――くっ! またかっ!?
これで突っ込んだのは四度目だった。
初撃は完全にいなされ、膠着状態になってからも、攻めの主導権は渡すつもりはなかった。二度目のぶつかり合いで、相手のおおよその力は把握し、将器はおそらくは自分の方が上だろうと確信した。これまでの戦での経験で、ぶつかれば相手の力量くらいは分かる。
しかし、二度目、三度目も攻め切ることが出来なかった。
まるでこちらの考えていることが相手に筒抜けになっているような感覚。泥沼の中で足掻くにも似た徒労感。翠が感じていることはそれだった。将の顔は何度も見た。これまでに戦ったことはない。しかし、相手は自分のことを熟知しているかのようだった。
同数でのぶつかり合いで勝てない相手なら、翠も知らない筈はない。しかし、何度見ても将の顔に見覚えはない。いや、正確に言えば、曹操軍の将軍格の顔と名前は全て憶えていた。相手が沙和こと于文則であるということも知っているのだ。しかし、将に渡された資料の情報では、新兵の教練を担当する者であり、これまでの戦歴を見ても、決して自分と対等の人材であるとは思えないのだ。
――右翼、攻め上げろっ!
片手を上げて、指示を出す。
それと同時に自分も中央へと楔を打つ。両方向からの同時攻撃。二振りの槍が繰り放つ鋭い突きを、しかし、沙和は見事に避けてみせた。その動きはやはりこれから自分がどう動くのかを予知していたと思わざるを得ない。
「……くそっ!」
歯噛みし、吐き捨てるように、翠は呟いた。
あまり時間はなかった。自分はどれだけ長い間戦い続けていようと、相手が沙和であれば問題はないのだが、向日葵と蒲公英は違う。いや、向日葵の方は善戦しているようだ。奇抜な動きで翻弄する将と対峙し、最初は戸惑っていたようだが、蒲公英と何度も実戦形式の模擬戦を経験していたためか、今は落ち着きを取り戻し、力戦奮闘している。
問題は蒲公英の方だった。
対峙しているのは、間違いなく凪であろう。ただ前へ前へと愚直に攻め寄せる戦いは彼女独特のものだ。自分であれば、あれを正面から受け止め、それと同時に弾き返すことが出来るだろうが、蒲公英は性分なのか搦め手を使おうとし、それが裏目に出ている。このままでは下手すれば潰走し、壊滅させられるかもしれない。
すぐにでも相手を撃破し、蒲公英の援護に向かわなければならないのだ。
「将軍っ! 来ますっ!」
「ちっ!」
まるでこちらの思考による間隙を突くかのように、相手から突っかけてきた。大した攻撃ではない。突破力もその軌道も問題なく弾き返せる程度である。だが、相手は明らかに時間を使おうとしていた。のらりくらりと、こちらから反撃に転じようとすると、すぐさま部隊を下げるのだ。
実に厄介な相手であった。
しかし、その相手である沙和もまた限界を迎えようとしていた。
「はぁ……はぁ……。困ったの。さすがに次は止められそうにないの」
あの錦馬超を相手に四度も攻撃を受け切ったのだ。沙和は自分で自分を褒めても良いだろうと考えていた。自分が相手にするには、本来であれば、格が違い過ぎる。真桜や凪と合力して戦っても、おそらく勝てる可能性の方が低いだろう。
霞の騎馬隊に迎え入れられてからというもの、地獄のような毎日であった。来る日も来る日も気絶すれすれまで調練を積み、霞の動きについていけるようにならなければならないのだから。側に凪や真桜がいなければ、数日で心が折れてしまっていただろう。
――だけど、沙和は負けるわけにはいないの。馬超と戦えるのは沙和しかいないの。
そう自分を鼓舞し続ける。
だが、何故実際の将器で言えば、相当の差がある筈の、この両名が互角の戦いをすることが出来るのだろうか。そして、三羽烏の中では将として頭一つ抜けている凪ではなく、沙和が翠の相手をしているのか。その答えは沙和が編み出した戦い方にあった。
