電脳空間(サイバースペース)内、《秋葉原》の芸能スタジオの控え室、長椅子のひとつに力なく掛けている初音ミクに対して調査を続けているのは、《浜松(ハママツ)》の本社開発室から出向のウィザード(電脳技術者)だった。収録直後に突如不調をきたし、問いただした周囲に対して激しい疲労と倦怠、眩暈をうったえたミクに対して、ウィザードは彼女のインカムへの幾つもの配線と電極(トロード)状の調査プログラムで、検査を続けていた。
「どうだい、小野寺さん……」傍らに立ったKAITOが尋ねた。
「タスクの収支があわない」ウィザードが呟いてから、「”円環(ループ)”のブレイクウェイアに陥ったときの現象によく似ている。──AIシステムの一部が強制的に、いたずらに負担のかかるタスクを実行させられた状態になっていて、CV01のシステムを圧迫しているようです」
「円環(ループ)って? 無限ループとか」リンが言った。
「VOCALOIDも含めて高度AIは、自己言及の背理に陥らない、つまり『停止性問題』を無意識に回避するので、無限ループに陥ることは決してありません」ウィザードは言ってから、「しかし、例えば無理数、円周率の計算のような無限タスクを、あたかも何かの意味づけがあるように巧妙に仕組みシステムに限定的な負担をかける、そういった手段の一連のブレイクウェイア(攻撃プログラム)ならば存在する」
「てことは、外から侵入を受けてるの!?」リンが息を呑んだ。
「仮にそうだとすれば、高度AIのセキュリティにブレイクウェイアをヒットさせることが可能なのは、並大抵の規模ではない電脳攻撃だ」ウィザードは低く言った。
と、リンはふと、KAITOの足元がふらついたのを見て、その顔色を見上げた。
「兄さん?」
「ずっと看病してたせいかな……」KAITOが言った。「眩暈が」
「見せてください、CRV2」ウィザードは配線をKAITOのインカムに接続し、ついで、ある程度は予測していたのか、ミクを検査しているのと同じプログラムにも繋いだ。
「やはり同じだ。CRV2のシステムも、一部が”円環”状態にはまり込んでいる」
「二体同時の侵入ってこと!?」リンが息を呑んだ。
そばの椅子に掛けたKAITOを、ウィザードが検査し続けた。
「負担がかかり始めた開始時期を読み取ると、5日前、CV01とCRV2が一緒にここに、《秋葉原》に収録に来た時だ。そのときに、同時に侵入を受けるか発動するかで、両者が”円環”状態に陥った可能性が高い」
「俺のが遅れたのは、仕事が少ないからかな……」KAITOが弱々しく、しかし軽口めいたことを言った。「疲れが体に出るまで、余裕があったから」
「あまり喋らないで休んでいて下さい、CRV2」ウィザードが言った。「……とはいえ、まだ見えない侵入をどう相手どる……?」
「5日前……ここに来たとき……兄さんとおねぇちゃんが二人同時……」リンはふと、こめかみを押さえて呟き続けた。「ちょっと待てよ……」
リンは手を額から離してから、言った。
「小野寺さん、この近く、兄さんやおねぇちゃんのアスペクトのうちのどれかから、その負担が来てないか、探してみて」
アスペクト(分身;側面;様相)は、ネット上の仮想アーティストであるVOCALOIDのAI総体を構成する一部である。市販のパッケージの個々のPC内VOCALOIDソフトウェアや、小さな人形の形のこともある、既知宇宙に存在する下位(サブ)プログラム全てである。すべて上位のAIの本体と繋がっているが、特に後者の人形のような小型のものは、本人の無意識の思考や潜在意識のみと繋がっていることも多い。しかし、アスペクトのどれかに非常に強い負荷がかかれば、当然AI本体にも若干なりとも影響を及ぼす。
「アスペクト経由なら侵入や電脳攻撃を受けやすい、ということはありませんよ、CV02V2」ウィザードが言った。「末端からの入力もあくまで、AI相応のセキュリティに守られているには違いない」
「いや、別の理由があんのよ」リンが低く言った。「てかさ、ここのブログって、『電脳攻撃やら侵入やらを受けてるかもしれない』とかのネタで、本当に侵入を電脳戦で片をつけるだとかのまっとうな『電脳物』としてのオチがついたためしがないんだよ」
リンとウィザードは辺りを探した。……数分後、かれらは目指すものを発見した。
──すなわち、控え室の片隅の、さらに目も届かないテーブルの足のひとつ、その近くの床にKAITOとミクをそれぞれ小さな人形のような形に戯画化したような、両者のアスペクト、下位(サブ)プログラムがいた。
二体は、頭が大きすぎるバランスのためぎこちない仕草で、よちよちと走りながら、逃げる小KAITOを小ミクが追いかけ、そのテーブルの足の周りを、いつまでもぐるぐると回り続けていた。
「……前の収録のとき以来、5日間ずっとこうして回り続けていたようです」ウィザードは生真面目に履歴を分析して言った。
「こりゃ確かに”円環(ループ)”だわ。確かに”本人には意味づけがあるように見えても実は終わりがない”無限タスクだわ」リンがうんざりして呻いた。「確かに目も回るわ、疲れるわ、──てか、見てる側の方がずっと疲れるような気がするんだけど」
KAITOがふらつきながらも歩み寄り、走っているその小さな二体、小ミクと小KAITOを腕に抱き上げた。そのまま、KAITOはそばの椅子に掛けて、ゆっくりと目を閉じた。小ミクは小KAITOと寄り添いつつも、KAITO本体には両手両足で張り付き、なにやら幸福そうに、その胸に顔をうずめた。
やがて、長椅子の上のミク本体の方の表情も穏やかになったが、それは”円環(ループ)”の負荷が解消されたことによるものか、別の理由によるものかは定かではなかった。
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KAITO愛の重たいねんどろミク暴走記(その3) 一気にサイバー化