No.500776

竜たちの夢13

強過ぎる武将の弊害と十年前の一言の重みが明らかになる話です。


色々とキャラ崩壊が酷いので、そういったものが苦手な方はご注意を。

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2012-10-27 03:10:23 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:5631   閲覧ユーザー数:4579

 

 

 

 良く物語で見られる一目惚れというものは、実際存在する。

 

 内面は外面に出てくる……それ故に、その滲み出る内面を敏感に感じ取った時、人は恋に落ちるのだ。

勿論、ただの上辺だけを気に入っている場合の方が多いが、内面を外面から感じ取れる者は、たった一度の出会いで十年、二十年後の未来を予測することさえ可能だ。

 

 呂布奉先――恋もまたそれに当てはまる存在である。

かつて出会った一匹の竜は、彼女を竜として覚醒させ、同時に彼女を虜にした。

今まで愛というものを感じることができなかった彼女は、あの日初めてそれを感じることができたのだ。

 

 その竜――北郷一刀は、それまで真っ白でただ苦しかった彼女の世界を、一気に多彩な色で染め上げた。

それまで白黒の世界を見ていたのかと思う程に、彼と出会った後の彼女にとって、この世界は新鮮であったのだ。

 

 

「そうか―――お前だったのか」

 

「……竜」

 

 恋にとって北郷一刀はまさしく感覚そのものである。

 

 彼が居るだけで、彼女の世界は色鮮やかになり、彼女を祝福する。

そんな彼が敵側の最前線に居ることは嘆くべきことなのかもしれないが、彼女はそうは思わなかった。

あまりにも嬉しそうに彼女を見遣る彼の期待に応えることができるのならば、彼女はそれでも構わない。

 

 竜は彼女が何処まで成長したかを知りたいとその真紅の瞳で語っている。

どれだけ恋が彼を満足させる武人になったのかを見せてみろ……そう告げているのだ。

十年前のように、彼は彼女を望んでくれる……彼女を必要としてくれる。

だから応えねばならない……その愛を得る為に。

 

 

「全軍……突撃!!」

 

 

 甘い果実が、彼女が辿り着くのを待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「左右に別れろ!!」

 

 一刀は内心呂布奉先の正体に歓喜しながらも、すぐさま声を張り上げた。

いかにかつて彼が見出した竜がその正体であり、その事実が非常に喜ばしいことでも、彼が今居るのは劉備軍だ。

彼以外の者を、あの暴風にぶつけてしまう訳には行かない。

関羽も張飛も、あの娘の前では無力だ。

 

 一刀の眼は、呂布奉先の氣がいかに強大であるかを捉えている。

彼程ではないが、その量は愛紗すらも圧倒しており、この場で対抗できるのは彼のみだ。

愛紗も圧倒的な戦闘力を誇るが、彼女はそれすらも大きく上回っている。

場合によっては、一刀にさえ届き得るかもしれない。

 

 

「!? 関羽の方に!?」

 

 一刀の声に従ってすぐさま横にずれた関羽達であったが……呂布はそちらに向かった。

その事実に彼は驚きながらも、すぐさまそちらに向かおうとしたが、張遼隊と華雄隊に囲まれてしまう。

予想以上に董卓軍の練度が高いことに驚きながらも、彼はその原因であろう呂布に辿り着けないことに苛立つ。

 

 彼女が一刀ではなく関羽の下に向かった理由は明確だ。

彼女は己の力量の一部を披露してから、彼の下にやってくるつもりに違いない。

彼以外では最も強い武将が関羽であることを敏感に感じ取った彼女は、関羽を最初の標的として選んだのだろう。

その判断は正しいが、彼にとっては非常に面倒なものだ。

 

 蜃気楼すらも置き去りにする圧倒的な速度で駆け抜ける赤兎馬の上で、呂布は方天画戟を振るう。

その一撃一撃を関羽は見事に防ぎ、反撃もしているが、このままでは負けてしまう。

今ここで関羽を失えば、彼の思い描く未来図を大きく書き換えなければならない。

関羽には彼が居なくなった後の劉備軍を纏めて貰わねばならないのだから。

 

 

「関羽!」

 

「行かせるか!! わが名は華雄! ここで勝負しろ!!」

 

「させんで!! うちは張文遠!! うちと勝負して貰うで!!」

 

「……ちっ」

 

 華雄と張遼文遠に目を付けられてしまったことを意外に思いながらも、一刀はすぐさま蜃気楼にこの包囲網を突破するように告げる。

蜃気楼の機動力ならば、それこそ竜の血を飲んでいるのが分かるあの赤兎馬以外は振り切れる。

一気に突き抜けて、すぐさま関羽の救援に向かわなければ、どうしようもない。

 

 関羽と呂布では、実力に差があり過ぎる。

今はまだ呂布も本気を出していないだろうが、それでも関羽の手に余る存在であるのは良く理解できる。

既に始まっている関羽と呂布の打ち合いは今の処互角だが、明らかに呂布は手加減しているのだ。

 

 その見事な打ち合いに後方の者達は息を呑んでいるのだろうが、一刀はそのような暇は無い。

呂布が少しでも竜としての本気を出せば、一瞬で関羽は屠られてしまう。

今後、劉備にとって最も必要となる関羽雲長をこんな初期に失う訳には行かないのだ。

 

 

「お前達は……退いていろ!!」

 

「ぐっ!?」

 

「お、重っ!?」

 

「張飛!!」

 

「任せるのだ!!」

 

 一気に華雄と張遼の得物を強打すると、その痺れで動きが止まった隙に一刀は呂布の下へと向かう。

それを追おうとする二人であるが、そこに待っていたように張飛が邪魔に入った。

咄嗟に一刀の意図を理解した彼女は、ここで二人の将を抑え込む役割を担ったのだ。

実力は恐らくほぼ同等の将二人を同時に相手にして、張飛はそれを抑える役目を喜んで全うする。

 

 一刀の眼は多くを理解し、多くを語る。

彼の眼を見た張飛は、これから何が関羽の下で起こるのかを理解してここに居るのだ。

いつもは生意気な口を聞いてはいるが、関羽は彼女にとって大切な義姉だ。

だから、それを助けてくれる兄が少しでも早くその義姉の下に辿り着けるように、彼女はここに来た。

 

 

「我が名は張益徳!! ここを通りたければ相手になるのだ!! お兄ちゃんの邪魔をしたければ、この武をねじ伏せてみせるのだ!!」

 

「ちっ……仕方ない」

 

「華雄、ここは任せるで。うちは――」

 

「させると思っているの?」

 

「……孫文台、か。また面倒なのが来たな」

 

 華雄は孫堅文台の到着に顔を歪ませて、向き合った。

今まで不気味なまでに静かだった孫策軍から、静かに江東の虎は抜け出していたのだ。

孫策という己の代わりの王を得て、今や完全に戦うことのみに集中できる彼女は強い。

相性を考えると、彼女とぶつかるべきは華雄であった。

 

 張遼は超一流と言えるだけの速度を持っているし、実際一撃一撃も重い。

だが、その重さは華雄と比べると数段劣ってしまう。

そして、重さの伴わない攻撃では孫堅文台という虎を殺すことは難しい。

非常に面倒な邪魔が入ってしまった訳だ。

 

 

「華雄、その首ここで貰い受けるわ」

 

「やれるものならばやってみろ。しかし……油断すれば飛ぶのはそちらの首だ!!」

 

「分かっているわよ!!」

 

 華雄の斧と孫堅の大剣がぶつかり、ミシミシと音を立てていく。

まさしく剛腕と言うに相応しい力で振り下ろされた一撃は、己が得物さえも摩耗させていくのだ。

そう長い間打ち合うことは叶わない……いかに将が圧倒的でも、その武器までもが圧倒的であることは少ないのだ。

 

 数十に及ぶ打ち合いは、その全てが必殺で、しかしフェイントだ。

華雄は上段を構える隙を、孫堅は水平の一撃を加える隙を狙っており、お互いにまだその隙は見いだせていない。

ほぼ実力が拮抗している状態では、その隙を先に見出した方が勝つ。

それが偽りの隙でなければ、だが。

 

 

「っ……」

 

「――! そこぉ!!」

 

 華雄という将は猪突猛進であると思われがちだが、精神を御すことさえできている状態ならば、上手さも併せ持つ将である。

故に、偽りの隙を生み出してそこを狙う相手を屠ることも不可能ではなかった。

そして、その偽りに隙に――孫堅がかかった。

 

 

「……今だ」

 

「―――なっ!?」

 

「甘いぞ!! 油断は命取りだと言った筈だ!!」

 

「しまっ―――」

 

「その通り―――確かに、頂きました」

 

「!?……がっ!?」

 

