No.462035

落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫†無双二次創作 ⅸ 前篇

ありむらさん

独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは少々お強くあります。苦手な方はごめんなさい。
第九回は長くなったので前篇後篇に分けます。
そして今回からは賛否がかなり別れる展開になるかと思います。個人的にはそう思ってます。

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2012-07-29 22:13:09 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:9926   閲覧ユーザー数:7922

【ⅸ】 前篇

 

 

 

 薄暗い浴室だった。ユニットバスに湯を張り、その中に身を横たえている。シャワーからとめどなく水が放たれ、俺の頭に降り注いでいた。ただそれが温かいのか冷たいのか、判然としなかった。

 まるで色のないその視界に、「ああ、これは夢なんだな」と理解する。そして、「ああ、またこの夢なんだな」と納得する。

 顔を上げると、シャワーから飛び出した幾筋もの水流が瞼を叩いた。煩わしいはずであるのに、シャワーを止める気にもならない。

 ただ漫然と湯船の中に揺蕩っているだけの時間。水かさは徐々に増えていく。

 そして。

 刹那、右腕に激痛が走る。ああ、また来たんだ。

 俺はけれども、諦めたようにその恐ろしい現象と対峙する。

 右の手首のすぐ下に――人間の顔が浮かび上がっている。

 蛇のような顔立ちの男。

 ――ホンゴウ。

 頭の中に直接声が響いてくる。

 次は左の肩に痛みが走る。そこに浮かび上がっているのは、ソバカスの目立つ女の顔。

 ――かえしてよ、あたしのたいせつな。

 頭蓋骨の奥が、ずんと痛む。

 うるさい。

 身体に走る痛みは増えていく。右の内腿に、胸に、臍の下に、腰に、背中に――もう、どの位置にどんな顔が現れるのか覚えてしまっていると云うのに、まるで慣れることのない怨嗟の時間。

 十人。

 十人分の男女の顔が、俺の身体に浮かび上がっている。各々が、好き勝手に恨みつらみを並べ立てる。

 ――ゆるさねえ。

 ――どうして、どうして。

 頭の中を、泥のような呪詛が駆け巡る。

 うるさい。

 うるさいッ!

 俺はいつものように、その顔のひとつに爪を立てて、思い切り引き裂く。飛び散る血は、夢の世界では深い黒色をしていた。

 ――そうすればよかったんだ。

 背中に張りついた女が云う。

 ――あはは、そうやってひと思いに殺せばよかったんだ。

 首筋に現れた男が云う。

 ――いや、殺したのが間違いだったんだ。

 違う。

 間違ってなどいない。

 ――ははは! そんな顔してよく云うじゃないか。

 右の頬に張りついた女が嗤う。

 ――よくも。

 ――よくも。

 ――よくも、あたしらのたいせつなものを。

 ――よくも、よくも、よくも、よくも。

「うるさいッ!!」

 モノクロの浴室に俺の声がこだまする。いつの間にか、俺は目を瞑っていたらしい。そっと、段々に、瞼を開いていく。その先に何が待ち受けているか、知っているはずなのに。

 シャワーの口から、黒いものが溢れだしている。

 ぬるぬると嫌な感触で、それは浴槽の湯に混じり、俺の身体を汚していく。

 温かいのか冷たいのか、まるで判然としない。

 畜生――。

 ちくしょうめ。

 生臭い、命のしずくが、俺に身体を黒く染めていく。

 脳内を這いずりまわる呪怨の声は、もうよく聞き取れない。ただ喧しいだけの騒音に成り下がっている。街の雑踏と何が変わろうか。

 いつまでもうるさいやつらだ。

 恥知らずにもほどがある。

 よくもだと?

 ゆるさないだと?

