雪蓮たちが拠点にしている砦に、いつも以上の活気が溢れていた。雪蓮が救出されたことで人が集まっているというのもあるが、一番の理由は袁術たちが帰還したことだろう。
冥琳と張勲の二人を救出してすぐ、袁術と璃々を無事に見つけ出した小蓮たちが帰ってきたのである。すぐに璃々と母親の黄忠、袁術と張勲の対面が果たされた。
「お母さん!」
「璃々! 璃々!」
璃々はしっかりした子だった。救出後、砦に帰り着くまで弱音を吐くこともなく、元気に明るく振る舞っていた。だがまだ独り立ちするには早い年齢である。母親の顔を見るなり、堰を切ったように泣き出したのだ。
我が子をしっかりと抱きしめ、黄忠もまた人目をはばかることなく涙を零したのである。
一方、袁術も璃々より年上とはいえまだ子供だ。昔のような甘えた様子は少なくなっていたが、それでも張勲を見つけるなりワンワンと泣き出したのである。
「七乃-! 寂しかったのじゃ!」
「はいはい、美羽様。一人にしてしまって、すみませんでした」
まるで本当の親子のように、張勲は優しく袁術を抱きしめた。そしてなだめるように、何度も何度も子供をあやすように背中を叩いてやる。ポンポンと柔らかな振動が伝わるたびに、袁術は安心したように落ち着きを取り戻していった。
やがて、ひとしきり泣いた袁術が深刻な顔で告げる。
「風が目覚めぬのじゃ。妾たちを助けるのに力を使いすぎて、ようやっと生きているという有様なのじゃ。医者にも診せたが、一向に改善せんのじゃ。どうすればいいかの、七乃?」
眠ったまま砦に運び込まれた風は、何人かの医者に診せたが疲労が原因と診断された。人形を操る事がどれほどの労力なのかはわからないが、かなり無理をした事は確かなようである。一応、薬を処方されたが効果はあまりない。
袁術は単純に、張勲に頼めば何とかしてくれると思っていたが、そう簡単な問題ではなかったのである。
お祝いムードから一転、沈んだ空気に包まれた。袁術のみならず、雪蓮たちも風を助けたい気持ちは変わらない。皆で考えた結果、華佗を連れてくるという案が承認され、明命によってすぐに実行された。
ほとんど誘拐するように連れて来られた華佗は、文句を言いながらも風を診察し、悔しそうに小さく首を振った。
「俺でも治療は無理だ。そもそも、何かの病というわけではない。肉体がまるで老人のように消耗している。気力が枯れ、精神力でかろうじて一命を取り留めているような状況だ」
「どうにかできないの?」
「長い時間を掛けた治療が必要だ。だがその前に、体が保たない可能性が高い……少なくとも、今のままではあと数日だろう」
雪蓮の問いかけに、華佗はそう答えるしかなかった。医術は万能ではない。
「風は、風は死んでしまうのかの? そんなの嫌なのじゃ」
突きつけられた現実に、袁術は駄々をこねるように首を振る。どうすることも出来ないのかと誰もが諦めかけたその時、何かを思い出すように華佗が稟を見た。
「そういえばお主は、吸血鬼だったな」
「四分の一だけですが……」
華佗の問いかけに、稟は何度も口にした言葉を返す。
「第三世代か……だが、吸血能力自体は失っていないのだろ?」
「ええ、まあ。好んで吸うことはないですが」
頷きながら、稟は居心地が悪そうに両腕を抱える。吸血鬼は、その存在だけで嫌われるのだ。特に南……袁術が治める地域では、その傾向が強いと言われていた。
「あなたの事は承知しているわ。少なくとも、ここにいる人間はね」
稟の思いを察したのだろう、雪蓮はそう言って優しく肩を叩いた。そして先を促すように華佗を見る。
「彼女を救うためには、何よりも生命力が必要だ。吸血化することで、それは飛躍的に増大する」
「私に、風の血を吸えと? でも、第三世代には吸血化させるほどの力があるとは限らないのではないですか?」
「吸血化しなくとも、生命力の回復は見込める。少なくとも、延命は可能だ」
華佗の言葉に、稟は眉をひそめた。
吸血鬼として生きる辛さを誰よりも知る稟だからこそ、簡単に返事は出来なかった。そしてその迷いを少なからず理解できる他の者たちも、強制するような事は口に出来ない。
