No.537851

真説・恋姫†演義 異史・北朝伝 第十五話「それぞれの思惑。そして開戦」

狭乃 狼さん

お久しぶりな、本当に長らくお待たせしての、異史・北朝伝、更新です。

虎牢関の戦い、そのイメージがまったく出てこなく、
なんやかんやでこれほどに期間が開いてしまいました。

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2013-01-30 10:32:47 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:9233   閲覧ユーザー数:6947

 老獪、という言葉がこの人物以上に当てはまるものはいないだろう。もっとも、その本人を前にこの言葉を用いようものなら、確実に本人からの雷がその場で落ちるであろうが。

 

 王允、字を子師。

 

 後漢末の漢王朝において、三公と称される官位にあるうちの一つである司徒の位を、今は亡き十二代皇帝霊帝より下賜された人物である。冠と呼ばれるそれを被る、白髪とも見えるその銀の髪は流麗であり、顔立ちは年相応のそれよりも若干若く見え、妖艶な美しさを彼女はその端正な顔立ちに湛えている。

 その年齢自体は未だに三十の半ばを過ぎた程度のもので、平均年齢がけして高くない(一説には五十から六十とも)この時代においては、まさに脂の乗った時期といえよう。もっとも、王允は普段、自らを男であるよう振舞っており、“彼女”が“彼女”である事を知る者は、本人以外は誰もこの世には居ないのであるが、王允がなぜその様な事をしているのかは、また後述させていただく。

 それはともかく、ここ数年、その彼女の妖艶な顔に、心底からの笑みが浮かんだことはほとんど無い。公的な場でこそ、その美しい笑顔を絶やさずにいる彼女だったが、その内心には常に苦渋と憤懣が募っていた。その原因は、現在の後漢の皇帝たる十三代、劉弁にある。

 王允と劉弁の対立、それは、劉弁がまだ皇太子であったころから続いている。その原因はひとえに両者の政治に対する姿勢にある。劉弁がまず民ありき、国と朝廷は民あればこそ存在できる砂上の楼閣でしかないと、そう考えているのに対し、王允の方はまず国家と朝廷ありき、それあってこそ民は生きる活力を見出せると考えている。

 王允の考えを喩えるのであれば、蟻、もしくは蜂がそれにあたるであろう。漢という名の女王蟻、もしくは女王蜂がいなければ、民という名の働き蟻、働き蜂にはその存在価値が皆無に等しい、というわけである。そして王允のこの考え方は、この時代の統治者層にとっては至極当たり前の事であり、劉弁が考えるように民無くば王もまた無しという考えの方が、どちらかといえば帝王学的には異端なのである。

 その劉弁が無き霊帝の跡を継いで皇帝に即位して後は、一応、表面上は劉弁を敬い崇め奉っているかのように振舞っている王允ら一派ではあったが、その内心では虎視眈々と、彼女らからすれば愚帝である劉弁をその至尊の位から引き摺り下ろし、自分たちの考えを実行しやすい皇帝(傀儡)を立てる機を窺っていた。

 そして、その機はついに訪れた。

 董卓という、王允ら古くからの朝臣たちからすればぽっと出の田舎官吏に過ぎない者が、漢の最高職である相国となり、さらに、北郷一刀という、かつて冀州は鄴の地を治めていた、天の御遣いを自称する若者が、前の大将軍であった亡き何進の後釜に招聘されたという一連のこの事を、王允は絶好の好機と判断、密かにとある人物を通じて、事を成すための下準備を始めたのである。

 そして動いたのは、冀州は鄴の新太守となった袁紹であった。

 王允のその思惑通り、腹心より“大義”を訴えられ、その気になった袁紹は、各地の諸侯に董卓と一刀の両者を、皇帝を傀儡として朝廷を壟断する逆賊とした上で、討伐の為の連合結成を呼びかけたのである。

 とはいえ、諸侯がそう簡単に、袁紹の出した檄に乗ってくるかどうかは、王允にもいま一つ確証はなかった。そのため、王允は裏でもう一つ、手を打った。各地の有力な諸侯、その幾つかの内に手勢を送り、密かに、それぞれの勢力にとって重要な人物の身柄を、様々な謀をもって拘束。つまり、人質としたのである。

 兗州刺史曹操は、母、曹嵩を。荊州南陽太守袁術は、自らの腹心張勲を。揚州寿春太守孫堅は、次女孫権と三女孫尚香を。

 これにより、折りしもそれらの勢力に届いてた劉弁からの詔勅、それに応えよう、もしくは判断に迷っていたかの者たちは、人質の身の安全のため、否応無しに袁紹の訴えた反董卓・北郷連合へと参加せざるを余儀なくされた。

