No.471242

地獄のロスト・エンジェル 二章

今生康宏さん

メインヒロインは、ミントのはずでした。……でした
結果から言うと、出て来る女の子キャラ全員をヒロインとして扱って良いのだと思います

2012-08-16 23:47:13 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:250   閲覧ユーザー数:250

二章 恋する番犬 Kerberos

 

 

 

 レヴィアの一件が解決してからしばらくの間、僕は地獄の地形の把握とパトロールを兼ね、様々なところへミントに連れて行かれた。

 しかし、かろうじて町と言える地区以外はどこも似たような景色ばかりで、荒野の真ん中にあるものが川か沼か燃え盛る大地かのどれかぐらいの違いだ。

 太陽がないから西も東もわからないし、昼夜がないから時間の感覚が麻痺して、正確な距離なんかもわからない。そんな状況で地理を把握しろと言う方が無茶だ。驚くべきことにミントや多くの悪魔達はかなり正確に覚えているらしいが。

「お疲れー。久々の帰宅だね」

「地上で言う、何日分歩き続けたんだ……?」

「うーんと、二週間ぐらい?地獄は広いしね」

 やっと家に戻ったと思ったら、二週間か……。長い地獄旅行に行っていたものだ。

「でも、今見て回ったのはかなり重い罪人の地獄ばっかり。問題はもっと軽い罪の地獄に起きるんだよね……」

「何?じゃあ、僕は大して仕事に関係ない地獄を見て回らされたのか?」

「うん」

「うん、じゃない!僕は地獄観光を望んだ覚えなんてないぞ!僕はここに思い出作りに来たんじゃないんだ」

 何かおかしいと思っていたら、これだ。僕もこいつから離れられない手前付き合っていたが、完全に弄ばれているだけだったか。実に悪魔らしい限りだ。

 ああ、二週間会わなかっただけだが、レヴィアのあの善良な人格が恋しい。あいつに会えたら、荒んだ心も一瞬で浄化されそうだ。

「でも、確かにわたしの仕事とはあんまり関係なかったけど、エリスが地獄を出るために必要なかったこととは限らないじゃない?」

「……何か意味があったのか」

「おぼろげでも良いから、地形を把握しておいてもらわないとね。散歩に行くような感覚で地獄から出られるとは思ってないでしょ」

「迷わず、あれを駆け抜けろと言うのか。ふん……その気になれば、無理でもないだろうな」

 確かに地獄はどこも似ていて、特徴はそんなにない。各地獄を丸暗記しようにも、何も地獄は一本道で繋がった迷路ではなく、広大な荒野に責め苦を受ける場所が点在しているに過ぎない。方向を見失えばそれで最後だ。

 ……だが、僕は天使。全能に限りなく近い神に作られた全能に近い存在。思い出そうと思えば、今まで行って来た場所の景色を全て思い出すことも出来るし、それが出来る以上は、迷うこともなさそうだ。

 なら、ミントが歩いたのは全ての地獄を回る最短ルートということか。それが地獄の脱出の方法に関係していると見て間違いはない。

「さて、考えごとは置いておいて、早速だけど仕事だよ」

「ああ。でもお前、案外律儀な奴だな。こうして僕を振り回しているだけに見えて、ヒントを与えてくれている。悪魔にしては信用出来る方だと認定してやっても良いぞ」

「あはは。それはどうも。ま、わたしもエリスから教えて欲しいことはあるからね。悪魔も自分の利益が絡めば、正直になるってところだよ」

 打算で動いている辺り、可愛くはないが利用はしやすい。あくまでミントの方も、自分のために僕と「友達」でいるということだな。

 単純であんまり評価は出来ないが、効果は見込める作戦だ。現に、今回の働きで僕はこいつに少し心を許してしまい、情も湧いてしまった。こうなってしまえば、後足で砂をかける訳にも行かない。

「じゃあ、憤怒者の地獄に出発ー」

「またあの臭い沼か?」

「要注意エリアなんだよ。後、その次は貪欲者、それから暴食者の地獄にまで行こうかな」

 そろそろ焦げ臭さには慣れて来たが、沼や血の悪臭には慣れないな……。いや、それどころかレヴィアを助けに血の大河に飛び込んだ時、血の臭いには軽いトラウマが出来てしまったかもしれない。

 やっぱり、今すぐにでもここを出ないとな……。

 底なし沼の憤怒者の地獄、浪費者共が口汚く罵り合う貪欲者の地獄は、殺伐としてはいたが地獄的には平和だった。

 ……そろそろ、地獄の平和の基準というものがわかって来ている自分が嫌になる。

 もう地獄に来て、三週間ほど経つのか……。心はまだ高潔な天使のままでいる自信はあっても、体はすっかり馴染んでしまったのかもしれない。剥き出しの岩を踏みならして歩くのも、それほど不快には感じなくなった。

 体が飛べないことを当然のこととして受け入れ、少しずつ地を歩く生活に順応して来ているのだろう。

 屈辱には違いないが、ここで暮らすことになっている以上、ちょっとしたことでストレスを感じていてはたちまち理性を失ってしまう。この変化は素直に喜ばしいことと受け入れるべきか。

「じゃあ、次は暴食者の地獄だね。中々ショッキングなところだと思うよ」

「煮えたぎる河や、灼熱の炎で焼かれる罪人よりもか?」

「たぶんね」

 また随分とハードルを上げて来たな。少なくとも僕が今まで見て来た地獄よりマシな扱いを受けているはずなんだが、暴食は七つの大罪に数えられるだけあり、相当厳しいのか?

 ミントの案内に従って歩いて行くと、遠くに一際大きな建物が見えた。ミントの家や、町にある普通の建物のような住居とは違う。「施設」と呼んだ方が正しい巨大な牢獄のような建物だ。

 あそこで罪人は責め苦を味わっているのか。わざわざ外から見えないようにしている辺り、そのえげつなさが容易に想像出来る。

 これは、精神の強さに自信のある僕でも、見るに堪えないかもしれない。心して中に入って行かないと。

「ベレン、お邪魔して良いかな?」

 ここを監督している悪魔の名前だろう。建物のドアをノッカーで叩き、ミントが声を張り上げた。

 しばらくして、その扉が開く。中から姿を見せたのはくすんではいるが、懐かしい金色の髪を持った悪魔だ。

 天使は例外なく美しい金の髪を持ち、僕も自分の髪には自信があるが、この地獄で自分以外の金髪を見たのは初めてだ。軽く感動を覚える。

「あら、ミントさんですか。いつもの見回りですね?」

「うん。後、こっちのエリスの社会勉強のために、ちょっと中を見せてもらうね」

「だから、勝手に人を紹介するなと……」

 学ばない奴だ。いや、わざと嫌がらせでやっているな。

「なるほど。お噂はかねがね。危険も顧みず血の大河に飛び込んだと、特に女性陣の間では話題になっております」

「ミーハーな連中に持て囃されるためにやったんじゃないけどな。目の前で死にそうな奴がいて、それをお前達は助けないのか?」

「難しい話ですね。リスクなく助けられるのであれば、後々の利益と求めて助けますが、自分の不利益になり、大した見返りもないのであれば、切り捨てるでしょう」

「悪魔の見本みたいな意見だな。逆に清々しい」

 今日までの地獄観光の間に出会った悪魔の多くも、こんな感じの奴ばかりだった。何よりも自分の利益を優先し、無償の奉仕というものを嫌う。それこそを美徳とする天使からしたら度しがたい生き方だ。