 それは俺の台詞だ。

 だって。

 

 先に殺したのは、おまえたちじゃないか。

 

 分かっている。

 それでも、それでも。

 こうしてこの夢を繰り返し見てしまうわけを、俺は知っている。

 ずきりと、予期していた痛みが走る。

 いつも通り。

 何も変わらず。

 左の手の平が、熱く、鋭く痛む。

 しかし、その場所だけは特別だった。

 その場所に、誰の顔が浮かんでいるのか――見るまでもなく分かる。

 だから。

 今までその場所を、見たことはない。

 存在を感じるだけで、見ることが出来ない。

 その人物が、俺にどんな顔をしているのか、俺をどんな目で見るのか。

 恐ろしくてたまらない。

 だから再び目を閉じる。

 何も見たくないと。

 いつもの通り、その夢を拒絶する。

 もう終わってくれと、意識を塞いでいく。

 微睡の中に沈んでいく。

 夢の中で眠ろうとしている俺は、一体どこに行きつくのか。

 どこでもいい。

 ただ、この生臭い浴室から消えてしまえるのならば。

 

 

 飛び起きると、朝だった。

 寝巻が汗で胸に張りつき、それが云いようもなく不快だった。意味もなく前髪をかき上げる。

 ここは――。

 部屋を見渡し、「そうだった」と思い直した。

 北郷一刀は時間逆行などと云うおかしな現象に巻き込まれたのだった。眼前に現れたのは趙子龍に曹孟徳、その他色々。

 純粋な時間逆行かどうかすらあやしい。

 だいたい、古代中国にやってきたにしてはおかしいことが多すぎる。

 以前出会った、戯志才は眼鏡をかけていた。この時代にあのような精巧な眼鏡があるものか。基本的には古代中国と変わらぬ文化水準だと云うのに、ところどころ、妙に高度であったりする。

 もう、誤魔化しは利かないだろう。

 ここは一刀の知る古代中国ではないはずだ。

 趙子龍も曹孟徳も程昱も夏候惇も夏侯淵も許褚も典韋も荀彧も、誰も彼も女だなどと、そんなおかしいことがあってたまるものか。

 誰かひとり、例えば趙子龍が実は女だったと云うだけなら話は分かる。ただ、歴史に名だたる人物が軒並みとなると異様極まりない。

 ここはきっと『そう云う歴史』なのだろう。

 そのように納得するしかあるまい。 

 どうして自分がその歴史の中にいるのか――その原因はまるで分からない。

 もしかしたら自分は逃げ出してきたのではないのか。

 そんなことを思ったりもする。

 ただ、時代をさかのぼり、歴史の境界を飛び越えてきたのだとしても――逃れられないものがあることを、今しがた実感させられた。

 一刀は嘆息しながら、再び寝台に倒れ込む。

 もう少しだけ、微睡んでいたかった。

 

 

 

「――偽物騒ぎ?」

 

 盗賊討伐から一週間が経とうと云うこの日、一刀は曹操の執務室に呼び出されていた。部屋には彼女の他誰もいず、一刀はひとり、曹孟徳と相対することになった。

 流石に曹操の部屋ともなると他に比べて随分と広く、また置かれた調度品もかなり上等なものであろうと思われた。ただ、執務に不必要な工芸品や芸術品の類がない点に、彼女の執務に対する姿勢を垣間見ることが出来る。

「そう。偽物騒ぎ。あなたの――天の御遣いのね」

 曹操は淡々と云う。

「なんでまた」

「流星が落ちたって云うのが、噂になっているのよ。巷じゃ、天の御遣いが舞い降りたって、ちょっとした騒ぎだわ。それに便乗して、『自称天の御遣い』が出始めているって云うわけ」

「悪さしてるの?」

「そうね、民を扇動しようとし、金品を巻き上げてもいる。宗教家を気取っている者もいると聞くわ」

 曹操の言葉に、一刀は肩を竦める。

「……一刀」

「ん?」

「今日これから、陳留の商人たちや周囲の村の長たちとの会合があるの。あなたもそこに来てちょうだい。本物の天の御遣いとして紹介するわ」

「いいのか?」

「仕方がないでしょう。私だって隠しておきたかったけれど、こう偽物が後を絶たないんじゃ、本物を出すしかないじゃない。それに街では偽物御遣いを恐れている民もたくさんいるの。だから、あなたを連れて行って、本物は人畜無害だと見せつけてやるのよ」

