永琳から月への移住を告げられた翌日の夜、将志はいつも通り槍を振るっていた。
その槍捌きはいつも通り冴えており、将志の心に乱れが無いことが見て取れる。
「やっほ♪ こんばんは、将志くん♪」
そこに、笑顔のまぶしいピエロの少女がオレンジと黄色に塗られたボールに乗ってやってきた。
「……来たか」
将志はそれを確認すると槍を収め、愛梨の方を見た。
愛梨はいつものようにボールの上に座っていた。
将志がジッとその様子を見ていると、愛梨がその視線に気づく。
「あれ、今日は何かいつもと雰囲気が違うね♪ 何か僕に言いたいことでもあるのかな?」
愛梨はそう言って笑顔のまま首をかしげ、瑠璃色の瞳でじーっと将志を見つめる。
それに対して、将志はゆっくりと頷いた。
「……ああ。だがそれは後で話そう。今は練習をするとしよう」
「おっけ♪ それじゃ、早速始めよっか♪」
そう言うと二人はいつも通り妖力操作の練習を始めた。
この数年間で将志の妖力操作も慣れたもので、今では教官役の愛梨に追いつかん勢いである。
将志は妖力を銀色の炎に変えて自分の周りにいくつも浮かべている。
愛梨はその様子を自分も同じように虹色の炎を浮かべながら見ている。
「うんうん♪ 将志くんもだいぶ制御が上手くなったね♪」
「……そうでもない。空を飛ぶことに関してはまだまだだ。まだ走る方が早い」
「そ、それは君の脚が速すぎるだけだと思うな~♪」
厳しい表情を浮かべる将志に、愛梨はうぐいす色の髪の頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
実際空を飛んだ時、将志は愛梨と同じか少し劣る程度の速さは出ている。
しかし将志の場合は妖力を使って空を飛ぶよりも、妖力を使って作った足場を蹴って移動したほうがはるかに速いのだった。
誤解がないように言っておくが、愛梨も決して弱い訳ではない。
愛梨も能力が持つほどの実力者であるし、仮に対妖怪用の武器を持った人間に襲われてもそれに対処する力はあるのだ。
単に将志の身体能力が異常なだけである。
「じゃあ、今日は練習はこれくらいにしてあそぼっか♪」
「……良いぞ」
将志はそう言うと自分の周りに円錐状の銀の弾丸を生みだした。
一方の愛梨も、手にした黒いステッキから様々な色の弾丸を作り出して自分の周りに浮かべた。
「それじゃあ将志くん、宜しくね♪」
「……ああ、宜しく頼む」
愛梨がシルクハットを取って恭しく礼をすると、将志も礼を返した。
二人が顔を上げた瞬間、銀の弾丸が愛梨に飛んでいき、様々な色の弾丸が将志に向かって飛んでいく。
それと同時に、二人も空を飛んで弾丸を避け始める。
「キャハハ☆ まずはウォーミングアップだね♪」
「……そう言うところだな」
愛梨は銀の雨を楽しそうに潜り抜けていき、将志は必要最低限の動きで無駄なく躱していく。
こと回避に関して言えば、将志は愛梨よりもはるかに上手い。
何しろ将志は耐久力の問題で、一発でも被弾しようものなら即座に戦闘不能になってしまうのだ。
そこで将志は死ぬ気で回避を練習した結果、身体能力も相まって驚くべき回避性能を得ることに成功したのだった。
一方の愛梨も将志の妖力制御が上手くなって弾数が増えていくにしたがって、回避の腕前は上がっていっている。
それに加えて、回避上手な将志に何とか一発当てようと努力した結果、愛梨自身の妖力制御技術や弾幕の密度も上がっていくのだった。
「……そろそろ行くぞ」
「おっけ♪ こっちもいっくよ~♪」
お互いにそう言うと、それぞれの弾幕の密度が跳ね上がった。それに応じて、避ける側も一気に動く速度を上げる。
「……せいっ」
将志は銀の弾丸の雨の合間に、槍の形に固めた妖力を投げつける。
弾幕で相手の動きを制限された中で投げつけられるそれは、高速で愛梨に向かって迫る。
しかも、その槍は船が通った後の波の様に弾丸をばらまいていく。
「おっと♪」