 特に落ち着いた雰囲気のあるこの悪魔は、その気がより強そうに見える。かっちりとした服装、佇まいをしていて、人間で言えばビジネスマンタイプか。

「褒め言葉と受け取らせて頂きます。――では、どうぞお入り下さい」

 施設の中に足を踏み入れると、剥き出しの煉瓦や窓ガラスの代わりにはめられた鉄格子が、よりここが牢獄のような場所なのだという印象を強くさせる。地獄自体が巨大な牢獄のようなものだが、ここは特にそれらしい。あまり気持ちの良い場所ではないな。

「ミント。ここの責め苦は何なんだ?」

「もうちょっと行けばわかる……けど、あらかじめ言っておいた方が良いかな。暴食者への責め苦は、生前自分のしたことと同じ。つまり、悪魔に自らを食い荒らされること」

「そういうことか……」

 ここの管理者、ベレンに連れられて細い廊下を進むごとに、遠くから悲痛な叫び声が聞こえて来る。生きながら体を切り刻まれているような声だったが、正にその通りか。

 人を食う悪魔といえば、やはり地獄の番犬、ケルベロスだろうか?ここは地獄なのに、今までその姿を見ることはなかったのだから、その可能性は高いだろう。

「着きました。念のために言っておきますが、これは罪人への罰であり、定められた以上のことはしていません。ミントさんは大丈夫でしょうが、エリスさん。決して彼女の邪魔をしないように」

「罰を受けるべき魂まで助けようとするほど、僕はお人好しじゃないぞ」

 それに、穴に体を埋められ、その体を焼かれる人間や、蛇に噛み殺される人間を見て来たんだ。犬になぶられるぐらい、今更驚くほどのことでもない。

 鉄の扉を開き、松明の灯りだけに照らされた部屋の中に入ると、早速悪魔の手によって痛め付けられる人間の姿があった。

 想像と異なっていたのは、責め苦を与える者が人の姿をしていて、実際に噛み砕いているのではなく鞭を打ち付けていることだ。鞭といっても革製ではなく、鉄で作られていて、蛇腹剣という言葉の方がしっくりと来る。

 悪魔はガーベラのような優しいピンク色の長髪をツインテールにしていて、幼さの残る顔を愉悦に歪ませながら鞭を打ち続けている。かなり小柄で、人間の年齢なら十五歳ほどの見た目だ。

 これでボンテージにでも身を包んでいれば完全に「女王様」だが、服装はただの町娘のようなワンピースなのだから、余計にこの場にミスマッチしていて、違和感が半端なくある。

「あちらがセレスト、この地獄の罰の執行人であり、私の飼い犬です」

「飼い犬、か。まさかあれが三つの頭を持つ地獄の番犬、ケルベロスなんて言わないよな?」

「その通りですが」

「……この地獄で僕の悪魔の知識は本当に役立たないみたいだな」

 オルフェウスに竪琴で眠らされたり、睡眠薬漬けのパンで眠らされたりしていた地獄の番犬が、あんな少女だと?しかもあの悪魔、ケルベロスの代名詞である三つの首がない。そもそも、どう見ても犬ですらない。

 まだレヴィアタンであるレヴィアは人魚だったし、バハルドも最強の生き物と呼べる竜の姿をしていた。それなら認められるが、ことごとくあの悪魔にはその要素がないとは……。この分だと、弟であるオルトロスの存在も怪しい。

「どうです?ミントさん。ここでは相変わらず、私の犬が愉しんでいるだけです。鞭も規定のものですし、過剰な罰も与えられていないでしょう」

「うん。ま、あの子だけならやり過ぎがありそうだけど、調教師であるあなたがちゃんと見ていてくれるなら、安心だね。他は特にトラブルとかない?」

「特にはありません。問題があるとすれば、あの子が食事を多く摂り過ぎて、太りはしないか心配なぐらいです」

「あー……よくご飯食べるんだってね」

 そして、またもや僕を置いてけぼりの雑談だ。ミントとの地獄巡りはいつもこんな感じで、何となく地獄の内情を知れるのは面白いが、ただ待たされるだけというのは少しつまらない。

 暇潰しに周りを見てみるが、この拷問部屋は鉄格子のはめられた窓以外、特に目に付くものはない。

 ただただ、あのケルベロスのセレストが罪人の魂を鞭で打つためだけの部屋だ。調教師……つまり、あの犬のトレーナーであるベレンの性格通り、機能的で無駄のない作りということか。

「それじゃ、これぐらいでお暇するよ。またね。ベレン、それから、セレスも……って、耳に入ってないか」

「自分の世界に浸ってしまうと、外の世界が見えなくなる子ですから。――それでは、慣れない地獄での暮らしは大変でしょうが、エリスさんもお元気で。またいつでもいらして下さい」

「ああ……出来ればもう来たくないが、見回りのためにまた来るんだろうな」

 悲鳴を背中に聞きながら、さっさとこの正しく「地獄」の施設を後にした。

 あまりその悲痛な声を聞いていると、段々とそれが快感を訴えているもののように聞こえて来たりして、いかに僕の耳が繊細に出来ているのかよくわかる。

 まさか、あんな痛そうな鞭で打たれて喜ぶ奴なんていないからな。いたとしたらそれは筋金入りの変態だ。

 再び家に帰って来て、今度こそ体の疲れを取る。ここのベッドはあまり上質の綿が使われていないが、まあ体を休めるのにはぎりぎり及第点と言ったところだ。

 家事は全てミントにやらせて、僕は思う存分のんびりと出来るし、待遇はそこまで悪くないかもしれない。

 仕事の方も、レヴィアの時のように体を張らないといけないようなトラブルは今のところないし、天界で暮らしていた頃のことを思えば、今の方が良い生活を送っている……かもな。本当に。

 天界に争いは絶対にないが、天使達には社会性というものが欠如している。人間は社会的動物と古の哲学者が言ったらしいが、天使はその真逆だ。

 一人一人が自分だけの家を持ち、自分だけの世界に閉じこもって存在している。群れないからこそ、争いもなく、争いがないからこそ、法も圧力も必要ない。あるとすれば、神に反逆してはならないということだけだ。

 そもそも、人間が社会を作る必要があるのは、生きるためには物を消費しなければならないからであり、食事のいらない天使は自分一人で十分生きることが出来る。寿命もないから、楽しくもない時間を過ごすことにも慣れて、娯楽も必要ない。

 だが、僕はこの地獄にいて、「楽しみ」を感じることが出来ている。数百年ぶりに、自分の中に楽しい時間が流れていることを実感出来ている。

 皮肉な話だ。僕はあの男の謀略でこの最悪の世界に堕とされたのに、天界以上に充足された生活をしているなんて。

「ミントちゃん。もう帰ってる?」

 控えめなノックの音と、消え入りそうな声がした。間違いなくレヴィアのものだ。

 あの人魚に会うのも、随分と久し振りに思う。急に恋しくなって来て、ミントの代わりに僕が出ようとベッドから起き上がった。

「あ、エリスが出てくれる?」

「ああ。お前は雑務をこなしておけ」

 しばらく帰ってなかったから、とミントは熱心に部屋の掃除をしている。

 そう言えば、天界には家に積もる埃などもなく、永遠に全ての物は美しいままだった。今思えば、時が止まっているようで気持ちが悪い世界だったのかもな。

 ……なんで僕は天界をけなすようなことを思っているんだ。そんなにここが良いとでも言うのか?