「分かった。そう云うことなら協力するよ」

 答えると、曹操は満足げに微笑む。

「それから会合では、あなたにも話をしてもらうわ」

「へ? なにを?」

「これよ」

 曹操は机の上に一冊の本を出した。それは、一刀がこちらへきて急ぎ取りまとめたものである。表題は『農事心得』としてあった。

「――これの内容は真実なのよね」

「勿論だ」

「これについて話をして欲しいの。農業は国の基礎――収穫高の上昇が見込めるならすぐにでも写本を回したいわ」

「了解。他にもいくつかまとめているから、出来次第持ってくるよ」

「あなた、目の下にくまがあると思ったら――休養も仕事のうちよ?」

「ああ。ただ、今纏めているのは医術に関することでね。これは早い方がいいだろ?」

 そう云うと、曹操の顔色が変わる。

「医術? あなた医者だったの?」

「まさか。ただ一般常識として、ある程度医学的な知識があるんだ。天の国じゃそう珍しいことじゃない。それを纏めておこうと思ってさ」

「――そう。まあ、どの程度役立つかは、見てみないと分からないけれど」

「そうだね。なるべく早く持ってくるよ」

「そうしてちょうだい。さて――」

 そう云って、曹操は椅子から立とうとする。

「あ、待った。ちょっと話しておきたいことがあるんだけど」

「なに? そろそろ準備しないと会合に間に合わないのだけれど?」

「すぐ済むよ」

「はぁ……云ってごらんなさい」

 椅子に座りなおした曹操を確認し、一刀は話し始める。

「ひとつは俺が自由に動かせる隠密部隊――細作部隊を作らせて欲しい。正直なところ、今の情報収集能力では、今後が不安だ。今から早急に対処すべき部門だと思う。これがひとつ」

「ふむ」

「それから俺に副業を許してくれ」

「副業――ですって?」

「そうだ。俺が顧問になって民間で色々な事業を興させてみたい」

「事業って、何をするのかしら」

「ひとつは情報雑誌の発行。今、『阿蘇阿蘇』と云う雑誌が売り上げを伸ばしているんだが、俺が顧問を務めれば『阿蘇阿蘇』を超える雑誌を生み出せる」

「雑誌を作ってどうするのよ」

「富裕層の購買意欲をあおるのさ。消費を増やし、経済を回す。これで税収も増える。それに情報雑誌があれば、細作を用いなくても噂を流すことが出来る。細作の人員節約にもなると云うわけだ」

 

 曹操は顎に手を当て、考えている。

「他の事業は?」

「天の国の料理を出す店を開き、チェーン展開を目指す」

「ちぇーん……?」

「ああ、えっと。まずひとつ店が上手くいくとするだろ? そしたらその店の料理人に別の街で同じ名前の料理店を出させるんだ。いずれ色んな街で同じ店の同じ味が食べられるようになる。あなたの街の天国飯店ってね。名前が売れればそれだけ収益が出る。店としては上流階級向けと庶民向けを考えている。俺が顧問になって天の料理の調理法をその店に与える代わりに、特別税を納めさせる。それを新設細作部隊の維持費に回す。店の宣伝はさっきの情報雑誌を使う」

「――考えておきましょう。話はそれで終わり?」

「最後。警邏隊組織の改編と浮浪者収容施設の設立」

「前者はいいとして、後者はどう云うこと?」

「浮浪者がいると必然的に犯罪が増える。だから浮浪者を収容して手に職を付けてやる。飯が食えるようになれば、浮浪することもないだろうしね。ただ、これは費用が掛かるから、実現しようにも今すぐにってわけにはいかないけれどさ」

 一刀は頬をかきながら話を続ける。

「今日のところは取り敢えずざっと話をさせて欲しかっただけ。書類に纏めろって云うなら、すぐに取り掛かるよ」

「……そうね。じゃあ、あなたが考えていること、知っていることを纏めて提出なさい。要不要はこっちで判断するから。ただし、夜は寝ること」

「う……了解。じゃあ、俺は支度してくるよ。もう出発するんだよね、会合」

「ええ。うまく頼むわよ」

「分かった。それじゃ」

 礼をとり、一刀は曹操の執務室を後にする。

 天の御遣いの存在が、公のものになる時が来た――そのことに何とも云いがたい心持になる。

 よいことでは決してない。

 妙な肩書をひっさげるなど、重荷でしかないだろう。

 しかし街で偽物が横暴を働いているとなると――。

「ま、仕方がないか」

 頬に日差しを受けながら、一刀は静かに回廊を進んでいく。

 すると、前方より歩いてくる人影を認める。

 長い黒髪をたなびかせる、赤い衣服の女――夏候元譲その人である。朝議で顔を見たことはあれども、大して言葉を交わしたことはない彼女に、一刀は取り敢えず挨拶をすることにした。