 こうして、王允の思い描いたとおりに舞台は整えられ、袁紹を筆頭とする連合軍は、虎牢関の西に二十万を越える大軍でもって集結。董卓と一刀がそれに対するために、洛陽に常駐している禁軍を引き連れて出陣すると、王允はついに表立っての行動を開始した。 

 皇帝と、その妹君である陳留王の身柄を拘束し、留守役を一刀から依頼されていた劉備ら三姉妹を恫喝、名目上は西に対する備えとし、実際には自らの手駒とするべく旧都長安に集めていたもう一つの禁軍を、劉備らに率いらせて虎牢関へと向かわせた。

 この時点において、王允は、自らの勝利を信じて疑っていなかった。二十万と十万、総計三十万の兵によって挟まれた董卓と一刀に、これを打破する術などけしてありえはしないと。都の、今は座る主の不在な謁見の間にて、王允は思わずこぼれる笑みを隠す事もなく、静かにほくそ笑んでいたのだった。

 

 

 

 曹操は腹が立って仕方が無かった。

 勿論、この連合を発起した袁紹の軽挙さに対するそれもある。しかし、実際に彼女が怒りを向けているのは、他の誰でもない自分自身に対してだ。当初、袁紹からの檄文が届いたとき、彼女はこれを自らが名を上げる絶好の好機と思い、配下の者達に直ちに連合と合流するための支度を、そう命じた。そして出陣の準備が整ったその矢先、曹操の下を思わぬ来客が訪れた。

 それは、誰あろう曹操の母である曹嵩その人であった。

 曹操は、子供の頃はとにかく悪童と言っていい少女だった。周囲の同年の若者達を連れ、散々に悪戯ばかりをして周囲の者達を辟易させていた。だが、成人して後の彼女は、それまでの悪童ぶりが嘘の様に、母親の事をそれは大事に想う様になった。そこに、一体どんなきっかけがあったのかは、曹操自身が黙して語らないため不明だが、ともかく、彼女が自らよりも最優先してその思考の重きを置く母が来た事を知ると、慌てて出陣を一時中断。最大の礼をもって母曹嵩を出迎えた。

 

 「これは母上様。お体の方はもう宜しいのでしょうか?」

 「けして良くは無いですよ、阿瞞(あまん)。……ですが、道を誤ろうとする我が子を叱咤するに、己が体調など構っていられるものではありません」

 「道を誤る……私が、ですか?」

 「そうです。本初のお嬢さんから各地に檄文が発せられた事は、私も出入りの者達から聞き及びました。……貴女の事です。この檄文、自らの立志のために利用しようと考えていますね?」

 「……それが何か悪い事でしょうか?今と言う時勢、先のような乱が起き、漢に見切りをつける者らが現れる。旱魃、蝗害により民は塗炭にあえぐに、朝廷はそれに何もしない。それを変えるため、そして、みずからがそれを率先するためには、麗羽の此度出した檄文、これに乗って名を上げるが上策と、私は結論しました」

 

 阿瞞、と言うのは、曹操が幼い頃に呼ばれていた、真名以外の通り名のようなものである。ちなみに、史実ではこちらが、曹操の幼名である。

 

 「貴女の言も最もでしょう。ですが阿瞞。貴女は大事な事を失念しています」

 「大事な事?」

 「そう。……貴女が都で都尉をしていたおり、当時、いまだ皇太子であった陛下とは、面識があった筈ですね?」

 「はい」 

 「その陛下、当時の貴女から見て、愚帝と呼ばれる程度のお方でしたか?もしそう見ていたのであれば、貴女の目は節穴としか言い様がありません」

 「……お母様は、陛下が聡明なる、天子にまこと相応しきお方と?」

 「ええ。あの方は間違いなく偉才の持ち主。私がかつて都にて先帝にお仕えしていたおり、私が見たかの方は紛う事無く至尊の位に相応しき器の持ち主。ですが、先見の明に優れた、いえ、優れすぎているが故、今、この災いを受けておられます」

 

 いまだ霊帝存命の頃、曹嵩は曹騰という名の宦官の養子となり、そして、一億銭という破格の銭を使ってまで朝廷の官位を得た。その時、いまだ幼かった現在の皇帝劉弁とも面識を得、彼女は劉弁の持つ秘めた英才に惚れこみ、惜しみない忠と助力を劉弁に誓った。

 しかし、最終的には太尉(今風に言えば、軍事担当宰相であり、防衛大臣、国防長官、国防大臣などに相当する)にまで彼女は登りつめたのだが、その地位をもってしても、朝廷を改革するには及ばず、かえって己が身を危険に晒すこととなり、劉弁の密かな薦めもあって、彼女は病を理由に退官、故郷である陳留にて隠棲した。