「帰ってるぞ。ついでに僕もな」

 言いながらドアを開けてやると、目に見えてレヴィアの体と表情が硬直するのがわかった。

「どうした?僕がいたら不都合だったか?」

「い、いえ……」

 どう見ても、違うという様子ではない。いつの間にかに僕は嫌われていたのか?別に悪魔に好かれたいとは思っていなかったが、少しでも可愛いと思った相手に嫌われるのは少し来るものがある。

 まあ、それも良い。色々と考えはしたが、結局僕は天界に帰り、代わりにあの男を地獄に叩き落としたいんだ。

「ちょっと今、掃除をしているんだが、ロクにもてなせないし、今日のところは帰った方が良いんじゃな……」

「久し振りレヴィア!どうぞどうぞ。上がってー」

 こいつ……僕の言葉を遮る上に、乱暴に腕を引っ張りやがって。

 どうせいつでも会える相手なんだし、そこまで必死になる必要があるか?

「えっ……でも、良いの?エリス様は……」

「ここの家主はわたしなんだから。居候の言うことなんて聞かなくて良いよ」

「お前な……。いや、居候なのは認めるが」

「それなら……お邪魔させて、もらいます」

 どうやらミントは掃除を途中で無理矢理終わらせたようで、人を上げても問題のない状態になっている。

 僕が応対に出るまで、二分もなかったと思うんだが、どんな早業なんだ。

 ともかく、レヴィアを家に上げて椅子に座らせ、いつぞやの時のように紅茶を用意するミント。僕はと言えば、どうやら嫌われているらしいレヴィアと向かい合わせで、気不味い沈黙の中にいる。

「……もう怪我は良いのか?」

 しかし、目の前に会話の出来る相手がいるのに、黙っているというのも気不味いし、ちょっと寂しくもある。出来るだけ当たり障りのない話題を振る。

「はい……。お陰様で、もうすっかりよくなりました」

「なのに、まだロングスカートなんだな」

「変、ですか?」

「いや。やっぱりお前には似合っていると思う」

「……よかった」

「そんなに自分のセンスが信用ならないのか?お前なら、何でも無難に着こなせるだろう。特に、僕はそういう大人しめの服装が似合うと感じるが、完全に好みの問題だ。男の兄がいるんだし、そいつの好みに合わせれば良いんじゃないのか?」

「そう、ですね……」

 また、言葉の上では同意していても、表情は正反対だな……。僕の言うことが信じられないということか。

 くそっ、本当になんで僕の評判はこんなに落ちているんだ?何か悪いことをした記憶なんてないんだが。……いや、むしろ悪魔の価値観で言えば、それが悪いことなのか?

 悪魔なんてモラルの逆を行く存在なのだし、悪事をはたらくほど信用出来る存在、という考えがあっても不思議じゃない。なら、僕は永遠に悪魔とわかり合えないな。そんな必要なんてないが。

「はい、紅茶入ったよー……。エリスはやっぱりいらないんだよね?」

「お前がどうしても飲めと言うなら、考えなくもないけどな」

「レヴィア、どうぞ。さて、わたしもちょっと一息入れますか」

 ……完全にスルーとは、良い度胸だ。

 まあ、僕は寛大だからこんなことぐらいで腹を立てたりはしない。それに、今のはちょっと嫌みったらし過ぎたかな。うん。

「ミントちゃん。今まで、何をしてたの?」

「エリスを案内するがてら、下層の地獄の方にね。まあ、特に問題はなかったから良かったよ」

「それだけなら、もっと早く帰れたんだがな。こいつが他の地獄にまで連れて行くから……」

「ついでだよ。ついで。お陰で、美人二人に会えたでしょ?」

「美人……あの、ベレンとセレストか」

 まあ、美しいか醜いかで言えば、見た目は確かに前者だろうな。ただ、どちらも癖のある奴だった。

 まずベレンは最初見た時、男か女かすらわからなかった。事務的な喋り方だし、隙のない佇まいは男のようにも見える。声も高過ぎず低過ぎず、中性的なものだった。

 油断ならない相手だとは思ったが、いくら見た目が良くても会えて嬉しいなんて思わないな。

 セレストの方は、あれとまともに会話出来るかどうかすらわからない。鞭で人間をしばいている様子は、猟奇的以外の言葉を当てはめることは出来ないだろう。見た目は少女のそれでも、中身は野獣としか思えない。

「あんなのと知り合ったところで、一つも嬉しくないぞ……」

「よかった……」

「ん?レヴィア、どうした」

「ひゃっ!?い、いえ。何もありません」

 怯えられている、な。これは単純に、レヴィアが人見知りをするからか?僕が今まで会って来た悪魔の中では、間違いなく一番好みな相手なので、出来れば関係を修復したい。

 ただ、僕は今までほとんど人付き合いがなかったので、こういう繊細な相手と話すのは極端に苦手だ。下手に話したところで、悪化させるだけだろう。あまり話さず、ミントに任せる方が良いか。

「今日はお仕事してたけど、セレスなんかすごい可愛いところがあるんだよ?ね、レヴィア」

「う、うん……」

「あの狂犬が、か?と言うか、あいつに仕事してない時なんてあるのか」

「そりゃ、いくら鞭を振ってるのが好きでも、限界は来るからね。疲れたら、しばらく思いっきり遊ぶんだよ」

「あいつが思いきり、か」

 とりあえず、見た目相応の女の子らしく遊ぶ、というのはありえないな。

 結局、やってることはそんなにいつもと変わらないんじゃないか?腕が疲れているなら、今度は足で何かを蹴ったりしていそうだ。

 これから地獄で暮らしていれば、その姿を見ることもあるのだろうか。出来ればその前に決着を付けたいが。

「後、セレスって言えば、惚れっぽいトコがあるんだよね。前にバハルドに会った時なんか、ずっとべたべたしてたし」

「うん……。お兄ちゃん、迷惑してた」

「犬だけにじゃれ付くと言うことか。それはそれでぞっとしないな」

 もし、あいつの本性を知らなくて好かれるがままに恋人になりでもしたら、罪人と一緒に鞭で打たれそうだ。恐ろし過ぎる。

「それから、知ってる?ベレンの弱点」

「……確か、猫アレルギーだっけ」

「そうそう。本当は猫に触らないとどうもならないのに、見るだけで気絶しちゃうんだよね」

「シュール過ぎる光景だな」

 だから、犬の調教師なんかしているのか?セレストを犬と呼べるかどうかわからないが、それを言い出したらこの地獄に普通の猫はいるのだろうか。

 猫の悪魔なんてぱっと思い付かないが……いたとしたら、どうせ猫っぽさの欠片もない姿なのだろう。それでアレルギーが出るのなら、あいつも中々の不思議体質と言える。面白い奴かもしれないな。

「あの、ミントちゃん」

「どうしたの?」

「あたし、ちょっとエリス様にお話があるんだけど……」

 レヴィアが僕に話?一体なんだろう。てっきり、面と向かって話すのなんて出来ないと思っていたが。

「聞かれたくない話なんだね?じゃあ、わたしは外の掃除してるから、ゆっくりどうぞ」

 残った紅茶を一気に飲むと、レヴィアの返事も聞かず慌ただしく出て行った。

 家の中には僕とレヴィアだけが残され、またなんとも言えない雰囲気になる。

「僕に話だって?」

「はい……」

 二人きりになったからと言って、レヴィアがすんなりと話せるはずもなく、しばらく沈黙が続く。

 別にいらついたりはしないが、何を言われるのか、変に緊張してしまう。

「その、エリス様はミントちゃんのこと、どう思ってますか?」

「……ミント?どうって、僕はあいつのせいでこき使われているんだし、良い気持ちはあんまりしないな」

「では、えっと、可愛い、とかは?」

「全く思わない。見た目は良い方かもしれないが、それだけで惹かれるほど僕は単純じゃないからな。それに、前に言っただろ?ああいうお子様体型は好みじゃないんだ」

「そうですか……ありがとうございます」

 随分とおかしな質問だ。なんで、僕から見たあいつのことなんかを聞きたがる?