「こんにちは」

「……」

 しかし夏候惇はと云えば、胡乱な眼差しでこちらを見るばかりで、何も言葉を返してこない。

「あの」

「……」

「えっと」

「……」

 夏候惇はこちらをじっと見たまま黙りこくっている。ただ、このままお見合いを続けていても仕方がないと、一刀が去ろうとしたとき――。

「華琳さまがお許しになったからだ」

 黒髪の麗人はそんなことを云った。

「ん?」

「天の御遣いなどと怪しげなものに頼らずとも、華琳さまはこの夏候元譲が支えてみせる」

「――そうか」

「ふん。すかしたやつめ。貴様などあやかしものと何ら変わらぬ。華琳さまがお止めにならなければ、この私が叩き斬ってやったものを」

 鋭い視線をこちらへ放ち、彼女はそんな物騒なことを云う。――と、そんな夏候惇の背後から夏侯淵がやって来るのが見えた。

「姉者、北郷」

「秋蘭か」

「やあ、夏侯淵。こんにちは」

「うむ」

 こちらにやってくると、夏侯淵は一刀と夏候惇の間に視線を行き来させる。

「姉者――」

「ふん。妙な真似をしたら叩き斬ってやると、こいつに云ってやっただけだ。私はもう行く」

 夏侯淵から顔をそむけると、夏候惇はのしのしと大股でその場を去っていった。

「いやぁ、死ぬほど嫌われているみたいだな。俺」

「すまないな」

「いや、仕方がないよ。天の御遣いとか、怪しさ満点だしね」

 そう云うと夏侯淵が苦く笑う。

「そうだ北郷。おまえに伝えておかねばならないことがあってな」

「ん? なに?」

「盗賊討伐の際、保護した女たちがいただろう?」

 夏侯淵は腕を組んで話を始める。

「ああ、それが?」

「うむ。ほとんどの女は彼女らの村に送り届けたのだが――ひとり居座って動こうとしない者がいてな」

 ため息を小さくついて、夏侯淵は一度言葉を切った。

「居座るって――」

 一刀の脳裏によくない想像がめぐる。盗賊にさらわれてきた女である――村がすでに壊滅していて、帰るところがないのかもしれない。

「北郷の想像は――恐らく外れていると思うぞ」

「へ? 帰る場所がないってことじゃないの?」

「いや、その娘は――おまえに会わせろと云って聞かんのだ」

「……え?」

 自分はどれほど間抜けな顔をしたのだろう――軽く噴き出した夏侯淵を見てそう思う。

「ふふ、そんな顔をするな。本当のことだ。本来であれば強制送還なんだが、華琳さまに報告したところ、面白そうだから会わせてみろと云うことでな」

「は? いや今、曹操に会ってきたけど、そんなこと一言も――」

「そうなのか? ふ、華琳さまもお人が悪い。まあ……そう云うわけだ、一度会ってやってくれ」

「いやまあ、うん。ただ、今から少し出るから、今度で良いかな」

「うむ。どこに行くのだ?」

「ああ、曹操の出席する会合にお供で」

 回廊に風が吹いて、それが夏侯淵の前髪を揺らした。

「なるほど、そう云えば北郷のまとめた本――『農事心得』と云ったか。あれを紹介したいと云っておられたな。ふむ、しっかり頼むぞ」

「分かった。と云うより、夏侯淵は来ないのか?」

「うむ。今回は華琳さまと北郷だけだろう」

「え、嘘。護衛は?」

「民に扮した兵士が紛れてついていくがな。露骨な護衛は相手を萎縮させる」

「じゃあ、会合出席者を城に呼べばいいのに」

「今回の会合は街の視察も兼ねているのだ。まあ、そう見えずとも護衛はいるから安心しろ」

 夏侯淵の言葉に、一刀は淡く笑んで応える。

「了解。じゃあ、まなな」

「うむ」

 互いに視線であいさつし、一刀は夏侯淵と別れると、自室へと足を向けた。

 ふっと、ひと息つき、視線を上げる。

 