 孫堅の大剣を受け流し、完全に無防備になった彼女に、そのまま流れるように必殺の上段を繰り出そうとした華雄であったが――突如飛来した矢によってその胸を貫かれた。

驚きに目を見張る彼女と孫堅が見たのは、後方から氷のような冷たさを持つ碧眼で二人を見据えている太史慈の姿だ。

 

 その通常より一回り大きい弓から放たれた矢が、華雄の胸を貫いたのだ。

華雄は震える手で矢を抜こうとするが、上手く力が入らない。

一騎打ちでは完全に勝っていた彼女であったが、思わぬ伏兵によってそれを邪魔され、このような結果になってしまった。

それがただただ悔しい華雄であったが……そのまま脱力して動かなくなった。

 

 

「子義……何故一騎打ちの邪魔をしたの?」

 

「……貴方が死ねば、本郷様に何故助けなかったのかと責められます。それだけです」

 

「そんな……そんな理由で私の一騎打ちを!!」

 

「言っておきますが、この距離ならば文台殿は百回やって百回私に負けますよ」

 

 一騎打ちを邪魔された孫堅は、助けられたことへの感謝よりもそのことへの怒りが上回っていた。

太史慈を睨み付ける孫堅だが、それを物ともせずに彼女は動かなくなった華雄の体を馬に乗せる。

その際に孫堅に釘をさすことも忘れないあたりは実に彼女らしい。

 

 一騎打ちで勝負をつけるのが基本とはいえ、それに固執して主を失うのは臣下にとって愚かしいことだ。

実際問題、太史慈が助けなければ、後方で弓矢を構えていた黄蓋が助けていたであろう。

太史慈はただ、黄蓋がこうして責められないように代わりを担っただけのことである。

一時的とはいえ、世話になった孫呉へのせめてもの恩返しだ。

 

 

「敵将華雄、太史子義が討ち取った!!」

 

 太史慈が勝ち名乗りを上げると、それに合わせて一斉に兵達が歓喜の声を上げる。

必殺の矢は、かの江東の虎すらも屠ろうとした武人を一瞬で討ち取ったのだ。

華雄の部隊はその事実に気力を失っていき、張遼隊もまた揺れる。

その長である張遼は、咄嗟にここは退くべきだという判断を下し、すぐさま張飛から距離を取ることにした。

 

 

「張遼隊! 華雄隊と呂布隊の援護をしつつ撤退するで!!」

 

「うにゃ? 引き際が良いのだ……張飛隊は関羽隊の援護に向かうのだ!!」

 

「……追って来ないとは、ええ勘しとるなぁ」

 

 不用意に追いかけようとする張飛に一撃くれてやろうとした張遼であったが、すぐさま関羽の下へと向かい始めた判断の良さに舌を巻く。

呂布隊は驚くほど粘り強い関羽隊を相手にかなり苦戦しているし、華雄隊の士気は絶望的だ。

その状況をすぐさま理解し、下がる準備を始めた張遼隊を無視して呂布を叩きに向かうのは正解だ。

 

 

「でもなぁ……残念ながら呂布は落とせへんで」

 

 呂布隊は既に引き際を理解して退き始めている……後は、呂布がその暴力を遺憾なく発揮すれば終わりだ。

張遼も華雄も、呂布に勝ったことなど一度たりとも無いし、ましてや勝負になったことも無かった。

呂布がまさしく天下無双と呼べる最強の武人であることは、彼女達が一番良く分かっている。

 

 十常侍達に嵌められた董卓にとって、呂布奉先の存在はまさしく救いだ。

あの武さえあれば、この反董卓連合すらも打ち倒せるかもしれない……それ程の武が彼女にはある。

超一流の張遼や華雄でも届かない、本物の天才である呂布は、偽りの大義で成り立っているこの連合を叩き潰してくれる筈だ。

 

 彼女に遊ばれて既に肩で息をしている関羽もまた、その一人である。

息を乱すどころか汗一つかいていない呂布との戦力差は絶望的と言って良いだろう。

今まさに救援に向かっている張飛が加わった所で、その圧倒的な戦力の前では無力だ。

 

 

「はぁ……はぁ……まさか、ここまで……とは……」

 

「お前、確かに強い。だけど……やっぱりただの人間」

 

「?……お前は……違うと、言うのか?」

 

「恋は――竜。だから……お前には、負けない」

 

「――!? がっ!?」

 

 意味深な言葉と共に呂布の眼が形を変えたかと思うと、関羽は呼吸ができなくなる程の衝撃をその胸に受けた。

気付けば、地面に倒れている自分に気付いた彼女であるが、体を動かすことさえ上手くできない。

それまでの拮抗が嘘のように、一撃で関羽は戦闘不能になってしまったのだ。

 

 そんな彼女を見下ろす呂布奉先は圧倒的だ。

その異形の瞳の中で燃えている業火は酷く危うく、まるで空っぽのように何も見いだせない。

まさか一刀以外に、こんな人外の如き化け物が存在するなど関羽は夢にも思わなかった。

一刀が何故呂布と戦ってはいけないと言ったのか、彼女は漸く理解したのだ。

 

 まさしく人中の呂布という表現は最適な言葉であり、この圧倒的武の前では関羽も霞む。

今まで司馬懿以外に敗北を喫したことは無かったが、自惚れていた。

司馬懿すらも上回る者が一刀以外に居るなど、いったい誰が予想できようか?

だから、力強く振り上げられた方天画戟を防ぐことなどできよう筈も無い。

 

 

「……ここまで……か」

 

「そう。ここまで。お前は―――死ね」

 

「そこまでだ」

 

しかし―――そこに白い暴風が加わった瞬間、その不可能は可能となった。

まさしく目視不可能な速度で振り下ろされた必殺の刃は、思いの他呆気なく、白い竜によって受け止められたのだ。

唯一呂布奉先という暴風を倒すことが可能であろう者が、その堅い声を響かせて、関羽の前に現れた。

 

地獄の業火を纏う漆黒の馬と、それとは対照的な白い鎧に身を包んだ北郷一刀が――そこには居た。

 

 

「関羽……大丈夫か?」

 

「はい……ゲホッ……なんとか」

 

「そうか……関羽隊!! 関羽をつれて一旦後退しろ!!」

 

「「「「「「「応!!」」」」」」」

 

「北郷殿……後は頼みます」

 

内臓にダメージを貰った可能性がある関羽を関羽隊に任せると、一刀は呂布と向き合う。

今までの無表情が嘘のようだと思わせる程、無邪気な笑顔がそこにはあった。

一刀もまた、頬が緩んでいくのを感じる。

想像を遥かに上回る彼女の成長に、彼はただただ笑みを浮かべるしかない。

 

 かつて彼が下した判断は決して間違いでは無かった。

彼と出会ったことで呂布奉先は竜として覚醒し、その天性の力の本領を発揮できるようになった。

それまで必死に抑えていた闘争本能を彼が解き放ち、彼女の感覚を彼が呼び覚ましたのだ。

血濡れた深紅の竜を、あの日彼が生み出したのである。

 

 その竜は、あまりにも不完全で歪な竜は、必死に愛を強請る。

その真紅の瞳に激情を映し、柔らかで、無邪気な笑みを浮かべる。

一刀はその姿が十年前と少しも変わっていないことに少しばかりの失望と安堵を覚えた。

変わらなかった彼女は、使うのではなく飼わなければならない。

それがただ、彼には悲しかったのだ。

 

 

「竜……」

 

「久しぶりだな……何処にも行けない竜よ。お前のその力がどこまで俺を満足させられるか、見せてみろ」

 

「うん……行く」

 

「ああ……来い」

 

 まるで風のような速度で振り下ろされた方天画戟を一刀は片手でいなす。

そのまま流れるように打ち出した掌底による一撃を、呂布は赤兎馬の機動力で危なげなく回避する。

あまりにもリーチが違い過ぎる上に、馬の質は完全に赤兎馬が上である。

この状況は一刀にとって不利であり、決して同じ条件での戦いではない。

 

 しかし、そもそも戦いとはそういうものだ。

互いが最高の状態で、最高のタイミングで戦うことなど滅多にできないし、それは戦にあってはいけない。

誇り高い者ならば、最高の状態で最高の状態の敵と戦うことを選ぶだろう。

しかし、それは飽く迄理想的な形であって、兵の生存などを優先すれば、敵が最も弱っている時を狙うべきなのだ。

 

 気高さは、時に汚さよりも醜く、残酷なものとなり得るものである。

 

 

「お前の本気はこの程度か?」

 

「竜……竜!!」

 

「そうだ! もっと解き放て! その抑え込んでいた才能の全てを俺に捧げろ!!」

 

 彼の求めに応じるように、呂布の一撃が音のような速度で一刀に迫る。

しかし、それすらも彼は無手のままでいなし、今か今かと力を爆発させる機会を待つ。

もはやその顔は彼の歓喜を少しも隠さずに、歪んだ笑みを曝け出している。

余りにも強過ぎた彼が漸くその力を解き放つことができるのだ……嬉しくない筈が無い。

 