 こんなことを知って、何の参考になるかと言えば……いや、それはないだろう。僕を恐れているらしいし。

「あの、それからもう一つ、良いですか?」

「別に良いけど、何のための質問なんだ?」

「それは……」

 言いにくそうに口ごもってしまう。気の弱いレヴィアにこれは、ちょっと酷な質問だったか。

「いや、それなら良い。何でも訊いてくれ」

「すみません……。その、あたしのこと、なんですけど」

「ああ」

「エリス様は……あたし、に異性としての魅力を感じたり……しますか?」

「魅力、か。まあ、ある方だろうな。今まで会って来た悪魔の女の中では随一だ」

「っ……!そ、そうですか!」

 珍しく露骨に嬉しそうな声を上げると、口元を手で押さえて、顔を真っ赤にする。

 わかりやすい反応だな……。これぐらいで喜ぶって、よっぽど今まで男に相手にされて来なかったのか?だとしたら、ここの男は見る目がないな。醜いものを見慣れて、美を感じる目が麻痺しているのか?

「話はそれだけか?」

「は、はい。本当にありがとうございました。それでは、あたしはこれぐらいで……」

「もうミントに用はないのか?」

「はい。元々はエリス様に会いたくてこまめにお家を訪ねていて……。って、な、何もありません。それでは、さようなら!」

「あ、ああ。……最後だけ妙に騒がしいな」

 レヴィアが家を出て行くと、入れ替わりにミントが戻って来た。幸せそうな表情だったレヴィアと対照的に、機嫌が悪そうだ。

「はぁ……。だから、レヴィアを勘違いさせるようなこと言ったら駄目って、忠告したのに」

「勘違い?僕は素直にお前とレヴィアの印象を話しただけだぞ。誤解を招くような話はしてないけどな」

「だから、それがいけないんだよ……。あの子、良くも悪くも純粋だから。自分で蒔いた種なんだから、自分で何とかしてよね」

 僕が何をやらかしたって言うんだ?どうやら、レヴィアは僕に好意を抱いている節があるみたいだが、こいつ、単純に妬いているのか?……いや、それにしては語り口が妙に真剣だ。

 とりあえず、僕がすることと言えば、レヴィアに注意をしておくぐらいだろうか。あいつが変なことをするとは思えないんだけどな。

 そもそも、自分から積極的に行動すること自体が難しいような奴だ。今日、僕に質問したのにも、かなりの勇気が必要だったに違いない。それを見ていれば、普通に可愛いと思うんだが……何かあるのか?

 

 

 結局、この謎が解かれるのはもう少しだけ後になる。

 愛欲者の地獄。

 ここでは常に暴風が吹き荒れ、竜巻が全てを切り裂き、吹き飛ばし、常に砂埃が舞い上がるせいで視界もよくない。

 比較的罪の軽い人間が責め苦を受ける場所なのだが、見た目だけなら他の地獄よりも酷そうに見える。

 そして、こんな環境だけにちょっとした事件が起きやすく、現に今も問題が発生しているようだ。

「ああ。ミント、よく来てくれたな。ちょっと手を貸して欲しいんだ」

「ん、どうしたの?」

 僕達がやって来たことに気付くと、ここの管理者がすぐに近付いて来た。風が吹く地獄を管理だけするあり、背中に翼を持った男の悪魔だ。堕天使じゃないのは、尾羽まであることからわかる。

「散歩がてらにやって来た子が持ち物を飛ばされてしまってね。探してあげて欲しいんだ」

「こんなところに散歩で来るのか?」

「おっ、そちらはもしかして、噂のエリスさん?おお、天使なんて滅多に見ないから、新鮮だなぁ」

 そこまで僕は噂になっているのか……。今のところ、僕を知らなかった相手なんていなかったぞ。

「何を飛ばされたの?そもそも、相手は誰?」

「ほら、あの子……お隣の暴食者の地獄の、セレスちゃんだよ。お気に入りのスカーフが飛ばされて、俺を蹴って来たりして、手に負えなくて……。とりあえず俺が機嫌を取っておくから、さっさと見つけて来てくれないかな」

「ああ……。スカーフって言えば、黄色いアレだよね。じゃあ、探して来るよ」

「うん。本当に出来るだけ早く頼む」

 セレス、あいつか。やっぱり第一印象通りの粗暴な奴なんだな。

 あんな奴の機嫌を取らされるなんて、この男も不憫な奴だ。せいぜい、蹴り殺される前に見つけてやらないと。

「どっち向きの風に飛ばされたとかわかる?竜巻にさらわれたならどうしようもないけど……」

「あれは急な突風で……東向きだったな。そっちを探してもらえば良いと思う」

「東……また、あの血の大河の方角か」

 よもや、再びあのトラウマの地に向かうことになるとは……。

 河に落ちていたら、もうどうしようもないし、あの熱でどうにかなっていてもおかしくないだろう。あの血はしばらくすると蒸発するみたいだから、スカーフが血の色に染まってしまうということはないだろうが。

「あはは。エリス的には行きづらい?なら、セレスと遊んどく?」

「お前な……。僕はまだ死にたくないんたぞ」

 格好の弄りネタを見つけたと言わんばかりに、強気に出やがって。やっぱりこいつの生活の悪さは地獄随一だ。

「はは……これから俺が殺されるみたいなこと言わないでくれよ……」

「あながち間違いでもないだろ?じゃあ、僕達はもう行くからな」

 あいつに姿を見られてしまうと、なんとなく面倒なことになる気がする。さっさと退散してしまいたいが……そうも行かなかったようだ。

 砂埃で視界が悪いと言うのに、正に犬並の嗅覚か。問題の地獄の番犬がミントを見つけて駆けて来た。当然、僕も見つかってしまう。

「ミント久し振り!もうどれぐらい会ってなかったっけ」

「結構最近会ったんだけど、やっぱり気付いてなかったんだね。久し振り」

「あれ、そうなの?ねーねー、それよりこいつは何?彼氏?」

「こいつだと?僕はエリス、誇り高き天使だ。後、こいつの彼氏とかいう誤った認識はすぐに消し去れ。僕がこんな女と恋愛関係になる訳がないだろう」

「……なーんか、うっざい」

 こいつ……僕に対してそんな暴言を吐くことが許されると思っているのか?いくら知恵の足りない駄犬と言えど、言って良いことと悪いことがあるというものだ。

 これは、調教師であるベレンにちゃんと教育させておく必要があるな。

「あはは。うざいだってー」

「お前等な……。大体だな、セレスト。僕はお前の失くし物を探そうとしているんだぞ?これから恩人になろうとしている相手をけなすとは何事だ。お前は礼儀すらまともに教育されていないのか?」

