八.
第二アリーナの一画に白銀の装甲を身に鎧った織斑一夏は陣取っていた。
青雫と打鉄の試合の直後にここへと駆け込んでから既に三時間弱。
最初は面白がって眺めていたギャラリーの姿も最早見えず。ナイターの光源の元で少年は淡々と白刃を振っていた。まるで煮え滾るように身体が熱い。
久しく忘れていた感覚が一夏の全身を忙しく巡っていた。
興奮は上手く言葉にできない。そういう時はいつも気の済むまでこうしているのだ。
使うのは手首ではなく腕全体。
力任せにするのではなく、目標が、在ると定めた位置に雪片弐型を振り下ろす。
切り返し、突き、袈裟懸け。基本に忠実に、ただ正確に、そして徐々に速く。
一刻でも早く馴染むように、ブレを修正しながら、身体にその軌道を思い起こさせる。
足場の無い、相手が飛び道具を使う剣道。
四日前に姉にその話をされた折はまったく想像がつかず、これまでは機動制御に専念していた。しかし、その疑問は本日やっと解消されたのだ。
今の一夏ならば明確にそのイメージを思い浮かべられる。
――篠ノ之箒の見せたあの剣戟。
出鱈目な速さの中に魅せたあの剣捌きこそ、一夏が目指すべき理想。習得すべき技術。
六年の合間に外見も性格も口調さえも、すっかり変わってしまったのだと思っていた。けれど、その根底でやはり彼女と自分は繋がっている。共に過ごした時は嘘を吐かない。
おそらくあの観客席の中で唯一、一夏だけが理解していた。
その流派を、繰り出す技名を。
要はそれをどのタイミングで形作り、どこに打ちこむかが、地上とは違っているだけ。
その相違を払拭したとき、一夏は乗り手から繰り手へと替わる。確信があった。
剣光が文目を紡ぐ。ISの性能というのはやはり凄まじい。
たった一週間のトレーニングで付けた速成の筋肉と体力だというのに、一夏の挙動は、もはや、剣術に従事していた三年前を容易く凌駕する。
PICによる繰り手の重力軽減はそれだけで刃の速度を上げるのだ。最小の力で最大の効率を。ISが世界最強の兵器といわれる一因である。
それがもたらした結果には複雑な思いもあるが、現状はそれに頼らねば勝利への可能性すら見えないというのが、一夏の置かれた立場だった。
まったく、四日前までの自分は、それでも何故だか楽観している節があった。
まさか男が女に負ける訳がない。根拠のない自信、怠慢が心に巣食っていたのだ。
努力に性別など関係ないというのに、いつから自分はそんな勘違いをしていたのだろう。
これではセシリアを傲慢だなどと、断じる資格も自分には在りはしない。このままでは負ける。元々少なかった勝機が試合を前にして零に変わる。
興奮は事実だが、抱いた一抹の不安もまた真実だった。
こんな無様を晒したまま、明日の箒との試合に挑むなど、まさしく笑わせるなというものだ。
故に、この場でもって自分は再び闘争の資格を自らに課すために雪片を振う。
姉の代名詞を所有しながらその名に奢って敗北するようでは、自分が刀を持つことすら許せなくなりそうだった。
「ねえ」
そうしてまたしばらく刀身を躍らせていた一夏に声を掛ける者があった。それは囁きのような小声だったが、白式の性能ならば十分に感知可能な音量だった。
素振りを中断して振り向く。勿論ISの機能的に後ろのままでも十分に彼女の姿は認識できていたが、それでは礼に反すると一夏は思っていた。
それにやはり正面からの方が、認識しやすい。
そうして改めて一夏は声を掛けてきたのが、四日前に第二整備室近くですれ違ったあの彼女だと気がついた。今日は自分と同じく操縦練習をしていたらしい。
とてつもない勤勉さだと思うと同時に、もしかすれば彼女は他クラスの代表者なのではないかと一夏は見当をつける。しかし、そんな優等生が自分になんの用だろう。
そういえば記憶に残るきっかけとなったあの雰囲気が現在の彼女からは感じられない。しかし、気を許したと考えるのは早計だろう。
彼女の眼は未だ鋭く一夏を睥睨しているからだ。
悋気の類かとも考えるが、どうにもしっくりこない。根拠はないが、自分と彼女の根は深いと、一夏は思うのだ。意図せず自分は彼女を傷つけたことがあるのではないか。
けれど、まさか馬鹿正直に本人に尋ねる訳にもいかない。結局、上手い言い回しも思い浮かばず一夏は誤魔化すように言葉を吐いた。
「えっと、何か用か?」
我ながら間の抜けた応答だと一夏は嘆息する。
用事もないのに、他人に話しかける者はいない。
そんな少年の自己嫌悪に反応することもなく、淡々と彼女は自分の手首を指差した。
「……そろそろ閉館」
そういえばいつのまにか、アリーナには自分と彼女以外の人影は見えなくなっている。まったく意識するのを忘れていた。自分の世界に入り込み過ぎるのも考えものだ。
