【幕間 ⅰ】
「拙いことになったわねん」
薄暗い店内――氷がグラスを叩く音に混じって、低い声がそんなことを呟いた。
外史の狭間の不思議な店。
貂蝉は久方振りにその店を訪れ、そして、開いた『窓』からことの成り行きを見守っていた。否、見守ることしか出来なかった。
グラスに残った氷を頬張って噛み砕く。ただ、彼女にしてみればもっと別のものを噛み砕いているつもりだった。
「らしくありませんでしたね」
「あら、マスターちゃんもそう思う?」
三つ編みを弄りながら貂蝉が難しい顔をする。
「ええ、本来の曹孟徳であれば、あのような沙汰を下すことはありませんでしょう」
「そうよね、曹操ちゃんらしくなかったわん」
「曹孟徳であれば、相手の力量を見抜けなかったことを己の不徳とすれども、一心に処断しようとはしませんでしょう。先ほどの彼女はいささか感情的で、視野狭窄に陥っているように見受けれられました」
店主が冷静な声で云う。
「最悪の場面で来てくれちゃったわねん――『揺れ』が」
「――『揺れ』ですか」
そう問い返しながら、店主は新たな酒を貂蝉に用意する。
「そうね。外史を統一し、それをもって真実の世界として成立せしめる――軸の外史に他の外史が飲みこまれることによって生じる『揺れ』。それはあまねく外史に生きる者に降りかかりうることだわん。今回の曹操ちゃんのように、らしくない振る舞いをとったり、ともにある筈だった者たちの運命が狂わされたり、あるいは体調に変化が出たり――さまざまな形で軸の外史は『揺さぶら』れ、これまでの外史とは大きくことなった流れを辿っていくでしょうねん」
差し出されたグラスに口を付けて、貂蝉は短く嘆息した。
「今回の件だって――」
貂蝉は悩ましげに唇をゆがめた。
そう、すでに思っていた流れから、随分と外れはじめている。
「曹操ちゃんとご主人様の関係はもっと違うものになると思っていたわん。初めての外史の時のご主人様と孫権ちゃん。次の外史の時のご主人様と劉備ちゃん。それと同じように、盟友であり愛する人になると思っていた。でも――違ってしまったわん」
口にした酒はいつもと同じ銘柄であったはずなのに、随分と苦く感じた。
「忠義を超えた血の盟約、ですか」
「そうねん。これまでにない、分かりやすくも歪な関係。『揺れ』によって引き起こされてしまった、ふたりだけの特別性。不必要な特殊性」
でもねん――と貂蝉は続ける。
「ご主人様の動きようによっては、この関係はとっても『使える』わ」
そう云っている自分の声がいつになく冷たいことに、貂蝉は気付いていた。
「まさかご主人様がそこまで読んで今の関係に持って行ったなんてことはないでしょうけれど、でも今の関係は今後に大きく生かすことが出来る。最良の結果に大きく近づくわん」
「それは――北郷さまにとってですか?」
「――外史にとってよん」
だから。
「ご主人様にとっては――いいえ。曹操ちゃんにとってはきっと、悲しい道になるでしょうねん」
その言葉に、店主は何も云わない。
「ご主人様の最後の顔、見たかしら」
「優しいお顔で、曹孟徳を抱いておいででした」
しかし、貂蝉はそこで目を伏せる。
やはり、そう見えていたのかと。
「違うわ、マスターちゃん」
あれはね。
「悪鬼の顔よ」
店主の動きが止まる。
彼のこんな顔を見たのは初めてかもしれないと、貂蝉は意図せず笑ってしまった。
「ご主人様はきっと、今の外史に渡る前に、人を捨てていたのねん」
「それは『人の魂など天の彼方に置いてきた』と――」
「ええ。どうやらご主人様は本気になったみたいねん。自分の全てをもって曹操ちゃんを大陸の覇者にのし上げる気よん。もしかしたら、ここでの会話が無意識下に残っていたのかもねん」
ありえないことだけれど――確信しながら、貂蝉は云う。
「歪な形で固まってしまった決意。でも、ご主人様は初めから歪だったんだもの。そんなことはさしたる問題ともせず突き進んでいくと思うわん」
「覇道を、ですか」
「ええ」
それが最も好都合なのかもしれない。
曹孟徳はいつまでも孤独な覇王のまま。
夏候元譲、夏侯妙才はその覇王に盲目的に仕え。
荀彧は覇王に心酔し。
そして――悪鬼は、覇王の敵すべてにその牙をむく。
悪鬼を支えるのは、愛らしい幻惑の魔女。
清濁をことごとく呑み込み――曹孟徳の覇業は成る。
統一された大陸に安寧をもたらし、民は平穏を得る。
「統一者たちの、隠れた涙を礎に……ねん」
それで構わないと思っている自分に、反吐の出る思いを抱く。
しかし、貂蝉が優先すべきはより良い外史の生成、固定。
主役たちの幸せは二の次である。
もしそれを優先するのであれば、そもそも北郷一刀を送り込んだりはしない。元々あった彼の生活を奪うようなことはしない。
賽は投げられたのだ。
「しかし、北郷さまのお顔は――」
「ええ、優しく穏やか。でも、その眸の奥に広がっているものは――身を切るような冷たさ」
最も恐ろしいのは。
柔らかな彼の貌も、眸の奥の冷たさも――そのどちらもが全く同一の根源を共有していると云うこと。
だからこそ。
彼は悪鬼たり得るのである。
「ご主人様――」
その後に続きそうになった言葉を、辛うじて貂蝉は呑み込んだ。
それは決して許されぬ言葉であったから。
自分だけはそれを吐いてはならぬと、自覚していたから。
《あとがき》
ありむらです。
ここでこの幕間をいれました理由は上記のとおりです。
元々別の個所で用いるはずだった設定を華琳さまの違和感に対する理由づけに使ってしまいました。
自分でも華琳さまの違和感に段々我慢できなくなって、ただもう修正はきかないし、もうこの作品を投げ出してしまおうかと思ったのですが、最後のあがきで強引に持っていきました。
もうお分かりかと思いますが、今後も『揺れ』と思われる現象がさり気なく登場するかもしれません。
まあ、作者の未熟を隠すために用いられる可能性を多分にはらんでいることは、今回の一件でお分かり頂けたかと思いますが。
それでも、ありむらの作品よんでやるよ、と云う方がいらっしゃるのでしたら、見守っていただければ幸いです。
お読みして下さっている方がいる限り、ありむらは完結を目指します。
それでは次回以降はまた本編が進行します。
宜しくお願いします。
ありむら
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独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは少々お強くあります。苦手な方はごめんなさい。
今回の設定は本来もっと後に持ってくるつもりだったのですが、前回の華琳さまの違和感を自分でも拭いきれなかったので、ここで強引に入れました。
今後はこのまま本編をごり押しします。
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