 ――取り敢えずは会合だな。

 

 そう胸中で呟くと、支度をするため、一刀は足を速めた。

 

 

 

「遅い!」

 一刀が待ち合わせ場所にやって来ると、曹操はすでに待っていて――とても不機嫌そうだった。

「悪い。支度に手間取ってさ」

 布袋を肩に担ぎ直した一刀は、歩き出した曹操の後を追った。

 城を後にし、街に繰り出す。

 客寄せに声を上げる屋台の店主。

 話に花を咲かせる商家の婦人方。

 楽しげに走り回る子供たち。

 道案内を買って出ている警邏隊の兵士。

 陳留の街は賑やかで、とても栄えていた。

「いつも思うけど――いい街だよな」

「軽く云ってくれるわね。ここまでするのに苦労したのよ?」

「そうなのか?」

 問うと、曹操は短く嘆息する。

「そうよ。前の刺史がとんだボンクラだったの。まあ、この間季衣たちの村を捨てて逃げ出した州牧も最低だけれどね。元が悪かっただけに、思った以上に時間がかかったわ」

 辛辣な言葉を放つ曹操は、けれども優しげに眼を細めている。その端正な横顔は名匠の生み出した人形のようで、街の雑踏の中、異質な美しさを漂わせていた。

「あら?」

 ぼうと曹操に見とれていた一刀は、彼女のそんな声で我に返った。

「ん? なに?」

 そう尋ねる一刀に構うことなく、曹操は足を進めていく。その先を見れば、女児がひとり不安げに視線を彷徨わせていた。

 曹操はその娘に歩み寄ると、そっと屈んで声を掛ける。

「どうしたのかしら?」

「……へ?」

 女児は突然に声を掛けられ戸惑っていたようだったが、淡く笑む曹操に、やがて気を許したようだった。

「お母さんが……」

「はぐれてしまったのね」

 娘は黙って頷く。その眼尻には涙が溜まっていて、曹操はその白い指先でそれを拭ってやっていた。

 曹操の穏やかな表情を見ていると、彼女が母親になったならば、あんな顔をするのだろうかと――そんなことを思ってしまう。

 それにしても少し意外だった。

 いつも凛々しくふるまう曹操はまさに王者のようであったが、今の彼女はただひとりの女であるように見える。けれども、もしかしたら――それが自然なことなのかもしれない。

「一刀」

 再び忘我の境に入っていた一刀を、曹操の声が引き上げる。

「え、あ。はいはい」

 一刀は速足で、彼女と女児の元に向かう。

「迷子みたい」

「警邏の兵士に任せれば?」

「そうね――」

 思案する曹操。そんな彼女を娘が不安げに見つめている。

「ここから会合のある店まで、この子の母親を探しながら行きましょう。そこまでで見つからなければ兵士を呼べばいいわ」

「いや、それなら今兵士を呼んでも同じじゃないか?」

「馬鹿ね。この子、見るからに怯えているでしょう。鎧を着た兵士に預けられたりしたら、余計に委縮させるわ」

「――なるほどね」

 一刀は納得すると、女児の前に屈み込んで、視線を合わせる。

「はじめまして。きみ、迷子になったんだって?」

「……うん」

「そっかぁ。――あのさ、俺とこっちのお姉さんとで、きみのお母さんを探してあげるよ」

「ほんと?」

「ほんとほんと、こう見えても人探しは結構得意なんだ」

 片目を瞑って微笑みかけると、女児もこちらに笑んでくれる。

「きみひとりだと色々と危ないしさ。一緒に行かないか?」

「うん! ――わわっ」

 勢い良く笑んだ娘を一刀はぐいと抱え上げ、そのまま肩車する。

