No.479328

落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 15

ありむらさん

独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは悪鬼と相成りました。皆様が思われる一刀さんはもういません。ごめんなさい。
それでもいいじゃねえかとおっしゃる方。
ありむらは頑張って書き続けます。どうぞ、最後までお付き合いの程をよろしくお願い致します。

2012-09-03 16:37:00 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:9201   閲覧ユーザー数:7125

【15】

 

 

「なんですって?」

 玉座の間にて、華琳は桂花からの報告に瞠目する。

「援軍一万が黄巾へ寝返り、長社は陥落。朱儁将軍は行方不明に」

 桂花の再報告に、

「寝返りというよりは、元々黄巾賊だったんでしょうねー」

 風がそう合わせた。

 桂花は渋い顔をする。

「もうじき陳留へ到着する黄巾軍は約七万。長社には五万五千ですから、三万ほどはこちらに割けるかと」

「最悪、十万――ね」

 華琳は顎に指を当てながら思案する。

 最低七万、最高で十万の敵兵に対して、陳留の兵力は四万である。籠城するにしても厳しい数字だった。

 そもそも籠城というのは援軍を待つか、相手の士気もしくは糧食の喪失を狙っての策である。今回籠城策を取ろうとしているのは、後者を狙ってのこと。しかし、長社陥落により、相手の展開は思った以上に速く、また士気は上がるばかり。

 ただ、宛に将を割いた以上、迂闊に野戦に踏み込める兵力差ではない。

「桂花、あなたならどうするかしら」

「は、春蘭、虚は長社黄巾賊に阻まれこちらへ戻るのが遅れるでしょうから、都に援軍の要請をしつつ、籠城するのが宜しいかと」

「ふむ――」

 今の都に、援軍を更に出すだけの余力があるかどうか。

「風、あなたはならどうするかしら」

 そう問うと、風は口元に手を当てて、愉しげに笑う。

「ふふふ、そうですねー」

「ちょっと風、ふざけないで」

 桂花は眉を吊り上げて、風を非難した。

「いえいえー、ふざけてなんていませんよー。ただですねー、眉間に皺を寄せるのはまだ少し早いかと思いましてー」

「何かいい考えがあるのかしら?」

 華琳は問う。

「華琳さまはご存知かと思いますが、桂花ちゃん、お兄さんが城下にお屋敷を持っているのを知っていますかねー?」

「知らないわよ。興味もないわ」

「ふふふ、副業をたくさん持っていてですね。その会合用にお屋敷を持っているのですが、そこに面白いものがあるのです」

「もったいぶらないで早く言いなさいよ」

 桂花は輪をかけて不機嫌になる。

「実際に見てもらった方がいいのですがねー。兎に角、今すべきことはお兄さんのお屋敷を荒らしに行くことなのですよー」

 くすくすと風は愉しげに笑う。

「待ちなさい、風。幾ら一刀の物とは言え、勝手に持ち出すことは出来ないわ」

「そこは大丈夫なのですよ、華琳さま。いざという時、蔵の中身は好きに使っていいとお兄さんに言いつかっていますのでー」

「……そう」

 気の利いた話ではあるのだが、何やら面白くない華琳である。

 ――私は聞いてないわよ、そんな話。

「で、一刀の屋敷の蔵には何があるのかしら」

 華琳の問いに、風の眸が煌めいた。

 

「――油、なのですよ」

 

 

 

 

 

「風、まさか虚はこの事態を読んでいたのだと、そう言うのではあるまいな」

 城壁の上から、迫る敵兵を見下ろし、秋蘭は問う。遠く響く行軍の騒音に、場内の緊張は高まりを見せていた。

「さあ、どうですかねー。予感くらいはあったのかもしれませんね。お兄さんは、『そういうこと』が出来る人ですからー」

「む? どういうことだ?」

「ふふふ、お兄さんに直接聞いてもらった方が早いのですよ。風のお兄さんは軍略に優れ、政略に優れ、武勇に優れている――ように見えるのです。まあ、実際そうなのですが、でもちょっと違うと思うのですよ。それらは全部お兄さんにとっては同じことなのです。きっと」

