7月6日。
「あ、土方さん。おかえりなさい」
「どうも。お世話になってます」
梅雨のじっとりとした蒸し暑い空気と、しとしとと一日中降り続いている小ぶりの雨。
仕事帰り、いつものように銀時を迎えに、保育園を訪れた。
「銀ちゃーん、パパがお迎えに来たよー」
広めの室内で各々に遊んでいる園児を世話していた保育士が、明るくよく通る声で、銀時の名前を呼んだ。
「おー、いまいくー」
部屋の奥の方から、銀時のしっかりした返事が聞こえてくる。
銀時は、この頃大人の真似をした口調を使うようになってきた。
保育園には色んな大人が子供の送迎で訪れるし、他の家庭環境で育った友だちの言葉遣いも、少なからず影響していると思う。
5歳ともなれば、外界から様々な知識や情報を学び、日々の生活の中で急激に成長していく年頃だ。
別に不思議なことじゃない。
遊んでいた玩具を片づけてから、パタパタと足音を立てて、奥から銀時が駆け寄ってくる。
「いいなー。銀ちゃん、もう帰っちゃうアルか」
俺の立っている入り口へ来る途中、横を通りすぎた同じ組の女の子が、寂しげな声で呟いた。
(確か、神楽って名前だった気がすんな)
海外から出稼ぎに来ている男の娘だったか。と、おだんご頭の子供を眺めながら、微かな記憶を辿る。
まだ園内に残っているということは、親が仕事場から戻っていないということだ。
時間が経つにつれて、一人、また一人と、それぞれの家庭へ帰っていく子供たち。
残った子供は、室内から去っていく友だちの姿をどこか心細い気持ちで見送りながら、自分の親が迎えに来てくれる瞬間を待っているのだろう。
「また明日な」
「うん! またネ」
開いたドアの縁に寄りかかり、小さな二人が会話している様子を遠目から眺めていた。
すると、何だか微笑ましい気持ちになってくるから不思議だ。
(ちゃんと打ち解けられてるみてぇだな)
少し前までは、こうして迎えに来た途端に緊張の糸が解け、縋るような顔で泣きそうになっていたものだが。
少しずつ周囲に馴染み、融け込めるようになってきているようだ。
そんなところにも確かな成長を感じ、親として純粋に喜ばしく思う。
和やかな二人のやりとりに目を細め、温かく見守っていると。
離れていく銀時の背中を見送っていた神楽が、俺を視界に入れたようで。茶色の大きな瞳が俺を捉え、パチッと目が合った。
バイバイ、と言いながら、無邪気な顔でにこやかに手を振る神楽。
その可愛らしさにつられて、俺も自然と頬が緩み、軽く片手を上げて挨拶を返す。
「……おけーり」
知らない間に繰り広げられていたやりとりを見て、ムッとしたのか。
銀時は、普段よりもぶっきらぼうな言い方をした。
ぶすっとした顔と突き出したくちびるは、子供らしい嫉妬の表れだろう。
その割には、スーツのズボンをしっかり掴んでいて、寂しかったという心持ちを雄弁に語っている。
「おかえり、だろ」
やり直し。と、腰丈の位置にある小さなおでこを、ピンと指で弾く。
こんな時に手放しで甘やかしてやれれば良いのだが、あいにく俺は、そこまで子供の扱いが器用じゃない。
だから、俺なりの方法で、銀時へちょっかいを出すのだ。
「おかえりっ!」
弾かれたおでこを擦りながら、ニッと苦笑いを浮かべる銀時。
「おう、ただいま」
よく言えたな。と、手のひら大のふわふわした銀髪頭を、くしゃりと掻き乱す。
すれば、銀時はへへっと笑って、満足そうな笑みを零した。
「カバン持って、支度して来い。帰るぞ」
促すようにポンと背中を押して、銀時を部屋の外へ向かわせる。
「うん」
「土方さん。ちょっと良いですか?」
部屋を出ていった銀時の後に続き、開けたままのドアを閉めようとすると。近くにいた保育士が、俺をさり気なく呼び止めた。
「はい」
「あぁ、別に大したことじゃないんですけどね」
俺を呼び止めた保育士が、気さくに話を続ける。
志村先生。銀時の組の担任ではないが、いつも何かと銀時の様子を気にかけていてくれている、若い女の保育士だ。
「明日は7月7日で、七夕の日でしょう。なので、子供たちに短冊を作って、お願い事を書いてもらったんです」
「そうなんスか」
「えぇ。でもあいにく、今日は雨でしたし。せっかく書いた短冊が濡れてしまうので、笹を外に飾れなかったんです。でも、明日はちゃんと外へ出しますから。ぜひ、短冊を見てあげてくださいね」
そう言って、人好きのする柔らかい笑顔を浮かべた、志村先生。