愛梨は風を切って飛んでくるそれを、トランプの柄が書かれた黄色いスカートを翻しながらギリギリで避ける。
そのお返しに、五つの玉を将志に向かって飛ばす。五つの玉は将志を囲む様に飛んでいき、将志がその中心に入った瞬間爆発して大量の弾をばらまいた。
「……ちっ」
将志はとっさに足場を作り、その常識はずれな脚力で一気にその場から離脱した。
将志を狙った弾丸は彼の紺色の袴をかすめるにとどまり、本人は被弾しなかった。
「すごいなぁ♪ あれも避けちゃうんだ♪」
愛梨は自分の攻撃を避けられたと言うのに、嬉しそうにそう笑った。
それは、今この時間を心の底から楽しんでいる事を示した証拠であった。
「……」
将志はその表情を見て、内心複雑な心境を抱えていた。
この笑顔が見られるのも、あと数回もない。正直に言って、将志はこの笑顔を見るのが好きだ。
だが、一番大事な主を守るためには、別れも仕方がないことだ。
「あっ!?」
将志が弾幕を避けながらそんなことを考えていると、突然愛梨が焦ったような声を上げた。
「……む? ぐはああ!?」
それに気が付いた瞬間、将志は研究所の壁に勢いよく頭から突っ込んで行った。
当然、頭に棚の上から湯呑が落ちてきた位で気絶する将志に耐えきれる筈は無く、将志は気を失った。
「……うっ……」
将志が目を覚ますと、そこは研究所内の台所だった。
頭の上には濡れタオルが置かれていて、その心地よい冷たさが激しくぶつけた痛みを癒す。
体には体が冷えないように配慮されたものなのか、オレンジ色のジャケットが掛けられていた。
「あっ、気が付いたみたいだね♪」
声がする方を見てみると、ジャケットを脱いでブラウス姿の愛梨がこちらを見ていた。
将志が体を起こすと、愛梨は安心したように笑みを浮かべた。
「びっくりしたよ、突然壁に向かって突っ込むんだもの♪ どうかしたのかな?」
「……少し、考え事をな」
首をかしげる愛梨に、将志は小さく息を吐きながらそう答えた。
それを聞いて、愛梨は反対方向に首をかしげた。
「それは、今日話したいことに関係することかな?」
「……ああ」
将志はそう言って立ち上がると、愛梨にジャケットを返して調理場に向かう。
「将志くん?」
「……心配をかけたな。すぐに食事を作るから待っていろ」
将志はそう言うと冷蔵庫から食材を取り出して料理を始める。
調理場は将志が調達してきた調理道具で溢れていて、作れない料理は無いと言わんばかりに並べられていた。
その中から、将志はひと際丁寧に管理されている包丁に手を付ける。
包丁は将志が手に取った瞬間、意思を持っているかのようにキラリと光った。
「……始めるか」
将志は手にした『六花』と銘打たれた包丁でまたたく間に食材を切っていく。
何度も何度も料理のプロの包丁捌きを見返して盗んだそれは、その手本となった動きに遜色ない。
全ての食材を切り終わった後、将志はそれらを調理していく。
その間にも様々な小技を積み重ねて、少しでもおいしくなるように工夫をする。
そうして出来た料理は、見た目も色鮮やかで食欲を誘う香りを放つ見事なものだった。
「……出来たぞ」
「いやいや、相変わらずすごいね♪ 流石は料理の超人に勝ったシェフだね♪」
愛梨はそう言いながら台所の隅に置かれたトロフィーを指差した。
そう、将志は自分が料理の研究のために見ていた番組に出演し、勝利を収めていたのだ。
なお、出演するきっかけになったのは、
「将志、随分と料理の腕を上げたわね。いっそのこと、料理の超人にでも出てみたら?」
と永琳が冗談めかして言った言葉を真に受けたためである。
この勝利によって将志には様々なレストランからスカウトが来るようになったが、全てを断っている。
……加えて言えば、すべて独学でここまで上り詰めたところから『料理の妖怪』等と言う妙に的を得た称号を得ている。
「……そんなことはどうでも良い。早く食わないと冷めるぞ?」