曹操軍の中で、沙和の武人としての評価は正直なところを言えば、あまり高いものではない。普通の上級将校程度の人材と比べると、確かに相手にならない程の実力を有しているものの、大陸屈指の猛将たちと比べると、やはり一軍を任せるには足りないのだ。
そんな沙和に転機が訪れたのは、先の荊州戦で霞の部隊の一部が白蓮に壊滅させられた後のことだった。凪が霞に直訴して、沙和と真桜の騎馬隊入隊を進言したのだ。それに対して、霞はその場で受諾したのだという。沙和にとっては冗談以外の何物でもなかったに違いない。
何故そのようなことを言ったのか、沙和は凪に尋ねたのだ。
「何故かだと? そんなの当り前じゃないか。私たちは三人で一人前だ。私には沙和と真桜が必要なんだ。このままでは霞様の副官として、私は任務を全うすることが出来ない」
凪は真剣な眼差しでそう答えた。
凪と真桜とは一番長い付き合いだった。正直に言えば、凪が霞の騎馬隊に引き抜かれたとき、嬉しい気持ちと反面、やはり一緒にいられる時間が少なくなり寂しかったのだ。曹操軍に加わってからも、こんなに離れ離れになったことなどなかったのだ。
だから、沙和もまた騎馬隊への入隊への決意を定めたのだ。
思えば、凪と真桜と出会うことで自分の運命は定まったのだ。自分の実力は自分がもっともよく知っていた。剣を握らせても、兵士を率いさせても、兵法を語らせても、全てにおいては中途半端だった。
一振りの剣では駄目ならと、二振りの剣を使うようになった。
一人では駄目ならと、三人で戦うようになった。
沙和にとって、凪も真桜も自分と同じ存在なのだ。凪が自分の力が必要だというのなら、喜んで協力しようと思った。
しかし、現実問題として、沙和には実力的問題があったのだが、苦心に苦心を重ねた上で、彼女は自分の強みを活かすことにしたのだ。凪のような武人としての強さも、真桜のように奇抜な発想力もない自分に、唯一他者には決して負けないもの。
そう、彼女は戦にお洒落を組み込んだのだ。
お洒落とは自分自身を着飾り、見栄えさせるためのもの。そのために、場所、時間だけに限らず、その日の天気や気分にも合わせた衣服を選ぶのだ。それを戦に置き換え、戦場、天候、思考、全てを自分に優位な状況に着飾っているのである。
そして、沙和の優れたところは、自分だけでなく他人の服まで選ぶことが出来ることであった。だが、他者に似合うものを選ぶことが出来るということは、逆に似合わないものを選ぶことが出来ることを意味し、それをそのまま戦に応用すると、敵に不利な状況を着せることが出来るというものだ。
通説を覆すような奇抜な考えを編み出したのは真桜であり、そのための用兵術を指導したのは凪である。この戦術は沙和の人生そのものを具現しており、正に三人で組み上げた理論であった。
そして、それを軸にして、稟を中心にして、対益州軍遊撃隊迎撃策は構築され、翠の率いる黒騎兵を沙和が担当することに決まった。直情的で感情の読みやすい相手だからであるが、沙和はそのために翠が参戦した戦を事細かく分析した。実際に曹操軍とぶつかったときは勿論、国境線での小さな小競り合いまで含めて、何日も何日も分析に没頭し、彼女は自分が翠であると思い込むまでに至ったのだ。
沙和は黒騎兵の動きが俄かに変わったのに気づき、すぐにその動きを細かく見通した。
「……っ! 何も考えずに突撃するつもりなのっ!?」
初撃を相手の心理に入り込み、無意識の内に矛先を転じさせ防いだ。二撃目、三撃目、四撃目、自分の手札を駆使して、そして、また相手が凪と戦っている蒲公英を気遣っていることに目をつけ、時間を使った相手の嫌がる戦法を使って防ぎ切った。少しでも何かが間違っていれば、一瞬で壊滅させられていただろう。