こうしてわざわざ俺に伝えたということは、きっとそれなりの意味があるのだろう。
「分かりました。明日の帰りに見ておきます」
「いえ。こちらこそ、引き止めてしまってすみません。また明日、元気にいらしてくださいね」
お楽しみに、と言って微笑んだ志村先生に頭を下げ、そっと別れを告げた。
部屋を出ると、銀時は言伝通りに帰り支度を一人で済ませ、テラスで靴を履いていた。
「ねぇ、あしたはれるかなぁ」
しとしとと降り続く暗い雨空を見上げて、銀時がぽつりと寂しげに呟く。
「どうだろうな」
「はれなかったら、どうしよう……」
テラスに座ったまま、銀時が少し不安そうに俺の顔を見つめてくる。
天候など、どんなに願ったところで、自力でどうにかなる問題ではない。
かといって、淡い期待を胸に抱いている子供へ真理を告げるのは、あまりにも無粋だろう。
「大丈夫だから、心配すんな」
絶対に晴れるという保証は、どこにもない。
だから、気休めの言葉しか掛けてやれないけれど。
少しでも不安を取り除けるようにと、銀髪をぽんぽんと頭を撫でてから、手を差し出した。
「ほら、帰んぞ」
「……うん」
「まだ雨降ってるからな。濡れねぇように抱っこしてってやる」
「やりィ!」
しゃがんで両手を広げると、嬉しそうにボスン、と腕の中へ飛び込んでくる銀時。
片手に俺と銀時のカバンを持ち、傘をさしてから、銀時をひょいと抱き上げた。
広げた紺色の傘の下で、丸く柔らかな銀色の月が、歩くたびにゆらゆらと揺れる。
「パパも、あしたおねがいごとすんの?」
くりくりとした赤い瞳を瞬かせて、銀時が不思議そうに尋ねてくる。
「そうだな。してみんのも悪くねぇな」
「ねぇ、なにおねがいすんの?」
「ん? 当ててみろ」
「えーっ!オレ、わかんねぇもん。おしえてよ!」
腕の中でジタバタと暴れてふくれっ面をする銀時に、ふん、と鼻を鳴らして口角を上げた。
「さぁ、なんだろうな」
「……ケチ」
「そういうこと言う奴ぁ降ろしちまうぞ。いいのか?」
そう言って、支えていた腕の力を抜き、ガクンと下に落とす真似をする。
こういう遊びをすると、子供は案外喜ぶということを、俺は銀時と出会うまで知らなかった。
今ではあやし方もすっかり板につき、コミュニケーションの一つとして、日常に取り入れている。
「あ、ダメだって!まだおりないのっ!」
案の定、銀時はふて腐れた顔から一転して、必死にスーツへしがみついてきた。
未だに自分から触れ合いを求められない銀時だが、こちらから一度触れてやると、いつまでもくっついていたがる。
それはきっと本能的な欲求で、心から安心しているという証拠だ。
「だろ? もうちっとで家に着くから、大人しくしとけ」
「うん」
「良い返事だ」
すぐ真横にある赤い瞳を覗きこみ、微かに笑いかけた。
自宅のあるマンションへ続く道には、色とりどりの紫陽花が咲いている。
薄暗い夜道に咲いた、様々な大きさの紫陽花たち。
一年前も同じように咲いていたはずだが、記憶の中にある大きさよりも、一回り大きくなっている気がした。
(花もしっかり成長してんだな)
今、俺の腕の中にいる銀時も、去年より身体が大きくなり、抱いた時の重みも着実に増えている。
普段一緒にいると気付かないような些細な変化を、こういう何気ない瞬間に実感し、その度にとても愛おしく思う。
「どーしたの?」
小首を傾げて見つめてくる銀時へ、穏やかに目を細めて。
「どうもしねぇよ」
と、一言だけ呟いた。
「……へんなの」
その言葉を聞きながら、銀時を抱きかかえている腕にそっと力を込め、雨で濡れたアスファルトの上をゆっくりと歩いて行く。
この重さ、この景色を来年まで覚えていられるように、と願いを込めて。
雨粒を纏った花弁と大きな葉が街灯に照らされ、星屑のように、きらりと光を反射していた。
7月7日。
翌日は雨こそ上がったものの、梅雨晴れは広がらず、どんよりとした厚い雲に覆われた一日だった。
予定よりも仕事が長引いてしまい、職場を出る時間が通常よりも遅くなってしまった。
急いで保育園へ迎えに行くと、門の横に二本の笹が飾られている。
昨日、志村先生が予告していた通りだ。
細い枝にたくさんぶら下がった、色画用紙の短冊。
その中に、銀時が書いた願い事があるはずだ。
だが、まずは迎えに着たことを保育士へ知らせるのが先で。短冊は後でゆっくり探そう、と笹を一瞥だけして、俺は保育園の門を通り抜けた。
