No.541710

恋姫異聞録163 -新呉王-

絶影さん

こんばんは、ホントは番外編だったんですが、本編の方を進めます

ちょっと前なんですが薊の用意した兵科は一体何か?
皆さんの想像を超えられれば嬉しいな

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2013-02-08 21:38:45 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:6453   閲覧ユーザー数:4915

戦の準備が進む中、此処、新城ではこの日とある人物が城の中を悠々と歩き回っていた

これが唯の兵士ならば、誰も見向きもしないだろう。侵入者でも無い限り、城の内部を歩きまわる人間の顔を把握している

城の兵士は慌てることはない。だが、この日は少し違っていた

 

「昭様は何処じゃぁ?」

 

「薊っ!いい加減にしてくれ、私は此処に遊びに来たのではないっ!!」

 

悠々と、まるで昔からこの場所に住んで居る者のように城の中を歩きまわる薊だが、その佇まいは気品を一切失わず

静々と歩を進め、訛った言葉は何処か暖かさと柔らかさを感じさせる。一言で言うならば母性のようなものだろうか

 

お陰で側に着いて居る蓮華は、自由気ままに宗主国の城を歩いている薊を咎めて居るというのにも関わらず

落ち着きがなく、一人で騒いでいるように周りの者の目に映ってしまっていた

 

「ほたえな、落ち着きが無いように思われるじゃろぅ小娘」

 

「うぐっ!あ、薊が悪いのでは無いか、華琳との話は終わったのだ、もう此処に用はないと言うのに」

 

真名に様を付けて居た蓮華であったが、華琳から呼び捨てで構わないと言われ友好を示された蓮華は、華琳の真名を呼び捨てにし

華琳ほどの王に、友好を示される程度には成長できたかとその様子に少しだけ頬を緩める薊は、小さく手招きして蓮華の頭を撫でていた

 

「よしよし、はよぅ姉君に会いたいのだな、それなら先に行き、あしぁ昭様のお顔を見てから行くきに」

 

「こ、子供扱いするな。また昭殿に迷惑をかける気か、此処に来た時は何時もそうだ」

 

素直に招かれるまま近づき、頭を撫でられる手を振り払いもせず、頬を染めながら抗議をする蓮華に薊は苦笑しながら

もう迷惑はかけない、約束すると微笑んでいた

 

「おお、良い機会じゃぁ。あしと一緒に行くか、勉強になるきに」

 

「勉強?どういう事だ、昭殿から何を学べると言うのだ?」

 

小首を傾げ不思議そうにする蓮華、薊は何かを決めたのか白木のような美しく白い手を蓮華の手に絡ませ城の外へと導いていく

城の中は居なかった、ならば考えられる次の場所は向こうだとばかりに、城壁へと向い階段を登っていく

 

「ま、まて薊、何処へ連れて行こうと言うのだ、姉様も冥琳も待っている、早く館に」

 

「ええからあしに着いて来い、しょうえいもがを見せちゃるき」

 

面白いものを見せてやると言う薊に、手を引かれるまま城壁の縁へ寄れば、城壁の外から聞こえる兵士たちの気合の声

ビリビリと躯どころか城壁さえも振動させる声量に、躯を少しだけ乗り出して外を見下ろせば、魏の兵士達だろう

美しい列を作り、先頭で槍の使い方を見せる真桜を手本に、一斉に槍を前へと突き出していた

 

「そこっ!動きが一人だけ遅いっ!アンタだけやで遅れとんのっ!次遅れたら城の周り一人で走らせるからな、エエな!」

 

「はいっ!」

 

槍を上に掲げるように構え、一斉に振り下ろし、次に前へ突き出す。そこから更に槍を掲げ、方向転換し逆に叩き降ろし再び前に突く動作

列を作った槍兵は、己の武器が邪魔で方向転換が出来無い。だからこそ、一度槍を上げて方向を変える必要がある

前方には強いが、側面からの攻撃に弱い槍兵の弱点をいかにして消し去るか、それは一糸乱れぬ統制の元、自在にそして瞬時に

方向を変えて敵を迎え撃つのみ。だからこそ、一人の遅れは皆の遅れを意味し、皆の死を意味する

 

「・・・なんだとっ!?」

 

故に、真桜の厳しい叱咤は当然であり、なんら可怪しい事はないのだが、真桜が叱りつけられ勢い良く頭を下げた兵が小気味よい返事をして

再び槍を構える姿に蓮華は空いた口が塞がらなかった

 

「またやっ!もうエエ、アンタ一人城の周り走って来い!」

 

「はいっ、申し訳ありません!」

 

「真桜ちゃん、走らせるなら次は沙和のトコに混ざってもらってもいい?」

 

少し離れた所で、単純な基礎鍛錬を行なっていた沙和が、走らせるなら自分の所の方が力がつくとその兵の手を引いて

自分の担当する兵へと混ぜていた。兵は、素直に周りの者達と同じ、完全装備でさらに荷物を背に乗せて決められた場所を往復していた

 

「あ、あれは昭殿っ!何故あんな事をっ!」

 

汗を滝のように流し、兵達に遅れながらも引きずるように重装備のまま走り続け、途中で地面に崩れ落ちるが男は歯を食いしばり

仲間達の差し出す手を断って、一人兵達の最後尾で追いかけ続ける

 

