生い茂った森の少し奥。
四方を木々に囲まれたある種の不思議な雰囲気さえ醸し出している河原があった。
その澄み切った水につかりながら、北郷一刀は若干の郷愁の念を感じていた。
(子供のころに行った川によく似てる)
そう頭の中で考えながらも、その故郷によく似た川で血を流し落としていることに奇妙な罪悪感も感じているのだ。それはある意味、自らの行おうとしていることに早くも後悔しているようにも感じた。
(だけど・・・)
そう、しかしである。
やらなければならないのだ。
自分と同じ境遇の者を生み出さないためになどという慈悲深い考えや、世の中を憂いてなどという義侠心に富んだ考えは、残念ながら頭の片隅にすらない。
思うことはただ一つ――――――――――――――復讐である。
子供が大切なものを壊された時のようなただただ純粋な怒り。
相手にも同じ痛みを味あわせたいという恨みの境地。
そんなある種の純粋な感情が一刀に活力を与えていた。
ただそういった意味では今回はとても運がよかった。いや、今回もというべきか。
復讐を決意した瞬間に同じ志をもつ仲間に出会うなど、漫画や小説よりも出来すぎた展開だ。
現実は小説よりも奇なりとはいうが、こちらに来たばかりのころといい、今回といい、なにか出来すぎていて逆に気持ちが悪かった。
まあ、こんなことを考えていても仕方がないことは、一刀自身わかってはいる。
どちらにせよ、村の近隣のことしか知らぬ一刀は彼女―――――趙雲についていくしかないのだ。
確かに一刀はこれから起こりうる未来を知ってはいるが、それは大局的なこと。
現状では全く意味のない知識なのである。であるからして、一刀には初めから選択肢などないのだ。
(それにしても・・・・)
そこでふと思考を変える。
頭をよぎったのは、これからの同行者となるかの麗人のことであった。
驚くほどの美女である。決して長くはない一刀の人生ではあるが、おそらく二度とお目にはかかれない、そう感じてしまうほどの美しさであった。
しかし・・・
(あれが趙雲って・・・・・反則だろ・・・。)
そう、彼女はただの美女ではない。
三国志における超のつく有名人。
誰もが知る猛将、趙子龍だというのだ。
確かに、あの長大な朱槍を軽々と振り回していたし、一刀は彼女の尾行に全く気が付かなかった。
それにしても―――――――――と思う。
(あれが本当に趙雲なのだとしたら、この世界・・・やっぱりちょっとおかしいぞ。)
そうおかしいのだ。
よくよく考えれば、今までもその断片はあった。
斧を軽々と振り回す村の女性、件の女武将、そして趙子龍。
彼女らはいずれも見目麗しい女性であり、加えて、細見の女性であった。
それも現代においても間違いなく理想と呼ばれるレベルである。
そんな彼女たちのどこにそんな力があるのか・・・
しかしこれも考えたところで答えなど出るはずもない。
一刀は思考を無理やり打ち切り、血を洗い流し始めたのだった。
一刀が体を洗い終え、しばらくたったあと、趙雲はひょっこり現れた。
というのも、血まみれで外を出歩くことができない一刀の代わりに替えの服を近隣の村まで買いに行ってくれていたのだ。
一刀は初対峙の時とは違う、彼本来の穏やかな笑顔で迎え入れ、頭を下げながら礼をいった。
一刀が体を乾かし終え、服を着た後、それまで黙って何かを考えながらたき火の番をしていた趙雲は、ようやく口をひらいた。それはこれからのこと、つまりこれからの行先についてであった。
「まず、ここから3つほど隣向こうの村を目指したいと思う。」
その趙雲の提案に対して、一刀としては特段反対意見はなかったのだが、率直な疑問はあった。
なぜそこなのかということだ。
趙雲の顔を見るにとりあえず、というような軽さはなく、どちらかといえばその村に行くことに意味がある気がしたからだ。
そんな一刀の疑問に、彼女は一瞬キョトンとしたが、すぐに吹き出すように笑い出した。
一刀としてはまるで見当はずれの質問をしたみたいで、羞恥心からついついふくれ面になるが、そんな彼に対して、彼女は口元をおさえたまま、待てというように右手を一刀の前でひらひらとさせた。
そんな彼女が口を開いたのはそれからすぐのことだった。
もっとも一刀にとってはとても長く感じる時間ではあったが。
「いやいや、すまぬ・・・べつに北郷殿の質問がおかしかったわけではないのだ。
ただ、私はいい同行者をもったと喜んでおったのよ。」
なおも笑いがこみあげてくる趙雲ではあったが、無理に止めることはしなかった。
代わりに、こちらも驚かされたのだ、これでおあいこだぞとでも言うように一刀をからかうような目で見つめるだけであった。
そんな趙雲にどうしていいかわからず結局一刀はふくれ面のまま黙っているだけだった。
「実はな、その村には私とともに旅をしていた知り合いがいるのだ。」
ひとしきり笑った後、趙雲はそんなことを言い出した。
趙雲によればその知り合いはかなり頭が切れるらしく、彼女たちならば助けになってくれるだろうとのことであった。
一刀にしてみればなぜ別れてしまったのかと疑問であったが、その問いに趙雲は一言、私は猪だからなとあっけらかんと笑ってみせた。
そんな豪快な姿に一刀は大きな頼もしさと、一抹の不安を抱えたことは秘密である。
そんな二人が件の村に着いたのは、それから二日後のことである。
道中一刀は趙雲のいたずらに翻弄され、時にはひとかけらの幸せと多大な不幸を背負ったりしたが、本人の名誉のためにもここは割愛させていただこう。しいていうならば、今作の北郷一刀も結局は「北郷一刀」であったということだ。
趙雲はまず、村の門役に彼女の知り合いがまだ滞在しているか尋ねた。
その知り合い自身も旅の途中であるらしく、すでに村を発ってしまった可能性が大いにあるからだ。
だが幸いにも、門役の話によれば未だ村を発っていないらしい。趙雲と一刀は門役にわずかなお礼を握らせ、知り合いがいるという宿に向けて歩き出した。
その道中、一刀はふとあることに気づいてしまった。
この趙雲の知り合いである。
外面はいいとはいえ、基本的には色々と破たんしているこの趙雲の知り合いである。
それが果たしてまともな人物であるだろうか・・・?