「すみません、遅くなりました」
「大丈夫ですよ。おかえりなさい」
部屋の入口で送迎が遅くなったことを詫びると、中に居た先生は、優しく受け入れてくれたようだった。
「銀時、お迎えですよ」
「ちょっとまってー」
「おやおや。まだ時間がかかりそうですね」
そう言って、銀時を呼んでくれた先生は静かに苦笑し、俺の方へ歩いてくる。
銀時の組の担任を務めている、吉田先生だ。
「もう七夕飾りはご覧になられましたか?」
「いえ、まだ……」
「それなら、銀時が支度をしている内に見てあげてください」
確か、向かって右側の笹に飾ってあるはずです。と、門の横の笹を指差した。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
「どうぞ。ごゆっくり」
先生の好意に感謝し、ぺこりと頭を下げて一礼をする。
昨日もそうだったが、子供が書いた願い事の内容を明かさないのは、保育士側の配慮なのだろう。
子供たちと一緒に飾り付けをすることが出来ない保護者も、一緒にイベントを楽しめるように、という心配りがありがたい。
準備をする側は大変だが、こうして風流な伝統ある行事を大切にしてくれるところが、実は密かに気に入っていた。
再びテラスで靴を履き、門の横に飾られている笹を間近で眺める。
少し乾燥した葉の間を夜風が通り抜け、カサカサと折り紙の飾りを揺らしていた。
赤、緑、黄色などの色画用紙で作られた短冊が、雨上がりの風に乗せ、天へ祈りを告げている。
まだ拙い文字を駆使して、一生懸命短冊に綴った願い事。
それを一つ一つ手に取りながら、クスッと笑みを零していると。笹の端の方に、銀時の書いた短冊を見つけた。
(これか?)
裏面にいびつな文字で、『土方ぎんとき』と書かれた名前を見ると、何だかむず痒いものを感じる。
銀時の旧姓である坂田姓は、行政上の都合で、仮に授けられたものに過ぎない。
養子縁組を定めた今は、これが銀時の本姓として背負われていくことに変わりはないのだが。
実子として当然のように名付いている名前ではないためか、まだ心のどこかで、違和感を感じる時がある。
だが、それもいずれ薄らいでいくことだろう。
(んで、何願ったんだアイツは……)
手に取った水色の短冊を、ぺらりと捲ると。少しクセのある字で、こう書かれていた。
『おとうさんと ずっといっしょに いられますように』
「――」
しっかりと大きく書かれた文字は躊躇いがなく、ごく単純で、まっすぐな願いを物語っているように思えた。
他の子供は、戦隊ヒーローや美少女アイドルになりたいと憧れたり、夢のある職業へ就きたいと願う中、一人だけ素朴でシンプルな願いを綴った銀時。
願いは、人それぞれに必ずあるものだ。
その時一番強く心に抱いている事柄を言葉で綴ったのが、短冊へ託した願い事だろう。
すなわちそれは、幼い銀時の率直な願いということで。
(……アイツらしいな)
そんなことなど、願うまでもないのに。
俺との共存を一心に願っているということが嬉しくもあり、同時に、どこか切なさを感じた。
何不自由なく育った子供と違い、銀時は自ら手を伸ばしたり、素直に欲しいものをねだれない。
心の中では、誰よりも強く求めているのに、だ。
だからこそ、初めて掴んだ『家族』という絆は、銀時にとってかけがえのないものであるに違いない。
一度掴んだものを離さないというクセも、失くしたくないという無意識な思考の現れだろう。
5歳ともなれば、自我が目覚める。
物心ついた銀時が自ら願った、たった一つの願い事を、俺は――。
「あーっ!オレのおねがい!かってに見んなよっ!!」
短冊を手にしたまま、感慨深い気持ちで思いを馳せていると。支度を済ませた銀時が、先生と一緒に後ろから駆けてきた。
「お待たせしました」
「いえ、」
必死に背伸びして手をバタつかせ、自分の短冊を退かそうとする銀時。
その姿に苦笑しながら、先生へ軽く頭を下げた。
「……見た?」
余程恥ずかしかったのか、目元を朱に染めた赤い瞳が、下から訝しげに真偽を尋ねてくる。
「あぁ、見た」
「ずりィよ……。パパのおねがい、オレしらねーのに」
そう言ってぶぅ、とふくれっ面をしてくちびるを尖らせる銀時の頭を、ぽんぽんと優しく撫でた。
「そりゃあ、お前……」
言葉にするのを躊躇い、少し言い淀んでいると。
「なら、こうしましょうか」