「ククッ、そりゃぁ自分は皆と同じ言うとるに決まっとるじゃろぅ。おんしゃあそんなことも判らんかぁ」

 

「皆と同じなどと、命の重さは将と兵とでは明らかに違う!三夏の一人である昭殿ならば尚更だ!!」

 

「昭様ぁそうは思うとらんようじゃぁ。あしは、この姿を見て惚れなおしてしもうたき、兵に近い将なんぞおらんじゃろぅ」

 

兵と同じ訓練を積み、手を貸される事を拒み、足を引っ張る己の力の無さを恥と知る。悔しさに噛み締める唇に、兵は身を震わす

決して、自分には出来無いことを平然とする昭に蓮華は釘付けになっていた

 

「おんしには出来んよなぁ、あしにも出来ん。あがぁな事して兵の信頼をうしのうとるどころか、逆に兵の信頼を得ておる

普通のモンにはできゃせんちゃ」

 

「出来るわけなどないだろう、あんな真似をすれば将としての威厳は無くなる」

 

「可怪しいのぅ、ほならなんぞ昭様ぁあがあに兵に慕われとるんじゃろうかぁ?」

 

「・・・解らない、姉様でさえあそこまでしなかった。明確な線を引いていた」

 

「解からんかぁ、そうよなぁ解からんき。解からんから、よぉ見ようか」

 

返事は無かったが、無言で訓練を見つめる蓮華の姿に薊は静かに隣に並ぶ

土を舐め、泥をかぶり、躯は既に体力の限界だと震える足が訴えるが、男はそんなものは聞こえやしないとばかりに躯を引きずるように前に

指先ですら動かぬのならば、せめて声を上げろとばかりに気合を入れ、兵達の後ろから叫ぶ

 

「見てみぃ兵たちの顔を、皆一人残らず顔を青くし始めたじゃろぅ」

 

蓮華の眼に映るのは、遅れて足すら満足に前に進める事の出来無い男から前を行く男達に襲いかかる気迫

明らかに遅く、一歩一歩引きずるように足を進めているのにもかかわらず、背後に居る男からは圧しかる重圧

余裕のあった兵達の表情は一変、まるで戦場にあるかのような焦りと緊張に包まれる

 

どう見ても追いつかれる位置ではない、距離ではない、だが抜かれれば己の命を一瞬で奪いかねない

そんな気持ちにさせられる男の鬼気迫る雰囲気に、兵たちは顔を真っ青にして突っ走る

 

「一歩でも先に行かれれば殺される、そう感じさせる必死さがあるじゃろぅ」

 

「何故だ、何故あれほどの殺気が出せる。昭殿は武がないのだろう?」

 

「誇りがあるからじゃぁ。己が何者かを知り、己が何を護るかを知り、己の道を知っておるから出来る」

 

兵を追い立てる昭の恐ろしい表情を見ながら、どこか嬉しそうに答える薊の言葉で一瞬で理解をしてしまう蓮華

男の行動、そして背中に滲み出る父としての責任、護るべき家族、取るべき道はひとつ子供達の未来

 

解りやすい誇り、何故必死になるか?そんなことは愚問、愚か過ぎる問

見れば解る、男が何者か考えれば直ぐに答えは出る。当たり前の答えは、前で追い立てられる男達にも当てはまる

だからこそ、男は威厳を失わない。皆と同じであるから、皆の気持ちを一番に知る者だから、だからこそ男の声は、殺気は叫ぶ

 

そんな所で余裕の顔をしていて良いのか?俺のような半端者にすら追いつかれるならば、貴様らの誇りは全て偽り

蹂躙されて当たり前の心、護るべきモノの価値はその程度なのだと

 

「ほぉれ、青ざめた男達の顔が怒りに変わりおったぁ。精悍な顔つきに変わってきたじゃろぉ?」

 

見れば、殺気に煽られた兵達の顔は引き締まり眼に熱い炎を灯し始める

 

お前こそ、俺達に呑まれるような男であるな。我らが担ぐ将であるならば、我らの前を行くべきであろう

我らの魂を背に背負うならば、雄々しき将であれ

 

所定の場所まで走りきった男達は、一斉に来た道を戻り男の背後に回りこむ

そして、解っているとばかりに男は兵達の煽りを背に受けて走りだし、背後の兵たちを引っ張るように先頭で走り始めた

 

「解りやすいのぉ。が、此れは兵に解りやすいゆうばあ。小娘にゃ解からんき」

 

「私にもこの程度は解る。誇りと言うならば、私にも理解が出来る」

 

誂うように薊は城壁の縁に頬杖を着いて目線を送れば、蓮華は少々拗ねたように顔をそむけて居た

腕を組んで、それほど私は傲慢でも嫌気が多いわけではないと意思表示をしながら

 

「面白いわよね、彼」

 

「姉様!」

 

「此れは此れは、貴女様も此方に足を運ばれて居られましたか」

 

嫌気が多い自分の性格を遠回しに突かれた蓮華が少々不機嫌になった時だ、不意に聞き慣れた声が耳に入り

振り向けば隣でにこやかに微笑む姉が隣で美しい桃色の髪を掻きあげていた

 

「ええ、そろそろかなーって。私、この訓練の最後が好きだから、偶に見に来ているのよ」

 

