真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~
第三十一話 家族になろうよ 中篇
壱
「間に合って何よりであったわ」
都の城壁の前で、卑弥呼は、冬の朝の突き刺さる様な寒さなど微塵も感じさせず、燕尾服にマイクロビキニと言う何時も格好で馬上の北郷一刀を見上げながらそう言った。
「あぁ、助かったよ。やっぱり、遣い慣れてる得物が腰にあると安心するしな。しかし、“兼光”なんて、良く見つけて来たなぁ……」
一刀は、卑弥呼の言葉にそう答えると、腰に帯びた黒鞘の日本刀に改めて手を添えた。“備前長船兼光”―――最上大業物十四工に数えられる刀匠であり、かの上杉謙信が手にして、武田配下の輪形月平太をその鉄砲ごと切り捨てたと言う、通称“鉄砲斬”を鍛えた人物としても名高い。卑弥呼は、一刀が涿郡に出発前する直前に、脇差として鍛え直した
「まさか、自分が兼光を腰に差す日が来るとはね……一財産どころの価値じゃないんだろ、これ?」
「なに、流石に二つ名が付くほどの最上物ではない。しかし、作は紛れもなく備前長船兼光。切れ味は保障するぞ。儂は貂蝉とは違って、日の元の国の人物の役割を借りておるでな。その分、彼の地を舞台とした外史にも干渉し易い。依って、日の元の文化から誕生した物は、比較的楽に入手出来るのだ」
「それはつまり―――兼光が生きていた時代を舞台にした外史で、“直接買って来た”って事か!?」
一刀が驚いて思わず大声を上げると、卑弥呼はしれっとした顔で頷いた。
「然り。最も、何処でどんな影響が出るか分からぬ故、天下五剣だのと言った有名どころを持って来るつもりは無いがな」
「そらそうだ。まぁ、如何な伝説の刀匠とは言え、飯を食わなきゃいけない以上は歴史に残る代表作以外にも刀は打ってる訳だしな……ってぇか、逆に持って来られても困るよ、そんな大層な物。“童子切”だの“大典太”だのを実戦に使うなんて、考えただけで腰が引けちまう……」
「まぁ、それが正常な反応であろうな。あれらは最早、
卑弥呼は、一刀との雑談とも刀剣談義ともつかない会話を切り上げると、場内へと続く道をこちらに向かって来る人影に視線を移す。一刀もそれに倣うと、卑弥呼の言う通り、見慣れた人々が歩いて来る姿が見えた。
「やぁ、皆。悪いな、こんな朝早くに
一刀がそう言うと、夏侯惇こと春蘭が、眠たそうな隻眼を擦り擦り、不機嫌そうに返事を返す。
「まったくだ!戦時中でもあるまいに、こんな早朝に起きねばならん此方の身にもなれ!」
「何を言っているの、春蘭。貴女が自分で、『絶対に付いて行く』と駄々を捏ねたんじゃない」
呆れ顔の曹操こと華琳が溜息混じりに春蘭を窘めると、華琳を挟む様に春蘭の反対側に立っていた夏侯淵こと秋蘭も主に追従して小さく頷いた。
「そうだぞ、姉者。華琳様の警護には私と流琉で来ると言ったのに、言う事を聞かなかったのは姉者では―――」
「わーッ!わーッ!!う、五月蠅いぞ秋蘭!余計な事を言うな!!」
「も~、五月蠅いのはアンタよぉ、しゅんらぁん。近所めーわくじゃな~い」
孫策こと雪蓮が、妙に甘ったるい口調で愉快そうに春蘭にそんな事を言っているのを目にした一刀は、雪蓮と共に来ていた孫権こと蓮華、周瑜こと冥琳、孫尚香こと小蓮の三人に、遣る瀬無さそうな眼差しを投げかけた。
「なぁ、雪蓮のやつ、呑んでたのか?」
「ついさっきまで、ね……」
「一々尋ねずともあの
蓮華の吐き捨てる様なもの言いに、すかさず冥琳が同調して溜息を吐いた。
「因みに、付き合わされてた思春は、死にそうな顔して部屋に帰ってったよ……」
「まぁ、そうだろうな―――って、そうか、だから蓮華が居るのに思春が来てないのか」
小蓮の言葉に、蓮華が外出する時には何時も影の様に寄り添っている甘寧こと思春の姿がない理由を理解した一刀がそう言うと、蓮華が心配そうな表情で頷いた。
