「……」
アリスの顔はこれまでにないほどに不機嫌だった。その視線はディストに向けられている。
だが、そんなアリスの視線をディストはしれっとした笑顔で受け流している。
「そんな怖い顔しないでくださいよ」
「あんたねぇ…」
「まあまあ、もういいじゃないですか。まさかああなるなんて誰も思ってなかったわけだし」
「……」
クラウスの言葉に、アリスは喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
「そんなに怒ったら、可愛い顔が台無しですよ。ほら、お詫びの印にこれプレゼントしますから、機嫌直してくださいよ」
そう言ってディストが差し出してきたのはエンリケの花だった。それを見てアリスの怒りが更に上がる。
「いらないわよ! 大体その花の所為、で…」
激昂するアリスに、ディストはやれやれと言いながら引っ込めようとするが
「待って! その花…咲いてる? 何で…? 昨日は、確か…」
アリスは昨日のことを思い出す。そして気付いた。昨日見た教会のエンリケの花が一輪も咲いていなかったことに。
「ああ。このエンリケという花は、少し変わっているんですよ。この花は雨が降った次の日にしか咲かないんです」
「雨が降った、次の日にしか…咲かない」
アリスはしばらくエンリケの花を見ながら考え込んでいたが、突然立ち上がると部屋を出て行った。慌てて彼女の後を追うクラウスとディスト。
アリスは宿屋を出ると中央通を突っ切り、北の方にある図書館へ向かった。
そして図書館の職員にあることを尋ね、関連書類を持ってきてもらった。その書類と今までまとめておいた事件に関するメモを見比べているところにようやく二人が追いついてきた。
「急にどうしたんですか?」
「見つけた…」
アリスの言葉に、クラウスとディストは顔を見合わせた。
「共通点、見つけた」
「…どういうことですか?」
アリスは「見て」と言って二人に書類とメモを見せる。
「これは事件が起こってから今日までの天気の記録よ。そして事件が起こった日を比べてみると、事件が起こったのはいずれも雨が降った次の日の夜なのよ」
「…でも、それって単なる偶然なんじゃ…」
「それでも、可能性の一つではあるわ。偶然なのか必然なのか、それは確かめてみなくちゃわからない。もし偶然で関係がなかったらそれは確認した後でまた悩めばいいことよ。一割でも可能性があるなら、私は確かめてみたい」
「……」
「無理に付き合えとは言わないわ。私が確認したいんだから。昨日雨が降ったから、今日の夜が怪しいわね…でも、どこに…」
アリスは地図を広げて独り言を始めるが
「わかりましたよ。付き合いますよ、どうせ言い出したら聞かないんだから」
「そうですね。僕も手伝いますよ」
クラウスとディストが首を縦に振った。
時刻は夜。
アリスが睨んだとおり、また裏路地で女性の悲鳴が上がった。運が良かったのか、場所は近いようでアリスはすぐに駆けつけることができた。
すると翼の生えた女が女性を大鎌で襲っている。アリスはすぐに照明球を上げた。
「!」
その眩しさに大鎌女は怯んだのか背を向けて逃げ出した。
「待ちなさい!」
アリスは女性にここにいるように言うと、大鎌女を追って駆け出した。翼があるから空を飛べるのかと思っていたが、女は何故か空に逃げようとはしなかった。だが、土地勘があるのか迷うことなく逃げ続けている。アリスも何とか女を視界から外さないように全速力で駆け抜ける。
やがて大鎌女は建物の中に逃げ込んだ。
「ここは…」
そこは教会だった。正面扉から堂々と入ったらしく、扉は開けっ放しになっている。
アリスも、ゆっくり近寄って教会の中に足を踏み入れる。
だが、教会の中には大鎌女どころか人の気配すらしなかった。
辺りを警戒しながら奥へと進むアリスの目に静かに佇む女神像が映った。さっきの大鎌女と同じような容姿をしていることから、アリスは直感的にこの女神像が勝手に動いているのではないかと思ってしまった。
「どうかされましたか?」
突然背後からかけられた声に、慌てて振り返るとそこには見覚えのある青年が立っていた。
この教会の神官だった。
アリスは驚いて青年の顔を見つめていたが、首を軽く横に振ると
「勝手にお邪魔してすみません。実は…」