 城壁から敵兵を眺めているように見える風の眼差しは、もっと遠く、別の場所に向けられているようだった。

「そうか――ならば、今は敵兵を凌ぎきることが肝要だな」

「そですねー」

 気の抜けた風の答えに苦笑しながら、秋蘭は城壁の上に視線をやる。

 ずらりとならんだ油壺。どうやら虚は私財をなげうってこれらを用意していたらしい。 

「伝令ッ!」

 若い兵士が駆け込んでくる。

「敵軍、減速する気配がありません!」

「ふむ、獣の集団に舌戦も何もないか」

 秋蘭は視線を鋭くする。

「敵兵数に変わりはないか」

「はッ、敵兵数は約七万であります」

「よし下がれ」

 伝令兵が姿を消すと同時に、秋蘭は脇に控える兵に指示を出す。

「もうじき接敵する! 射台の用意をせよ!!」

 応、と声が返ってくる。

 俊敏な動作で、射台に油壺を装填する夏侯淵隊の兵たち。

 城壁の外には敵兵が大挙して迫っている。

 あまりの数に、地面が揺れるようだ。

 兵たちはまだいい。曹操軍の兵は精兵揃いである。しかし、住民はそうはいくまい。きっと恐ろしかろうと、秋蘭は心苦しい思いに捕らわれた。

 そして、だからこそ――と。

 だからこそ負けられぬと、己を奮わせる。

 敵は目前である。

「弓兵構えッ!! 第一射用意ッ!!」

 秋蘭は声を張る。

「秋蘭ちゃん、焦ってはだめなのですよー」

「うむ、分かっている。『一度、城壁に取りつかせる』のだろう?」

「はいはいー。それくらい近づいてもらわないと、『籠城戦』の意味がありませんからねー」 

 間延びした声に反して、風の視線は冷徹だった。

 それから、しばらくもせず。

 黄巾賊が――城壁に迫った。

「第一射、放て!!」

「はいはーい。射台係りさん、油壺をどんどん撃っちゃってくださいねー」

 的確な指示に、忠実に従う兵たち。

 城壁に取りつく黄巾賊の頭の上に、無数の矢が降り注ぐ。

 そして、大量の油壺は次々と黄巾賊の頭を超えて遠くへ飛んでいく。まるで、城壁に取りついた敵兵に興味などないと言わんばかりである。

 どれほどの時が経っただろうか。

 城壁を埋め尽くさんとするほどの油壺は全て撃ち尽くされた。

「では秋蘭ちゃん、お願いしますー」

「心得た。弓兵、火矢を構えろ!!」

 兵たちの顔に喜色が宿る。その指示を待っていたと言わんばかりの表情。

 そして――。

「放て!!」

 容赦なく放たれる火矢。

 それは遠方へぶちまけられた油を勢いよく燃やし――そして、炎の城壁を作り上げる。

 黄巾賊は分断される。

 粘着性の高い油は除去するも敵わず、しつこく燃え、黄巾賊を逃がさない。

 賊徒どもは炎に惑い、混乱する。

「焔の城壁――」

 秋蘭は呟く。

「はいはいー。『籠城戦』ですからねー。城壁の中に入ってしまった敵さんには――滅んでもらいましょうかー」

 風は、城壁の下に合図を出す。

「風ちゃーん! もういいのー?」

 下からは季衣の大声が返ってくる。

「はいはーい、適当に踏み潰して帰ってきてくださいねー」

「わかったー」

 同時、城門が開かれ、季衣と流琉が三万を率いて飛び出していく。    

 混乱する黄巾党は、さらなる狂騒へと叩き落とされる。

 もはや烏合の衆ですらない。

 無頼の賊徒たちは、さならがら巣を見失った蟻のようだった。

 炎に退路を断たれ、曹操軍に飲み込まれていく。勿論、炎ゆえに、碌な味方の援護を受けることも出来ない。

 ただ只管に踏み潰されていくのみ。

 秋蘭はその様をじっと見守っていた。

 場合によっては、秋蘭がでることになると聞かされてはいたが、その必要はなさそうだった。

 敵の兵数、士気共に大きく削ることが出来ただろう。炎が収まるころには、季衣たちは撤収している。こちらの被害は恐らく、殆どないだろう。

 これで、籠城の効果がぐっと増す。長社から敵援軍がきたとて、しばらくは持ちこたえられるだろう。長社の兵数が減れば、宛から攻略軍が出るはずである。

 秋蘭は傍らにたつ風を見る。

 虚は風に策を授けていたと云うわけではなさそうだった。

 風は虚の油壺から、瞬時にこの策を考えてついたのだろう。実験的に開発されていた射台を用いて、炎の城壁を作り出す。まるで妖術のような策。

 風が本当に攻撃したのは――敵兵、敵将の心理。

 当惑、不安、恐怖。そう言ったものは視野の狭窄を招き、自軍の被害を拡大させる。生物的な恐怖を喚起する炎を大々的に用いるのはそう言った効果を大きくするためだろう。

 炎に退路を断たれた者たちはもとより、炎の城壁の向こう側にいる敵兵にも恐怖を植え付けることが出来る。

 炎の向こう側、よく見えぬところで味方が蹂躙される声だけが聞こえている。

 恐ろしいに違いない。

 相手は碌に訓練も受けていない雑兵であるから、その恐怖はなおさらだろう。

 そして、その恐怖は相手の今後の攻め手を鈍らせる。

 鈍った攻勢にこちらは矢を浴びせる。

 相手の攻勢は更に鈍り、敵は敗北を意識し始める。たとえそれが少数であっても、恐怖は伝播するもの。敵将が幾ら煽ったところで、すくんだ雑兵は進むまい。

 風――否、軍師程昱。

 敵の心をなますに刻む魔女。

 そして彼女はまだ――策を有している。

 情け容赦のない詰め手。

 確かに曹操軍は籠城している。

 しかし、『攻めているのは曹操軍』なのだ。

 守りながらにして攻める。

 秋蘭は思う。

 この娘が自陣営にいたのは、本当に幸運なことだと。 

 

 

 

 

 