「えぇ……恐らく、今日一日は動けないと思うわ。姉さまと同じ勢いで
「まぁ実際、時代が違えば労災下りても不思議じゃないもんなぁ、雪蓮に朝まで付き合うなんてさ……」
「えぇ~!?言ってる事は良く分かんないけど酷いじゃない、一刀ぉ~。自分なんて、この前、私が『もう無理だから寝かせて』って言ったのに、朝まで全然寝かせてくれなかったくせにぃ~」
「一刀……?」
拗ねた様な口調の雪蓮の言葉に、片眉を上げた蓮華が過敏に反応して一刀を睨みつけると、一刀は苦笑いを浮かべて蓮華に言った。
「おいおい、蓮華。それじゃ、雪蓮の思う壺だぞ?」
「そうよ、蓮華。事の真偽はどうあれ、雪蓮は、場を面白おかしくひっくり返せればそれで良いんだから」
「あら、華琳。私の事、よ~く分かってるじゃない?」
「当然でしょう?三日に空けず酒をせびりに来ては何時間も部屋でクダを巻かれていれば、その位は分かる様になるわよ」
雪蓮の悪戯っぽい笑顔から出た言葉に対して、華琳が悠然と微笑んでそう返すと、今度は華琳の言葉を聞いた冥琳が、蓮華に代わって片眉を上げた。
「雪蓮……?」
「あはは~……やぁね、冥琳。そんな怖い顔で睨まないでよぉ。あくまでも“合意の上”なんだからぁ♪(チッ、ヤブヘビだったわね……)」
「最後までしっかり聞こえているぞ、雪蓮。まぁ、今は北郷の見送りが目的だから黙っておくが……分かっているな?」
「は、はぁ~い。あは、あはははは……」
「……なぁ、もうそろそろ、私達も喋って良いか?」
冥琳の凄味のある言葉に両手の人差し指を捏ね繰り回して乾いた笑いを浮かべる雪蓮の後ろから、そう声が掛った。冥琳は表情を緩めると、少し申し訳なさげに、その声の方に顔を向け、雪蓮の首根っこをひょいと掴んで場所を開けさせる。
「おぉ。すまんな、白蓮、雛里、紫苑。お前達の主の見送りだと言うのに、私達が騒いでしまって」
「いや……私は、お前等の会話に堂々と割り込めるほど肝が太くないんでな。気にしないでくれ……」
公孫賛こと白蓮が、どこか悟った様な口調で冥琳にそう答えると、先程の冥琳の凄味に気圧されたのか、白蓮の後ろに隠れていた鳳統こと雛里も怖々と小さく頷いた。黄忠こと紫苑は、そんな二人の様子を、どこか面白そうな瞳で見つめてから馬上の一刀の前に進み出て、優雅に一礼した。
「ご主人様。道中、どうか十分にお気お付け下さいますよう。我々蜀漢臣下一同からも、桃香様の御母上様にはくれぐれも宜しくお伝えくださいまし」
「あぁ。ありがとう、紫苑。忘れずに伝えるよ」
漸く、見送りらしい見送りの言葉を受けた一刀が、どこか安心した様にそう答えると、華琳が思案顔で一刀に尋ねた。
「でも、本当に大丈夫なの、一刀?急な捕り物のせいで桃香達から三日も出立が遅れてしまったし、その間は一人旅になるのでしょう?やはり、途中まででも、誰かしらに追従させた方が良いと思うのだけれど……」
「いや。心配はいらないよ、華琳。
一刀がそう言って、愛馬、龍風の真紅の
「馬で三日の距離を半日掛らずに、ですって?」
確かに華琳は、黄金の枝角と鱗を纏った龍風の姿を見た事があったが、それでも、目の前で大人しく一刀に撫でられているこの巨大な白馬を凝視せざるを得なかった。無理もない。あまりに現実味がなさ過ぎる話なのだから。
「あぁ。だから、本当に心配はいらないよ」
一刀は、なんとも言えない表情で龍風の顔を見詰めている華琳にそう答えた。だが、事実はもう少し違う。龍風が本気を出せば、恐らく、大陸の端から端まででも“一瞬で”到着してしまうだろう。何故なら、龍風の真骨頂は“超高速”などではなく、“空間そのものの跳躍”にあるのだから。
それは、“奔る”と言う幻想を突き詰めた、究極の形である。“奔る”と言う行為がトリガーとなっている以上、完全な