 何故この世界に呼ばれたのかも、何故竜という人外となってしまったのかも、一刀には分からない。

ひたすらにさ迷い続け、ひたすらに探し続けた彼であったが、その答えはまだ出ていない。

だが、一つだけ言えることがある。

彼の天災の如き武は―――誰かを守ることができるのだ。

 

 だから、彼はその足で思い切り呂布を蹴り飛ばした。

方天画戟で何とか身を守ったものの、その圧倒的な威力に呂布は宙を舞い、いとも簡単に赤兎馬から下ろされてしまう。

地面に叩きつけられて苦しそうに立ち上がる少女を見ながら、一刀は静かに蜃気楼から降り立つ。

 

もしも今の蹴りを彼が蜃気楼の上からではなく、しっかりと地面に立った状態で行っていれば、呂布は今頃風穴を空けられていたであろう。

 

 

「ぐっ……」

 

「たったこれだけか? この程度なら――要らないな」

 

「っ!! まだ……まだ!!」

 

「そうだ……それで良い」

 

 要らない……その一言に過敏に反応した呂布は、更にその武を高めていく。

一刀の愛を得る為に、必死に彼にいかに彼女が強くなったのかを見せつけるのだ。

もはや戦場は彼と彼女だけを残し沈黙し、ひたすらにその行く末を見守っている。

呂布も一刀もまさしく音のような速度でぶつかり続け、それは目視できる者は居ない。

 

 これは呂布にも当てはまり、もはや彼女は野性のみで一刀の攻撃を受けていた。

体は十二分についていくが、眼が完全に置き去りにされているのだ。

それに対して一刀はその眼で全ての動きを見切り、完全に封殺している。

この違いは大きく、まさしく真なる竜と出来損ないの竜の違いであろう。

 

 呂布の精神は絶対に一刀に打ち勝てない。何故なら彼女は不完全な竜なのだから。

しかし、それでも彼女の肉体は限りなくそこに近づき、必死に彼の真似をする。

置いて行かないでと、その全身で彼に伝えて、必死に愛を強請る。

そして遂に―――その一撃が一刀の頬を掠めた。

 

 

「! く……くく……ははは……ははははははははは!!」

 

「竜?……りゅ――」

 

「最高だ!!」

 

「! がっ……はっ……」

 

 もはや手加減など忘れて、一刀は思いのままに一撃を呂布の腹部へと当てた。

氣こそ使いはしなかったものの、その一撃は人間であったならば完全に貫いている。

その圧倒的な力は呂布の体を十間程飛ばし、遂に彼女は起き上がらなかった。

荒い息をしながら必死に起き上がろうとする彼女はとてもいじらしい。

 

 その顔が絶望と恐怖に染まっているのが一刀には良く分かる。

だから、彼はその真紅の瞳で語ってやるのだ……彼女は十二分に彼を満足させた、と。

その圧倒的武は確かに彼に届き得た……氣を使わないという大きなハンデはあったものの、確かに彼に傷をつけたのだ。

 

 そんな彼女を、一刀は拒絶などしない。

首輪を……一生外れぬ永遠の首輪を望む彼女に、彼は応え、飼うであろう。

彼に飼われたいというあまりにも屈折したその欲望に、彼は応えて、愛を与えるだろう。

ただひたすらに愛し、その歪みがこの世界で生き続ける意味となるだろう。

そうやって、彼は愛紗の生み出した世界に応えていくのだ。

 

 

「合格だ。お前には首輪をくれてやる―――永遠に取れない、特別な首輪を。お前の真名を、今ここで確かに受け取ろう」

 

「! 本……当?」

 

「ああ、本当だ。だから安心して寝ろ――恋」

 

「……うん」

 

 この世界は愛紗が生み出した歪な世界であり、一刀を数十万回の外史全てで愛し続けた彼女の集大成でもある。

だからこそ、この世界の歪みは彼を求めるのだ。

彼女の愛が凝縮された歪な存在達は、彼に使われることを望み、彼に飼われることを望み、彼に愛されることを望む。

 

 一刀はこの世界が愛紗の生み出したものであることも知らないし、そもそも外史というものさえ知らない。

ただこの世界で必死に生きて、必死に守って、必死に愛しているだけだ。

守る為に奪い、殺し、憎まれ、ここに居るだけだ。

夢物語のような劉備の夢を現実にする為に、ひたすらにあがき続けているのだ。

 

 だからこそ、彼は全てを知った時愛紗を憎み、しかし、受け止めるだろう。

数十万回もの世界で彼を支え続けてくれた彼女を愛し、今度こそは離れ離れにならないと誓うだろう。

この世界を祝福し、あらゆる歪みに更なる愛を注ぎ続けるだろう。

 

だが―――今のままではそのような時は来ない。

 

 

「敵将呂奉先、北郷一刀が討ち取った!!」

 

 北郷一刀は竜であり、今現在その逆鱗となっているのは思春だ。

思春は数十万の外史で愛紗を苦しめ続けた“世界”の残光であり、最大の敵である。

彼女が居る限り、愛紗は一刀との別離を決定づけられて、再び輪廻の中へと落ちていく。

完全にあの残光を消さなければ、その日は訪れないのだ。

 

 思春と愛紗―――この二人のどちらかが力尽きない限り、この苦しみは永遠に続く。

北郷一刀をひたすらに独占しようとする“世界”と、その輪廻から彼と己を解き放とうとする愛紗の戦いが終わらなければ、彼に安らぎは訪れないのだ。

愛紗が全てを打ち明ければ、そこで決着はつく……だが、彼女はそれができない。

 

 一刀の逆鱗が思春である以上、それを排除すれば彼は酷く傷つく。

愛紗にとって一刀と己を輪廻から解き放つことこそが勝利であり、彼が取り残されてしまえば、全て同じだ。

だから、彼女には“勝手に”思春を殺そうとする存在が必要だった。

そして、それは確かに存在した。漸くその力を十二分に揮える状態となった。

 

この世界に必死に彼を縛り付けようとする愛が生み出した呂布奉先という竜は、偽りの逆鱗を殺し得る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 汜水関の戦いで、劉備軍は大きく名を上げた。

 

 張遼文遠を逃がし、汜水関そのものは落とせなかったものの、呂布奉先という大物を倒したのだ。

かの無双と言われた武人と互角に戦い、遂には打ち倒した北郷一刀の名は、瞬く間に連合中で噂となった。

 

 汜水関に残っている将は恐らく張遼以外には、高順と徐栄だけである。

華雄、張遼、呂布の突撃の間関を守っていた高順、徐栄は運良く一刀達と戦わずに済んだ。

その練度で以て孫策軍を妨害し、関を無事に守り切ったのは流石と言える。

しかし、その汜水関も次の攻撃には耐えられないであろう。

 

 先の戦いで呂布隊・華雄隊はほぼ壊滅、残るは張遼達の部隊のみだ。

十五万の殆どが無傷な連合と、既に六万の内二万近くを失った董卓軍では、戦力差は引っ繰り返らない。

ましてや、最後の希望とまで言われていた呂布奉先を屠った武人まで連合に居たのでは、もはや勝ち目など無い。

 

 

「徹底抗戦を望む? あの状況で、ですか?」

 

「ええ、私が送った使者はものの見事に追い返されてしまいましたので」

 

 現在、一刀は連合軍の軍議に参加していた。

総大将である袁紹本初の指名で、関羽の代わりに劉備の側近として参加したのだが……どうにも彼を見る皆の視線が痛い。

袁紹ただ一人が、ひたすらに礼と共に感謝の意を示してくれているのが救いであろうか。

 

 

「北郷さん、私としては非常に申し訳ないのですが……汜水関を突破する策を頂きたいのです」

 

「策、ですか。それでしたら、ここにはかの荀文若殿と周公瑾殿がいらっしゃいますが?」

 

「うっ……そのことについては――」

 

「あー……分かりました。では、一つ」

 

 一刀は袁紹が周瑜と荀彧に相手にされなかったことを理解し、それ以上言わないように手で制した。

恥を捨ててまで劉弁・劉協の二名を助けたい忠誠心は実に素晴らしいが、彼女は少しばかり不器用だ。

見た目は傲慢なお嬢様に見えるが、話してみると意外と謙虚なのだ。

 

 曹操もそのことは知っているであろうに、意地悪そうな笑みを浮かべてみているだけだ。

荀彧に関しては、袁紹が彼女の才を十二分に生かし切れなかった点がただひたすらに悔やまれる。

当時はまだ袁家の者としてその力を揮えなかったのもあるのだろうが……それでも、一度貼られたレッテルは中々拭えない。

 