だが、翠は思考することを放棄したのだ。四度のぶつかり合いで、相手が格下であることは分かっているが、自分が考えれば考える程、相手の思う壺になっていることが分かり、ただ敵将に向かって殺到することを選択した。
いつから自分は目の前の敵将に集中することなく、身内の者を守れる程に強くなったと勘違いしたのか。とんだ思い上がりだ。自分は白蓮にもまだ遠く及ばないというのに。たかが一軍を任されたからと言って、相手を格下だと決めつけることなど、武人として恥以外の何物でもない。
「……すまない、まだ知らぬ難敵よ。ここからが、この馬孟起の本領だっ!」
翠は得物の銀閃を高く掲げた。それは自分を先頭にした突撃の合図である。ただひたすらに自分の後に従い、敵兵を駆逐する必殺の一撃。もう何も考えない。ただ相手の首を刎ね飛ばし、撃滅する。ただそれだけを目的としたのだ。
「あはは……さすがにこれはまずいの……」
沙和は乾いた笑い声を出した。まさかここまで早く思考を捨て去るという行為に走るとは思っていなかった。何故ならば、翠がこのような行動をするということは、自分を全力でぶつからなくてはならない相手と判断したからだ。まさか格下の自分をこのようにすぐに認めるなどと思う筈もない。
思考を捨て去った渾身の一撃。それにはこれまでのような小手先の戦術は通じない。それに同じ手が二度も通じる相手とも思えない。すなわち、これを防ぐには正面から受け止める以外の方法がないのだ。勿論、その勝負には最初から沙和の勝利という可能性はほとんどないに等しいのだが。
「だけど……沙和にだって意地があるのっ! 易々と首を取られるわけにはいかないのっ!」
正面から向かって来る黒騎兵に対して、沙和もまた自身を先頭にした布陣を組んだ。勝てる勝負でないことは分かっている。しかし、それでも沙和は退くことをしなかった。せめて片腕の一本でも、自分の命と引き換えにもらわなければ、霞の騎馬隊の一員としての責務を果たせないと思ったのだ。
――行くのっ! 于文則を舐めないでなのっ!
両軍が正面からぶつかり合った。
沙和は翠が自分だけを見つめているのに気付いていた。沙和もまた翠だけを見つめていたのだ。後続の黒騎兵の動きの見事さ。彼女の母親の翡翠が率いていた黒騎兵は、漆黒の獣と呼ばれ、羌族から恐れられていた。翠の率いる部隊もまた、その名を継ぐに相応しい動きであった。
沙和は二天を両手でしっかりと握った。
距離が徐々に近づいてくる。それだけで翠から放たれる闘気が沙和の身体を圧倒する。腕の一本を頂戴出来ると思ったこと自体が甘かったかもしれない。彼我の実力差は、こうして自分だけに力を向けられると一層身に染みる。
だが、沙和は二天を構えた。
狙うは相手が自分の身体を貫く瞬間。玉砕覚悟でその握り手をもらう。それしか翠の身体に触れる機会はないだろう。自分の身体を相手に差出し、命の灯が消える前に、片腕を切断するしかないのだ。
――凪ちゃん、真桜ちゃん、ごめんなの……。
接敵の瞬間、沙和はそう思った。
しかし、直後。
「沙和、ええ仕事したで。もう充分や」
「え?」
確かにその声が聞こえた。
そして、黒騎兵の無防備の横っ腹に高速で別の部隊が突っ込んだのだ。敵の接近に気付いた翠は咄嗟の判断で、中央から部隊を二分しようとしたが、それでも一撃で百騎以上が打ち落とされた。獣が喉笛を噛み千切る瞬間のようなその一撃は、相手が誰であるかを如実に語っていた。
「ここでお前の登場かっ! 張文遠っ!」
額に青筋を浮かべながら激昂する翠を尻目に、霞は突撃の勢いを全く殺すことなく、向日葵の部隊、蒲公英の部隊を襲撃した。二人ともそれを防ぐことが出来ずに、崩されてしまったのだ。