「そうだね♪ それじゃ、いただきます♪」
将志に促されて愛梨は目の前の料理に手を付けた。
食材こそ町のスーパーで売られているようなものであったが、将志の手腕によって極上の一品に仕上がっていたそれを口にした愛梨の顔からは笑顔がこぼれる。
「う~ん、おいしい♪ 本当にお店が開けそうな味だよ♪ ねえねえ、やってみる気は無いのかい?」
「……俺の料理は主の為のものだ。売り物にする気は無い」
「でも、僕はそれを食べさせてもらってるけど?」
「……それは日頃の礼だ。そうでなければ振る舞ったりなどせん」
将志は淡々と愛梨にそう告げる。それを聞いて、愛梨は嬉しそうに笑った。
「そっか♪ つまり僕は君にとって特別なんだね♪ 嬉しいな♪」
「……かもしれんな」
愛梨は将志の呟きを聞いて、料理を食べる手を止めた。
普段の彼であるならば「うるさい」と言ってそっぽを向くのだが、今日の将志は心ここにあらずといった様子で呟くのみなのだ。
そんな将志の変化に、愛梨は首をかしげ、瑠璃色の眼でじーっと将志を見つめる。
「……将志くん、本当にどうしたんだい? さっきの特訓の時といい、今の受け答えといい、何か変だよ?」
愛梨の言葉に、将志は眼を閉じて軽くため息をついた。
そして静かに目を開けると、話を切り出した。
「……実はな……月に移住することになった」
「……え?」
将志の一言に愛梨は呆けた表情を浮かべた。将志は眼を伏せ、話を続ける。
「……何でも、町の議会がこの都市を放棄することに決めたらしくてな、住民全員月に移り住むことになったらしい。無論主もその中の一人に含まれているし、俺も主についていくことになる」
「そ、それじゃ……」
「……ああ、お前とももう会えなくなる」
うろたえる愛梨に、はっきりと会えなくなることを将志は告げた。
愛梨は力なく腕を下げ、俯く。
「……いつ、月に行くんだい?」
「……六日後、だ。いや、もう日付も回ったから残り五日か」
「そっか……寂しくなるな……」
いつも太陽みたいな笑みを浮かべていた愛梨の寂しげな表情に、将志の心がチクリと痛む。
数少ない友人、それも永琳を除けば一番の親友とも言える愛梨を悲しませた事実は、将志の胸に突き刺さった。
「……すまない」
「ううん、君が謝ることは無いよ♪ 決まっちゃったものは仕方がないさ♪」
謝る将志に、そう言って笑顔で答える愛梨。
しかし、その表情は普段通りではなく、どこか痛ましい笑顔だった。
「そ、そうだ♪ ちょっと喉が渇いたから、コーヒーをもらえないかな? ついこの間免許皆伝を受けたコーヒーが飲みたいな♪」
「……ああ。すぐに用意しよう」
つらい感情をごまかすような愛梨の言動に耐えかね、将志は調理場に引っ込む。
そして自分の心をごまかすように湯を沸かし、豆を挽き始めた。
「…………」
深呼吸をし、黙想をすることで自らの心を落ち着かせ、コーヒーを淹れることに集中する。
そうやって愛梨のために淹れられたコーヒーは、悲しいほど最高の出来栄えだった。
「……待たせた」
「ありがと♪ ……良い香りだね♪」
愛梨はいつの間にか料理を食べ終えており、将志からコーヒーを受け取るとまずはその香りを楽しみ、口に含む。
将志はその様子を食い入るように見つめている。
「ふぅ……おいしいや……これが君がずっと追いかけてきた味なんだね♪」
「……ああ。たどりつくのには苦労した」
どこか切ないが、それでも自然に笑ってくれた愛梨に将志は笑いかける。
すると愛梨はそれに笑い返した。
「あ、今日初めての笑顔頂きました♪ やっぱり君は笑顔が一番だよ♪」
「……そうか」
将志は愛梨の言葉に微笑を浮かべて頷き返す。
それはしばらくしてコーヒーを飲み終わるまで続けられた。
「それじゃ、今日はこの辺で帰るね♪」
「……ああ」
愛梨はそう言いながら来るときに乗ってきたボールに飛び乗る。
「それじゃあね~♪」
愛梨は将志に手を振りながら、弾むボールに乗って去っていく。
