No.551332

真・恋姫無双~君を忘れない~ 百六話

マスターさん

第百六話の投稿です。

霞の本当の狙いに気付いた白蓮。しかし、とき既に遅く、崖の上に一人の将が姿を見せる。彼女と霞の一騎打ち。誰もがそう想像するが、戦は思いもよらぬ方向へと進む。白蓮が命を懸けた最後の戦いへと向かうのだった。

相も変わらず鈍亀更新で申し訳ありません。くそぅ! くそぅ! 全て仕事が悪いんだ。三月に入ったら落ち着く筈が、もう落ち着くこともなくなった。忙しすぎて、アニメ見る以外、家ですることがなくなりました。

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2013-03-04 20:54:23 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:4938   閲覧ユーザー数:4201

 

 戦場を包み込む静寂。

 

 その中で、霞は自分の血が凍りつくように熱くなるのを感じた。身体はまるで北方遠征に繰り出した時のように、あまりの寒さに震えるが、背中には汗が貼りついている。明らかに感じる恐怖。しかし同時に感じるは悦楽だった。

 

 ――来よった……っ!

 

 極度にまで高ぶる霞の本能。

 

 それが咆哮を発する。

 

 待ちにまで待ったこの瞬間。自分の最後の大戦にうってつけの舞台。気力の一滴まで絞り尽くすことの出来る死闘。そして、かつて討ち果たした――否、彼女は、あれを自分の戦功とすることが出来なかったのだが、その馬寿成以来となる最高の相手。

 

「待っとったでっ! 恋……っ!!」

 

「…………霞」

 

 周囲の沈黙を打ち破った霞の激情を受け取るは、崖の上から彼女を見下ろす、呂奉先その人である。霞の視線に込められた強烈な気を、何でもないかのように流す。それすらも、出来る人間は多くない。

 

 霞は恋を待っていた。

 

 自分と対等以上の戦いが出来るのは精々が恋か愛紗だろう。愛紗が実質の本隊の指揮官であることを考えれば、この場に送り込まれるのは十中八九恋であると確信していた。そして、益州軍の遊撃隊の補佐をするのも詠であると分かっていた。お互いにお互いをよく理解しているのだ。詠が追い詰められた白騎兵と黒騎兵を見て、どうするのかは手に取るように分かった。

 

 束の間、霞と恋は見つめ合っていた。長い間会うことの出来なかった恋人たちがそうするように、他の物など目に入らなかった。

 

 戦いたい。

 

 ただそう願った。

 

 勝ちたい。

 

 ただそう想った。

 

 強くなりたい。

 

 ただそう誓った。

 

 そして、そのためだけに本作戦を稟に立案させたのだ。

 

「さぁ、行くで……。ここからがうちの本当の戦いや」

 

 霞は手で合図を送った。

 

 それに応じて、周囲に二千の兵が集まった。霞の騎馬隊で当初から生き残っている歴戦の猛者たちである。他の者に比べると、やや年を重ねており、長い間戦い続けることは出来ないかもしれない。しかし、一瞬の動きは誰よりも良い。そして、霞が手足のように動かすことが出来る者たちだ。

 

「ま、まずい……っ! 翠、止めるぞっ!」

 

「あ、あぁっ!」

 

 白蓮たちも一瞬遅れて動き出そうとした。自分たちを追い詰めることで、戦場に恋を送り込ませることが、霞の狙いであると分かっていた。では、そこからあの恋を討ち果たすことが出来るのだろうか、という疑問はなかったわけではない。その強さの次元の違いは白蓮も翠もよく分かっているのだから。

 

 だが、今の霞ならば、そのもしかしたらが起きてしまうかもしれない。気力は万全だろう。寧ろ、自分たちとの戦いがそれをいつも以上に充実させてしまったのかもしれない。さらに霞の今の気迫は、まるで戦が始まってから、ずっと力を蓄えているかのような心地すらする。

 

 爆発的なまでに水増しされた霞の武が、恋を凌駕するかもしれないという不安が白蓮の脳裏から消えることはなかった。だからこそ、白蓮は詠がそうせざるを得なかった状況にしてしまった自分を責めたのだった。

 

 だが、その動きを察知した敵の騎馬隊が白蓮と翠の行く手を阻んだ。

 