すぐに翠は旗を振らせて、二人に戦線を離脱するように指示を出し、自身も追撃に来るであろう敵部隊に備えて動き出した。向日葵と蒲公英は目の前の敵を放置して、全力で部隊を下げ始めた。完全に潰走したわけではない。一度崩れて離散し、再び終結した方がこの場合は良いのだ。
敵が合流した。総数六千を超えている。こちらの二倍である。しかも、霞が勢いに乗っている今は、相手にしない方が良い。反撃するどころか、追撃を食い止めるだけでも精一杯である。霞に自由に動き回る時間を与え過ぎたのだ。
「蒲公英、向日葵、無事かっ!」
「うんっ! ……でもかなり痛手を喰らったよ」
「私の方は、それ程被害は多くありません。しかし、張遼、あの一撃を潜り抜けられただけでも幸運でしょう」
「よしっ! とにかく、一度距離を取るぞっ! あたしが殿を受け持つ。二人は残りの部隊を纏めて、いつでも反転出来るように準備していてくれ」
翠はそのまま後方へと下がった。
先頭で駆けているのはやはり霞であった。目でこちらを挑発している。しかし、乗るわけにはいかない。今は部隊の被害を極力抑えることに専念しなければならないのだ。霞が仕掛けに突出でもしない限り、ここで追撃の手を遮るのが上策だろう。
こちらが向かって来ないことが分かったのか、霞は部隊を動かし始めた。右翼からこちらの進軍経路を防ぐ形で、凪が上がってきた。敢えて霞自身が動かない辺りが、自分を試しているのだろうと思えた。ここで動いて凪を牽制するか、この場に留まり霞に注視するかで、自分の力量を見ているのだ。
――どうする……。
翠の額に汗が浮かぶ。
部隊を立て直すにはもうしばらくかかるだろう。凪の動きは決して見逃すわけにはいかないものだ。しかし、自分が動いてしまえば、ここぞとばかりに霞は攻め寄せてくるだろう。そうなれば、彼女を止められる者はいない。自分ですら止められるかどうか分からないのだ。
だが、その逡巡が命取りになった。
霞本人が動き出したのだ。考える暇を与えぬと言わんばかりに、翠に向かって部隊を向けたのだ。完全に霞に先を握られていた。そして、それは自分と霞の将器の差に起因しているという事実に、翠は唇を噛み締めざるを得なかった。だが、そんなことをしている間に、霞はその剛腕を振りかざそうとしていた。
――ここはやはり奴を止めるしかない……っ!
前衛の指揮は向日葵と蒲公英に任せてある。二人であれば、決して凪に引けを取るわけないであろう。部隊数、そして士気の影響で崩されそうになったとしても、寸でのところで踏み止まるだけの胆力は持ち合わせている筈だった。
霞に向かって単騎で突撃。
それが今の翠に出来る精一杯の反撃であった。実に稚拙で安直な選択肢であるという自覚はあった。しかし、進路を凪に遮られ、背後から霞自身による追撃をされた段階で、翠に取るべき選択肢など最初からほとんどなかったのだ。
だが、霞に向けて決死の突撃を敢行しようとした直前に、黒騎兵と霞の部隊の間に、白騎兵が割り込んだ。霞自身が動き出したことに気付いた白蓮が、稟の部隊をすり抜けて、ここまで疾駆してきたのだ。
「翠っ! 済まないっ! 遅れてしまったっ!」
「白蓮、今回ばかりは助かったよ。あたしは前の楽進を牽制してくる。ここは任せて大丈夫か?」
「問題ない。すぐに郭嘉の部隊も合流すると思う。とにかく時間を稼ぐから、急いで部隊を立て直してくれ」
「あぁ」
二、三言の会話を交わしてから、翠は凪の部隊へと向かった。
白騎兵が遮ったことに、霞は舌打ちをした。どうにも白蓮とは相性が悪いのだ。おそらくここで自分が突っ込んだところで、おそらくは先ほどの気持ちの悪い布陣を組まれて、攻め切れないだろう。こちらも被害が出るわけではないだろうが、霞本人の癪に障るのだ。