「むぅ……。やっぱボク、この人嫌い」

「嫌うなら好きに嫌うが良い。元より僕は、お前に好かれたい訳じゃないからな」

 見た目通り、子どもっぽい我がまま娘と言ったところか。ケルベロスと言えばかなりの古豪な気もするが、こいつはもしかするとその子どもだったりするのかもしれないな。

 なら、情緒が子ども並でも仕方がないだろう。仕方がない、本来なら助ける気も失せるところだが、ここは年長者として頼りになるところを見せておくか。

 こういう相手は威厳を見せてやれば、付け上がることもなくなるだろう。

「あーあー……エリス、こういう子苦手そうだしなぁ。じゃ、わたしも行くね。セレス」

「うん……。お願い。あ、それからエリスだっけ。待って」

「なんだ?その空っぽに等しいお前の頭で僕と口喧嘩でもするつもりか?」

「そ、そんなんじゃないよ!ただ、キミには残って欲しいかな、って」

「どういうことだ?僕が行かなければ、探し物に時間がかかるかもしれないぞ」

「それなら、代わりにこの人を行かせれば良いよ。ボクはキミともっと話したいの」

 なるほど、なんやかんやと言って、僕と舌戦を繰り広げたいと言うんだな。上等だ。

 ちなみに僕の代わりに捜索班に指名されたのは、さっきの不憫なこの地獄の管理者だが、こいつのサンドバックになるよりはずっと良いだろう。

 まあ、僕は無様にやられっぱなしになるつもりはないし、逆に完膚なきまでに叩きのめして見せよう。

「あらら、意外。それじゃ、わたし達で行くね。出来るだけゆっくり探して来るからね」

「変な気遣いはするな。五秒で帰って来てくれて良い」

 追い払うようにミント達を行かせ、改めてセレストと向き直る。

 本当、見た目にはただの少女だ。今は鞭も持っていないし、知らずに出会えば地獄に相応しくないという印象を抱くかもしれない。

「で、僕と話したいだって?お前に懐かれるようなことを言った覚えはないんだけどな」

「ううん。言った。ボクに説教したのなんて、ベレン以外だとキミが初めてだよ」

「説教されて興味を持ったのか?あまり共感出来ない性癖だな」

「せっ……。ち、違うよ!結構真面目に感動したんだから!」

「冗談だ。……しかし、説教される相手もいなかったとは、どんな環境で育ったんだ」

「……見ての通りだよ。ボクはただ罪人を鞭で打つだけだった。それは楽しかったけど、それ以上何もさせてもらえない。たまの休みの時に他の悪魔と会っても、皆ボクを恐ろしがって、まともに接してくれなかった。

 ボクが迷惑をかけても、注意を聞くだけの頭がないって、放っておかれた。それが我慢出来ない悪魔は、ボクを蹴ったりした。ミントぐらいなんだよ。ボクに普通に接してくれるのって」

「ふーん。なるほど。お前の不幸自慢はそんなものか」

「なっ!」

「吠えるな。でも、それだけで同情を誘えるのは悪魔だけだぞ。天使のお涙は頂戴出来ない」

 それどころか……僕にとっては嫉妬の対象にすらなる。

 生まれた時から明確な役目が与えられていたなら、それは十分に幸福なことだ。対して、天使はどうだ?

 永遠の時間で何をするでもなく、無為に過ごして行く。仕事はと言えば、天界に来た魂を転生まで導くこと。その仕事に楽しみなんてものは存在しない。

 おまけに、その仕事をする番も滅多に回って来ない。何もすることが出来ないまま、生かされ続けるんだ。

 ……そんな中で僕が見出した唯一の楽しみであり、今尚僕が天界に戻ろうとする理由が、わずかに出来た友人だった。

 尤も、片方は僕を地獄に堕とした張本人。もう一人は……もう僕を忘れたかもしれない。僕は彼女の「特別」では、きっとなかったから。

「天使って……そんなに大変なの?」

「もちろん。お前が考えるより、よっぽどな。だが、お前が他の悪魔に比べて苦労して来たというのも、認めてやらないでもない。まあ、お前は慰めの言葉なんて欲しくないんだろ」

「う、うん。そんな、同情されるぐらいなら、友達になってくれた方がずっと嬉しいし」

「お前も友達、か。ミントとはもう友達になったのか?」

「うん。初めて出来た友達。ミントのことはすごく好き。もう地獄の皆と友達になってるかもしれないのに、ちゃんとボクとも遊んでくれるし、他の皆ともすごく仲良くしてるの。他の悪魔じゃあんなこと、絶対にしないし出来ないよ」

 ……どんな悪魔ともあいつは親しくしているのか。

 確かに、今まで行った場所では、必ずそこの悪魔と何らかの雑談をしていて、あいつが顔も名前も知らないような相手はいなかったはずだ。

 なら、僕を強引に「友達」にしたのは……まさか、な。あいつは僕に情報を求めて近寄って来たに過ぎない。

「なるほどな。でもセレスト、それなら友達はもう間に合ってるだろ?わざわざ僕のことなんか気に留める必要ないと思うが」

「好きなの」

「は?」

「一目見て、好きだと思ったの。ちょっと怖い人とも思ったけど、ボクのこと叱ってくれたし、ますます惹かれた。……彼女にして下さい」

「……おい、ちょっと待て。いや、ちょっとと言わず、無限に待て。犬なら待てぐらい出来るだろ?」

「待てないよ!ボクはちゃんと告白したよ!すぐに返事して!」

 僕に掴みかからん勢いで詰め寄って、叫んで来る。

 おいおいおい……なんだこれ。これがミントの言ってた、惚れっぽいってやつか?一目惚れからいきなり告白って、それにしても異常な速度だろ。

 しかも今この場で答えなければいけないらしく、すぐ傍までセレストの顔が近付けられる。相手の吐く息がわかるような距離だ。

「そ、そんなに生き急ぐのなら、今すぐ返事をしてやろう。僕はお前みたいなぐいぐい迫って来るタイプより、僕の半歩後ろで控えてくれているような女の方が好きだ。後、僕はお前みたいなお子様体型に興味はない。胸が並以上ある、これが絶対条件だ。よって、お前を彼女になどしない。はい、証明完了だ」

「キ、キミがそういうのが好きなら、ボクもそれに合わせるよ!それにボク、お子様体型じゃないもん!ほら、よく見てっ」

「相手に合わせる関係なんて、破綻するのが目に見えてるだろ。僕はそんな危うい関係を続けるなんて嫌だ。それに、お前は顔と背丈からしてお子様……」

 今まで相手が小さいせいで、顔ばかりが目に入って来ていたが、よくよく体の方を見てみると……馬鹿な。さすがにレヴィアには敵わないが、確かな膨らみがあるだと?ミントとは比較にならないほど、服の上からも胸が目立っている。

 地獄の番犬が少女の姿、しかも一人称は少年のよう、そして少女の見た目の癖してそれなりに胸がある、どこまでギャップだらけなんだ?こいつは。

 ついでに言えば、鞭で人間を打つことを好むような嗜虐的な奴のに、惚れっぽいとまで来た。

 ここまでアンバランスだと、面白いと言うよりもう、いかにこいつが歪んだ生き方をして来たのかがわかって、可哀相になって来るが。

「……お前みたいな猛犬が控えめな女になんてなれる訳がないだろ。それに、僕は悪魔を恋人にするほど落ちぶれてはいない」

「じゃあ、悪魔でもキミに愛してもらえるような子になれば、良いんだよね?」

「お前な……。そういうこと、誰にでも言ってるんだろ?僕は貞淑な子が良いんだ」

「うっ……た、確かに、今までは色んな男の人が好きになったりしたけど、キミは特別!……だって、ボクを恐れるのでも、馬鹿にするのでもなく、ちゃんと扱ってくれるもん」

「そ、それは僕が例外なく悪魔を見下しているからだ。僕にしてみればどれだけ賢明な悪魔も、お前も、同じくらい馬鹿で取るに足らない存在だからな」

「それでも……それでも、そんな悪魔、他には絶対いない。キミはボクのこと、真正面から見てくれるんだから!」

 どうしてここまで必死なんだ……こいつは。

 どうしてこんなに、涙をこらえたような瞳で僕を見る?単純に孤独だったのか?ミントがいたのなら、そこまで寂しがる必要もなかったはずだ。

 それとも、恋をしてみたい年頃なのか?一体こいつが何年生きているか知らないが。

「お前の思惑は知らないけどな。僕はこの地獄に恋をしに来たんじゃない。今すぐにでも出てやるつもりなんだ。仮に付き合ったとして、すぐに僕はここを離れるんだ。それはお前も本意じゃないだろ」