「わー! たかーい!」

「こうしていると、お母さんの方がきみを見つけれくれるかもしれないしね。さ、いくぞー」

 きゃっきゃとはしゃぐ娘をのせたまま、一刀は布袋を担ぎ直して歩き出す。

「へえ、中々上手いじゃない?」

 傍らで曹操が楽しむような半眼を向けてくる。

「なにが?」

「子供の扱い」

「そうかな」

「ええ。この機会に、幼いうちから手懐けておこうと云う魂胆かしら」  

「曹操がどういう目で俺のことを見ているのか、よく分かったよ」

 負けじとこちらも半眼を向けると、曹操は可笑しそうに笑う。

「そう云えばさ、夏侯淵に聞いたんだけど」

「秋蘭に? なにかしら」

「盗賊討伐の時に保護された女の子がひとり、城に居座ってるって話」

「ええ、そうよ。白い服の人に会わせてくださいと云って聞かないんですって。あなた、一体何したの?」

「何もしてないから、俺も困ってるんじゃないか」

「……ふーん」

 訝るような曹操の視線が痛い。

「まあいいわ。一度会ってあげなさい」

「面白そうだから?」

「そう、面白そうだから」  

 一刀は短く嘆息する。

 肩に担いだ娘は一刀の上から母を懸命に探しているようだ。その様子を見て微笑む曹操はやはり、ただの――美しい少女だった。

 しかし、彼女の穏やかな表情が鋭いものに変わるのを、一刀は見逃さなかった。

 曹操の視線を追っていくと――その先にはふたつの人だかりがあった。

 どちらも十人ほどではないだろうか。互いに睨み合い、険悪の雰囲気である。一体何があったのかじっと観察してみると、事態がつかめてくる。

 ふたつの集団、それぞれの頭目が『白い服』を纏っているのである。

 そして極めつけは――。

「おうおう! われらが御遣いさまになんてぇ、口のきき方してんだてめえら! 偽物はすっこんでいやがれ!」

 これである。

 髭の男を神輿に担いだ男が大声を上げていた。

 しかしながら、云われたもう一方も負けてはいない。

「ふん、そんな品のないひげ男が御遣いさまだとは笑止千万! われらが崇めるこの方こそ真の御遣いさまである! そちらの偽物は早々に立ち去れい!」

 そう示された男は神妙な顔つきで、確かに上等な着物をまとった品のある男性である。ただ、側頭部から後頭部にかけて何やら不可解な札を数枚張り付けている。

 曹操に目をやると、額に手を当てて呆れている。

 どうやらこれが『偽物御遣い騒ぎ』らしい。

「出来が酷いな。偽物にしてももう少しマシなやり方はなかったのか? ただの馬鹿だろ、あれ」

「……云わないで」

「ちゃちな大道芸人でも、もっとましだな」

「はぁ……頭が痛いわ」

 そうこうしているうちにも騒ぎは大きくなる。警邏の兵士を差し向けて叩き伏せてもいいのだろうが――。

「じゃあ、黙らせますかね」

 一刀がそう云うと、曹操がこちらを見上げてくる。

「何する気?」

「奇跡の技を見せてやろう。ふははは」

 一刀はわざとらしく笑うと、少女を下ろして曹操に預け、騒ぎの中心へ入っていく。

 小さく詫びながら人ごみをかき分け、ふたりの偽御遣いの前へ出た。

「なんだてめえは!」

 ごつい方の偽御遣いが吠える。

 その男に応えるように、一刀は大きく両腕を広げ叫ぶ。

 

「我こそは天の御遣いなりッ! 近頃俺を騙る不届き者がいると聞くが――貴様らだな?」

 