「よくやったわ」

 華琳は城壁に上り、秋蘭と風をねぎらった。

 風の「焔の城壁」はいまだ燃え続けており、敵軍の進撃を押しとどめている。季衣と流琉は炎の内側に取り残された敵兵を駆逐し、先ほど戻ったところだった。

「は」

「はいー」

 ふたりは華琳のねぎらいに応える。

「長社から援軍が出たという話は来てないわ。恐らく宛の方と睨み合いをしているのでしょう」

「なれば、この炎が消えた時が勝負時」

「ええ、風の策で、相手には一万五千の損害が出た。残るは五万五千。こちらの損害はほとんどなし。野戦で十分戦える数だわ」

「そうですねー。ただ、大半が今戻ったばかりの兵ですから、休息を取る時間くらいは欲しいものですねー」

「うむ。だが、それは問題なかろう。あの炎の壁が燃えている間はせめてこれまい。迂回しようとするなら陣形が大きく歪むこととなる。黄巾賊といえど、そのような愚はおかさんだろう」

「そうだといいのですがねー」

 

 しかし、その希望は容易く打ち砕かれることとなる。

 

 突然、華琳の鼻を突いたのは猛烈な悪臭。

 そして、耳をつんざく強烈な悲鳴。 

 いったい何事か。

 城壁の上にいた者たちは皆目を見開き、そしてその光景に絶句した。

 炎の壁が、その勢いを失っていく。

 碌に水もなく、土をかける程度では収まらぬあの火炎を押さえて始めているものは何か。

 

 人間である。

 

 黄巾の賊徒はたちは、同胞を炎の上へと積み上げ、槍で突き、その血と肉で火を消しにかかっている。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 外道、人非人の所業。

 生きた人間を炎へくべるという下衆の極みの行いに、けれども火炎の城壁はその勢いを失っていく。

 そして、やがて――陳留の地に信じられぬほどの悪臭をまき散らして、敵は燃え盛る業火を消し去って見せたのだ。

「――狂っている」

 華琳の言葉はそれだけだった。

 黄巾の賊徒は進軍を開始する。

 焼け焦げ、爛れた仲間の遺骸を踏み潰して、進撃を開始する。

 華琳の言葉通り、黄巾兵は正気ではない。

 狂っている。

 壊れている。

 太平要術の力である。

 人間を洗脳し、物狂いへと蹴落とす魔書。

 そのおぞましいまでの効力を見せつけられ、華琳は歯噛みした。そして同時に思う。

 いらぬ、と。

 あのような魔書は、曹孟徳の覇道にふさわしくない。

 あれは、忠誠ではない。

 ただ肉で出来た人形がわけもわからず前進しているだけだ。

 そんなものはいらぬ。

 曹孟徳に必要なものではない。

 黄巾の首魁と共に、この世から滅してくれようぞ。

 華琳は外套をひるがえし、帰還した兵たちへ声を上げる。

「全員配置につけッ!! 黄巾の犬どもを、一匹たりとも入れるでないぞ!!」

 疲労に絡め取られているはずの兵たちから声が上がる。

 曹孟徳を賛美し、忠誠を誓う声が涌き上がってくる。

 これが忠誠を誓う臣下の姿だ。

 愛すべき配下の姿だ。

 そして、主は――彼らに全身全霊を持って応えねばならぬ。

 それこそが統べる者の使命。

 それこそが曹孟徳の宿命。

「秋蘭、風。ここは任せるわ」

 云い置いて、華琳は城壁を下りる。

 敗けてなどやらない。

 

 ――黄巾党は、この曹孟徳が滅するッ!!

 

 

 