「最後ですか?」

 

「そう、下手な舞台より見る価値があるわよ」

 

気がつけば、雪蓮の他にも住民だろうか、大勢の人々が集まり城壁を埋め尽くし、見れば子供までもが城壁の縁で大人に躯を

抱きかかえられながら兵達の訓練に視線を集めていた

 

一体何が始まるのだろうと不思議そうに首を傾げる蓮華に、雪蓮が次の訓練である凪からの洪拳の組手を終えた昭を指さした

 

武器を無くした時、頼れるのは己の肉体のみと兵達に教えられる洪拳は、才の無い昭には流石にきついのだろう

ボロボロの状態で肩を上下させながら息も荒く兵達を指導するために造られた櫓に上る

 

「フフッ、今日はどんな演目かしら。今から兵全員が音を上げるわよ」

 

最後の訓練は、全体の連携を高める為に詠が考えた練兵法

手伝いに着ていた鳳は、ロングシャツを靡かせて銅鑼を叩き、槍をもたせた兵達に武器を合し叩かせ、地面を突き立て音を奏でる

 

「さあ行くよ!昭様に着いて来れない奴は、私が特別訓練にご招待だっ!!」

 

舞の王である昭の舞に全員が合わせ舞い踊る。皆が舞い踊るは、凪の拳術の型、真桜の槍術の型、沙和の剣術の型を合わせたもの

それらを流麗に舞い踊る昭。皆の眼に映るのは、勇猛で誇り高き孤高の王者。昭の演じる将の姿に城壁で見守る観客達は、熱いため息を吐くが

兵達はあまりに早い昭の足運びに追う事で精一杯、今まで散々に走り組手を行なってきた兵たちは足を縺れさせ、転びそうになるが

 

「ほらほらっ!そこ、足が遅いよ!一人で夜明けまで訓練させるからね!!」

 

昭は一切遅れを見せず、それどころか奏でる音楽のテンポを踏み鳴らす足で無理矢理に引き上げて行く

先ほどまでボロボロであった様子がウソであるかのように、体力の限界など微塵も感じさせることの無いその動きに

兵たちは遂に口を空けたまま息を荒く吸い上げ、一人、またひとりと地面に崩れ落ちていく

 

「真桜っ!アンタが一番おそ~いっ!沙和も凪も訓練追加決定っ!!」

 

「そ、そんな殺生な」

 

「隊長の舞に着いてくなんて・・・無理なの~」

 

「くうぅ・・・」

 

「アンタ達の得意な武の型を舞にしたんだからっ!言い訳なんか聞かないよ!!」

 

将であるせいか、兵達よりも上の振り付けで着いて行くことを要求された三人は、鳳の厳しい叱咤に涙目で懇願するが

先ほどまで男に厳しくしていたせいか、強く願い出ることも出来ず渋々、鳳の追加訓練に返事を返し躯を必死に動かしていた

 

「素晴らしい、あれは飛将軍 李広。あしは昭殿じゃから一瞬、白起かと思うたが」

 

「昭王と重ねるとそうよね、でも彼の性格的に白起は無いわ。清廉な性格をした李広が彼には合ってる」

 

「此処に祭が居れば大喜びしたことでしょう、あの飛将軍を舞とは言え目の当たりに出来たのですから」

 

少々興奮気味の薊と同じく、雪蓮は昭の舞に前漢屈指の豪将李広を見たのだろう瞳を細くして獲物を見るかのように微笑んでいた

 

「・・・なぜ、そんな事がわかるの?李広の事は知っているけど、そんな事、わたしは少しも感じない」

 

二人の会話に着いていけない蓮華はひとりごちる

彼女には無理もない事だろう、性格的に彼女たちや此処に観客のようにして舞を見に来ている

民達とは違って、娯楽である楽隊や大道芸など見ない。勿論、饗しや嗜みとして舞姫達の舞や音楽は聞くことはある

王として、そして王の妹であった時から国に迎え入れる豪族や貴族と話を合わせる為に多少の知識は入れている

 

だが、純粋に楽しむと言った意味で舞を見ることが無い蓮華にとっては、確かに舞は素晴らしいと尋常ではないと感じる事が出来るが

その先へ行くことは出来なかった。圧倒的な表現力に感動はするが、内容までを理解することは出来無いでいた

 

目の前で親の手を離れて無邪気に昭の真似をして踊る幼い子供達

そんな純粋に舞を楽しむ子供達よりも自分は劣っているのかもしれないなどと生真面目な蓮華は眉根を寄せていた

 

「固いわね、責任と王としての決意が貴女の心を凝り固まらせてる。そんなんじゃダメよ蓮華」

 

「致し方が無い事かと、妹君は此れまでこのような娯楽と無縁といっても良い生活を送られて来ましたから」

 

「薊のそういう所は嫌ってたからね、仕方が無いかもしれないけど、少しはこういう部分も見なきゃ」

 

姉の忠告に蓮華は少しだけ顔を曇らせる

確かに、民を率いるにはこのような魅力が必要なのかもしれ無いが、娯楽を見て舞を理解できる感性が必要かと言われればそうは思えない

魅力であるならば、正しく民の意志を反映させた執政を行えば、魅力を感じ自ずと民は付いてくる。それはこの魏と言う国が証明している

勿論、今まで姉が治めていた呉の国にも言えることだ

 