 曹嵩にとって悔しかったのは、己の力の無さのみならず、それで敬愛する劉弁が創るであろう御世を、その傍で直接見れなくなったことに尽きた。そう、いまでも曹嵩にとって、劉弁は先の帝以上に、その忠の対象として無二の存在のままなのである。

 

 「……お母様は、私にどうしろと」

 「もう、言わなくとも聡明な貴女には分かっているでしょう。これまで真の理解者を得られず、そして漸くに心を許せる者を得た陛下が、ついにその身を真の龍とされようとなされているのです。であれば、漢の臣として本当に成すべきは何か。貴女ももう、かつての阿瞞では無いのです。親に孝のみならず、君に忠、それもまた、儒学の大切な教えですよ」

 「……」

 

 病の身を押し、こうしてわざわざ諫言に来た母の言。それは、曹操の考えを改めさせるに十分であった。母親が従者に連れられ退出すると同時に、再び配下の将を緊急招集した彼女は、先の連合への合流を撤回、皇帝に助力すべく都に参集すると宣言。その翌日には、帰郷する母を途中まで送り、その足で都へと軍を向けた。

 ところが、である。

 間も無く都への関門である虎牢関に到達し、自らの来訪を告げるための先触れを出そうとした矢先、曹操の下にとんでもない報せが届けられた。

 

 「……お母様が、何者かによって、拉致された……ですって?」

 「は。屋敷の者たちは全て皆殺しにされており、現場にはかような文が」

 「……」

 

 曹操が目を通した、その文に書かれていたのは、短く、ただこれだけであった。

 

 『親に孝たらんとするなら、本初に従うべし』

 

 君への忠より親への孝。

 曹操は、それを取る事を瞬時に選んだ。陳留曹操軍が、反董卓・北郷連合へと参加することになった、その瞬間であった。

 

 

 

 再び時は現在へと戻る。

 連合に合流した曹操は、取るものも取らず、連合本陣に居る袁紹の下へと足を運んだ。もっとも、母親に関する件を問い詰めるわけではない。実際、そんな事をしようとものなら、すぐにでも母の身に危害が及ぶであろうことは明白であるし、なにより彼女は、この件は袁紹本人の意向だとは露ほどにも思って居なかった。袁紹とは昔、都にて同じ私塾に席を置いた者同士である。それゆえ、彼女の性分は嫌と言うほど知っていた。

 袁紹は名誉欲の塊でこそあるが、同時に、矜持だけはやたらと高い人物である。その彼女が、人質をとって誰かを動かすというような愚行をするなど、曹操には考えられなかった。もっとも、追い詰められたら何をするか分からないのも、矜持の無駄に高い人間の性根だったりもするが、少なくとも、現時点では袁紹にその様な事をする理由は無いと、彼女は旧友(もしくは腐れ縁なだけの知己)の事をそう考えていた。

 故に、曹操が本陣を訪れてしたのは、その袁紹の傍近くに居るであろう、事の首謀者を早々に見極めて、後々の算段を整える、その為の情報収集の意味合いが強かった。その本陣には既に、他の諸侯が一堂に結しており、曹操は諸侯の中で最も遅い参集となった。

 袁紹を中心に集まった諸侯、その内の幾つかの諸侯達は、盟主である袁紹に擦り寄り、おべっかを使ってその彼女を持ち上げ続けていた。かく言う袁紹本人も、それに随分気を良くしており、やたらと高い笑いを大音声で天幕内に響き渡らせていた。

 その中で、険悪な雰囲気を醸し出している諸侯が、曹操以外に二人ほど居た。孫堅と袁術である。高笑いする袁紹の事を、遠目からあからさまな怒りの篭った目で二人は見据えていたのである。天幕に入ってそれを見た瞬間、曹操は瞬時に理解した。

 

 (……そう。彼女らもまた、私と同じ境遇なわけ)

 孫堅も袁術も、曹操と同様に誰かを人質に取られ、連合への参画をやむなくされたのであろう。とはいえ、それが今この場で分かったとしても、現状、人質が何処に居るのかが分からないままでは、誰にもての打ちようが無いのは同じである。

 まずは、情報。このような卑劣な策を弄したのが一体誰であるのか、それをまずは掴むことこそ、この場における最優先事項だと曹操は考え、あくまでも平静を装ったまま、相も変わらず上機嫌に高笑いを続けている袁紹へと歩み寄っていった。