アリスは連続殺人犯を追ってここまで来たことを簡潔に説明した。だが青年——ヴィンセントと名乗った神官は今夜は誰も訪れていないと答えた。
「そうですか…」
アリスはヴィンセントの耳元が突然光ったような気がして少し目を細める。が、それは一瞬のことだったので特に気にはしなかった。
「すみません。お騒がせしました」
アリスが頭を下げて謝ると、ヴィンセントは笑って首を横に振った。
「最近は物騒です。お気をつけてお帰りください」
そんなヴィンセントの姿にアリスは違和感を覚えたが、やはりそれが何なのかわからないまま教会から外へ出た。
それからアリスは宿屋へ戻って二人に取り逃がしてしまったことを伝えた。
「犯人が捕まえられなかったのは残念でしたけど、今日の殺人を防ぐことはできたんですから、良かったじゃないですか」
落胆するアリスにディストが言葉をかける。
「…うーん。でも、やっぱり悔しいなー。あとちょっとだったのに…でも、なーんか気になるのよね」
「何がです?」
「教会にある女神像。ぱっと見ただけだったけど、あの大鎌女に似てる気がするのよ。まさか、あの女神像が夜な夜な動き出して人を狩ってるとか?」
「それはないな」
答えたのはライビットだった。
「僕が見たところ、あれは普通の人間だった。あれが人外とは思えない」
「……」
ライビットの言葉に、アリスは黙り込む。
「そこまで気になるなら、明日お願いしてその女神像を調べさせてもらってはいかがです?」
ディストの提案に、アリスはフッとため息をついて笑った。
「それもそうね。明日、調べに行きましょうか」
「うーん。何もない…普通の像だわ」
次の日、アリスたちは教会を訪ねてヴィンセントにお願いして女神像を調べさせてもらっていた。
「絶対何かあると思ってたのに…」
うーん、うーんとアリスがうなっていると、奥からティーセットを持ったヴィンセントが出てきてお茶を振舞ってくれた。エンリケの花びらのお茶らしい。
クラウスとディストは遠慮なく飲んで賛辞を述べているが、アリスは先日の一件もあって遠慮した。
「このエンリケって花、ここの教会でしか栽培されてないって聞いたんですけど、本当ですか?」
アリスが尋ねると、ヴィンセントは頷いた。
「ええ。この花はこの街と教会のシンボルです。栽培は全て私が管理しています」
そんな彼を見て、アリスは再び違和感を感じた。だが、やはりその違和感が何なのかわからない。もやもやした気持ちを解消できないまま、三人はお礼を言って教会を後にした。
「うーん、もやもやする…」
「さっきから何でそんなに難しい顔してるんですか?」
「うっさい。そんなこと言うと余計もやもやする」
「そんな理不尽な…」
そんなことを話しているアリスの目に、一組のカップルの姿が映った。女の方が何かを落としたらしく騒いでいる。
「おい、ピアスくらいでがたがた騒ぐなよ。みっともないだろ?」
「やだ! あれお気に入りなんだから絶対見つける」
「また似たようなもの買ってやるから、早く行こうぜ」
「嫌よ! あなたはわかんないかもしんないけど、職場じゃピアスとかアクセサリーは着用できないんだから、休みの日くらいお洒落するの!」
話から察するに女の方がピアスを片方落としたようである。男の言うとおりまた買えばいいだけの話ではあるが、よほどお気に入りらしく女はその場から動こうとしないようだった。
「……」
アリスは、そのカップルを見つめていた。いつもなら顔をしかめるのに、無表情のまま彼等を見つめている。
すると、突然ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。カップルはぎりぎりまでねばっていたが雨足が強くなるとその場から立ち去った。
次の日の夜、アリスは教会の裏口を見張っていた。表にはクラウスとディストを待機させている。そしてアリスはジィッと教会から出てくるのを待っていた。
そしてそれは現れる。アリスの読み通りに。
すかさず彼女——大鎌女の前に立ちはだかり、照明球を上に投げてクラウスとディストに合図した。
ほどなくしてクラウスがやってきた。
「さ、これで年貢の納め時よ! 観念なさい!」
「アリスさん…その台詞はちょっと古臭いというか…」
「うっさい! こういうのはノリが大事なのよ!」