「真桜、沙和」
「はいな」
「はいなの」
「凪と合流して、一旦部隊を下げや。すぐに稟も合流するやろうから、そしてからが勝負やで」
またしても勝機を逃してしまった。
三羽烏と稟に指揮を完全に任せてしまうという、これまでの自分の戦い方からすれば、あり得ないような戦術を使って迎撃し、虚を突いた黒騎兵への奇襲まで行ったというのに、敵に損害を与えた程度にしか戦果は上がらなかった。翠、蒲公英、向日葵、黒騎兵の指揮官の一人すら討ち取っていないのだ。そんなものは戦果などとは、霞は呼ばない。
――まぁええわ。それはそれでうちの狙いから外れとらんからな。
それでも霞は余裕の笑みを浮かべた。
霞にとっての最大の戦果――おそらくはこれが最後の戦いになるだろう。益州と江東、両地を制圧してしまえば、自分たちの敵はいなくなるのだ。四方の異民族も、彼らほどに脅威ではなくなるだろう。三国の統一を果たしたらすぐに帰順を申し込むだろうと言われていた。その後の世界に霞の居場所などないのだ。
戦のない平和な世界。それは誰もが望むものではあるが、霞にとっては、戦のない暇な毎日が続くことを意味していた。霞は飢えていた。西涼の一戦から毎晩のように渇きにも似た苦しみが彼女を襲っているのだ。最後の戦い、それは霞にすれば最大の戦いでなければならない。
従って、彼女がこの戦で欲しい戦果とは、単純な勝利などではないのである。
白蓮が白騎兵を黒騎兵と霞の部隊の間に割り込ませると、すぐに敵は追撃を停止した。翠が向かった部隊の方も、徐々に後退し、霞の率いる本隊に合流しようとしていた。
「……下がるか」
白蓮の中に湧き起こる疑惑。それが再び頭を持ち上げた。
霞という武人。おそらく彼女は白蓮が知る誰よりも戦いというものに飢え、そこに快楽を見出せる人間であろう。王としての器がある雪蓮よりも、彼女の戦好きは歯止めが利かない。目の前に戦いという御馳走に脇目もふらずに跳びかかる筈だった。
だが、ここで後退した。
それは自分と対峙したくないという気持ちもあるのだろう、と白蓮は分析した。自分は霞のような好戦的な人間にとって、苦手とする種類の人間であることを自覚しているからだ。いや、寧ろ、彼女は自分からそういう人間になったといって良い。獰猛な蛮族と戦うためには、相手の戦いにくい戦法を取らざるを得なかったからだ。
――だが、それでもこうもあっさりと兵を退かせるか?
本当に好戦的な人間であれば、苦手とする人間を打ち砕くことにこそ、最上の快楽を見出しそうなものだ。しかも、戦況は完全に霞に有利となっている。実際に、霞から猛攻に晒されれば、かなり危ういところまで追い詰められた筈だ。
そして、もう既に何度目になるか分からない膠着状態。
白蓮はこれまでの霞との戦いを振り返った。
初日――敵は囮とも言うべき部隊を出して、数の有利さを活かすような戦いをした。それにより、違和感を覚えた自分たちは、もしかしたら、霞の部隊には軍師とも言うべき存在がいるのではないか、と疑いを持ったのだ。
二日目――自分たちの疑惑が確信へと変わった。平原に大胆にも布陣するという手で、自分たちを誘い込んだ上での、埋伏の計。それにより戦況はかなり苦しいところまで追い込まれ、白騎兵も上級将校を一人失うという損害を受けた。
そして、今日――敵は三隊に分かれた上で、霞なしの状態で白騎兵、黒騎兵の動きを止めることが出来た。これまでの凪だけであったから不可能であったことを、他の者を組み入れることで可能にしたのだ。実際に自分も稟に止められ、その虚を突かれて、霞本人により、黒騎兵が急襲された。
そこで白蓮は気付いた。
――ここまで窮地に立たされながら、何故私たちの被害はこれ程に少ないのだっ!?