「えっ……?地獄を、出るの?」

「僕は天使だからな。天界で生きるべきだ。大体、僕は冤罪でここに堕とされたんだ。不当な罰を受け入れる訳にはいかない」

「キミ、地獄から出れるって思ってるの?」

「当然、方法はあるんだろ?現に数百年ほど前に一人の詩人が、生きながら地獄に来たというの事実があるはずだ。そして、そいつがそのまま地獄で暮らしているなんて聞いたことがない。人間に地獄を出ることが出来て、天使に出来ない道理はないだろう」

「そんな昔のことは覚えてないけど……今は地獄から出る方法なんてないよ。地獄の番犬のボクが言うんだもん。絶対って言い切れる」

「……はぁ?お前、冗談にしても言って良いことと悪いことがあるぞ?これは僕にとってかなりデリケートな問題なんだ。軽はずみに嘘を言って良いことじゃ……」

「それぐらい、ボクにもわかるよ。でも、本当。今の地獄に出口はなくて、もし出る方法があるとすれば、神の意思で天界に召喚された場合だけ。……でも、エリスの冤罪は神の耳に伝わってないんでしょ?」

 馬鹿な……。出口がない?確かにこの地獄の上空には青空ではなく、不気味な赤い空が広がっていて、洞窟か何かのような作りになっているのはわかる。

 でも、完全な閉鎖空間が存在すると言うのか?……いや、ここはただの洞窟ではなく、神によって作られた一つの「世界」と言える。なら、通常の物理法則が通用しなくても不思議ではない。現に部分的に重力が強かったり、いつまでも蒸発しない熱湯の河がある。

 じゃあ、僕はあいつに……ミントにずっと騙されていたということになる。あいつは、僕に地獄を出る方法を教えると言って、今まで僕を良いように使って裏ではほくそ笑んでいたのか?

 あの女、そこまでのクズだったなんて。数分前、一瞬でも裏表なく優しい奴だと思いかけて損をした。帰って来たら、すぐにでも斬り捨てるべきだ。……これだから、悪魔なんて僕は嫌いなんだ!

「セレスト。僕は今まで、あの女に騙され、利用されていたのがわかった。そのことはお前に感謝しよう。……でも、僕はあいつが戻って来たら即刻殺す。止めるなよ。止めたらお前も斬る」

「えっ、どうして!?ミントが何をしたって言うの?」

「あいつは僕に地獄を出る方法を教えると言って、僕を騙したんだ。僕があいつの金魚のフンのように付いて歩くのを見て、さぞ面白がっていたんだろうな。レヴィアを助けに煮えたぎる河に飛び込んだ時など、爽快だっただろう。悪魔にとって最も忌むべき天使がぼろぼろになって行くのだからな」

 あいつの気持ちになって考えてみると、更に怒りが湧き上がって来て頭がおかしくなりそうになる。よくもまあ、僕にあれだけ偽りの笑顔を見せていたものだ。その演技力には感心するよ。あの外道が。

「そ、そんな……ミントは悪い子じゃないよ!」

「お前にはそうだったかもな。でも、結局僕は天使で、あいつは悪魔なんだ。僕がお前達を見下すのと同じで、普通は悪魔の方でも天使を嫌うんだ」

 僕も気付くのが遅かったのかもしれない。今まで会って来た悪魔の中で、深く関わったのはレヴィアぐらいで、あれは明らかに変わったタイプだった。僕への接し方が他と違ってもおかしくはない。

 対して、他の軽く合わせた程度の悪魔達は、僕をきちんと……そう、セレストの言葉を借りるなら、真正面から見ていただろうか?

 軽く自己紹介ぐらいはしても、ミントの方ばかり見て、ミントとだけ話して、僕はいてもいなくても同じだった。

 ……そうか。そうだったな。少し考えてもみれば、わかることだった。僕がサーカスの檻の中に入れられた珍獣と同じなのだと。

 人間は猛獣を檻に入れて支配者を気取っているが、悪魔にとっては天使が害をなす害獣、か。

 ――ああ、僕にとっても同じだ。悪魔なんて、片っぱしから斬り殺しても問題ない存在だった。

「違うよ!……きっと、違うと思う。だってボク、他の堕天使も知ってるけど、ミントは普通に接してたもん!」

「そいつ等は自ら地獄に堕ちることを望んだんだろ?でも、僕は再帰を図っている。それが気に入らないんだろう。――セレスト、もう僕に関わらない方が良い。お前は恩人ということになるが、あまりうるさく言われると、まずお前から殺してしまいかねない」

「エリス……」

 剣の柄に手をかけながら、一体どれだけの時間を過ごしたのかはわからない。

 傍らには無言でセレストが控えていて、この犬娘もその気になれば静かにすることが出来るのが証明されたな。でも、もうそれも意味をなさない。

 こいつは僕を好いてくれているとしても、今の僕が悪魔を愛せるはずもないだろう。

 しかし、ミントから渡された剣で、ミント自身を斬ることになるとはな。あいつがこんなものを渡さなければ、僕は大した攻撃の手段を持たなかったというのに、皮肉なものだ。

「ただいまー!ほとんど汚れてなくて、奇麗な状態であったよ。良かったねセレス」

「うん……」

「ん?どうしたの?」

 やがてミントが戻って来たが、スカーフを届けさせるぐらいはしてやる。僕は悪魔じゃないんだ。それぐらいの情けはある。

 だが、それさえ済んだらもう心残りもないだろう。セレストを巻き込まないように離れるのを待ってから、軽く跳躍して肉迫しながら一気に剣を振り抜く。狙いを過たず剣は首を斬り裂こうと宙を滑って行ったのだが、すんでのところで身を反らして避けられた。

 見てから反応したとは思えないほどの速度、並大抵の瞬発力ではない。

「うわっ、危なっ。ちょっとエリス、どういうこと?」

「お前自身が一番よくわかっているだろう?僕を謀った報いをここで受けろ!」

 再び剣を振るうが、今度は目を突き刺すように吹いて来た風に狙いを邪魔された。戦う場所に救われたか。悪運の強い奴め。

「謀った?わたし何か、騙すようなこと言ったっけ」

「僕に出会って、すぐに言ったことだ!この地獄を出る方法なんてないんだろ?セレストから聞いたぞ!」

 空気ごと斬り裂くように、勢いよく剣を振り下ろす。完全に臨戦態勢に入ったミントはそれも避け、続く攻撃を自分の得物を呼び出して弾き返した。どことなく以前僕の持っていた宝剣に意匠の似た槍だ。

 ……いや、これは明らかに神器と呼ばれるほどの名品。普通は天使しか持っていないような品だ。それをなぜ、悪魔であるこいつが?