将志はそれに対して手を振り返して見送った。
それから愛梨は将志の所に顔を出さなくなった。
将志は毎晩いつものように槍を振るっていたが、陽気なピエロはついに現れることは無かった。
そして月へ旅立つ前日、将志は槍を振るうでもなく、地上から見る最後の月を眺めていた。
すると、将志の背後から誰かが近付く気配がした。
将志がその気配に振り向くと、そこには永琳が立っていた。
「珍しいわね、将志。あなたが外に出て槍を振るわずに空を眺めるなんて。何かあったのかしら?」
「……いや、明日にはあの場所に旅立つのだな、と思ってな」
将志はそう言うと、視線を空に映る蒼い満月に向けた。
永琳も将志の隣に立ち、同じようにその月を眺めた。
「穢れの無い世界、ね……そこに行けば人はもう死に怯えることもなく生きられる……将志、これをどう思うかしら?」
永琳の唐突な問いかけに将志は首をかしげ、考え込んだ。
「……分からん。そもそも、俺は死ねるのか?」
将志の答えを聞いて、永琳は苦笑を浮かべた。
「そうか……そう言えばあなたは死ねるかどうかすら分からないのよね……それじゃあ、あなたは死についてはどう思うかしら?」
永琳の質問に将志は俯いて再び考え込む。しばらく考えて、将志は顔を上げた。
「……やはり分からん。分からないが、それでも死という概念があるからには、そこには何か意味があるのだと思う。逆に、死なないことにも何か意味があるのだろうとも思う」
「そう……あなたはそう考えるのね……」
「……主?」
眼を閉じて将志の言葉の意味を捉える永琳。
将志は質問の意図が分からず、永琳に声をかける。
すると永琳は眼を開き、言葉を紡ぎ始めた。
「私はね、正直にいえば寿命が延びることはどうでも良いのよ。精々が無限に時間を与えられることで出来ることが増えるくらいだしね」
「……では、何故あのような質問を?」
将志の質問に永琳は言葉を詰まらせる。
「……何故でしょうね? 本来ならば、永遠に与えられた時間をどう生きるかを考えるべきなんでしょうけど……これから失うものに対する未練、かしらね?」
自分でも良く分からないという風にそう口にする永琳。
それに対し、将志は月を見上げて質問を重ねる。
「……死に未練があるのか?」
「無いと言えば嘘になるわね。私は医師でもあって、死に抗うための研究をしていたから」
「……では、主は無限の時間をどう過ごす?」
「さあ? 何をするかなんてその時にならないと分からないわよ? 何か研究をしているかもしれないし、教育者として教鞭を振るっているかもしれないわ。そう言うあなたはどうするつもりかしら?」
永琳の質問に将志は眼を閉じた。思い浮かべるのはピエロの友人の姿。
そして月から何か彼女のために出来る事が無いか考えるが、思いつかない。
将志は月を見上げる。するとそこには、愛梨の右眼の下に描かれたものとそっくりな蒼い三日月が浮かんでいた。
それを見ながら、将志は自分がすべきことを思い出す。
そして、一つ息を吐いて永琳の方に向き直った。
「……俺は何をしていようと変わらん。俺はただ、主に忠を尽くすのみだ」
将志は一切の迷いもなく、力強くそう言い切った。
それを聞いて、永琳は蒼く輝く月の様な、綺麗で穏やかな笑みを浮かべた。
「そう……それならこれからも頼りにさせてもらうわよ?」
「……ああ」
笑いかけてくる永琳に、将志は頷き返すと、再び月を見上げた。
永琳もその隣で静かに月を見上げる。
そんな二人を、月はただただ蒼く柔らかい光で照らしだしていた。
* * * * *
あとがき
主と友人との選択。
将志は後ろ髪を引かれつつも、主を選んだのであった。
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主と共に月へ旅立つことになった銀の槍。それは、友人とは何かを教えてくれた少女との別れを意味していた。