 前方から残り八千弱の騎馬隊が絞り込むように圧力を加えてきたのだ。それは自分たちを止めることを目的としたものであった。それ故に抜くのは容易ではなかった。ただでさえ兵力は向こうの方が多いのだ。それが完全に足止めのために動いたら、それは巨大な壁が目の前に聳え立っているに等しいのだ。

 

 誰にも邪魔をされたくなかったのだ。

 

 これは自分と恋の勝負なのだ。彼女を打ち破ってこそ、自分は中華最強の称号を得ることが出来るのだろう。消えることのなかった渇きが癒えるのだ。勝利への渇望。強さへの執念。身体の中で煮え湯のように沸き立つそれが、体外へと噴出すようだった。

 

 身体が震えた。

 

 恐怖――否、武者震いだ。

 

 霞は自分が笑っているのに気付いた。恋の強さはよく知っている。その強さがどれだけ規格外のものであるのか、霞は何度も見てきたのだ。個の強さと呼ぶにはもはや次元が違う恋の武。しかし、その強さを誰よりも冷静に捉えているのは自分だけだと思っていた。

身体中から気を放つ。

 

 それは自分を起点に率いる部隊全体に波紋のように広がる。呼応するように部下も気炎を吐く。誰もが激していた。自分たちがこれから何と対峙しようとしているのか、誰もが理解し、それを呑み込んでいるのだ。恐怖に抗う者もいる。快楽に酔い痴れる者もいる。それが徐々に霞の気と混じり合い、一つになる。

 

 二千の部隊がまるで霞一人のようになった。

 

 前方の崖上の恋が動いた。

 

 馬を跳躍させ、斜面を下ってくる。その表情には何も写っていない。恋はずっとそうだった。どんな場面になろうと、その茫洋とした表情を崩さす、方天画戟を一振りするだけで戦場を血で染めてきたのだ。その身体に髪と瞳と同色の真紅の雨を浴び、無残な亡骸の上に立つその姿は、正に鬼神と呼ぶべきだろう。

 

 霞は片手をゆっくりと掲げた。それと同時に大気を揺るがさんまでに発していた気が、まるで水を打ったように静まったのだ。いや、なくなったのではない。体外へと放出していた気を、体内へと溜めているのだ。そして、その手が振り下ろされた瞬間に、恋一人を目がけて火の玉のように突進していくのだ。

 

 挨拶の言葉などいらない。ただ無言のまま殺し合うのだ。

 

 ――さぁ、行くでっ! その顔を驚愕と恐怖で歪めたるわっ!

 

 真っ直ぐに霞の手が下ろされた。

 

 霞は手筈通りに二千の部隊を縦横に駆けらせ、四方から恋を包み込もうとした。一人の恋を相手に、霞は二千の部下と共に向かったのだ。それを卑怯と呼ぶものがいるかもしれない。しかし、それは残念ながら違うのだ。

 

 霞は恋を一つの部隊として捉えている。そこが他の人間と霞の恋に対する考え方の違いなのだ。卑怯でも何でもない。恋の武は、既に個人という枠を通り越しているのだ。いや、部隊として捉えてみても、恋のそれは数千の精強な兵で構成された部隊と等しいだろう。二千の麾下を率いる霞でも、難しい相手なのだ。果たしてこの戦いを勝利で彩ることが出来たとしても、何人の配下が残っていることか。

 

 恋は彼女自身が部隊である。そのような考えに至ったとき、霞は全てのことに納得がいったのだ。二人がまだ月の治める天水に所属していたとき、恋は部隊を率いるということが出来なかった。副将である高順という将が、試行錯誤の上に、部隊として成立させたのだが、その理由がここにあった。

 

 誰もが恋自身に統率能力がないとばかり思っていた。化物のような武力を与えられた代わりに、化物が故に人の上に立つことが出来ないのだと。しかし、違ったのだ。恋は部隊を動かしていたのだ。自分という部隊を。勿論、それは彼女にしか分からず、余人には理解出来ないものだろう。もしかしたら、高順はそれを初めて理解した人間なのかもしれない。だから、唯一恋の動きを予測し、部隊に伝え、思考させることで部隊として姿を保つことが出来たのかもしれない。

 