「ああ……。そりゃそうだよ。この地獄から出る方法なんてない。……普通はね」

「なんだと?」

「昔に比べて、考えられないほど人間は罪深くなってしまった。だから、天界に行く魂は少なく、ほぼ確実に地獄に送られる。あまりに罪深い魂は救済を与える必要なんてない。だから、絶対に地獄から出れないシステムが作られた!」

 恐ろしいほどの力で槍が叩き付けられ、危うくそのままバランスを崩して倒れそうになる。

 神器を相手にするとなると、さすがにこの安っぽい剣では辛いか。

「経緯はどうでも良い。問題はお前が嘘を吐いていたのか、そうじゃないかだ」

「嘘なんて、吐いてないよ。わたしの知る方法は本来の地獄の道理を超越している。だから普通は誰も知らないし、簡単に教える訳にはいかない。だから今まで秘密にしてたの」

「じゃあ、本当にそんな方法があると言うのなら、今すぐ教えろ!そうすれば命は助けてやる」

「だから、それが出来ないんじゃない!あなたからまだ天使を殺す方法を教えてもらってないんだから!」

 ミントはずっと槍を薙ぐだけで、刺そうとはして来ない。つまり、僕を本気で傷付ける意思はないということだろう。

 尤も、たとえ神器と言えど、天使を殺すことは出来ない。……その不可能を可能にする方法を、僕は知っている。でも、今この状況で教えられるはずがない。そのまま僕は殺されてしまうだろうから。

「……僕を信用させられるほどの情報をあらかじめ渡せないと言うのなら、何かお前の大事なものを一つ、担保に寄越せ。なら、僕も信用出来る」

「大事なもの?そんなの、この地獄の皆ぐらい。何か目に見える物としては何も渡せないわ。でも、わたしを信じてくれるなら、絶対にあなたを助けてあげられる。……だから、信じて!」

「信じろ信じろうるさいっ。お前は僕が地獄に堕ちた理由を知っているんだろ?僕が信頼を裏切られたことを知っているんだろ?……なら、軽々しく自分を信じろなんて言葉は出て来ないはずだ。何もかも、僕を釣るための嘘だったのはこれで明らかになった!」

 倫理的にどうとか、そんなんじゃない。僕はもう、個人的に、完全に私怨でこいつが許せない。殺したい。殺さなければならない。

 槍先を弾き返し、即座に繰り出した上段への一撃が遂に相手の体を捉え、浅くだが肩を裂き、そこから血が滴る。

「……そんなに信用出来ないなら、わたしの手足を縛ってから、教えてくれて良いから!わたしを殺したら、本当にあなたを誰も救えなくなるんだよ!?」

「お前……もう少しマシな命乞いはないのか?残念だが、そんな安い脅しではいそうですかと言う僕じゃないぞ」

 散々、僕を弄んでおいて、この最期は正直興醒めだな。でも、こいつに情けをかけるつもりもない。

 剣を振り上げ、踏み込みながら振り下ろす――そこで、背後から迫るものがあることに気付いた。即座に振り返り、僕に向けて振るわれた鉄の鞭を弾き返す。セレストか。ミントが逃げる時間を稼いだつもりか?

「セレスト。頼むから僕の邪魔をしないでくれないか?」

「いや……!ミントは絶対、嘘なんて吐いてないよ。だから、信じてあげて!」

「だから、気安く信じろなんて言うなって……。僕は天界で一度裏切られ、この地獄でも裏切られたと……少なくとも僕は思っているんだ。これ以上僕に他人を信じさせて、裏切りの絶望を味あわせると言うのか?」

「じゃあ、今からボクがミントの自由を奪うから、それなら良いんだよね?ちゃんと情報の交換が出来たなら、ミントのことが信じられるってはっきりするんだから」

 こいつは……本当に羨ましくなるぐらい単純で、素直な思考回路をしている。多くを知り過ぎてしまった僕には、眩しいくらいだ。

 それに、僕が好きだと言っている。……そして何より、僕と境遇が似過ぎていた。

 こいつを強引にどうにかして、ミントを殺すことは僕には出来ないし、する気も全く湧いて来ない。

「勝手にしろ。僕の安全が確約されるなら、いくらでも話してやる。殺し方を教えたところで、お前が僕を殺せるとも思えないしな」

 セレストはわかりやすくさっきまでの悲しみの色を吹き飛ばし、一転笑顔になった。……本当にこいつは、子どもみたいな奴だ。正直羨ましい。

 気を遣ったのか、そう言えばミントと一緒に戻って来ていたここの管理者も空に飛び立つ。まあ、あいつぐらいの低級悪魔にも負けるつもりはない。

 一方、どこから取り出したのか、セレストはロープを取り出し、起用なことにそれ一本でミントの手足を拘束して行く。あれだけ人を鞭で打っていただけあってか、こういうことは得意なようだ。

「それじゃ……ボク、聞かないようにしてるから」

「ああ。後は僕が全部やる。もう戻って来なくて良いぞ」

 ミントが本当に地獄脱出の方法を知っているなら、ロープを切ってやる。嘘だったなら、無抵抗なミントをこのまま斬るだけだ。

「まずは僕からだな。お前が知りたいのは天使を殺す方法、それで良いんだな?今更追加や詳細な指定は許さないぞ」

「それだけだよ。それに、天使なんて超物質的な存在を殺す方法がそう多くあるとは思ってないから」

「……そこそこ勉強はしているみたいだな。なら、詳しい説明が省けて助かる」

「わたしが知ってるのは、表面上のことだけ。どうやってあなたがここに存在しているのか、その原理すらわからない」

 僕の姿が本物かどうか疑っているのなら、こいつの理解は十分だ。

 ――そもそも、天使は本来なら肉体を持たない。霊的存在であり、ゆえに人や悪魔を超越した力を持つ。

 具体的には圧倒的な物理的衝撃への耐性。これは当たり前だ。霊体なら、普通は形あるものによる衝撃を完全に透過してしまう。

 次に、浄化能力。他の悪意ある霊的存在……つまり、人間の魂を天界へと葬送する力も持っている。人間のする悪霊祓いとはまた違い、それよりずっと確実なものだ。天使が直接人間の魂に触れれば、この力を発動させることが出来る。

 他にも色々とあるが、枚挙に暇がなく、どれも簡単には説明出来ない。悪魔とは違う、優れた存在だと認識すれば良い。

「僕がここに肉体を持って存在している理由は、シンプルなものだ。セレストのしていたことを見ればわかる。あいつは人間の魂を打っていた。魂もまた霊的存在なのに、鞭のような原始的で魔力的でない道具で触れることが出来た。これは道具やセレストが特殊なんじゃない。この地獄そのものの環境が天界や地上と異質なんだ」

「……つまり、地獄には霊体に実体を与える力がある、と」

「その通り。僕もその力によって、本来は肉体を持たない天使でありながら、実体を得たことになる。もう少し言えば、堕天使と言うのは肉体を持った天使の蔑称だ。肉体を持った時点で、天使の人間や悪魔に対する優位性はほぼ完全に消滅したことになるからな。まあ、沸騰した血の大河に落ちても平気な辺り、かなり頑丈な体になっているみたいだが」

 実はあの時のレヴィアを助ける行動は、結構な賭けだった。

 霊体の頃の常識で言えば、煮えたぎるマグマに落ちようが、氷河に沈められようが生き残る自信があったが、人並、普通の悪魔並の脆弱な体なら、あっという間に僕の体は全身火傷を負っていただろう。死ねないし、ずっと苦痛に苛まれるところだった。

「お前が知りたいのは、この体の壊し方だったな。僕もまあ、実際に肉体を得るのは初めてだから、これも伝え聞いたものに過ぎない。僕で試す訳には行かないしな。だから、信じるかどうかはお前が決めろ。

 方法は二通りある。一つは、肉体を得た天使の体を血で汚した上で、普通の人間や悪魔にするように殺すという方法だ。血で汚すとは、直接的な意味ではなく、比喩的な意味だ。実際に血を浴びた状態で殺すのではなく、悪魔でも人間でも良い。およそ殺すことに強い罪悪感と背徳感の生まれる生物を殺させる。そうすれば天使は完全に穢れ、己の不死性を失う。普通に殺せる訳だ。