「一斉射――放て!!」

 秋蘭の声に猛烈な矢が放たれる。

 籠城してからどれだけの時が経っただろう。

 流琉は秋蘭の傍らでそんなことを思いながら、彼女と共に指示を飛ばす。

 敵の様子は明らかに変わっていた。

 まるで意思というものがない。

 喜怒哀楽を一切感じさせず、ただ只管戦闘行動をとり続ける黄巾党はさながら昆虫のようだった。

 だから、流琉は恐ろしい。

 人間大の昆虫が大挙して城壁に押し寄せている。

 不気味で、鳥肌が立つ。

 こちらの士気も、かなり落ち込み始めていた。

 ただ、十分な休息を取らぬまま野戦に出るのは避けるというのが華琳の判断であり、それについては流琉も賛同している。

「秋蘭さま……」

 姉のように慕う麗人を見上げる。

 流琉の声に彼女は優しげに笑った。白い肌が、夕暮れの日に赤く染まる。

「大丈夫だ、流琉。もうじき日が暮れる。そうすれば敵の攻め手も退くだろう」

「はい……っ」

 折れそうな心を支える。

 敗けられない。

 ここで自分たちが敗北したなら、陳留はどうなるのか。考えたくもなかった。

「さあ、準備できましたよー」

 風が秋蘭のもとにやって来る。

「ただ計算が狂いましたねー。敵さんがあの様子では、これもどこまで効果があるのか分かったものではありません」 

 射台に装填されているのは大きな布袋。あらかじめ切れ目を入れてあるらしい。

 これが風の用意していた第二の火計である。

「うむ。だが、やらぬよりましだろう」

「そですねー。じゃあ、射台係りの皆さーん、うんと遠くまでお願いしますねー」

 刹那、布袋が飛んでいく。

 失速しつつ、白い小麦粉をまき散らしながら。

 敵軍前曲中ほどには、見る見るうちに真っ白い雲のような靄が出来上がった。

「ではでは、秋蘭ちゃん」

「うむ、ではいくぞ」

 秋蘭が火矢を放つ。

 そして、それは起こった。

 猛烈な爆発。

 強烈な業火。

 長社防衛戦にて虚が用いた魔業――粉塵爆発と言ったか。

 突然巻き起こった大火に敵前曲はあぶられる。

 しかし――。

「やはり、動揺はありませんねー」

 風の顔色は良くない。

「太平要術、ここまでですかー」

 人心を掌握し、揺さぶる風の策。

 二重の火計にて敵の心を折ろうというその策も、狂人相手では効果が薄い。

「うむ、しかし損害は与えられた」

「今は、それで良しとしておきますかねー」

 ふたりの会話は穏やかだ。

 だが、流琉はここで感じ取る。

 戦況はあまりにかんばしくない。

 秋蘭、風にいつものような余裕が感じられない。秋蘭は振る舞いこそ穏やかであるものの、その眸には長社の時以上の緊張を宿している。

 流琉は歯噛みする。

 口惜しい。

 策を練る才もなく。

 野戦でなければ大して役にも立たない己が、情けなくてならない。

 何か。

 何か、起死回生の一手はないだろうか。

 そこで煌めくものがあった。

「風さま」

「はいー、何ですかねー、流琉ちゃん」

「あの、敵の総大将を叩けませんか。総大将さえ討ち取ってしまえば――」

「そうですねー、太平要術を扱っているのも恐らくは総大将でしょうからねー。ただ、本陣まで突き抜けられるほどの部隊がいません」  

 やはり、力が足りないのだ。

 たとえば春蘭ほどの武があれば、自分がその役目を買って出られるのに。

「そのような顔をするな流琉。力及ばぬのは皆同じ。今なしうる最善を成すのだ」

 秋蘭に流琉は頷く。

 下を向いていても、落ちて行くだけ。

 ならば足掻けるだけ足掻いてやる。

 そう、流琉が決意した時。

「伝令ッ!!」

 土まみれの伝令兵が城壁を駆け昇ってくる。

「報告しろ」

「は、敵後方に動揺ありッ!」

 その言葉に秋蘭が瞠目する。

「なに……」

「なるほどです。太平要術は前曲にだけ使ったということですかー。それだけの全軍を洗脳している時間がなかったということですかねー」  

「そういうことか。だから今しがたの爆発で――」

 言いさした秋蘭に、伝令兵が首を横に振る。

「否。それは違いまする」

 そして、伝令兵はその表情を喜色に染め、立ち上がって胸を張り、勝利を宣言するかの用に、大声でこう告げた。

 

「敵後方にお味方ァッ!! 旗印は『虚』!! 真黒の虚旗ッ!! 虚さまがご到着なさいましたァッ!!」

 

 城壁から歓声が上がる。

 告げられた男の名。

 真黒の暴虐の名。

 風ですら、驚いて目を見張っている。

 

「虚さまより伝令ッ!! これより敵本陣へ突貫を敢行するッ!! 総大将を屠るまで耐えよッ!!」

 

 風が眉根を寄せる。

 怒っているらしい。

「虚隊の兵数はどれくらいですかねー」

「はッ! およそ千!」

 流琉は驚愕する。

 敵は五万五千。

 その中へたった千騎で突貫しようというのか。

「仕方がないですねー。お兄さんの本陣到達と同時にこちらも打って出ます。華琳さまにそう伝えてください」

 風の伝令を受け取って兵が去っていく。

「無茶苦茶な男だ」

 秋蘭は苦笑い。

「帰ってきたらお仕置きですから。お兄さん」

 風は珍しく悲しげな顔をしていた。

 戦場の風が強くなる。

 決着の時は近い。

 勝つにしろ、負けるにしろ――。

 

 

5    

 

 

 天和たちの目の前で、波才は肩を揺らして笑っていた。天和は妹二人を守るように抱きかかえている。

「こうなるような気がしていた」

 波才は言う。 

 天和には、何がおかしいのか分からない。

 ただ後曲は背撃され瓦解し、敵の援軍が一直線に本陣へ向かっているということだけは分かっていた。本陣の動揺は最早どうしようもないほどのに広がっている。軍の体裁を保っているとも言い難い。