そのことに思い至ったとき、一刀の額にぶわっと脂汗が広がった。
趙雲からは知り合いは二人と聞いている。
もしその二人が趙雲のようなよく言えば個性的な、悪くいえばあくの強すぎる人物であったなら・・・
一刀の脳裏に三人の趙雲にいじられ辱められる己の姿が浮かんできた。
人によっては天国であろう。
まがりなりにも絶世の美女に囲まれいじってもらえるのだ。
もし一刀にそのような趣向があれば、うれし涙を流しながら自ら奴隷宣言をしてみせるだろう。
しかし一刀にそのような趣向はない。
断じてッ・・・・・・・ない!!
隠された禁断の扉の向こうにもおそらくないッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・たぶん。
であるからして、一刀は決意した。
(うん・・・撤退しよう。)
あくまで撤退である。
これからこんなものとは比較にならないほどの苦難を歩んでいこうというのだ、こんなところで逃げるなどと思考の欠片にもない。
よってこれは・・・・・戦略的撤退なのだ。
三十六計逃げるに如かず。つまりはそういうことだ。
一刀は決意を新たにし、瞳に強い光を放ちながら口を開いた。
「あのさ・・・趙雲。 ちょっとお腹が・・・」
いま、長きにわたる死闘の先端が開かれ―――――――――――――
「それは大変! ささ、早く宿に参りましょうぞ!」
・・・後に一刀はこう語っている。
いまに続く星との関係は、あの時あのにやけ面を見た時に決まってしまったのだろう・・・・・と。
無事(?)に宿に着いた趙雲と一刀であったが、その二人を出迎えたのは宿の主人ではなく、二人組の女性であった。
つやのある黒髪をショートカットにし、片眼鏡を付けた趙雲よりもより切れ長な瞳をした怜悧な雰囲気の少女。
そしてその傍らには、ふわふわの金髪を腰どころかそれよりも長く伸ばしている少女がいた。髪だけでなく全体的にもふわふわゆるゆるといった穏やかな雰囲気の少女で、なぜか頭にのせているエキスポ某によく似た置物が大変シュールであった。
黒髪の彼女はそれほどではないが、金髪の少女のほうは女性基準で考えても背が低かった。
彼女たちの名は、黒髪の少女が戯士才、金髪の少女が程立と名乗った。
なぜそんなことを知っているのかといえば、彼女たちこそ趙雲のいっていた知り合いであったからだ。
「お久しぶりですね~星ちゃん。」
雰囲気通りのゆるゆるな口調で程立が口を開いた。
その瞳は常に半眼で、今にも眠ってしまいそうなほどのけだるさを感じる。
「それで、そちらの御仁はどなたなのですか?」
程立に続くように戯士才も口をひらいた。
見た目通りのきつい口調だが、瞳の方はもっと凍り付いており、それを向けられた一刀としては苦笑いで返すのがやっとといったところであった。
そんな戯士才と一刀の間を、くすくすと意地の悪そうな笑いつきではあったが、趙雲が間に入り取り持った。
「まあまあ、凛。
せっかく再会したのだ。そう怖い目をせず、まずは喜び合おうではないか。」
そんな趙雲の態度に戯士才は毒気を抜かれたのか、少しため息をついた後、肩をすくめながら椅子に座った。
一刀としては、あれほどの視線を浴びたにも関わらず、その仕草になぜか親近感のようなものを感じたほどだ。
彼女もまた趙雲被害者の会の一員であった。
そんなことがあったものの、とりあえず一行は近くのテーブルに座り、一通りの自己紹介をすませた。
その際、趙雲は一刀との出会いを二人に話し、戯士才はおろか程立にまで今までの寝ぼけ眼とはちがう真剣な瞳で見つめられ、一刀は少々居心地が悪かった。
そこでわかったことなのだが、三人はどうやら真名(まな)を交換し合った仲らしい。
真名とはその人の持つ最も重要な名前であり、その人にとって心から信頼できる者にしか呼ばせない神聖なものである。もし今、一刀が趙雲の真名を呼ぼうものなら、すぐさま首を刈られるだろう。
そのことから一刀が、この三人が単なる旅の連れ合いというわけではなく、もっと強い絆で結ばれたものであることがわかったのだ。
「なるほど、なんとなくですが事情はわかりました。
おそらく、あなたは男村(だんそん)の出身ですね。」