そう考える蓮華には、姉の言葉がどうしても素直に受け入れることが出来無い。というよりも・・・

 

「あしや王の姿を不じってだと捉えちゅうから、ほがぁな顔をするがやろ?」

 

「不真面目ねぇ、確かにさぼって冥琳に叱られる姿を見てればそう感じるか」

 

無言の肯定を示す妹に、腰に手を当てて柔らかい母のような雰囲気を醸し出す雪蓮は、優しく手を取る

少し驚いた顔を見せる妹の手を引き、余韻を楽しむ民をかき分け階段を降りていく姉の姿に薊は呉で見れなかった姉妹の姿っが

こんな所で見ることが出来るとはと、複雑な表情を浮かべ苦笑すると優雅に人々の間をすり抜け後を追った

 

「何処へ行くのですか?我らの館は逆方向です」

 

「良いから、今日は私と少し遊びましょう」

 

「そ、そんな暇はありません!私は姉様から王の職務と位を譲り受けたのですから、それに思春も待っていますっ!」

 

いいから、いいから!と強引に手を引っ張り妹を無理やり市へと連れだす

政務くらい、少し遅れたって大丈夫それよりも、貴女はもっと違う眼を手に入れなければならないわと雪蓮は困りながら

着いてくる蓮華に微笑みかけた

 

 

 

 

「フフッ、相変わらず此処は活気がすごいわね。値段も安いし、まずは食べ歩きしましょうか」

 

「姉様、食べあるきなど行儀が悪いです。我らの取る行動では」

 

「あ!あの点心おいしいのよ。あっちの饅頭も、中に漬物が入っててちょっと珍しい味よ」

 

蓮華の忠告など聞く耳を持たず、雪蓮はしっかりと手を掴んだまま市の露天へ次々と入っていく

そして、値段が安いと言うのにもかかわらず雪蓮は店主と談笑、時にはからかい、時には軽く怒ってみせたりと

顔をコロコロと変えて交渉し、点心におまけを付けてもらったり、美しくシンプルな装飾品の指輪をペアで安く購入して見せていた

 

「えへへ、此れは蓮華のね。私はこっち」

 

そう言って、購入した指輪を繋いだままの手を引き寄せて指先に通し、今度は貴女が私に付けてと手を差し出す

出された手に、渡された指輪を渋々といった感じでため息を一度、小さく吐いて雪蓮の指に通せば

 

「有難う、蓮華と市に出かけた記念ね」

 

「あ・・・」

 

はっとした表情を見せる蓮華。少しずつ、少しずつではあるが、何かに気が付きそうになる

だが、それが何なのか解らない。何度も眼を瞑ってきたのだから、気がつこうにも眼を逸らしてしまう心

 

今までの、王の妹である彼女の責任が、性格が、顔をそむけていたモノに、無いものと思っていたモノに戸惑う

 

そんな蓮華を少し離れた所で薊は愛おしそうに、己の娘を見るかのように見つめていた

 

その後、散々市を連れ回され、少し後ろで二人の様子を伺っていた薊と共に昼食をとった後、ようやく館に戻るのかと思えば

連れて来られたのは町の外れ。風水に置いて悪い気を燃やす火の方位とされる、南の城壁の側にある少々大きく清潔な真っ白い壁の館

手を引かれ中に入れば昭が数人の男達と鉄の前掛けをして肩に担ぐように牛刀を持っていた

 

「なんだ、此処には来るなって言っただろう」

 

「見学よ、良いでしょう?」

 

「ああ、昭様。相変わらず凛々しい御姿、訓練も拝見いたしました。李広の舞、雄々しき姿にこの身が震えました」

 

「薊殿、此れはお恥ずかしい所を。ですが、貴女ほどの方に高く評価していただけるのは光栄です」

 

友のような挨拶を交わす姉や、恭しく頬を染め瞳を少し潤ませて礼を取る薊を他所に、蓮華は昭の姿に釘付けになっていた

普段なら薊のようにとは言わないが、礼儀正しく振る舞う事が出来たであろうが、彼女の眼に映る昭の姿はあまりにも予想外

ありえないこと、あるはずがない事、あってはならないこと

 

蓮華を口を空けたまま、空いた口が塞がらない状態にさせたのは、昭の鉄の前掛けが血で濡れていたこと

手に握る研ぎ澄まされた牛刀が血油で汚れていた事だ。彼は、将であり王と同列の者でありながら

最も下の下民がするべき仕事である屠殺をしていたのだ

 

「美羽が来てしまうから来るなと言ってるんだ、皆にもダメだと言ってあるのだから」

 

「大丈夫よ、あの子なら貴方のどんな姿を見てもキライになったりはしないわ」

 

「そんなことを言ってるんじゃない、美羽には未だ早いと言っているんだ。雪蓮が入ったと分かれば、自分も大丈夫だと」

 

「ふざけるなっ!!」

 

雑談を交わす二人の間に入り、牛刀を持つ昭に詰め寄る蓮華。元より自分には理解不能の行動をする男であると認識はしていたが

その行動すべてが王に繋がり、王の威厳を増すものばかりであったはず。剣を褒美として受け取った時ですら、昭の行動は王に通じていた

 