だがこの能力の使用は、龍風自身にも尋常ならざる負荷を与えるものなのだと、龍風本人が一刀に言った。一切の外的装置を用いずに“空間を超える”という行為は、龍風の体力を根こそぎ奪い去ってしまうし、そうなれば、少なくとも二・三日はまともに動けないのだと。
つまり、最後の切り札なのである。だが、今そんな事を華琳に説明したところで、到底理解してもらえるとは思えない。
「まぁ、貴方が言うのなら、そうなのでしょうね」
華琳は、眉間に皺を寄せながらそう呟くように言うと、気を取り直して、再び馬上の一刀を見上げた。
「では、あまり時間を取らせても悪いから、この位にしましょうか。気を付けてね、一刀」
華琳のその言葉を皮切りに、集まった皆が、次々に一刀に労いの言葉を掛けた。
「ふん、精々、鼠にでも轢かれて死なんようにしろよ!」
「こら、姉者。旅立ちの前に、幾ら何でも不謹慎だぞ?―――ではな、久々の義兄妹水入らず、ゆるりとして来い、北郷」
「かーずとっ!お土産は勿論、美味しい地酒が良いからね♪」
「雪蓮、そんな
「もう、姉様も冥琳も、大事なのはそこじゃないでしょう!一刀、気を付けて行って来てね?」
「一刀の正妻はシャオなんだから、あんまり桃香達とイチャイチャしちゃ駄目だよ!」
「こちらの事は心配せず、ちゃんと桃香のお袋さんを見舞ってやれよな」
「あわわ。どうか、ご無事で……」
「相手方のご家族への挨拶は、初対面の時の印象が第一ですよ。しっかりなさって下さいね、ご主人様?」
「はは。皆、ありがとう!じゃ、龍風、そろそろ征こうか!」
一刀が、見送りの面々に笑顔を向けてから龍風にそう言うと、龍風は短く
一行が息を呑んだのは、ほんの一瞬。次の瞬間には、龍風は今までの緩やかな速度が嘘の様に猛然と土煙を上げて疾走を始めていた。その姿は直ぐに小さくなって、あっと言う間に見えなくなる。
「話には聞いていたが……直接眼にすると、流石に驚くな。あんな速度で走れる生き物が存在すると言うのは……」
冥琳が、珍しく茫然とした様子でそう言うと、華琳も同意して頷く。
「私なんて今回で二度目だけれど、それでも信じがたいわよ―――。一刀の姿もそうだけど、非常識過ぎてね」
「やっぱ、いいなぁ、あの馬……」
白蓮は、華琳の言葉を聴くともなしに聴きながらそんな独り言を呟いて、今はもう荒涼とした冬の平原しか見えない景色を、子供の様な眼差しで見詰め続けるのだった―――。
弐
「しかし、本当に宜しかったのですか、桃香様?昼間立ち寄った村で宿を取っても良かったのですよ?この時期は冷え込みますし……」
火を点けてから程なくして盛大に燃え上がった焚火に両手を当てながら、関羽こと愛紗は少し心配そうな顔で、主であり義姉である劉備こと桃香を見遣った。焚火を挟んで愛紗の正面に腰を降ろし、同じ様に両手を温めていた桃香は、その言葉に微笑みを湛えて頷く。
「いいの。だって、皆が忙しいこの時期に、無理にお休みを貰ったんだもん。少しでも早く着かなくちゃね。それに、折角、天幕だって持って来てるんだし」
「はぁ……」
愛紗は、未だ僅かに心配の滲む声でそう呟く様に答えると、諦めた様に、すっかり暮れ切った冬の空を見上げた。どの道、今から村に戻る訳にも行かぬし、幾ら心配したところで何がどうなるものでもないのだが、それでも、一国の国主をこんな原野で野宿などさせて、臣下として良いものだろうかと、どうしても思ってしまう。
それこそ、性分なのであろう。
「でもね……」
藍色の空を見上げて溜息を吐いた愛紗が、まだ心配を拭えないのだと思った桃香は、そんな義妹を愛おしそうに見詰めながら、悪戯っぽく微笑んで、再び口を開いた。
「実は、してみたかったんだ。野宿」
「は?」
「焚火を囲んで皆でお喋りしたり、小さな天幕の中で一緒に眠ったり……私達三人で旅をしてた時は何回かあったけど、随分長い事してないし……ご主人様と一緒には、そう言う事をした事なかったしね?」