 そしてまた、それを理解した霞はただ恋を倒すためだけに二千の麾下を鍛え続けた。ただ多人数で対するだけでは、勿論恋に勝てるわけはない。実際に、恋は三万もの黄巾賊を一人で皆殺しにしているのだ。恋を倒すためには、自分もまた恋のようにならなくてはいけない。すなわち、二千の部隊を全て自分と一つにするのだ。それで初めて恋と対等になることが出来る。

 

 だが、そのとき、崖から下り終えた恋に向かって猛進する霞の部隊が、突然とその速度を緩めたのだ。意図的に速度を落としたのではなく、誰もが呆然と立ち竦むように、馬上から目の前の光景に釘付けになっていた。霞もまた例外ではなかった。

 

「なんやて……」

 

 霞の目が、驚愕に染まったのだ。

 

 

 恋が立っていた崖の上。

 

 戦場を見下ろす詠の姿があった。腕を組み、普段と変わらず気難しく眉を顰めて戦場を俯瞰している。頭の中では今後の戦の展開が何十通りと想定されており、恋投入の機も思考に思考を重ねた上で窺っていたのだ。彼女は、白騎兵と黒騎兵が窮地に陥ったことで焦り、恋を向かわせたのではなかった。

 

 ――まったく白蓮も心配性なんだから。あいつが、霞がボクのことをよく知っているように、ボクも霞のことはよく知っているわ。あいつが何を狙っているかなんて、最初から気付いているに決まっているじゃない。

 

 翠と白蓮では不満というわけではなかった。しかし、おそらく霞の強さへの渇望はあの二人では癒せないと思っていた。翠の強さは未完成だ。将来的には母親を上回る将器を身に付けるだろうが、まだ足りない。そして、白蓮は文句のない用兵術を見せるだろうが、強さのベクトルが違うのだ。白蓮の強さは強くないからこそ発揮する類のものだから。

 

 強さというものに誰よりもこだわりを持つ霞は、必ず戦の中に恋を引き摺りこもうとする。詠は、情報や兵糧を白蓮と翠に届ける役割と同時に、相手が何か仕掛けるときをじっと待っていた。それが確信的なものになったのは、伏兵と火計という策謀を全面的に出してきた昨日の戦いだった。

 

 密かに詠は恋を呼び寄せたのだ。

 

 そして、今日、霞は明らかに白蓮と翠を追い込んでいた。傍目から見れば、明らかに劣勢に見えるような戦い方だった。もしかしたら、かつての自分であれば、引っかかっていたかもしれない。予期せぬ事態に混乱することが少なくなかったわけではない。かつて、月が洛陽を治めるようになった折、張譲の策略に気付かなかったことなど好例だろう。

 

 ――まぁ、ボクも弟子まで迎えるようになったし、いつまでも以前のボクのままでいられるわけないわよね。どんな事態にも対応出来るようになれたのは、麗羽のおかげでもあるわけだしね。

 

 だから、詠は霞の思考の裏を突いた。

 

 敢えて相手の読み通りの展開にさせ、恋投入の時期も相手に合わせた。しかし、それは詠の狙い通りでもあったのだ。立案自体は相手の軍師である稟が行ったといっても、策の実行は霞自身が行ったこともあり、相手に勘付かれることもなかった。

 

「さぁ、後は恋たちに任せるしかないわね。ボクに出来ることは全てやったもの」

 

 そして、その詠の横を猛烈な勢いで紅い影が複数疾走した。

 

 その様を霞は呆然と見上げていた。

 

 ――赤騎兵……やと?

 

 恋との距離はかなり近い。馬で疾駆すればあっという間であろう。しかし、霞は何も出来ずにいた。目の前の事態に対応出来ない。起こっていることが理解出来ない。それがあり得るなどと信じられない。束の間、霞の思考は完全に停止してしまった。

 

 それは当り前の話だ。

 

 恋が降り立つ場所に、真紅の具足を身に付けた一団が同じように降り立ったのだから。白い具足で揃えた白蓮の部隊が白騎兵。黒い具足で揃えた翠の部隊が黒騎兵。ならば、赤い具足で揃えたこの部隊は赤騎兵でなくて何であろう。そして、さらに信じられないことに、彼らは真紅の呂旗を掲げているのだ。それが恋の部隊であるという証の旗を。

 

 ――アホなっ! 恋が部隊を率いるっちゅうことやとで言うんかいなっ!