「どういう事だっ!貴方の行動基準は王の品位を高めるもののはず!なのにもかかわらず、屠殺をするだとっ!」

 

だが、目の前の男の行動は理解不能どころか、王の威厳を損なうモノ。今まで感じてきたはずの、少しずつ理解してきた事は偽りかと

つい大声で怒鳴るように昭に罵声を浴びせていた

 

「民に近い将と言うのも理解した、だがこの行動は逸脱しすぎだ!線引どころか己を貶める行為意外なにものでもないだろう!」

 

「まあ落ち着け、そんなに不思議か?俺が肉屋のまね事をするのが」

 

「当たり前だっ!下民の職であろう!元は罪人であった者も居るはず、何故そのような者達の業を貴方がやらねばならない!」

 

迫り鋭い瞳を向ける蓮華に、昭は首を傾げつつ牛刀を下ろして今度は壁にかけてある肉斬り用の小刀を手にとる

 

「下民て何だ?」

 

そして口から出た言葉は疑問。蓮華の語る下民に対し、昭の背はそんな人間は居ないと言っていた

人間に上も下も無い。唯一王だけが人とは違う。命の重さも、その血肉の価値も、魂の高貴さも全てが違う

だが、それ以外は民と同じ、将とて人間、何も変わらぬと意味する問に蓮華は一度凍りつき

 

「あっ・・・う、ざ、罪人とかだな・・・」

 

「罪人は、罪を償う機会も与えられないのか、一生罪人のまま、下民っていうのになるんだな?」

 

「つ、罪はそうそう簡単に償えるモノではないっ!」

 

「かもな、じゃあ下民って人たちから生まれた子供達も下民なのか、何の罪も無いのに?」

 

昭の問に言葉が詰まる蓮華。確かに、父母が犯した罪ならば子は関係が無い。子がした罪では無いのだから

だが、罪は子に引き継がれる。まるで王の血族が次の王になるように、罪人の血族は罪人であるのだと言わんばかりに

 

「綺麗事だ、罪人の父母は、子どころか一族にすら迷惑をかけている。犯罪を抑制するには丁度いい、子にも背負わせるのだと」

 

「確かにな、なら子供の未来は闇に包まれたままなんだな。一生、親の罪を抱えたまま死ぬのか」

 

「それはっ」

 

「親が悪いと言ってくれるなよ。その言葉で片付けられるほど、子の一生は短くない」

 

確かにその通りだ、王の子供だからと言って才能の無いものを、暗愚の帝となるのが解っていて王の位に着ける臣下は居ない

愚かな子供を、親である王ですら次の王とすることを良しとはしない。ならば、逆はどうなのだろうか

 

「罪を犯した父や母を恥として、反面教師として一生を生きるならば、その子は誰よりも恥を知り痛みを知る人間になるのでは無いのか?」

 

「だが、皆がそう思うとは限らない。己は父と母の血を継いでいる、だから同じ人間になってしまうと考える者も居るはずだ」

 

蓮華は腕を組んで少しだけ視線を落とす。そういった人間を何人も見てきた。乱世であるからそういった人間は山ほど居た

自分は、そういった人間を何人も切ってきたのだと蓮華の人と距離を取るため壁のようにして腕を組む姿が語る

 

昭は、そんな蓮華を見ること無く隣の部屋に入り、次に解体する躯を紐で固定された豚の額にツルハシのような道具で勢い良く突き刺す

慣れた手つきで血抜きをすると、兵たちは身動きが鈍くなった豚を吊るし、足を切り取り腹を割いて肋骨に手を入れて開き、内臓を取り出す

 

開かれた扉、個室から流れ出る血と臓物の匂いに蓮華は口を抑え、顔を背けた

 

「その為に俺達大人が居るんだろう?曲がらぬように子供達を育てるために」

 

「それと屠殺の何が関係あると言うのだ」

 

「前に、俺の妹が屠殺場で働く子供が本を買うトコを見ててな。店員が見下してたんだよ、屠殺場の人間かって」

 

握る小刀に少しだけ力が篭る。足に巻き付いた小さな手の感触が、穏やかだった日々を思い出させる

 

「だから、そういう子が卑屈にならなくて済むように、俺はこの仕事を手伝ってる」

 

誰にも見下させたりはしない、この国は努力し積み重ねてきたものが等しく恩恵を受ける国

男は偏見に刃を向ける。偏見を持つ全ての人々に、そして跪かせてやる未来ある子供達の前に。そう決意する男の瞳は静かに燃えていた

 

豚を鮮やかに解体し、部位に分けて行く男の姿に蓮華は何も言えなかった

そして、男の決意と行動に蓮華は少しだが彼が皆の尊敬を集め威厳を失わないのかを理解しつつあった

コレが口だけならば、なんとでも言い返すことが出来ただろう。だが、目の前で実行し身体で示しているのだ

何が言えるというのだろうか、反論など出来るはずも無い。此れで何も感じるなと言う方が無理だ

 

「ああ、それと今、俺がこうやって家畜を捌いてるのは、冷徹な軍師殿の命令でだ。何でも、大量に皮と胃袋が必要なんだとさ」

 

「兵達もやっているの?皮に胃袋・・・なぜそんなものを」

 

「王もご所望なんだよ、最近とあるものにはまってしまっていて、困ったものだ」

 