 二つ目は、かなり強引な方法だが、神が自分の意思で天使を殺すためのものだ。神の武器、つまりは神器や天界の宝剣の類で天使を規定の回数、傷付ければ良い。この回数は天使の格、個体差によって変わって来る。最低でも十回以上、多い場合には百回にも千回にも及ぶだろう。まあ、全能に限りなく近い神ならば、一挙動で数千回切り刻むのも不可能ではない。

 これ等の方法で天使を殺せば、肉体は滅び、その精神も消えるらしい。逆に言えば、霊体である限り天使は無敵とも言えるな。ただ、神は自由に天使に肉体を与えることも出来るらしい。僕が知っているのはこれだけだ。十分だろ?」

 十分どころか、相当に深刻なレベルの情報漏えいだろう。ここが地獄でなければ、僕はどうなっていたかわからない。

 果たして、ミントがこれに見合う情報を僕に与えてくれるか、だ。

「ありがとう。包み隠さず教えてくれて」

「別にまだお前を信用して話した訳じゃない。早くその、お前しか知らないという脱出の方法を話してくれ」

「……うん。それにはまず、わたしのことを話さないと。いい加減気付いていると思うけど、わたしはただの悪魔じゃない。今は悪魔と呼ばれてはいるけど、かつてはあなた達天使にも近しい存在だった」

「話が見えないな。天使に近しいとは、どういうことだ?神は天使のような存在を二つと作ってないはずだ」

「ワルキューレ。あるいはヴァルキリア。それがわたしの種族名。役目は戦場で亡くなった勇士の魂を、オーディン様のおわすヴァルハラへと導くこと。やっていることは、あなた達天使と似ているかもしれないし、悪魔でも人でもない、微妙な存在。尤も、あなた達の神から見れば、わたしも、わたしの神も悪魔でしかないのだけど」

 オーディンにワルキューレ?僕は詳しく知らないが、異教の神と、それに使える戦乙女の名前か。

 なるほど……だからミントは何の悪魔なのか僕にはわからず、分不相応にも思える神器を所持していたのか。異教の神々のことまではほとんど僕の知識が及んでいない。知る必要もなかったからだ。

 早々にそういった神やその眷属は悪魔として、地獄に落とされるか、地上の片隅へと追いやられた。僕が生まれた時代には、ほとんどその残滓すら感じられないほど、埃を被ったものになっていたのだからしょうがない。

「地獄からはもう、通常の方法では出られない。でも、オーディン様はこの地獄の理の一端であれば、捻じ曲げるだけの力を持っておられる。つまり、私の力を使い、オーディン様の協力を得て、あなたをヴァルハラに召喚する。そうすれば、あなたは地獄を出られる。ヴァルハラはもう天上の宮殿などではなく、地上の古びた古城に過ぎないけど、天使のあなたならそこから天界へ駆け上がることも出来るでしょ?」

「理屈は理解出来る。お前の言うことが全て真実で、異教の神が本当に地獄に干渉出来るのなら、確かになんとかなりそうではあるな。だが、それと天使の殺し方に関係はあるのか?」

「……もちろん、ちゃんと関係性はあるよ。あなたを首尾よく逃がせたとして、わたしはその後どうなるかわからない。だから、その前にやるべきことをやっておかないと」

「お前の私怨か何かか。じゃあ、お前が満足するまで僕は地獄を出られないということだな」

 もう十分過ぎるほど遠回りをして来た。ちゃんと地獄を出ることが出来るのなら、今更少しぐらい時間がかかってしまっても文句は言わない。

 それに、こいつが恨みを持ち、殺したがっている天使のことも気になった。

「ごめんなさい。でも、これだけはどうしてもやり遂げないといけないから……」

「どういう相手なんだ?僕にとっても気に入らない相手なら、協力してやらないでもない。その方が結果的に早く出られることになるしな」

「……大天使、アスタロス。地獄での名前はアルフレド。毒蛇を操り、竜を駆る地獄の悪魔の支配者。サタンの側近としても知られる……死ななければならない存在」

 その名を紡ぐ間中、ミントの表情には影が差し、口調はさめざめとしていた。普段のこいつからは考えられない……いや、これこそが本性なのか?それにしても、僕と刃を交えながらも、どこかおどけていたミントにしては、らしくないと言える冷酷な表情だ。

「死ななければならない、とは?僕はそいつが堕落してから生まれたから、どれくらい外道かよく知らないんだが」

「わたしも、奴が天使だった頃のことは知らない。でも、堕天使となってからのアルフレドは、目に余る暴虐ぶりを見せている。意味もなく悪魔を殺し、人に必要以上の罰を与え、地獄を更なる混沌に陥れようとしている。これ以上の悪魔的悪を体現した存在は知らないくらいだよ」

「かつての大天使が最悪の悪魔になった、という訳か。それを言えば、サタンもそうだったか。――じゃあお前は、治安維持委員の最後の仕事として、諸悪の根源とも言えるその堕天使を殺したい、と言うことだな」

「その通り。わたしの今までして来たことは、いわば地獄の延命措置だった。小さなことを積み重ねて、少しずつでも地獄を変えて行く……でも、一番手っ取り早い方法は、奴を討つことだから」

 確かに、こいつの今までの活動は効率的とは言えないものだったな。警察の真似事みたいな雑用を繰り返して、それで治安が良くなるかと言えば、まあ普通は無理だろう。

 だから、天使であり、件の堕天使の手下でもない僕に情報を求めたという訳か。

 計算づくで接触して来たというのは気に入らないが、天界ではなく、地獄で好き放題やっているその姿勢には、僕も少なからず反感を覚えるし、話を聞いていてなんとなく思った。そいつのことが気に入らない。

 僕の中で未だ錆び付かずに残っている「正義感」がそう言っているのだろうか?

 あるいは、同じ天使としての恥じる気持ちかもしれない。

 ミントみたいに、悪魔のためとは言えど正義をなしたり、僕のように天使としてあるべき意識を持ち続けることもしないで、堕ちるところまで堕ちた天使が、許せないのだろうか。

 どちらでも良い。僕を地獄から出してくれるついでだ。もう少しこいつを手助けしてやろう。

 剣を振るい、一瞬の内にロープをばらばらにする。今切ったのは手と足の二カ所。本気を出せば一秒間に五回は切れそうだが、大天使を相手にするともなると、数百回は切ることを覚悟しないとな……。

「えっ……良いの?」

「お前の話には現実味があったからな。嘘じゃないと判断した。第一、さっき切り結んだ感じだと、お前が僕を何十回も切れると思えなかったしな」

 心底驚いたような顔をしているが、このまま斬られると思っていたのか?

 さっきまで、あれほど僕に信じろと言っていたのに、内心諦めかけていたのだろうか。ちょっと心外……とも言えないな。正直、僕もミントを殺す気でいた。

「じゃあ、早速作戦会議をした方が良いな。僕は相手の情報を全く知らないし、お前の戦力も全部把握していない。……さっきはどう考えても本気で僕を殺しに来ていた訳じゃなかったからな」

「うん……。ありがと、エリス」

「礼を言うのは全部終わってからにしろ。……そしたら、僕もお前に多少は感謝してやる」

 ……そうだ。僕はまだ、ミントに感謝されるほどのことをしていない。むしろ、僕の方が今すぐに頭を下げるべきだろう。

 思ってはいても、実行出来ない訳だが……お互いに肩の荷が下りた時になら、素直に言える気がする。

 

 だから、すぐにでもミントを助けてやろう。


 
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