 

 あり得ない。恋の部隊は高順の死と共に消えたのだ。あれは高順独自に構築した用兵術で、何よりもその理論の基部となるのは、恋の思考を読み取るというものである。普段から無表情で詠にも何を考えているのか理解出来なかった者の思考を読み取れる人間など多い筈がない。

 

「…………霞、ごめん。恋は、行く」

 

 気付いたときには恋は霞の横を通り過ぎようとしていた。あまりの突然の出来事に呆気に取られ過ぎていたのだ。唇を噛み締め、激情を堰き止める。恋の接近に気付かなかった自分の不甲斐なさと同時に、恋は自分を相手にしなかったことへの怒りだった。

 

 だが、それと同時に部隊へと衝撃が走った。赤騎兵が霞の部隊を切り裂いたのだ。全軍でおそらくは一千騎程度であろうか。しかし、縦列で見事に霞の部隊を断ち割る様は、彼らが相当に錬度の高い騎馬隊であることを表していた。

 

「白騎兵と黒騎兵の予備兵かいなっ! 詠、味な真似をしいよってっ!」

 

 霞はすぐに冷静さを取り戻そうとしていた。仮に恋が部隊長を務める部隊であろうが、かつての部隊と同じな筈がないのだ。所詮は虚仮騙し。高々一千の部隊が加わったところで、結局のところは自分と恋の勝負になることには変わりはない。すぐに恋を追おうと部隊を反転させるが、そこで気付く。

 

 恋の後ろにちょこんと座り、必死の形相で振り落とされんとする小さな影に。

 

 ――ねねっ!?

 

 何故あのようなところに音々音がいるのか。馬に乗る者であれば分かるだろうが、音々音は背後から恋の腰のところを思い切り掴んでいるのだ。それでは音々音の身体が邪魔で、馬上で上手く武器を振るうことも出来ないだろう。そのようなことは音々音自身がもっとも分かっている筈であり、邪魔になるのを分かりながら、そこにいる理由がなかった。

 

 だが、後方から恋の率いる赤騎兵を追いながら、その理由が明らかになった。

 

 音々音が首だけで部隊の位置を確認すると、片手で合図を送り始めたのだ。それに呼応するように、部隊が花開くように散開した。音々音はさらに恋の表情を窺うように下から見上げ、再び部隊に合図を送る。最後に片手で、まるで待て、と言うように掌を前に出している。

 

 ――嫌な感じやな。さっきからそれが止まらんわ。

 

 これまで戦いを優位に進めてきた霞だが、兵の錬度や馬の質は結局のところ大差はないのだ。相手が全力で駆けていると、それに追いつくことも難しい。相手がどう動こうと、今は何もすることが出来ないのだ。

 

 そして、恋の動きが変わった。これまで抑えていた馬を全速で駆けさせようとしている。狙いは釘付けにされている黒騎兵と白騎兵の救援だろう。後方から稟と三羽烏が指揮する残りの部隊を蹴散らすつもりだろう。だが、稟たちも恋の接近に備えているようだ。恋が突っ込んで来る瞬間に部隊を散開させるのだろう。数千の部隊と同じ力を有する恋だが、バラバラに逃げてしまえば、やられる心配はない。

 

 だが、次の瞬間。恋が馬を全開にしたと同時に、赤騎兵が一気に展開した。稟の狙いを先読みし、鶴翼の布陣で包囲網を形成したのだ。その動きに、霞は既視感を覚えた。高順が指揮していたとき変わらないのだ。恋を主軸に、部隊を動かしていた彼の用兵術と同じなのだ。

 

 ――ねねかっ!

 

 そこで気付いた。しかし遅過ぎたのだ。高順は随分前に戦死している。それ故に彼の独自の用兵術は永遠に失われたと思っていた。しかし、彼の指揮を間近で見ていた者がいたのだ。それこそ音々音である。もしも、彼女が記憶を頼りに高順の用兵術を再現することに成功していたとしたら、今の動きも納得が出来る。

 

 後方の部隊の動きに慌てて稟が対処しようとしたが、無駄であった。

 

 それでも恋による被害を避けようと部隊を散開させ、そこを赤騎兵に襲われた。隊形を崩してしまった部隊は敵から好き放題に攻撃されていた。その様は、まるで蝗が農作物を食い荒らすかのようだった。霞や翠のような直情型の将の指揮を、竜巻や嵐と形容されることがあるが、それとは次元が違っていた。

 

 ――くっ! 恋が指揮しているっちゅうことが、兵の武を水増ししとるんかっ!