話を聞き水を一口含んだ後、戯士才は冷静な口調で、しかしその瞳に若干の憐みを含みながら切り出した。
その言葉に隣の趙雲も得心がいったというような表情をしており、一刀だけが一人置いて行かれているようだ。
「えっと・・・その男村ってなんですか?」
であるからして、そんな一刀の疑問はもっともなのだが、周りは違ったようだ。
戯士才も趙雲もあの程立ですら目を見開いて驚いている。
そんな中、いち早く戻った戯士才は軽くため息をつきながら口を開いた。
「あなた・・・一応常識なので覚えておいてください。
男村というのは男が興し、その中心となる者が男によって成り立っている村のことです。
あとはわかるでしょう。だからこそ、男村の住人やその出身者は迫害を受けやすいのです」
男村についてはわかった、だがその後がわからない。
なぜその出身だと迫害されるのか。
なぜ・・・・。
いや、断片はあった。
よくよく思い出せば断片はあったのだ。
近隣の村との会合では村長の大半は女性でいつもこちらを蔑むように見ていた。
あの時は浪人や孤児が作った村だからだろうと考えていたが、それがもし「男だから」という理由だったら。
いまも思い出すあの将軍の言葉・・・
――――――――――――――――――――――――――下賤な男の分際で
あれも農民という階級に対してではなく、男に対してのものだとしたら。
そもそも一刀がいた時代でなぜ男尊女卑が横行したか・・・それは太古の昔、食糧を得るための狩りは力のある男の仕事であったからだ。つまり生殺与奪権が男にあったから。
しかしこの世界はどうだ。女性が男をもしのぐ膂力と体力を持っている。目の前の趙雲がいい例だ。
と、いうことはだ・・・・・
「男だから、滅ぼされた・・・?」
絞り出した声は自分で出したものとは思えぬほど弱弱しく震えていた。
そんな一刀を、心配そうに気遣いながらも、戯士才はなおも続ける。
「かつての時勢よりはましになったとはいえ、いまだ多くの人が男を蔑んでいます。
中には家畜程度にしか思わないものもいるでしょう。」
ダンッッッ!!!!
戯士才の言葉が終わるや否や、一刀は両こぶしをテーブルに叩きつけ、肩を震わせながらゆっくりと顔を上げた。
顔は赤黒く変色し、唇は強く噛みしめられギリギリと軋む。
そしてその血走った瞳の奥には、殺意を通り越した狂気ともいえる色が強く焼き付いている。
その表情に雰囲気に、一瞬戯士才は飲まれた。いや、正確に言えば怯えてしまったのだ。
だが、仕方がないことであった。
なぜならば、その隣で目を丸くしながら固まる程立も、一刀をまるで何かを探るように鋭く見つめる趙雲も、程度の差はあれ同じく飲まれていたのだから。
それほど今の一刀の激情は並々ならぬものがあった。
気づけば周りの客や宿の亭主もそれに飲まれ、あたりが静寂になるほどに。
(星の話のわりには軽い態度だと思ってはいましたが・・・)
まさかこれほどの鬼を心の奥に飼っているとは。
だが、と戯士才は思いなおす。
これほどの鬼を飼っておける・・・飼えているのだと。
果たして自分にできるのか。
家族を殺され村を焼かれ、天涯孤独となった恨みを・・・その感情を飼うことが。
戯士才の喉がなる。
だが、いやだからこそ言うのだ。
未だ平静を保っているのなら、保っていられるのなら。
自らが成そうとしている道がどれほど険しく遠いかを・・・この口で。
「・・・・・・・・・・・・・わかりましたか?
あなたの敵の強大さが。」
一刀がピクリと動く、しかし戯士才はその瞳を動かさぬまま淡々と告げた。
とどめをさすように。
「あなたは・・・この国の常識と闘わなくてはいけないんですよ。」
後に一刀は述懐する。
その一言から、自らのこの世界での人生が始まったような気がすると。
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まだまだ充電は切れてはいないので連続のうpです!!
魏愛好会のみんな、またせたな!!
今回は凛ちゃんと風ちゃんの登場ですよ~。
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