解体が終わり、次に仔羊を部屋に引き入れると首を一息で掻き切り、暴れる躯を押さえつけて血抜きをすると、

皮を剥ぎ取り腹を小刀で一気に切り裂いて肋骨を開く。関節に刃を入れ豚の時と同じように

慣れた手つきで解体をしていく昭は、臓物を綺麗に一つ一つ分けていく

 

「大量の肉は保存が効くように干し肉や燻製にする。無駄にはしないよ」

 

「華琳様が羊の肉を使った料理を気に入っているの?」

 

「いや、コイツだ。第四の胃袋、ギアラってやつだ」

 

胃袋の料理を好んで居るのかと、相変わらず部屋に充満する血肉の匂いに顔を顰める蓮華

昭はそんな事は構いもせずに、子羊から切り取った胃袋を手にとって見せる

 

「近づけるな、姉様も薊も居るのだぞ。服に血が付いたらどうする」

 

「血抜きしてるから飛ばないさ、こいつからレンネットってのが取れるんだ」

 

「れんねっと?なにを言ってるんだ?」

 

「そいつで乾酪(チーズ)を作るんだ。美味いぞ」

 

後ろでやり取りを静かに見ていた薊は、初めて聞く乾酪と言うものに興味を示したのだろう、昭が差し出す胃袋を興味深く見て

次に細い顎に指先を当てて、自分の知識と摺り合わせていた。雪蓮と言えば、何度か口にしているのだろう、またあれが食べられるかと

蓮華の手をとって、喜びを口にしていた

 

「昭様、もしやその乾酪というのは乳扇(ルーシャン)の事では?」

 

「流石ですね、南ではそちらのほうが有名です。羅馬では牛や羊の乳を使い乾酪と呼びます」

 

「嬉しい・・・」

 

さすがと褒められ嬉しく、本当に照れて恥ずかしいのだろう、少女のように耳まで真っ赤にした薊は袖で顔を隠して仕舞う

そんな初めて見る姿に蓮華は呆れ、ため息を吐き、次になんだ乳扇かと興味を失うが、相変わらず嬉しそうな姉を見て不思議になっていた

大して美味いものでもない、乳を煮込んで湯葉のように膜を集めて作るもの

 

「作り方も乳扇とは違って若い羊や牛の消化液を使って作る。ですが、香りも味もコチラのほうが濃厚で美味い」

 

「消化液を使う・・・美味いとは思えない。寧ろ、不快な匂いがしそうな食べ物だ」

 

更に作り方を聞けば、気持ちのよいモノではない。ましてやそんな作り方をする食べ物が美味いなどと想像が出来無い

だが、相変わらず姉はどんなお酒で合わせようか、また別の料理を作ってくれるならそれにあったお酒も選ばなきゃと

満面の笑ではしゃいでいた

 

「はしゃぐのは構わないが、美羽につられて涼風が入ってきたら俺は雪蓮を許さんぞ」

 

「大丈夫よ、此処に入るのだってちゃんと周りに注意したから。それより楽しみ」

 

部屋に充満する血と臓物の匂いなど気にすることもない、元々は民に混じって稲作等をしてきた彼女には、こういう職は当たり前のもので

不快になど少しも思わない。だからこそ、孫呉などと呼ばれるほどに民と王の繋がりが強いと一目で解る

元王であった雪蓮は、民に対して感謝と尊敬の念を持っているのだ。だからこそ、蓮華は姉に対して己は劣っていると感じてしまう

自分には出来無いから、自分には感じることが出来ないからだ。でも・・・

 

「なんじゃ、父様は雪蓮達が入るのは良くて、妾はダメだと・・・」

 

喜ぶ姉に、声をかけようとした所で館の扉が開き、外から従者である七乃を連れて入ってくる美羽

目に入った昭の姿に一瞬止まり、言葉を無くし

 

「おねーちゃん待ってっ!涼風も入るっ!!」

 

「あっ、駄目ですぅ!」

 

外で待っていろと言われたのだろう、一緒についてきた妹である涼風が、今まで入れなかった館に興味と好奇心で飛び込んでくれば

血で濡れた牛刀、油で鈍く光る小刀、血まみれの前掛けをかけて臓物を持つ昭の姿が目に入り

 

「・・・・・・ああああああああーッ!!おどうざんしんじゃうっ!じんじゃうぅっぅぅー!!!」

 

昭が大怪我をしたのだと勘違いしたのだろう、大粒の涙をボロボロと零して大声で泣き喚き始めた

 

美羽と七乃が涼風を外へと慌てて連れだし、誰もが涼風の泣き声に気を取られている中、雪蓮だけは顔を青くし

兵達は一斉に全員外に逃げ出し始めた

 

あれ?これ・・・この感じは見たことある、見たことあるわよっ!!

そう、あれは未だ此処に来たばかり、華琳がお尻を叩かれた時、あの時も彼の大事な人が秋蘭が悲しい顔をしてて

これって私のせいよね、だって来るなって言ったのに来たし、さっき許さないって言ったしっ!!!