 

 一瞬遅れて霞の部隊が達した。だが、既に残りの部隊は崩されていて、混乱は容易に収拾出来る範疇を超えていた。とにかく救援のために、こちらも部隊を展開させるのが良いだろう。恋が率いていようが、所詮は一千騎しかいない。一度、こちらの犠牲を省みずに、稟たちに態勢を立て直す時間を与えないといけないだろう。

 

 だが、霞は部隊を展開させることなく、すぐに部隊を別方向へと駆けさせ始めた。

 

「なーんて、思っとったら、来るんやろ? 錦のっ!」

 

 これまでの戦いで常に翠が自分を狙っているのは分かっている。あれでも自制しているのだろう。止める者がいなければ、単騎で突っ込んでもおかしくはない。それ程に、戦場ぶつかり合うときは自分一人に向けて殺気を放っていた。

 

 しかし、霞の視界に映ったのは、具足を黒で統一した黒騎兵と翠の姿ではなかった。これまでの指揮は翠とは真逆で、敗北しないことを信条としているかのような戦い方であった。今もまずは部隊を立て直して、恋の補佐をしそうなものなのだが、その漆黒の具足とは逆の純白の具足を身に付けた白騎兵が、霞に向かって突撃してきたのだ。

 

「おもろいやんけっ! ここまで来たら、誰であろうとかまへんわっ! うちは今、ごっつ暴れたい気分やねんっ!」

 

 両者が真っ向から激突した。

 

 

 恋の腰に必死に取りつきながら、音々音は懸命に部隊に指示を送り続けた。その際、どうしても片手を使わなければならず、振り落とされまいとするに相当の体力を使い、既に指に痺れを感じ始めていた。少しでも気を緩めれば落馬してしまい、運悪ければそのまま死ぬだろう。

 

「…………ねね? 平気?」

 

「何のっ! これしきでばてるわけないのですよっ! 恋殿、さぁこのまま敵の兵を駆逐してしまうのですぞっ!」

 

「…………ん」

 

 こくりと頷き、恋はゆっくりと周囲を見渡す。その表情を見ながら、音々音は恋の思考を読み取るのだ。恋が何を考えているのか、これに関しては自分以上の者はいないと断言出来る。恋と過ごした時間も、恋への想いも、誰にも負ける筈がないのだ。

 

 高順の用兵術を完全に再現出来たわけではない。おそらく彼の指揮と比べれば、自分のこれなど児戯にも等しいだろう。本当は自分と恋だけの独自のものを構築したかったのだが、残念ながらそれは時間が足りなかった。いや、時間があっても、自分にそれが出来たかどうかは分からない。悔しいが、自分とあの男を比べると、如何に自分の用兵術の稚拙さが分かるのだ。

 

 足りないものが多過ぎた。まずは言うまでもなく体力。まだ参戦して間もないというのに、音々音はかなりの疲労を感じているのだ。そして、それを察した恋がこちらに気を遣い、動きを遅くしてしまう。

 

 兵士を動かすにしても、音々音は手で合図を送らなくてはいけない。高順はそのようなことすら必要としていなかった。兵士が勝手に考えて行動してくれるからだ。それは高順の副官としての人望が起因しており、残念ながら自分はそこまで兵士たちと一体感を得るまでに至らなかった。

 

 数え上げればいくつあるのか分からない。自分とあの男の厳然とした差。しかし、音々音はそれでも彼の用兵術を研究し、実戦投入出来るまでには仕上げたのだ。それは何よりも恋に戦で勝ってもらいたいという一途な想いがあったからだった。しかし、その結果、恋は霞と戦うことは出来なくなってしまった。

 

 何故、詠が恋の参戦の機を慎重に計り続けていたのだろうか。これだけの力を有していれば、開戦直後に投入し、霞の部隊を壊滅させ、その勢いをもって華琳のいる本隊に急襲を掛ければ、益州軍にとってはかなり優位な展開に持って行けた筈である。しかし、実際のところ、それが出来ないのだ。