「もうそんな時間だったか。えっと、」
「更識簪。三組、クラス代表」
「そうか、更識さん。教えてくれてありがとう」
「別に」
どうにも無口な簪との会話に一夏は息苦しさを覚える。これは本当に、クラスメイトに一度話を聞いた方がいいのかもしれない。
故に足早に立ち去ろうと、一夏は会釈をしようとした。
「……代表候補生と勝負するって聞いたけど、ほんと?」
まるでその動作を遮るように、簪は一夏に質問を投げかけた。
どうやら今回の一件は、校内では既に広まっているらしい。
「ああ、そうだけど」
「……いくつか、あなたに質問したいことがある」
正直、それに応じる必要はなかったのかもしれない。
けれど、それは親切にしてくれた簪にたいしてどうしても不義理だと一夏は感じた。
「かまわないぜ」
「そう。……なら教えてほしい。
今日の試合を見て、どうしてあなたはそうやって平然としていられるの?」
その質問の意味が一夏にはよくわからなかった。それにしても流石クラス代表だ。
今日の試合の内容をもう把握しているらしかった。だからこそ余計にわからなくなる。
自分は平然となんてしていない。興奮もしたし不安も感じた。だからこんなに遅くまで訓練をしているというのに。
「戦闘技量に、機体制御、それに稼働時間。
……どれをとって見ても、あなたに勝ち目なんてない。それなのに、あの試合の直後にどうしていつも通りにあなたは訓練を始められるの?」
まさか。そんな疑問抱かれているなんて。
勘違いしてほしくないんだが、そう前置きして一夏は話し出した。
「俺は別に自暴自棄になった訳じゃない。それと念のために言っておくけど、あの二人にそれでも俺は勝てるとか、現実逃避している訳でもないんだ」
一夏は自分でも驚くほど冷静に、現状を把握していた。
「おそらく更識さんの言う通り明日の試合も明後日の試合も、奇跡でも起こらない限りは俺の負けだろう。けどさ、だからってそれが諦める理由になるのかな。
勝てないなら勝てないなりに全力を尽くす。俺の考えはそんなにも変かな?」
次は簪が沈黙する番だった。しばし考えた後、再び彼女は一夏に問い返す。
「……あなたは、負けるのが怖くないの?」
「そりゃ怖いさ」
「だったら、……どうして?」
「俺は、戦うよりも逃げる方が怖い。逃げたら、もう俺には戻れない気がするから」
だから当然と、試合の後に一夏はアリーナへ走ったのだ。もう勝てっこないと諦めたら再びは立ち上がれないことを自分は知っていたから。
その興奮が恐れへと変わる前に、自らの糧にしてやろうと一夏は急いだのだ。
一夏の返答に簪は驚いたように目を丸くした。そんなにも自分の言い分は変だろうか。思わず、考え込んだ一夏は簪の口元が無意識に動いたのに気づかなかった。
だから「そう」と相変わらず硬質を含んだ物言いに、それ以上の意味があるとは考えなかった。まるで話はそれで終わりだと、自らに背を向けて去っていく彼女の眼元が初めて緩んだことも彼は知らないままだったのだ。
そんな更識簪を篠ノ之箒はピットで出迎えた。
適当な挨拶を交わし、タオルとドリンクを簪に手渡す。少し困惑して聞いてくる彼女に箒はただ肯定を返した。やがて汗を拭き始める簪に頃合いを見計らって箒は問いかける。
「それで、改めてキミの目で見た織斑一夏はどんな人間だったかな?」
それが副次的な目的でしかないことは簪も把握していた。今日の主題は打鉄弐式の機動データをサンプリングすることにある。
必要なデータは通常機動時飛行、近接戦闘時飛行、遠距離戦闘時飛行の最低三つだ。
内の二つは本日のセシリア戦、アリーナ訓練で既に入手済み。最後の近接戦闘時飛行は明日の一夏との試合で入手できることが確定している。開発は順調だ。
少なくとも気分転換がてら、簪自らが試験飛行に参加できるくらいには順調なのだ。
更に姉の楯無の協力を借りていないというのが、簪の心の負担を軽くしていた。だからだろう。四日前までは掴みかかりたいほどには憎んでいたはずの一夏と話をすることに、そこまでの抵抗を彼女は感じなかった。
話してみればよくわかるが、一夏は人に好かれる性格をしている。いささか軽率で物を知らないところはあるが、そんなマイナスを差し引いて余りある好青年なのだ。
だからこそ簪は一夏が羨ましい。
その評価はさきほど無意識に口走った言葉に集約されてしまう。
「彼は、……ズルい」
聞けば幼少は剣道に励み、中学校になってからは姉と家計を助けるためにアルバイトに奔走していたというではないか。
そして望まずに入学することになった学園では、それでも腐ることなく鍛錬に勤しむ。
その在り様はまるで、憧れるヒーローのようではないかと簪には思える。
「……どうしようもなく彼は眩しい」