 口々に叫ばれているのは、『真黒の虚旗』という言葉。

 天和も何度か耳にしたことがある。

 黄巾賊相手に無策な突撃ばかり繰り返す一団の話だ。ただその一団の兵たちは微塵の恐れも欠片の疑問もなく、真っ直ぐに突き進み黄巾を蹂躙するという。

 魔兵だ。

 魔兵がくる。

 虚の牙門旗を見た者の中にはそういって狂騒に陥る者もいるという。

 その魔兵を率いるのは、一人の漆黒の男。真っ黒な巨馬にまたがり、無手で突撃を仕掛ける狂人だという話。

 今ここに、この本陣に向かっているのは、その狂人だという。

 ――あの人と反対ね。

 天和は陳留で出会った純白の青年を思い出す。彼が白なら、虚という人物は黒。真反対だ。

 刹那、本陣の狂騒が一段と激しくなる。

 馬蹄の音。

 怒声。

 悲鳴。

 そして――魔兵たちが現れる。

 千の騎兵が押し寄せる。

 地鳴りがする。粉塵が舞う。

 魔兵たちは真っ直ぐに本陣を蹂躙し、天和たちは少数の護衛すら刈り取られる。

 それでも波才は動かない。

 ただ、笑って――待っているのだ、この男は。

 魔の騎馬隊はそのまま黄巾の本陣を突き抜け、前曲に突撃していく。

 しかし、全てではなかったらしい。

 天和はひと目見て悟った。

 この男が、虚。

 真黒の軍馬にまたがる、無手の男が姿を現す。

 波才は愉しげな笑みを彼に向けた。

「久しいな虚よ」

「――波才」

 虚は軍馬から舞い降り、天和たちの前に建つ。

「随分と無抵抗じゃないか、波才」

「ふ、この戦。貴様こそ、最後の一手。ここで貴様を狩ればまだ覆る。雑兵に意味はない」

「波才、哀れな男だ」

 虚は淡く笑って肩を竦める。

「俺はおまえと張角の首を取りに来た。よこせ、張角はどこだ」

 視線を巡らせる虚。

 彼の視線はすぐに天和たちを捉えた。ここには天和たち姉妹と波才しかいないのだ。少なくとも、生きている者は。

「――私です」

 天和は立ち上がる。

「姉さんッ」

 地和が叫ぶ。しかし、天和に出来ることはもうひとつしかなかった。

「私が張角です。このふたりの娘は道中捕えられ、私の侍女となった者たち。言えた義理ではありませんが曹操軍で保護をお願いします」

 天和は頭を下げる。ふたりの妹から抗議の声が上がる。しかし、天和が姉として出来るのはこれだけだった。

「分かった」

 虚の言葉に天和は顔を上げる。

「あ、ありがとうございますッ」

 礼を言う天和を無視して、虚は妹ふたりに迫る。

「私が張角なんだから! 私を殺しなさい!」

 地和が吠える。

 だが虚はそんな言葉に興味などないと言わんばかりに、地和の首筋に手を当て意識を刈り取った。

「黒王号!」

 虚の声に、真黒の軍馬が歩み寄る。虚は人和と意識のない地和を掴み上げると雑な手つきで。軍馬の上に乗せた。

「おい、眼鏡娘。そっちのもうひとりをしっかり押さえておけ。黒王号から落ちたら、死ぬぞ――行けッ!」

 同時、軍馬が走り出す。人和がこちらに何か叫んでいたが、それもやがて聞こえなくなった。

 これで妹たちは助かった。

 あの軍馬は戦場を無事に駆け抜けるだろう。天和には云いようのない確信があった。

「茶番は済んだか」 

 波才が構える。

「ああ、済んだ」

 虚が対峙する。

 

 これより、黄巾賊の存亡をかけた一騎打ちが始まる。

 

 

 

 虚は波才と対峙していた。

「よくもまあ、ここまでやったものだな、波才」

「我が大望のため」

「大華は散り際が最も美しい。――おまえの野望も散り時だ」

 虚の言葉に、芝居じみた動作で波才が両手を広げる。

 きらきらと、視界に光るものがある。

 瞬間の殺気に、虚は後ろへ跳んだ。――頬が切れている。

「今のを躱すか」

「――糸か」

「いかにも。わが斬鋼線にからめ捕れぬものはない」

 ゆらゆらと宙を漂う蜘蛛の糸のように、波才の手甲から伸びた鋼線が待っている。この時代にそのようなものを作る技術があるのかという疑問は捨てている。李典の螺旋槍で諦めはついていた。

 一閃、斬撃が迫る。

 躱す。

「どうした、虚」

 波才が跳躍する。

 上空から迫る鋼色の斬撃――左に跳んで躱すと、先ほどまで虚がいた地点が砕け散る。

 しかし、更なる追撃。

 右へ左へ舞飛びながら躱していく。

 だが、間合いを詰めることが出来ない。

 このままではジリ貧だろう。

 ならば、と虚は足を止め――前進を開始する。

「血迷ったか、虚!」

 波才は鋼線を放つ。

 回避。

 虚はかいくぐる。

 変幻自在の蜘蛛の巣を、漆黒の蝶は華麗に飛び躱していく。

「させんッ!!」  

 鋼線をかいくぐり前突する虚めがけ、波才は鋼線を収束させる。

 蜘蛛の糸が蝶に迫る。

 しかし、済んでのところで蝶は上空へのがれ、そして蜘蛛へと急降下する。

「ぬうっ!」

 波才が初めてさがる。

 虚の蹴りが空を切った。 

「無手では勝てんと得物を持ち出したのはいい考えだ。だが、そんなおもちゃでどうする、波才」

「ぬかせ……俺は負けん。天を砕き、地に落とすまで、俺は死なん!!」

 波才が鋼線を振るう。

 鋭い一閃が虚に迫る。

 しかし、虚は一歩も引かず――肉薄する鋼線に優しく指をからめた。

 瞬間、波才から鋼線の制御が奪われる。

「だから、おもちゃだと言ったろう」  

 虚は笑う。

 そして、制御を奪った鋼線で――波才の両の五指を斬り飛ばした。

 

 

 

 