 

 それはおそらく霞本人も分かっていると思うが、自分がこの場にいる限り、恋は本気で戦うことが出来ない。自分の存在が恋の力を落としてしまっているのだ。しかし、その結果、皮肉なことに恋の動きに兵士が対応出来ており、高順の用兵術の再現に必要なことになっているのだ。

 

 ――恋殿。ねねは強くなるのです。もう恋殿が悲しむことがないように、恋殿が大切な人を失わないように、ねねは恋殿と一緒にいられるだけの強さをきっと手に入れるのです。

 

 だから。

 

「今は任せるのですよ。白蓮。雑魚は恋殿とねねに任せるのです」

 

 白蓮は聞こえる筈がない音々音の声に応えるように霞の部隊に突撃した。白蓮の白騎兵もかなり兵を失い、二千程度であろう。兵力は相手と同じである。これがおそらく最後の機会だろうと思っていた。赤騎兵――恋のあのような形での参戦は全く聞いていないことで、かなりの衝撃を受けたが、同時に今が霞を討ち取る可能性がもっとも高いときだと判断したのだ。

 

 それは正しかった。

 

 遅かれ早かれ、霞は赤騎兵の長時間の戦闘が不可能であることと、恋が本来の強さを発揮出来ないことを知るだろう。そうなれば、どう戦況が転がるかは、既に白蓮には見えなかった。恋の圧倒的武力で勝てるかもしれないし、霞の武への渇望が勝るかもしれない。どちらが勝つか分からないのだ。

 

 だから、白蓮は、勝てるかもしれない今を選んだ。この勝利という可能性を事実へと手繰り寄せるのだ。翠に合図を送る時間すら惜しんだ。霞がどうするか逡巡した瞬間を狙ったのだが、相手もこちらの動きを予想していたのだろうか、速やかに戦いやすい場所へと移動を始めた。

 

 ――勝つ……。勝つのだ……っ!

 

 白蓮がここまで勝利に拘ったのは、これが初めてのことかもしれない。これまでは負けることを想定し、それを避けるために戦ってきた。それは勝負への怯懦ではなく、自分が背負っていた兵士の命、民の命を考えたものだ。だから、白蓮はどんな状況であろうと生き残ることが出来た。

 

 だが、今の瞬間だけ、白蓮は全てを勝利のために犠牲にしようとした。

 

 全てのもの。それは兵士の命は勿論だが、己の命までが含まれているのだ。

 

 そして、白蓮だからこそ、兵士の命よりも自分の命を犠牲にしようとしたのだ。

 

 馬腹を腿で締め上げる。単騎で先行する形になった。今まで一度も経験のない単騎駆け。それは霞だけでなく、率いられている自軍の兵士たちをも驚かせた。省みない。霞。目の前にいる。一瞬だけ唖然とした。だが、もう笑みを浮かべている。彼女の単騎駆けと比べれば、恰好がつかないだろう。だが、それで良い。格好悪くても、見苦しくても、ただ今は勝利が欲しかった。

 

「来いっ! 神速の張遼っ!」

 

 叫んだ。

 

 霞はまずは兵士を繰り出してきた。自分の覚悟を問うているのか。面白い。受けて立つ。兵士一人一人が霞に見えてくる。成程、これならば恋と戦っても、もしかしたら良い勝負になるかもしれない。自分はどうか? 少しだけ考えようとして、すぐに思考を捨て去る。一人目を斬り上げる。二人目の首を軽やかに飛ばし、三人目の腹に剣を突き刺した。相手の身体を蹴り、剣を抜く。返り血が顔を汚す。むっとした血の匂い。霞まではまだまだ遠い。

 

 身体が炎を上げたように熱い。戦っているのだ。そして、まだ生きているのだ。届くか。部隊の中央に位置する霞まで自分の武が届くだろうか。いや届かせる。たとえ命尽き果てようと、必ず霞を討ち取ってみせる。止まりそうになる馬の鬣を掴み、進ませる。一直線に霞の許へと向かうのだ。敵兵の剣が肌を浅く切り裂き、血が噴き出す。構うもんか。今は目の前の兵士だけを蹴散らし、霞のところへと行くのだ。