「あぁ―――成程」
愛紗は、桃香の言葉に微苦笑を漏らして頷いた。確かに、北郷一刀と共に行動するようになってからは、そんな事は一度もなかった気がする。何せ、彼と出会った翌日には白蓮の配下として登用され、部隊長として兵を率いていた。
一介の部隊長であっても、夜営の時には簡素ながら個人の天幕が与えられるので、それ以降は一つの天幕に雑魚寝で過ごした事などないし、指揮官ともなると、兵達への激励やら明日の行軍の予定やらを考えねばならず、ゆったりと焚火を囲んで談笑などしては居られない。こうして、何をするでもなく義姉と差し向いで焚火に当たっている事に若干の気まずさを感じてしまうのも、ついぞ、そう言った事をしてこなかったからなのだろう。
「えへへ♪ホントはね、鈴々ちゃんを抱っこして寝るの、結構式好きだったんだ、私!ちっちゃくて、暖かくて……一人っ子だったから、余計なのかな?『あぁ。私、お姉ちゃんなんだ~』って実感出来る気がして……でも、もう鈴々ちゃんもおっきくて、抱っこはして上げられないかもだけどね~」
「お気持ちは分かります。私も、鈴と旅を始めた頃は、そんな風に思いましたから」
「あ、やっぱり?」
「はい。私も、随分と長い事、一人旅をしていたもので……普段は意識していなくとも、やはり人肌が恋しかったのでしょうね。まぁ、そのせいで甘やかし過ぎてしまったのやも知れませんが……」
愛紗が、僅かな自嘲を浮かべながらそう言うと、桃香は朗らかに笑って首を振った。
「愛紗ちゃんで甘やかしてる事になったら、私やご主人様なんてどうなっちゃうの?年が上じゃなかったら、本当は愛紗ちゃんにお姉さんになって欲しかった位なのに」
「ふふっ、ご冗談を。私には、過ぎた大役ですよ」
「えぇ~、そんな事―――」
「いいえ、そうなのです」
愛紗は、桃香の言葉を遮って、優しく微笑んだ。
「最近、思う様になりました。私は、良くも悪くも心根が武侠なのです。千、万の兵を率いる事は出来ても、何十、何百万という数の民を包み込み、寄り添う事の出来る器ではありません」
「そんな事ないよ。愛紗ちゃんは優しいし、それに―――」
「優しいとか厳しいと言う話ではないのです。桃香様」
まるで、愛紗自身から彼女を庇おうとでもするかの様な桃香の言葉を、愛紗は笑って否定する。決して、自虐的な愚痴なのではないと、分かって欲しかった。
「例えば、董卓と賈駆―――月と詠を
「愛紗ちゃん……」
「しかし、ご主人様と桃香様は、二人を守ると仰られた。その結果はどうです?国としては、優秀な内政補佐と俊英の軍師、それに、勇猛な涼州の騎兵達を得られました。個人としては、心優しき得難い朋友達を」
「うん。そうだね……」
「それは、恋の時も同様です。私ならば、戦場で果てるは武人の本懐と、あの子の首級を獲る事に躊躇はしなかったと思います。ですが、お二人はまたも、恋に『共に征こう』と仰られた。その結果、国としての我等は、天下無双を誇る飛将軍の武と、その配下たる軍師と最精鋭部隊を手に入れました。個人としては……ま、まぁ、その……」
「あはは♪“それは言わぬが華”、かなぁ、愛紗ちゃん?」
「は、はぁ。恐れ入ります……」
桃香の言葉に僅かに頬を赤らめた愛紗は、照れ臭そうに焚火の炎に視線を戻した。
「麗羽達の時もそうです。麗羽自身は兎も角、猪々子と斗詩は佳く働いてくれていますし―――何より、あの三人が起こした馬鹿騒ぎに頭を抱えない日常なんて、今では考えられません。きっと、さぞや退屈だったでしょうね」
「は~。愛紗ちゃん、丸くなったねぇ。昔は、麗羽さんが何かすると、眉間が凄い事になってたのに……」
「ふふっ、今だって、十分そうですよ。ただ、過ぎてしまえば滑稽だったと笑う位には、気持ちに余裕が出来たと言うだけで」