 何が起こったのか、波才には理解できなかった。

 ただ、事実として――蜘蛛は己が糸に絡め取られたらしい。

 両手の指がない。

 眼前には漆黒の男。虚はせっかく奪った鋼線を塵同然に投げ捨て、こちらへ笑いかけている。

「天を砕き、地に落とす――見事な大言だ波才。だが、堕ちたのはおまえの方だったな」

 憐れむような声音に波才は激昂する。

「まだだ! まだ終わらん! 人は原初へと戻らねばならぬ!」

「狂ったか」

「わからんか、虚よ!!」

 波才は咆哮する。

「持ちたくば蓄えればよい、欲しければ奪えばよい。奪われたくなくば、力を持って守ればよい――だが、その始まりは等しくなければならない。人は裸で生まれ出ずる。しかし、次の瞬間には持つものと持たざる者に分かれ、その隔たりが打ち破られることはない。己の力で勝ち取らぬ者が富を得、己の力で守らぬ者が守られている!! 許されぬ! そのようなことは許されてはならぬ!! 人は原初へ戻らねばならぬ。皆等しく、己の力のみを頼りに生きて行かねばならぬ! それこそが正しき人の姿! それこそが正しき人の営み!! 俺は天を砕き、地に落とし、人を原初へと立ち返らせる者なりッ!! さあ来い、虚!! まだ指が飛んだだけだぞ! 俺は生きている! この波才は生きている!! 波才の大望は生きている!! かかって来い!! 戦え……闘えッ!! 虚ォォォォォォォォッッ!!」

 波才は疾走を開始する。

「それがおまえの宗教か」

 虚が呟く。

「おまえは俺を狂っていると言ったな! かもしれぬ! 世の流れを逆戻しにしようという俺は、狂っているかもしれぬ! だが構わぬ!! 我が大望をもって狂と称するのなら、我が切望をもって凶と称するのなら――この波才は、生まれ落ちたその時より、すでに狂っているッ!!」

 波才は走る。

 接近する。

 指のない腕を振りかぶり、虚を討たんと突撃する。

「見事だッ!」

 虚は満面の笑みで叫ぶ。

「見事な狂想! 見事な妄執! 狂った妄念の怨霊よ!! 狂気の虜囚よ!! いいだろう、戦ってやる! 闘ってやるとも! 括目しろッ!! 冥途の土産だッ!! 悪鬼の渾身の一撃――その身に刻めッッ!!」

 刹那、虚からあふれ出る猛烈な殺気を、波才は漆黒の瘴気として幻視する。

 猛烈に体温を奪われていくような錯覚。

 極寒の気魄。

 絶対零度の闘気にさらされる。

 しかし――波才は止まらぬ。

 否、最早止まれぬ。 

 坂道を転がり出した狂気の車輪は、壁に当たって砕けるまで、止まりはしない。

「――絶技」

 脳髄に染み入るような虚の声。

 瞬間、虚の姿が――消える。

 

 そして、波才の身体は宙に舞った。

 

 否、宙に舞ったのは――半分だけ。

 

 波才は中空から、地に倒れ痙攣する自分の下半身を見ていた。

 敗北。

 絶対的なまでの力量差。

 薄れゆく意識の端で。

「――武御雷」

 そんな声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 天和には何が起こったのかはわからない。

 ただ、どうにか理解できたのは、虚が波才の身体を真っ二つに切り裂いたのだということだけだった。

 虚は冷徹な眸でこちらを見ている。

 天和は悟った。

 次は、自分の番なのだと。

 ――優しく、してくれないかなあ。

 そんな間の抜けたことを考えてしまう。そのようなことが許されるはずないと、知ってはいるのだけれど。

 緩慢な足取りで虚がやって来る。

「覚悟は出来ているようだな」

 そこで天和は気が付く。

 随分様変わりしてしまってはいる。顔色は悪いし、髪は伸びている。

 しかし、この虚という男は間違いなく――あの時の、自分たちを守ってくれた、純白の青年だった。

「あなた――あのときの」

「久しぶりだな」

「別人みたい」

「こっちが本性だ」

「ふふ、こわい」

「でなければ、困るよ」 

 微かに虚の口調が崩れ、白い青年が顔を出した。

「覚悟は出来ています」

「そうか」

「あの――妹たちは」

「あのふたりなら大丈夫だろう」

 やはりこの青年は気が付いていたのだ。

「……よかった」

「俺は張角を討たねばならない」

「うん。分かってる」

「では、仕上げだ」

 

 虚はその言葉と共に――天和へとその腕を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 城内では勝鬨が上がっている。