 

「隊長を守れっ! 張遼までの道を作れっ!」

 

「横を固めろっ! 弱卒どもに邪魔などさせるなっ!」

 

「我ら白騎兵っ! 白き流星となるのだっ! 北郷様の槍となれっ!」

 

 気付くと後方に控えていた筈の兵士たちが上がってきていた。何の命令も出していない。命令違反など一度もしたことのない優秀な連中だ。命令なしに動くなど戦が終わったら処罰されるだろうに。仕方のない連中だ。一人一人の名前など当り前。生まれや育ち、どのような女が好みで、調練のない日に何をしているかまで知っている。家族のような連中だった。

 

 負けられない。こいつらのためにも。ここで止まることなど許されない。

 

「……死のう」

 

 白蓮は呟いた。

 

「皆、ここで死のうっ! 私と共に死のうっ! 死ぬまで戦い、この場で散ろうっ! 戦い抜いて、生き抜いて、戦が終わった後に死のうっ! 私はお前らを誇りとするっ! お前らも白騎兵であることを、天の御遣いの兵として死ぬことを誇りと思えっ!」

 

「はっ!」

 

 突っ込む。もう敵兵の顔すら確認していない。ただ霞だけを見つめている。身体から吹き出る炎はまだ消えていない。その度に、戦っていることを、まだ生きていることを認識する。生きている限り戦える。剣を振るえる。疲れも感じなかった。これが死域か。平凡な自分には経験することないものだと思っていた。他の者も死域に入っているのだろうか。皆、ただ白蓮を守るだけに、文字通り身を盾にして戦っている。

 

 その様を見ていた霞が動いた。いや、白蓮の気迫に動かされたと言って良い。

 

 単騎で突っ込んできたときは、何か策があると思っていたのだが、どうやら違うらしい。首。ただ自分の首を求めているのだ。初めて、公孫伯珪という武将の激しさに触れた。嬉しさすらあった。

 

 だが、その類の強さを持たない白蓮には、単なる蛮勇に過ぎない。そう思って兵士たちを向かわせた。それでも止められない。いや、彼女が止まる意志を持っていないのだ。いつの間にか、彼女の横には兵士たちが身を挺す形で囲んでいる。そして、かなり押されていることに気付いた。そこで初めて、動かなくてはと思ったのだ。

 

「……負けへん。うちは強くなるんや。あないな奴に、うちが求める強さを持ってへん奴に、負けるわけがあらへん」

 

 胸に渦巻く感情。憤怒。憎悪。しかし、その中にある戸惑い。敗北を嫌がる人間がここまで簡単に命を投げ捨てるかのような戦いが出来るのだろうか。その人間に率いられた人間も、それに同調し、その者を守るために命を捨てられるだろうか。それが出来る人間は強さを持っているのではないだろうか。そして、自分はその強さを持っているのだろうか。

 

 全てを捨て去るように、霞は前へ出た。

 

「退きやっ!」

 

 兵士たちの壁を擦り抜け、一気に白蓮の前まで出る。飛龍偃月刀。白蓮の顔が視界に入るや否や、いきなり振り下ろす。撃ち落としてきた。刃と刃がぶつかり火花を散らす。二撃目でけりをつける。身体を反転させて、横に薙ぎ払う。馬上で身を伏せる形で避けられた。何故。何故、倒れせない。三撃目、振り上げた刃を止められ、返す刀でこちらを斬りつけてきた。

 

「うちは負けられへんのやぁぁぁっ!」

 

 激情のままに叫んだ。

 

 強さへの飽くなき欲望。それは、馬寿成亡き今、恋だけが可能にしてくれるものであると信じていた。恋以外、自分を倒せるものなどいないと信じてきた。しかし、目の前の将には勝てなかった。今思えば、彼女との戦いにおいて、荊州での戦も含めて、自分は未だに自らで彼女の部隊を破ったことはないのだった。

 

「そうか。私もこの戦いの後に死ぬことになっている。だから、戦いが終わるまでは死ねんのだ」

 