「そっかぁ。でも、嬉しいな。愛紗ちゃんも、そう思ってくれる様になって……」
桃香は、嬉しくて仕方がないと言った様子で、両の膝を抱え、満面の笑みを浮かべた。出会ったばかりの頃の、厳しく己を律しているばかりだった愛紗にあった棘々しさは、今の彼女の微笑みからは微塵も感じられなくて。
自分がずっと垣間見て来た、心優しく心配性な、本当の愛紗を曝け出してくれる様になった事が、心から嬉しかった。
「ですから、今、私がこんな事は言えるのも、桃香様とご主人様が、私を導いて下さったからなのです。将として兵を率いる事にかけては、どんな人物にも引けを取らない自負があります。ですが、人として人を導くと言う事に関しては、私は、桃香様やご主人様には、到底及ばないでしょう。だから、その……貴女が、私と鈴々の義姉になって下さって本当に良かったと、私は心からそう思っているのです―――あ、姉、上……」
「ふぇ?」
桃香は、尻すぼみになってしまった愛紗の最後の言葉に、呆けた様な顔でそう答えるしかなかった。目の前で俯いてしまった義妹は、今、自分を何と呼んだのだろう?
「ね、ねぇ。愛紗ちゃん。今、なんて……」
「も、申し訳ありません!!」
「えぇ!?何で謝るの!?」
「だって……その……あぁ、私は、私は何を……!!」
「そんな事言わないで!ねぇ、もう一回、もう一回、言ってくれない?」
桃香は、“ハイハイ”をして焚火を回り込み、愛紗の傍に近づくと、その手を握って、鼻息荒く愛紗に詰め寄った。
「あ、いえ、その様に大層な事では……」
「ううん。凄く、すっっごく!大事な事だよッ!!」
「はぁ……で、では、そ、その、もう一度だけ―――あ、姉上……」
桃香の剣幕に圧された愛紗は、真っ直ぐに見詰めて来る桃香の眼差しを受け止めきれずに視線を外しながらも、もう一度、呟く様に桃香をそう呼んだ。
「ん~~~~♪愛紗ちゃ~ん!!」
「うわぁ!?と、桃香様!!?お、お止め下さい!火が―――危のうございます!」
「良いの!今はこうしたいの♪」
桃香は、抱き付いた自分の胸の中でもがく愛紗の言葉を無視して、両腕に更に力を込めた。どうせ、愛紗が本気で振り解こうとすれば為すがままにされるしかないのだから、好きにさせてくれている間は、思い切り好きにしてしまおうと思ったのである。
「あ~いしゃちゃん!ね、もう一回言って?」
「はい!?い、いえ、もう言いません!」
「え~!どうして?良いでしょ、もう一回くらい~」
「お断りしますッ!!」
片や、しがみ付こうとしながら、片や、それを引き離そうとしながら。二人はそんな仲睦まじい会話を、延々と繰り返していた。それを遠くから見詰める、六つの瞳の事など知りもせずに。
参
「おーおー、珍しくイチャイチャしちゃってまぁ」
龍風に跨った一刀は、黄金の仮面の中でニヤニヤと笑いながら、面白そうにそう言った。一刀の前に相乗りしている張飛こと鈴々も、滅多に見れない義姉二人のじゃれ合いを、愉快そうな眼差しで眺めている。
「にゃはは♪愛紗、こっからでも分かる位お顔真っ赤っかなのだ~」
「此処から肉眼で顔色まで認識出来るって、凄過ぎだぞ鈴々……」
一刀は、龍王千里鏡の機能を使って、四里(約2km)先の二人の姿を認識出来ているが、鈴々は勿論、裸眼。しかも、今は夜である。
「それ程でもないのだ!でも、お兄ちゃんに途中で拾ってもらって運が良かったのだ!そのおかげで、後で愛紗を冷やかすゼッコーのネタが出来たのだ!」
「はは。あんまりやり過ぎて、また拳骨貰わないようにな?」
「それは……自信ないのだ……」
鈴々は、難しそうに腕を組んで、首を傾げた。頭の中で、どうしたら被害を被らずに愛紗を目いっぱい
一刀は、出立の時に華琳に言った通り、殆ど義妹達に追い付いていた。彼女達に渡した式神の反応まであと少し、という所で、食糧を調達する為に一人狩りをしていた鈴々を見つけ、ついでにピックアップした、と言う訳である。