大鎌女は突然現れたアリスとクラウスを交互に見ていたが、鎌を振り上げるとアリスの方に向かって距離を詰めた。そしてアリスの目の前で鎌を振り下ろす。
「遅い!」
アリスは一瞬で大鎌女の背後を取ると思いっきり背中を蹴りつける。だが、大鎌女は吹き飛ばされながらも空中で体制を整えてそのままクラウスに向かって鎌を振り下ろす。
だが、その鎌をクラウスは剣で受け止める。そしてそのまま力いっぱい力押しして、その上から剣を大鎌女に向かって一閃させる。だが、大鎌女は垂直に飛び上がったためクラウスの剣は空を切った。
大鎌女は上空でアリスの位置を確認するとアリスに向かって衝撃波を放つ。
アリスは避けきれないことに気付いて杖を取り出し
風封壁
魔術で障壁を作り、衝撃波を防ぐ。
衝撃波が効かなかったことに、大鎌女は舌打ちするが、すぐに真下のクラウスに向き直る。
そして大鎌を振り上げ落下の衝撃を上乗せしてクラウスに襲い掛かる。
クラウスは大きく後ろに跳ぶが、大鎌女は地面を蹴ってそのまま追撃する。普通の人ならばそこで大鎌女に斬られていただろう。だが、クラウスはまるで水のような動きで華麗にステップを踏み、ひらりと大鎌女をかわすとそのまま女の背中に剣を叩き込んだ。
そしてそのまま彼女の首元に剣を突きつける。
「ぐうっ…」
「これで終り、ですね」
大鎌女は悔しそうにクラウスを睨みつけていたが、観念したのか鎌を手放した。
「よっ! 王都武道大会三年連続一位保持者!」
アリスが拍手しながらクラウスに近寄る。そこに姿を消していたライビットも姿を現した。
「アリスさん…」
「何よ。その不本意そうな顔。本当のことでしょ?」
「まあ、そうなんですけど…」
「ま、いいや。じゃ、早速…」
アリスは大鎌女に近寄り、彼女の髪を掴むと思いっきり引っ張った。
「なっ…!?」
「…こいつは…」
クラウスとライビットは唖然とした。
そこには、鬘を取られたヴィンセントの姿があったからだ。
「何でわかった?」
彼は教会で会った温厚そうな青年ではなく、柄の悪いチンピラのような口調で言った。
「確証はなかったんだけど、大正解だったみたいね。あの夜、あなたを教会で取り逃したとき、あなたに会ってあれ? って思ったんだけどその時は気付かなかったのよね。あなたの違和感に」
「違和感?」
「それからその次の日、またあなたに会ったときに違和感を感じた。それはね、あなたについているピアスの穴よ。聖職者——つまり神官や巫女はアクセサリを身に付けることを禁じられているはず。なのに何故あなたにピアスの穴があいているのか。それに気付いたときに、あの夜、あなたがピアスをしていたことも思い出した。あなたはあの夜、教会に追い詰められ、すぐに女装を解いてもとの神官に成り代わった。でも耳についたピアスまでは気がまわらなかったようね。私はそれに気付いたとき、あなたが女神の姿をして人を襲ってるんじゃないかという仮説にいきついたのよ。まあ、今のあなたの姿で、仮説は正しかったと証明されたわけだけど」
アリスの言葉を黙って聞いていたヴィンセントは参った参ったと言いながら笑い始めた。否定する気はなさそうだった。
「ねえ、何であなたがこんなことを?」
ヴィンセントは一通り気が済むまで笑うと話し始めた。
「こいつは元々二重人格なんだよ。俺が裏の顔。聖職者としての奴が表の顔だ。もともと俺は隠された人格だったからな。表に出てくることは一切なかった。だが…ある日、突然俺は表に出てくることができるようになった。今まで同じことをしても出てこれなかったのにある日突然だ。原因はわからねぇ。ただ、奴は雨が降った次の日に咲いたエンリケの花を摘み、その夜にはお香にしてリラックスすることを習慣にしていた」
「まさか…」
「そうだよ。そのお香をかぐと裏の人格である俺が表に出てくることができるんだ。そうなれば後は俺の好き放題にできる。こいつはあの本の主人公の少女に憧れていたようだが、俺はもともとあの本に登場する悪魔に心底憧れた。あいつが少女のようになりたいと強く想うたびに俺は逆にあの悪魔のようになりたいという願望を募らせていた。だから、俺はあの本に出てくる悪魔の格好をして、悪魔のような所業を繰り返していたのさ」
「それをヴィンセントさんは…」
「ああ、あいつは全く気付いてねぇよ。自分が最近世間を騒がせてる殺人鬼だなんてなぁ!」