 その言葉にもうひとりの偽御遣いが嘲笑う。

「ふふふ、笑わせてくれる。我そこが真の御遣い」

「ほう。ならば問おう。貴様は何をもって己を御遣いと称す」

 一刀は不敵に笑んで問う。

 すると男は、頭から札をはがしてそれを高々と掲げてみせた。

「我はこの護符にて、民の災厄を打ち払う!」

「やってもらおう」

「は……?」

「だから、やってみせろと云っているのだ」

「よかろう!」

 そう云って男は神輿から降りてくると、何やら意味ありげに舞い始める。そして、その札をさっと振るう。

 そうするとその札はたちまちに燃え上がった。

 周囲から歓声が上がる。

「いまこの札は、民ひとりの災厄を代わりに受け、身代わりとなって燃えたのだ!」

 男は自慢げに云う。

 一刀はその男の袖をとった。

「笑わせてくれる! 見ろ! この男は袖に石を忍ばせ、それで札に火を放ったのだ! それにどうだ!? この札の文字は油の混ざった墨で書かれているぞ!」

 一刀が易々と種を明かすと、観衆から罵声が飛ぶ。

『偽物じゃねえか!』

『インチキ!』

『帰れ!』

 一刀は札の男を捨て置くと、髭の偽物に向き直る。

「貴様は何をもって己を天の御遣いと称す」

「がはは! 俺様の剛腕は天の加護を受けている。これに壊せぬものなどないわ!」

「そうか――ではこれを壊してもらおう」

 そう云って一刀は布袋から、鈍く光る手の平大の金属塊を取り出した。それを髭の偽物に投げ渡す。

「どわっと」

 予想外の重さだったのか、髭の男は危なげにその金属塊を受け止めた。

「ほら、それを片手で握りつぶせ」

「――な」

「天の加護を受けてるんだろう? それくらいは容易いよなあ?」

「ぐぬぬ……ふふ。き、貴様はどうなのだ!」

 髭の男は何やら思いついたのか、勝ち誇った顔で云う。

「貴様も己を真の御遣いと称す身。ならば貴様がこれを壊して見せろ!」

「いいだろう」

「……へ?」

 髭の男が間抜けな声を出す。

「壊してやると云ってるんだ。さっさとそれを寄越せ」

「つ、強がりやがって!」

 男は金属塊を投げ返してくる。

 一刀はそれを片手で事もなげに受け止めると、観衆へと見せつける。

「見よ! 陳留の民よ!」

 声を上げ――そして一刀は金属塊を片手で握りつぶした。

「さて、実は同じものがもうひとつある」

 にやりと笑って一刀は同じ金属塊を取り出した。

「さあ、今度はおまえの番だぞ」

 それを男に放ってやると、男はそれを受け取ったまま呆然としている。

「どうだ、陳留の民よ。所詮偽物はこんなものだ!」

 一刀は舞台に上がった役者のように、身振り手振りで観衆を盛り上げていく。

『すげえ! 本物の御遣い様だ!』

『偽物、帰れ!』

『御遣い様! もっと奇跡を見せてくれ!』

 その声に一刀が不敵に微笑む。

「いいだろう。では特別に俺の力をお目にかけようか!」

 そう云い放ち、一刀は再び両腕を左右に広げる。

 そして――右の指をぱちんと鳴らした。

 すると、何も持っていなかったはずの右の手に一輪の赤い花が握られていた。

『すげえ! 奇跡の技だ!』

 次に一刀は左の指を鳴らす。そうすると左手にも一輪、赤い花が握られる。

 右に。

 左に。

 指が鳴るたび花が握られていく。

 その度に観衆は声を上げて喜んだ。

 左右に五輪ずつ花を握ったところで、一刀はそれらを高々とかざす。そして十輪をひと息に、両手の中に握りこんでしまった。

 きっと花は潰れてしまっただろう――そう予想した観衆の中、一刀はそっと握った両手を開いていく。

 すると――そこには、なにもなかった。

『消えた!』

『花が消えちまったぞ!』

 声が上がる。

 一刀はその声を煽るように大仰な動作で歩き、観衆の中から、ひとり若い女を選んで手を取った。

「お嬢さん、お手伝い願えるかな?」

 白い歯を見せて一刀は微笑む。

 女は神妙な顔つきで頷くと、一刀に連れられて観衆の中央へとやってきた。

 一刀はその若い女の両の手をとって握り合わせると、それを更に自分の両手で優しく包み込む。そして照れ臭そうにする女に構わず、まじないをかけるように女の手をそっと撫でた。

「さあ民よ! 括目せよ!」

 一刀はそっと女の手を離し、女に視線で合図する。

 彼女の顔を見るに、彼女はもう気付いているようだ。

 若い女は、そっと己の手の平を開いていき、それを観衆へ差し出すように見せる。

 女の手の平には――赤い、花びらだけがあった。

 わっと、一際大きい歓声が周囲の空気を震わせる。

 一刀は人差し指で空を差し、女に向かって再び合図を送った。女は一刀の意図を感じたのか、両手に持った赤い花びらを勢いよく中空へ放る。

 するとその刹那、勢いよく風が吹き、辺り一帯は美しい深紅の花吹雪に包まれた。

「陳留の民よ!」

 一際大きい一刀の声、それに観衆が盛大に応じた。

 しかし――。

 

「ここまでやっておいてなんだが、実はこれはも、インチキ……なんだ」

 