 そして、その後に行われた『軍議』において、満場一致で袁紹が総大将として担がれることになり、先鋒として公孫賛にその白羽の矢が刺さったのは、それからおよそ一刻後のこと。そして翌朝、その公孫賛が虎牢関へと兵を進めるのを、本陣の右翼に展開した自陣から見送っていた曹操は、その胸中にて密かに一つの手段を模索していた。

 

 「……先鋒の戦いがどうなるにせよ、今夜あたり、孫堅と袁術のところに話をしに行くべきでしょうね……。それ如何によっては……」

 

 (やはり、向こう側との繋ぎを取らざるを得ない、かしらね)  

 

 一度は拒否した相手の手を、恥を忍んでもう一度、今度はこちらから取りに行かざるを得ないだろう、と。表情は一切変えぬ鉄面皮を保ったまま、彼女は静かに決断をしていたのだった。

 

 

 

 一方、虎牢関に篭る一刀ら禁軍は、突如として反乱の兵を挙げた漢の司徒王允と、その息のかかったもう一つの禁軍、すなわち一刀指揮下に無い長安所属のそれらに対し、相国である董卓をあてて西への備えとした。

 反乱軍となったそれらを率いるのは、おそらく、劉弁と劉協の身を人質に取られて否応なしに従わされているのであろう、劉備ら三姉妹である。関羽と張飛はともかくとして、劉備のことをよく知る徐庶に言わせれば、彼女は個人の武こそ一流には届かないものの、用兵については自分とほぼ同等の戦術眼、そして妙味を持ち合わせているとのこと。

 それゆえ、生半な将では彼女に太刀打ちできないであろうという徐庶の意見を取った一刀の判断で、指揮能力では一刀を上回る能を持つ董卓にその役をあてがったのである。ただし。

 

 「月。君に言っておきたい。例えこれからの戦に勝ったとしても、劉備さんたちはけっして捕らえないでおいてくれ。必ず、都の中に逃げ込ませるようにね」

 「へう。えと、それはもしかして」

 「……結が調べた限りじゃ、長安の禁軍はそれほど練度が高くないみたいだし、戦いそのものには十二分に勝てるはずさ。繋ぎはもう取らせに行かせてあるから、それだけ、頼むよ。連合のほうは輝里たちに足止めしてもらっておいて、それから……」

 「……へう?!ほ、本気ですか、一刀さん?!」

 「本気も本気さ。……白亜さえ無事に助けられれば、こんな茶番の戦、すぐにでも幕を降ろせるからね。確実を期すために念を入れるのは至極当然だろ?」

 

 例えその権威が下がりつつあろうとも、やはり、いまだ諸侯にとって皇帝の存在は重要なものである。悪く言えばぽっと出の存在に過ぎない、肩書きだけの一刀や董卓と違い、皇帝である劉弁の名と存在はまだまだ強い影響力を諸侯に与えている。

 故に、例え三十万の大軍に挟まれた形になり、一見窮地に陥った状態となっていようとも、一刀たちはただ、劉弁を反逆者から助け出すこと、それにだけ注視すればいいのだった。

 

 「昨夜、密かに出てもらった彼女も、今頃はもう指定の場所に着いているはずだ。あの子なら、例え単騎であっても、万の軍勢に匹敵する伏兵になる。まあ一応、やり過ぎないようにとは釘は刺しておいたけど、月も一応、気に留めておいてくれ」

 「……分かりました。一刀さんも、くれぐれも無茶をしないでくださいね」

 

 劉弁を救出するまでの間、虎牢関という要害を盾に連合を防ぎつつ、同時に反乱軍を蹴散らすための方策も、一刀らはすでに手配済みである。これで後は、ただ、行動あるのみ。

 

 「……それじゃあ始めようか。輝里、瑠里、それと華雄さん。連合のほうは宜しく。あ、あと、結の方の調べが着いたら、そっちの対処も頼んだよ」

 「はい。……本当に、無茶はしないでくださいね?」

 「……お気をつけて」

 「陛下たちのこと、頼むぞ、北郷」

 「……じゃあ行きましょうか、王淩さん。案内、お願いしますね」

 「はい、大将軍閣下」

 

 徐庶、司馬懿、華雄の三人に黙したまま頷いて返し、沈黙したままその傍らに控えていた王淩に一声かけた後、その彼女の差し出した手を掴む。それと同時に、二人の姿は一瞬にしてその場から掻き消え、その気配はもはや関の内部の何処にも存在していなかったのであった。

 

 そして、それから四半刻後、虎牢関の東と西、その双方においてついに、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 史書に言う『陽人の戦い』。

 

 その幕開けの時であった……。

 

 つづく

 


 
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