 袁紹本初は妾の子であり、袁術公路と違い、数年前までは袁家の力を使えなかったのだ。

つい最近になって、漸くその能力が認められた彼女の成長は目覚ましいものがある。

袁家の力を十二分に利用し、充実した兵装、兵糧に、更には劉備軍を参考にした兵の教育と、中々に頑張っている。

それでも、曹操など比べると数段レベルが落ちるのは仕方のないことだ。

故に、荀彧の袁紹への悪印象は益々強まっていくだけであった。

 

 

「もはや牙門旗を燃やして挑発するのは無意味です。だからこそ……孔明」

 

「はい。呂布さんの専属軍師の陳宮という方と内通し、門を開けて貰うという策は如何でしょうか?」

 

「補足しますと、この陳宮という人物は董卓ではなく呂布個人に仕えている者です。交渉は可能かと」

 

「ふむ……その場合、先鋒は何方にお任せするのが宜しいでしょうか?」

 

「孫伯符殿達が妥当かと思われます。火計を得意とする彼女達に夜襲をさせれば、効果は倍増します」

 

 陳宮に関しては、実の所既に程遠志達を接触させ、交渉は成立している。

陳宮を呂布の部下として劉備軍に迎え入れ、その安全を保障する代わりに、門を空けさせるという交換条件は意外な程あっさりと成立した。

陳宮にとっては、無実の罪で攻められている董卓よりも主である呂布が大切だったということだ。

 

 一刀はそのことを醜いとは思わないし、仕方のないことだと思う。

陳宮の人心掌握をできなかった董卓に非こそあれども、陳宮には無い。

彼女が仕えているのは飽く迄呂布奉先であって、董卓仲穎本人では無かったということだ。

そこを見抜けなかった時点で、詰んでいたのだ。

 

 

「成程……孫策さん、周瑜さん、お任せしても宜しいですか?」

 

「私達は別に構わないけれど……他の皆には聞かなくて良いのかしら?」

 

「そうですわね……反論がある方はどうぞ!」

 

「一つ良いかしら?」 

 

「どうぞ、華琳さん」

 

「麗羽、貴方は攻撃に参加しないの? 総大将が功績無しというのは問題よ」

 

 曹操の指摘は確かに正しい。

総大将が何もせずに、こうして軍議などで纏め役をしていても示しがつかない。

殆どの功績を一刀達が持って行った為に、もはや残りは少ないが、総大将の面子を考えれば、ここは参加すべきであろう。

 

 しかし、一刀は既に理解している……袁紹はそんなものは望んでないことを。

彼女は功績の為では無く、純粋に劉弁・劉協の二人の無事を確認する為に動いている。

馬騰もその同志であることを一刀は知っているし、最初に洛陽に入るべきはこの二名だと考えている。

 

 彼には朝廷への忠誠心など欠片もありはしないが、その何かに殉じようとする精神は良く分かる。

だからこそ、袁紹がその未熟な能力を必死に伸ばそうと努力している姿も微笑ましく思える。

彼女は朝廷に殉ずることを選ぶであろうし、彼らが劉弁・劉協を確保すれば、自ずと同志になってくれる筈だ。

今の内に良い関係を築いておいて、損は無い。

 

 

「華琳さん、私は手柄など必要ありません。今最も重要なのは、劉弁様と劉協様の安全を確認することですわ」

 

「……成程。貴方がしっかりと意見を持っているのならば、止めはしないわ」

 

「ありがとうございます、華琳さん……他には?」

 

「ああ、そうだ……孫策の後方は私がついても良いかしら? 場合によっては将が突っ切って来るかもしれないから」

 

「……良いでしょう。孫策さん達も、無駄な被害を抑える為に敢えて将を華琳さんの処に誘き出すことを念頭に置いておいてください」

 

 中々どうして打てば響くものだな、と一刀は感心する。

袁紹本初は劉備達のような王にはなれないが、王佐の才の持ち主と言えるだろう。

信じる時は信じ、意見をはっきりと言い、新たに加わった要素を上手く織り込むこともできている。

彼女は元来トップではなく、それを補佐する二番手につくのが相応しいに違いない。

 

 一刀ならば彼女の能力を十二分に生かしてやれるが、今はお互い群雄の身だ。

彼が彼女を下すなりしなければ、彼女を水を得た魚にしてやるのは難しい。

地位も彼女の方が上であるし、今のままではこの人材は捨て置くしかないのが悔やまれる。

自分で開花するのを待つしか無いのが現状だ。

 

 

「了解したわ」

 

「それでは、今回の軍議はこれで終わります。皆さん、今夜に備えて十二分な休息をとっておいてください」

 

「「「「「「応」」」」」」

 

 軍議は解散となり、一刀は劉備につき従って天幕を去っていく。

その際に孔明に眼で策の再確認を求められ、同じく眼で以て返答する。

竜というのはこういう時便利で、口を使わずに眼で会話することが可能だ。

静かに話を進めていけるのは、細作などの対策に非常に有効であり、今あった軍議でも何度かしていた。

 

 

「ふぅ、終わったね……一刀さん」

 

「そうだな。中々に有意義な時間だった」

 

「そうですね……各諸侯の癖などもかなり掴めましたし」

 

 孔明の言う通り、今回の軍議でほぼ有力な諸侯達の傾向は大凡掴めた。

袁紹は漢王朝を支えることを望み、漢王朝――正確には劉邦の子孫さえしっかりと守られるならばそれで良い。

それに対して曹操は漢王朝を潰し、新たな秩序を生み出す為に生真面目に歩んでいる。

馬騰は袁紹と同じく漢王朝と共にあることを選んでいると見て良い。

 

 その一方で、孫策達は完全に孫呉を守ることのみに注力している。

孫呉さえ平和であれば、漢王朝が在っても無くても同じであり、ある意味一番危険な勢力だ。

袁術は孫呉との関係を修復する為に躍起になっているし、公孫賛はそもそも野心が無い。

劉表、陶謙に関しては天下というものにあまり興味は無さそうだし、劉焉もまた蜀を治めることだけが望みのように見える

 

 天下を望んでいるのは曹操、孫策の二つの勢力のみであり、他の勢力は捨て置いて問題無い。

やはり、天下三分の計の鍵は、曹操孟徳と孫権仲謀となる。

そして、その片方を既に一刀達は手に入れている訳だ。

 

 

「ちょっと良いかしら?」

 

「! これは、曹孟徳殿。如何されました?」

 

 天幕から出て少し歩いた処で、一刀は二人の女性を引き連れた曹操に声をかけられた。

彼女の側近であるということは、恐らく夏候惇元譲と夏候淵妙才であろう。

夏候惇らしき女性はまだ両目が健在だが、恐らくそろそろ眼を失うことになる。

忠告しておいても良いが、一刀は何故かその気になれなかった。

 

 曹操孟徳と言えば、三国志では悪役で書かれることが多い。

特に徐州での大量殺戮がその原因となっている訳だが、それを彼はこの戦の後に止めに行くのだ。

そこまでするのだから、夏候惇の眼くらいは自分で守ってみせて欲しいものである。

忠告くらいはしておくが、そこまでだ。

 

 

「貴方と呂布の戦い、拝見させて貰ったわ。あそこまでの武を手に入れることができるのは、まさしく天才だけなのでしょうね」

 

「……そうでしょうね。それで、何の用ですか?」

 

「率直に言うわ……貴方、私の処に来る気は無い?」

 

「―――!?」

 

 曹操の言葉に、その場が凍りついた。

劉備と孔明は愚か、夏候惇と夏候淵も驚きに目を見開いている。

この状況で引き抜きを行うなど、普通の神経ではできないし、しようともしないだろう。

人材を最も重要視した曹操らしいとは思うが、一刀は苦笑せざるを得ない。

 

 引き抜きとは、そこに大きなメリットがあった時のみ成り立つものだ。

数だけならば確かに曹操の方が優れているが、質を考慮すれば劉備とどっこいどっこいである。

待遇など、彼はどうでも良い。ただ、彼が生かせる王でさえあれば、彼は喜んで仕える。

 

 その点では曹操は最も駄目なタイプだ。

既に完成されてしまった彼女は確かにここに居る諸侯の中で最も天下に近い。

しかし、もう成長の見込みが無い彼女は、一刀にとって無価値に近いのだ。

彼を必要としない王など、一緒に居ても何の面白みも無い……彼が最初から必要ない者は、そのまま進めば良い。

 

 

「お断りします」

 

「なんだと!? 貴様、華琳様の誘いを断るなど――!!」

 

「春蘭、抑えなさい!!……理由を聞いても?」

 

 大剣を構えて一刀に切りかかろうとする女性であったが、それは曹操の一声で止められた。

この女性の忠誠心は確かに強いが、あまりにも主を絶対視するのは愚かなことだ。

その浅慮が主を傷つけかねないことを、彼女は分かっていない。

もう一人の女性はそれを理解しているようだが、常に押さえ続けるのは難しいだろう。

 