それまで黙って俺たちのやりとりを見ていた先生が、不意に口を開いて。着ていたエプロンのポケットから、一枚の短冊を取り出した。
青い色の何も書いていない短冊を、にこやかな微笑みと共に、スッと俺へ差し出した先生。
「え、……」
更に、銀時の短冊がぶら下がっている枝を一部だけポキンと手折り、それを銀時へ渡した。
「先生、これくれんの?」
手渡された笹の枝を嬉しそうに眺めてから、銀時が目をきらきらと輝かせる。
「えぇ。ぜひ、お父さんと一緒にお家で飾ってくださいね」
「ありがとうございます」
「ありがとう、先生!」
特別なその好意に感謝し、深くお礼を述べる。
隣でとても嬉しそうに笑う銀時を見ると、俺まで自然と目元が綻ぶのを感じた。
「ねぇ、はやくかえろ?」
貰った笹の枝を大事そうに握りしめて、銀時がくい、とスーツの裾を引っ張る。
「あぁ、そうだな」
「かえったら、ちゃんとソレかいてくれる?」
「わかった。約束だ」
ソレ、と指さした青い短冊を上着の胸ポケットへ差し込み、代わりに小指を立てて、銀時へ向けた。
「おう、やくそく!」
ゆびきりげんまん。と言いながら、そっと小さな小指を絡ませる銀時。
その繋がりを離さぬように、力強く感触を確かめる。
ほんのり夏の匂いを纏った夜の風が吹き、銀時の柔らかい髪と七夕飾りをさらりと揺らしていく。
空を見上げると、わずかに厚い雲が切れ、濃紺の夜空といくつかの星が微かに見えた。
まだ雲の流れが早く、完全に晴れ渡った星空を見ることは出来なさそうだ。
だが、それでも構わない。
銀時の願いを知り、それを叶えてやれるのは――、織姫と彦星ではないのだから。
「先生、またね」
あどけない顔を向け、銀時が笹の枝を振って先生へ別れを告げる。
「また明日。気を付けて帰るんですよ」
「うん、わかった」
「どうもありがとうございました」
「いえいえ。良い七夕の夜をお過ごしください」
もう一度先生に深く頭を下げ、銀時と手を繋いで保育園を後にした。
「ねぇ、なんておねがいすんの?」
特別に貰った小さな七夕飾りを上機嫌に揺らしながら、銀時が俺の顔を見上げて、昨日と同じ質問を投げかけてくる。
「ん?」
緩く視線を落とすと、繋いでいる銀時の手の力が、ほんの少しだけ強くなった気がした。
しっかりと握られた手は、決して離すまいという意思を物語っているのかもしれない。
上を向いて、じっと俺の目を見つめ、気持ちを確かめようとする銀時。
子供ながらいじらしく、面映い行動をされると、どうしようもないくらい愛しさが込み上げてくる。
恋愛の類とは何かが違う。
もっと別の、支えたいとか、いつまでも見守ってやりたいという感じの想いだ。
(こんな風に思う相手は、お前しかいねぇよ)
……その見えない絆のような想いが、繋いだ手のひらから、少しでも銀時へと伝わればいい。
すぅ、と雨上がりの空気を胸いっぱいに吸い込んで、視線を空へ移す。
雲の切れ間からは、薄く光る星の中に、一際強い光を放っている二つの一等星が見えた。
まだ時間的には少し早いが、東という方角から考えて、夏の大三角形を象る星のはずだ。
織姫星と呼ばれるベガと、彦星と呼ばれるアルタイル。
あいにくの天気ということもあり、二つの星を挟む天の川までは見えないが。
今日も。
来年も。
この先も、ずっと。
変わらぬ光を湛えながら、いつまでも互いを想い合って、強く輝いていくのだろう。
俺たちと、同じように。
再び視線を銀時に向けると、街灯の光を帯びた瞳が、きらりと紅く煌めいた。
「ねぇってば!」
しばし沈黙していた俺の手をぎゅっと握り、銀時が答えを催促してくる。
その真剣な眼差しに目を細め、ふ、と薄く笑みを零す。
俺たちは似ても似つかない、血の繋がりすらない家族だけど。
繋いだ絆が、絶えず続いていくことを願って。
「あぁ、俺の願いはな――」
お前と同じってのも、悪くねぇだろ。
End.
2012/07/09
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【Updata:2012/07/09、Remove:2012/09/18】
養子親子設定の小話で、7/7の七夕をイメージした番外編③。
二次創作だけど、半分フィクション、半分ノンフィクション。
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