その噂を耳にしたのは、丁度陳留に名の知られた刺史・曹操を訪ねようと思っていた矢先の事だった。
“不思議な一団が、大陸の北を目指している――――――”
聞けばその一団は、今や大陸全土に飛び火した乱に乗じて頭角を現してきた黒山や白波の様な流賊の様に決まった本拠地を持たないが、彼らの様に窃盗や強奪でその日の生計を立てるでもなく、各地で巻き起こる民衆蜂起を鎮撫して、ゆるゆると荊州から北へ登って来たのだという。
その過程で賊から足を洗い、農村へ戻った者も多いと云うが、つき従う者は既に五千を超えているという。
それを率いるのは、一人の若者。
輝く衣を身に纏い、今世の遥か先を往く知識と技術を以て民衆を導く標――――――世に『天の御遣い』と噂される彼の者が率いるその一団に興味を沸かした連れ人が「会ってみたい」と話したのが七日ほど前だったか。
濮陽に駐留しているという話を聞き尋ねてみる。
門前払いをくらうかと思えばさに非ず、名を尋ねられて暫くすると奥座敷に招かれた。
その席での邂逅を、私は生涯忘れる事はないだろう。
「一刀、だから君はどうしてそう無警戒に人を――――――っ!?」
「ふ、風ッ!?」
唐突に私の隣で立ったかと思ったら、次の瞬間には一団の長と思しき青年に苦言を呈していた青年に飛びついて泣きじゃくった彼女―――風が、私の無二の親友である限りは。
もしかしたら、と思った。
もしかしたら自分以外にも、『あの』外史の記憶を持つ人がいるんじゃないかと。そしてそれは或いは、彼女なのではないかと、俺は思っていた。
『―――お願いです!『仲達さん』を!!』
あの声音……何処となく聞き覚えがあった。背丈も声色も違うというのに、ロクに顔も見えなかったというのに――――――そうであって欲しいと。もし『彼』を救って欲しいと願う人がいるのなら、それは……最後まで『彼』の傍にいた『彼女』であって欲しいと、俺自身が焦れる様に。
「初めましてですね~、風は程立と云うのですよ~」
…………それが、所詮淡い幻想である事など、俺自身が充分知っているというのに。
「……先程は風が大変失礼いたしました。私は戯志才、此方は……」
「趙雲、字は子龍と申す」
稟―――もとい、郭嘉―――――――もとい、戯志才と趙雲にそれぞれ挨拶を受け、俺も名乗り返す。
「ああうん……えっと、俺は北郷一刀。この義勇軍の一応、リーダー……じゃなくて、長みたいなものをやっています。それで……」
「……司馬懿、字は仲達。『天救義志軍』が三軍師の一人だ」
……何だか微妙に警戒心っぽいモノを滲ませているのは、気の所為だと思いたい。
ちなみに『天救義志軍』というのは、何時だったか仲達が考案したこの義勇軍の名前である。天より来た救いの義士と同じ志の者が集うとかなんとか、そんな意味があるらしいけど……何と言うか、今一慣れない。
華琳の元にいた時は、名実ともに旗印は彼女に他ならなかったから、今回の様に自分が表立って旗印になるという事に不慣れだからという理由もあるからだろうけど。
「……時に、先のあれは一体何だったのだ程立」
「おうおう兄ちゃん、こんな美少女が抱きついたってのに感想はそれっぽっちかい?」
「これこれ宝慧、ちゃんとご挨拶なさい」
「……戯志才」
「……風、止めなさい」
あ、なんか疲れた風に溜息洩らしながら司馬懿が項垂れた。
「大丈夫か?仲達」
「…………これで大丈夫に見えるのか君は?朱里になんと言えばいいと思っている……!」
……あぁ、ですよねぇ……
前から薄々感じてはいたのだが、司馬懿は誰かに依存し易い傾向がある気がする。
これまでもかなりのリーダーシップを発揮してきたというのに、何かにつけて朱里――諸葛亮の真名――がいないと苛立ったり、彼女と痴話喧嘩すると表面上は冷徹っぷりを装いながらも内実は滅茶苦茶焦ったりと、結構メンタル面が弱い。
さっきも近衛の一人が「諸葛亮殿が天幕に籠って出てきません」という報告を持ってきた時は、顔をにわかに青ざめさせていたものだ。
勿論、それは彼にとって『朱里』という存在がそれほどまでに愛おしく、掛け替えのない人だという事の証左なのだが。
「…………い殿、御遣い殿」
「ん?あ、ああ……どうしたの、えっと……趙雲さん」
「時に貴殿らは“北”を目指しておいでと聞いたが、どちらへ向かわれるので?」
「どちらって……」
答えかけ、ああそっかと思い出す。
この街を出て暫くすると黄河がある。その対岸の少し先――――――広宗は、官軍対黄巾党の主戦場の一つだ。
もしこのまま真っ直ぐ北に向かおうものなら、激突は必至。下手を打てば巻き込まれる可能性だってある。
「見た所、貴君の軍には知略にて軍を率いる者は居ても武勇を以て鳴らす者はおらぬ様子…………もし広宗に向かわれるというのなら、此処は一つ、私共を召抱えてみては如何かな?」
「ああうん、じゃあお願いしようかな」
趙雲の言葉に、俺は一も二も無く頷いた。
「え?」
「え?」
「……は?」