 一刀は苦笑しながらも、猪突猛進も致し方ないことを理解する。

曹操の側近であろうこの二人はまさしく曹操を愛しているのだろう。

だから、この程度のことでも怒り、愚行に走ることも厭わないでいるのだ。

少しばかり呂布に似ているが―――彼女の方がこちらよりも賢い。

 

 

「完璧な王など、仕えていても何の面白みも無いではありませんか」

 

「……私は理想的な王ではない、と?」

 

「理想的な王ではあるでしょう。ですが―――現実的な王ではない。貴方は現実ではなく、夢物語に出るべき王だ」

 

「夢物語?……それならば、そこに居る劉備の方が相応しいのではなくて?」

 

「そう思われますか? もしそうお思いならば――貴方は彼女に負ける」

 

 漢王朝の祖である高祖劉邦はまさしく劉備と同じタイプの人間であったと聞く。

劉備は劉邦の生まれ変わりのように、その姿も、その笑顔も、その願いも似ているそうだ。

それに対して曹操と孫策は項羽に似ていると一刀は考えている。

かつて勝ったのは劉邦であるし、次に勝つのは劉備であろう。

 

 恐怖だけでは人間は生きていけない。痛みだけでは人は強くなれない。

そこに希望があるからこそ、そこに安らぎがあるからこそ、人間は生きていけるのだ。

曹操は律することでそれを齎し、劉備はただそこに居るだけでそれを齎せる。

この違いこそが王の器としての違いであり、一刀が曹操ではなく劉備を選んだ理由だ。

 

 曹操の下に仕えるくらいならば、一刀は曹操に取って代わることを選ぶ。

彼の方が曹操よりも遥かに上手くやれる自信は十二分にある……そして、その目指す道は劉備と同じだ。

ならば、最初から劉備に仕え、伸ばす方が遥かに効率は良い。

彼は王を従える王ではあるが、人々の王になるつもりは毛頭無いのだから。

 

 

「そう……今回は出直すわ。でも、覚えていなさい……いつか必ず貴方を手に入れて見せるわ」

 

「覚えておきます」

 

「春蘭、秋蘭、行くわよ」

 

「……ふん」

 

「申し訳ないな……」

 

 去り際に無愛想な表情を向ける黒髪の女性と、それをフォローするように謝る水色の髪の女性は、やはり前者が夏候惇で後者が夏候淵のようだ。

髪の色は似ていないが、顔つきは似ている辺り、従妹というのも強ち間違いでは無いかもしれない。

あの様子だと夏候淵は大分苦労人であるようだが、中々に大変そうだ。

 

 一刀は苦笑しながら、身振りで気にしていないと示すと、そのまま歩き出した。

それに慌てて劉備と孔明が続くが……二人共何か言いたそうな顔をしている。

彼は大凡の予想はできていたので、肩をすくめてそれを聞き入れることにした。

 

 

「えへへ……一刀さんにそんなに期待されてるなんて、思わなかったな」

 

「北郷さん、私も驚きました。まさか桃香様をあの曹操さんより格上だとあそこまではっきり言うとは思いもしませんでしたから」

 

「そう思っていなければ、俺はこうして劉備の下に居なかったよ」

 

「嬉しいな……一刀さんは曹操さんじゃなくて私を選んでくれたんだね!!」

 

「はわわ……桃香様、その言い方は非常に語弊があります!」

 

 劉備は何時にも増して笑顔になり、孔明も見直したと言わんばかりの表情を見せている。

一刀はそのような表情を向けられるのが少しばかり眩しく、悲しく思えた。

こんなにも温かい場所から彼はいずれ去ろうとしているのだ……それは酷く名残惜しいことだ。

しかし、彼にいつまでも甘えているようでは、百年の平和さえも守れはしないだろう。

 

 彼が望むのはこの世界の平和であり、その為には強固なシステムが必要となる。

そのシステムを腐敗させない為にも、後継に確かな意思と願いを伝える術を皆には持って貰わねばならない。

血より濃い筈の信念さえも、三代もすれば腐っていくものだ。

それを腐らせない為にも、しっかりと教育しておかねばならない。

 

 彼は嵐であり、腐敗した世界を一新する役割を担う。

腐敗した部分を焼き切り、恐怖で以て信念の必要性を説く。

北郷一刀という竜に殺されたくなければ、信念を受け継ぎ続け、そのままにあるしか無い。

彼という“生ける神”を据えることで、天下三分の計は完成する。

 

 

「劉備、孔明、行くぞ」

 

「あっ、待ってよ~!」

 

「はわわ……北郷さん、待ってください!」

 

 愛紗が関羽に告げた天下三分の計の欠点はこれである。

一刀が決して語らなかった部分こそが、彼との別離を意味する部分であるのだ。

腐敗をさせないようにいくら粘っても、必ず腐敗はするものであり、それを焼き切る為に彼は天から全てを監視する竜となる。

そして、そうなってしまえば彼は今のように触れ合うことすらしなくなるのだ。

 

 彼を犠牲にしなければ成り立たない歪な策――それが天下三分の計である。

 

 

「今日は素直に後方で大人しくするのが得策だな。呂布隊とぶつかった関羽隊の消耗が激しい」

 

「あの呂奉先を相手取ったのですから、仕方のないことです。あのひとはそこに居るだけで味方を鼓舞し、逆に相手を恐怖させますから」

 

「その正体が、あんな子だっていうのも不思議だよね……」

 

 劉備軍の野営地に辿りついた一刀達――否、一刀を待っていた呂布を視認した劉備は苦笑し、一刀も静かに頷く。

一刀の帰還に、酷く嬉しそうにしている彼女はまるで犬のようだ。

もしも尻尾が生えていたのならば、それは喜びのあまりぶんぶんと振られているに違いない。

 

 実際問題、彼女は犬のように甘え、愛を強請る。

誰もが別格として見る化け物である彼女は、より格上である一刀に飼われることを選んだ。

その首に巻かれた首輪は、彼女の一刀への服従を意味している。

彼女の意思は彼の意思であり、彼の意思のみが彼女を動かす。

 

 彼女、呂布奉先を一刀が部下にすると言った時は一悶着あったが、愛紗の援護もあって何とか許して貰えた。

劉備と関羽は複雑そうな表情で、思春はあからさまに不機嫌な表情ではあったものの、呂布という大きな戦力の加入を受け入れてくれたのだ。

 

 

「ご主人様……おかえりなさい」

 

「ああ、出迎えご苦労」

 

「ぐぬぬ……」

 

「ちっ」

 

 怯えと期待を含む真紅の眼で見てくる呂布――恋に、一刀はその頭を撫でることで応える。

それを心底嬉しそうに甘受する彼女は、本当に愛に飢えた犬のようだ。

これから、彼はこの獣を躾けていかなければならない訳だが……中々にやりがいのあることだ。

一刀は、愛を求める者には愛で以て応える。

 

 悔しそうにしている関羽と、あからさまに舌打ちをした思春についても同様だ。

彼は可能であるならば、憎しみや怒りではなく、愛で以て応えようとする。

逆に言えば、それができないと分かれば、彼は決して近づこうとはしない訳だ。

彼のこの誠実さは多くを惹きつけ、そして成長させていく。

 

 孫権は既に王としての頭角を現し始め、劉備もまた揺るがぬ王となり始めている。

関羽や張飛も、武人として必要なものはほぼ全てを備えるまでになったし、孔明や士元、呂蒙達も、その力を存分に揮い始めた。

ここに既に大分完成された太史慈と、愛紗と恋の竜を加えた劉備軍はまさしく既に一国を築けるだけの戦力も知力も揃っている訳だ。

 

 それすらも一人で覆せる一刀が他の陣営に移りでもしなければ、この陣営の天下は決まったも同然だ。

 

 

「一刀さんにそういう趣味があったなんて知らなかったな~」

 

「おい、劉備。分かって言っているだろう?」

 

「何のことか分からないもん」

 

「……はぁ」

 

 恋の首輪は確かに一刀の所有物であることを意味するが、それを望んだのは彼女だ。

劉備の言うような趣味は一刀には無いし、劉備もそれを理解しているのは分かっている。

ただ、彼女は恋に嫉妬しているだけなのだ。

一刀はその理由が今一理解できずにいるが、周りの皆は理解しているのか、若干の非難の眼が彼に向けられる。

 

 そんなものを歯牙にもかけない恋は一刀に体を擦り付けていた。

それが更に関羽と思春の視線を鋭くし、劉備を不機嫌にさせていくのはもはやお約束である。

素直に惹かれ始めていることを認められない関羽も、一刀に弱さを指摘されて今一踏み切れない思春も、恋という存在を羨ましく思わずには居られない。

 

 あそこまで素直に、無邪気に、何も気にすることなく彼を求めることは恋にしかできない。

もはや他者というものを完全に排除しきった二人だけの世界で、彼女は生きているのだ。

それをしても生き続けることができたのは、単に彼女の圧倒的な武力あってこそ。

関羽と思春には、そのようなことはできない。

 