本人にそのつもりがないからこそ、一夏の行動には違和感がない。まるで呼吸するのと同じくらい自然に彼は行動できてしまう。意図しなければ動けもしない簪とは違うのだ。
わかりやすく表現すれば天然と養殖の関係だろう。
望まずに役割に当てはめられた一夏と、それを望み役割に当てはまろうとした簪とではあまりに純度に違いがある。
「けれど、ヒーローになるのは私」
もっとも、だから諦めるなんて惰弱な考えなど、もはや簪は持ち合わせていなのだが。
なにより一夏には決定的に欠けた要因が一つある。
それはヒーローは常任ではなく、危機にこそ現れるものだということだ。その一部分において、簪にはまだ機会がある。
だから彼女は一夏の、その存在を、今なら許容しても良いと思えるのだ。
「……じゃあ。私、先輩にデータ渡してくるから。……あの、タオルありがとう」
慣れない言葉が羞恥を呼んだか、その頬を少し赤らめながら、簪はピットを後にした。
その初々しさを変わらぬ笑みで箒が見送って数分後、スライドドアが開く。
「やっほー、しののん四時間ぶりー」
「今晩は布仏さん。その表情を見る限り、首尾は上々のようだね」
入ってきたのは袖丈が異常に長い制服を着た女子生徒だった。
布仏本音。箒や一夏のクラスメイトであり、簪の幼馴染み兼専属メイドである。間延びする声やいつも眠そうな態度からは想像もつかないが、彼女のポテンシャルは高い。
惜しむらくはその才能の用途先が本人の好奇心に左右されるというところだろう。ただ今回は、それが功を制し、彼女は見事に自身の役割を全うしている。
すなわち更識、布仏の両姉が今回の一件を察するのを全力で妨害すること。
そのドッキリを四日前提案された折、本音は一も二もなく肯いた。面白そうというのが文字通り「本音」だろうが、彼女にとっても更識姉妹の確執は憂える事態だったのだ。
楯無は学園の生徒会長を現在務めている。その定員の採用権を以て姉の布仏虚と本音も生徒会に所属しているのだが、未だに簪だけ参加していないのだ。
幼馴染みが一人だけ仲間外れというこの事態を、本音は内心快く思ってはいなかった。
それは本音が求める日常には程遠いものだからだ。故に一時の苦労を惜しむことなく、彼女はこの非日常を終わらせるために、箒に協力することにしたのだった。
「うん、もうオーケーだよー。
一昨日からこーんなにいっぱいの未決済書類が見つかってね、もう大変なんだよー」
お姉ちゃん達が、と両手を広げながら本音は悪戯が成功したのを無邪気に喜んでいた。
なるほど、確かにその類をまさか入学したばかりの本音に処理させる訳にはいかない。そういうのには疎い箒には思いつかなかった手段だ。
「やはり、キミを味方に引き入れたのは間違いではなかったようだね」
「またまたまたー、そんなに褒められたら照れちゃうよー」
そんな風に雑談を交えながら近況を報告し合う。どうやら、あと五日は拘束できるようだった。その頃にはもう打鉄弐式は完成する。
「それにしても、どうして姉妹なのに喧嘩なんかしちゃうんだろうねー」
話しているさなか、本音がぽつりと呟いた。彼女の姉妹中は悪くない。同様に箒もそうだろう。だからだろう、彼女にはどうして仲違いをするのか、上手く理解できなかった。
「キミはどうやら一夏と似ているらしいね」
「えー、おりむーと? そんなこと言ったら、しののんだってそうじゃん」
「いや、私はこれでもかなり姉さんと衝突することが多くてね。
……そうだな、今年の夏あたりにまた喧嘩でもするかもしれないね」
「喧嘩する時期が決まってるってことー? やっぱり不思議だね、博士さんはー」
そうだね、と返答しながら、箒は空中投影型のディスプレイに書き込みを入れていく。見る間に埋まる白枠は本音なら目を回すような予定の山だった。
やはり忙しいのだろうな、と今更ながらに本音は思う。
模擬戦にIS製作、その専門校とはいえ実行者の身体は一つだけだ。
本人がやりたくて苦労しているのだから、まだ良いだろうが、これを義務として仕事としてやろうというのなら、本音はたぶん箒を止めるだろう。そういう量だった。
「さて、これでいったん作業は終了だ。ところで布仏さんは夕食を済ませたかい?」
「ううん、まだだよー」
「じゃあ、ご一緒にどうかな?」
「いいよー、やっぱりご飯はみんなで食べた方が美味しいもんねー」
そうだね、と繰り返す箒の後に本音は続く。
姉達に驚きを、日本政府に目に物を見せる日はもう間もなく。――英雄の誕生は近い。
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ISで篠ノ之箒メインの話をやってみたいなと思い立って書いた次第です。
ちなみにpixivとハーメルンでも同名作品を投稿しています。