ヤバイヤバイッ!私の感がビンビンに反応してるっ!此処から早く・・・

 

「逃げぼッ!!」

 

背後から聞こえるドシャッと言う重い鉄の前掛けが地面に落ちる音

慌てて振り向き身構えれば、目線の先には誰も居らず、何故か足元に絡みつく生暖かい感触

 

蓮華も気が付き音の方に振り向けば、姉が空中を錐揉み回転した後、地面に叩きつけられる様子

 

今の一瞬で、昭は静かに雪蓮の片足を両腕で取り、足首を脇腹に押し付けるように掴み、素早く内側にきりもみ状態で倒れこみ

雪蓮を回転力で投げ飛ばす。俗にいうドラゴンスクリューを放っていた

 

「ね、姉様ーっ!?」

 

足首を固定し捻っており、無理に堪えれば膝関節を負傷するため雪蓮は、耐える事ができず放り投げられ頭と腰をしこたま地面に叩きつける

ピクピクと地面に倒れて起き上がる事の出来無い雪蓮。心配する、と言うよりも突然起きた事態が把握できず、混乱する蓮華を他所に

昭は地面に崩れた雪蓮の足と首を掴んで、そのままゴロリと寝転がって弓矢固めへと移っていた

 

「くっ、姉様に何をするっ!」

 

「このままでは王がやられちゅうっ!あしに任せぇ!」

 

「薊っ!」

 

膝の上に乗せられ、パタパタと助けを求めるように手で宙を掻き、弓のように躯を逆に伸ばされ腰から嫌な音を立てる雪蓮を見て

即座に薊が蓮華の前に出る。その瞳は己が認める王に手を出された事に対する怒りか、細く鋭く細められていた

 

「あしにも技をかけてくだされぇ~♪」

 

「駄目だコイツー!!」

 

王に手を出されて~などは全くのウソ、欲望のままに薊は頬を染めて昭に飛びつき、気絶した雪蓮を放した昭は、抱きつく薊の躯を掴み

容赦の無いノーザンライト・スープレックス

 

「あうっ!?ま、まだまだぁああっ!!」

 

背中から地面に叩きつけられ、想像以上に痛かったのだろう、咳込みながらそれでも昭に抱きつこうとするが、昭は流れるように

グラウンド・コブラツイストへと移行する。誰もが一度は耳にしたことがあるであろうコブラツイスト。だが此れは原型

別名を寝技式アバラ折り。締め付けられる背中・脇腹・腰・肩・首筋に、蓮華の目に映る薊の顔は苦悶で・・・苦悶で?

 

「い、今助けるぞ薊」

 

「くるなぁ~、来たらあしはおんしをっ・・・いっしょうゆるしゃぁせん・・・ぐはぁっ」

 

「何を言ってる、このままでは躯を壊されてしまうぞ!」

 

「惚れた男に此れほど強く抱きしめれれることをっ・・・あしがどれほど夢見ていたか解るかぁっ!?」

 

訂正しよう。薊の顔は恍惚の表情で、何処か艶さえある笑と濡れた瞳。助けに行こうとする蓮華を見る目は対照的に

まるで華琳の側に居る桂花のような、眼力だけで人を殺せるような強く鋭い殺気と必死さの混ざった眼差しであった

 

「ああ、嬉しい・・・こんなに激しく・・・あんっ、そんなにされては・・・私、私・・・イッちゃうっ!」

 

「薊が逝ったーっ!?」

 

違う意味で逝った薊はガクリと首を持たれ、昭の拘束が外れれば力なく死体のように地面に崩れ落ちていた

姉とは違い、身動きすらせずに倒れこむ薊に心配し駆け寄って抱きあげるが返事はない

 

「しっかりしろ、こんな事で死んでしまったら一生笑いものになってしまうぞ薊っ!」

 

「・・・」

 

「死ぬな薊ーっ!!」

 

揺さぶっても返事はなく、顔には我が一生に悔いはないとばかりに幸福感に包まれていた

 

急にどういう事だ、娘が泣いてから急に暗殺者のような動きを、そうでなければ姉様が此れほど簡単にやられるはずがない

薊は阿呆だとしても、まるで思春のように死角に入り込んだ攻撃を

 

そう思った時、蓮華の脳裏に浮かんだのは、いつの日であったか死角に入り込む甘寧を手球に取った昭の姿

ならば逆に入り込むなど容易きこと、更にはあの時、諸葛亮の居る部屋に難なく忍び込んだとも聞いている

 

「はっ!?」

 

まずい、そう思った時には既に昭の姿が無く、蓮華は身構え腰の剣に手を伸ばそうとしたが

 

「剣が・・・無い。何故っ!?」

 

腰にあるはずの剣は無く、辺りを見回せば雪蓮の側に転がる蓮華の剣

直感で危険を感じた雪蓮が一瞬で側の蓮華から剣を取って構えようとしたのだろう、剣は使われること無く地面に転がっていた

 

「あ・・・」

 

小さく漏れる蓮華の声、背後から腰に回される白い包帯で巻かれた腕

蓮華は気が遠くなりながら、何故私まで?と思ったが、この地に来た時に華琳から教えられた男についての注意点を思い出していた

娘が泣いている時は近づくな、近くに秋蘭が居れば良いが時に見境が無くなると

 

「あのー大丈夫ですかぁ?雪蓮さーん?」

 

「父様、涼風は泣き止んだぞ、心配無用・・・じゃ」

 