そう言うと、彼は狂ったように笑い始めた。
そんな彼をアリスは痛々しい目で見つめていたが、やがて頭を軽く振って目をそらした。
すると、アリスの合図の照明球に気付いた警官たちがやってくるのが見えた。アリスは彼等にヴィンセントの身柄を預けると一人教会の中に入った。
そして教会の教壇の上に一冊の本が置いてあることに気付いた。そしてその本を見つけてアリスは唖然とした。
それは猫と蛇の装飾が施された本だった。ミランダの家にあった本と同じである。
アリスがそれに触れようとすると、本はひとりでに空中に浮いて虚空に溶けてなくなった。
それと同時に外からヴィンセントの絶叫が聞こえてきた。
慌てて外に出ると、ヴィンセントの身体がミランダと同じように溶けて消えていく。何が起こっているのかわからず誰もが唖然としており、やがてそれは喧騒へと変わっていった。
その後、二人は警察からお礼を言われ、その場を警察に任せて宿屋へ戻った。途中で警察を呼びに行ったはずのディストと合流した。
聞けば道に迷っていたのだという。そんな彼に呆れながらもアリスは笑った。
深夜。明かりもつけずにディストは大きな本を楽しそうに嬉しそうに読んでいた。本の中からは気味の悪いうめき声が聞こえているがディストは気にしていないようだった。本の上ではやはり勝手にペンが動いて何かをつづっている。そして頁がめくられて最初の方で止まる。開いた頁は目次だった。目次の第一章には『迷いの森の吸血姫』の文字が既に刻まれており、第二章にはなにも刻まれていない。ディストは迷っていたが「ふむ」と頷くと「こうしよう」と言った。そして再びペンが動き出す。
第二章『天使と悪魔とエンリケと』
そう書き終えるとペンは虚空に消えて、本も勝手に閉じると虚空に消えてなくなった。
翌日、ヴィンセントが亡くなったという事実は街中に広まった。彼は街の皆に愛されていたので彼の葬儀には沢山の人が訪れ献花していった。だが、誰も知らない。彼が世間を騒がせた連続殺人鬼であることを誰も知らない。
連続殺人は、確たる物的証拠もないまま、被疑者死亡のまま決着を迎えた。
教会はもともとヴィンセント一人だけだったので、すぐに他の街から新しい神官が派遣されていた。
こうしてすぐに街は平和を取り戻すだろう。そんな街の様子を肌で感じながら、アリスは少し哀しい気持ちになってしまった。
クラウスは部屋でフレイルドール魔術師連合本部宛てに報告書を作成中だ。
ライビットに迷いの森の一件を報告しなくていいのかと聞かれるが、めんどくさいからいいと答えた。
「良かったら僕が書きましょうか?」
「いいわよ…って、え!?」
「はい?」
「あ、あ、あなた、ライビットの声…」
「ええ。聞こえてますよ」
しれっとした顔で言うディストに、唖然として彼を見つめていたアリスだったがやがてため息をついた。
「そういうことはもっと早く言ってよ…ま、いいわ。前の報告書もあなたに話すのも面倒だしね」
「そうですか」
「それにしても…」
ライビットが部屋の中にあるエンリケの花を嗅ぎながら言った。
「しかしまあ、こんなものでも使う人によっちゃ毒にも薬にもなりえるってことか」
「ヴィンセントが普通じゃなかっただけでしょ?」
「そういうアリスも酔っ払ってたから普通じゃないんだな」
「余計なこと言わない」
そんな二人のやり取りに、突然ディストが噴出した。そして笑い始める。
そんな彼を二人はジッと見つめた。
「…どうかしましたか?」
「あなた、普通に笑えるのね」
「?」
「あなた、いつも作り笑いしかしてないから笑えないのかと思った」
アリスの言葉に、ディストは少し驚いた顔をしたがすぐに笑顔になって
「僕だって笑いますよ。一応人間ですから」
「でもへらへらした笑いは好きじゃない」
ライビットが言った。
「あんたはもっと愛想笑いを勉強するべき」
再びアリスとライビットの言いあいが始まる。そんな彼等を見て、ディストは本当に面白いと笑った。
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別サイトに載せているオリジナルの転載です。
このお話は『天使と悪魔とエンリケと』の後編になります。
長い上に駄文ですが、読んでくださった方に感謝します。