 渾身の一撃。倒せる筈だった。受けられる者などいない、神速の袈裟切り。相手の刃ごと砕く斬撃に対して、白蓮は馬を棹立ちにさせた。飛龍偃月刀は馬の首を一刀両断した。すまない、小さく白蓮の声が下から聞こえた。馬に対する謝罪だろうか、などと霞は考えていた。渾身の一撃を防がれた。倒せる筈が倒せなかった。それが何を意味するのか、分からない霞ではないのだ。

 

 ――そうやったんか……。なら、しゃあないな。

 

 腹に何かが入ってきた。霞は空を見上げる。憎いほどに晴れ渡っていた。

 

あとがき

 

 第百六話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 前回、あとがきで次回は早めに上げると言いました。あれは嘘だ。仕事が落ち着いたと言いました。あれも嘘だ。ちくしょう、何でこんなに忙しいんだよぉ。ちっとも執筆時間を作れないじゃあないか。

 

 というわけで、何とか仕上げられた第百六話ですが、遊撃隊編も次回で最後です。自分の満足度としてはやや微妙です。やはり白蓮無双になってしまったのは良いのですが、他のキャラの描写が中途半端に終わってしまった感が拭えません。まぁ途中から上手く修正が出来る程、作者の力はないので、結局のところは駆け抜けるしかないのですが。

 

 さて、前回の終わりから今回の冒頭にかけて、白蓮の詠への心配は杞憂になりました。詠もまた霞の心理を読み取り、相手のタイミングに合わせて、恋を投入したのです。しかも、赤騎兵を率いさせるという霞の思考の裏を突く方法で。

 

 赤騎兵の用兵術に関しては、かなり昔に書いた拙作の番外編を見てもらうとして、それを実行したのは音々音です。彼女と高順の関係は非常に複雑で、彼女の心理としては彼の力を借りるのは嫌だったろうと思いますが、それでも恋のために行います。そして、その代償として、恋は自分の力をセーブしなくてはならず、さらには音々音の体力的な問題として、長期にわたる戦闘が出来なくなってしまうのです。

 

 作者が一番困ったのは、正に恋の対策です。いや、もうチートなんてもんじゃあありませんよ。どう参戦させても、圧倒的な武力で蹂躙するわけですから。霞にこれ以上のチート補正をかけるわけにもいかないので、彼女は最初から霞とは戦えないという縛りを設けさせることにしました。

 

 さてさて、恋の投入後、勝負を仕掛けたのは我らが白蓮さん。これまでの戦いでも分かる通り、彼女は極力負けることを避ける戦いをします。それを逆手に取った稟さんが、武将でもないのに、彼女の足止めに成功していますし。

 

 その白蓮さんが全てを捨てて勝利を求めて突っ込みました。そこから先は、見ての通りです。少し描写が薄いのかなとは思いましたが、彼女の格好よさを優先しました。個人の武では霞の方が上ですので、細かいことは書かない方が良いでしょう。

 

 白蓮さんの強さは霞とは別物です。そこら辺は次回である程度は説明しようと思います。

 

 それから、翠の処遇に関しても作者は頭を抱えましたが、彼女はこの作品では次世代の武将と位置付けています。従って、今は未熟に書いています。本来であれば、馬超である翠があまり活躍しないのはおかしいのですが、そこら辺も次回に描きたいと思います。

 

 さてさてさて、遊撃隊編も次回でお終いですので、その次は休憩代わりに次回作を。これまで変態軍師を三話ほどお送りしましたが、そちらをお休みにして、「かつて御使いと呼ばれし男」の二話を書きます。未だに次回何を書こうか判断できない状態ですね。まぁ、この話すらいつ終端に導けるのか定かではないのですが。

 

 エタることはないとおもいますが、つい先日、作者の尊敬する作家様が、読者の心無い一言により撤退することを表明しました。非常に悲しく、そして、非常に腹立たしいことだと思いました。まだ作者には作者の心を折るようなコメントは、来ていません。この作品にはですが……。読者の皆様方におかれましては、どうかコメントする前に、一度、確認して頂きたいと思います。その一言で、作家のやる気を奪い、素晴らしい作品が失われてしまうということを。今回の件は、その作家様とは少しチャットで絡んだことがあり、非常に尊敬し、またその作品から得るものが多いと思っていたので、残念で仕方ありません。

 

 少し長々と書きすぎました。申し訳ありません。次こそは早めに上げる、そうフラグを立てつつ今回は筆を置かせて頂きたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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