七乃と美羽が扉を開ければ、美しい人間橋が眼に飛び込んで来た

フィニッシュフォールドとして使用されたのは、高角度ジャーマンスープレックスホールド

地面に転がる二人の姿と地面に突き刺さる蓮華を見ながら、七乃は静かに扉を閉めていた

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、ゴメンネ蓮華。まさか、美羽が来るとは思わなかったのよ」

 

「薊は良いとして、思わなかったで済まされる事ではありません」

 

屠殺場での一件から、蓮華が気がついたのは夏侯邸の布団の中であった

しばらく時間が立っていたが、薊は未だに幸福一杯の顔で気を失ったままで、日も落ちて居た事もあってか

美羽が詫びだと言ってチーズを使った出来立てのカルツォーネを雪蓮と蓮華に振舞っていた

 

「所で、薊は大丈夫なの?」

 

「うむ、心配無用じゃ。七乃が側で看病しておる。というか、とうに気が付いておる。妄想に耽って布団から出てこぬだけじゃ」

 

眉間に皺を寄せ、頭痛がするのだろうか額に手を当てる蓮華と苦笑いをする雪蓮

 

「彼は?約束を破ったし、ちゃんと謝りたいんだけど」

 

「今は行かぬ方が良い、秋蘭に折檻を受けておる」

 

今度は美羽が難しい顔をしていた。どうやらやり過ぎた昭は、秋蘭に何時ものように叱られて居るようで

苦笑いだった雪蓮は、自分のせいだと口の端をヒクつかせて額から一筋汗を垂らしていた

 

「確かに、あの場所に来るなと言われておったが、まさか屠殺場とはの。父様が立ち入る事を禁止する訳じゃ」

 

「あの子も必ず着いて来ちゃうものね、私も悪かったわ。約束、破っちゃったから」

 

「主はよう約束を破るの、自由過ぎるのも考えものじゃぞ」

 

美羽の研究室である蔵の一室で、卓に出された焼きたてのカルツォーネに小刀を挿し

中からアツアツのミートソースとトロトロのチーズに歓喜の声を上げながら、まずは貴女からと蓮華に切り取る

 

「すまんの、父様もやり過ぎたと謝っておった、ゆるしてたも」

 

「こんな事で私の怒りは治まりません」

 

「いいから、とりあえず食べてみて。すっごく美味しいのよこれ」

 

ムスッとしたまま、姉に進められるままブツブツと言いながらカルツォーネを口に含めば

濃厚なチーズの味と酸味とコクのあるミートソースが口で広がり、窯で焼き上げた生地がパリパリと口の中で心地良い音を立てる

一口でその味の虜になってしまったのか、無言で箸と口を動かしカルツォーネを食べていた

 

「良かった。せっかくの記念日が嫌な雰囲気で終わっちゃうって心配だったから」

 

「約束を破ってまで屠殺場に行ったのはそういう事か、あまり無理をするものでは無いと思うがの」

 

「ううん、怒られても行かなきゃ駄目だった。そうしなきゃ、この娘の為にならないもの」

 

姉としての役目を果たす為に、自分はあの場所に行ったのだと言う雪蓮に、蓮華の箸は止まる

 

何故、今日一日市を一緒にまわり、あの場所に行ったのか。その答えは既に蓮華の中に出ていた

 

何時もならば、政務がある状態で何処かに出かけるなどしない

自分の性格から言って、そんな不真面目な行為は最も忌諱する行為

だがそれをしなかった、姉の手に引かれるまま市を回っていた

 

何故?それは、手を振り払わなかったのは期待していたからだ、姉と過ごせる日常、幸せ、民が感じるような家族の時間を

だからこそ嬉しかった、指輪を買った時、指輪を互いに嵌めた時、自分と市に出かけた記念だと言ってくれた言葉が

 

コレを見たら、もう一度、姉様と来ようって思えるよう、楽しい日にしたいと思った

 

それが今まで眼を背けてきたモノ。民と同じ心

 

最後に見せたのは、自分とは正反対に位置する男の姿。彼の口から出た言葉が自分の見方を変えた

背けていたモノを見せる彼の背中。偏見から子供達を開放しようと刃を掲げ続ける父の姿

その刃は、己にも向けられて居るのだと理解した時、蓮華は民の心を理解したような気がした

 

「面白いな、何処に座っているかによって物事は見え方が違う」

 

不意に蓮華の口から出た言葉に雪蓮は少し瞳を大きくして、次に本当に、本当に心の底から嬉しそうに微笑んだ

 

自分が市を回った時のような、普通の日々を皆は過ごしたいと思っている

昭の姿に普通で平凡が、いかに多くの奇跡で成り立っているのか、いかに幸福で満ち溢れているのかを知る

姉が民と同じ目線を持とうとするのは、皆が何を思い何を護り何を大切にしているかを忘れない為

 

それこそが己が、王が護るべきモノ、護るべき誇り。民こそが誇り、故に孫呉であるのだと

 

「また、一緒に」

 

「もちろん、また出かけましょう。今度は、貴女が作った呉の市を回りたいわ」

 

「舞も見に行きましょう、今ならきっと楽しむ事が出来ると思います」

 

微笑み返す妹に、雪蓮は頷く。蓮華ならば、必ず自分を超える大きな存在へとなれると確信して

 

 


 
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