 

「恋、待て」

 

「!」

 

「良い子だ。さて、これからのことだが――予定通り洛陽には袁紹達に行って貰う」

 

「私達は劉弁・劉協両殿下の捜索を行うんですよね?」

 

「そうだ。董卓軍が敗れたと知れば、誰かが二人を連れだしてもおかしくはない。その場合、恐らくは……長安に向かう筈だ」

 

 史実では、生き残った劉協のみが長安に向かうことになるが、その後長安から逃れ、そこを曹操が保護する。

しかし、この世界でも同じようになる保障など無いし、そうする必要も無い。

洛陽を袁紹達に譲る代わりに帝は頂いていく。

 

 今はまだ確かな土地を持たない劉備が帝を迎え入れるのは難しいが、その心に深く刻んでおくことは不可能ではない。

それこそが一刀の狙いであり、禅譲を帝にさせる為の第一歩となる。

劉備が新たな皇帝となり、この大陸を統一していくに越したことはない。

 

 既に蜀を治めている劉焉への手土産も用意してある……入蜀は容易に行えるだろう。

無駄な戦いを起こさず、もしも起きたならば徹底的にねじ伏せて終わらせ、二度と反抗できないようにする。

蜀に居るであろう厳顔達に関しては、一刀が居なくとも今の戦力で十分ねじ伏せることができる。

最後に益州という豊かな土地を得ることで、劉備の天下はほぼ確立するのだ。

 

 

「皆に一つ尋ねなければならないことがある。もしも、劉弁・劉協殿下がお亡くなりになっていた場合は―――時代はどう動くと思う?」

 

「!?……殿下達がお亡くなりになっていたとすれば、漢王朝は滅びます。劉の性を持つ方達が皇帝になることも叶わないでしょう」

 

「孔明の言う通りだ。では、何故それが叶わないかを言ってみろ……呂蒙」

 

「あう!? わ、私ですか!? え、ええと……直系以外を認めない方達と、新たな王朝を建てようとする方達の方が多いから、ですか?」

 

「ああ、その通りだ。袁紹のような忠誠心厚い者などもはや彼女と馬騰くらいだ。漢王朝が滅びるならば、そのまま滅ぼして新しい王朝を建てた方が早い」

 

 腐り切った家を必死に改修し続けるよりも、一旦崩して新しい家を建てる方が遥かに楽なのは明白だ。

既に設計図は持っている……ならば、より新しい素材と、完成された技術で新たな家を建てた方がずっと良い。

何よりも、民達にとっては強固な王朝こそが望ましい。

 

 本当に民のことを思うのならば、漢王朝という信用を失った王朝など滅ぼすべきなのだ。

禅譲という行為によって間接的に漢王朝を滅ぼすのではなく、血が絶えることで滅ぶのならば……それこそ、実力のある者が新たな王となるだろう。

その時王となるのは劉備だ―――北郷一刀ではない。

 

 

「で、でもそんなことにはならないですよね? そうなれば、もう秩序なんてありませんよ?」

 

「ああ、そうだな。これは飽く迄仮定の話であり、現実になってはいけない」

 

「で、ですよね……良かった」

 

「殿下の御身は曹操に預けておこう……だが、その御心は俺達が貰う」

 

 劉備は最初から天を持っていた……北郷一刀という本物の天を手に入れていた。

曹操には人があり、孫策達には土地があった。

しかし、それも本物の天の前では無意味なものであり、偽りの天にのみ有効な要素だ。

 

天・地・人という三要素は、本当は平等ではない。

天が王朝を意味する時に限りそれは平等になり得るが、本当の天は――竜は、地も人も呑みこんでいく。

そんな中でただ一人だけが逆鱗として選ばれ、天になることを許される。

 

 謂わば逆鱗とは新たな王を示し、同時に王朝の移り変わりを意味する。

かつて最初に竜の逆鱗となった劉邦が漢王朝を建てたように、竜は王朝が滅ぶ時に現れ、そして新たな王朝の王を育て上げるのだ。

劉邦の時は、竜は象徴でしかなかった……王朝の成立と共に、居なくなってしまった。

 

 

「劉備、覚えておけ……もしも漢王朝が潰えた時は―――お前が王だ」

 

「――はい」

 

 だが、一刀はそうはならない。

その時の竜のように死んだ伝説では無く、まさしく生ける伝説としての竜になるつもりだ。

彼は劉邦と劉備の真名が同じであることも知らないし、そもそも彼以前の竜のことも殆ど知らない。

ただ、彼は抗っているだけだ。

 

 必死にこの世界で生き続け、真名を持たないことに苦しみ、真名に縛られることに苦しむ。

そんな彼を救う為に劉備は生まれた……最初の逆鱗と同じ名を、同じ力を携えて。

この世界は確かに歪みに歪んでいる……だが、純粋さも持っている。

その純粋な愛の集大成こそが劉備玄徳なのだ。

 

 愛紗という一人の女の子の、一刀を救いたい気持ちを具現化したのが劉備であり、一刀をただひたすらに愛したいという思いが具現化したのが呂布であり、それを許さない“世界”の残光が具現化したのが思春である。

どちらの竜が生き残り、どちらの世界を彼が逆鱗として選ぶかで全ては決まる。

 

 

「―――すまん。ちょっと良いか?」

 

「ん? なんだ、華雄」

 

「いや、何故胸を射られた私が生きていて、しかも捕縛もされずにここに居るのだ?」

 

「説明しなかったか?」

 

「いや、確かにされたが……せめて捕縛はしておくものだろう」

 

 一刀は不意に声をかけられて、眉を顰めながらも生かしておいた華雄を見遣る。

知華は薬を塗った矢で彼女を一時的に昏倒させていただけで、実は殺してはいなかった。

劉備にとっての呪いにも救いになる大切な一つの要素だ……一刀はこれを十二分に利用するだけである。

 

 董卓は暴政など行っていなかったことも、ただ利用されていただけだということも、一刀は理解している。

それを劉備が事実だと知った時、彼女は動揺するかもしれないが―――今の彼女は揺るがないかもしれない。

不自然なまでに大器になり始めている彼女は、この痛みすらも静かに受け止め、彼に打ち明けるだろう。

 

 

「それよりも、董仲穎の件について尋ねたいことがある」

 

「月様について?……お前、何か知っているな?」

 

「然り。董仲穎が都で暴政を働いているというのは嘘だな?」

 

「勿論だ。暴政を敷いていたのは十常侍で、月様達は利用されていたのだ。しかし―――知っていたのならば、何故お前はこちら側に居る?」

 

 一刀は華雄の言葉に静かに劉備が揺れたのを確認しながらも、鋭い目つきで彼を問い詰める華雄に向き直る。

彼がこちら側に居る理由は劉備達をより高みへと導く為だ。

董卓達を助けはするが、それを表で行うつもりなど、一刀には欠片も無かった。

 

十常侍に利用されたのは仕方ないかもしれないが、あらゆる勢力の細作を排除した賈詡のせいでこのような事態になったことを、華雄は知っているのだろうか?

過剰防衛が、却って状況を悪くしてしまったことを、彼女は知らされているだろうか?

応えは否―――知らされていない筈だ。

 

 程遠志達の情報では、賈詡文和は相当に疑心の強い人間であったと聞く。

袁紹達が何度か現状の確認の為に、細作を董卓の下へと向かわせた時も、彼女はそれを排除したそうだ。

程遠志達も、気を付けなければ排除されていた可能性は高かった。

この過剰防衛こそが、最も事態を深刻にした原因なのだ。

 

 

「賈詡という人物を知っているか?」

 

「ああ、詠か。知っているが……詠がどうした?」

 

「その賈詡に聞いてみれば良い……いったい何人の使者を殺したのか、とな」

 

「!? 使者……だと? つまり、この戦いを防げる可能性はあったのというのか!?」

 

「そういうことだ。だが、お前達の軍師はそれをしなかった。それが、俺がここに居る理由だ」

 

 賈詡という人物がいかに頭の切れる人間なのかは、程遠志達しか洛陽から戻ってこれなったことから容易に想像できる。

思春が居なければ、程遠志達も恐らく戻ってはこられなかったに違いない。

それ程の能力を持つ人間ではあるが、人間としてはやはり未熟だったのだろう。

 

 主である董卓を守ろうとする思いが強過ぎて、それ以外を排除しようとしたのは、その未熟さ故だ。

何度細作が殺されても、袁紹は遣わせ続け、必死に董卓達とやり取りをしようとした。

しかし、それを賈詡は全て跳ね除け、この事態を招いてしまった訳だ。

 

 袁紹も賈詡が現状を報告してくれたならば、何とかこの連合以外の道を選べただろう。

だが、現実は総勢十五万の反董卓連合が結成され、既に後戻りができない場所まで来てしまっている。

一刀はその事態を招いた賈詡を責めはしないものの、味方をしてやるつもりなど無い。

 