 華琳はそれを城壁の上から見守っていた。本陣の崩壊した黄巾軍は見る見る間に瓦解し、やがて打って出た曹操軍に呑み込まれた。

 恐らくは太平要術の効果が切れたのだろう。洗脳者の死は、兵隊の狂騒を崩壊させるのに十分な知らせだったようだ。

 洗脳の解けた黄巾兵は投降するばかりであり、追撃部隊を組織するまでもなかった。ただ、捕虜の整理に時間は取られそうではあったが。

 桂花は少し休めと言って下がらせた。人手の足りない中、武官でもない身体で走り回り疲れがたまったのだろう。顔色が酷かったのだ。

 それに比べて風はケロリとしたものであった。虚に対する怒りがそう見せているのかもしれないが。彼の少数突貫に随分とお冠らしい。

 臣下たちに苦笑しながら、華琳は足元に視線をやる。

 ふたりの姉妹。

 虚の愛馬、黒王号が連れてきたふたり。季衣は彼女らに見覚えがあったらしい。曰く旅芸人の姉妹だそうだ。

「どうしたものかしらね」

「そうですねえ」

 季衣が隣で首をかしげる。

 この姉妹、陳留へ来てから何も話さずじまいなのである。

 華琳の叱責にも、怯えはすれども口は開かず、といった次第であった。これはもう、こちらへ寄越した虚を待つしかない。

 と、その時、秋蘭と流琉が城壁へ上がってきた。

「華琳さま、虚が戻りました」

 心なしか、流琉は青い顔をしている。

「分かったわ」

 応えると、秋蘭と流琉も虚を待つようにして華琳の傍らに控えた。

 やがて日暮れの城壁に、漆黒の男が姿を現した。

 傍らで、季衣が息を呑む。旅芸人の姉妹が短く悲鳴を上げる。

 虚は右手に抱えた『それ』をこちらに放り投げた。

 べしゃりと、嫌な音がする。

 若い男の、上半身だった。

 流れる汚物の臭いが鼻を突く。

「ふたつに千切れてしまってな。上だけ持って来た」

 ちょっと書類を見せに来た、とでも言いたげな調子で虚は言う。

「あなたね――」

「本気を出したらこうなった。文句なら鍛え方の足りんそいつに言ってくれ」

 虚は呆れた調子で肩を竦める。

「それで、そっちは?」

 華琳は問う。

 刹那、旅芸人の姉妹が悲鳴を上げる。

「姉さんッ!!」

「いやあああぁぁぁぁッ!!」

 虚は左腕に娘をひとり抱えていた。

 その娘の顔は青白く、生気がない。四肢はぐったりと弛緩している。

「ああ、こっちは繋がっているぞ」

 虚はふたりの姉妹を睥睨する。

「おまえたちの姉は、最後までおまえたちの身を案じていた」

「貴様ァッ!!」

 髪を結った方の娘が虚に飛び掛かっていく。しかし、彼女は見る見るうちに失速し、その場に腰を抜かしてしまう。

 虚の圧倒的な殺気。

 絶対零度の気魄にあてられたのだろう。

 武の心得などまるでないのであろう彼女には、吐き気のするほど辛いはずだ。

「一刀、加減なさい」

「いや、まだ少し高ぶっていてね」

 虚は眉根を寄せる。

「妹たちには幸せになって欲しい、だそうだ――さて、頼まれた伝言も終えた。華琳、黄巾党が首魁、張角を討ち取った」

「よくやったわ。何か褒美を考えなくてはね」

「楽しみにしている」

 華琳に微笑みかける虚は、やはりまだ少し、戦いの余韻にたぎっているようだった。

「よくも……よくも天和姉さんを」

 眼鏡の娘が怨嗟の声を上げている。

「俺に向かってくるか? 向かってくる以上、俺はおまえを敵とみなす。微塵の躊躇いもなく殺す。跡形もなく磨り潰す。それでもよければかかって来い――小娘」

 小馬鹿にしたように、虚が言う。

 眼鏡の娘は立ち上がろうとする。

 しかし、出来るはずがないのだ。

 虚の放つ絶望的なまでの闘気に、旅芸人ごときが抗える筈もない。華琳も全く同様のことが出来るゆえに、分かるのだ。芸人の小娘ごとき、気魄で抑え込むなどたやすい。

 ただ――虚も趣味の悪い『授業』をするものだと、華琳は小さく嘆息した。

「かーずーと。そろそろ悪趣味なお遊びは終わりにしたらどうかしら」

「――ん? もうか? この馬鹿どもにはもう少し」

「私が飽きてきたの。命令よ、止しなさい」

「わかった」

 そういうと、虚は抱えている娘――ふたりの姉らしい――の頬をぺちぺちと叩いた。

「ほら、いい加減に起きろ。旅芸人」

「ん、む、みゅ」

 寝ぼけた声を上げた後、娘がもぞもぞと動き出す。

 旅芸人のふたりは声を失っているようだ。

「あれえ。一刀ぉ……へへぇ。くんくん」

「ばか、匂い嗅ぐな。ほれ、愛しの妹たちだ。臭いをかぐならあっちにしろ」

 虚は呆れたような半眼を作ると、娘を妹たちへと放り投げた。

「いったぁーい。おしりうったー。一刀酷ーい」

「うるさい」

 不機嫌そうに虚は視線をそらす。

「一刀、随分と仲良しなのね?」

「変なことを言うな。さっさと、『その張角』の首を取って塩漬けにでもしてしまえ。上半身丸ごと朝廷に差し出すわけにもいくまい」

「それもそうね」

 その言葉に、ふたりの旅芸人は目を丸くする。

「へ?」

「あれ?」

 そんな妹ふたりをしり目に、姉は華琳へ礼をとる。

「この度、かず――じゃなかった。虚さまに保護して戴いた天和と申します。わけあって真名だけをなのっております。以後お見知りおきをくださいますよう、お願い申し上げます」