無論、三人も携帯用の保存食はきちんと持っているのだが、鈴々の食欲を十分に満たそうと思えば、それこそ一食分だけでも二頭立ての馬車が必要になってしまうので、効率面を考慮し、現地調達に勤しんでいたのだった。今も、龍風の腰の辺りには、締められたばかりの新鮮な野兎が四羽、後ろ脚を縄で括りつけられてぶら下がっている。
鈴々曰く『本当は猪が良かったけど、ここらには居なかったから』との事で、だからと言って何十羽も乱獲する訳もいかず、仕方なく人数分を確保して佳しとしたのだそうである。
「ところでさぁ、鈴々」
「何なのだ、お兄ちゃん?」
「俺達、完璧に出て行く時期を逸してね?」
「……あ~、そうだなぁ」
「今、のほほんと出て行ったら、確実に空気読めないちゃんだよな~」
「ん~。じゃあ、鈴々とこの兎を何にして食べるのか話ながら、少し散歩するか?どうせ、何処かでお肉を“血抜き”しなきゃいけないし」
「ははは。それは良いな。でも、鈴々は料理出来たっけ?」
「華琳みたいのは出来ないけど、簡単なのは出来るぞ~!焼いたりとか、焼いたりとか……焼いたりとか!!」
鈴々は、おどけた口調でそう言うと、「にゃはは」と笑って、一刀の方を振り返った。
「や、成程。そいつは上等だ。でも、新鮮過ぎてソテーには向かないかなぁ。やっぱり、煮込んだ方が旨いんじゃないか?」
一刀が、“凱装”を解いて思案顔でそう答えると、鈴々はキラキラと瞳を輝かせて、一刀の方に身体ごと向き直った。
「お兄ちゃん、お料理得意になったのか!?」
「ん?いや、まぁ……得意って、俺も華琳や流琉ほどじゃ無いけどなぁ。一人暮らしとか長かったし、暫く一緒に住んでた爺様が料理したから、教わったりしてたんだよ。兎は俺の国じゃ今はあんまり食べないけど、一時期住んでた国では結構一般的な材料だったから、幾つか作り方は知ってるな。まぁ、広い国だったし、都市部の人は全然食べないみたいだったけど」
一刀はそう言いながら馬首を巡らせて、龍風が緩々と歩くに任せた。空気が澄んでいて、見上げた夜空には、白い月がぽっかりと鮮明に見える。それこそ、欠けている筈の部分まで薄っすらと視認出来る位に綺麗だった。
「お~!天の国の兎料理か~!どんなの?どんなのなのだ?」
「う~ん。俺の国だと、兎汁ってのを話に聞いた事がある位だけど、他の国には色々あったよ。塩と木の実から採った油で煮込んだものとか、シチューだろ、それからトマトと白葡萄酒の煮込みだろ?あと、香草をたっぷり使って炙り焼きにしたり、リゾットは……なんて言ったらいいかな。硬めに炊いた雑炊?他には、燻製にした肉を切り分けて生野菜と一緒に食べたり―――」
「う~!どれもウマそうなのだぁ!ねぇねぇ、お兄ちゃん。それ、このお肉でも作れるのか!?」
「どうだろ?煮込み系なら、調味料さえあれば何とか出来るかも。―――って、鈴々、ヨダレヨダレ!」
「あぅ!?ゴメンなのだ……」
一刀は、笑いながら、鈴々の垂らした涎を
四
暗い灯りに満たされた、石柱の立ち並ぶ玉座の間。
「一同、赦す。面を上げよ―――」
王の言葉は許可などではない。それは、どの様な言い回しであろうと、絶対の命令に他ならなかった。
「さて……それぞれ無聊の慰みなどしていた様であるが、十分に英気は養えたか?」
「はっ!」
「はっ!」
「へへ……そりゃ、もう」
三人は、ヴェールの奥で、主の眼差しが自分達の顔を睥睨する気配をひしひしと感じながら、思い思いに返事をした。まさか、自分達の“無聊の慰み”の内容を、この絶対者にして主―――
「結構だ。では、現状の報告を聴こう。
「はっ、全て滞りなく。北郷一刀と呂布によって失われた兵力の補充も終わり、再編はほぼ完了しております。各軍団へのマシラ級の戦力提供も、問題無く行えるでしょう」
「そうか……大義である。では、