勘違いをしていた。
自分も翠も霞本人と対峙している。全力で迎撃しなければ、確実に首を落とされていただろうと思える戦いだった。だからこそ、極限の戦いをしており、敵もこれまで見せなかった策術を戦に組み込んできたのであると思っていた。既に死闘へと転じていると思い込んでいた。
しかし、それが実は全て策だとしたらどうだ。
自分たちと霞が激闘を続け、それによって自分たちが危機に瀕している、と傍から戦を見ているものは思うだろう。だが、実際にお互いの損耗はそれ程に多くない。死闘であれば出るであろう犠牲が、不思議な程に出ていないのだ。それは自分たちが危地を脱しているからだと言えばそうだが、明らかに話が出来過ぎている。
まだ一手投じれば、勝てる見込みがあると思ってしまっているのだ。
彼女が誰かに自分たちが苦戦している場面を意図的に見せたいと思っているとすれば、一体誰に見せるのだというのだろうか。一体誰がこの戦を傍観者として、この戦を見ているというのだろうか。
戦に加わらずこの戦いを観戦している者など……。
「……っ! そうかっ! そういうことかっ!」
いる。
確かにこの戦いを見ている者がいる。
そして、その者ならこの状況に一石を投じることが可能であった。
「白騎兵っ! 下がるぞっ! すぐに黒騎兵と合流するっ!」
敵は最初から追撃をするつもりなどあまりなかったのだ。自分と翠を釘付けにし、実際に攻勢へと転じたが、よく考えたら、あの場では翠を討ち取ることが最上の戦果であった。しかし、霞は翠の部隊を断ち割っただけで、すぐに向日葵と蒲公英の部隊へと攻め寄せた。遠目からだったが、あれは確かにどちらかを討ち取ろうとした動きであった。
黒騎兵を崩し、潰走に近い状態を作り上げたかっただけだったのだ。その中で向日葵と蒲公英の首だけを落とそうとしたのだ。仮に蒲公英と向日葵が討ち取られてしまっても、自分と翠が存命であれば、白騎兵も黒騎兵もそのまま戦い続けることが出来る。
白蓮は後方に注意しながらも、急いで黒騎兵との合流を図った。
「白蓮。黒騎兵は大丈夫だ。被害も予想より多くない。まだまだ戦えるぞ」
「……やはりか」
「ん? どういうことだ?」
「説明している暇はないっ! 一度、撤退するぞっ!」
「はっ!? おいっ! どういうことだよっ! 敵を目の前にして、逃げるって言うのかよっ!? そんなこと、出来るわけないじゃないかっ!」
「説明している暇はないと言っただろう。とにかく駆けながら話そう」
翠はまだ承服できないという不満顔をしているが、向日葵が白蓮の状態が尋常でないことに気付き、翠の袖を引いて頷いた。白蓮がこれ程に焦った表情を浮かべているのを見たことがないのだ。何かとんでもない事実が発覚したのだろうと察した。
「お姉さまっ! 白蓮さんっ! 来るよっ!」
霞の部隊が動き出した。
「くっ! 私が気付いたことが分かったのか……っ!」
翠も白蓮もすぐに部隊を動かした。しかし、もう撤退する機を失っている。敵もむざむざ見逃しはしないだろう。戦線を離脱するには殿を受け持つ部隊の、相当の犠牲を覚悟せねばならず、それではただでさえ部隊数の差がある彼女たちには何の利もないのだ。
「駄目だ、白蓮。応戦するぞ」
「分かっている」
黒騎兵と白騎兵もそれぞれ動き出した。それに応じて、敵も部隊を分けてくる。
「同じ手は通じないぞっ!」
先程と同じ組み合わせであれば、やはり時間を取られてしまうであろう。白蓮はぶつかり合う寸前に、敵の部隊の横をすり抜け、そのまま凪が率いる部隊へと突っ込んだ。翠もまたそれを何の合図もなしに対応し、二隊が交差するように駆け抜ける。
両軍がぶつかり合った。
その衝撃で白蓮は自分の推測が確かであることを悟った。やはりこれまでの戦いと同じようでどこか違う。このまま乱戦状態が続けば、どちらも犠牲は多く出るだろう。手を抜いていたというわけではないが、指揮官の意志として敵を打ち砕こうという気炎が段違いなのだ。
――まずいっ! これはこれで敵の思う壺ではないかっ!