「天和。俺じゃない、これからは華琳――曹操がおまえの主……になるかもしれない相手だ」

「一刀、どういうことかしら」

 華琳は怒り半分の半眼を虚に向ける。

「俺からの――あくまで、提案だ。彼女、天和は旅芸人なんだが、中々に良い歌を歌う。華琳、きみのところで召し抱えてみたらどうかと思ってな。気紛れに拾ってきた」

「きちんと説明なさい」

「民や兵の娯楽になるのはもちろん、軍歌、国歌を作って斉唱させ、軍や国を統率する道具にすればいい」

「国歌――国の歌と云うこと?」

「そうだ。きみの作る国の在り方、目指す姿、理念を謳った歌を作るのさ。軍歌も同様に。そういった歌は娯楽の物よりもずっと厳かな曲調にすればいい」

「……考えてみる価値はありそうね。いいわ、取り敢えず保護はしましょう。ただ――使えなかったときは」

「煮るなり、焼くなり、放逐するなり――どうとでも」

 虚のなげやりな言葉に天和が抗議の声を上げるが放っておくことにした。次の瞬間には、三姉妹の再会劇が始まってしまったからだ。

「姉さん!」

「もー、地和ちゃんは泣き虫なんだからー。ほら人和ちゃんもよしよし」

「し、死んじゃったかと思ったわ」

「だいじょーぶ。何もされてないよ。ただ、血がいっぱい出るのを見て、腰が抜けちゃたの」

 そのセリフに、地和と呼ばれた娘が、虚を睨み付ける。

「あんた、なんであんな誤解するようなこと」

「馬鹿かおまえは。天和が気を失うその前に、言伝を残していたのは事実だ。おまえ、姉が命を懸けて救ったその身を俺に晒したな。勝てもしない癖に。激情に駆られ、姉の想いを土足で踏みにじったんだおまえは。死にたければ勝手に死ね。だが俺の前では二度と同じことをするな。胸糞が悪い」

 虚は冷酷に云い放つと、思い出したかのようにこちらをみる。

「ああ、そうだ。華琳――太平要術だ」

 放り投げられた一冊の本。

「天和の腰に挟まってた。まだ温かいぞ」

「……ばか。まあでも、これは私には必要ないものよ」

「言うと思った。ま、それもついでに拾ってきただけだ。煮るなり焼くなり好きにするといい」

 虚はまた肩を竦めると、

「さて、じゃあ、俺はこれで」

 去ろうとした。だが、そう世間は上手く回ってはいないらしい。

 

「お兄さん。素晴らしいお働きでしたねー」

 

「あ、おう。ふ、風じゃないか」

「はい、風です。流石、風のお兄さんですねー。五万五千の軍勢に、たった一千騎で突撃するなんて、信じられない働きなのですー。宛攻略のあとすぐにお戻りに?」

「そうだ、どうせ碌なことになってないだろうと思って……」 

「お兄さん。風の予想では二千は連れてこれたと思いますが、どうですかねー」

「あ、いや、宛になるべく兵力をだな」

 虚の言葉に風の表情が段々と不機嫌になっていく。普段表情の読めぬ風だが、虚の前では素直なものである。

「風にそんな云いわけが通じるとお思いですか、お兄さん」

「いや、その、だな」

「恐らく今回の作戦は千で十分でした。お兄さんの計算に間違いはなかったのです。ですが、千と二千、お兄さんの統率ではそれほど行軍速度は変わらないはず。ですがお兄さんは、結局千だけ連れてきました。これは今後の風聞を考えてのことですね」

「……」

「少ない戦力で大きな戦果を挙げたとなればそれだけ評判になります。一千騎で五万五千に突貫し、敵首魁を討ち取ったとなれば、お兄さん、それに華琳さまは英雄なのです。その風聞があれば支援者、出資者、志願兵の数もうなぎのぼり、華琳さまの事業に対する民の協力度合いも天と地の差があります。風もそれくらい分かっているのです。人の心を集めるのに、『物語』は大きな力を持ちますから。聞いていますか、お兄さん」

「……」

「ですが、それは二千でやったところで、差は微々たるものです。お兄さん。万が一のことでお兄さんが死んでしまったら、風聞もへったくれもないのです。わかっていますか」

「……」

「より良い結果を生むために、場合によっては綱渡りをしてのける。軍師はそういう生き物です。ですが、お兄さんはあまりにもご自分の身を危険にさらし過ぎなのです」

 風の説教は続いていく。

 秋蘭は『張角』の遺骸を布で包み、流琉と共にその場を去っていった。三姉妹や季衣も同様である。

 華琳とて暇ではない。

 あと半刻は続きそうな説教空間を残して、城壁を去ることにした。

 

 

 

 宛、陳留の防衛は成り、長社は孤立。

 その長社も半月もせぬうちに皇甫嵩将軍に攻め落とされることとなった。

 冀州黄巾軍は首魁の死亡の報せに瓦解、諸侯の食い物となった。 

 

 これにて、黄巾党の乱は終結を見ることとなったのである。

 

 

《あとがき》

 

 

 ありむらです。

 

 

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 

 

 さて陳留を守り切り、黄巾党の乱は終わりました。

 次回からは少し日常篇をやっていこうかなあと。

 いわゆる拠点回というやつですか。まあ、そんなかんじで。

 

 あ、ちなみに虚さんが天和ちゃんに手を伸ばしたのは太平要術を取るためです。念のため。

 

 

 

 それでは今回はこの辺で。

 

 

 コメント、感想、支援などなどじゃんじゃんください。

 

 その全てがありむらの活力に!

 

 次回もこうご期待! 

 

 

 ありむら

 

 

 

 追伸

 

 更新が遅くなりまして、もし待って下さっていた方がいらしたのでしたらすみません。秋は少し忙しいので更新頻度が落ちると思います。

 でもありむらは生きてますので大丈夫です。

 えっと、停滞中に「がんばって」とめっせーじをくださった方。ここにてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

 では本当にこの辺で。


 
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