重苦しい沈黙の中、口を開いたのは袁術だ。
「稟なら、風を救えるのじゃろ? 頼むのじゃ、妾は風を死なせたくはない」
「それは……私も同じです。けれど吸血鬼として生きるということは、時に死よりも辛く苦しいものです。その苦しみを、痛みを、大切な親友に背負わせるわけにはいきません」
「妾も、吸血鬼の事は知っておる。どのような差別を受けているかも……」
袁術は、よく聞かされた話を思い出す。夜に闇に紛れる怖い存在として、大人たちが子供に聞かせる物語だ。正直、袁術もずっと吸血鬼を怖いものだと思っていた。けれど風と出会い、そうではないのだと教えられたのである。
「風が聞かせてくれた。自分には吸血鬼の親友がいるのだと。その親友はとても寂しがり屋で、とても優しい者だそうじゃ。色々なことを知っていて、自分が途を誤りそうな時、進むべき先を示してくれるという……心から信頼出来る、家族というておった」
「……」
「だから妾は、もう吸血鬼が怖くはない。稟、そなたに約束するのじゃ」
袁術は必死な様子で、稟の腕を掴んだ。
「妾の治める地にて、吸血鬼を差別はさせない。悪いことをした者は、人間だろうと吸血鬼だろうと同じように裁くのじゃ。そして良いことをした者は、等しく褒める! 必ず、約束するのじゃ! だから頼む、風を助けて欲しい」
いつしか、袁術の目から涙がこぼれていた。幼い少女が、すがりつくように稟に訴える。
稟はそっと目を閉じ、やがてゆっくりと開いて優しく尋ねた。
「それがどれほど困難な事か、おわかりですか?」
「むろんじゃ。きっと一人では無理じゃろう。でも妾には七乃や孫策たち、何より風と稟の二人がおる」
袁術がそう言うと、後ろで話を聞いていた雪蓮が冥琳と顔を見合わせた。だが空気を読んで、さすがに口は挟まない。
「妾はいつまでも守られてばかりの子供ではない。此度の一見で、成長したのじゃ」
そう言って胸を張る袁術に、稟はフッと肩の力を抜いて微笑んだ。
「わかりました。私も風を救いたい気持ちは同じです。やれる手段がある以上、試さず後悔をしたくはない」
恨まれたとしても、構わない。生きていて欲しい、稟はただ、そう願っていた。
稟はすぐに、風の部屋に向かう。静かな寝息をたてているベッドの横で、しばらくその顔を眺めていた。
「風、何があっても私はあなたの味方です。たとえ嫌われたとしても、それでも風には生きていて欲しい。これは私の我が儘です。申し訳ありませんが、自分勝手な気持ちをぶつけさせてもらいます」
そっと肩まで掛けられた布団をめくり、風の首筋が露わになる。稟は牙の覗く口を開き、その細い首筋に噛みついた。
稟の口の中に、血の味が広がる。これをおいしいと思ったことはない。どれくらい吸えばいいのか、加減がわからずとりあえず口を離す。
「風……」
親友の首筋に残る跡に、稟は罪悪感を覚えた。それでももう、引き返すことなど出来ない。
「ん……」
「風!」
風の瞼が震え、ゆっくりと開いてゆく。倒れてから眠り続けた風が、ようやく目覚めたのだ。
「よかった……風、私がわかりますか?」
「稟……ちゃん……」
「ええ、そうです」
たまらず稟は風に頭を抱く。そして腕の中の彼女を、何度も何度も優しく撫でた。
「よかった……本当によかった」
今はただ、それだけで胸がいっぱいだった。滲む涙を、風が不思議そうに指の腹で拭ってくれる。
「どうしましたか、稟ちゃん? また、いじめられたのですか?」
「違いますよ、馬鹿……」
「ふふふ……相変わらず、稟ちゃんは……寂しがり屋さんですね……」
「ああ……私は一人じゃダメだ。風がいてくれないと、ダメなんだ」
立場が逆転してしまい、風が稟をなだめるように頭を撫でた。その、どこか眠そうな風の表情はとても優しく、とても幸せそうに見えた。
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恋姫の世界観をファンタジー風にしました。楽しんでもらえれば、幸いです。