凪たちが率いる部隊と交戦しながら、白蓮の背に冷たい汗が流れる。
部隊を三隊に分け、三方向から敵部隊へと襲い掛かる。相手もそれに対応してくるが、やはり騎馬隊を率いた実力では、白蓮の方が二枚も三枚も上手である。徐々に陣形の殻を剥がして、中枢へと圧力を掛ける。
しかし、そこへ霞の部隊が突っ込んで来る。
先頭で霞と白蓮が向かい合う。
目を細めて牙を剥く霞は、やはりどこか不敵だった。それが自分の思う通りに戦が進んでいることに満足していると言わんばかりであった。直接干戈を交えることはなく、部隊同士が絡み合う。お互いに機を伺う形であるが、白蓮は焦りを隠すことが出来ずにいた。
そのままぶつからずに距離を置く。
翠の方も稟の部隊に微々たる損害を与えた程度で戻ってくる。
そして、次の瞬間、戦場の空気が変わった。
「しまったっ! ダメだっ! 詠っ!」
白蓮が叫んだ。だが、もう遅い。
戦場よりほど近い崖の上で、陽光を照り返す、紅い影が煌めいた。
あとがき
第百五話の投稿です。
言い訳のコーナーです。
皆様、遅ればせながら明けましておめでとうございます。前話の投稿からあっという間に二か月が過ぎてしまい、もしも、この作品の更新を待っていた方がいらっしゃったら、大変申し訳ありません。
十二月から一月末まで作者の仕事がアホのように忙しくなってしまい、睡眠時間を削ってアニメを見るというレベルになってしまったので、全く執筆時間を作り出すことが出来ませんでした。ちなみに冬アニメ、『琴浦さん』が面白すぎる。『みなみけ』も安定の面白さで安心しました。
そういえば、拙作の支援数が上がったり下がったり、まるで作者のメンタルのような不安定さを見せていますが、そこのところというか、作者の作品を友達に見せてみて、感想を訊いてみました。
「お前、これ、キャラは恋姫だけど、中身全く違うじゃん。何、普通に戦争描写してんの?ww こんなの誰も求めてないだろ?ww」
とのこと。
なるほど、作者の文才だけではなく、この内容自体の需要が低いのですねorz となっています。まぁそんなことを言われても、作者にはイチャラブ描写やらギャグ描写やらを書く力などないので、このままの作風でお送りするとは思いますが。
さて、無駄話が過ぎたので、今話の話を。
今回は前回の続きで、黒騎兵の前に魏の三羽烏が立ちはだかります。
スペック的に三羽烏では翠、蒲公英、向日葵を止めるには少し厳しい(特に翠)と、皆様はお思いだと思いますが、彼女たちの狙いとしてはやはり時間稼ぎの側面が強かったようですね。
その中で翠を担当したのが沙和ということですが、彼女が編み出した理論にはいろいろと無理があると思いながらも、これまで魏の面々は登場回数が極端に少ないというところもあり、突っ込んでみました。もう少し細かく描写しようと思ったんですが、無駄に長引くのもどうかと思ったので、少し割愛させてもらいました。
お洒落を戦に組み込むのは彼女らしいのではないかと愚考したまでです。
さてさて、そんな感じで戦が進み、三羽烏に時間を取られた翠が霞に急襲されますが、何とかあまり多くの犠牲を出さずに済みました。しかし、それに対して白蓮は疑問を持ったわけですね。
将器としては相当なものを持つ霞と戦って、ここまで犠牲が出ないのは逆におかしいと。
本来であればいつ壊滅してもおかしくないような危機に瀕しながらも、不思議な程にそこから脱しているという事実に疑問を浮かべたわけですね。
さてさてさて、そこに気付きながらも、結局、戦は霞の思う通りに進んでしまいます。戦を俯瞰し、窮地に陥った黒騎兵、白騎兵に対して、救援を送ることが出来る人物――詠が、白蓮の制止の声を聞くことも出来ずに動き出したのです。
最後の一文が何を示しているのか、皆様はお分かりだとは思いますが、では霞はどのようにその状況に対して応じるのでしょうか。そして、まんまと霞の掌で転がされた白蓮たちはどのようにこの戦を乗り切るのでしょうか。
仕事の方も落ち着いてきたので、次回は早めに投稿したいと思います。
では、今回もこの辺で筆を置かせて頂きたいと思います。
相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。
誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。
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第百五話の投稿です。
黒騎兵の前に立ち塞がるは魏の三羽烏。その中で猛将翠に立ち向かうのは沙和であった。将として未熟な面が見られる彼女が、彼女独自の戦法で翠と戦うのであった。そして、その中で白蓮は大きな疑惑を抱くのであった。
TINAMIよ、私は帰ってきた。
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