途端、散弾銃をぶちまけられた鳩の様に眼を丸くした趙雲と、本気で正気かどうかを疑う様な司馬懿がそこにいた。
「……これはまた、ずいぶんと即断即決な御方だが、宜しいのか?」
「あの、星……?また私達を置いてけぼりにして、一人で勝手にあれこれ決めようとしていませんか?」
「風は全然構いませんよ~?」
「あれ?放置されているの私だけ?」
「一刀……また君と言う奴は…………!」
「あの、ちょっと……!」
「黙れ駄眼鏡!!いいからこっちに来い一刀!!」
言われ、天幕の隅の方に俺は引っ張られた。後ろの方で「だ、駄眼鏡……」とか聞こえた気がしたが、そんな場合じゃないとでも言いたげに酷く憤怒にも似た激昂を浮かべた司馬懿に、俺は尋ねた。
「なぁ仲達、どうしてそんなに怒っているんだ?人材の不足は前々からお前だって頭を抱えていた問題だろ?」
「それはそうだが……!名前を聞くなり護衛も最低限の人数で武器すら取り上げず、挙句無防備なまま出るなとあれ程言ってやったというのに君と言う奴はいつもいつもそうやって……!!」
本気で呆れた様な口調で、司馬懿は続けた。
「大体何だ?何なんだ君は?この三カ月以上付き合ってきて何だが、君はやはりおかしくないか?徐晃といい臧覇といい、どうして君の連れてくる者はどいつもこいつも女で脳筋で単細胞なんだ?その上あんな軽薄そうな者まで引き込んで何がしたいんだ君は?過労か?僕を過労で殺したいのか君は?」
「いやそんなつもりは……というか何をそんなに怒って……」
「この年中発情鈍感凡愚が……!あれだけ僕と朱里が雛里の為に策を弄しても欠片も気づかぬというのに次から次へと……!!」
何かよく聞こえないが、ものすごく失礼な事を言われている様な気がした。
で、翌日。
申し出を受け、趙雲、戯志才、程立の三人を加えた俺達は黄河を渡り、広宗の官軍駐屯地へと向かった。
『天の御遣い』というネームバリューと『天救義志軍』という実績があれば、共闘を受け入れて貰える事はあっても拒まれる事はない、という見立て通り、俺達はそのまま前線へと回される事となった。
程立、戯志才という新しい軍師を迎え入れた事で軍備の用意が滞りなく、予定よりも早く済んだ司馬懿の提案により、俺、司馬懿、朱里、雛里、趙雲の五人で、共同戦線を張る各軍のリーダーに挨拶回りをしようという事になった。
「それで一刀?君が知る名の者はいるのか?」
途中、目ぼしい、というよりも俺が知っている程度には名の知られた人物がいたら官職に問わず会っておこうという打算も兼ねて。
「えっと……前に話した曹操や劉備、その配下で夏候惇とか関羽とか。後江東の孫堅……はもう亡くなっていたんだっけ」
「ああ。今はその長娘の孫策が袁術旗下に収まっているという話だ。…………最も、袁術如きが何時までその手綱を握ったつもりでいられるかは定かではないがな」
肩を竦める様にして司馬懿は呟いた。
「これは驚いた。軍師殿は江東にも赴かれた事があるのか?」
「いや、流石に江東には行った事はないし、その孫策とやらにも会った事はない……というより、袁一族の馬鹿さ加減を知っていれば誰であれ大人しく黙っていられるとは思えんだけの事だ」
何だかげんなりした様子で思い出したくもない過去を思い出してしまった様に司馬懿がやつれた笑みを浮かべた。
「だ、大丈夫ですか?仲達くん」
「ああ……大丈夫。大丈夫だよ朱里…………」
と、朱里が司馬懿を宥めている間に幽州軍―――公孫瓉と、その同盟軍である劉備の陣営に到着した。
気持ちを切り替えたらしき司馬懿が伝令を送らせると同時に視線を巡らせ―――つと、何かを見つけた様に眼を細めた途端、無造作に陣の中を歩み始めた。
「お、おい仲達?」
「何をしている一刀?時間が惜しい、さっさと行くぞ」
「ふむ……?中々どうして、軍師殿は豪気でおられる」
当惑する俺達を尻目に司馬懿、そして愉快そうに口元を吊り上げながら趙雲が続く。慌てて俺達もその後を追い――――――やがて、酷く聞き慣れた声音が耳朶を打った。
「誇りとは、天へと示す己の存在意義。人は何かをなす為にこの世に生を受ける、その大小はあれど、それを見定めることができるのかどうか。それが出来ぬ者など、いくら能力を持っていようが人間としては下も下。愚昧もいいところ。そのような者は我が覇道には必要がない、ということよ」
天を衝かん程に堂々とした立ち居振る舞い。
全身から迸る、唯一無二の王者の風格。
天命すら凌駕し、覇道を貫いた英雄。
そして――――――誰よりも寂しがり屋で、誰よりも愛おしい、大切な人。
「誰だ貴様は!?」
艶やかな黒髪の女性が武器を構えるのを悠然と眺めながら、その傍らに立つ女性が、その名を告げた。
「控えろ下郎!この御方こそ我らが盟主、曹孟徳様であられるぞ!」
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いよいよ原作魏軍のキャラが登場です。