「はっ、幾つかの試作型を“実験”にて失いはしましたが、多くの有用な臨床結果が得られました。以後は量産型の配備と並行して、各“中級種”達へのフィードバックと能力の強化も順次行って参ります」
檮杌は、自分の隣で跪く饕餮をちらと見遣ってから、淀みなく主に報告を終えた。彼女は未だ、饕餮が北郷一刀を仕留められる状況であったにも関わらず、それを目こぼして帰還した事に納得していなかったのである。
だが、それは何分、主の言う所の“無聊の慰み”の範疇で行った事であり、全てを見透かしている筈の主も饕餮にその事を問い質さない以上、檮杌にも、この場で饕餮を糾弾する様な真似は出来なかったのであった。ましてや、饕餮は檮杌の依頼だった試作型の性能試験と、その詳細な運用データの提出に関しては、完璧と言えるレベルの報告をもたらしてくれており、あくまでもその“手段”に過ぎなかった北郷一刀との戦闘の勝敗については、檮杌が本来口出しをする様な事ではない。
それが“筋違い”だと言う事くらいは、この狡猾な女騎士にも解っていた。
「左様か―――では、そちらは引き続き、うぬに一任する。佳きに計らえ」
「はっ!」
檮杌は、主の僅かに満足げな声に内心、安堵を覚えて返事をする。何はさて置き、彼女に取ってそれは僥倖だった。彼女は、騎士であるのと同時に科学者である。
無論、近代の人間達がそう評する“科学”とは理を違えるものではあるが、“神秘を理論によって暴き出す”と言う一事に於いて、その思考は現代の科学者と一致していた。即ち、彼女が最も恐れるのは“解明と理解の不能な未知”である。
今現在、檮杌を睥睨するこの存在は、その強大な力と無限の命を以て実像を結んだ、全き神に他ならない。そう、科学者が最も恐れる、『存在が立証出来ないが故に完全に否定する事も出来ないもの』の否定者であり、同時に体現者であるのだ。
敢えて言ってしまえば、それは、“完全に理解を超えた理不尽”に他ならない。何せ、確かに実在しているのに、その存在を解明する事が不可能なのだから。そう言った意味に於いて、彼女は四凶の中で最も、蚩尤を畏れていたのである。
誰が好き好んで、“姿かたちのある理不尽”の不興を買いたいなどと思うものか。もしそんな者がいたとしたら、それは、意思を持った竜巻や津波に喧嘩を売るのと大差ない愚挙であろう。
「では―――」
姿持ちし理不尽は、檮杌の心中のさざ波など意に介す事もなく、感情の籠らない言葉を続けた。
「そろそろもう一手、差してみるとするか。次の出陣は―――」
「それなら、是非この―――」
「……私めに、出撃の名誉を……」
饕餮、檮杌、そして、発言を遮られた窮奇すらもが、心底驚いた様子で発言の主―――渾沌―――を凝視していた。
彼の特等席である、主と三人を隔てているヴェールの右斜め前。この、蚩尤の影とも懐刀とも呼ばれる股肱の臣の、鏡をそのまま加工した様な異様な仮面からは、如何なる感情も読み取る事が出来ない。だが彼が、自ら主たる蚩尤の傍を離れる様な任務を望んだと言う事実は、他の四凶の面子を驚かせるには十分な理由だった。
「珍しいな、渾沌。どう言う
蚩尤は興味深そうに、ヴェールの中からその視線を渾沌へと向けた。渾沌はそれを察して、
「北郷一刀と言う男……傷を負わすまではいかぬまでも、蚩尤様が饕餮に賜りし“
渾沌の言葉に、蚩尤はまたも興をそそられた様子で「ほぅ……」と、呟き、当の饕餮に水を向けた。
「そうなのか、饕餮よ?」
「……はっ。左様に御座います。蚩尤様から頂戴致しました鎧に疵を付けました事は、誠に以て私の不徳の致すところであり、お詫びのしようも御座いませぬ」
饕餮は、内心で渾沌に向かって舌打ちをしながら、主への返答を口にした。それは、檮杌にも窮奇にも知らせてはいない事柄だった。なのに何故、蚊帳の外であった筈の渾沌が、その事実を知っていたのか?