 

「弱肉強食か……お前達も、平和だの笑顔だのと言っても、結局は名声を得たいだけなのだな」

 

「弱ければ、理想は実現しない。弱ければ、生き残れない。弱かったお前達は呂奉先の武という希望ではなく、袁本初の援助という希望を掴むべきだった」

 

「弱い私達が悪いと言うのか? 詠が一歩踏み出せなかったことが罪だというのか? それは強者の考え方であって、多くの者達は賛同しないだろう」

 

「その通りだ。だが、いつの時代も世界を動かすのは罪深い程の強さだ。それに抗いたければ―――弱い者は手を取り合うしかないだろう?」

 

「……そう、だな。確かに、その結果我々はこうなった」

 

 華雄の言葉はその全てが劉備の心へと突き刺さる刃だ。

一刀が全てを知っていながらもそれを教えなかったことも、この連合に正義など無いことも、しかし決して悪でも無かったことも、全てが彼女を混乱させる。

一刀はそれを分かっていながらも、華雄を見据え続ける。

 

 彼の言葉に苦々しい表情を浮かべながらも、彼女は頷いている。

どんなに小さな繋がりでも良い……誰かに助けを求めるべきだったのだ。

互いが互いを知らな過ぎたが為に生まれたすれ違いが、この戦いを引き起こしたのであって、互いの間に悪意など無かったのだ。

ただそれだけを受け止めた瞬間、華雄の表情は何処か納得のいったものとなった。

 

 

「……しかし、それならば我々は誰を憎めば良い? まさか、誰も憎むななどという世迷言は言わないだろうな?」

 

「ああ、憎みたければ俺を憎んでも良いし、十常侍でも良い……お前達の人生を滅茶苦茶にした奴らを憎め。ただし―――俺は敵には容赦しない」

 

「ふん……こうして私を生かしておきながら、容赦しないというのは聊か滑稽だな」

 

「……違いない」

 

 一刀は己の矛盾に気付かされ、思わず苦笑した。

その瞬間だけ、彼はいつも己の心を覆っている鋭い刃を取り除き、地の姿を見せる。

同じくそんな彼を見て苦笑する華雄の表情は、敗残の将のものとは思えない程に、爽やかだ。

 

素の一刀は、余りにも毒気が無さ過ぎる。

純粋さを失っていないその笑顔も、声音も、雰囲気も、全てが余りにも穏やかなのだ。

それを理解しているからこそ、劉備は彼に依存することができるし、縋ることができる。

彼は本質的には戦うひとではなく、守護者だ。

 

 この十年で実に数万に及ぶ命を奪ってきたが、それでも彼は元来奪う者では無い。

彼は与え、守ることを得意とし、その為に本当は慣れない殺戮を行っていたのだ。

人間を殺すことに戸惑いも罪悪感もありはしないが、殺戮そのものを彼は良しとしない。

確実性を求めて殺し、奪ってきたし、その報いを受けることも彼は忘れない。

 

 

「お前は―――歪だな。それが素なのか」

 

「……華雄という人物を見誤っていたか。中々どうして、頭が切れる」

 

「そうでもない。私は直ぐ頭に血が上るしな。お前が分かり易いだけだ」

 

「……そうなのか、劉備?」

 

「……うん」

 

 北郷一刀は竜であり、その眼は余りにも多くを語ってしまう。

一度彼と親しくなれば、素の彼はいつもとは違って、人当たりの良い好青年であることはすぐに分かる。

確かに人外の気はあるものの、彼の人柄はとても明確で、純粋だ。

 

 彼はその胸の内に多くを抱え込んで、決して外には出さない。

しかし、その眼を愛紗が見れば、苦しんでいることも、何に苦しんでいるかも大凡分かる。

愛紗は数十万の外史で一刀を見続け、愛し続け、芯の底まで彼を理解しているのだ。

思春は両親から学んだ知識で以て、劉備はその生まれ持った感性で以てそれを知り、彼に寄り添う。

 

 では初対面であったならばどうであろうか?……これは、一刀がその気にならばければ相手が彼を理解することは難しい。

しかし、もしも彼を、丁度今の華雄のように、素の状態に持っていくことさえできたのならば、十年前と変わらぬ彼が姿を現す。

思春がひたすらに愛し、愛されたいと思った彼は、まだ死んでいないのだ。

 

 

「はぁ……お前を見ていると毒気が抜かれてしまう。それで、これからどうするつもりだ?」

 

「殿下達を助ける……それだけだ」

 

「!……そう、か」

 

「安心しろ。お前達を手荒に扱いはしない……無駄な抵抗さえしなければ、だが」

 

「それを聞いて安心した」

 

 一刀の眼が微かに華雄だけに理解できる程度のものを表す。

それに気づいた華雄は何処か安堵したような笑みを浮かべて、両手を上げた。

降参の意味を示すその行為は、何処か良い意味で諦めのついた、清々したものに見える。

猛将であると言われがちな彼女だが、実はこうした理知的な面も備えているのだ。

 

 そんな二人を見つめながらも、愛紗は静かに微笑む。

一刀の眼が映したものを、彼女だけは確かに理解し、同時に喜んだ。

彼はこの世界でも優しく、しかし今までの甘さを捨て、より強く、より高みへと向かっている。

人間らしさを欠いていく彼を見るのは心苦しいが、全ては劉備が逆鱗となった時解決する。

 

だからこそ、彼女は思春を排除しなければならない。

既にその駒はこの陣営に加わった……呂布奉先という暴風を既に一刀は懐に入れた。

彼は一度懐に入れてしまった者を警戒することはなく、呂布はその性質故に思春を殺し得る。

直接手を下せない愛紗にとって、呂布という存在の加入はまさに好機であった。

 

 

「お前の身柄に関しては、今は捕虜で居て貰う。一応与えてある天幕で静かに過ごすのをお薦めする」

 

「言われずともそうさせて貰うつもりだ」

 

「ならば良い。各自、今日はしっかりと休息をとっておくように。それでは、解散だ」

 

 隣に微かに肩を震わせている劉備を見遣りながらも、一刀は皆に解散を言い渡した。

元来ならば越権行為ではあるものの、彼の実際の影響力は劉備と並んでいる。

彼の言葉は劉備の言葉と同等の重さを持つと言え、兵達も双方を同等と見ているのが現状だ。

いずれこれが劉備のみに代わる日が来るのを知っているのは、一刀と“愛紗”だけだ。

 

 

「劉備、来い」

 

「……うん」

 

 恋に待つように眼で示すと、一刀は劉備に静かについて来るように告げる。

愛紗にアイコンタクトで人払いを頼むと、彼はそのまま自分の天幕へと向かった。

端に位置する劉備軍の中でも、最も端にあるその天幕は、少しばかり離れている為邪魔はそうそう入らない。

逆に言えば、もしも襲われた場合は救援が最も遅れる位置とも言えるが――彼にそのようなものは必要無い。

 

 北郷一刀は竜であり、人間に殺されることは、逆鱗以外はあり得ない。

逆鱗のみが竜に死を与えることができる人間であり、彼を苦しみから解放してくれる。

この世界で彼を殺し得るのは、竜である愛紗と恋、逆鱗たる思春と劉備の四名だけだ。

この四人以外を相手にしても、彼は揺るがないし、揺るげない。

 

 誰も居ない天幕の中に入ると、一刀は劉備と向き合った。

先程までは近くでなければ分からなかっただろうが、やはり彼女は震えていた。

物理的な要因ではなく、純粋に心因性のものであることは彼も理解している。

劉備は知らなかったとはいえ、嵌められた董卓仲穎に追い打ちをかけていたのだ。

 

優しい彼女がそれを気にしない筈はないし、もしも気にしなくなってしまえば、一刀は彼女の下を離れるだろう。

 

 

「一刀さん……私のしたことは……間違っていたのかな?」

 

「まず、事実を教えなかった俺を責めるべきだ。お前の理想を破壊しかねないと知っていて、俺は言わなかったんだぞ?」

 

「一刀さんが言ってくれなかったことは確かに辛いけれど……けれど、私が心から望んでもそうした?」

 

「……いや、しなかっただろうな」

 

 一刀は劉備が本当に望んでいたのならば、教えていただろうし、彼女の判断に従ったに違いない。

反董卓連合に参加せずとも、名を上げる方法などいくらでもあったのだ。

例えば董卓軍を協力して十常侍を始末すれば、朝敵にはならずにことを収めることもできた。

 

しかし、彼はそうしなかった。劉備はそこまで求めてこなかったからだ。

一刀の知る歴史をなぞって進んでいくこともその気になれば必要なかったことであるし、彼女さえ強く望めば彼は違う道を選んでいた。

だが、彼女が選んだのは反董卓連合への参加であって、もうこの結果は覆らない。

劉備は自分でそれを決めたからこそ、彼を責めないのだ。

 

