボクの大切な役割の一つだったというのに。その任務に失敗した以上、ボクが君の人生に引導を渡さないわけにはいかないじゃないか」

 銀もまたありさと同じく包丁を僕に向かって構えた。さすがありさの料理の師匠だけあって、ありさの包丁よりもよく研ぎ澄まされている。

「実はこれ……真剣なんだ」

 会長はそう言って居合抜きの姿勢に入った。

 あれは……飛天御剣流奥義天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)の構え。

 会長さん、本気で僕を殺す気だ。

 

 高坂さんの先ほどのメールの内容が頭をよぎる。

 

エイプリルフールに嘘をつくと、特に結婚に関連する嘘をつくと女たちに無慈悲に残酷に冷酷に殺されるぞ。気を付けろ。絶対に死ぬからな。念を押しておくぞ。

 

「高坂さんの……言う通りでした。人のせっかくの忠告を聞かないなんて僕は馬鹿だなあ」

 人の話はよく聞いて役立てよう。

 それが僕の人生で最期に得た教訓だった。

「秋人にいさま……サヨウナラです」

「あっきー……バイバイ」

「秋人……来世でもボクたちは親友だよ」

「姫小路秋人……今まで楽しかったぜ」

 4本の凶器が……僕とこの世との絆を絶った。

 幸いなことに、痛みを感じる間もなく僕の意識は急速に薄らいでいき、世界が真っ白に、そして深淵の闇へとその景色を変えていった。

「え~とですね。実は、事後というのはエイプリルフールの冗談でして♪ お兄ちゃんと2人でみんなにドッキリを仕掛けてみました♪ って、あれ?」

 若干(・3・)なことを言っている妹に強く生きて欲しいと願いつつ、僕は二度と帰ってこられない片道切符の銀河鉄道へと乗車したのだった。

 

 

 了

 

 


 
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