答えは考えるまでもない。監視されていたのだ。しかも、饕餮ですら感知出来ぬほど隠密に。
「それは、もう佳い。鎧に疵が付くのは、当然の事である故な。しかし、そうか。ガルヴォルンをな……為れば、渾沌が興味を示すのも頷けると言うものよ」
蚩尤は、愉快そうにそう言うと、
「佳かろう。ならば今回は、渾沌に出陣を赦す。軍勢の編成は、そちの好きにせよ」
「はっ。ありがたき幸せ……」
「ふっ。では、そう言う訳だ。窮奇よ、今少し辛抱いたせ」
渾沌から窮奇に視線を移した蚩尤がそう言うと、窮奇は詰まらなそうに頭を掻いた。
「そりゃあ、もう……蚩尤様のお下知とありゃ、是非もありませんや」
「では、
蚩尤はそう言い残し、音も無く気配を消し去った。
「おい、渾沌―――」
立ち上がった饕餮が、渾沌の居た筈の場所に向かってそう言いながら鋭い視線を向けると、既に、渾沌の姿も掻き消えていた。
「チッ……」
饕餮は、今度は口に出して忌々し気に舌打ちをすると、窮奇と檮杌には眼も呉れず、大扉を抜け、速足で玉座の間を後にする。残された二人も、窮奇は退屈そうに欠伸をしながら、檮杌は何やら深く思案して、軽く握った右の拳を口元に宛てながら、それぞれに玉座の間から出て行った。
局座の間に、暗い灯りと、昏い静寂を残して―――。
あとがき
さて、今回のお話、如何でしたか?
前回に引き続き、姉妹でラブラブして貰った訳なんですけれどもw
ゲーム版の愛紗は、終始一貫して桃香を様付けで呼び、主として接するスタンスだったので、あんな感じにしてみたのですが……。
兎肉は、私も海外旅行で一度食べた事があって、柔らかくてもの凄く美味しかったです!で、今回はレシピなんかを調べたりして、兎料理をちょこっと紹介してみました。皆さんにも、機会があってら是非食べてみて欲しいですねぇ……。
それから、以前に出した時すっかり説明をし忘れていたのですが、ガルヴォルンと言うのは、トールキンの『指輪物語』に登場する魔法金属の事です。加工次第では、どんな金属よりも硬くなる神秘の黒い鉄だそうで、饕餮の纏う黒い鎧の材料としてはぴったりかな、と思い、登場させました。
次回はいよいよ、桃香ママの登場と、渾沌との激突になります。今回は短めに抑えたので、次回はまた長くなるかも知れません……orz
申し訳ありませんが、その旨ご了承下さい。
また、何時もの様に、支援ボタンクリックやコメントなど、大変励みになりますので、お気軽にして頂けると、とても嬉しいです。
では、また次回、お会いしましょう!!
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どうも皆さま、YTAでございます。
どうにか年内に投稿する事が出来ました。いやぁ、良かった。
今回も、桃園の三姉妹にイチャイチャして貰ってるので、三人のファンの方には喜んで頂ける……かなぁ(;´∀`)
では、どうぞ!