 

「だから、これは私が背負うべき重みなの。一刀さんが無理に背負わなくて良いから……だから、傍に居てください」

 

「痛いか? 辛いか?」

 

「うん。でも―――逃げないから。忘れないから。絶対に、麻痺しないから」

 

「そうか……だがな、劉備。痛みを分け合うことまで許されない訳ではないんだ。だから、安心して縋れ」

 

「っ……一刀さん!」

 

 北郷一刀は竜であり、同時に甘い果実だ。

竜としての彼は多くを破壊する暴風であるが、果実としての彼は多くを中毒にする蜜である。

彼の胸に飛び込んで必死に縋る劉備は、それを知っているからこそ彼に甘え、彼に縋り、彼を支える。

彼が動けなくなった時は彼女が支える……だから、今はこうして彼に支えて貰っている。

 

 人間は弱い……その人間性に縋るからこそ竜も弱さを持つようになるくらいだ。

しかし、弱さは罪では無く、寄り添う為に必要不可欠な要素である。

弱さの無い者は寄り添うことを必要とせず、誰かの為にあることなどできない。

人間が求める完璧は、実現した途端に吐き気を催す異端と化する。

 

 人間が受け止められる重さは決まっていて、一生変わらない。

より多くの大切なものを……弱点を抱え込む程に、それを守る為の強さを必要とする。

大切なものが増えれば、それは即ち弱さの助長となり、それを補う為に力を得なければならないのだ。

故に、何も弱さを――守るべきものを持たずに、ただ強さだけを持っている人間は気持ち悪いのだ。

 

 己自身に完璧さなどを求めるのならば、人間を辞めて迫害されていれば良い。

 

一刀は、そんなものは御免だ―――彼は弱さを許せない機械になるつもりはない。

 

 

「お前の理想はまた一つ大きな傷を負った。だが――そこで終わる程脆いものか?」

 

「ううん……私は進むよ。私の心が死んだら、ついて来てくれた皆が黄巾党みたいになっちゃうから」

 

「無理に進まなくても良いんだぞ?」

 

「無理じゃないよ。だって、一刀さんが傍に居てくれるもの」

 

「っ……そうか」

 

 浅葱色の瞳を涙で濡らしながらも、彼を見上げる劉備を見た刹那、一刀は思わず彼女を貪りたい衝動に駆られる。

今の逆鱗は思春だが、最も相応しいのは劉備であり、彼女は今も驚異的な速度で成長を続けている。

思春に殉ずることを決めた筈なのに、目の前に甘い果実をぶら下げられると揺れてしまう己の弱さを、彼は嘆く。

 

 完全な竜としてまだ覚醒していないことなど言い訳だ。

彼は思春に殉ずるべきであり、劉備の方が優れているから乗り換える、などという不貞は許されざる行為に違いない。

そういう意味では既に愛紗と肉体関係にあることは、もはや思春にとって許されざる行為なのだろう。

 

 

「こんなにも弱い私がここまで進めたのは、一刀さんが傍に居てくれたから」

 

「それは俺では無く、劉備自身の力だ。俺にできたのは殺戮くらいさ」

 

「本当にそう思う? 本当に一刀さんはただの武人?―――違うよ。一刀さんは、あの日私に御呪いをかけてくれたでしょう?」

 

「……呪いの間違いではないのか?」

 

「幸せの形は人それぞれで、愛の形も人それぞれ。だから―――呪いの形も人それぞれだよ」

 

 劉備玄徳という人間に、十年前北郷一刀という竜は呪いをかけた。

彼女も彼のように強くあれると、あの日彼は彼女に言ってしまった……劉備を縛り付ける呪いになると知らずに。

子どもが、大人が思って居る以上に多くを覚えていることを考慮せずに、あの日彼は劉備に呪いをかけたのだ。

 

 それを劉備は呪いではなく御呪いだと言う。

彼女を縛り付ける呪縛では無く、彼女が前に進む為の力になっていると、その浅葱色の眼を細めて言うのだ。

そこに嘘など無く、一刀はただただ彼女の強さを知る。

不死鳥の如きこの強さこそが、彼女の天性のものであり、彼のかけた呪いを肯定的に捉える要因になっている。

 

 ここまで強い人間を彼は知らない。

ここまで自然に彼を魅了し、その動作一つ一つが衝動を駆りたててしまう存在を彼は知らない。

思春に対しては愛おしさのみが溢れだすのに対して、一刀は劉備を見ていると本当に心の底から欲しいという欲望が湧いてくる。

 

 これこそが――本物の逆鱗と偽りの逆鱗の差だ

 

 

「そうか……俺がお前にかけたと思った呪いは、呪いではなかったのか」

 

「うん。一刀さんは確かに他のひととは違うけれど――私にとっては大切な存在なの」

 

「例え俺が化け物でもか?」

 

「竜の何が悪いの? 私には分からないよ……だって、私は人間でしかないもの。だから、一刀さん……竜を教えて。私に―――刻み込んで」

 

「……っ!」

 

 一刀は劉備の浅葱色の瞳の奥に見えたものに、思わずその体を抱きしめた。

今すぐにでもこの最高の果実を貪りたいという欲望が彼を支配しそうになるが、必死に耐える。

ここで劉備を貪るのは簡単なことだが、彼の逆鱗は思春だ。

彼の逆鱗は思春であって、劉備ではない。

 

 既に痛みを受け止めて、それを克服し始めている彼女は確かに強い。

北郷一刀という竜を受け止め、その逆鱗となることも彼女ならば容易いことだろう。

必死に『竜の書』から学んだことで彼の逆鱗たろうとしている思春とは、あまりにも格が違う。

それでも――彼はあの日、二度目の死を迎えた日に、思春を選んだのだ。

 

 

「ぐ……が……」

 

「一刀さん……」

 

「駄目だ……」

 

「えっ?」

 

「……ゴフッ」

 

 今にも目の前の至高の果実に噛り付きたい衝動を振り払い、彼は劉備から離れた。

そして、拒絶されたことへの驚きに目を見張る劉備の前で―――彼は吐血した。

竜が成長する為に鱗を吐き続けるのとは違う、鱗を含まない純粋な吐血だ。

鮮やかな赤の鮮血が地面を濡らしていくのを捉えながらも、彼は全身を襲う痛みに声をあげることすらできない。

 

 

「一刀さん!? 一刀さん!?」

 

「あ……ぐ……ガハッ!!」

 

 今目の前にある果実を貪れば、一刀のこの痛みは去る。

今目の前に居る女性を己の逆鱗とすれば、この苦しみから彼は解放されるに違いない。

しかし、彼にはそれはできない……彼は誠実であるが故に、思春を裏切れない。

その誠実さは美点であり、欠点でもある――愛紗がそう評した理由がこれだ。

 

 北郷一刀の歪さは、この異常なまでの誠実さにある。

彼は約束を違えることを非常に嫌がり、違えた時にその身を差し出すことすら厭わない。

これは彼がこの世界での最大限の信頼を意味する真名を持たないからこそ生まれた歪みだ。

真名を神聖視するなどと言いながらも軽視するこの世界の者達の代わりに、彼がその本当の重さに苦しんでいるのだ。

 

 彼は確かに竜だが、竜も完璧な存在ではない。

約束を違えることもあるし、誰かに縋りたいこともあるし、誘惑に負けることもある。

だから、目の前にある最高の逆鱗に手を伸ばすことは少しも悪いことでは無い。

それでも―――彼にはそれができなかった。

 

 

「一刀さん!! しっかりして!!」

 

 だからこそ、思春を殺すしか道は無いと愛紗が決意したのだ。

己では北郷一刀を真なる竜にすることはできないと、思春は気付き始めている。

かつて劉邦を導いた白い竜の存在を知り、『真名の書』を所持する知華が彼の下にやってきた。

そして今、劉備がその真名を一刀に受け取って貰いたいと思い始めている。

 

 確かにこの世界は歪な愛を具現化した世界であるかもしれないが、それでもその始まりは純粋だった。

この日、漸く本物の逆鱗が竜の一部となることを決意したのも、その純粋さの集大成であるが故だ。

少しずつ……少しずつだが、北郷一刀を救い得る者達は確かに集い始めている。

本物の逆鱗も、竜の真名の行方を知る者も、彼を支える不完全な竜も、既に傍に居る。

 

 この世界が“世界”との約束から、“世界”そのものから彼を救う為に動き出した。

遂に思春という“世界”が遣わした敵を排除し、劉備という救いを北郷一刀に齎そうと世界が変わり始めたのだ。

もう二度と彼が苦しまなくて済むように―――そんな愛紗の決意が生み出したこの世界は、彼を救うために変わり始めている。

 

 

「誰か!! 誰か来て!! 一刀さんが!!」

 

 

 

 

 

 

 しかし、このままでは―――きっとそれは間に合わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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