 一刀は冷や水を浴びせるようなことを云う。

 観衆は唖然とした顔をしていた。

「天の国では、あらゆる謎が解明されつくしている。一見不思議に見えるようなことでも、すべてにタネがある。だから、おかしな偽物に騙されてはいけない。俺が云いたかったのはそう云うことだ」

 少々方便が混ざっているが、構うまい。

 一刀はためるように、少しだけ言葉を切った。

「だがこれでは、俺が本物だと証明したことにはならないだろう! だから、天の道具をひとつお見せしよう!」

 一刀はポケットからライターを取り出した。

「見よ!」

 着火する。

 金属の塊から突然に火が吹き出し、観衆は驚きの声を上げる。

「これは天の国で火をつけるために作られた絡繰りだ! どうだ! この大陸にふたつとない品だ! これをもって、俺が天の御遣いだと云う証にしよう!」

 一刀はへたり込む札の男から、札を全て剥がすと、火を付けて宙に放った。

『御遣いさま、万歳!』

『偽物はとっとと失せろー!』

 これにて一件落着とばかりに、観衆はやんやの声を上げる。

 ひと仕事終えた一刀はひとつため息をつくと、曹操の方を振り返った。彼女は不敵に笑んでこちらを見ていた。

「お母さん!」

 曹操の傍らにいた女児が声を上げる。

 そこで一刀は気が付いた。

 どうやら一刀が『アシスタント』に選んだ女性が、迷子の母親だった。随分と若い母親だと思ったが、時代柄、おかしくはないのかもしれない。

 母親は娘が天の御遣いに保護されていたのだと聞くと大仰に恐縮してみせたが、一刀はそれをなだめて、母娘を帰らせた。

 やがて騒ぎを聞きつけた警邏隊がやってきて、偽物たちを捕縛していく。

 一刀と曹操はその様を何気なく眺めていた。

「派手にやったわね」

「これだけ叩けば、まあ偽物は出てこなくなるだろ」

「まあ、いいでしょう。さ、行くわよ」

「いけね、会合の時間か。間に合いそう?」

「ギリギリね」

「それはよかった」

 ふたり連れ立って歩き出しながら一刀は云う。周囲からはまだ『天の御遣い』へ向ける賞賛の声が上がっている。

「それにしても」

 曹操は云う。

「あんなインチキ、よく用意していたわね」

「はは、宴会の余興にでもと。会合で何か云われた時のために持ってきてたんだけどさ」

「会合でやるつもりだったの? あれ」

「場合によっては」

 曹操は呆れたような顔をしている。

「それにしても――あんなものを用意している余裕があると云うことは、まだまだ仕事を回しても大丈夫と云うことね?」

「うぐ……」

 痛いところを突かれ、一刀は黙り込む。

「うむむ、今回はこれで誤魔化されてくれよ」

 そっと、曹操の前に手を差し出し、一刀は指を鳴らす――すると、そこには一際小さい花が一輪現れた。ただ、花弁の色は抜けるような純白だった。

 一刀はそれを曹操の髪に差す。

「……ばかね」

「え?」

「ふふっ、この私が誤魔化されてあげるわけないでしょう」

 頬をかいて困ったように立ち尽くす一刀をおいて、曹操は先に進んでいく。

「ほら、一刀。早く来なさい!」

「はぁ……かなわないなあ」

 振り返らずにこちらを呼んだ彼女の後を、一刀はトボトボと追うのだった。

 

 

《あとがき》

 

 ありむらです。

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 今回は第九回前篇と云うことでお送りしました。これからの展開は、お好みが分かれると思います。

 一刀さんの過去に何があったかは、まあだいたい想像出来ていらっしゃると思いますので、言及はしません。

 一刀さんはそんな人じゃねえよ、とお思いになる方。すみません。ただこれを始めるにあたって考えていた話の骨子なので、勘弁してください。

 これでもいいぞ、と云う方。ご寛大な御心に感謝いたします。

 

 さて、後篇のあとがきもあることですし、長く語るのは止しておきましょう。

 

 ではこの辺で。

 

 コメント、感想、支援などなどじゃんじゃんください。

 

 その全てがありむらの活力に!

 

 次回もこうご期待!

 

 ありむら


 
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